日本の昔話 4 より 『きつねのチャランケ』 続、アイヌの昔話
2018.11.28 Wednesday
わたしは、支笏湖近くの、ウサクマイに住む、ひとりのアイヌでした。
村(コタン)の近くには高い山があり、そこには鹿や熊がたくさんいるので、肉を食べたいときは、いつでも弓矢をもって狩りに行けば、獲物をとることができました。
そんな時には、村の人々にも食べさせ、自分もどっさり干し肉をこしらえて、家族楽しく暮らしていました。
村の近くには、水のきれいな川が流れていて、秋になると、たくさんの鮭が卵を産むために登ってきました。
冬の食べ物にするため、近くの村ばかりでなく、遠くの村からも、鮭をとりにやってきました。
また鮭を食べるのはアイヌばかりではありません。熊やきつねはもちろん、いろいろな動物が鮭をとって食べ、お互いに邪魔をしないよう暮らしていました。
そうして暮らしているうちに、わたしもすっかり年をとり、老人といわれるほどになりました。いまは熊狩りに行くこともなく、毎日家で、彫り物などをしながら過ごしていました。
ある夜のこと、いつものように遅くまで仕事をしてから寝床に入りうとうとしていると遠くのほうで人声がしました。
「こんな夜更けにだれだろう」と思って顔を上げ、耳を澄ませると、声は聞こえなくなりました。ところが頭を枕に置くとまた聞こえてきました。
わたしは不思議に思って、家族のものが目を覚まさないように、こっそりと寝床を抜けると、外に出てみました。
外は薄い月明かりで目を凝らすと、かなり遠くのものでも見ることができます。わたしは声のするほうに向かって歩き始めました。
だんだん近づいてみると、どうも人間の声ではないようです。しかも川の向こう岸から聞こえてきます。足音を忍ばせて近づき、じっと目を凝らしてみると、それは一匹のきつねでした。
きつねなのに、人間の言葉をしゃべっているように聞こえました。そこで耳を澄ませてよく聞いてみるときつねがアイヌに向かってチャランケ(談判)をしているのでした。
「こら、アイヌども、よく聞け。鮭というものはアイヌがつくったものでもないしきつねがつくったものでもない。
石狩川の河口をつかさどるピピりノエクルとピピりノエマッという神さま夫婦が、アイヌばかりか、すべての動物が食べられるように、この川をさかのぼる鮭の数を決めてくださっているのだ。
ところがきょう、アイヌがとった、たくさんの鮭の中から、一匹とって食べたところ、そのアイヌは、わたしに向かって、アイヌが言える、ありったけの悪口を浴びせかけてきた。悪口は黒い炎となって、わたしに襲い掛かってきた。
そのうえにそのアイヌは、アイヌが住んでいるこの国土から、我々きつねを追い出すよう、すべての神々に頼んだのだ、神様がアイヌの言い分だけ聞いたなら、大変なことになる。神でもアイヌでも、わたしの言い分を聞いてくれ」
一匹のきつねが三角の耳をぴたんと立てて、目をうるませ尻尾を振り振り悲しそうにいっているのでした。
わたしはきつねのチャランケ(談判)を聞いて本当に驚きました。きつねの言い分は全部正しいのです。
鮭というものは、魚を食べることのできるすべての動物に、神さまが与えてくれた食糧なのです。それを知らない愚かなアイヌがいて、きつね神に悪口をいったに違いありません。
夜が明けるのを待って、わたしは村の人々を集め、そしてきのうきつね神に悪口をいったアイヌをうんとしかりつけ、つぐなわせました。
そして酒をたくさん醸し、イナウ(アイヌの祭具の一つ)をたくさん作って、きつね神に丁寧にあやまりました。そしてすべての神にアイヌの間違った頼みを聞かないように礼拝しました。
神々はこれを受け入れて、きつねは遠い国へ追放されることなく、安心してアイヌの国に住めるようになりました。
だから、これからのアイヌよ。すべての動物が、鮭でも鹿でも食べる権利を持っているのだから、決して人間だけのものと思ってはいけない、と一人の老人がいいながら、この世を去りました、と物語は結ばれます。
前話に続きアイヌの昔話と思われます。語られるテーマもほぼ同じといっていいでしょう。人と動物の共存共栄の物語です。
大和民族の昔話にこの手のお話が少ないのは、基本的に農耕民族だからでしょう。アイヌ民族も酒を醸すなど農耕をしたのでしょうが基本的には狩猟民族です。
アイヌの特別な言葉が随所に出てきますが多くは端折ってます。興味のある方はオリジナルをどうぞ。
村(コタン)の近くには高い山があり、そこには鹿や熊がたくさんいるので、肉を食べたいときは、いつでも弓矢をもって狩りに行けば、獲物をとることができました。
そんな時には、村の人々にも食べさせ、自分もどっさり干し肉をこしらえて、家族楽しく暮らしていました。
村の近くには、水のきれいな川が流れていて、秋になると、たくさんの鮭が卵を産むために登ってきました。
冬の食べ物にするため、近くの村ばかりでなく、遠くの村からも、鮭をとりにやってきました。
また鮭を食べるのはアイヌばかりではありません。熊やきつねはもちろん、いろいろな動物が鮭をとって食べ、お互いに邪魔をしないよう暮らしていました。
そうして暮らしているうちに、わたしもすっかり年をとり、老人といわれるほどになりました。いまは熊狩りに行くこともなく、毎日家で、彫り物などをしながら過ごしていました。
ある夜のこと、いつものように遅くまで仕事をしてから寝床に入りうとうとしていると遠くのほうで人声がしました。
「こんな夜更けにだれだろう」と思って顔を上げ、耳を澄ませると、声は聞こえなくなりました。ところが頭を枕に置くとまた聞こえてきました。
わたしは不思議に思って、家族のものが目を覚まさないように、こっそりと寝床を抜けると、外に出てみました。
外は薄い月明かりで目を凝らすと、かなり遠くのものでも見ることができます。わたしは声のするほうに向かって歩き始めました。
だんだん近づいてみると、どうも人間の声ではないようです。しかも川の向こう岸から聞こえてきます。足音を忍ばせて近づき、じっと目を凝らしてみると、それは一匹のきつねでした。
きつねなのに、人間の言葉をしゃべっているように聞こえました。そこで耳を澄ませてよく聞いてみるときつねがアイヌに向かってチャランケ(談判)をしているのでした。
「こら、アイヌども、よく聞け。鮭というものはアイヌがつくったものでもないしきつねがつくったものでもない。
石狩川の河口をつかさどるピピりノエクルとピピりノエマッという神さま夫婦が、アイヌばかりか、すべての動物が食べられるように、この川をさかのぼる鮭の数を決めてくださっているのだ。
ところがきょう、アイヌがとった、たくさんの鮭の中から、一匹とって食べたところ、そのアイヌは、わたしに向かって、アイヌが言える、ありったけの悪口を浴びせかけてきた。悪口は黒い炎となって、わたしに襲い掛かってきた。
そのうえにそのアイヌは、アイヌが住んでいるこの国土から、我々きつねを追い出すよう、すべての神々に頼んだのだ、神様がアイヌの言い分だけ聞いたなら、大変なことになる。神でもアイヌでも、わたしの言い分を聞いてくれ」
一匹のきつねが三角の耳をぴたんと立てて、目をうるませ尻尾を振り振り悲しそうにいっているのでした。
わたしはきつねのチャランケ(談判)を聞いて本当に驚きました。きつねの言い分は全部正しいのです。
鮭というものは、魚を食べることのできるすべての動物に、神さまが与えてくれた食糧なのです。それを知らない愚かなアイヌがいて、きつね神に悪口をいったに違いありません。
夜が明けるのを待って、わたしは村の人々を集め、そしてきのうきつね神に悪口をいったアイヌをうんとしかりつけ、つぐなわせました。
そして酒をたくさん醸し、イナウ(アイヌの祭具の一つ)をたくさん作って、きつね神に丁寧にあやまりました。そしてすべての神にアイヌの間違った頼みを聞かないように礼拝しました。
神々はこれを受け入れて、きつねは遠い国へ追放されることなく、安心してアイヌの国に住めるようになりました。
だから、これからのアイヌよ。すべての動物が、鮭でも鹿でも食べる権利を持っているのだから、決して人間だけのものと思ってはいけない、と一人の老人がいいながら、この世を去りました、と物語は結ばれます。
前話に続きアイヌの昔話と思われます。語られるテーマもほぼ同じといっていいでしょう。人と動物の共存共栄の物語です。
大和民族の昔話にこの手のお話が少ないのは、基本的に農耕民族だからでしょう。アイヌ民族も酒を醸すなど農耕をしたのでしょうが基本的には狩猟民族です。
アイヌの特別な言葉が随所に出てきますが多くは端折ってます。興味のある方はオリジナルをどうぞ。
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