子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
<< April 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>



日本の昔話 5 より 『岩くだき堂せおい知恵もん』 なぜ鬼は最終的に退治されないのか
むかし、ある山に、おそろしく大きな鬼がいました。鬼は毎晩のように人里に下りてきて、子どもをさらっていきました。

村人たちは、今日こそは我が子がさらわれるんじゃないかと心配していました。そこで、隣村の、岩くだきと、堂せおいと、知恵もんの三人の男にたのんで、鬼退治をしてもらおうということになりました。



岩くだきは、げんこつで岩を砕く腕っぷしの強い男です。堂せおいは、お堂を軽々と背負って歩く力持ちです。知衛もんは力も強いが知恵のある男です。三人は鬼退治をたのまれると、さっそく相談を始めました。

知恵もんは「鬼の通り道に鉄の門をこしらえて、その上に大きな石を乗せ、鬼が門を破ろうものなら石が鬼の上にら落ちるようにして、鬼が弱ったところを三人でやっつけたらどうだろう」と提案しました。

しかし岩くだきも堂せおいも「石などいらん。おれが門が中にいてひとりでやっつけてやる」と意地を張りました。そこで知恵もんは、鬼の通り道に三つの門をこしらえることにしました。

一の門には岩くだきが構え、二の門には堂せおいが構え、三の門には知恵もんが門に石を乗せ自慢の刀を構えて鬼を待ちました



夜になるとやっぱり鬼がやってきました。鬼は一の門の前に来ると大きな声で、「おれが通るのを邪魔するやつは誰だ」と怒鳴りました。そして鉄の門を押し開け、中にいた岩くだきをわしずかみにして丸のみにしてしまいました。

鬼はすぐに二の門のまで来ると大きな声で、「おれが通るのを邪魔するやつは誰だ」と怒鳴りました。そして鉄の門を押し開けて、中にいた堂せおいをわしずかみにして丸のみしてしまいました。

それから鬼は三の門まで来ると大きな声で、「おれが通るのを邪魔するやつは誰だ」と怒鳴りました。そして鉄の門を押し開けようとしますが、とたんに大きな石が鬼の上に落ちてきました。鬼は石につぶされて血だらけになって逃げだしました。



知恵もんは刀を振り上げて追いかけました。けれども道が二股に分かれるところでとうとう見失ってしまいます。知恵もんは鬼がたらした血の後をたどっていきました。

鬼は沼のほとりで頭を抱えて座り込んでいました。知恵もんは、この時とばかりに鬼を刀でひと突きにしようとすると、鬼は「これからは悪いことをしないから、どうか命ばかりは助けてくれ」と何度もたのみます。

知恵もんは「それなら岩くだきと堂せおいを返すか」というと鬼はグーッと息を吸い込んでガーッと岩くだきと堂せおいを吐き出しました。そして命からがら山の奥に逃げていきました。

それからというもの鬼は人里にあらわれなくなったので、村の人々は安心して暮らすことができました、と物語は結ばれます。



illust3786-c



昔話というものは、三という数字を大切にします。三番目の登場者、あるいは三人兄弟の末っ子など。この物語では、知恵もんがこれにあたります。知恵もんは鬼退治において三番目の登場者であり、主役です。

また鬼という存在は日本の昔話において特別な存在です。西洋なら悪魔がこれに近いのでしょうか。



鬼でも悪魔でも、基本的には人間に害をもたらす存在ですが、民話全体の個々のお話を俯瞰してみると、時々善悪両方の属性を持った両義的存在として描かれることもあります。

こういったことをベースにして鬼や悪魔の登場する物語を読むと、深読みができて物語にも厚みが生まれます。



例えばこの物語では積極的な鬼の善行は見られませんが、最終的には鬼を完全に退治されず、逃がしてもらっています。

なぜ鬼を逃がしてしまうのか。それに対する答えを考えてみました。知恵もんは民話の中での鬼に対するイメージを完全に体現していて、鬼にも善にくみする存在意義を与えているのではないかと思いました。

確かに知恵もんの知恵に耳を貸さなかった岩くだきと堂せおいは、鬼がいましめたことになっています。



JUGEMテーマ:昔話





18:23 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『うそつく槍』 駄洒落によってあばかれる自慢話の真相
短いお話です。



むかし、和歌山の男と、名古屋の男と、水戸の男が、三人寄り合って、お国自慢をしました。

和歌山の男は、「うちじゃ、みかんが名物で、さしわたし一尺もある美味しいみかんが取れる」といい「そのうまさに娘がほっぺたを落とす」と自慢しました。

すると名古屋の男は「うちじゃ、大根が名物で、その大きさときたら、馬の鞍の両脇に一本ずつの二本しか運べない、美味しい大根が取れる」といい「沢庵にでもしたら、ばあさんがほっぺたが膨らんで若返った」と自慢しました。

ところが水戸の男は黙って聞いているばかりです。すると和歌山の男と名古屋の男がバカにして「おまえの国には何もなかろう」と聞きました。

すると水戸の男は「名物は何もないが、でかい槍がある」と答えました。和歌山の男と名古屋の男が「それはどれくらいでかいのか」と問うと「それは槍の矛先だけでも三尺はある」と答えました。

和歌山の男と名古屋の男はすっかりかんしんして「そんなにでかい槍でいったいなにを突くんだ」と聞くと水戸の男は「おまえらの自慢話の嘘を突く」と答えました、と物語は結ばれます。



illust3786-c



三人とも嘘をついていますが、水戸の男だけは嘘をつくばかりか嘘を突いています。そう、「嘘をつく」を、槍で「嘘を突く」にかけた駄洒落話にもなっているのです。

水戸の男は、和歌山の男と名古屋の男の嘘を突いて、しかも嘘に見合うだけの、とてつもなく大きな槍で突いて恥をかかせます。自慢話の真相など、えてしてこんなものといわんばかりです。

まあ、人間は自慢話の一つや二つはしたがるものです。そう思うと和歌山の男も名古屋の男もちょっと気の毒ですね。



JUGEMテーマ:昔話





18:13 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『たからの水』 駄洒落が潤す主従関係
短いお話です。



むかし、ある村に、たいそうな分限者がいました。屋敷には田畑で働く作男がたくさんいました。ある年の大みそかの晩に、旦那は一人の作男を呼んでいいました。

「あしたは正月だから朝早く起きて川へ行って若水を汲んでこい」すると作男は「若水って何だい、旦那さま」と聞きました。「それはな、元日の朝に年の神様にお供えする水のことだ。おまえは朝起きたら神棚に備えてある包みをもって川に行け。包みには米と塩が入っているから、それをお供えして川を清め、それから若水lを汲んでこい」と旦那はそう教えてやりました。



さてあくる朝、作男は起きてみると雪が降っています。すねまで埋まりそうな大雪です。川まで行くのはたいへんです。

作男はあたりを見回しました。すると近くに田んぼの水口から水がちょろちょろ流れています。「しめた、こいつで間に合わせてしまえ」と思い、「若水を汲んできた」といって、あとは知らんぷりをきめていました。

ところが悪いことはできないもの。作男の様子を始終見ていた女中が旦那に、その横着を知らせました。

旦那どのはすぐに作男を呼びつけました。「おまえ若水を川にはいかず田んぼから汲んできたそうじゃないか。正月からそんな横着をしてはこの家が貧乏になってしまう。おまえのようなやつには暇を出すからでていけ」とかんかんになって怒りました。

すると作男はけろりとして「そりゃあ旦那さま、違う、違う。おれは田んぼから出てくる水を汲んできたんだ。田からくる水だから、宝水だよ。宝がくる水を汲んできたんだ」といいました。

これを聞くと旦那どのは打って変わって上機嫌になりました。作男は、「そうか、そうか。おまえ、いいことをいうやつだ」とほめられたうえに、うんとごちそうをふるまわれました、と物語は結ばれます。



illust3786-c



駄洒落ですね。また読後に、ほのぼのとした情景が浮かんできて幸せな気分に浸れます。旦那どのは、若水より、宝水(田から水)のほうがお気に入りのようです。

それにしても、駄洒落を解しない旦那どのなら、こんな話は生まれません。主従の間にも、このようにユーモアという潤いがあるといいですね。



JUGEMテーマ:昔話





18:12 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『とんびになりたい』 心からの願望の行きつく先,
昔、ある村の庄屋どんの家に、茂左どんという作男がいました。



ある日、庄屋どんは、茂左どんを連れて畑に行きました。一仕事済ませた後、ふたりは土手に腰を下ろして休んでいると、空をとんびが一羽「ぴーひょろ、ぴーひょろ」と鳴きながら悠々と飛んでいきます。

茂左どんは、とんびが飛んでいるのをのんびり眺めていましたが、やがて、「おれもとんびになって、あんな風に悠々と空を飛べたらなあ」といいました。

庄屋どんはそれを聞くと、ひとつ、茂左どんをからかってやろうと思い、「実はなあ、わしは人間をとんびにする術を知っているのだが、おまえ、そんなにとんびになりたいか」と聞きました。

茂左どんは、「へい、とんびになって空を飛べたら、どんなに楽しかろうねえ」といいました。

そこで庄屋どんは「それじゃあおまえにとんびになる術を教えてやろう。まず、向こうの松の木に登ってみろ。そしてわしのいう通りにするんだぞ」といいました。

茂左どんは、とんびになれると聞いて大喜び。早速、松の木のてっぺんまで登っていきました。



illust3785-c



庄屋どんは松の木の下に立って「いいか、わしのいう通りにするんだぞ」と大声でいいました。

「まず左足を松からはずせ」茂左どんは松にかけていた左の足をはずしました。

「今度は右の足をはずせ」茂左どんは右の足をはずしました。

「今度は左の手を放せ」左の手を放しました。茂左どんは右の手だけで松の木にぶら下がっています。

庄屋どんはどうせ松の木に引っかかるだろうから大事ないと思って、「右の手も放せ」といいました。

するとそのとたん、茂左どんは、本当にとんびになって泣きながら空高く飛んでいってしまいました。



illust3785-c



庄屋どんはあっけにとられて見ていましたが、「作男の茂左どんがとんびになれるというなら、庄屋のわしがとんびになれないはずがない」と思い、急いで家に帰り女房にいきさつを話し、自分が茂左どんにしたことを女房にさせました。

しかし庄屋どんはとんびになって空高く舞い上がったと思いきやどすーんと地面に落ち「うーん」といったきり気を失ってしまいました。

女房はびっくり仰天。庄屋どんの顔に水をかけ「おまえさん、おまえさん」と叫びながら庄屋どんの背中を、一生懸命さすりました。

するとやっと息を吹き返した庄屋どんがいうことには「これこれ、そんなに背中をさすると羽がいたむわい」といった、と物語は結ばれます。



illust3786-c



最後に、なんだか落語のような落ちがついていますね。思わず笑ってしまいました。

物語なので、とんびになるという結末は作りごとかもしれませんが、同じことをした、茂左どんと庄屋どんの結末の差は何なのでしょう。それはそれぞれの意識構造の差なのではないでしょうか。

合理的思考に凝り固まっていない茂左どんを支配するのは、人の心の奥底からの願望です。茂左どんの、とんびになって空を飛びたいという強い願望は、ファンタジーとなって実現されます。

それに対して庄屋どんの願望は意識レベルです。そこは合理が支配する世界です。当然木の枝から手を離せば落下するのは目に見えています。しかし庄屋どんも木から落ちてからは、ようやくとんびになったようなユーモラスな言葉を吐きました。



半ば、合理的思考を強要される現代人は、この物語のタイトルが暗示するように、もっと空想を愛し、心からの願望に寄り添ってもいいのではないでしょうか。

少なくとも、最後に庄屋どんがつぶやいたユーモラスな言葉を吐くくらいの心持ちに達するなら、厳格な現実に対して、余裕をもって接することができるようになると思います。



JUGEMテーマ:昔話





18:18 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 5 より 『目の養生』 ダークヒーローの昔話の系譜
むかし、ある村の長者の家に、「まの」という名の、怠け者で、たいそう嘘つきの下男がおりました。



ある日、まのは、旦那どのに、「冬が近づいてきたから山でたきぎを集めておけ」といいつけられました。けれどもまのは、嘘をついて、たきぎ取りなどせず、山へ行っては遊んだり昼寝ばかりしていました。

しばらくたったある日、旦那どのは、まのに、いい加減たまったであろうたきぎを、きょうは屋敷に運んでくるよう命じました。ところがまのはたきぎを一本も拾わないでいたのです。



illust3785-c



まのは考えました。「旦那さん旦那さん、たきぎどころの話じゃありません。あの山の大きな杉の木に、鷲が巣をつくってひなを返しました。あれが逃げないうちに早くとったほうがいいでしょう」と口から出まかせをいいました

旦那どのは、まんまと騙されて、まのに長い梯子を担がせて山へ出かけました。旦那どのは、まのに指図されて、とうとう杉の木のてっぺんまでに登らされました。するとまのははしごを外してしまい、大急ぎで屋敷に帰りました。

そしておかみさんに、「たいへんだ。旦那さんが鷲の子を取ろうとして、木から落ちて亡くなりました。おかみさん。今すぐ尼さんになって、旦那さんを弔ってください」といいました。

おかみさんはこれを聞いて驚き悲しみ、さっそく尼さんになるため頭の毛をそりはじめました。そこへやっと木から降りた旦那どのが飛び込んできたので、おかみさんはびっくり。

旦那どのはかんかんに怒って「人をだますにもほどがある。こんな奴は生かしちゃおけない。俵に詰めて川に投げ込んでこい」と屋敷の男たちに命じました。



illust3785-c



屋敷の男たちは、寄ってたかってまのを俵に押し込むと、太い棒に括り付けました。ふたりの男が担いで橋の上まで運びました。すると俵の中のまのがこんなことをいいました。

「おれは川へ投げられても仕方ないが、このまま死んだら寝床の下にためた十両の金はどうなるだろう。あの金だけは惜しいなあ」

それを聞いた二人は俵のことなど知ったことかと、我先に屋敷に走りました。そしてまのの部屋にとびこむと、まのの寝床をあげて金を探しました。

しかし見つかったのは、汚いふんどしや汚れものばかりです。なんと臭いことか。二人は鼻をつまんで外へ飛び出しました。



illust3785-c



さて橋の上に、俵ごと置き去りにされたまのは、どうやって逃げようか、俵の隙間から外をのぞいていました。そこへ目のただれた牛方が牛を引いてくるのが見えました。

「ようし、ひとつ、あいつをだましてやろう」まのはそう思って俵の中で、「目の養生、目の養生」と叫びました。

牛方は、俵の中から妙な声がするので近寄ってみました。すると俵の中には人がいます。「おまえ俵の中で一体何をしているんだ」と聞きました。

まのは、「この俵の中で『目の養生、目の養生と唱えると目がよくなるのさ』」と答えました。



illust3785-c



これをきくと牛方は喜びました。「おれにもやらせてくれ。おれは目が悪くて困っている」

けれどもまのは、「いやいや、そう簡単には代わってやるわけにはいかない」というと牛方は、「そんならこの牛をやるから代わってくれと」と一生懸命たのみました。

まのは承知して牛方に俵の中から出してもらい、代わりに牛方を俵に入れて、しっかり口を結びました。そしてもらった牛を弾いてさっさと逃げてしまいました。牛方は騙されたとも知らず、俵の中で、懸命に、「目の養生、目の養生」と唱えました。

そこへまのに騙された二人の男がぷんぷん怒って橋まで戻ってきました。そして俵を川の中へ投げ込みました。牛方はどぼどぼ流されて沈んでいきました。



illust3785-c



まのは隣村へ行って牛を売り払い、そのお金でいい着物をかって着込み、屋敷へ戻りました。旦那どのは驚いたんのなんの。まのはすました顔でこう答えました。

「なあに旦那様のおかげです。川に投げられてどぼどぼ流されていくうちに竜宮につき、乙姫様に婿になってくれとせがまれました。でも世話になった旦那さんがいるので、『旦那さんにあいさつをしてから婿になろう』といってひとまず戻ってきたのです」

これを聞くと旦那どのは、「わしも竜宮に行ってみたい」といいました。まのは「それじゃあ一緒に行きましょう」というわけで、ふたりは先ほどの橋へ向かいました。



illust3785-c



橋の上に立つとまのが、「旦那さん、旦那さん、ここから飛びこんでください。おれもすぐに飛びこみますから」といいました。

旦那どのは、その高さに怖気づいてためらっていると、まのは後ろからどんと突き落としたので旦那どのはたちまち流されてしまいました。まのは知らんぷりをして屋敷に戻りました。

そしておかみさんに、「旦那さんはおれと一緒に竜宮に行ったのですが、綺麗な乙姫様がいて大事にしてくれるものだから、乙姫様の婿になってしまいました。そして俺には『女房と屋敷をやるからわしの家の跡継ぎになれ』というんでひとりで帰ってきました」とわけを聞かせました。

こうしてまのはとうとう長者の家の旦那どのになってしまったということです、と物語は結ばれます。



illust3786-c



物語タイトルは主人公のついた嘘にちなんでいます。

主人公、まのは、怠け者で嘘つきであり、とんでもないことをしているように記述されていきますが、これは善良な民の立場からするとそうなのであり、この物語の不良系の主人公からしたら全く逆なことなのです。

一般的な読み方をすると、まのは始め殺されそうになったものの、ひるがえって四人を殺していることになります、しかし、昔話のお約束で、殺したという事実はぼやかされ、記述はされません。ただ、その存在は消されていきます。

ただ、不良系の主人公が長者になるには、巧みにふるまわなくてはならないということが描かれているのでしょう。その点を汲まなければなりません。

ダークヒーローが長者になる日本の昔話は数多いけれども、一番好きで印象に残っているのは、『寝太郎』でしょうか。



JUGEMテーマ:昔話





18:26 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
■ホーム ▲ページトップ