子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 5 より 『竜宮女房』 神さまはいつでも見ている
むかし、ある海辺の村に、年をとった父親と息子が住んでいました。



年の暮れになったのに、何も食べるものがないので、息子は裏山の木を切って、大みそかの街に売りに行きました。

けれども乾いていない生木なのでちっとも売れません。息子が途方に暮れて歩いていると、向こうから魚売りが来ました。

魚売りは息子の青い顔を見てわけを聞くと、息子は、正月の買い物をしようとたきぎを売りに来たのに、一本も売れないのだと事情を話しました。

すると魚売りは、それなら自分の魚と取り換えてやるといいます。息子はやれやれ助かったと胸をなだめおろしました。



息子は魚を担いで家に帰ろうとしました。ところが途中で背中の魚が騒ぎ出しました。あんまり騒ぐので、とうとう息子は魚を海に逃がしてやりました。

家では年とった父親が火をおこして息子の帰りを待っていました。しかし息子は手ぶらです。息子は父親に、魚を逃がしてやったとわけを話しました。父親は少しも怒らず、それはよかったといいました。



その晩のことです父親と息子が何も食べるものもなく黙って火にあたっていると、トントンと戸をたたく音がして、美しい若い女の人が入ってきました。そして「どうぞわたしをここの嫁にしてください」といいました。

むすこは「うちは貧しくて、正月の用意もできないくらいだから、とても嫁を迎えることなんてできない」と断りました。

ところがその若い女の人は手を三べん打ちました。すると外には米俵三俵が積んであって、これで正月の米ができてしまいました。父親と息子は、大喜びでその女の人を嫁に迎えました。



やがて、このことは、殿さまの耳にも入りました。殿さまは息子を呼び出して「この国で、誰も織ったことがないような布を、おまえの嫁に織らせてみろ」といいました。それを聞いた嫁はたちまち見事な反物を出しました。

殿さまは、その見事な布を見て、何としても布を織った人に会いたくなり、父親と息子と嫁を呼び出しました。

すると殿さまは、今まで見たこともないほど美しい嫁を見て、どうしても自分の嫁にしたくなり、息子に向かっていいました。「この女は私がもらう。もし嫌なら直ちに千俵の米俵を積め」といいます

息子と父親が困っていると、嫁は手を三べん打って、たちまち千俵の米俵を積み上げました。

殿さまは、それを見て、なおのこと息子の嫁が欲しくなり、「嫁を差し出すのが嫌なら、この世にないものを持って来い」と息子にいいました。


すると嫁は手を三べん打って、たちまち鼻の長い化けものや、一つ目の化けものををぞろぞろ出して、殿さまを家来ものとも飲み込んでしまいました。

その女の人は、息子が助けた魚のお礼に、竜宮の神様がよこされたお使いだったということです、と物語は結ばれます。



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昔話や伝説によくある、謎の俯瞰者が登場するお話しの類型といえるでしょう。主人公はずっと試されているのです。

息子はよい行いをして福を得ました。一方、殿さまは、その強欲から化けものに飲み込まれてしまいました。

神さまは、我々の行いを、いつも見ているといったところでしょうか。



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18:19 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『炭焼き長者』 善悪を司る両義的存在
むかし、ある山に、炭焼きごん、という若者が住んでいました。ごんは、炭を焼いては里に売りにいって、暮らしを立てていました。



ある、冬の寒い日のことです。ごんは里へ炭を売りにいった帰り道、山で鬼婆が、吹雪倒れになっているのを見つけました。「ああ、かわいそうに。こんなところで倒れていたら凍え死んでしまうじゃないか」

ごんは鬼婆をおぶって、炭焼き小屋に連れて帰りました。そして、炭焼き窯の前に寝かせて温めてやると、鬼婆はようやく息を吹き返しました。

鬼婆はごんを見ると「おまえがここへ連れてきたのかい。なかなか優しい若者だ。みれば、まだ、嫁もいない。おれが世話してやろう」といって山奥へ帰っていきました。



さて、それから四、五日して、大阪の長者の娘が、嫁入りのために遠い道を駕籠に乗って旅してきました。

その日も激しい吹雪でした。嫁入りの行列が里を通りかけると、突然ものすごい竜巻が起きて娘の乗った駕籠を天にまき上げました。

お供の人たちが「あれよ、あれよ」と騒いでいるうちに駕籠は山のほうに飛んでいきました。駕籠はやがて炭焼きごんの小屋の前にすとんと落ちました。

駕籠の中の娘が驚いていると鬼婆が出てきて、娘をごんの小屋につれていき、「おまえはもうどこにも行かれないぞ。炭焼きごんの嫁になれ」といって山奥に消えていきました。



娘は、ごんと、この山の中で暮らすのが自分の運命だと思い、持参金の中から小判を五枚取り出して、「里へ行ってこれで所帯道具と米を買ってきてください」とごんにいいました。

ごんがぶらりぶらりと山を下りていくと、途中の池にかもが四、五羽浮いていました。ごんは「ようし、嫁にかも汁を食わせてやろう」と思いました。

ごんは石を探しましたが、丁度手ごろな石がないので、持っていた五枚の小判を次々とかもにめがけて投げつけました。けれども小判はみんな外れてかもは一羽も取れませんでした。ごんは手ぶらで家に帰りました。



ごんはそのいきさつを嫁に打ち明けました。嫁はあきれて説明します。「おまえさま、小判というものは大事なものなんです。それを全部失くしてしまうなんてこれからの暮らしが困るじゃありませんか」

ところがごんは「なあにあんなものおれが炭を焼いている沢にいくらでもある」とすましていました。

その沢に嫁がつれていってもらうと、そこには本当にたくさんの小判が埋まっていました。嫁はたまげて、ごんと二人で小判を掘り出し、小屋に持って帰りました。

やがてふたりは大きな立派な家を建て「炭焼き長者」と呼ばれるようになりました。



嫁は、大阪の長者から「戻ってこい」という迎えが何度もありましたが、「いいえ、わたしはここで死ぬまで暮らします」といって、一生ごんと幸せに暮らしたということです、と物語は結ばれます。



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鬼婆はただ怖い存在として描かれません。主人公ごんも、鬼婆の怖さを知らず恐れてはいません。それどころか瀕死の鬼婆を救い、彼女から恩を受けます。長者の娘が、鬼婆によってごんの嫁になるのです。

長者の娘はとんだ災難に見舞われたと思いきや、ごんは小判の出る沢を知っていました。ごんは自ら自覚がないだけで、大金持ちであったのです。娘がごんに小判の価値を教えてやると、ふたりはたちまち大金持ちとなります。

あらためて日本の昔話の登場者としての鬼婆や山姥や鬼一般の両義性が描かれている物語です。また主人公ごんは、無知(鬼婆の怖さを知らない)故に、幸せになったお話とも読めます。



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18:18 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『蛇の泊まり』 見るなの禁の物語の一類型
むかし、あるところに、ばあさんがひとり住んでいました。ばあさんはひどい貧乏暮らしで、その日食べるものにも事欠く有様でした。



ある日の夕方ばあさんは、畑仕事を終えて家に帰り、囲炉裏にあたっていました。そこへ綺麗なあねさまがやってきて、ひと晩の宿をたのむなり、戸口に座り込んでしまいました。

ばあさんは、「泊めてやることはたやすいが、御覧の通りのあばら家で、人様を泊めるどころじゃない。それに食べるものなくてな。だからすまないが、どこかよそで泊まっておくれ」といって断りました。

けれどもあねさまは、「いえいえ、それなら心配いりません。わたしは食べるものを持っていますから、どこか雨露をしのげればいいのです」といいました。

いくらばあさんが断っても、あねさまは泊めてくださいというので、ばあさんは仕方なく泊めてやることにしました。



あねさまは家にあがると、「お腹はすいていませんから晩御飯入りません」といって囲炉裏にあたります。ばあさんは「それならもう寝るがいい。床を敷いてあげるから、こっちへおいで」とあねさまを隣の部屋に通しました。

するとあねさまは、「この部屋は畳何畳じきですか」と聞きました。ばあさんは「十二畳じきだよ」と答えると、あねさまは、「では、今夜この部屋を全部使わせてもらってもいいでしょうか」と聞くのでばあさまは、「ああ、かまわないとも。この家はわたしのほかには誰もいないもの。好きなようにつかっていいよと」答えました。ばあさんはそう言って囲炉裏の部屋に戻りました。



しばらくしてばあさんはあねさまのいったことが気になりました。「十二畳全部使っていいかと聞いたな。いったいどうやって寝るのだろう」

ばあさんはそっと立って戸の隙間から隣の部屋をのぞくと腰を抜かさんばかりに驚きました。大きな蛇が部屋いっぱいにとぐろを巻いて寝ているではありませんか。

ばあさんは、「わしの命も今夜限りだわい」と観念して、震えながら寝床に入り、まんじりともせず夜が明けるのを待ちました。



朝になりました。ばあさんが恐る恐る起きてきたあねさまを見たところ、ゆうべここに来た時と変わらない、きれいなあねさまぶりです。

やがてあねさまは朝ご飯を済ませると、いとまごいをして戸口へ出ました。そして、ばあさんに、「わたしの寝姿を見られたのはつらいけれど、宿を貸してくれたお礼に一生の宝物をあげましょう」といって桐の箱をくれました。

あねさまは「でもそれは決して開けてみないでくださいね」といって、どこかへ行ってしまいました。ばあさんはいわれた通り桐の箱を一度もあけず棚にあげておきました。

それからというもの、ばあさんの暮らしはだんだん良くなってきました。それに一生懸命働いたのでお金も着物もできて、米俵も天井までつかえるほど積みあがります。

こうしてばあさんは、一生安楽に暮らしたそうです、と物語は結ばれます。



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純粋に見るなの禁の物語ですね。日本型の見るなの禁の物語は『つる女房』に代表されるように、たいてい異類婚姻譚の物語とセットですが、この物語は異類の者は登場するものの、同性故に婚姻はなされず、あるいは一夜限りの泊まりという筋書きで、純粋に見るなの禁の物語となっています。

しかも禁は二段階に分かれ一度の禁を破ってしまっても即座に異類の者は去っていかず、二度目の禁を守ることによって主人公のばあさんは福を得ます。

もっとも『つる女房』にしても、よく考えると禁は二段階に分かれ、初めの禁を守ったことにより高価な反物を得ていると考えれば、婚姻関係はなされるものの、結果的には同じ筋の物語ともいえます。

まあ、日本の見るなの禁の物語はバリエーションが多く、多様性があります。『魚の嫁さん』はちょっと残念な結末でした。



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18:01 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『蛇の湯治』 蛇というシンボリックな存在
久しぶりに、昔話読みました。短いお話です。



むかし、あるところに、弥兵衛という男がいました。

ある日弥兵衛は、山に芝刈りに行きました。山奥に入って芝を刈っていると、すぐそばで蛇が一匹とぐろを巻いて、じっと弥兵衛の仕事ぶりを見ていました。

弥兵衛はそれに気が付くと蛇をあやしみ、木の枝でたたいたり突いたりしました。蛇は傷だらけとなって逃げていきました。

その日からというもの弥兵衛はなんだか元気がなくなりました。女房は心配して温泉にでもいって養生するようにいいました。



そこで弥兵衛は温泉場に湯治に出かけました。

夜遅く、ひとりで湯につかっていると突然、すぐそばでばしゃばしゃと湯の音がしました。弥兵衛はびっくりして辺りを見回しました。すると近くに頭に包帯を巻いた男がひとり、黙って湯につかっています。

弥兵衛は男に「頭をけがしたのかね」と声を掛けました。すると男は「ああ、山にいたら木の枝でひどくたたかれたもんでね」と答え、弥兵衛をじろっとにらみました。

弥兵衛は何ともいえず気味が悪くなって、急いで湯から出ると、次の朝早く家に帰ってしまいました。



ところが家に帰ると、たたみの上にも柱にも天井にも、弥兵衛には蛇がはった跡やうろこの跡が見えるのです。

弥兵衛は、毎日、毎日、蛇の影を恐れました。日に日に元気がなくなりとうとう死んでしまいました。

弥兵衛が死んでしばらくすると女房が死に、やがて家の者たちも次々に蛇の恨みにとりつかれて死んでいきました。

それからというもの弥兵衛の家は蛇屋敷と呼ばれ、人々から恐れられたということです、と物語は結ばれます。



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蛇の呪いのお話です。蛇は、いい意味でも悪い意味でも、シンボリックな存在ですね。神話にも昔話にも多く登場する動物です。文学のモチーフにも用いられます。

もし、このお話の主人公、弥兵衛が、蛇を大事にしていたら、どういうことが起きるでしょう。神格化された蛇が、主人公、弥兵衛を、幸せに導くお話になっていたと思います。

でもなかなか難しいものですね。弥兵衛のように蛇をいじめることはなくとも、我々が蛇に出会った時の反応は、まずびっくりするのが大方であると思います。我々は蛇を怖れるのです。それゆえにシンボリックな存在なのでしょう。



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