子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『おじいさんのランプ』 新美南吉 - みなしごだったおじいさんの一代記
青空文庫 『おじいさんのランプ』 新美南吉



かくれんぼで、倉の隅にもぐりこんだ東一(とういち)君がランプを持って出て来ました。 それはおじいさんのランプでした。



おじいさんは昔話を始めます。子どもの頃、みなしごだったおじいさんは、できることなら何でもして、やっと村においてもらっていました。

そのおじいさんが、ふとしたきっかけでランプに出会います。おじいさんにとってランプの光は希望の光でした。そして、独り立ちするべくランプ売りとなり、それが成功し、嫁をもらい、ふたりの子どもを授かりました。



しかし時代の流れとともに、ランプが電灯に置き換わりつつありありました。

電灯が普及する際、おじいさんは追い詰められました。村に電気を引くことを決めた区長を逆恨みし、区長の家に火を放とうとしました。

しかし、子どもの頃から散々お世話になった区長に対して、ふと自分のしようとしていることの罪深さに我を取り戻し、放火を未遂に終えます。



おじいさんは、ランプ売りをやめることにしました。そして新しく本屋を始めます。おじいさんはランプ売りとしての引き際の心得を自画自賛してこの物語は終えます。

その様子である、物語最後を引用します。

自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ。
東一君は黙って、ながい間おじいさんの、小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。
「おじいさんはえらかったんだねえ」
そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。



思うのはおじいさんが罪を犯さなくてよかったということです。若い頃は考えが足らず、つい自棄になってしまうことがありがちです。

大人にとっては、心当たりがあるお話に、子どもにとっては、これから生きていくうえで教訓になりえるお話になっています。



また、村の居候だったおじいさんが、身を立てるべく歩んだ、波乱にとんだ一代記になっています。



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18:12 : 新美南吉 第一童話集『おぢいさんのランプ』 : comments(0) : - : チキチト :
『うた時計』 新美南吉 - 人生という泥道
青空文庫 『うた時計』 新美南吉



二月のある日、野中のさびしい道を、十二、三の少年と、皮のかばんをかかえた三十四、五の男の人とが、同じ方へ歩いていった。風がすこしもないあたたかい日で、もう霜がとけて道はぬれていた。

つまり泥道ですね。この道を歩きながら、二人の会話が物語を形作ります。また、この情景がこの物語のすべてを比喩しているように思われます。泥道とは人生ですね。



主人公の少年は、自ら話す通り、清廉潔白の廉の字を名とするとても善い子どもです。心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくない少年。

そんな少年に対し、清廉潔白とは正反対の三十四、五の男、周作、つまり大人になって人生の泥道に汚れてしまった男が、これまで何回改心したかしれないけれど、廉に出会って今度こそはと立ち直ろうとします。

周作は、父親に改心を誓うために村に帰ってきたつもりが、誓った先から父親の大切にしていたうた時計(オルゴール)を盗んでしまいます。しかしうた時計は廉に出会った周作の手から、廉を通して父親に返されます。



周作にも、かつては清廉潔白な生き方をしていた廉のような子供時代があったのではないでしょうか。しかし人生に立ち向かうにはあまりに弱かったのだと思います。

読者は、周作を通して、人生の厳しさ、自分に克つことの難しさを学ぶのではないではないでしょうか。



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18:05 : 新美南吉 第一童話集『おぢいさんのランプ』 : comments(0) : - : チキチト :
『久助君の話』 新美南吉 - 他人という概念との遭遇
青空文庫 『久助君の話』 新美南吉



『川』、『嘘』に続き、このお話で三作目ですが、南吉の作品の中で、九助君という、一人の少年を主人公とした物語で、いわゆる九助ものと呼ばれる物語群の中のひとつです。



三作目にして、どうやら久助君には、どちらかというと、内気な優等生像が重なりました。この物語も久助君が学校で学術優等品行方正のほうびをもらったことに端を発します。

そのおかげで父親は、もっと勉強をして立派になってほしいと思ったかは知れませんが、久助君に、学校から帰ったら、すぐ一時間の勉強を強いるようになりました。

この決まりは久助君にとって喜ばしくはありませんでした。なぜなら、友達にうまく合流できず遊べなくなってしまうからです。

久助君は勉強が終ると、いつものごとく友達を探して歩いていました。そして出会ったのが兵太郎君です。

兵太郎君との遊びの一部始終がこの物語の骨子です。



久助君は兵太郎君にちょっかいを出します。しまいにはほし草の上で猫の子のように取っ組み合いを始めますが、いつものほら吹きでひょうきんで人をよく笑わせる兵太郎君とはどこか違います。

久助君は初めて他人というものを兵太郎君に感じたように描かれます。そう兵太郎君はどこか大人です。それはひとつの新しい悲しみであった、と物語は結ばれます。



なにも劇的なことは起こりませんが、これまた少年心理をリアルに描いたものとして優れた作品だと思いました。



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18:15 : 新美南吉 第一童話集『おぢいさんのランプ』 : comments(0) : - : チキチト :
『ごんごろ鐘』 新美南吉 - 鐘という無機物に込められた村人の思いが果たす反戦
青空文庫 『ごんごろ鐘』 新美南吉



この作品は、戦時中の勅令(金属類回収令、昭和18年8月12日)で、村のごんごろ鐘と呼ばれる鐘が、爆弾にされるべく国に献納されるという出来事を物語るものです。

主人公である僕は、物語最後に、彼の兄の言葉、

「うん、そうだ。何でもそうだよ。古いものはむくりむくりと新しいものに生まれかわって、はじめて活動するのだ。」

というものを半分わかるものとして、ごんごろ鐘、献納を、半ば好意的に描いています。



しかし、物語全体に流れるのは、村人たちによる、これからお別れをする、長い間、いつも大切な刻を知らせてきてくれた、ごんごろ鐘に対する愛着の念が主旋律で、切ない物語になっています。

この物語が書かれたのは、厳しい戦時統制下であることから、南吉も主人公の僕のように、半分わかるものとして筆を濁さずにはおれなかったのではないでしょうか。

南吉の他作品も読めばわかると思いますが、本当は、人間の活動の浅ましさなど、戦争の不毛を描いたものとすることができるでしょう。



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18:22 : 新美南吉 第一童話集『おぢいさんのランプ』 : comments(0) : - : チキチト :
『嘘』 新美南吉 - フィクションについて
青空文庫 『嘘』 新美南吉



前回に続き、南吉の作品の中で、九助君という、一人の少年を主人公とした物語で、いわゆる九助ものと呼ばれる物語群の中のひとつです。



久助君のクラスに、横浜から太郎左衛門という都会風の少年が転校してきました。太郎左衛門は皆の世界に入り込んできます。しかし、太郎左衛門は嘘ばかりつくので、しまいにみなから相手にされなくなりました。



ところで、ある日、久助君ら、四人の友達は、この世があまり平凡なのにうんざりし、どうしてここには、小説のなかのような出来事がおこらないのだろうと退屈していました。みなは冒険のようなことがしたかったのです。

すると太郎左衛門がひょっこりとすがたをあらわし、十数キロ離れた海岸にクジラが打ち上げられて見世物になっている、というのです。

みんなは、嘘ばかりつく太郎左衛門の言葉だったけれど、あまりに退屈だったので、すぐ信じてしまいました。五人は目的地まで歩きだしました。しかし目的地について知るのですが、これも嘘だったのです。



彼らは、日も暮れて、くたくたになって、一歩も動けなくなって、もう家に帰ることができません。いまさら、こういう事態におちいったのは、久助君ら四人が分別のたりない子どもであったせいだとして、しみじみ泣き出しました。

すると、ひとり泣かない太郎左衛門が、近くに親戚の家があるからそこによって、そこから電車に乗せてもらい帰ろうと提案します。

久助君は太郎左衛門を、わけのわからないやつと思って信じてはいませんでしたが、親戚の家があるというのは嘘ではなかったのでした。五人はそこから無事家に帰ることができました。



うそつきの太郎左衛門も、こんどだけはうそをいわなかったと、久助君は、床にはいったときに、はじめて思いました。本当に困ったときには、あいつもうそをいわなかった。

人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっている、わけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれも同じ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところでは、みんなよくわかりあうのだということが、久助君にはわかったのでした。

すると久助君は、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音を聞きながら、すっとねむってしまった。と物語は結ばれます。


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あまりの退屈さに、久助君ら四人も小説のような出来事を望んでいました。フィクションのような出来事ですね。小説などフィクションも、嘘と断じてしまうとその豊かさを享受できません。

あまりいい例だとは思いませんが、太郎左衛門にフィクションの担い手としての役割を求めてもいいのではないでしょうか。

最後には太郎左衛門も、嘘で生じる最悪の状況を回避する手段を持っていました。久助君らも、ある意味、豊かな冒険を体験したのだと思います。



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