子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 4 より 『きつねのチャランケ』 続、アイヌの昔話
わたしは、支笏湖近くの、ウサクマイに住む、ひとりのアイヌでした。

村(コタン)の近くには高い山があり、そこには鹿や熊がたくさんいるので、肉を食べたいときは、いつでも弓矢をもって狩りに行けば、獲物をとることができました。

そんな時には、村の人々にも食べさせ、自分もどっさり干し肉をこしらえて、家族楽しく暮らしていました。

村の近くには、水のきれいな川が流れていて、秋になると、たくさんの鮭が卵を産むために登ってきました。

冬の食べ物にするため、近くの村ばかりでなく、遠くの村からも、鮭をとりにやってきました。

また鮭を食べるのはアイヌばかりではありません。熊やきつねはもちろん、いろいろな動物が鮭をとって食べ、お互いに邪魔をしないよう暮らしていました。

そうして暮らしているうちに、わたしもすっかり年をとり、老人といわれるほどになりました。いまは熊狩りに行くこともなく、毎日家で、彫り物などをしながら過ごしていました。



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ある夜のこと、いつものように遅くまで仕事をしてから寝床に入りうとうとしていると遠くのほうで人声がしました。

「こんな夜更けにだれだろう」と思って顔を上げ、耳を澄ませると、声は聞こえなくなりました。ところが頭を枕に置くとまた聞こえてきました。

わたしは不思議に思って、家族のものが目を覚まさないように、こっそりと寝床を抜けると、外に出てみました。

外は薄い月明かりで目を凝らすと、かなり遠くのものでも見ることができます。わたしは声のするほうに向かって歩き始めました。

だんだん近づいてみると、どうも人間の声ではないようです。しかも川の向こう岸から聞こえてきます。足音を忍ばせて近づき、じっと目を凝らしてみると、それは一匹のきつねでした。

きつねなのに、人間の言葉をしゃべっているように聞こえました。そこで耳を澄ませてよく聞いてみるときつねがアイヌに向かってチャランケ(談判)をしているのでした。



「こら、アイヌども、よく聞け。鮭というものはアイヌがつくったものでもないしきつねがつくったものでもない。

石狩川の河口をつかさどるピピりノエクルとピピりノエマッという神さま夫婦が、アイヌばかりか、すべての動物が食べられるように、この川をさかのぼる鮭の数を決めてくださっているのだ。

ところがきょう、アイヌがとった、たくさんの鮭の中から、一匹とって食べたところ、そのアイヌは、わたしに向かって、アイヌが言える、ありったけの悪口を浴びせかけてきた。悪口は黒い炎となって、わたしに襲い掛かってきた。

そのうえにそのアイヌは、アイヌが住んでいるこの国土から、我々きつねを追い出すよう、すべての神々に頼んだのだ、神様がアイヌの言い分だけ聞いたなら、大変なことになる。神でもアイヌでも、わたしの言い分を聞いてくれ」

一匹のきつねが三角の耳をぴたんと立てて、目をうるませ尻尾を振り振り悲しそうにいっているのでした。



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わたしはきつねのチャランケ(談判)を聞いて本当に驚きました。きつねの言い分は全部正しいのです。

鮭というものは、魚を食べることのできるすべての動物に、神さまが与えてくれた食糧なのです。それを知らない愚かなアイヌがいて、きつね神に悪口をいったに違いありません。

夜が明けるのを待って、わたしは村の人々を集め、そしてきのうきつね神に悪口をいったアイヌをうんとしかりつけ、つぐなわせました。

そして酒をたくさん醸し、イナウ(アイヌの祭具の一つ)をたくさん作って、きつね神に丁寧にあやまりました。そしてすべての神にアイヌの間違った頼みを聞かないように礼拝しました。



神々はこれを受け入れて、きつねは遠い国へ追放されることなく、安心してアイヌの国に住めるようになりました。

だから、これからのアイヌよ。すべての動物が、鮭でも鹿でも食べる権利を持っているのだから、決して人間だけのものと思ってはいけない、と一人の老人がいいながら、この世を去りました、と物語は結ばれます。



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前話に続きアイヌの昔話と思われます。語られるテーマもほぼ同じといっていいでしょう。人と動物の共存共栄の物語です。

大和民族の昔話にこの手のお話が少ないのは、基本的に農耕民族だからでしょう。アイヌ民族も酒を醸すなど農耕をしたのでしょうが基本的には狩猟民族です。

アイヌの特別な言葉が随所に出てきますが多くは端折ってます。興味のある方はオリジナルをどうぞ。



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18:41 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『すずめの恩返し』 人と動物の共存共栄、アイヌの昔話
わたしは、天の上にある神の国で、姉に育てられた一羽のすずめです。ほかのすずめの娘たちは、アイヌの国、十勝川のほとりにある村(コタン)へ、舞い降りて行っては、稗や粟を大きな袋に、二つも三つも持って帰ってきます。

それを見てわたしは姉に、「わたしもみんなと一緒にアイヌの国にいって、稗や粟を持ってきたい」といいました。

けれども姉は、「同じ神の国のすずめでも、わたしたちはアイヌの国へは行けない血筋なのよ。だから行ってはいけません」と許しをくれませんでした。

わたしは、いつの日かアイヌの国へ行ってみたいものだと、そればかり考えていました。



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ある日のこと、姉が、山菜取りに山へ行って留守のとき、ほかのすずめの娘たちが、アイヌの村へ行く相談をしていました。それを聞いたわたしは、「一緒につれていって」と頼みました。

するとみんなは「いいよ、いいよ。でもあとで、姉さんに叱られないようにね」と快く聞いてくれました。

天の上から見るアイヌの国、十勝川は、はるか下でしたが、わたしは仲間たちとともに、一気に飛び降りました。



十勝川のほとりの、村の村長の家の前では、大勢の娘たちが臼をいくつもならべて、手に手に小さな杵をもって、「ヘッサァオーホイ」と掛け声をかけながら、稗や粟をついていました。きっと何かお祝い事でもあるのでしょう。

わたしの仲間たちは臼の周りに群がり、つくたびに飛び散る稗粒や粟粒を、先を争って拾い集めました。

わたしも一緒になって拾っていると、ひとりの娘が「どこから来たの、この子鳥どもは。よくもまあ人間を怖がりもせずに、あしもとまでくるものねえ」といって、わたしたちを追い払いました。

それでもわたしたちは臼に群がって拾っていると、家の中から村長の娘が出てきて「こんなに小さな鳥が稗や粟を食べたって知れたものでしょう。あまり叱ってはいけません。さあさあたくさん食べなさい」といいました。そして、臼の中から稗や粟を両手で二、三度すくって箕の中にあけ、少し離れたところに持っていくとパッと蒔きました。

村長の娘は顔が美しいばかりでなく、なんと心の優しい人なのでしょう。わたしたちは心から感謝をし腹いっぱいに食べると、持ってきた袋に稗や粟をいっぱい詰め、仲間と一緒に神の国にある家へ帰ってきました。

夕方になると山菜取りに行っていた姉が帰ってきました。そして、稗や粟でいっぱいの三つの袋を見て、目を丸くして驚きました。わたしは姉に今日の出来事を話しました。

すると姉は「それはありがたいことです。あなたは神なのだからこれからはその心根の優しい娘さんを守ってあげなさい」といって喜んでくれました。



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それからどれくらいの年月がたったのでしょう。ある日のこと、わたしが、ふとあのアイヌの村の村長の家をのぞくと、村長の娘が急病で死んで、人々が嘆き悲しんでいるのが見えました。

そこでわたしは、神の力で娘の死んだわけを方々探ってみました。すると雲が大地に突き刺さるよりも遠いところにいる、トゥムンチカムイ・キムンアイヌという化け物が娘に惚れて、その魂をとっていったことがわかりました。

わたしは、あんなに美しく心の優しい娘を、化け物の妻にしてはならないと思いました。そこでわたしは、大急ぎで化け物の家に行きました。

化け物の家に着いたわたしは、大きな家の窓のところに立って歌をうたいながら、右へ左へ踊って見せました。しかし化け物は見向きもしませんでした。

そこでわたしは家の中へ入り、化け物の肩にとまり、右へ左へと動き回りながら歌を歌って踊りました。

すると化け物は大口を開けて笑いました。その拍子に口の中から娘の魂がポロリと落ちてころころっと転がりました。

わたしは娘の魂をさっと拾って口の中へ入れました。そして窓からぱっと外へ飛び出し後ろ足で家を踏みつぶしました。

そのとたん大地が二つに割れて化け物が家もろとも奈落の底へ落ちていく音が響き渡りました。

その音を聞きながら、わたしはあの村に急ぎ、村長の家の窓にとまりました。人々は「よくもこのように嘆き悲しんでいる家の窓に来てとまれるものだな」とわたしの悪口をいいました

しかし、村長は「ひょっとして何かの神様が、娘を案じてきてくれたのかもしれない。悪く行ってはいけません」と村の人々をいさめました。

わたしは家の中に入り囲炉裏の右座へ左座へと歌いながら踊り、死んでいる娘の体の上にさっと乗り移りました。村の人々はまたわたしに向かって悪口を浴びせました。村長は今度も同じように人々をいさめました

わたしは、村の人々に、娘の死に装束を脱がせるように神の力で仕向けました。そして歌をうたいながら、娘の頭から足の先まで、口から出した娘の魂を少しずつ擦りつけました。

しばらくすると娘の体に血の気がよみがえりすっかり魂を擦り付け終わると娘はすっかり生き返りました。

それからわたしは、村の人たちに、湯を沸かして娘に飲ませるように神の力で仕向けてから、さっと窓から飛びだして神の国へ帰っていきました。

わたしは今日の出来事を姉にも聞かせないでおきました。



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それから何日かたったある日のことです。神の国にあるわたしの家の窓のところに、大きな盃が乗せられていました。

盃の上にはキケウシバスイというお酒を神にささげるときに使うお箸が乗っています。この箸がアイヌの使者になって、「わたしは村の村長に頼まれて娘を助けてくださった神のところへ酒を届けに参りました」といいました。

何も知らない姉は「わたくしどもは人助けなどしたことがありません」と答えるのでわたしはすべての事情を姉に話しました。

すると姉は、「姉であるわたしがしらないうちに、妹がいろいろ良いことをしてくれるおかげです」といって丁寧に礼拝をしながら杯を受け取りました。



姉は、その大きな盃の酒を大きな酒桶に移し、たくさんのお酒を醸しました。そして神々を大勢招いて大宴会を開き、わたしがしたことを報告すると、神々は口々にほめそやし、みんな上機嫌で歌い踊りました。

このことがあってから、わたしたちは自由にアイヌの国へ出入りすることができるようになりました。また稗や粟などを食べてよいと神様から許されました。このようなわけでアイヌの国中にわたしたちの仲間が増えたのです。

村のあの美しく心優しい娘は、優しい若者と結婚して、今でもわたしたちのことを忘れずに、酒やイナウ(祭具の一つ)を削って送ってくれます。

というわけでわたしたちは、体は小さいけれど、時には死んだ人を生き返らせることもできるので、稗や粟を少し食べてもあまり怒らないでください、と一羽のすずめが語りました、と物語は結ばれます。



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アイヌの昔話と思われます。アイヌの独特な世界観が展開されていて興味深いです。タイトルはすずめの恩返しとなっていますが、すずめは神様でもあります。

人と動物(この物語では神様)の、共存共栄のテーマが垣間見れます。人と動物(神様)が同格なところに、この物語の特徴があります。

アイヌ文化については、童話やマンガなどから得たの知識しかないので、多くは語れませんが、わたしには、この物語、非常に魅力的に映りました。



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21:03 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『夜なきうぐいす』 H.C.アンデルセン 最後の恋人への思いがつづられる物語
ここ、中国の皇帝の宮殿は、世界に比べるもののない見事な建物でした。庭のほうにも珍しい花が咲きにおい、またその広さも、たいへんなものでした。

庭の奥へ入っていくと、この世のものと思えぬほどの美しい森があって、そこには、いくつかの深い湖があり、湖岸には、木が枝を伸ばしていました。

この物語はそんな枝の一つに巣を張った一羽の夜なきうぐいす(ナイチンゲール)のお話しです。

この鳥はとても美しい声で鳴くもので、あくせくと働く貧しい漁師でも、夜中に網を打とうと船を出した折などに、この鳥の歌声を聞くと、思わず手を休めて聞きほれるほどでした。



この国へは世界中から旅人がやってきました。みな宮殿や庭を見て感嘆のため息をついたものでしたが、こと、あの夜なきうぐいすの歌声をほめそやしました。

学者は学者でこぞって中国の本を出しました。その中にも夜なきうぐいすのことはちゃんと書かれていました。詩を読む人々は夜鳴きうぐいすに寄せて美しい詩を書きました。その中の一冊が皇帝の手に渡っても何の不思議でもないでしょう。

しかし皇帝は夜なきうぐいすのことを知りませんでした。皇帝はそのような鳥がこの宮殿にいるとはと捨ててはおけず、早速、侍従をお召しになりました。



しかし侍従に聞いても、そんな鳥は知らないというのです。当然、居場所さえわかりません。

皇帝はどうあっても夜なきうぐいすの歌声を聞きたくて、ここへ連れてくればなんでも望みをかなえるが、もし連れてこれなければ<腹打ち>罰を与えるといいました。

おなかをぶたれるとあっては大変だと、侍従と、官吏は走り回りました。こうして世界中の人が知っているのに、本国の役人は誰も知らない夜なきうぐいすの捜索が始まります。



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やがて調理場で働く貧しい娘が知っているというので、役人たちは娘に同行しました。そしてとうとう夜なきうぐいすを見つけます。それは灰色のどこにでもいるような小鳥でした。しかしその歌声の素晴らしいことといったらありません。皆は夜なきうぐいすに宮中への誘い文句を並べます。

しかし、夜なきうぐいすは「わたしの鳴き声は森の中で聞くのが一番」といいました。ですが、たっての希望ならと御殿に出向くことに同意しました。



御殿は美しく飾られ宴の始まりを待つばかりです。さて、金でつっくったとまり木が、皇帝のおられる大きな広間の真ん中に用意されました。もちろんそこに、夜なきうぐいすがとまることになるのです。

夜なきうぐいすは、心の底まで染み通るような声で鳴き始めました。皇帝陛下は、聞いているうちに涙ぐんできて、幾筋もの涙で頬を濡らしました。

夜なきうぐいすは、皇帝陛下の涙が見られたのが何よりの褒美と、お礼を受け取ろうとはしませんでした。みな夜なきうぐいすのいじらしさに感心し、その心映えを見習うようになりました。

これが縁となって夜なきうぐいすは宮廷住まいとなりました。鳥かごに入り、昼に二度、夜に一度、森への散歩に出かける許しも得ました。

町の人々の間でも、夜なきうぐいすのうわさでもちきりでした。



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そんなある日のこと、皇帝陛下のもとに大きな包みが送られてきました。皇帝陛下はまたこの素晴らしい小鳥のことを書いた本が届いたのかと思いましたがそれは残念ながら本ではありませんでした。

箱の中には、小さな夜なきうぐいすの置物が入っていました。その体にはダイヤやルビーがちりばめられ、ねじを回すと尾を上下に振りながら、本物の夜なきうぐいすのように歌をうたうのです。

首にかかったリボンを見ると

日本の夜なきうぐいすの天子は、
中国の夜なきうぐいすの皇帝に
とても及びませぬ

と書いてあります。

皇帝陛下は早速本物の夜なきうぐいすと、作り物の夜なきうぐいすを歌い合わそうとしました。

しかしうまくいきません。本物は好きなように歌うし、作り物のほうはワルツしかうたいません。そこで作り物のほうを一羽だけうたわせました。

すると作り物は本物に負けず劣らず見事に歌いあげました。見た目にもきらびやかで美しく思えました。しかも作り物は、三十三回も歌わせられましたが、一度もしくじることがありませんでした。

そこで今度は本物に歌わせようとしますが、ふと気づくと、肝心の小鳥はどこかへ逃げ出していました。森へ帰ってしまったのでしょうか。皇帝陛下も宮中の人も、なんと恩知らずな鳥だと夜なきうぐいすをなじりました。



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しかし、宮中には作り物の夜なきうぐいすがいます。そこでこの鳥はまた歌をうたわせられることになりました。

三十四回目の歌は相変わらず同じワルツでしたが、その歌はおいそれと覚えられるほどやさしい節回しなのではありませんでした。

そこで楽長はこの鳥の歌をほめちぎって、ダイヤモンドをはじめ宝石がちりばめられている、その姿もかんがみて、本物よりも優れているといい添えました。

「なぜと申しまして本物の夜なきうぐいすは何をうたうのやら、その場にならないとわかりませんが、こちらのほうは、いつも決まった歌をうたいます。しかも決まりの通り、少しの狂いもありません。

さてその正確さについてですが、実はこれには訳がございます。体の中を開けますとどういうからくりになっているのか誰にでもうなずけるようになっております」

すると宮中の人々は楽長の言葉に賛同しました。そんなわけで本物の夜なきうぐいすはお払い箱となりました。



楽長は、作り物の鳥のことを二十五冊の本に書きました。どの本もたいへん難しく、しかも長いうえに読みずらい漢字で書かれていました。

けれども、誰もそれがわからないという人はいませんでした。なぜなら馬鹿者と思われた上に、お腹をぶたれる罰を受けることになっていたのです。

そうこうするうちに一年が経ち今では誰もがこの鳥の歌う歌を一節残らず覚えてしまいました。そして誰もが同じ歌をうたえました。



さて、ある晩のこと作り物の夜なきうぐいすが、「プツンッ」と音を立てて壊れてしまいます。皇帝は時計屋を呼んでいろいろ尋ねました。

そして、なんという悲劇でしょう。作り物の鳥は、心棒がすっかりすり減ってしまっていたのです。これを限りに一年に一度しか鳴なかせることがくことができなくなりました。それでさえ多いとさえ言われました。

楽長はそれでも小鳥の声は以前と変わらず結構なものでございますと言い添えました。



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そうして五年の歳月が過ぎました。でも今度は本当に大きな悲劇が国中を包みました。皇帝陛下は国民にしたわれていましたが、重い病を得られて噂ではもうすぐおかくれになるだろうとのことです。

やがて人々は、皇帝陛下がてっきりお亡くなりになったと早合点して、新しい皇帝にあいさつするために、寝所から出て行ってしまいました。女官たちも、別の部屋に移って、にぎやかにお茶飲み話を始める始末です。

皇帝陛下は広々とした美しい寝床に横になられ、青ざめ、やつれ、おやすみになっていました。その時、皇帝陛下は、胸の上に何かが降りてきた気がして目を見開くと、そこには死神が乗っていました

皇帝はうなされます。皇帝は作り物の鳥に「さあ、歌を! 歌ってくれ!」と叫びました。しかし鳥は歌いませんでした。誰もねじを巻く者がいなかったのです。



その時でした。窓のそばで、たとえようのない美しい歌が聞こえてきました。そうですあの本物の夜なきうぐいすでした。

小鳥は、皇帝陛下が重い病にかかられたと聞いて、何とか歌声をお聞かせして、元気を取り戻していただこうと飛んできたのです。

そして小鳥は歌うと、弱り切っていた皇帝の体の中に、再び血が力強くめぐり始めます。死神までもが歌に聞きほれました。夜なきうぐいすは歌い続けました。死神は心打たれ消えていきました。

「おまえはまるで天使のようじゃ忘れもせぬ。お前は、わたしが国から追い出したあの夜なきうぐいすじゃろ。わたしの仕打ちにもかかわらず、悪い死神どもを寝床から追い返してくれた。なんとお礼を言っていいのか」

「いえ、もうお礼は十分にいただきました」と夜なきうぐいすはいいました。「初めてわたしが歌を歌った時、陛下は泣いてくださいました。あのことは決して忘れません。歌を歌うものにとってはそれで十分報われるのですから。元気になるまで歌って差し上げましょう」

皇帝陛下はぐっすりとおやすみになりすっかりと元気になりました。



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召使は一人も戻ってきていませんでした。皇帝陛下はおかくれになったと信じていたのです。それなのにあの夜鳴きうぐいすだけは、ずっとそばにいて歌い続けていたのです。

「ああ、かわいい小鳥や、これから先は、どうか私のそばにいておくれ、そして歌いたいときにだけ歌ってくれればいい、作り物の鳥は壊してしまおう」

すると夜なきうぐいすはいいました。「それはおやめください。あの鳥だって精いっぱいお勤めしたのですから。それにわたくしは御殿の中に巣を作って暮らすことができません。

でも時々ここにきて、歌をうたわせていただきとうございます。陛下のお心をあ慰めできるよう。そして陛下のご叡智にますます磨きがかかりますよう歌ってお聞かせいたしましょう

わたくしのような歌鳥は貧しい漁師やお百姓の屋根の上にもまいります。それにわたくしは、陛下の優しいお心をしたうものであって、その神々しい冠にひかれたのではありません。

しかし、一つだけお願いがあるのです。陛下にどんなことも包み隠さず申し上げる小鳥がいることを、人に話さないでください。そのほうが万事うまくいきますから」といって夜なきうぐいすは飛んで行ってしまいました。

召使たちが、おかくれになった皇帝を見に来ました。皇帝陛下はいいました。「おはよう!」、と物語は結ばれます。

-1843年-



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アンデルセンの最後の恋人である、スウェーデンのナイチンゲールこと、ジェニー・リンドへの思いがつづられているとされています。彼女が作りものではない本物の夜なきうぐいすというわけですね。

この物語以前『豚飼い王子』(1841年)にもアンデルセンは夜なきうぐいすを登場させています。この物語と、執筆がほぼ同時期なので正確なことはわかりませんが、『豚飼い王子』の執筆当時に、夜なきうぐいす(ナイチンゲール)のことが強くイメージされ、そのイメージをジェニー・リンドと重ねたと考えています。

ジェニー・リンドのことについては『アンデルセン―夢をさがしあてた詩人』の記事に少し書きました。



アンデルセンの本物と偽物にまつわる価値観のテーマが『豚飼い王子』同様、主旋律で語られます。



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18:24 : アンデルセン童話集〈下〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『海のはて』 時代をまたぐ人間のリアリティ
短いお話しです。

むかし、むかしの、ずっとむかし、ある高い山の頂上に、ひと飛びで千里を行く、大きなおうむが住んでいました。

おうむはいつも高い木のてっぺんで、広い海を眺めながら、「海のはてがどうなっているのかを、いちど見てみたいものだ」と思っていました。



ある日のこと、おうむはどうしても海のはてが見たくなって、ばさばさと大空に飛びだしました。

ところが、いくら飛んでも飛んでも、海のはては見えません。おうむはすっかり疲れてしまいました。海を見渡すと、波の間に木の枝が突き出ているので、そこに舞い降りて休んでいました。

すると、「だれだ、おれのひげにとまったやつは」と怒鳴られたので、おうむはたまげて飛び上がりました。

よく見ると、おうむが木の枝と思っていたものは、ひと跳ねで二千里を行く、大えびのひげでした。

おうむは、大えびに海のはてを見に来たことを告げ、「飛んでも飛んでもはてがない。疲れたから少し休ませてくれ」と頼みました。

すると、大えびは、「海に住むおれでさえ、見たこともないのに、とんでもない話しだ。帰れ帰れ」といいました。

疲れ果てたおうむは、大えびのひげで一休みさせてもらうとあきらめて帰りました。



さて、今度は大えびが、「山に住むオウムでさえ、海のはてを見たくて飛んできたのだ。おれがひとつ海のはてがどんなところか、つきとめてやろう」と思い、すいすいと泳ぎ始めました。

ところが、いくら泳いでも泳いでも海のはては見えませんでした。大えびはすっかり疲れてしまいました。海の中を見渡すと向こうのほうに大きな洞穴があるので、そこへ入って休んでいました。

すると「だれだおれの鼻の穴へ入ったやつは」と怒鳴られたので、大えびはたまげてぴーんと飛びだしました。よく見ると洞穴と思っていたのは、ひと泳ぎで三千里を行くたらの鼻の穴でした。

大えびは、たらに、海のはてを見に来たことを告げると、「泳いでも泳いでも、はてがない。疲れたから少し休ませてくれ」と頼みました。

すると、たらは、「おまえより大きなこのおれでさえ、見たこともないのに、とんでもない話しだ。帰れ帰れ」といいました。

疲れ果てた大えびは、たらの鼻の穴で一休みさせてもらうと、あきらめて引き返していきました。



こうして、まだだれも、海のはてがどうなっているのか、見た者はいない、と物語は結ばれます。



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幸い、現代文明は、海のはてを特定することができます。このお話は、むかしの人にとってのリアリティが語られているのでしょう。現代人にとってのリアリティは現実をも超えて仮想の領域にまで拡大しています。

しかし、現代になっても、我々は、比喩として、とてつもなく大きなことを、「海のはて」と用います。あんがい、人間の感覚は、文明の進展とはあまり関係なく、連なっているのかもしれません。

よって、現代人にも、昔話の語らんとすることは、楽しく理解できますし、その物語の豊かさも、感じ取ることができます。



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19:22 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
アンデルセン童話集〈上〉 リンク
『ほくち箱』 H.C.アンデルセン 童話という名の魔法
『大クラウスと小クラウス』 H.C.アンデルセン グリム『小百姓』を下敷きとした物語?
『おやゆび姫』 H.C.アンデルセン アンデルセンの恋愛譚
『旅の道連れ』 H.C.アンデルセン 善良な主人公が呼び寄せた幸運の道連れ
『皇帝の新しい服』 H.C.アンデルセン これ以上見かけない表現された鋭い子どもの視点

『幸福の長靴』 H.C.アンデルセン 魔法を持て余してしまう人間という存在
『丈夫なすずの兵隊』 H.C.アンデルセン 無機物に命を吹き込む童話作家という魔法使い
『父さんのすることに間違い無し』 H.C.アンデルセン 愛情に育まれる信頼
『コウノトリ』 H.C.アンデルセン 西洋のコウノトリの伝承をベースとした物語
『みにくいアヒルの子』 H.C.アンデルセン 困難な辛苦も幸福になるための大切な糧

『ひつじ飼いの娘と煙突そうじ人』 H.C.アンデルセン アンデルセン存命当時の結婚観
『モミの木』 H.C.アンデルセン アンデルセンに潜む深いペシミスム
『豚飼い王子』 H.C.アンデルセン アンデルセンの価値観、美意識に貫かれた物語
『雪の女王』 H.C.アンデルセン 絆の物語、愛の力



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18:33 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『古さくらべ』 昔話とファンタジー
短いお話です

むかし、のっぽの猿と、ふとっちょ猿と、ちび猿が三匹いっしょに旅にでることになりました。猿たちが歩いていくと、道の真ん中に栗の実がひとつ落ちていました。

三匹は、「この栗、おれが先に見つけたんだ」
「いや、おれが先に見つけたんだぞ」
「そうじゃない。おれがとっくに見つけていたんだ」
と、うばいあいを始めました。

そのうちにのっぽの猿が、「まあ待て。たった一つの栗だから、分けて食ったところで大したことはないし、ただ食っても面白くもない。どうだ、一番古いことを知っている者が食うことにしようじゃないか」ということで他の二匹も同意しました。



そこでまずのっぽの猿が「おれは富士山が米粒くらいの大きさだったころの覚えがある。おれが一番古いだろう」といいました。

すると太っちょ猿が「それもずいぶん古い話だが、おれは、琵琶湖がまだ硯の水くらいだったころの覚えがある。おれのほうが古いだろう」といいました。

ところが、ちび猿は何も言わないで、べそりべそりと涙をこぼして泣き始めました。これを見ると二匹の猿は、「ああ、おまえ、そんなに栗が食いたいのか。古いことは知らないけれど栗を食いたい一心で泣いているのだな。たった一つしかないけれど、おまえにこの栗をやろう」といいました。

するとちび猿は、「いやいや、おれは、栗が食いたくて泣いているんじゃない。富士山が米粒くらいの頃、琵琶湖が硯の水くらいの頃、八百六歳の孫をなくしたもんで、それを思い出して泣けてきたのだ」と涙声でいいました。

これを聞いて二匹の猿はびっくり。「うーん、こいつは古い。あの頃おまえにもう八百六歳の孫がいたなんて。この栗はお前が食うしかない」 こうして栗はちび猿のものになりました、と物語は結ばれます。



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旅の道中、道に落ちていた、たった一つの栗の実を賭けた、三匹の猿のほら吹き合戦が始まります。

この単なるお遊びに、ちび猿は、栗の実欲しさに、泣きだしてしまった、と思いきや、頓智のきいた作り話をして、賭けに勝ちます。

おそらく仲のいい、三匹の猿の、旅の道中での気晴らしの一場面ですね。のどかな情景が浮かびます。

と、普通に解釈してみましたが、昔話らしくもっと突飛な解釈もできそうです。そもそも、猿の話がほらとはどこにも語られません。三匹の猿を異界の存在とすることもできます。

するとにわかにお話は、聞き手に空想の余地を多分に許す、ファンタジーになりえます。



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18:16 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『猿の生きぎも』 インド起源の類話の多い昔話
むかし、海の底に、竜宮城がありました。あるとき、竜宮城の乙姫さまが病気になり、あちこちの医者に診てもらいましたが、いっこうに良くなりませんでした。

竜宮城ではみんな心配して、四方八方に使いを出し、良い医者を探しました。そして、やっとひとりえらいお医者さんを見つけて、みてもらいました。

このお医者さんは「乙姫様の病気は、どうやっても治らない。だが、たった一つ治る道がある。それは陸に住む猿の生きぎもを食べさせることだ」といいました。

竜宮城では猿を生け捕りにするために、誰を行かせたらいいだろうと相談しました。みなが考えあぐねていると、そこにちょうど戸の隙間からくらげの足が見えました。そしてみんなは、「こいつがいい」と、くらげの足を引っ張りました。そのころのくらげは骨太でがっしりとした体をしていました。

みんなはくらげにいいました。「くらげどんに頼みがある。乙姫様の病気を治すには、猿の生きぎもを食べさせるしかない。これから陸にあがって、猿をうまくだまして、ここに連れてきてほしい」こうして竜宮城では、くらげを使いに出しました。



くらげは陸に向かって泳いでいきました。浜につくと浜の松の木の上で猿が一匹遊んでいます。くらげは「おうい、猿どん、そんなところより、もっと面白いところがあるぞ。海の底の竜宮城に行ったことはあるかい」といいました。

猿は「そんなところ見たこともない」と答えました。くらげは「これから俺が連れて行ってやる。俺の背に乗れ」といいました。猿は早速くらげの背に乗って、海の中へ連れて行ってもらいました。



途中まで来るとくらげは、ここまでくればこっちのものと、つい口を滑らしてしまいます。「猿どんお気の毒。竜宮城の乙姫様が重い病気で猿の生きぎもを食べないと治らないお前はその生きぎもをとられるのさ」

さあ、これを聞いて猿は驚いたのなんの。何とかして陸に戻らないと命がありません。そこでいいました。

「なあんだ、そうかい。それならそうと早くいってくれればいいのに。だいたい、生きぎもというのは、いつも体につけているわけじゃないんだ。今日みたいに天気のいい日は虫干しすることになっている。今日は松の木の上に広げて虫干ししていたが、とんびにさらわれるといけないから、ああやって木に登って番をしていたのさ」

くらげは「ほう、そうか、そうだったのか。それなら、その生きぎもをとってきてくれないか」といいました。猿は「いいとも、いいとも。とってこよう」といいました。

くらげは猿の背に乗ったまま、また浜へ泳いでいきました。浜につくと猿はくらげの背から飛び降りて、松の木を駆け登りました。猿は逃げ帰ることに成功しました。



そして猿は「わっはは、生きぎもが松の木に干せるわけがあるまい。間抜けなくらげめ、これでもくらえ」と叫んで自分の尻をぱたぱたたたきました。猿の尻が赤いのはその時夢中で尻を叩いたからなんでそうです。

くらげは仕方なく竜宮城に戻って正直に事の顛末を話しました。それを聞いた竜宮城の魚たちは「この馬鹿者。お前は騙されたのだ。罰に骨を抜いてやる」といって寄ってたかってくらげの骨を抜いてしまいました。それでくらげというのは、今のような骨なしになったのだそうです、と物語は結ばれます。



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猿の尻が赤い由来と、くらげに骨がない由来が語られる由来譚ですね。またそれだけにとどまらず、類話が多いことで知られた昔話です。インド起源といわれます。

むかしくらげは骨太だったそうです。まず思い浮かんだのが、あの水族館で見られる美しい姿だったので、骨太のくらげはおかしみを誘いました。



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18:35 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『雪の女王』 H.C.アンデルセン 絆の物語、愛の力
さあこれから話を始めましょう。その小鬼は、仲間うちでも一番の悪者の一人でした。本物の悪魔です。話の終わりが来たら、その小鬼がいかにたいへんな悪さをしたかということがわかるでしょう。

ある日、その小鬼は、とても浮かれていました。良いものや、きれいなものを映すと、それがどんどん縮んで、ほとんど何も見えなくなってしまう奇妙な鏡をこしらえたからです。

では、悪いものや醜いものを映すとどうなるか、というと、これはくっきり映って、そのひどさが嫌というほどよく見えるという仕掛けなのでした。

この小鬼は「悪魔学校」を開いていましたが、みなはその鏡を見て、奇跡が起こったよ! と騒ぎだしました。これでいよいよ世の中の人間たちの本当の姿が見られるぞ、と口をそろえていいました。

そのうち小鬼たちは、ひとつこの鏡をもって天に昇り、天使やら、「われらが主」やらを映して、いたずらしてやろうと、よからぬ考えを起こしました。

そして小鬼たちはみんなして、鏡を持って天高く上りました。ところが鏡は小鬼たちの手から滑り落ちてしまい、地に落ちて何百万、何十億、いやその何千倍という細かなかけらに砕けてしまいました。

でもそのおかげで鏡は以前よりももっとひどい害を世の中にもたらすことになります。

というのも、もしこの小さなかけらが人間の目に入ってしまったなら、なかなか取り出すのは困難だからです。

そうなったら、その人は、何を見るにもあべこべに見えたり、悪いところや醜いところばかり目に付くことになってしまうでしょう。

なぜなら、小さなガラスのかけらは、依然として元の鏡の持っていた力を発揮しているからです。

この小さなかけらが心臓に入ってしまうとどうなるか。その人の心臓は一塊の氷みたいに冷えてしまうことでしょう。


その小鬼はこうした地上のありさまを見ておなかの皮がよじれるほど大笑いしました。しかし笑い事ではありません。鏡のかけらは、まだ世界の上をぷかぷかと浮いているのです。

このお話は、そのかけらがどんな事態を招いたかというお話です。



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ふたりの貧しい子どもたちが、おばあさんと、それぞれの両親とともに、隣り合って暮らしていました。


このふたりは、兄妹ではなかったけれど、どこからみても本当の兄妹のように仲良しでした。男の子はカイといい、女の子はガーダといいました。

この夏のバラは、たとえようもないほどきれいに咲き誇りました。ガーダは、バラの花をうたった讃美歌をひとつ覚えました。

そして歌の中でバラという言葉が出てくれば自分の家に植わったバラのことを思い浮かべました。ガーダはその歌をカイに歌って聞かせると、ふたりは声をそろえて歌い始めました。

バラかおる 花の谷間に
われら仰ぎまつる みどりの子イエス!



ある日、カイとガーダは絵本を読んでいるとカイはこんなことをいいました。「あれ、何かが胸を刺した。目の中もごろごろする」カイはその原因がわかりませんでした。

けれどもそれは一大事でした。みなさん覚えているでしょうか。それは小鬼が作った悪魔の鏡が割れて飛び散ったガラスのかけらのせいだったのです。痛さはなくなりますが、かけらは確かにカイの目と心臓に入り込んでしまいました。

カイは急に大声を出して乱暴になりました。そして、絵本を指して、そんな本は、長い産着にくるまれた赤ん坊の見るもんだよ、といいました。そして彼は、なんだかとても理屈っぽくなっていました。



雪の降る冬のある日、カイは、広場でみなと同じようにそりを滑らせて遊んでいました。

そこへ一台の大きなそりが現れると、カイは手際よく自分の小さなそりを、大きなそりに結びつけました。

すると途端にそりは速くなって、あっという間に町の門を走り抜けてしまいました。そしてやがてそりが止まると大きなそりに乗っていた貴婦人がカイに声をかけました。彼女は雪の女王でした。

雪の女王はカイに白熊の毛皮の外套を羽織らせました。しかしカイは雪だまりに沈み込むような気分でした。

そして雪の女王は「まだ寒いの?」とカイに尋ねると、額に口づけをしました。ああ! 氷よりも冷たい口づけ。それはもう半分以上氷になっている彼の心臓にまで届き、まるで死んでいくような気持になりました。

でもそれもほんの一瞬のことで、すぐに気分はよくなりました。もう寒くはありません。そして再び雪の女王はカイに口づけをすると、その途端カイは小さなガーダのこともおばあさんのこともすっかりと忘れてしまいました。

雪の女王は「もうこれ以上口づけをすることはできない。さもないと次の口づけがお前を死なせることになるからね!」といいました。

カイの目には雪の女王は完ぺきな貴婦人に映りました。だから少しも怖くはありませんでした。



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ところで、ある春の日のことガーダはカイが生きているものと信じて赤い靴を履いてカイを探しに出かけました。まずは川に行ってカイのことを訪ねてみました。

どうかカイを返してくださいと、大切にしていた赤い靴を川に投げ込んでみました。しかしカイの行方など知らないというように赤い靴は戻ってきてしまいます。

もっと赤い靴を遠くに投げなければならないと思ったガーダは、それを実行するため船に乗りました。しかし船は流されてしまいます。赤い靴ももう取り戻せません。ガーダの素足の冒険が始まります。



これより数章、ガーダの冒険談が語られますが、テーマとの関連が薄いので割愛します。



ガーダはとうとうラップランド(北極圏 スカンジナビア半島北部一帯)まできました。ガーダを乗せたトナカイは小さな家まで来て止まりました。家の中には年をとったラップ人の女がたった一人で住んでいました。この年寄りの女にトナカイがガーダのことを話して聞かせました。

「おや、まあ! 気の毒なことだね!」と、話を聞き終わったラップ人の女はいいました。そして「でもね、そういうことなら旅はまだまだ、これからだよ。ここからまだ百マイル以上も北にある、ノルウェーの北の端にあるフィンマルクまでいかなくちゃ。だって雪の女王はそこにいらっしゃるのだから。わしがひとつ手紙を書いてやるから、それをもってわしがよく知っているフィン人の女のところへお行き。その女がもっと詳しいことを話してくれるはずじゃ」といいました。

ガーダはラップ人の女に手紙をもらい、トナカイに乗ってフィンマルクに向かいました。フィン人の女は手紙を受け取りトナカイからも話を聞きました。

そしてトナカイは「どうかこの女の子に飲み物を一杯上げてくださいといいました。一杯飲めば男十二人分の力がつくというあの飲み物をです。これから雪の女王をやっつけに行くのですから」といいました。

フィン人の女は話始めました。「カイという男の子は確かに雪の女王のところにいる。しかし、その子はすっかり喜んでいる。なぜなら彼が心臓にガラスのかけらをおび、目にもガラスの粉を受けているのだから。それを取り除いてやるのが先決だ。そうしないと、その子は本当の人間になれないし、いつまでも雪の女王の言いなりになっていなければならないのだよ」といいました。

トナカイは「だったらそういうものに勝てるような力をガーダにあげてください」といいました。

するとフィン人の女は「ガーダが持っている以上の力を与えることはできない。ガーダの力がどんなに大きいかお前にはわからないのかね。

どんな動物だって、人間だって、みんなガーダに手を貸してやりたくなるだろう。だからこそあの子は、はだしのままで広い世界の果てまで来られたんじゃないか。

あの子はね、私たちが何か教えなくたって大きな力を持っているんだ。しかもその力は、あの子の内にある。あの子の優しくて汚れのない気持ちこそがその力自身なんだ。

雪の女王のところへ行ってカイの体からガラスのかけらを取り出すことができるのはあの子の力だけなんだよ」フィン人の女はそういってガーダをトナカイに乗せ、雪の女王の宮殿に向かわせました。



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雪の女王はこの宮殿にいるときは「理性の鏡」の上に座っていました。そしてカイは「理性の氷パズル」に取り組んでいました。氷のかけらを、ある特別な言葉に並べなくてはなりません。その答えは「永遠」でした。このパズルが解けたとき彼は自由になれるのです。そして今、雪の女王は温かい国へ行くといい残して出かけました。



一方、ガーダは雪の女王の宮殿の中でカイを見つけ首に抱きつきました。そして、彼女の流した涙は凍っていたカイの心臓にしみわたり、その中にあった小さな鏡のかけらも消し去ります。ガーダは歌いました。

バラかおる 花の谷間に
われら仰ぎまつる みどりの子イエス!

カイはその歌を聞いたとたんに泣き崩れました。しかも泣き出したはずみでガラスのかけらが目の中から落ちました。カイはガーダが目の前にいるのを知って喜びます。

ふたりの幸福そうな様子を見て氷のかけらまで踊りだしました。するとパズルの言葉が正しいつづりに並びます。彼は自由を得たのです。ふたりは氷の宮殿をそろって出ました。



ガーダはこの旅で世話になった人たちを順に尋ねました。そして町に帰るとふたりは大人になっていることに思い当たります。

おばあさんが聖書を読んでいました。「なんじ、みどりの子のごとくならずば、神の国にはいるあたわず」 ふたりは、あの讃美歌の意味がにわかにわかりました。

バラかおる 花の谷間に
われら仰ぎまつる みどりの子イエス!

こうして、大人になってもなお幼い子でいる、子どもの心を持つふたりは、そこにすわり続けていました。もう夏でした暖かく美しい夏なのでした、と物語は結ばれます。

-1844年-



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童話にしては長い作品です。物語中盤のあらすじ、端折ってます。興味のある方はオリジナルを当ってみることをお勧めします。



物語序盤では、小鬼こそ悪者であることはわかりますが、雪の女王をどういう存在ととらえていいのか判断に迷います。ですが物語終盤に向けてどうやら、主人公に試練を与える物語の俯瞰者であることが明らかになってきます。

小鬼の作り出した鏡ですが、わたしは、『白雪姫』の、真実を写しだす鏡との類似を思い浮かべてみました。この物語でも小鬼が、人間たちの本当の姿が見られると語っています。いずれにしても、どちらも人間の認知を狂わしてしまうものです。真実って何なのでしょうね。

そして物語終盤、大団円に向けての筆の運びに、無駄のない、的確な表現が用いられていて、読後感が非常に優れています。それに伴い、物語は読者の現実に生成して、喜びの感情があふれてくるのです。

また個人的には、大人になっても子どもの心を忘れずに、というような、アンデルセンの哲学が盛り込まれているところも好きです。



この物語は他の媒体にも広く移植されていて、その人気のほどがうかがえます。

最近のものなら、ディズニー映画の『アナと雪の女王』のエンドロールに翻案としてこの物語がクレジットされています。

しかし、両物語のストーリー展開は、ほぼ違うものです。ただし、主人公二人のきずなの物語であり、愛の力がテーマになっているところは共通です。



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18:31 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『蛇島』 民衆の切実な思いを乗せる昔話という媒体
むかし、あるところに、仲のいい漁師が五人いました。ある日のこと五人は、天気がいいので魚がたくさん取れそうだといって、船に乗り海に出ました。

とてもいい日和で、波も静かでした。ところがどうしたことか魚は一匹も取れませんでした。そればかりか船はどんどん沖へ流されていくのです。五人は、かわるがわる、力いっぱい櫓をこぎましたが無駄でした。

五人は、妻にも子どもにも会えなくなると思って、おいおい泣き出しました。

ところが五人のうちの一人が、ふと頭を上げて叫びました。「おうい、みんな、島が見えるぞ」あるはずのない島が漁師たちの目の前に現れたのです。

漁師たちの船は、どんどん島のほうへ流されていき、ついには島に打ち上げられました。五人はとりあえず島にあがって、家に帰る機会をうかがうことにしました。



ところで島にあがってみると、美味しそうな実のなる木がたくさんありました。腹を減らしていた漁師たちは、その実を食べてみると、それは何ともいえないおいしいものでした。

漁師たちはだんだん島の奥へ入っていきました。島の奥に入れば入るほどおいしい木の実はたくさんなっていました。

漁師たちは、この島に人がいれば、この実を放っておくはずがない。ここは無人島だろうと話し合いました。しかし、そこにひとりの男が現れます。



男は、漁師たちをここに招いたのは自分だといい、おなかがすいているだろうからご飯を食べてくれといいます。

漁師たちは、木の実は食べたが、ご飯ならよばれたいというと、男は島の奥に向かって怒鳴りました。「おういご飯を持ってこい」

するとすぐに、ごはんやお酒が運ばれてきました。漁師たちは、食べたり飲んだり、たらふくごちそうになりました。

そのうちに男が頼みごとがある言いました。男は「実は、わしは人間ではない。この島の主の大蛇なのだ。向こうの島に大きなむかでがいて、わしの命を狙っている。これまでは海で戦ってきたが、今度は陸の上での戦いになるであろう。陸で戦ったら今度は負るかもしれない。その時は、あんたたちが代わりにむかでと戦ってほしい」といいました。

そして男は漁師たちを崖の上まで連れていき、大きな岩を砕いてたくさんの石を作り、「もしわしが負けそうになったら、合図をするから、これをむかでにぶつけてくれ」といいました。



そうしてるうちに、遠くの島から黒い山のようなむかでが海を渡ってきました。ようく見ると、頭はもうこっちの島にあがっているのに、尾はまだ遠くの島に続いていました。

島の主は大蛇の姿になって、大むかでと戦い始めました。大蛇は大むかでに攻め込まれて、ついに漁師たちに合図を送りました。

五人の漁師は、ここぞとばかりに大きな石を次々に投げつけ、とうとうむかでを退治してしまいました。



島の主は大喜びして「お礼に島をやる。田んぼも畑も全部お前たちのものだ」といいました。漁師たちは、「そんなことをいっても、畑を耕す鍬もなければまく種もない」というと島の主は「それなら今から村に帰って、連れ合いや子供を連れてきたらいい」といいました。

漁師たちが舟をこぎだすと、今度はたちまち元の港について、村に帰ることができました。五人の漁師は種や畑を耕す道具を船に積み込み、妻や子供を連れて島に戻りました。そして幸せに暮らしたということです。

その島が、どこにあるのか誰も知りませんが、「蛇島」という島があるそうです、と物語は結ばれます。



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昔話はハッピーエンディングを目指します。話始めこそ、主人公たちは、途方に暮れてしまうような展開を見せますが、実はファンタジーの入り口に立たされたのです。そして物語終盤は、幸せの島、蛇島は、どこにあるのか知れませんが、どこかに確かにあるという設定です。

昔話の語り部である民衆が、それを聞く民衆に、夢を与える話ですね。確かにある幸せの島を思い描くと、普段は苦しいであろう生活に、活力を見いだせたのではないでしょうか。昔話は、民衆の切実な思いを乗せています。



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19:01 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『豚飼い王子』 H.C.アンデルセン アンデルセンの価値観、美意識に貫かれた物語
むかし、ひとりの貧しい王子がいました。持っている領土はとても小ささかったけれど、それでも妃をめとって暮らしていけるだけの広さはあり、また妃をめとることが王子の望みでもありました。

さて、その王子が、皇帝の娘に向かって、「姫さま。わたしの妃になっていただけないでしょうか?」と問いかけるのは、いささか勇気のいることでした。

ところが彼は、自分の名が広く知れ渡っていることを頼りに、思い切って姫君に結婚の申し込みをしてみました。

こういう問いかけに、「はい」と答える姫君は、ほかに何百人とおりましたが、果たして皇帝の姫君も同じ返事をしたでしょうか? では、それをお話しすることにいたしましょう。



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その王子の父君が眠る墓には、バラの茂みがひとつありました。とてもきれいなバラの茂みでした。しかし花が咲くのは四年に一度、おまけに、その時咲くのはたったの一輪だけでした。

でもそのバラのすばらしさといったらありません! 花はとても甘い香りを放ち、それを嗅いだ人は、ひとり残らず、この世の悲しみや憂いをすべて忘れてしまうほどだったのです。

ついでにお話しすると、王子はほかに、一羽の夜鳴きうぐいす(ナイチンゲール)を住まわせていました。その鳥は、この世にありそうなメロディすべてを、その小さなのどに集めたように、良い声でさえずることができました。

このバラと夜鳴きうぐいすが、王子の持ち物すべてでした。よって、この二つの品物は、大きな銀色の箱にそれぞれ詰め込まれ、皇帝の姫のもとへ送り届けられました。



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皇帝は、その贈りものを家来に持たせ、そのあとから大広間に入っていきました。大広間には王女がいて、お付きの女官を相手に<お客様ごっこ>をしていました(お付きの女官とは、ほかに何もしません)。王女は贈りものの入った銀の箱を見て嬉しそうに手を叩きました。

王女は「かわいい子猫だといいわ!」といいました。しかし箱を開けてみると中にはバラが入っていました。

女官たちは声をそろえて「なんと見事な造花ですこと!」といいました。皇帝は「『見事』などという生易しいものではない。これは魔法のようじゃ」といいました。

ところが王女は花に触ってみて泣き出しそうになりました。「わぁっ、父さま。これは造花ではなく本物の花ですわ!」

女官たちも「あらあら、ただの切り花ですことね!」と声をそろえていいました。皇帝は、「まあ待ちなさい。腹を立てる前に、もう一つの箱を開けてみなさい」といいました。

すると今度は、夜鳴きうぐいすが、箱から飛び出しました。鳥はとてもきれいな声で歌ったので、人々は、どういう風に感想を述べていいのか、すぐには言葉が見つかりませんでした。

やがて老いた騎士が、「あの鳥の声を聴くと、亡きお妃さまご愛用の、オルゴール付きのにおい箱が思い出されます」といいました。皇帝も「その通りじゃ」といって子どものように涙ぐみました。

王女は「あの鳥が生き物でなければ本当にいいのだけれど」といいました。そして「鳥を逃がしておしまいなさい」ときっぱりといって、王子の訪問を決して許しませんでした。



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それでも王子は、途方に暮れるようなことはありませんでした。すぐに顔を黒く汚し、帽子を目深にかぶり、皇帝の宮殿の扉をたたきました。

王子は宮殿の豚飼い役に収まります。王子には、豚小屋のそばにあるみ、すぼらしい小部屋があてがわれました。早速、豚飼いである王子は日がな一日そこに座りこみ、熱心に何かをこしらえ始めました。

できたのは、周りに鈴をたくさんつけた手ごろな小鍋でした。その鍋は中身が煮えるとかわいい音を響かせて、次のような古い調べを奏でるのです。

ああ わたしのいとしいオーガスチン
みんな失くしました、みんな失くしました。

でも、この仕掛けの中で一番手の込んでいるところは、なべから出てくる蒸気の中に指を入れると、町中の炉端でどんな料理が作られているのかがわかることでした。

さて、王女は女官を引き連れて、豚小屋の前を通りかかると、ふと足を止めて、たいそう嬉しがりました。なぜなら王女も、唯一この『わたしのいとしいオーガスチン』が弾けたからでした。王女はその曲をピアノで一本指で弾くのでした。



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王女は「あの者はきっと教養のある豚飼い役に違いありません」といいました。そこで女官の一人が、豚小屋を訪ねなければならなくなりました。

女官は豚飼いに、「どうすればこのお鍋を譲ってもらえるのかしら?」と尋ねました。豚飼いは「姫さまの口づけ十回、いただきとうございます」と答えました。

女官は「とんでもないことを!」と大声を上げました。豚飼いは、「それ以下ではお譲りできません」といいました。

王女は、「ねえ、どうしたの?」と女官に尋ねると、女官は、「わたしの口からはとても申し上げられませんわ。とにかく身分をわきまえない言い分でございます」と答えました。

ならば耳打ちでと、それを王女が聞くと、王女は「なんと無礼な」と声を上げ、立ち去りました。けれどもしばらく歩いた時、うっとりするような鈴の音が響きました。

ああ わたしのいとしいオーガスチン
みんな失くしました、みんな失くしました。

姫さまは、なべが奏でる音の誘惑に勝てず、ついに女官たちを人垣にして、人から見えないようにし、豚飼いに口づけをしました。こうして豚飼いは十回の口づけをもらい、王女はなべを手に入れました。

それから宮殿では、夜となく昼となくなべは煮立ち続けます。それは素敵なことでした。町中のかまどでどんな料理が作られているのか、どこでおいしいものを出すのかが知れるのです。



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次に豚飼いである王子は、一日たりとも無駄にはせず、また何かを作り始めました。それはがらがらでした。

このがらがらを振れば、この世ができて以来、生み出されたすべてのワルツ、ホップ、ポルカ(いずれも舞踏曲)を奏でることが、だれにでもできるようになるのです。

また王女はそばを通りかかり、豚飼いの作った、新しい品を欲しがりました。しかし豚飼いは今度は王女に百度の口づけ要求しました。

王女は飽きれて立ち去ろうとしますが、しばらく行ったところで心が折れてしまい、もっともらしい理由を見つけて、またしても女官たちを人垣にして、人から見えないようにし、豚飼いに口づけを始めました。今度は百回です。

さてその時、バルコニーに出てきた皇帝は、豚小屋に集まっている女官たちを見て、自分も下にいかなければといって下りていきました。

一方女官たちのほうは、姫さまのするキスの数をかぞえて、約束が守れているかどうかに執心しており、皇帝が来たことには、誰も注意をはらいませんでした。

皇帝は、背伸びして中をのぞきました。そして「なんということじゃ」と思わず口を開き、はいていた靴で口づけをする二人の頭をたたき、怒って「出ていきなさい!」といいました。

こうして王女と豚飼いは、二人そろって皇帝の領地から追い出されました。



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王女はあの見目麗しい王子を宮殿に招いていればよかったと後悔しました。すると豚飼いは木の後ろに隠れて顔の汚れを洗い落とし、みすぼらしい衣を脱ぎ捨てると、王子のいでたちで姿を現しました。王女はそのりりしい姿を見て、彼こそ王女が訪問を許さなかった王子と知りました。

そして王子は、「わたしはあなたをさげすむためにここに来ました」といいました。そして、「あなたは正直な王子に嫁ごうとしませんでした。バラや夜鳴きうぐいすには目もくれず、ただのおもちゃを手に入れるために豚飼いに口づけをなさいました。ですからこうしてあなたはその報いを受けてたのです」

そして王子は、自分の領地に入ると、王女の鼻先でぴしゃりと戸を閉め、かんぬきを下しました。だからいまでも王女は、領地のはずれに立って歌をうたっているはずなのだ……。

ああ わたしのいとしいオーガスチン
みんな失くしました、みんな失くしました。

……と、物語は結ばれます。

-1841年-



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皇帝の王女は、その高貴な位とは裏腹に軽薄な俗物でした。王女は、豚飼い王子によって、その正体を暴かれ、すべてを失うのです。豚飼い王子は少し意地悪ですね。

王女は、豚飼い王子の所有する、王女への贈り物とされた、何よりも価値のあるものをぞんざいに扱い、豚飼い王子が作った、それはそれで素晴らしいものですが、まがいものに目が眩んでしまうのでした。

あらすじには詳しく書きませんでしたが、王女が、まがい物を手に入れる手段にしても、自らの手を汚さず、女官に遂行させようとする場面など、位の高い者のする所業とは思えません。そんなところも皮肉られていました。

アンデルセンの、高みにある価値観、美意識が、この物語には貫かれているように思えます。



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