子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『父さんのすることに間違い無し』 H.C.アンデルセン 愛情に育まれる信頼
さあ、小さい頃に聞いたことのある、わたしの大好きなお話をしましょう。このお話は、聞くたびに前に聞いたときよりも面白味を増します。

それというのも、お話というものは、読み手が時を經るごとに、より面白く感じられていくものだからです。大抵の人が、年齢を重ねるごとに面白い人間になっていくのと同じことです。



さて、ある田舎外れに、まさしく田舎の農家があり、そこには百姓の父さんと、母さんが住んでいました。ふたりの持ち物は少ししかありませんでしたが、唯一、余分なものがありました。それは馬です。

百姓の父さんは、馬を売るか、夫婦にもっと役に立つものに、取り替えたほうがいいと思いつきました。

母さんは父さんに「今日は町に市が立つ日だわ。そこに行って馬を売ってお金にするか、それとも何かいいものと取り替えてきなさいな。あなたのすることならいつだってなんだって間違いないもの。さあ市に行ってらっしゃい」といい、父さんにキスをしました。

そして父さんは、売るか交換するか思案のしどころの馬に乗って市に出かけていきました。



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父さんは、市につく前に、雌牛を引くひとりの男に出会いました。そしてこの雌牛なら、たくさんの牛乳を出してくれると思い、その男に掛け合って、馬と雌牛を交換しました。

さあ、これで父さんは仕事を終えたことになります。しかし、見るだけでもいいからと雌牛を連れて市に向かいました。

父さんは、これから先、市で、出会った様々な動物に感心し、交換に交換を重ねます。雌牛は羊になり羊はガチョウになり、ガチョウはメンドリになります。

父さんは、市についてからもうたくさんの仕事をしました。くたくたです。そこで一杯引っ掛けようと思い、居酒屋に入ろうとすると、豚の餌に、たくさんの腐ったりんごを運んでいる男に出会いました。

すると父さんは、去年、うちの泥炭小屋のそばの林檎の木に、実がひとつしかならなかったことを思い出します。

そのりんごを母さんは、取って置かなければと思い、タンスの上に腐るまで置かれました。母さんは「これが豊かさというもんだ」といっていたもんです。

このたくさんのりんごを持って帰れば、母さんが喜ぶと思った父さんは、そのりんごとメンドリと交換してしまいました。そして居酒屋に入ります。



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居酒屋に入ると父さんは、ストーブに火が入っているのも知らず、ストーブの上に腐ったりんごを置いてしまいます。りんごは「ジューッ、ジューッ、ジューッ」と音を立て始めました。

ところで、この居酒屋には、馬の仲買人、家畜売買人、ポケットが金貨ではちきれそうなふたりのイギリス人など金持ちがたくさんいました。

居酒屋の皆が、りんごの焼ける音に、あの音は何だと声を上げます。すぐにその正体は知れました。そう父さんの腐ったりんごです。

そして、居酒屋の皆は、父さんの馬が腐ったりんごに変わるまでのいきさつを聞くはめになります。

イギリス人は父さんに「おまえさんはおかみさんにこっぴどく叱られて傷だらけになるよ」といいました。しかし父さんは「傷じゃなくキスがもらえるよ」と断言しました。そして父さんは、母さんが「父さんがすることに間違い無し」というだろうことを皆に話しました。

するとイギリス人は賭けをしようといい出します。

イギリス人は、金貨百ポンドかけるといいますが、父さんは金貨ひと升分でいいといいました。それに対して父さんは、賭けしろが、りんごしかないので、それに合わせて、自身と母さんをつけるといいました。それならお釣りが来るだろうと思ってのことです。賭けは成立しました。



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こうして宿屋の主人の馬車が持ち出されて、ふたりのイギリス人と父さんは、母さんの待つ家に向かいました。

父さんは、家につくと、母さんに取り替えてきたよといいました。すると、母さんは「あんたのすることは間違いないからね!」といって強く父さんを抱きしめました。

それから父さんは、馬が腐ったりんごに変わるまでのいきさつを母さんに話しました。それぞれの交換に母さんは感心して、すべてを話し終えると母さんは、父さんにキスをしました。

ふたりのイギリス人は「これは素敵だ! ずっと底の見えない下り坂の人生なのに、いつも幸福だよ。これは相当の値打ちものだ」と叫びました。彼らは賭けに負けたのです。ふたりのイギリス人は大升いっぱいの金貨を夫婦に払いました、

この人がする事なら、何でも正しいと信じて認めていれば、いつだって、それ相応のお返しがあるもんだ、あなたも、今この物語を聞いたのだからよくわかったことと思う、と物語は結ばれます。

-1861年-



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父さんと母さんの立場が逆転しても、物語の語ることは変わらないでしょう。そして、タイトルが、「母さんのすることに間違い無し」でもいいのです。

アンデルセンは、極貧の幼少期、少年期を送っています。しかし、たくさんの両親の愛情を注がれて育ちました。彼の童話は、両親の愛情に対する、感謝にあふれています。

この物語にしても、アンデルセンが両親を偲んで書いたものでしょう。金銭の貧しさは、それを味わった者の心をも貧しくしてしまいがちですが、アンデルセンのように、心からの愛情が注がれて成長したなら、後でいくらでも挽回ができるのではないでしょうか。

そう、心からの愛情を与えられた者は、ぶれることなく、世の中を、あるいは自分の人生を、肯定的にとらえることが、当たり前のふるまいとなるものです。どんなに裏切られても、周りや自分への信頼を常とします。アンデルセン自身がそうでした。

そして、そのふるまいは、当たり前のことですが、決して自分勝手なものとはなりません。それゆえに、本人自体、期待もしていないでしょうが、ある意味ふさわしい見返りを得ることとなるのではないでしょうか。



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18:38 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『山は火事』 機転の利かない頓知者、吉四六さん
短いお話です。吉四六(きっちょむ)さんのお話続きます。

ある冬のこと、吉四六さんは町の親戚の家に行って泊まりました。次の朝、早く起きて、顔を洗い、縁側から外を眺めていると、隣の家の人が「おはようございます。今朝はことのほか寒いですね」と挨拶をしました。

ところが吉四六さんは、なんと挨拶を返したらいいのかわからず、黙って中へ入ってしまいました。

それを見て家の主人が「人に挨拶されて黙って引っ込むやつがいるか。『さようですな、このぶんでは山は雪でしょうな』くらいはお返しにいうものだ」といいました。

吉四六さんはなるほどそういうものか。いいことを覚えた。明日の朝はうまくやってやろうと思いました。



次の日の朝は大変暖かでした。吉四六さんは、顔を洗って縁側から外を眺めていると、隣の家の人が「おはようございます今日はたいへん暖かで結構ですね」と挨拶をしました。

すると吉四無さんは、昨日の挨拶と違うので、すっかりどぎまぎして、「さようですな。このぶんでは、山は、ええと、山は、火事でしょうな」と答えたということです、と物語は結ばれます。



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吉四六さんは頓知者ということなのですが少々おっちょこちょいな人のようです。この吉四六さんのお話群、頓知話というより、どちらかというと、気持ちの和む、笑い話のたぐいになるでしょうか。



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18:18 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『重荷をわける』 吉四六さんという頓知者
短いお話です。

むかし、九州豊後に、吉四六(きっちょむ)さんという男がいました。

ある日、 吉四六さんは馬をひいて、山へ薪を取りにいきました。薪を馬の背に山ほど積んだので、帰り道には、馬の背骨が曲がるほどです。馬は汗だくで山道を下ります。

吉四六さんはこれを見て、「これでは荷が重すぎる。馬がかわいそうだ」と思いました。そこで薪を半分おろして、自分で背負いました。

けれども、吉四六さんは、あんまり重くて、今度は自分が歩けませんでした。「さて困った。こんなに重くてはたまらない」彼はしばらく考え込みました。

吉四六さんは、「そうだ、いい考えがある。おまえもおれも楽になれる」と馬にいいました。そして、吉四六さんは、荷を背負ったまま、「よいしょ」と馬の背に乗っかると、のんびり鼻歌交じりに、馬を歩かせて家に帰り着きました。

馬から降りた吉四六さんは、ふうふういっている馬に向かって、「どうだ、おれが背負ってやったぶん少しは楽だったろう」と得意そうにいいました、と物語は結ばれます。



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飼い主の意表をついた頓知に、馬も文句がいえなかったのではないでしょうか。「まあ、そうかな」と馬は思っているかもしれません。

吉四六さんのお話、しばらく続きますが、吉四六さんとは、一休、彦一と並ぶ、著名な頓知者であるということです。



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18:02 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『太郎の欠け椀』 欠け椀も三年取っておけば役に立つ
むかし、あるところに、父親と三人の息子がいました。三人の息子は、上から、太郎、次郎、三郎といいました。

ある時、父親は、息子たちを呼んで、「おまえたちも、もうそろそろ、商いを習ってもいい年頃だ。何かひとつ、商売を覚えてこい」といいました。

そして三人に、僅かな金を渡し、旅に出しました。兄弟は、しばらく一緒に歩いていきましたが、三本道に別れたところで、三年経ったら、ここで落ち合い、一緒に家に帰ろうと約束し別れました。



太郎が歩いていった道は、山奥へとつながっていました。何処までも登っていくと、粗末な炭焼き小屋が一軒ありました。

太郎はひとまず、ここに置いてもらおうと思い、炭焼きの男に、「ここで三年ばかり、炭焼きを習わしてくれませんか」と頼みました。

炭焼きの男は、「よかろう。このももひきをはけ。これが擦り切れて、ぼろぼろになるまで働いてみろ」というと、太郎に木綿のももひきをくれました。

その日から太郎は、炭焼を習い、夢中で働いて、腕前も上がりました。しかし何しろ、ももひきが丈夫で、なかなか擦り切れず、家に帰してもらえませんでした。弟たちと約束した三年が過ぎても、ももひきは、ちっとも擦り切れませんでした。



ある日のこと、遠くの木にカラスがとまって、「太郎、太郎、岩に擦れ。太郎、太郎、岩に擦れ。かあかあ」と鳴きました。太郎は「ああそうか。岩にこすれば、ももひきが早く擦り切れるのだな」と思いました。

太郎は、それからというもの、炭焼の男に隠れて、一生懸命、岩で尻すべりをしました。やがてももひきは、ぼろぼろになりました。

そこで太郎は炭焼の男に、「ももひきが擦り切れたので、そろそろ家へ帰してほしい」というと、炭焼の男は、「もう擦り切れたのか、帰るがいい。よく働いてくれたから、これをやろう」といって、欠けた椀をひとつくれました。

太郎は、欠けた椀など何の役に立つのだろうと思いましたが、黙ってそれを懐に入れて、炭焼き小屋をあとにしました。

太郎は、山を下り、弟たちとの約束の場所につきましたが、三年はとっくに過ぎていたので、出会えるはずもなく、一人で家に帰りました。



太郎は家に着き、中をのぞくと、次郎も三郎も、それぞれ何か商売を身につけたらしく、立派な身なりをして父親と話しています。

太郎は、炭焼で真っ黒になった姿を恥ずかしく思い、家に入れないでいると、懐の欠け椀が「何でもない、何でもない。うちに入れ、うちに入れ」といいました。そこで太郎は「今、帰った」といって家に入っていきました。

すると父親は、太郎をにらめつけると、「今頃帰ってきたのか。おまえは何の商売を習ってきた」と聞きました。

太郎は、炭焼こそ習ったものの、何か商売らしきものを身に着けてこなかったので困っていると、懐の欠け椀が、「盗人を習ってきたといえ。盗人を習ってきたといえ」というので太郎は、「おれは盗人を習ってきた」と答えました。

父親は、「そんなもん習って何になる。盗人を跡取りにしておくつもりはない。今すぐ出ていけ」とかんかんになって怒りました。



そこにちょうど本家の主人がやってきて、この騒ぎを聞き、「まあまあ、若いもんがせっかく修行して帰ったのだ。そうわめくものではない。盗人だって? 本当に名人技を身に着けてきたのなら、わたしのところの五頭の馬のうち、一番いい馬を盗んでみろ。もしうまく盗めたら、わたしの財産の半分をやろう」といいました。

太郎はそんなこといわれても、どうやって盗んだらいいのかわかりません。困っているとまた、懐の欠け椀がこっそり、「やってみる、といえ。やってみる、といえ」といいました。そこで太郎は「やってみましょう」と答えました。



本家の主人は、すぐに屋敷へ帰りました。そして若い衆を集めると、屋敷の周りの堀にかかっている橋を全部はずさせ、屋敷の隅々に見張りを立てました。

そして厩の一番いい馬には、ふたりの見張りをつけて、ひとりには手綱をしっかり握らせ、ひとりには馬の尻尾をしっかりと握らせました。

太郎は、真夜中になるのをまって、欠け椀を懐に入れ、本家に出かけていきました。そしていきなり障害に出会います。太郎は、堀端で、はずされた橋に屋敷の中に入る手段を失って困っていると、欠け椀は「おれを、向こうに投げろ。おれを、向こうに投げろ」といいます。

その通りにすると、欠け椀は橋をかけてくれるのでした。こんなエピソードが続きます。そしてかけ椀の指図に従うと全てがうまくいきます。

そして太郎は、本家の主の一番いい馬を盗むことに成功し、本家の主人の財産の半分をもらい、大変な立身出世をしました。弟たちも、それぞれ立派な商売を身に着けてきたのですが、兄にはかないませんでした。

それで今でも「欠けたお椀も、三年経てば役に立つ」といわれるのです、と物語は結ばれます。



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あらすじで、馬を盗むくだりは割愛しました。ユニークなので、オリジナルを当たれる方はどうか読んでみてください。

欠け椀も三年取っておけば役に立つことの例え話になっています。欠け椀は、不思議な力を発揮しますが、これは物に霊力が宿ったのでしょうか。わたしはこのような欠け椀に関する話を聞いたことがありません。

おそらく、かけ椀を人に例え、一見役立たずの者も、待っていれば大成することをいいたいのかもしれません。物語の長子である太郎そのものが欠け椀ですね。太郎と欠け椀の出会いは必然的だったのではないでしょうか。

太郎と欠け椀の出会いを橋渡しをした炭焼の男は、その住処といい、太郎に不思議なももひきを履かせたりするくだりなど、おとぎ話によく登場する異界の存在なのではないでしょうか。

また、昔話でお馴染みの三兄弟の話ですが、多くは末子が成功します。末子成功譚ですね。しかし、この物語では、長子が成功しています。時々あるパターンです。



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18:17 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『丈夫なすずの兵隊』 H.C.アンデルセン 無機物に命を吹き込む童話作家という魔法使い
むかし、二十五人のすずの兵隊がいました。彼らは皆兄弟でした。というのも、皆は、一本の古いすずのさじを溶かして作られていたからです。

兵隊は、マスケット銃をかつぎ、まっすぐ前を向いていました。おそろいの軍服は、赤と青、それは大変見事なものでした。

その兵隊たちは、箱の中で寝ていましたが、ふたを急に開けられた時、この世で初めて、「すずの兵隊さんだ!」という言葉を聞きました。小さな男の子がそう叫んだのです。

その子は、嬉しくて嬉しくて手を叩きました。すずの兵隊は、誕生祝いとして、その子のものになったのです。

男の子はすぐに、兵隊をテーブルの上に並べてみました。どの兵隊も、皆よく似ていたので、見分けがつきませんでした。

しかし、たったひとり、ほかの兄弟とはちょっと違った兵隊がいました。気の毒なことに、この兵隊には片足がありませんでした。

何しろこの兵隊は、一番最後に作られたので、あいにくすずが足りなくなってしまっったのです。けれどもその兵隊はたった一本お足で、ほかの兵隊と同じようにしゃんと立ちました。



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テーブルの上には、ほかにもいろいろなおもちゃが置いてありました。中でも紙で作られたリっぱなお城が目立っていました。

そして、空いた城門のそばに立っている、小さな女の子ほど可愛らしいものは、ほかにありませんでした。

この女の子も、やっぱり紙で作られていて、スカートは見事なリンネル製で、小さくて細い青色のリボンが、まるで肩掛けみたいにふんわりと女の子の肩にかかっていました。

そのリボンの中に、女の子の顔ほどの大きさがある金モールの飾り金具が、キラキラ光っています。女の子はふたつの腕を上の方に伸ばしています。

この女の子は踊り子でした。片方の足をずいぶん高く後ろの方にあげていたので、足先の方は一本足の兵隊には見えませんでした。

そのせいで兵隊は、あの女の子もきっと自分と同じように一本足なのだと思いこんでしまいました。

「あの人ならぼくのお嫁さんにぴったりだ。でも少し身分釣り合わないかもしれない。あの人はお城住まいだし、ぼくの方は、こんな箱に入れられているのだから。あの人がこんなところに住めるものか。ああ、せめて友達になれればなあ!」と一本足の兵隊は思いました。

一本足の兵隊は、テーブルの上にある嗅ぎたばこの後ろに横になりました。その位置からは、小さな美しい娘がよく見えるのです。娘は相変わらず見事な釣り合いを保ちながら片足で立っていました。

やがて夜も更け、ほかのすずの兵隊たちは皆、箱に戻っていきました。その家の人たちもベッドに入りました。



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その後は、おもちゃの遊ぶ時間になりました。みんな思い思いに遊んでいます。しかし、楽しい遊びの時間だというのに、相変わらずじっとしているものがふたりだけいました。

一本足の兵隊と、小さな踊り子でした。つま先でピンと立ち、ふたつの腕を高くあげている娘と、これまた一本足で立っているすずの兵隊です。一本足の兵隊は、踊り子の方を一心に見つめていました。

やがて時計が十二時を打ちました。その時ふいに嗅ぎタバコのふたがポンと空きました。中にはタバコではなく小鬼が入っていました。この箱は本当は仕掛けのあるびっくり箱でした。子鬼は、「おいすずの兵隊、何をそんなに見つめているんだ。いい加減にしろ」といいました。

一本足の兵隊は、わざと聞こえないふりをして相手をしませんでした。子鬼は「そうやって朝までいるといいや」といいました。

ちょうどその時です。子鬼の仕業かすきま風の仕業かしれませんが、急に窓がパタンと開き、一本足の兵隊は、そのはずみで四階から下の道へ真っ逆さまに落ちてしまいました。すごい速さで落ちた兵隊は、一本足を上に向け、敷石の間に銃剣を突き刺して止まりました。

すぐにその家のさっきの男の子が、メイドを連れて道へ出て来て、一本足の兵隊を一生懸命探し始めましたが見つかりませんでした。もし一本足の兵隊が「ここです」と声を出せば見つかったことでしょう。しかし一本足の兵隊は軍服を来ていたので、大声で助けを呼ぶのは、はしたないことと思っていました。



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そうこうするうちに、しとしとと雨が降ってきました。それがいつの間にかざあざあ降りになり、やっと雨が上がった時のことです。いたずらっ子がふたり、一本足の兵隊のそばにやってきて、兵隊を見つけると、新聞紙で折ったボートに乗せて溝に流してしまいました。

ボートはどぶ板の下に入っていくと、中はとても暗く、ちょうど、箱の中に入ったときと同じ思いをしました。一本足の兵隊は、「ああ、あの小さな踊り子が一緒にボートに乗っていたなら、この倍暗くても平気なのに」と思いました。

ふと見るとドブネズミがあらわれました。ドブネズミは「おいこのトンネルを通る切符はあるのか? さあ出せ」といいました。けれども一本足の兵隊は、返事もせず黙って鉄砲を握りしめていました。ボートは流れていきます。ドブネズミは怒って後を追ってきました。

しかし流れはさらに早くなり、あっという間にどぶ板の先のお日様の光が見えてきます。しかし安心はできませんでした。ボートの先には大きな掘割りがあります。このままでは人間でいえば滝に落ちていくようなものです。

ボートはどぶ板の外に出て、堀割りのそばまで流されました。一本足の兵隊は恐ろしくて体をこわばらせるばかりです。しかしまばたき一つしませんでした。

ボートは、三、四回まわったかと思うと、水がボートの縁に押し寄せます。一本足の兵隊は、もう二度と会えないあの可愛らしい小さな踊り子を思うと、何やら歌のようなものが聞こえてきます。

さようなら、さようなら、兵隊さん。あなたは死ぬ運命だったのです。

そしてボートは、紙が裂けて、一本足の兵隊は水の中へ放り出されました。そして泳いできた大きな魚に、ぱくりと飲み込まれてしまいました。ああ魚のお腹の中はなんて暗いのだろう。どぶ板の下とは比べ物にならない。それに、ここは、狭苦しいところでした。けれども一本足の兵隊は身じろぎもせず鉄砲をかついだまま横になっていました。



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どれくらい経ったことでしょう。魚は長いこと泳ぎ回っていました。しかし、急に暴れだしたかと思うと動かなくなりました。そしてしばらくすると、出し抜けに明るい光が差し込んできます。そして誰かが「あら、すずの兵隊さんが!」と大きな声で叫びました。

やっとわけが分かりました。この魚は漁師さんにとらえられ、市場に運び込まれたあと、そこでお客に買われ、はるばるこのもと居たうちの台所までもってこられたのです。そして、たった今、メイドが、大きな包丁で魚のお腹を切り開いたのでした。

メイドは、魚のお腹に入っていた兵隊を、二本指でつまみ上げ、別の部屋に持っていきました。みんなはこの不思議な体験をした人形を見たがりました。全く世の中には、不思議なめぐり合わせがあるではないですか。一本足の兵隊は、もとのあの部屋にちゃんと戻ったのです。

小さな踊り子の娘も、前の通り頑張って立っているのを見ると、一本足の兵隊はすっかり心を動かされて涙をこぼしそうになりました。でも兵隊が涙をこぼすなんてみっともないことだと思っていました。

一本足の兵隊はじっと小さな踊り子の娘を見つめました。踊り子の娘も一本足の兵隊を見つめました。二人とも一言もいいませんでした。



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すると小さな男の子が急に一本足のすずの兵隊をつかんで、いきなりストーブの中へ投げ込みました。いったい何という仕打ちでしょう。これはきっと、嗅ぎタバコの箱の中の、子鬼の仕業としか思えませんでした。

一本足のすずの兵隊は、炎にあかあかと照らされて恐ろしい熱さを味わいました。けれどもその熱さが果たして火のためなのか、それとも心に燃え上がった愛のためなのか、はっきりとわかりませんでした。

美しかった兵隊の色は、今ではすっかり落ちていました。旅の途中で色あせたのか、それとも悲しみのあまり色あせてしまったのか、誰にもわかりませんでした。

一本足のすずの兵隊は、まだ小さな踊り子の娘を見つめていました。娘も兵隊を見つめていました。そして一本足のすずの兵隊は、自分の体が解けていくのに気づきました。それでも、鉄砲をかついで、しっかりと立つ姿は崩しませんでした。

その時でした。突然扉がバタンと開いて、風がすっと吹き込んできました。小さな踊り子の娘は、まるで空気の精のように、はらりと風にひるがえされて、ストーブの中にいる一本足のすずの兵隊のところに飛んでいきました。

そしてあっという間に炎にまかれ、めらめらと燃え上がって消えてしまいました。そして、そのときには、すずの兵隊もやはり溶けて、そこにすずの塊を作っていました。

あくる朝になってメイドがストーブの灰を掻い出してみると、あの一本足の兵隊は、小さなハート形のすずの塊になっていました。それから、小さな踊り子の娘は、金モールの飾りだけが残っていました。しかし、もちろん、それだって黒焦げでした、と物語は結ばれます

-1838年-



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アンデルセン童話の中で一番好きな物語です。

タイトルは”丈夫な”とありますが、最後、炎の中で燃え尽き溶けてしまいます。溶けても尚、ハート型の塊となって志を遂げる心の強さを、”丈夫な”と言い表しているのでしょうか。



童話作家という方たちは、無機物に命を吹き込むという魔法を使います。この物語では、一本足のすずの兵隊に、人間という存在の儚さ、切なさを見事に宿しました。

これは論理的には形をなさず、曖昧かもしれませんが、子どもの持つ視点と同じです。例えば、子どもは人形が好きです。

しかし、この物語では、子どものもつ残酷さも、同時に表現されています。人形はぞんざいに扱われます。

子どもたちは、この物語を読んで、自分の中にある、相対する情動を、どう処理するのでしょうか。子どもが大人へ成長する段階で、非常に有意義な葛藤を、この物語はモチーフとして提供しています。



わたしの大好きな作家で、アンデルセンの伝記、『アンデルセン―夢をさがしあてた詩人』を書いたルーマー・ゴッデンの著作である『人形の家』は、この物語にインスピレーションを受けたのではないかと思っています。

共に、人形という無機物に命を注ぎ込み、終盤、クライマックスで、主人公か、主人公に準する登場者が、炎の中で燃え尽きて消えてしまいます。



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18:25 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『にせ八卦』 思わずついた嘘がハッピーエンドをもたらす物語
むかし、あるところに、たいそうな分限者と、そのひぐらしの貧乏人が、隣どうしで住んでいました。

分限者は、貧乏人の男がやってくると、金の茶壺を自慢しました。貧乏人の男はいつも自慢されるものだから、だんだん癪に障ってきて、この茶壺を隠してやれと思いました。

そして、分限者が用を足しにいったすきに、台所にある、穴の空いた水瓶に、茶壺を隠して帰りました。



二、三日経つと、分限者の家では、宝物の茶壺がなくなったと大騒ぎになります。貧乏人の男は、これを聞くと悪いことをしたと思いましたが、隠し場所をすっかり忘れてしまっていました。

さて、何処へ隠したか。貧乏人の男はあんまり考え込んだので、腹が痛くなって寝込んでしまいました。女房は、亭主に腹の薬を煎じて飲ませようと水瓶をのぞいたところ、水がありません。

女房は「おまえさん、水瓶が空っぽだから水を汲みに行ってくるよ」といいいました。その声を聞いたとたん、貧乏人の男は分限者の宝を隠したところを思い出します。そう水瓶です。

貧乏人の男は、すぐに分限者の家にとんでいきました。けれども、今更自分が茶壺を隠したともいえません。

そこで貧乏人の男は、「八卦(はっけ、占いのひとつ)ができるから、それで茶壺のありかを占ってやろう」といって、自分が茶壺を隠したところをそらんじました。当然宝物は見つかります。



この騒ぎを大阪から来ていた商人が、じっと見ていました。商人は貧乏人の男を占いの名人と見込んで、病に伏せている問屋の娘を見てもらおうと、貧乏人の男に大阪行きを頼み込みました。

貧乏人の男は、驚いて断りますが、大阪の商人もあきらめません。貧乏人の男はやけくそになって、なるようになれと承知をしました。にせ八卦師の誕生です。



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ふたりは、途中の町にあった宿屋に、宿をとろうとしますが、宿の主人が、今日は取り込み中だから泊めることができないといいます。聞けば百両のお金が盗まれたといいます。

しかし商人は、「それなら心配はいらない。ここには日本一の八卦見がいるから力になる」といって、無理やり宿屋に泊まりました。

宿の主人は貧乏人の男に、さっそく占いを頼みました。貧乏人の男は、あわてて、「自分の八卦は、夜になって周りが静かにならないと当たらない」とごまかしました。

さて夜になりました。貧乏人の男は逃げ出すつもりでいます。宿のものには、「占いには、握り飯五個と、酒一升、それにわらじ二足が必要だ」といって揃えさせました。

また、「自分が手を打つまで、ひとりにしてくれ」といい、部屋にこもって逃げ出すすきをうかがいました。



そして貧乏人の男は、みんなもう寝たろうかと耳を澄ませていると、縁側の方から足音が聞こえてきます。貧乏人の男は、あわてて占いの真似事をしていると、障子がすっと開いて、十七、八の娘が入ってきました。

娘は「百両のお金は自分が盗んだ。盗んだお金は裏の明神さまのお宮の天井にある」といい出します。日本一の八卦見には自分の悪事が見抜かれてしまうのであろうと思い、白状しにきたのです。

そして娘は「病気の母のために、どうしてもお金が必要だったのです。どうか見逃してください」といいました。

貧乏人の男は、しめたと思い、さっそく手を打って宿のものを呼び、娘の仕業だとはいわず、盗まれたお金のありかだけを宿の主人に知らせてやりました。



翌朝、裏の明神さまのところへいってみると、当然ですが本当に百両は見つかりました。宿の主人はたいへん喜び、貧乏人の男に十両の礼をしました。

しかし貧乏人の男は、宿を立つときに、「明神さまのお宮を、新しく立て直してほしい」といって、お金をすべて置いていきました。



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ふたりはいよいよ大阪に着きました。問屋の娘は相変わらず重い病で、明日をもしれない様子です。商人は、さっそく貧乏人の男に問屋の娘を見させます。その晩、貧乏人の男は、問屋の主に大変なもてなしを受けます。

さて貧乏人の男は、今度も困ってしまいました。またしても、宿屋で使った手を用いて逃げ出そうとします。

そして夜が更けてそろそろ逃げ出そうとしました。するとその時、廊下をみしりみしりと近づいてくる足音が聞こえます。

貧乏人の男は、あわてて占いの真似事をしていると、白い髭の老人が、杖を突いて部屋に入ってきました。

その老人は自分を明神だといいます。そしてお宮を直してくれた礼をするといい、問屋の娘の病を治す方法を教えてくれました。

明神さまは「娘の病は、この家を立てるときに、大黒柱の下に観音様の絵があって、下敷きになっているから、そのせいで娘にたたっているのだ。その観音様を助け出せば、娘の病は治る。大黒柱の下を掘ってみよ」といいました。明神さまはそういうと消えてしまいました。

貧乏人の男は、これはありがたいと思って手を打ち、問屋の主を呼ぶと、明神さまにいわれたことをそのまま問屋の主に話しました。



翌日問屋の主は、大勢の職人を頼んで、大黒柱の下を掘らせると、本当に柱の下には、観音様の絵が押しつぶされていました。問屋の主はそれを取りだすとこんどは氏神さまとしてお祭りしました。

問屋の娘の病は、たちまち良くなりすっかり元気になりました。問屋の主は貧乏人の男をたいそうありがたがり「日本一の八卦見だ」といって百両の礼をしました。



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貧乏人の男はそれをもらって、さっそく国に変えると、女房は食べるものもなく困っていました。

けれども、百両のお金で、たちまち隣の分限者にも負けないほどの立派な長者になった、と物語は結ばれます。



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嘘というと、あるうしろめたさを伴うものです。「嘘つきは泥棒の始まり」など、嘘にまつわる否定的なことわざは多数あります。

しかし、この物語では、神様までもが、主人公の嘘に加担します。そして、うしろめたさとはうらはらに、ユーモラスに明るく物語は語られ、ハッピーエンドを迎えます。

主人公のは貧乏人の男は、基本的に善人であり、嘘は、あくまで悪気のないものととらえました。

それどころか、貧乏人の男による、にせ八卦は、出会う人々を救っていくのです。嘘の肯定的用法さえ示しているようにも思えました。

善い嘘があったとして、善い嘘のあり方の、昔話的な表現、あるいは、日本の昔話の語りべである日本の農民の明るさに、心うたれます。しかし、ある意味、子ども向けのお話ではありませんね…。



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18:31 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『あわふむな』 それとなく繋がっているかもしれないという世界観
むかし、貧しい母親が、子どもを三人残して亡くなりました。

あんまり貧しかったので、誰も葬式に来てくれる者もなく、お墓に送るときも、行列に加わって、泣いてくれる人もありませんでした。

子どもたちは仕方なく、ふたりが棺桶をかつぎ、ひとりが棺桶のあとから、「ああ、悲しいよう、悲しいよう」と鳴きながらついていきました。



畑の中の道を通っていくと、三味線ひきが、子どもたちの寂しい行列を見て、「かわいそうに。それじゃあ、わたしが三味線をひいて、野辺送り(遺骸を埋葬地または火葬場まで運び送ること)をしてあげよう」といいました。

三味線ひきは、「ああ悲しやのう、チリンコ、ツンテン」と三味線を弾きながら、一緒についていってくれました。



するとそこへ鼓打ちが加わり、三味線引きのあとから「ああ悲しやのう、チリンコ、ツンテン、チャポンポン」鼓を打ちながら、一緒についていってくれました。

さらには太鼓打ちが加わり、「ああ悲しいぞ、悲しいぞ、チリンコ、ツンテン、チャポンポン、ドロスコドンドン、スットントン」と太鼓を叩きながら、一緒についていってくれました。行列はこうして段々賑やかになりました。



棺桶を先頭に、みんなで調子を合わせて粟畑の道を通っていくと、粟畑の持ち主が飛び出してきて、「粟踏むな、粟踏むな」と大声を張り上げました。

けれども行列の人たちは、賑やかにやっているので、ちっとも聞こえません。粟畑の持ち主は、ますます大声をあげますが、いつの間にやら「あわふむなー、あわふむなー」と身振り手振りで踊りだしました。

そして粟畑の持ち主まで、終いには、踊りながら葬式の列のあとについていきました。「ああ悲しいよう、悲しいよう、チリンコ、ツンテン、チャポンポン、ドロスコドンドン、スットントン、あわふむなー、あわふむなー」

こうして、はじめは、誰も泣き悲しんでくれる人のなかった寂しい葬式の行列は、鳴り物入りの賑やかな行列に変わって、子どもたちは立派に母さんのお弔いができました、と物語は結ばれます。



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この物語では、赤の他人であった者たちが、三人兄弟を哀れんで情けをかけます。粟畑の持ち主に至っては、その場の空気に飲まれて、参加してしまいました。

現代の日常世界では、この物語のように、赤の他人に情けをかける場面は、少なくなったのかもしれません。皆、忙しく過ごしているので、そのようなことを行う方は、時間と心に余裕のある方に限られるでしょう。

しかし、少なくなったとはいえ、現代はインターネットの時代、諸々の障害が取っ払われて、広い範囲から、このような場面に参加できるようになりました。

すべての人と人は、どこかでそれとなく、繋がっているのかもしれません。



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18:40 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『いわいめでたや、おもしろや』 名前に関する笑い話
短いお話です。

むかし、あるところに、お百姓の夫婦がいました。初めての子が生まれると、夫婦はたいへん喜んで、その男の子に、よい名前をつけなければと思い、「いわいめでたや」と名付けました。

それから何年か経って、弟が生まれました。夫婦は兄はめでたい名をつけたから、弟には面白い名が良かろうと思い、「おもしろや」と名付けました。兄弟は大きくなって、父の手助けをして働くようになりました。



ある日、兄の、「いわいめでたや」が、山へ薪を取りにいきました。ところがその留守に、父親が急の病でなくなってしまいます。弟の「おもしろや」は、どうしていいかわかりません。すぐ山へ兄を呼びにいきました。

山へいくと弟は、「いわいめでたやあ、親父が死んだぞう」と叫びました。けれども兄からの返事がないので、山の奥へ奥へと歩きながら、何度も「いわいめでたやあ、親父が死んだぞう」と叫びました。

山で働いていた村の男たちは、これを聞くと、「親父が死んだのに『いわいめでたや』とはとんでもないやつだ」とあきれかえりました。



そのうち、ようやく、弟の叫び声を聞きつけた兄が「それは本当か、おもしろやあ」と返事をしながら山を降りてきました。

村の男たちは「親父が死んだのに、今度は『おもしろや』とはとんでもないやつだ」と怒りました。

そのため、「いわいめでたや」と「おもしろや」の兄弟は、村の男たちに捕まえられ、庄屋さまのところに連れて行かれて、さんざん叱られた、と物語は結ばれます。



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兄弟は、何も悪くはないのですが、両親が良かれと思ってつけた名があだとなり、村人から叱られるはめになります。気の毒ですが、笑い話ですね。



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18:27 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『幸福の長靴』 H.C.アンデルセン 魔法を持て余してしまう人間という存在
アンデルセン童話の中では比較的長編です。あらすじはだいぶ端折ってます。

一、始まり

コペンハーゲンの中心街からそう遠くない場所の、ある家で、盛大なパーティーが開かれました。パーティーというものはどうしても開かねばならないようにできています。一度客を招待すると次は必ず先方がこちらを招待するからです。

客の半分はトランプ台にかじりつき、もう半分は女主人の会話に加わりました。その会話の中では、中世の出来事も話題になりました。法律顧問官は中世という時代の素晴らしさを熱弁しました。女主人もそれに賛成しました。法律顧問官はことのほかハンス王の時代を褒め称えました。



さて議論が進む間、私たちは控えの間をのぞいてみましょう。ここにはふたりのメイドさんがいました。しかしよくよくふたりを見てみると彼女らは妖精でした。

若い方は「幸福」の女神といいたいところですが、女神の侍女に使える召使でした。しかし彼女とて、少しばかりの幸福の贈り物を持ち歩いていました。

年老いた方は「心配」と呼ばれる妖精で、かなり暗い様子です。彼女は常々、自分ひとりで仕事を全うしようと心がけていました。なぜならそうした方がうまくいくと知っていたからです。

「幸福」の召使は、誕生日の祝いに一足の長靴をもらったので、それを人間たちの世界に持っていくところでした。この長靴は履いた者は、誰であろうと行きたい場所に行けるし、どんな時代にも行けるし、どんな願いでも叶う幸福の長靴だといいます。そしてこれで人間も幸せになれるといいました。

年老いた「心配」は「幸福」の召使がなんと言おうがその長靴を履いたら人間は不幸になり、それを脱いだ瞬間ありがたく思うようになると反対しました。

しかし「幸福」の召使は、その幸福の長靴を、家の出入り口の扉のそばに置きました。誰かがきっと、履いていくに違いないと思っていました。





ニ、法律顧問官に起こったこと

夜も更け、ハンス王の時代に思いを寄せていた法律顧問官は。パーティーから家に帰ろうとして、運命に命じられたかのように自分の靴ではなく幸福の長靴履くと、東通りに向かいました。

すると法律顧問官はなんと300年前のハンス王の時代に入り込んでいたのです。景色はがらりと変わり、整備された舗道もなければ街灯もありません。しかし彼は自分がどんな時代にいるともしれません。

町で出会う人々は奇妙な服装をしています。彼らとの会話も、どこか噛み合いません。家に帰ろうものの目的は果たせませんでした。法律顧問官は、パーティーで酒に酔ったものと思い込みました。

法律顧問官は助けを得るべく、一軒の居酒屋に入りますが、そこでも話は噛み合わず、しまいには、この時代の人々の間で広まる歓待を受けるのですが、彼はそれを粗野で下品なものと受け取ります。

彼はこんなひどい目に合うのは初めてだと思い、這うように店をあとにしようとすると、出口に着くまでに、皆に足をつかまれ、運良く幸福の長靴が脱げ、魔法は解けました。

法律顧問官は明るい街灯に照らされた現代の東通りに這いつくばっていました。彼には、すべてが懐かしく、美しく見えました。彼は夢でも見ていたのかとつぶやきました。

そして、自分の体験した恐怖と不安を思い出して、心の底から、ハンス王朝を崇拝する自分が間違っていたことを思い、今の時代にいきていることの幸せを噛み締めていました。





三、夜警の冒険

通りに落ちていた長靴を拾った夜警は、その長靴を、きっと二階に住む中尉のものだと思いながら、その温かそうな長靴に足を通しました。

そして夜警は、幸せな男とは、温かい寝床を持ちながら、そこでは眠らず夜中部屋を行ったり来たり。女房、子どもがおらず、毎晩、宴会三昧の、中尉のような人のことをいうのだと考えました。そして自分にもそのような生活を望みました。

その瞬間、夜警の履いていた長靴は力を発揮しました。夜警はたちまち中尉になってしまったのです。

すると夜警は中尉の悲しみを知ります。中尉は夜警をうらやんでいました。夜警には、妻も子どももあり、子どもは父の悲しみに涙し、父の喜びに笑うのです。人生には、ささやかな期待と願望があれば、それでいいのです。そう思った瞬間に夜警は、再び夜警に戻りました。彼がそう望んだからです。



夜警はおかしな夢を見たもんだと思いました。そしてそれらの夢を追い払うことができないでいました。夜警は、長靴を履きながら、うとうとしていると流れ星を見ました。

俺達は死んじまうと別の星に飛んでいくというけれど、それを確かめるために、夜警は、ふと星が見たいものだと思い、ことのほか月が見たいものだと思いました。

するとなんと彼は月まで行ってしまうのです。そして月の人と話などしています。夜警に起こったことを説明しましょう。魂にとって、星間距離の移動などわけのないことなのです。しかし肉体は死んで地上に残されました。死体は病院に運ばれました。

もしも夜警の魂が、その時たまたま東通りに戻ってきて、体を見つけることができなかったなら、さぞかしおかしなことになっていたでしょう。しかし魂は賢く、ヘマをしません。ヘマをするのは肉体に宿ったときだけです。

死体は病院の死体洗いの部屋に置かれ、長靴は当然脱がされました。すると魂は一直線に肉体に戻りました。夜警は息を吹き返します。夜警にとってこんな恐ろしい経験はありませんでした。





四、波乱万丈の瞬間─もっとも珍しい旅行

夜警が長靴を忘れていった病院でのことです。若いボランティアの男がいて病院の宿直を任されていました。しかし彼は町に出かけたくて仕方ありませんでした。

ほんの十五分ほどで用は済むので、もし簡単に鉄の柵の格子の間を通り抜けることができれば、門番の了解を得る必要はないと思っていました。しかし彼の頭は大きく柵の格子の間を通り抜けることは困難が予想されました。また外は土砂降りです。

ボランティアの男は、ふと長靴を見つけ、土砂降りにはもってこいだと思い、それを履いて外へ出ました。そしてどうか柵の格子を頭が通りますようにと願ってくぐると、わけなく頭は通り抜けました。

そして今度は体を通そうとします。しかし、どういうわけか体を抜くことができませんでした。男はしかたなく戻ろうとしますが今度は頭が引っかかって戻りません。彼は柵に囚われてしまいました。

このままでは町の者の。笑いものです。なんとか抜け出ることができればいいのにと口にすると、わけなく頭は柵の格子から抜けました。はじめから長靴に願えばよかったのでしょうが、そんなことは彼には思いつきませんでした。



ある晩、ボランティアの男は、まだぬかるむ通りの状態に重宝したので長靴を履いたまま、素人劇団の公演を見ました。そしてそれに感激し、劇に出てくる、他人の心を見る眼鏡を持つことができたなら、さぞかし楽しいだろうと思いました。

するとそれに長靴が反応して、ボランティアの男の体は縮んで消え、人々の心の中を通るという世にも奇妙な旅が始まりました。ボランティアの男は人々の心を次々と通過し、彼はこれらを馬鹿げた空想のなせる技だと思いふらふらになりました。

ボランティアの男は自分が狂人の素質があると思い込み、なんとかしなければと思い、まずはサウナに入ることを思いつきます。すると彼は、昨晩の服装のまま長靴を履いて本当にサウナの中に入っているのでした。風呂番は驚きました。





五、書記の変身

みなさんも、まだ、あの夜警のことを忘れていないでしょう。彼はしばらく経って長靴のことを思い出し、病院にいってそれを取り戻りました。しかし、あの通りに住む中尉も、その他の人々も、長靴を自分のものだと言わなかったので、夜警は長靴を警察に届けました。

さて、未解決の記録を調べていた書記のひとりが、この落とし物の長靴をを自分のものと並べて見比べ、そっくりだと思い、誤って幸福の長靴を自分の長靴と間違えてしまいます。警察の書記だからといって間違いを侵さないとは限りません。

彼は幸福の長靴を履いて、公園に散歩に出かけました。我々は彼の散歩をうらやんではなりません。物静かで勤勉な彼にとっての息抜きはこの散歩ぐらいなのですから。

彼は知人の若い詩人に出会います。書記は詩人が夏の旅行にいくと聞いて、彼の自由のうらやみました。詩人は書記の生活の糧になるであろう老後の年金をうらやみました。どちらが不幸かをお互いに譲りません。

さて、書記は詩人になってみたいものだと思いました。すると彼は詩人になっていました。書記は今自分の感覚がいつもとはまるで違い何もかもがはっきりと見えました。まるでスッキリと目覚めたあとのような感覚を持ちました。しかしこれは夢の中の出来事であろうとも思いました。



そして飛ぶ鳥を眺め、何かに変わることができるなら小さなヒバリになろうといったとたん書記はヒバリになりました。彼はヒバリになって飛び回り、また別の夢を見ているようでした。

しかし見習い水夫の少年に捕まえられ、また別のふたりの少年に数シリングのお金で買われ、彼らの家に連れて行かれ鳥かごに入れられました。

彼らの家には先住の鳥がいました。「さあ、人間になりましょう!」を口癖とするオウムと、あくまで自然の中での自由な暮らしに憧れるカナリヤです。

ある時書記は鳥かごの扉が閉め忘れられていたので逃げ出しました。その時、猫が忍び寄り飛びついてきたのですが、必死に窓から飛び出し通りを越して逃げ、偶然にも書記は自分の住んでいた部屋に飛び込みました。

そして心ならずもオウムに習って「さあ、人間になりましょう!」というと、書記は人間の姿に戻りました。それにしてもひどい夢を見たものだと書記は思いました。





六、長靴のした最善のこと

明くる日の早朝、書記が寝ているうちから若い神学生が書記の部屋のドアを叩きました。彼は同じ階の住人でした。神学生は長靴を貸してくれないかといいました。庭がかなりぬかるんでいるけれど太陽が明るく輝いている。外でタバコを一服するために必要だとのことでした。長靴を履くとすぐに彼は庭に降りていきました。

神学生は小道を行ったり来たりしました。そして旅にまさる幸福はない、旅こそ自分の最高の目標だといいました。この国から遠くに旅に出ることができたなら、この落ち着かない気持ちも静まるのにといい、美しいスイスそれからイタリア、それからさらにさらにといいました。この言葉に長靴は即座に反応しました。神学生はスイスにいました。

やがて雪が降り始め冷たい風が噴き始めました。すると学生はアルプスの反対側にいれば夏なのにというと、彼はイタリアにいるのでした。彼は旅に疲れると、この体さえなければ魂は飛び回れるのにそして一番の幸福を手に入れたいんだといいました。

すると即座に彼は自分の家に帰っていました。床の中央には棺が置かれ、そこには今や静かに眠りについた学生が横たわっていました。願望が実現し肉体は静止し、魂は旅立ったのです。ソロンの言葉にこんなものがあります「墓に入るまでは何人も幸福とはいえない」



ふたつの人影が部屋を動き回っていました。私達はそのふたりを知っています。ひとりは「心配」という妖精であり、もうひとりが「幸福」の召使でした。ふたりは死者の上に身をかがめました。

「心配」の妖精は「幸福」の召使にいいました。「あなたの幸せの長靴はいったいどんな幸福を人間にもたらしたというの?」幸福の召使は「少なくともここに眠っている人には永遠の幸福をもたらしたは」と答えました。

「それは違うわ。彼は自分で死んだのであって召されたのではないのですもの」と「心配」の妖精が言い返しました。そして「心配」の妖精は「この人は自分に運命づけられた宝物を見つけられるほど賢くなかったのね。ではわたしが彼に恵みをほどこしてあげましょう」と彼の足から長靴を脱がせました。

死の眠りから覚め、元気になった神学生が起き上がりました。「心配」の妖精は姿を消し同時に長靴も姿を消しました。きっと「心配」は幸福の長靴を自分のものとしてしまったのでしょう、と物語は結ばれます。

-1838年-



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「幸福」の召使と、「心配」の妖精が、対立しながら物語を俯瞰しています。そして「幸福」の召使のもたらした、どんな願いでも叶えてくれる幸福の長靴は、用い方を知らされなかったとはいえ、人間にはその効力は持て余す代物であり、人々に幸福をもたらしませんでした。そんな様子がユーモラスに語られます。



幸福の長靴とは、魔法の長靴と行ってもいいでしょう。魔法は素晴らしい力ですが、普通の人間には御しきれないのだと思います。なぜなら、魔法以前にそれを実現させようとする人間の願いとは、どこかとらえどころがなく、現実に即して具現化することが難しいからです。

よって魔法による、それらの実現が行われても、我々一般人は、戸惑うばかりなのではないでしょうか。こんなはずではなかったと思うのです。



結びで、その幸福の長靴ががもたらした最善のことは、「心配」の妖精が、幸福の長靴もろとも消滅したことをあげていますが、含みがあり、いろいろな解釈ができます。



幸福の長靴に類似するアイテムは、民話にも散見されます。



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18:22 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『みなごろし、半ごろし』 勘違いは往々にして避けられないもの
短いお話です。

むかし、むかしのこと、ひとりの旅人がとぼとぼ歩いているうちに日が暮れてきました。

どこかに泊めてもらおうと歩いていると、大きな家があったので、戸を叩き宿を頼みました。すると家の人は「どうぞ、どうぞ」と泊めてくれることになりました。

旅人は、晩御飯のあと、囲炉裏の火にあたりながら、家の人たちと楽しくよもやま話をしました。そして家の人が「お疲れでしょうから、そろそろ休んでください」というので床につきました。

さて、真夜中になって旅人は、ふと目を覚ますと、隣の部屋からこの家の女房が亭主に話している声が聞こえてきます。

「ねえあんた明日の朝はみなごろしにしようか、半ごろしにしようか」

旅人は、びっくりしていると、今度は亭主が女房に答えました。

「そうだなあ、みなごろしは面倒だから、はんごろしにしたらどうだ」

旅人は、あのふたりは、おれを殺す気でいるんだと思い、飛び起きて一目散に逃げ出しました。真っ暗な夜道を走りに走って一軒の家に飛び込むと、ついさっきの出来事を話しました。

すると、その家のばあさんが、大笑いして、「おまえさんは殺されるんじゃなかったんだよ。そこの衆は、おまえさんに、うんとごちそうをする気でいたんだよ」と教えてくれました。

そして「ここらじゃ『みなごろし』は、もち米をすっかり突いて餅にしてからおはぎを作ることだし、『半ごろし』ってのは、もち米を半分潰しておはぎを作ることなのさ」とばあさんはいいました。

旅人はそれを聞いて「なんだ、それじゃあおれは、おはぎをごちそうになりそこなったのか。心配して大損をしてしまったのだなあ」といった、と物語は結ばれます。



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意思疎通が交わされる両者の間で、行き違いがあると、このお話のように、妙な勘違いが生じてしまいます。

我々は、日々コミュニケーションをしているわけですが、それが、すみやかで円滑なものであれば、勘違いも生じないはずだと思いがちですが、現実には生じてしまいます。

そんなことが、昔から笑い話として語られているのだと思います。



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18:29 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『髪そりぎつね』 日本昔話でお馴染みの人を化かすきつねの話
むかしある村の男が、隣り村に用を足しに出かけました。日暮れになって山道に差し掛かると、行く手にきつねが一匹現れて先を歩いていました。

そして、きつねはぶるっと体をふるわせたかと思うと、きれいな女の人に化けていました。さらに、道に落ちている石を拾って揺すったと思うと、石は赤ん坊になりました。きれいな女は赤ん坊をだいて、すたすたと山道を歩いていきました。



男は後をつけると、女は大きな百姓家屋に入っていきました。男は外から百姓家の中の様子をうかがっていると、家の者たちは、「おおよく帰ってきた。かわいい赤ん坊だ」と、女と子どもを迎えています。

男は、家の者たちに、きつねに化かされているの知らせるため、家の中に入って、「騙されちゃいけない。その女は、おたくの娘さんではなく、きつねが化けているんだ。たった今、道で化けるところを見たんだから間違いない」と大声でいいました。

ところが家の者たちは、「何をいうこれは嫁にやったうちの娘だ。今日は孫を見せに里帰りしたところだ。おかしなことをいうな」と怒りました。

男は「いや本当のことなんだ。嘘だと思うなら囲炉裏の火であぶってみろ。尻尾を出すから」というと家の者たちはますます怒りましたが、男は「いやいや、ほんとうにきつねにだまされているのだ」というなり女を火にあぶりました。

女は尻尾など出さず、ぐったりしたかと思うと死んでしまいました。家の中は大騒ぎになりました。

家の者は、「よくもうちの娘を殺したな。どうしてくれる」とすごみます。男は、娘が死んでしまったので真っ青になり、あれはたしかにきつねで、娘のはずはないと思いながらも、おれは人殺しをしてしまったと思い込み、死んでお詫びをしようという気になっていました。



そこへ和尚さんが入ってきて、わけを聞くと、「どこの人か知らんが、死ぬほどの気持ちがあるなら、坊主になって娘さんの供養をしなさい。この家の人たちもそれで許してやってくれないか」といいました。

そこで男は、早速髪の毛を和尚さんに剃ってもらうことにしました。和尚さんは男の髪を剃り始めましたが、その痛いのなんの。髪の毛を一本一本引き抜かれているようでした。しかし男は女の供養のためと思い、涙をぼろぼろと流しながら我慢しました。

男は、もう我慢できないと思ったところ、背中をぽんと叩かれました。振り向くと、顔見知りの村の人が立ています。村の人は、「おまえそんなところで涙を流して何をしているんだ」と問いました。

男はこれまでのいきさつを話しました。すると村の人は、「しっかりしろ。おまえの後ろにいたのはきつねだ。きつねがおまえの髪をくわえちゃ引っ張っていたぞ」といいました。

男はそういわれてあたりを見回すと、そこには百姓家などなくただの林の中でした、と物語は結ばれます。



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それにしても昔話にはきつねという動物が好まれて登場しますね。日本と西洋のきつねは少しタイプが違います。

西洋の場合、動物寓話に登場して、ずる賢い存在を演じていますが、日本の場合、きつねが人をばかすものが多いですね。

日本の昔話には、似通った話も多いのですが、一番近いと思ったのは『穴のぞき』です。



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18:18 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『くさかった』 日本特有の屁を題材とした昔話たち
短いお話です。

むかし、むかしのそのむかし、あるところに、じいさんとばあさんがいました。

ある日のこと、じいさんは山へ芝刈りに、ばあさんは川へ洗濯にいきました。ばあさんが川でせっせと洗濯をしていると、川上から大きな大きないもが、ぶんつく、どんつく流れてきました。

ばあさんが、そのいもを拾って食べ始めると、お腹がぽんぽんに張ってきて、おならがぶんと飛び出しました。

すると、山で芝刈りをしていたはずのおじいさんは、芝を刈らずにくさかったと嘆いた、と物語は結ばれます。



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日本の昔話はおならの話が大好きです。『へこきじい』をはじめ、これまで語られたものをあげると、『豆っこの話』『くさった風』『二度咲く野菊』『へっぴり嫁ご』などがあげられます。

基本的に下ねたですが、カタルシスを伴う笑い話あり、どうしようもない人間の生理現象に対する言及があり、それぞれが、不思議な読後感を残します。

お話の始まりは『桃太郎』とほぼ同じです。桃がいもに変わり、自然とお話はご覧の通りに導かれます。



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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『皇帝の新しい服』 H.C.アンデルセン これ以上見かけない表現された鋭い子どもの視点
おなじみのお話です。別タイトルは『はだかの王様』です。

ずいぶん昔のこと、新しい服がことのほか好きで、服のためなら全財産を費やしても惜しくないという皇帝陛下がいました。何をするにも、新しい服を着て、みんなに見せびらかすという目的がなければちっとも気が進みません。

どこの国でも王様か皇帝陛下の様子話し合うのに、「陛下は、ただ今、閣議の最中でございます」とかいうのが通例でしたが、この皇帝に限っては、日中一時間ごとに服を着替えたので、「陛下は、ただ今、着替えの最中でございます」というのが決まり文句になっていました。



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皇帝が住む大きな町は、とてもにぎやかなで、毎日たくさんの異邦人が訪れていました。ある日そんな人々の中に、ふたりの詐欺師がまぎれこみます。

詐欺師たちは「俺達は仕立て屋で、この世の中で一番美しい服を仕立てる腕を持っている」と嘘を言いふらしました。

また、詐欺師たちは、「服地の方は、とびきり不思議なもので、就いている地位にふさわしくない者や、どうしようもなく頭の悪い者には、まるで見えない布地で織られている」とほらを吹きました。

皇帝は、彼らの作る服を、この上なく素晴らしいものに違いない思い、そしてその服を着て、誰が就いている仕事にふさわしくないか、賢者と愚者を選り分けてやろうと、彼らに多額の手付金を渡し、服を作る仕事に取り掛からせました。

ふたりの詐欺師はさっそく二台の旗を用意して布を織る真似を始めました。更にふたりは、最高級の絹と、混じりけのない金糸を要供しました。それらは皆、ふたりの詐欺師の懐に入りました。ふたりは夜遅くまで作業を続けました。



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あの仕立て屋どもが、どうやって布をおるのか見てみたいと思った皇帝は、ふと、彼らが織る布地は、「今の仕事にふさわしくないか、どうしようもなく頭が悪い者には見えない」という話を思い出しました。

皇帝は、もし自分に布地が見えなかったらという心配に襲われます。そこでまず別の者に布地の様子を見に向かわせることにしました。

その頃、不思議な布地の噂は、町中に広まっていました。人々は、誰が愚か者なのかを、知りたいと願っていました。

皇帝はまず、大臣に布地の様子を見に行かせました。あの賢い大臣なら立派に用を果たしてくれるだろうと思ったのです。



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そういうわけで善良な老大臣は布地の様子を見に行きました。しかし老大臣は唖然とします。彼には布地が見えませんでした。当たり前です。機にはもともと何もかかっていないのだから。しかしそれを正直にいうことははばかられました。

彼が大臣にふさわしくないということになってしまいます。このことは誰にも知られるわけにはいきませんでした。機をおる真似事をしている詐欺師に向かって「おお美しいぞ! ことのほか見事な!」といいました。

それから詐欺師たちは布地の様子を事細かく大臣に説明しました。大臣は彼らの言葉を一言一句聞き漏らすまいと気を使い、皇帝陛下に詐欺師から聞いたことをそのまま伝えました。

詐欺師たちは、さらに絹と金糸を要求し、機には少しもかけず、皆、自分たちの懐にしまい込みました。彼らは空の機を動かして仕事を続けました。

また、皇帝は、布地の完成の進捗状況を知るために、また別の役人を向かわせました。しかし彼を襲った状況も大臣と同じです。町ではこの素晴らしい服の噂でもちきりでした。



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さて、皇帝は、まだ布地が機にかかっているところを見ようと、選りすぐりの側近たちと、もうすでに見てきた大臣と役人を連れて、ふたりの詐欺師のもとを訪れました。

すでに布地を見ていた大臣と役人は布地を褒めそやします。ふたりは皆には布地が見えているものと信じていたからです。

「なんじゃと!」と皇帝は心の中で叫びました。彼には布地が見えなかったからです。「予は馬鹿者なのか? 皇帝にふさわしくない人間なのか? これほどの屈辱は初めてじゃ!」

しかしあわてて「いや実に美しい!」と声に出しました。見えないなどとは口が裂けてもいえません。

側近たちも、この服が出来上がったら、大行進に召されてはどうかと、口々に褒めそやしました。皇帝は、ふたりの詐欺師に「仕立て屋神士」の称号まで与えてしまいます。

大行進の前日、詐欺師たちは、夜なべ仕事をしました。精魂を傾けて服を仕上げていると、町の人たちに思い込ませるためでした。そして、いよいよ、服は完成します。



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大行進の日、皇帝は、一番位の高い側近を連れて詐欺師のもとに向かい、ありもしない見えない服を、蜘蛛の巣より軽い服だといわれ、詐欺師の手真似で着せられました。それを見て、また皆は、褒めそやしました。

皇帝は大鏡の前で一回りしました。その素晴らしい服を、しげしげと見るには、そうした方がいいだろうと思ったのです。

側近たちは、皇帝の服の裾を、地面からつまみ上げるふりをしました。自分には布地が見えないなどと間違っても気取られてはなりません。

さて大行進です。町の人々は、皆、皇帝の新しい服を褒めそやしました。誰も自分には見えないことを、おくびにも出しませんでした。

なぜなら、誰しも、自分が、地位ふさわしくないだの、馬鹿者とは思われたくなかったからです。結果、これだけの賛美を得た服は今までになく、皇帝陛下は大変満足しました。



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ところが、やがて、ひとりの幼子が「でもあのひと何も着てないよ」と、大声で言ってしまいました。子どもの言ったことは人々の間に耳打ちで伝わりました。そして「あのひとは何も着ていないよ!」と、集まった人々はいっせいに大声をあげました。

皇帝だって、その言葉が正しいことを知っていたので、息苦しくはなったけれど、「今は行進を続けなければ」と思い直し、前よりももっと胸を張りました。そして側近たちも見えない裾を持ち続けました、と物語は結ばれます。

-1837年-



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原作は、スペインの王族の、フアン・マヌエルが1335年に発表した寓話集「ルカノール伯爵」に収録された第32話「ある王といかさま機織り師たちに起こったこと」で、これをアンデルセンが翻案したものがこの物語です。アンデルセン童話の代表作にもなっています。

なんとも物語が表現する状況を想像すると笑みがこぼれてしまいます。子どもから見た大人の世界とは、こういうものなのではないでしょうか。

子供の頃の、かすかな記憶をたどると、思い当たる節があります。子どもの視点から表現されたであろうもので、これ以上のものは、あまり見かけません。

子どもの視点から描かれるので、真実を見抜くだけで、批判は有るか無いかであり、その結果、非常なユーモアがかもし出されます。

我々大人とは、どうしようもなく、毎日こうしたことをしているのではないでしょうか。子どもには、温かい視線で見守られているのです。



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18:39 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『へっぴり嫁ご』 長所と短所は紙一重
むかし、あるところに、母親と息子がいました。母親は息子が年頃になったので隣り村から娘を嫁にもらいました。

ところが、どうしたわけか、嫁の顔色が日増しに悪くなっていきます。母親は心配して、「どこかぐわいが悪いのか」と聞きますが、嫁は「なんともありません」と答えます。

それでも心配した母親は、嫁によくよく聞いてみると、嫁はうつむいて病持ちだと答えました。

母親は、「それならお医者さんにかかりなさい」といいますが、嫁は、「お医者さんに見てもらうような病ではない」と答えました。

母親は、「いったいどんな病なのか?」と聞きました。すると嫁は「屁が出る」というのです。母親は「何だそれくらいのこと遠慮せずにたれろたれろ」といいました。

母親がそういうと、嫁はほっとしたように、「それなら、土間に降りて臼にしっかり捕まっていてください」といい、安心して、ぼんがあー、と屁をたれました。

ところがそれはそれは大きな屁でした。母親は臼ごと天井に吹き飛ばされて、落ちてきたときには腰を打ってしまいました。あわてて嫁は母親を床に寝かせました。

夕方になって息子が帰ってくると、母親が床でうなり声をあげているので、どうしたのかと尋ねると母親は一部始終を話しました。

そして、嫁を女房として家に置くことはできないと判断した息子は、嫁を実家に返しに行きました。



嫁の村の入り口には大きな柿の木がありました。馬方のあらくれた男たちが、柿の実を落とそうと、下から木切れや石を投げています。ところが柿の実はひとつも落ちてきませんでした。

それを見た嫁は大きな声で笑いました。馬方たちは、「何がおかしい」と怒りますが、嫁は平気な顔で「わたしなら屁をたれて落としてみますけど」といいました。

馬方たちはますます怒って、それなら賭けをしようとすごみます。もし嫁が屁で柿を落とすことができたなら、馬方のすべての馬と馬につけた積み荷をやろうというのです。

ただしできなかったら、嫁は、馬方たちのものになるということに決まりました。まさかそんなことはできるまいと馬方たちは思ったのです。嫁は平気で承知しました。

息子はどうなることかとぶるぶる震えていると、嫁は柿の木の下へいって、ぱっと尻をまくりいきなり、ぼんがあー、と屁をたれました。

すると柿の木は、根っこからぐらぐら揺れて、柿の実が、ざざあっとみんな落ちてきました。馬方たちはあっけにとられます。嫁は賭けに勝ちました。

嫁は馬とその積み荷を手に入れます。息子は嫁を屁はたれるのが悪いくらいなもんで、宝嫁だと思い直し、実家に返すことをよしました。

息子は嫁を連れて家に帰り、嫁のために屁をたれてもいい屁屋を作りました。それが今の部屋の始まりです、と物語は結ばれます。



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何でも度を超してしまうと、病と判断してしまいがちです。はじめのうちは嫁自身も、自分を病と卑下しています。

ところが嫁は、離縁を切り出されて開き直ったのか、自身の悪癖と思ってきたことを解き放ちました。

するとひと財産稼いでしまうのです。なんと、悪癖だったものは、いつの間にか、アドバンテージに変わりました。離縁は解消されます。

お話の結びは、部屋という言葉の、由来端になっています。



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18:26 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『とら猫と和尚さん』 猫の恩返し
むかし、あるところに、ひどく貧乏なお寺がありました。お寺には檀家がおらず、和尚さんにお経を頼みに来る人もいませんでした。

和尚さんは、することもなし、お金もなし、囲炉裏にあたって、がくらー、がくらーと、居眠りばかりしていました。そこで村の人たちは、和尚さんのことを、「居眠り寺の和尚さま」と呼んでいました。

和尚さんは猫を一匹飼っていました。猫は「とら」という名のとら猫でした。和尚さんは粗末な夕ごはんが済むといつも「とら、とら、さあ寝よう。おいで、おいで」といいました。

するととらは、ひょいひょいひょいと、先に立って寝床に入り、和尚さんと一緒に、頭を並べて寝ました。



ある朝のこと、和尚さんは起きてみると、台所に、米だの味噌だの大根などがおいてあり、そのうえ魚まであるのです。

和尚さんは、おかしなこともあるものだ思いましたけれど、せっかくなので、それでごちそうを作り、とらと一緒に食べました。

ところが次の朝も、また次の朝も、起きてみると台所には、それらの食べ物がおいてあるのです。和尚さんはどうもおかしい、ひょっとすると、とらの仕業かもしれないと思い、ある日とうとう確かめてみることにしました。



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晩になって和尚さんはいつものようにとらと一緒に寝床に入りました。そしていびきをかいて寝たふりをしていると、案の定とらはこっそり寝床を抜け出して台所にいきます。

そしてとらは、手ぬぐいでほっかむりをすると、裏口の障子をそろそろっと開けて、外へ出ていきました。和尚さんはとらの後をつけました。

とらは、山のほうへ、ひぃひょいひょいと登っていきました。和尚さんも気づかれないように登っていくと、なんだかおかしな声がしてきます。



和尚さんは近づいてみると、大勢の猫が車座になって「とら殿御座ねば、とんと調子合わぬ。とら殿御座ねば、とんと調子合わぬ」と歌っているのでした。

和尚さんは木の陰からそっと見ていると、とらは、「やあやあやあ、遅くなって申し訳ない。今夜は和尚さまが、なかなか寝つかなくてな」と言い訳をして輪の中に入り、「さあさあ、踊ろう、踊ろう」と声をかけました。

とらが踊りだすと、他の猫たちも踊り始めました。とらは踊りの名人で集まった猫たちに踊りを教えていたのです。

踊りの稽古が終わると、猫たちは皆お礼に、米だの味噌だの大根だの魚だのを、とらの前に置きました。これらが、毎朝台所にある食べ物の正体だったのです。



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さてしばらくして、ある夜のこと和尚さんはとらの夢を見ました。とらは「和尚さま和尚さま。おれは今まで和尚さまに世話になってきたが、もう年取って長くは生きられない。でも生きているうちにもういっぺん、和尚さまに花を咲かせたい。おれの話をよく聞いてほしい」といって話し始めました。

「あと三、四日すると、長者のひとり娘が死んで葬式がある。お墓にお棺を埋める時、おれがお棺を宙吊りにして、誰にも降ろさせないようにするから、その時、和尚さまが、おれの名前を呼んでくれ。そうしたらお棺をお墓の中におろすから」といいました。

和尚さんはおかしな夢を見たものだと思いましたが、四日ほどすると、本当に長者のひとり娘が死にました。



長者の家では偉い和尚さまが大勢呼ばれ、立派なお葬式が行われました。ところがいざお棺をお墓に埋めようものの、お棺はスッスッスッスッと宙に浮いてしまい、どの偉い和尚さまがお経を上げてもお墓に納まりません。

誰かお棺をお墓に納めてくれる人がいないものかというときに、近所のばあさまが「もう一人頼んでねえ和尚さまがいる。ほれ居眠り寺の和尚さまだ」いいました。

偉い和尚さまができないことを、あの居眠りでらの和尚さまができるわけがないと皆はいいましたが、ものは試しと使いのものを呼びにやりました。



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使いのものが頼みに行ってみると、和尚さんは囲炉裏にあたって、がくらー、がくらーと居眠りをしていました。それでも使いの話を聞くと和尚さんはボロボロの衣を着てお墓に出かけていきました。

見ると本当にお棺が宙吊りになっていました。和尚さんは夢でとらがいっていた通りに「とらやー、とらや、なむとらや。なむとらやー、とらや、とらや」ととらの名を唱えました。するとお棺は、するするとおりてきて、お墓にぴたりと納まりました。

「なんともありがたい、ありがたい」長者は何編もお礼をいって、早速和尚さんを屋敷に招き、たいへんなごちそうを振る舞いました。それから朱塗りの籠で、居眠り寺まで送り届けてくれました。



そして長者は「こんなに立派な和尚さまを、あんなぶっ壊れた寺においておくのは申し訳がない」といって、間もなく立派なお寺に建て替えてくれました。

それからというもの村の人は、われもわれもと、この和尚さんのお寺の檀家になりました。こうして和尚さんは猫のおかげで一生楽に暮らしました、と物語は結ばれます。



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動物報恩譚のひとつに数えることができるでしょう。現実世界でも、猫に恩返しのようなことをされたというような話をよく聞くので、世界の民話にも、この手のお話が、もっとあって然るべきものではないかと思いました。

今のところ、猫が恩を返すお話、もしくわそれに類するお話は少数です。ありそうであまりないお話です。

和尚さんが、命を全うしたあとのことを思うと、和尚さんが、猫のとらと一緒に、天国でひっそりと慎ましく過ごしている様子が目に浮かびます。こんな人生もいいかもと感じています。



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18:18 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『絵猫とねずみ』 芸は身を助く、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
短いお話です。

むかし、あるところに、読み書きそろばんもそっちのけで、猫の絵ばかり描いている男の子がいました。

お父さんは呆れ果てて、とうとう、「おまえのような子はもういらん。どこへなりとも出ていけ」といいました。

男の子は、今まで書き溜めた猫の絵を風呂敷で背負って家を出ていきました。



日も暮れてきたので、男の子はどこか泊まるところはないかと思いながら歩いていると、崩れかけた古いお寺があったので、そこで寝ることにしました。

寺の中に入ってみると、ねずみの糞が一面に散らばっていました。男の子はそれを見ると背負ってきた猫の絵を長押(なげし、柱から柱へ渡して壁に取り付ける横木)にぞろぞろはって寝ました。



真夜中に男の子はダダダダッという大きな音で目を覚ましました。起き上がってみるとピカリピカリと青光りする目が天井からこちらを睨んでいます。

男の子は、化けものが出たとガタガタ震えていると、長押に貼った猫の絵から猫がいっせいに抜け出して、天井に駆け上がりました。そしてドタンバタンとたいへんな騒ぎが始まります。

そのうちに「ぎゃあっ」という恐ろしい叫び声がしてあとはシーンと静かになりました。

次の朝、男の子は昨夜の化けものの正体を確かめてみようと、おっかなびっくり天井裏へ上がってみました。するとそこには犬ほどもある大きなねずみが死んでいました。



それから男の子は、このお寺の住職におさまって、好きな猫の絵を好きなだけ描いて楽しく暮らしたということです、と物語は結ばれます。



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男の子は、はじめ、好きなことを父親に止められます。しかしそれでも続けていると、やがて、そのことが、生きていくための糧になりました。

また、男の子の描いた絵は、名人の域に達していたのでしょう。絵に描いた猫は現実に生成して男の子を救います。まさに「芸は身を助く」ですね。

それにしても好きなことを好きなだけやれるということは幸せなことです。我々も、そういう状況を体験します。しかし失うものの大きさを恐れて、継続を諦めてしまうのではないでしょうか。

この物語で失うものとは父親の庇護です。しかし、男の子は、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということわざの通り、父親の庇護を捨てて、自分を貫き通しました。たいへん勇気づけられます。



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18:35 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『旅の道連れ』 H.C.アンデルセン 善良な主人公が呼び寄せた幸運の道連れ
哀れなジョンはたいへん悲しんでいました。父親が重い病気を患い、全く助かる見込みがなかったのです。

そして父親は、「おまえは良い息子だジョン。世の中に出ても、きっと神様が助けてくれるだろう」といい、その瞬間息を引き取りました。

ジョンはさめざめと泣きました。この広大な世界にもう誰も身寄りがありません。ジョンはベッドのかたわらにひざまずき、死んだ父親の手にキスをし悲しみの涙を流していると、やがてまぶたをゆっくり閉じて寝入ってしまいました。

するとジョンは奇妙な夢を見ます。太陽と月がお辞儀をするのです。そして元気に生きている父親が出てきて、うれしいときの笑い声を聞いたように思いました。

そして頭に金色の冠を乗せた、輝くような長い髪の美女が、ジョンに手を差し伸べました。すると父親は「おや、きれいな花嫁さんをもらったなあ。世界で一番美しい人だよ」といいました。

ちょうどそこでジョンは夢から目を覚めました。相変わらず父親はベッドの上で冷たく横たわったままです。哀れなジョン!



次の週、父親は埋葬されました。心から愛した父親のすがたはもう二度と見ることができません。ジョンは「いつも良い人でいよう。そしてやがて、父さんのいる天国に行くんだ」と思いました。

ジョンはその時の様子を細かく思い描き、涙が頬を伝っているにもかかわらず、微笑むことができました。

「チュチュッ、チュチュッ」栗の木にとまった小鳥たちがさえずります。彼らは死んだ父親が地上で善い行いをしたおかげで、今は天国にいて、幸せに暮らしていることを喜んでいるかのようです。

ジョンは小鳥たちが緑の森から広大な空に飛び立つのを見て、鳥たちと共に飛び立ちたいと思いました。けれどのその前に、墓に立てる木の十字架を作らねばなりませんでした。

その日の夕方、作った十字架を持っていったジョンは、墓に花がたむけられているのを知ります。誰とも知らぬ人がしてくれたのだろう。善良な父親は皆から愛されていたから。



次の日の早朝、ジョンは小さな包をこしらえ、全財産50ドルと数シリングを帯にしまい、いちかばちか世の中に出る決心をしました。そして父親の墓にさよならをいいました。

それからジョンはもう一度振り返り古い教会を眺めました。幼い頃に洗礼を受け、毎週日曜日に、父親が連れて行ってくれた教会でした。説教を聞いたり賛美歌を歌ったりしたものです。

教会の頂上を見あげると、そこにある小窓のひとつに妖精が立っているのに気づきます。ジョンは頭を下げると、妖精は旅の無事を願っっていると知らせてくれました。ジョンは未知の国へ旅立ちました。



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やがて時は経ちました。きょうは日曜日でした。ジョンは未知の国の教会を訪ねました。教会の墓地にはたくさんの墓があり、そのうちのいくつかは草が鬱蒼と覆い茂っていました。

自分の父親の墓も、こんな様子だろうとしみじみと思い、墓地にかがみ込んで長く伸びた草を引き抜き、倒れた十字架を起し、花輪を取り替えました。

そして「父親のお墓もこうして誰かが世話をしてくれているだろう」と思いました。墓地の門を出ると年老いた乞食がいたのでジョンは「どうぞ」といって銀貨を与えました。旅は続きます。



夕方にはひどい嵐に襲われ、人里離れてぽつんと建っている教会に着く頃には、随分と暗くなっていました。教会に入るとジョンは祈りを捧げ、いつしか疲れて眠り込んでしまいました。

目が覚めると真夜中でした。ふと見ると蓋のあいた棺が教会の中央に置かれていました。その中には死んだ男が横たわり、埋葬されるのを待っていました。

そこへふたりの男が、立っていました。そして死人を棺から出し、教会の外へ投げ出そうとしています。ジョンはふたりの男に尋ねました。

「あなた方はなぜそんなことをするのですか。悪いことですよ。キリストの名において安らかに眠らせてあげましょう」

するとふたりの男は答えました。「馬鹿らしい。こいつは俺達に金を返さなかった。だからこうして仕返しをしているのさ」

ジョンは「ここにわたしの全財産の50ドルがある。あなた方がその人をそっとしておいてくれるなら、これを差し上げましょう。わたしはお金がなくなっても健康な体に手足ががあり、神様がいつだって助けてくれますから」

ふたりの男は「おまえがこいつの借金を返してくれるなら上等だ。約束しよう」といって、ジョンのお人好しを嘲けりながら立ち去りました。

ジョンは死体を棺に戻し、両手を折り重ねてやり、別れを告げました。そして晴れやかな気分で教会をあとにしました。



美しい森を抜けていくと、木から月の光が差し込んできます。月光の下、ジョンの周りでは小さくてかわいい妖精が踊り回っています。

ジョンは人間にしては善良で、悪事をはたらかないことを知っていた妖精たちは、姿を隠そうとはしませんでした。

そう悪人には一瞬たんとも妖精を見ることができないのです。妖精たちは遊びに興じています。しかし日の出になると花の蕾にこっそりと潜り込みました。



ジョンが森を出ると見知らぬ男が、「おーい旅の人、どこへ行くんだい」と彼を呼び止めました。

ジョンは「この広い世の中へ!」と答えました。すると見知らぬ男は「おれもなんだ」と答え「道連れにならないか?」尋ねました。ジョンは「もちろん」と答えました。

ふたりは善良だったのですぐに仲良くなりました。しかしジョンは、この道連れの男が、自分より遥かに賢いことにも気づきました。

この道連れの男は、不思議な力を発揮する軟膏を使って、鞭やサーベルを手に入れ、最終的に白鳥の翼を手に入れます。



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ふたりはやがて大きな街へやってきました。ここの王様はとてもいい方でした。しかし、王様の娘であるお姫様は、誰よりも美しくありましたが、悪い魔女のようにとても残酷でした。

たとえ乞食でもお姫様に求婚できましたが、その際、お姫様が何を考えているか、三つのなぞに答えることができなければ、絞首刑にされるか首をはねられました。

お姫様に求婚するものは、引きも切りませんでしたが、これまでなぞに挑んだもので成功したものはおりません。皆殺されました。年老いた王様はお姫様の悪行を止めることができず、たいそう悲しんでいました。

ジョンはその話を聞くと「なんてひどいお姫様なんだろう」と憤慨しました。しかしお姫様の姿を見ると、皆と同じように、その美しさに邪悪なことも忘れてしまうのです。

いつしか父親が死んでしまったときに夢に出できた金の冠をかぶった美しい女性にそっくりだったので、ジョンはお姫様を愛さずにはおれませんでした。

そしてジョンは周りや道連れの男が止めるのも聞かず、きっとうまくいくと、お姫様に求婚することにしました。



ジョンは王様に謁見しました。そして王様は、ジョンが姫の求婚者だと知ると、こらえきれず涙を流して「あの子をどうかそっとしておいておくれ」といいました。

そして姫が愛でる、これまで処刑してきたものの骸骨が散乱する庭を見せました。「これを見ればわかるだろう?」年老いた王様はいいました。

「君の運命はここにいる人たちと同じだ。おやめなさい。予はとてもつらいのだ。彼らのことが心に刻まれているからね」と王様はいました。しかしジョンは、王様の手にキスをして、きっとうまくいきますと答えました

その時、お姫様がお付のものを従えて馬に乗って庭に入ってきました。お姫様はより一層美しく可愛らしく見えたので、ジョンはますます好きになってしまいました。「こんな美しいい姫が悪い魔女のはずがない!」と思いました。

いよいよジョンは城に行くお召しを受け、お姫様のなぞかけが始まりました。しかしジョンは少しも心配していませんでした。

先の心配などせず、美しい姫のことばかり考え、神様が何らかの方法で助けてくれるだろうと信じていました。しかし街中は大きな悲しみに包まれました。



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道連れの男は、それから、あの不思議な軟膏を使って得たアイテムを用いて、お姫様の身辺を探り、真実を知りました。お姫様はある悪い魔術師と通じていて、彼がお姫様が出すなぞを何にするのかも指示していることも突き止めます。

その後も道連れの男は、お姫様と魔術師の様子を探り、なぞの答えを知ることができたました。そしてそれをジョンに教えました。ジョンは見事にお姫様のなぞに答えていきます。

そしてとうとう最後の三つ目の謎を魔術師は、「予の頭のことを考えなさい」と姫にささやきました。道連れの男は、それをちゃんと聞いていました。

姫は城に戻り、魔術師が山に飛んで帰ろうとした時、道連れの男は、魔術師の頭をサーベルで切り落とし、体は海に投げ捨て魚たちにやって、頭の方を絹のハンカチで包み宿屋に持ち帰りました。

翌朝、道連れの男はジョンに絹のハンカチで包んだ例のものを差し出し、姫に三つ目のなぞを出されたときにその包を開けなさいと指示しました。



さて、お姫様は、公開の場で「わたしは何を考えているのでしょう」と三つ目のなぞを出しました。するとジョンは、すぐに道連れの男に指示されたようにハンカチを解くと、醜い魔術師の頭が転げ落ちました。

ジョンは誰よりもはじめに仰天しましたが、人々も皆、震えました。姫は石のように座ったまま一言も発することができません。三つ目のなぞを、正しく当てられてしまったからです。

姫は立ち上がるとジョンに手を差し出し、深いため息を着くと、「これであなたはわたしの旦那さんです。今晩わたくしたちの結婚式をあげましょう」といいました。

「こんな嬉しいことはない」と王様はいい、そこにいた皆は万歳を叫びました。楽隊が通りで音楽を演奏しながら行進し、そして教会の鐘が鳴り響き、菓子家のおばさんたちは砂糖菓子から黒い喪章を取り外しました。

人々は踊ったり飲んだり食べたりして祝福しました。しかし姫は魔女のままだったので、まだジョンを好きになることはできませんでした。



道連れの男はそのことに気づき、白鳥の羽から抜き取った三本の羽と、数滴の水薬の入った小瓶をジョンに渡し、「姫のベッドの横に水をはったバスタブをおいて、それに白鳥の羽と水薬を入れるように」と指示しました。

そして「姫がベッドで眠りについたら彼女を押して水の中に落としなさい。姫が水に落ちたら、三度、姫を水に浸しなさい」といいました。

ジョンは道連れの男に言われた通りにしました。一度水に浸すと姫は真っ黒な鳥になり、二度水に浸すと首に黒い輪のある白鳥になり、最後、三度水に浸すと、世にも美しいお姫様に変わりました。



翌朝王様は、すべての宮中の家来を連れて、ふたりにお祝いをいいに来ました。その行列は遅くまで引きも切りませんでした。最後に道連れの男が旅の様相でやってきました。

ジョンは、自分を救ってくれた彼に、この地に残ってくれないかと頼みましたが、彼は、「わたしの役目は終わったんだよ。わたしはただ借りをかえしただけだ。悪い男たちが棺から放り出そうとしていた、あの死んだ男を覚えているかい? 君は死んだ男が墓で安らかに眠れるように、全財産を投げ出した。実はわたしがその男なんだよ」そういった瞬間、道連れの男は消え失せました。

婚礼の祝いは丸ひと月続きました。ジョンとお姫様は心から互いに愛し合いました。年老いた王様は楽しい日々を送り、小さな孫達を膝に乗せました。そして後にジョンは、この国すべてを統べる王となりました、と物語は結ばれます。

-1835年-


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物語全体から感じられるテーマは、誠意や、それに伴う、人としての志を、最期まで捨ててはいけないということです。



序盤は、アンデルセンの実際の父親に対する愛情が吐露されているように思います。伝記を読めばわかる通り、アンデルセンは両親をたいへん愛していました。彼が一か八かコペンハーゲンに旅立つくだりも自身の経験が描写されているものと思います。

後半は、謎解きをテーマとした、グリム童話を始めとする、世界の民話、昔話のアレンジです。残酷なお姫様の出すなぞに、主人公ジョンが旅の道連れの助けを得て挑みます。善良なものには必ず助言者が現れます。



それにしても、この物語のテーマに絡む、主人公ジョンを助ける、死者という存在を、どうとらえるべきでしょう。魔力とは違う、霊界に通じる力を司る存在として描かれます。魔力にとらえられてしまったお姫様の対抗勢力です。

死者は、神の助けを信じていた主人公ジョンにとって、実際にそれを遂行する存在です。そしてジョンは最後まであきらめず、お姫様を邪悪な魔力から開放しました。

死者という存在は、現代なら、童話という媒体に、忌避されがちな存在です。しかしアンデルセンは、民話に習って、あえて取り上げているのだと思います。アンデルセン童話には、ある意味、子どもに配慮を欠いた描写が多々あります。



また、妖精は善良なものにしか見えないという設定は、よくあるものですが、アンデルセンの物語の文脈の中では、より説得力を持ちます。



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18:31 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『ほらふきくらべ』 ほらという人間関係の潤滑油
むかし、上方に、なんともはや、大きなほらを吹く男がいました。男は、ほらを吹くことに関して、誰にも負けない自信があったので、どこかへ行って誰かとホラ吹き比べをしてみたいと思っていました。

そこで、ある時、男は、ほら吹き比べの相手を探しに、はるばる陸奥の町までやってきました。そしてこの町に、大ほら吹きがいるとの噂を聞いて早速その家を訪ねてみました。



家には小さな女の子がいたので「親父さんはいるかね」と尋ねてみると「父ちゃんはいま岩手山が転びそうだといって、苧殻(おがら、麻の茎の皮をはいだもの)三本持って、山につっかい棒をしに出かけたよ」と答えました。

男は、こいつ子どものくせに、ほらを吹くとは生意気なと思いましたが、「それじゃあ、おふくろさんは、どこにいった」と尋ねました。

すると女の子は「母ちゃんかい。母ちゃんはね、いま、海の水があふれそうなので、鍋の蓋を持って海にいったよ」と答えました。

「このくされガキめ、生意気な。ようし、それならこっちだって、大きなほらを吹いてやるわい」と思いました。

そこで、男はとぼけて「このあいだの大風のときに奈良の大仏様の釣り鐘が飛ばされたんだが、どこへ飛んでいったか知らんかね」と聞きました。

すると女の子は、「ああ、あれかい、あれなら三日ばかり前に、うちの前の梨の木の蜘蛛の巣に引っかかって、しばらくカランカランと鳴っていたけど、またどこかへ飛んでっちゃったよ」と答えました。

上方のほら吹きはこれを聞いて「こりゃあたいへんだ。こんな小さな女の子でさえこんな大きなほらを吹く、こいつのおやじやおふくろにあったら、どんな大ほらを吹くかわかったもんじゃない」といって、そのまま上方へ帰ってしまったということです、と物語は結ばれます。



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洋の東西をとわずある、ほらを題材とした昔話です。人々はむかしから、ほらを娯楽として楽しんだのでしょう。人を傷つけるような嘘はいけませんが、楽しませるほらは人間関係の潤滑油となります。お笑いですね。

昔から、上方は、お笑いが盛んな土地柄だったのでしょうか。上方落語などの歴史をたどると、江戸時代にまでさかのぼれます。そこの猛者が東北の猛者に敗れてしまいます。



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18:30 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
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