子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 4 より 『ぐつのお使い』 子どもの使いをモチーフとした笑い話
むかし、あるところに、ぐつという子どもが母親と一緒に暮らしていました。

ある日、母親はぐつに、「お寺へいって和尚さんに『きょうは父さんの命日だからお経をあげに来てください』と頼んでおいで」といいました。

ぐつは和尚さんは、どんな着物を着ているのかと訪ねました。母親は「赤い衣だ」といいました。ぐつはすぐに出かけます。

そしてお寺の門の前まで行くと、そこに赤い牛がつながれていたので、ぐつはそれを和尚さんだと思い、牛に話しかけました。

すると牛は「もうー」と一声泣きました。ぐつはそれを「もうー来ない」と言ったのだと思い、家に帰ると、そのことを母親に話しました。

母親はぐつによく聞いてみると、ぐつが相手にしていたのは、牛だということがわかりました。そして母親は、「和尚さんは寺の中にいて、きょうは黒い衣を着ているかもしれないと」いい、もう一度ぐつを使いに出しました。

ぐつはまた出かけていきました。するとお寺の門に入ったところで、屋根にカラスが止まっているのを見つけ、ぐつはそれを和尚さんと思いました。

ぐつはカラスに話しかけました。するとカラスは「かあー、かあー」と鳴き、飛んでいってしまいました。それをぐつは、父さんの命日なのに「母あー、母あー」と言ったと、わけのわからない報告を母親にし、またしても用を足せません。

母親は呆れてしまいました。そして自分で和尚さんを呼んでくるから、和尚さんにあげるご飯が炊けるのを見ておくように、ぐつにいいつけました。



母さんは出かけました。ぐつは言われた通りご飯が炊けるのを見ていました。やがて御飯が炊けてきて「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き始めました。

ところがぐつは、ご飯が自分を呼んでいると思いこんでしまいます。そしてご飯に対して「何だ」と話しかけたりするのですが、当然のごとくご飯は、「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き続けます。

しまいにぐつは、「おれを馬鹿にするな」といって、そばにあった灰をつかみ、釜の蓋をとると、ご飯の中に投げ込みました。それでもご飯は鳴り止まないので、ぐつはお釜のご飯を庭にぶちまけました。



そこへ母親が和尚さんを連れて帰ってきました。ところが庭にはご飯がぶちまけてあります。母親はがっかりしました。

母親は、和尚さんにあげるご飯をだめにしてしまったので、代わりに天井裏にある甘酒を下ろして、和尚さんにごちそうすることにしました。

母親が天井裏に上がって、ぐつが下で瓶のしりをささえて受け取ることになりました。母親が「そんなら下ろすよ。しっかりしりをおさえたか」と大声でいうと、ぐつは「おう、よくおさえたぞ」と返事をしました。

ところが母親が手を話すと瓶は床に落ちて割れてしまいました。ぐつは瓶のしりではなく自分の尻をおさえていたのです。母親は怒りました。



仕方がないので風呂でも沸かして和尚さんに入ってもらうことにしました。母親はぐつに火をたかせます。ぐつは、和尚さんに湯加減を聞くと、「ぬるい」というので、もっと火をたくことにしますが、もうたくものがありません。

ぐつは母親に「たくものがないか」と聞くと、母親は、そこいらのものを何でもいいからたいておけと言います。するとぐつは和尚さんの着物をたいてしまうのでした。

和尚さんは仕方なく、芋の葉っぱ一枚で前を隠し、走って帰りました、と物語は結ばれます。



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このお話の主人公ぐつも、言われたことを何も考えないで、言葉のとおりに実行することから、グリム童話第一巻の愚か者ハンスを思わせます。

グリム童話第一巻のハンスは、明らかに設定年齢が高く、ある意味狂気を感じる存在でした。ゆえにそれら登場する物語を、単純に笑い話とすることができませんでした。

しかし、このお話の主人公は設定年齢を低く見積もれるので、子どもの使いの笑い話として読むことができます。

また、同様な日本の昔話でも『だんだん教訓』は微妙ですが、『ちゃっくりかきふ』『旅学問』は、主人公の設定年齢が、たとえ少し高くとも、落語調で語られたりするので、グリム童話のハンスの物語とは違い、明らかに笑い話として読めるところが特徴です。

もっとも、ハンスの物語も、笑い話として読めるベースが、西洋人の中にはあるのかもしれません。



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18:23 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『旅学問』 続、日本版ハンスの物語、落語調
むかし、あるところに、ひとりの息子がいました。両親は、「なんとかしてこの子に学問をさせたいものだ」と思っていました。

息子も、「なんとか学問をして、偉い人になりたい。これから京へ登って勉強してこよう」と思い両親に暇乞いをして京都へ向かいました。



しばらく行くと向こうから笠をかぶったお坊さんがやってきて、一軒家の前に立ち止まると、小さな鈴をちょんと叩いて、「しょけいはい、しょけいはい」と唱えました。

するとそこの家の人がお盆に何か乗せて差し出しました。お坊さんは「ありがとう」といってそれを受け取りました。

息子はこれを見て「ははあ、人からものをもらうことは『しょけいはい』というんだな」とひとりがってんして、これでひとつ勉強になったと悦に入っています。



こんな調子で息子は、愚かにも、石のことを『えっさっさ』といい、柿のことを『しんじょう』といい、色が赤いことを『朱椀朱膳』というのだなと学んだつもりになって、「だいぶ偉くなったものだ」と思い、家に帰りました。



息子が帰ってきたことを両親は喜びます。そして両親は、裏の柿の実が熟していたので、それを食べなさいとすすめるので、息子は柿の木に登りました。

ところが、柿の木の枝がおれてしまい、息子は地面に落ちてしまいます。頭を石にぶつけて血がダラダラと流しました。

両親はびっくりして、すぐに医者を呼ぼうとしますが、息子は医者なら自分で呼ぶから、硯と筆を用意してくれといいました。どうやら息子は学問の成果を示すため、医者に手紙を書こうというのです。

息子は、「しんじょうの木から落ち、えっさっさに頭をぶつけ、朱椀朱膳かっかと流れておりますので、薬を一服しょけいはい」と手紙を書きました。

そして息子は、この手紙を、医者のところへ持っていってもらいました。医者は、何のことやらさっぱりわからず目を白くさせた、と物語は結ばれます。



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グリム童話第一巻のハンスの物語と同じ系統の笑い話ですね。主人公は人が話したことを文脈でとらえることができません。また主人公は文脈を無視して話そうともします。場違いもはなはだしいのです。

日本には落語という文化があリ、物語もそのような語り方がされているので、これを笑い話とすることができますが、西洋のハンスの物語を読んだときは、ある意味、笑いというより狂気を強く感じました。

同じように西洋にも落語のような文化が存在し、西洋の人はそれをベースに、ハンスの物語を読んでいることが予想されます。



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18:45 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『おやゆび姫』 H.C.アンデルセン アンデルセンの恋愛譚
おなじみの物語です。

むかし、あるところに、ひとりの女のひとがいました。そして、かわいい子どもをひとり、どうしても授かりたいと思っていました。女のひとは、いてもたってもいられなくなり、魔法使いのおばあさんを訪ねました。そして自分の願いを話しました。

すると魔法使いのおばあさんは、大麦をひと粒取り出して、「これを植木鉢に植えなさい。何かが起こるだろう」といいました。女のひとはさっそく大麦を植木鉢に植えると、たちまち美しいチューリップの花がと咲きました。よく見ると、緑色の雌しべの上には、とても小さな女の子が可愛らしく座っています。

女の子は親指ほどの大きさしかなかったので、「おやゆび姫」と呼ばれることになりました。おやゆび姫は、女のひとに、くるみの殻でできたすてきなベッドをもらい、夜はそこで眠り、昼間はテーブルの上で遊びました。おやゆび姫は歌が得意でした。



ある夜のこと、おやゆび姫が、ベッドの上でぐっすり眠っていると、大きなヒキガエルが一匹、割れた窓ガラスから部屋に忍び込んできました。

この醜いヒキガエルは、おやゆび姫を見ると、「かわいい子だねえ、うちの息子の嫁さんにぴったりだ」といって、親指姫が寝ていたくるみの殻のベッドごと持ち上げて、ヒキガエルが住まう、川のほとりの泥沼にさらっていきました。

母ガエルは、息子の結婚生活を送るための部屋を準備するため、いったんおやゆび姫を、小川の睡蓮の葉の上に載せておきました。ここなら逃げられないだろうと思ったのです。おやゆび姫はシクシクと泣きました。



これら一部始終を、水の中で泳ぎながら聞いていたのが、小さな魚たちです。そこで小さな魚たちは、おやゆび姫をひと目見ようと、水面から顔を出すと、その美しさに心打たれました。

小さな魚たちは、こんなかわいい子が、醜いヒキガエル親子と暮らすなんてあんまりだと思い、みんなで一斉に睡蓮の茎にかじりつき、葉を茎から切り離してしまいました。

睡蓮の葉は流されていきます。おやゆび姫は、ついに他所の国へと流れていきます。



そこへ小さくて白い蝶が一匹現れて、おやゆび姫の周りを舞いました。そして睡蓮の葉にとまります。蝶はおやゆび姫のことが好きになりました。

もうヒキガエルに捕まる心配もありませんし、見えてくるのは美しい景色ばかり、おやゆび姫はだんだん楽しくなりました。

おやゆび姫は腰のリボンを外して、一方を蝶に巻きつけ、他方を睡蓮の葉にしっかりと結びつけました。すると睡蓮の葉は、今までとは比べものにならないくらい速く、水面を滑っていきます。



やがて、大きなコフキコガネ飛んできて、おやゆび姫を見つけるやいなや、森へ連れ去っていきました。おやゆび姫は、とても怖かったけれど、なによりも、謝りたい気持ちでいっぱいでした。睡蓮の葉に結びつけてしまった白い蝶は、自分でリボンを外せなければ死んでしまうでしょう。

コフキコガネは、そんなおやゆび姫の気持ちなどお構いなしに、彼女を大きな木の葉に乗せて、いろいろな花の蜜を食べさせました。コフキコガネは彼女をたいそう気に入りました。

しかし、この木に住むコフキコガネたちが集まってきて、彼らは口々にこういうのです。「まるで人間みたい、なんて醜い!」あまりにみんなが醜いというので、このコフキコガネは、おやゆび姫を連れて、木から飛び降りると、ヒナギクの上に彼女を捨てて帰ってしまいました。



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かわいそうにおやゆび姫は、夏のあいだじゅう、ずっと広い森の中でひとりぼっちでした。大きな木の葉の下に、草で作ったベッドを置いて、雨露をしのぎました。そして花の蜜を食べて暮らしました。

夏も秋も過ぎ、長い冬がやってきました。外は寒く、おやゆび姫は凍え死にそうでした。おやゆび姫は森を出て、もうとっくに刈り取られた麦畑の切り株の中を歩きました。



やがておやゆび姫は、野ネズミの家の入り口を見つけます。切り株の下にある小さな穴が野ネズミの家でした。おやゆび姫は、貧しい乞食さながら、麦をひと粒くれませんかといいました。なぜならもう二日は食べていなかったのです。

野ネズミは気のいいおばさんネズミでした。「暖かい部屋にお上がりよ。ご飯を一緒に食べましょう」といってくれました。

野ネズミはおやゆび姫をとても気に入り、「よかったら、この冬が終わるまで、ここにいなさいな」といってくれました。おやゆび姫は恩返しに、頼まれたことを何でもしました。そして楽しい日々を送ることとなります。



ある日、野ネズミは、お金持ちのお隣さんが訪ねてくるといいました。そして「あんたにあのひとみたいな夫がいれば、何不自由なく暮らせるでしょうね」といいました。

しかしおやゆび姫には、そのお隣さんの奥さんになるつもりはありませんでした。なぜならモグラだったからです。

モグラは、つやつやした毛皮でめかしこんでやってきました。モグラは口を開けば、お日様ときれいな花の悪口ばかりいっていました。目の見えないモグラは、おやゆび姫に歌をうたわせました。するとモグラはいっぺんにおやゆび姫のことを好きになりました。



つい最近、モグラは、野ネズミの家と自分の家をつなぐ通路を掘り終えていました。モグラはおやゆび姫に、この通路を自由に使ってもいいといいました。ただし途中、鳥の死骸があるけれど怖がらないでくれといいました。

モグラはふたりを連れて、その通路を進みました。そして死んだ鳥が横たわっている地点に着くと、モグラは頭の上の土を鼻で押して穴をこしらえました。

お日様の光が通路に差し込んで、道の真ん中にツバメが倒れているのが見えました。ツバメは凍え死んでしまったに違いありません。



「あいつらピーピー鳴くしか能がないんだよ。そのあげく冬には飢えと寒さで死んでしまうのさ」とモグラはいいました。野ネズミも相槌を入れました。

おやゆび姫は何もいいませんでした。しかしふたりが引き返していくと、ひとり残って、「あなたは夏の間、わたしにあんなにすてきな歌を歌ってくれた鳥さんじゃありませんか? この愛しい鳥さんはわたしをどんなに楽しませてくれたでしょう!」といいました。

さてモグラは天井の穴を塞ぎ、ふたりを野ネズミの家に送りました。



その夜おやゆび姫は眠れませんでした。彼女はベッドから降りて、大きくてきれいな干し草の毛布を編みました。それを運んでいってツバメを覆いました。

そして「さようなら、かわいい小鳥さん」といって、おやゆび姫は自分の頭をツバメの胸の上にピッタリと寄せました。すると鼓動が聞こえます。ツバメは生きていたのです。

翌朝おやゆび姫はまたツバメを見ようと、こっそり抜け出しました。ツバメは生きてはいるものの、たいへん弱っていました。それからというもの、おやゆび姫は、一生懸命ツバメの世話をしました。そしてやがてツバメが大好きになりました。



あっという間に春が来て、ツバメは回復しました。おやゆび姫は前にモグラがそうしたように天井に穴を開けました。お日様の光は、さんさんと差し込んできます。

ツバメはおやゆび姫に「僕といっしょに行きませんか。君の大きさならぼくの背中に乗れますよ。僕といっしょに遠くの緑の森に行きましょう」といいました。しかしおやゆび姫は、野ネズミが悲しむのを知っていたので、断りました。お別れです。おやゆび姫は涙を浮かべました。ツバメは緑の森の方角に飛んでいきました。

一方、おやゆび姫は、モグラに求婚されました。野ネズミの後ろ盾で嫁入り道具の準備が始まります。しかしおやゆび姫はちっとも嬉しくはありませんでした。身も心も醜いモグラなど、ちっとも好きにはなれなかったのです。



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秋がやってきて、おやゆび姫の嫁入り道具はすべて整いました。しかしおやゆび姫は野ネズミに逆らい、モグラとの結婚を拒みました。しかし有無を言わさず結婚式の日取りは決められてしまいます。その当日モグラは地下深くに、おやゆび姫を連れていくつもりです。もうお日様ともお別れです。

するとそこにあのツバメがやってきました。そしておやゆび姫に、「もう、ぼくは南の国に旅立たなければならない。今度こそ一緒に行きましょう。さあ背中に乗ってください」といいました。

おやゆび姫は決意しました。ツバメの背中に座り、空いっぱいに広げた翼に両足を乗せ、一番丈夫な羽の一本に腰のリボンを結びつけました。ツバメは大空高く舞い上がりました。空気は冷たく凍えそうでした。おやゆび姫はツバメの温かな羽毛に潜り込んで小さな頭だけを外に出しました。



こうしてふたりは、やっと温かい国にたどり着いたのです。そこでは明るいお日様がずっと輝いて、空は透き通って見えました。道端には様々な果実が実っています。

ツバメがますます遠くに飛んでいくに連れ、どの場所もどんどんすてきに見えてきました。ようやくふたりは青い湖のほとりにやって来ました。青々とした木々が茂り、白い宮殿がたっていました。

宮殿の柱のてっぺんには、たくさんのツバメの巣がありました。その中におやゆび姫を載せてきたツバメの家があリます。



ツバメは「これがぼくの家だよ。でも、もし、君があそこに咲いているすてきな花を住まいにしたいなら、その中からひとつ選んでください。そこにおろしてあげますよ。君は自分の好きなように暮せばいいんだ」といいました。

おやゆび姫はこの上なく美しい大きな白い花を選びました。ツバメはおやゆび姫をそっとおろしました。

するとおやゆび姫は驚きました。その花の真ん中に小さな人がいたのです。



そのひとは水晶みたいに白く透き通っていました。頭には金の冠をかぶって両肩には輝くような翼がついています。親指姫と同じくらいの背の高さです。

実は、その人は、花の天使でした。その中でも王子様のようです。王子様は、これまでおやゆび姫のように、こんなに美しい少女を見たことがありませんでした。

王子様はおやゆび姫に求婚します。「あなたは花の女王になるのです」おやゆび姫は「はい」と答えました。



するとすべての花は開き、中から立派な女の人や男の人が出てきました。みんなはおやゆび姫に一つずつ贈り物を持ってきました。中でも素敵だったのは一対の羽で、おやゆび姫の背につけると花から花へ飛び移ることができました。

ツバメがお祝いの歌をうたいます。でもツバメはとても悲しかったのです。なぜならおやゆび姫を愛していたからです。別れたくはありませんでした。

「これからは、おやゆび姫と呼んではいけない」と花の天使はいいました。これからはマイアと呼びましょう。

「さようなら、さようなら」とあのツバメはいいました。彼は、その温かい南の国を飛び立って、デンマークへ戻りました。ある家の窓の上に彼の巣はあって、その家には童話作家が住んでいました。ツバメは「ピーチク、ピーチク」と歌ったのだけれども、実はその歌こそが、このお話というわけなのです、と物語は結ばれます。

-1835年-



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アンデルセンの伝記を読むと、彼がどんな気持ちで書いたのかよくわかります。伝記のひとつに過ぎませんが、ブログ記事にしてあるので、よろしければ読んでみてください。(『 アンデルセン―夢をさがしあてた詩人』

結びに、この物語は童話作家の家の軒に暮らす、ツバメの歌だという告白がありますが、アンデルセンが共感を寄せているのは明らかにこのツバメです。そして、物語後半はほぼ、おやゆび姫とツバメの恋愛譚になっています。

物語では、ツバメはおやゆび姫との別れを迎えなくてはなりません。アンデルセンの数々の失恋が、この物語の背景になっているのではないでしょうか。

アンデルセンが、恋愛において、ロマンチストであったことも感じられます。優れた作家は、皆、優れた空想家です。

空想というと、妄想のことをおっしゃられる方がいらっしぃますが。空想と妄想は全くの別物です。優れた空想は、魔法がかけられたように、ちゃんと現実に生成します。



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18:26 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『ちゃっくりかきふ』 日本版ハンスの物語、落語調
むかし、商売をやっている家に、ひとりの娘がありました。娘が年頃になると、ちょうどいい具合に世話してくれるひとがあって、婿殿をもらいました。



ある日、お姑さんが、お茶と、栗と、柿と、麸を並べて「婿殿、これを町へ持っていって、売ってきてくれ」といいました。婿殿はさっそくそれらを籠に入れ、天秤棒でかつぎ、出かけました。

婿殿は「ちゃっくりかきふ(茶っ栗柿麩)、ちゃっくりかきふ」と大声でふれ歩きました。ところが町の人は誰ひとりとして買ってくれません。婿殿は歩き疲れて帰ってきました。

お姑さんは「婿殿、おまえ何も売れなかったのかい。いったい、なんといってふれ歩いたんだね」と尋ねました。

婿殿は「『ちゃっくりかきふ、ちゃっくりかきふ』といって歩きました」と答えました。

「そんな売り声じゃ、何を売っているのかわからないじゃないか。茶は茶で別々、栗は栗で別々、柿は柿で別々、麸は麸で別々にふれ歩かなければだめだ」お姑さんにそういわれるとそうだなと思った婿殿は、また出かけました。

そしていっそう大きな声で「ちゃーぁはちゃで、べっつべつ、くりーぃはくりで、べっつべつ、かきーぃはかきで、べっつべつ、ふーぅはふで、べっつべつ」とふれ歩きました。

それでも、やはり買うひとはありませんでした。婿殿は「いくら別々にいったって、誰も買うものはいない」といって馬鹿らしくなって帰っていきました。

お姑さんは「婿殿よ、おまえ、また、何も売れなかったのかい。今度はいったいなんといってふれ歩いたのかい」と尋ねました。

婿殿は「おれは、ちゃんと、『ちゃーぁはちゃで、べっつべつ、くりーぃはくりで、べっつべつ、かきーぃはかきで、べっつべつ、ふーぅはふで、べっつべつ』といってふれ歩いたんだが誰も買ってはくれませんでした」と答えました。

それを聞いてお姑さんは呆れて、「こんな馬鹿婿をもらったんでは、とても商売が成り立たない」といって婿殿を追い出してしまったということです、と物語は結ばれます。



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婿殿のキャラクターは、グリム童話第一巻のハンスのキャラクターそのものです。以前にも類似の日本の昔話として『だんだん教訓』をあげました。

そして『だんだん教訓』のほうが、類似としては上でしょう。いわれたことを、意味を解さず、言葉のままに繰り返す愚か者ですね。

西洋のグリム童話と『だんだん教訓』では、主人公に狂気さえ感じました。しかし今回のお話では、物語の結びが、落語調に表現されるので、明らかに笑い話とわかリます。



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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『頭の大きな男の話』 落語調の昔話
むかし、あるところに、なんともはや、頭の大きな男がいました。あんまり大きな頭なので、どこの床屋へ言っても頭を剃ってくれる者はなし、男は困って、考え込んでしまいました。

そこへ友達がやってきました。そして、「それならおれが剃ってやろう」とカミソリの刃を三日三晩研ぎ続けて、それから剃り始めました。

ところがあともう少しというところで手元が狂って頭に切り傷をつけてしまいました。友達は慌てて血止めのために何かないかとあたりを見回すと、下に柿の種が落ちているのを見つけて傷口に突っ込みました。

友達は「これで剃り上がったぞ」というので男は「ありがとう。おかげでさっぱりした」と答えました。



ところがその柿の種から芽が出て大きくなるわ大きくなるわ、大きな頭には大きな柿の木が生えました。

秋になるとなんとも美味しい柿がたくさんなるので町の人はその柿を売ってくれといって押しかけるので、柿の実は。大変な売れ行きでした。

男はそんなに美味しい柿の実ならと、殿様のところへ少し持っていきました。殿様はその柿の実を食べると大変満足し、男にたくさんのほうびをつかわしました。

さああたりの柿売りたちは怒りました。自分たちの柿の実が売れないからです。柿売りたちは、ひとを馬鹿にするにもほどがあると、斧やまさかりを持って押しかけ男の頭の柿の木を切り倒してしまいました。



ところが次の年の秋、柿ノ木の切り株からなんとも美味しいきのこがいっぱい生えてきました。町の人はまたしても大勢押しかけ、きのこは売れに売れました。

男はそんなに美味しいきのこならと、またしても殿様に少し持っていきました。殿様は大変満足し、男にたくさんのほうびをつかわしました。

さあ、あたりのきのこ売りは怒りました。自分たちのきのこが売れなくなってしまったからです。

きのこ売りたちは、ひとを馬鹿にするにもほどがあると、鉈や鍬を持って押しかけ男の頭の切り株を根こそぎ掘り出してしまいました。男の頭にはポツッと穴があきました。



男は仕方なく頭にあいた穴に水を入れて池にしました。そして池に鯉をたくさん放しました。

するとまたその鯉はなんともいえず立派に育ちました。食べてみるとそれは美味しい鯉でした。町の人はまたしても大勢押しかけ、鯉は売れに売れました。

男はそんなに美味しい鯉ならと、またしても殿様に少し持っていきました。殿様は大変満足し、男にたくさんのほうびをつかわしました。

さあ、あたりの鯉売りは怒りました。自分たちの鯉が売れなくなってしまったからです。

鯉売りたちは、ひとを馬鹿にするにもほどがあると、かます(袋の一種)やもっこに土を入れて運び、男の頭の池を埋めてしまいました。男の頭には広い土地ができました。



男は、こんな広い土地を放っておくこともできず、大根の種をまきました。すると種はすぐに芽を出し大きな大根がなりました。掘ってみると長さが十里もあります。

男はその大根を「ゴリ、ゴリ(五里、五里)」とかじってみんな食べてしまいました。友達が「それならその大根の葉っぱはどれくらいあったんだ」と聞くと男は「は、な、し(葉無し)」と答えました、と物語は結ばれます。



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落語のような話ですね。話者が最後に駄洒落で落ちをつけて、お話は閉じられます。主人公の男の頭は物理的にとてつもなく大きいのですが、これは話者の作り話を構想する空想の広大な領域の例えなのではないでしょうか。



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18:19 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『宝ふくべ』 信じれば夢は実現する
むかし、あるところに、ばくちを打つのが三度の飯より好きな若者がいいました。けれども負けてばかりいたのでとうとう家も畑もみんなばくちのかたに取られてしまいました。



若者は、ある日、ブラブラ歩いていると、地蔵様のお堂を見つけました。若者は地蔵様とばくちを始めました。するとどういうわけかなんべんやっても地蔵様に勝ちました。

そこで若者は、ばくちのかたに、地蔵様をもらっていこうと思いましたが、もう日が暮れてきたので地蔵様を枕にその夜はお堂に泊まりました。

とろとろと眠ると、夢に地蔵様が現れます。そして、「若者よ、おまえは観音様にお参りして『ふくべ(ひょうたん)をふたつください』とお願いするがよい。ふくべには、金助と孫助というふたりの小男が入っている。手を打って名前を呼べば出てくるから、何でも用を言いつけるが良い」とのお告げがありました。



次の日、若者は、さっそく、観音様にお参りして、「観音様、どうか、ふくべをふたつください。お頼み申します、ナムナムナム」と拝みました。

するとどこからかふくべがふたつゴロゴロと転がってきました。「これは本当に正夢だった」若者は大喜びして、ふくべを持って町へ行き宿に泊まりました。

部屋に上がると若者は女中さんにいいました。「おれは晩飯はいらないよ」それからふくべをふたつ取り出してパンパンと手をうち「金助、孫輔、出てこい」と呼びました。

するとふくべから、ふたりの小男が飛び出してきました。そして若者が、「この宿の客に晩飯を作ってくれ」というとふたりはたちまち何十人分ものごちそうを出して並べました。

若者は宿屋に泊まる人たちにごちそうを振る舞ってたいそう喜ばれました。

これを見た宿屋の亭主は、「うちのようなところで、こんな宝物があったらどんなに重宝するだろう。どうかわしにゆずってはくれまいか」といいました。

そこで若者は、ふくべを高く売って金を儲けて帰りました。宿屋の亭主も宝物を手に入れて大喜びしました。



そして宿屋の亭主は、ちょうど宴会があったので、さっそくふくべにごちそうを出させようとします。ところがいくら金助と孫助を呼んでも出てきません。とうとう亭主は腹を立てふくべを割ってみました。中には何も入っていませんでした、と物語は結ばれます。



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この物語は、日本の昔話が、よくモチーフに取り上げる、正夢という出来事の本質が描かれているのではないでしょうか。

現前する宝物は結果にすぎず、ある意味幻なのです。実態は夢の方にあると考えるのです。単に結果としての宝物と思われたものを得ても、それは効力を発揮しません。

『夢買い長者』では、そのことが分かりやすい例でつづられていました。つまり夢そのものを買うことにより主人公は福を得ていました。

我々は、夜、夢を見ますが、たかだか夢に過ぎないと考えます。しかしこの物語の主人公は夢を信じて行動します。ここが肝であり、それゆえに宝物が効力を発揮するのです。

また、主人公は、宝物のふくべを売ってしまいましたが、その中にいる金助と孫助は、相変わらず主人公と共にいる可能性もあります。この物語の続編があるとしたら、再び金助と孫助が、何かに宿って、主人公に福をもたらすかもしれません。



ちょっとお話を膨らませて、夢は夢でも未来の希望を言い表す夢においても、このお話は通づると思います。信じれば夢は叶うというフレーズは、ある意味、本当のことですから。しかし、このフレーズ、色々と端折りすぎていますね。



洋の東西、昔話に時々登場するばくち打ちですが、どの話も表面上はいい加減な人間という扱いでしょう。しかしどの話も、そのばくち打ちに。温かい視線が注がれています。



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18:36 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『大クラウスと小クラウス』 H.C.アンデルセン グリム『小百姓』を下敷きとした物語?
ある村に、同じ名前のふたりの男が住んでいました。ふたりとも、名をクラウスといいました。

片方のクラウスは四頭の馬を持っていましたが、もう片方は一頭だけしか持っていませんでした。そこで村人は、それぞれを大クラウス、小クラウスと呼んでいました。これから、このふたりがどうなったかをお話しましょう。



平日、小クラウスは、自分の持つ一頭の馬に、鋤をつけて、大クラウスのために畑を耕しました。その代わりに大クラウスは日曜日にだけ四頭の馬を小クラウスに貸し出し、耕作を手伝いました。

毎週日曜日、小クラウスは、この日だけは自分のものとばかりに、五頭の馬に向かって、さも誇らしげに鞭をくれるのでした。



ある日曜日、村人は皆、牧師のお説教を聞くために教会に出かけました。村人の目には五頭の馬を従えて畑を耕す、小クラウスの姿がよく見えました。小クラウスは、大声で怒鳴ります「おいらの馬ども、そら頑張れ!」

大クラウスはいいました「馬ども、だと。そんなことを言うと許さんぞ。おまえの馬は一頭だけだ。今度言ったら、おまえの馬の鼻面を殴って殺してやる」小クラウスは「もう言わないよ」と約束しました。

しかし小クラウスは、教会に行く村のひとが、通りがかりに挨拶するとつい得意になって、また同じように言ってはいけないことを言ってしまうのした。

大クラウスは怒って槌をつかむなり、小クラウスの大切にしていた、たった一頭の馬を思い切り殴りつけて、本当に殺してしまいました。小クラウスは、さめざめと泣きました。



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やがて小クラウスは気を取り直して、死んだ馬の皮をむいて乾かし、袋に入れ、町へ売りに行きました。町までは、長い道のりです。しかも突然の暴風雨に襲われ、道に迷い、日が暮れてしまいました。

ふと見ると、道のすぐ脇に大きな百姓屋があり、鎧戸は閉じられていますが、戸の上の方から室内の明かりが漏れてきます。きっとここなら泊めてくれるだろうと小クラウスは戸を叩きました。

その家の奥さんが戸を開けてくれましたが、「夫が留守をしているから、見知らぬ男など泊めることはできない。よそへ言ってくれ」とけんもほろろに宿泊を断られ、追い出されました。



小クラウスは、その百姓屋のそばに、茅葺き屋根の納屋を見つけ、その納屋の屋根なら素晴らしいベッドになるだろうと思い、屋根の上に登り、やれやれと横になってくつろいでいると、母屋の窓の鎧戸の上にある隙間から、部屋の中が見ることができました。

ワインやローストビーフ、美味しそうな魚料理、ケーキまでもががテーブルに並べてありました。大したごちそうです。奥さんと役僧(教会の事務を執り行う僧侶)がテーブルに座っていました。小クラウスはちょっとでもいいから分けてもらいたいなと思っていました。



その時、誰かが、馬に乗って家の方にやてくる音が、街道の方から聞こえました。この百姓屋の主人です。ここのご主人はふたりといない好人物でしたが、唯一役僧だけを嫌っていました。だからこそ役僧はこっそり奥さんに会いにきているのでした。

この時、亭主がやってくる足音を聞いたふたりは、びっくり仰天。奥さんは慌てて役僧に、部屋の隅にある大きな箱に隠れるように命じました。役僧は言われたとおりにしました。ここの亭主は、役僧が嫌いなことを知っていたからです。

奥さんは慌ててワインをオーブンの脇におき、オーブンの中にごちそうを隠しました。夫がこの祝宴をみたら激怒するのが知れていましたから。隠されたごちそうを茅葺き屋根の上から見ていた小クラウスは「あーあと大きくため息をつきました」



それを聞いた亭主は、屋根の上にいる少クラウスを見上げ、「なぜそんなところにいる。一緒に入りなさい」と迎えてくれました。

小クラウスは道に迷い、日が暮れてしまったことを正直に話すと、亭主は彼を家に泊めてやることにしました。奥さんはふたりをいそいそと迎え入れ、テーブルについたふたりにお粥を出しました。

しかし小クラウスは、先程隠された、オーブンの中のごちそうのことばかり考えていました。



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小クラウスはテーブルの下の足元に馬の皮の入った袋を置いていました。彼はこの袋を思いっきり踏みつけました。するとギュウというやかましい音がしました。小クラウスは「しっ!」と袋に話しかけました。

亭主は「その袋に何を入れているのかね」と尋ねました。すると小クラウスは「これは魔法使いなんでさあ」と答えました。

そして「こいつがおいらたちのために、ごちそうをオーブンの中に、ワインをオーブンの隅おいてあると言ってまさあ」と付け加えました。どれも奥さんが隠したものです。亭主はそれを見つけると、魔法使いによって呼び出されたものと思いました。

ふたりは喜んでごちそうを食べました。ワインを飲み、気の大きくなった亭主は、少クラウスに、「その魔法使い、悪魔も呼びだすことができるかね?」と尋ねました。



小クラウスは再び袋を踏みつけて鳴らすと、「はいと言ってまさあ。しかし悪魔というのはとても嫌な顔をしているから気分が悪くなるかもしれないよ」といいました。

亭主は「悪魔はどんな顔をしているのか」と尋ねました。すると小クラウスは「役僧のような顔をしている」と答えました。役僧の嫌いな亭主はひとりがってんします。しかし亭主は「こうなったら乗りかかった船だ。悪魔を呼べ」といいました。

小クラウスは「魔法使いに聞いてみる」というと再び袋を踏みつけ、前かがみになって袋に聞き耳を立てるふりをしました。そして「部屋の隅の大きな箱をあけよ」といいました。奥さんの言うとおりに隠れていた役僧は、箱の中でブルブルと震えました。



亭主は大きな箱の蓋を少し持ち上げ中を覗いてみます。すると「ひゃあ!」と飛び退いて、「悪魔をみたぞ! まさしく役僧そっくりだ。こうなったらお酒を飲まずにはいられない」といって夜遅くまで飲み続けました。

やがて亭主は「その魔法使いを売ってくれ、大枡一杯の金を払う」といい出します。魔法使いが欲しくてたまらなくなったのです。交渉は成立します。ただしあの悪魔の入った大きな箱は気味が悪いから引き取ってくれといいました。小クラウスは大桝いっぱいのお金を得ました。

こうして今度はこの役僧の入った箱で大桝いっぱいの金を得るエピソードが続きます。小クラウスの一頭の馬は、とんだ大金になリました。これを知った大クラウスはさぞかし悔しがるだろうと、小クラウスはひとりほくそ笑みました。



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そして小クラウスは、この出来事を、大クラウスにそれとなく知らせました。大クラウスは「いつの間に馬の皮の相場が跳ね上がったのだろう」と思い、彼は慌てて家に変えると、持ち馬四頭全てを殺して、皮を売りに行きました。

大クラウスは馬の皮一枚を大桝いっぱいの金に変えようとしますが、町の人は誰も相手にしません。そして大クラウスがあんまりしつこいので、町の人は怒って大クラウスを打ちました。彼は小クラウスに騙されたことを知って殺してやると復讐を誓います。

ところが抜け目のない小クラウスへの復讐を大クラウスは果たすことができません。そればかりか間抜けな大クラウスは、復讐しようとするたびに騙されて自分の大切なものを失い、人殺しにまで身を落としていきます。

また、小クラウスは、そのたびに財を築いていくのでした。終いには、大クラウスは少クラウスに騙されて、自ら死んでしまいました。

-1835年-



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グリム童話の『小百姓』を下敷きにした物語と思われます。細かいエピソードは当然異なりますが、展開もテーマもそっくりです。



ひとりの貧しく良心的な主人公、小クラウスは、人生の小さな幸せに満足して、暮らしていました。

しかし、それを、愚かな富める者、大クラウスががぶち壊してしまいました。主人公、小クラウスが大切にしていた馬を殺してしまったのです。

堰がきれたように、自らの悔しい思いを晴らすため、主人公、小クラウスは抜け目のなさを発揮し、愚かな富める者、大クラウスをおとしいれていきます。



伝記を読めばわかる通り、明らかにアンデルセンは、小クラウスに心情を寄せています。貧乏で弱かった彼の幼少期が忍ばれます。



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18:24 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『天狗のうちわ』 おごりが戒められる物語
むかし、ある村の丘に、大きな樫の木があって、天狗が舞い降りると噂されました。人々は怖がって誰も近寄らなくなりました。

この村にはとても利口な子どもがいました。この子は、ある時、天狗様を騙して、天狗のうちわを取ってやろうと思いました。

そして、丘の樫の木に、火吹き竹を持って出かけました。子どもは、火吹き竹の穴の方に目をあて、遠くを見るふりをしました。

そして大きな声で、「あ、京が見える、大阪が見える」といって、面白そうに火吹き竹をのぞいていました。するとそこへ、樫の木の葉をざわつかせて、天狗が降りてきました。



天狗は、赤い顔をして、鼻が高く、白く長い髪を、肩のあたりに振り分けていました。そして一本歯の高下駄を履き、手には鳥の羽で作ったうちわを持っていました。

天狗は地面に降り立つと、子どもの持っている火吹き竹を指して「それは何か」と聞きました。子どもは「これは遠眼鏡というものだ」と答えました。

天狗は「そうか、京や大阪が見えるとは不思議なものだ。わしにも見せてくれ」といいました。

しかし子どもは「これはだいじなものだから、只ではわたさん、天狗のうちわと交換だ」というので、天狗はしばらくの間、お互いの道具を交換することにしました。

しかし、天狗は、火吹き竹に目をあててみますが、何も見えません。天狗が「見えないぞ、見えないぞ」と騒いでる間に、子どもは村へ逃げ帰ってしまいました。

子どもは家につくとあたりを締め切って、試しに「鼻、高くなれ。鼻、高くなれ」と天狗のうちわで自分の鼻を仰いでみると、たしかに鼻は、みるみる高くなります。逆もまた然り。そしてそのうち、いいことを思いつきました。



夜になると子どもは町へ出て、長者の家に忍び込みました。そして、寝ている長者の一人娘の鼻を、天狗のうちわであおぎ、鼻を高くしてしまいました。

夜が明けてみると、長者の娘は自分の鼻を見て泣き叫びました。とても人前には出られません。長者の家では上を下への大騒ぎです。

子どもは頃合いを見計らって、長者の家の前を、「鼻直しー、鼻直しー」と大声をあげて歩きました。

長者の家では、すぐに子どもを呼び止めて、「礼はいくらでもするから娘の鼻を直してくれ」と頼みました。

そこで子どもは、娘の寝ている座敷に通されたので、もったいぶって天狗のうちわを取り出し、「鼻、低くなれ。鼻、低くなれ」と唱えながらうちわで娘の鼻をあおぎました。娘の鼻はたちまちもとに戻りました。

長者の家の人たちは大喜びして子どもにお礼のお金を山と積んで与えました。



お金はたんまり手に入ったしテングノウチワはあるしで子どもはすっかり有頂天になりました。

今度は自分の鼻が、どれだけ伸びるかやってみようと思いつきました。そこで原っぱに仰向けになって、「鼻、高くなれ。鼻、高くなれ」と唱えながら自分の鼻をパタパタあおぐと、鼻はどんどん伸びていきました。

子どもは面白くて、あおぎ続けました。そしてとうとう天にまで届いてしまいました。



さて、天では、雨降りばあさんが昼寝をしていました。そこへ雲の下から横っ腹をつつくものがあるのでびっくりして見ると、そこには人間の鼻がありました。ばあさんは、その鼻の先をしっかり捕まえて、雷さんを呼びました。

雷さんは何事かとかけつけると、なんと人間の鼻が雲を突き抜けていました。雷さんは、太鼓をを叩くバチで、思いっきりその鼻を殴りつけました。

子どもは飛び上がりました。そしてあわてて「鼻、低くなれ。鼻、低くなれ」と唱え天狗のうちわであおぎました。

ところが天では、雨降りばあさんが鼻の先をつかんでいるので、子どもの体のほうが天に吊り上げられました。

その時突然おひさまが強く照りだし、雨降りばあさんも雷さんもいきなり鼻を放り出して逃げていったので、子どもはたまりません。



子どもは天から地へとドスンと落ち、尻を嫌と言うほど打ち付けてしまいました。子どもは泣いていましたが、それがもとで魂が抜けたような腑抜けの子になりました。

子どもは皆に「天狗のつかまれもの」と呼ばれましたが、村の年寄りが、天狗の好きなお酒と油揚げを供えて、お祈りをしてくれたので、なんとか元気になりました。

さてあの天狗のうちはですが、子どもが天から落ちるときに、目を回して手放したのを、天狗が取り戻したということです、と物語は結ばれます。



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天狗という妖怪がが登場する物語をこのブログで扱うのは『鼻高扇』『なにがきらい』『かくれ蓑笠』に続いて四話目です。中でもこのお話は序盤が『なにがきらい』後半は『鼻高扇』に展開がそっくりです。

「天狗になる」という高慢な態度を表すことわざがあります。主人公の賢い子どもは、まさに天狗のうちわによって天狗になり、その高慢さが戒められるのです。



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18:25 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『雁取りじい』 欲張り者に厳しい日本の昔話
むかし、ある川の川上に上のじいが、川下に下のじいが住んでいました。ふたりはいつも、川に竹のどっこ(漁に使う細長い道具、魚が入ると出てこれない)を仕掛けて、魚を取っていました。



ある日、上のじいが、どっこを引き上げてみると、どっこには木の根っこが入っていたので、「こんなものいらねえ」といって脇へ投げ捨てました。

そして上のじいは、下のじいのどっこを覗いてみると、こっちには雑魚がいっぱい入っているので、それをみんなとって自分のびく(とった魚を入れておく籠)に入れ、さっき投げ捨てた木の根っこを、下のじいのどっこに代わりに入れて帰りました。



さてその後、下のじいが、川へどっこを引き上げにいきました。下のじいは、自分のどっこに木の根っこが入っているのを見て、「おや、これはもったいない。これだって、乾かして割って燃やせば、味噌汁ぐらいは煮て食えるさ」といいました。

下のじいは、木の根っこを持って家に帰り、何日もよく乾かすと、それを火にくべようと思い、カツンと鉈を立てました。するとどこかからか「じい、静かに割れ」という声がします。

下のじいは「はてな」と思い再びカツンと鉈を立てると「じい、痛いから静かに割れ」という声がします。「あれ、この中に何かいるのか」と思ってそっと割りました。

根っこの中には、小さな白い子犬が一匹ちょこんと座っていました。「ははあ、おまえだったのか」下のじいは、ばあとふたりで、白い子犬をだいじに育てることにしました。子犬は食べれば食べるだけ大きく育ちました。



あるとき白犬は下のじいに、「一緒に山へ連れて行け」といいました。そして「おらの背に弁当や鉈だの乗せろ」といいました。

下のじいは「馬でもあるまいし、そういうわけにはいかない」といいますが、白犬は「いいから乗せろ」といってききません。じいはその通りにしました。

山につくと白犬は「じい、じい。『あっちの鹿こもこっちへこう。こっちの鹿こもこっちへこう』と叫んでみろ」といいました。

下のじいはその通りにしました。するとあっちからもこっちからも鹿がぴょんぴょん飛んできました。

そこへ白犬が飛び出しっていって、鹿の喉にバチッと食いつけばころっと倒れ、カチッと食いつけばころっと倒れ、鹿はみんな死んでしまいました。

その鹿を、下のじいと白犬が背負って帰りました。そして町へ持っていくといい値で売れました。

上のじいはこれを聞いて、あの木の根っ子は、もともとはおれのものだった。よし行って、その犬を借りてこようと、下のじいの家に出かけていきました。

「おまえさんのところにいい犬がいるそうだな。ひとつおれに貸してくれ」下のじいは仕方なく上のじいに、白犬を貸してやりました。



上のじいは白犬が山へいけともいわないのに無理やり引っ張って山へ入りました。しかし獲物は何も出てきません。

そこで上のじいは、「あっちの蜂もこっちへこう、こっちの蜂もこっちへこう」と叫びました。

すると、あっちからもこっちからも、蜂がブンブン飛んできて、上のじいをところ構わず刺しまくりました。散々な目にあった上のじいは、その場で白犬を叩き殺してしまい、そして松の木の根本に埋めて帰ってきました。

下のじいは、二日経っても三日経っても、上のじいが白犬を返してくれないので、上のじいのところへいきました。ところが、上のじいは、あんな白犬は殺して、松の木の根本に埋めてきたといいます。

下のじいは、かわいそうなことをしたといって、白犬の眠る松の木を切って持ち帰り、磨臼(すりうす)をこしらえました。

そして、ばあと一緒に、「銭も金も、ばらばらー。米も酒もばらばらー」といいながら臼を回しました。すると銭も金も、米も酒もバラバラと出てきます。



上のじいはこれを聞くと、また下のじいのところに行って「おまえのところにいい臼があるそうだな。ひとつおれにも貸してくれ」と言うので下のじいは仕方なく貸してやりました。上のじいは臼をかついで帰り、ばあとふたりで回してみました。

「馬の糞は、ごーろごろ。牛の糞は、ごーろごろ」といいながら磨臼を回すと馬の糞や牛の糞がゴロゴロといっぱい出てきます。

上のじいは、またしても怒って、臼を叩き割ると、火にくべて燃やしてしまいました。下のじいは、二日経っても三日経っても、上のじいが臼を返してくれないので上のじいを訪ねました。

しかし上のじいは、またしても、あんな臼、かまどで燃やしてしまったなどといいます。下のじいは仕方なく、かまどの灰を集めて持ち帰りました。



下のじいは、夕方、雁(がん)が列を作って空を飛んでいく時「雁のまなこに入れ。雁のまなこに入れ」と唱えながら灰を空に向けてまきました。

するとその通りのことがおきて。雁がポタポタと落ちてきます。下のじいは落ちた雁を集めて、町に売りに行くと、いい値段で売れました。



上のじいはこれを聞くと「おれも雁を取ってやる」といって、かまどの灰をたくさん集め、夕方、雁が飛んでいくときに屋根に上がり、「じいのまなこに入れ。じいのまなこに入れ」といいながら灰をまきました。

すると灰は、みんな上のじいのまなこに入り、上のじいはゴロゴロドターンと屋根から落ちてしまいました。

その音で上のばあは、大きな雁が落ちてきたと思い、外へ飛び出して、上のじいを棒でバタバタと叩きました、と物語は結ばれます。



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このお話も、住む場所は隣ではなく、上と下と表現されますが、隣の欲張り者が戒められるお話の類型と言えるでしょう。

しかし欲張り者が戒められるのは自ら望んでそうなっているので自業自得であり欲張り者のじいの意図が、よくつかめませんでした。

はじめのうちは、論理的思考をしていた欲張り者のじいが、なにゆえ、自分が不幸になるような掛け声を発したのでしょうか。

幸せを享受する下のじいが、欲張り者の上のじいに、仕方なく幸せを呼び込むアイテムを貸したとされていますが、この仕方なくという表現、想像するに、下のじいは、上のじいに、わざとアイテムの誤った使い方を教え誤った掛け声を発するようにしくんだのではないでしょうか、するとこのお話の辻褄が合います。

しかし、そのような描写はありません。まあ素直に、上のじいという欲張りな愚か者が、自然と愚かな掛け声をあげて、不幸の道をたどったとするのが、昔話の読み方として正しいのかもしれません。ことに欲張り者に対して、これでもかと、日本の昔話は厳しいです。



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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『にぎりめしころころ』 確立された隣の欲張り者のお話
むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。



ある日おじいさんは、おばあさんに握り飯を作ってもらい、山へ芝刈りに行きました。お昼になったので、おじいさんは、木の切り株に腰を下ろして、握り飯を食べようと、握り飯を包んだ竹の皮を広げました。

ところが握り飯は、みんな、ころころと転がり始めました。おじいさんは握り飯を追いかけました。握り飯はどんどん転がって、とうとう洞穴へ入ってしまいました。そこでおじいさんも洞穴へ入っていきました。

洞穴の中には鬼がたくさんいて、恐ろしい声で「じいさん、なにしにきた」と聞きました。

おじいさんは、「握り飯を食おうと包を開いたら、握り飯がころころと転がり、追いかけていくと、この洞穴に入ってしまったので、わしもついてきたのじゃ」とわけを話します。

すると、鬼たちは聞きました。「じいさん、おまえは歌が歌えるか。踊りをおどれるか」

おじいさんは正直に「わしは歌も好き、踊りも好きじゃ」と答えると、鬼たちは喜んで「それでは一緒に踊ろうじゃないか」といいました。



おじいさんは鬼に食われてはたまらんと、鬼たちと一緒に、一生懸命、歌ったり踊ったりしました。おじいさんは歌も踊りもたいそう上手だったので鬼たちは感心し大喜びします。

さんざん踊ったあとで鬼たちは、金の棒を一本取り出し、「じいさん、実はおまえの握り飯は、俺達が食べてしまったのだ。代わりに、この金の棒をおまえにやる。ご飯がほしいときには釜に湯を入れ、これでかき回せ。『赤いご飯になれ』といえば赤いごはんが、『白いご飯になれ』といえば白いご飯ができる」といいました。

おじいさんは、これはいいものをもらったと、喜んで家に帰りました。その日からおじいさんの家では、お湯を釜に入れ、金の棒でかき回し、赤や白の米を食べました。



さて、このことを知った隣の欲張りじいさんは、自分もあやかろうと、ばあさんに握り飯を作らせて、それを山に持って出かけ、握り飯の竹の皮を広げました。ところが握り飯は転がりませんでした。

欲張りじいさんは、しまいに、自分で握り飯を転がし始めます。無理に転がしていくと、握り飯は洞穴の中へ入っていきました。

欲張りじいさんは、洞穴に入っていくと、そこには、やはり鬼がたくさんいて、恐ろしい声で「じいさん、なにしにきた」と聞きました。

欲張りじいさんは、嘘をついて、転がる握り飯のあと追って、洞穴に入ってきたと答えると、鬼はやはり、「じいさんおまえ歌歌えるか。踊り踊れるか」と聞きました。

しかし欲張りじいさんは、歌を歌ったこともなければ、踊ったこともありません。しかしじいさんは「わしは歌も大好き踊りも大好きじゃ」とまたしても嘘をつきました。そして鬼たちと一緒に歌い踊りました。

嘘をついた欲張りじいさんの歌と踊りは、下手くそでした。鬼たちは怒り出してしまい、欲張りじいさんを、さんざん懲らしめます。欲張りじいさんは命からがら逃げ帰った、と物語は結ばれます。



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類似のお話がありました。『地蔵浄土』がそれです。小豆の団子を握り飯に置き換えれば、このお話のほうが構造的には簡易ですが、ほぼ同じ展開です。

日本の昔話でおなじみの隣の欲張り者の猿真似が戒められるお話です。幸福を恣意的に導こうとする行為はうまくいきません。

穴にものが紛れ込むという点では、世界に広く分布する、『ホレおばさん』型のお話といってもいいでしょう。その意味では確立された隣の欲張り者のお話ともいえます。



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18:30 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『ほくち箱』 H.C.アンデルセン 童話という名の魔法
イチ・ニー、イチ・ニー。広い通りに沿ってひとりの兵隊が行進してきました。兵隊は、もううんざりするほど戦争をしてきたので、今は故郷に帰りたいと思っていました。

そして兵隊は道中、魔法使いのおばあさんに出会いました。魔法使いは、兵隊にそばにある木を指差していいました。「あの木の中はがらんどうになっていて、てっぺんの穴から下に降りることができる。あんたの体に綱を巻くから、いつでも引き上げることができる。だから仕事をしてくれ」と。



話によると、木のてっぺんから下に降りれば、そこは大広間になっていて、3つの扉があり中にはそれぞれ部屋がある。一番の部屋には銅貨、二番の部屋には銀貨、三番の部屋には金貨の入った大きな長持ちがあって、それぞれの長持ちの上には、大きな犬が乗っていいるというのです。

またその犬は、硬貨の値打ちの順に大きくなり、金貨の長持ちの上の犬は、コペンハーゲンの円筒(直径約15m)ほどの大きさの目をした大きな犬が乗っているというのです(銅貨、銀貨の長持ちの上に座っている犬も、その大きさは、目の大きさが何かに比喩されて表現されます)。

しかし犬は、魔法使いの差し出したエプロンの上に移せば、その間に安全にそのお金を取ることができるというのです。

そして魔法使いは、そのお金を兵隊にあげるから、自分には木の洞の中に忘れてきた、ほくち箱(火をおこすのに使う火打ち石や火口の入った箱)を取ってきてくれればそれでいいというのです。兵隊はこんなうまい話しはないと思って引き受けました。



兵隊は魔法使いのおばあさんの仕事をこなしました。兵隊はたくさんの金貨とほくち箱を持って、木の洞の中から出てきます。

魔法使いはほくち箱を渡せといいます。兵隊は、不審に思い、こんなほくち箱をどうするつもりかと尋ねました。

しかし魔法使いは死んでも話さないと言うので兵隊は魔法使いの首を剣ではねました。そして町に向かいました。



そこは素晴らしい町でした。兵隊は、有り余るお金で、町で一番の宿に泊まり、好きなものをたらふく食べました。そしてすてきな服を買いそろえると、どこからみても一人前の紳士となりました。

すると町の人は、ここでみられる一番美しい場所だとか、美しいお姫様の話を兵隊にしてくれました。兵隊はお姫様に興味を持ちます。

兵隊は町の人に、どうしたらお姫様を見られるのかと尋ねました。しかし町の人によると、お姫様は銅のお城に住まい、そこに出入りできるのは王様だけだといいました。王様は予言で、お姫様が、ただの兵隊と結婚すると知って、銅のお城に閉じ込めてしまったというのです。



兵隊は魔法使いから得たお金で、裕福に暮らしました。また彼は無一文の辛さを知っていたので、貧しい人にお金を与えました。そこが彼の優しいところでした。

やがて兵隊は、お金を使うだけで少しも稼がなかったので、とうとうお金が底をつきます。安い宿に移り、やがて町の人も離れていきました。



ある夕暮れ時、兵隊はろうそくを買うお金もなくなり困っていると、彼は、あのほくち箱のことを思い出しました。そしてろうそくの燃えさしを取り出し、火打ち石を叩いて火花をちらしました。

すると、いつかの木の洞の中で会った、あの銅貨の長持ちの上に座っていた犬が現れ「旦那様、ご命令を」というのです。兵隊は驚きました。なんとこのほくち箱は、何でも望みを叶えてくれる、あの有名な魔法のほくち箱だったのです。兵隊はお金を少し持ってきてくれと命令しました。すると、犬は、金貨が詰まった袋をくわえて戻ってきました。

この箱は一回叩くと銅貨の長持ちの上に座っていた犬が現れ、二回叩くと銀貨の長持ちの上に座っていた犬が現れ、三回叩くと金貨の長持ちの上に座っていた犬が現れることも知りました。兵隊はまた裕福な暮らしに戻り、町の人も再び集まってきました。



さて兵隊には思うところがありました。お姫様はたいそう美しいというのに、城から出ることもなく、誰にも見ることはできないというのは、不自然なことではないのか。せっかくの美しさも台無しなのではないのかと。

兵隊はある日、今は真夜中だけれども、このほくち箱を使ってお姫様に会いたいと思いました。そしてそれを実行に移します。

犬はすぐに、お姫様を背中に乗せてやってきました。お姫様は眠っていました。兵隊は何しろ、生まれ持っての無骨者だったので、お姫様に口づけをしてしまいます。しかし、お姫様は夢の中の出来事と思いました。



翌朝お姫様は、昨夜の不思議な夢の出来事を王様とお后様に。話しました。お后様は、その夢を不審に思い、晩になると、お姫様に、女官を寝ずの番につけました。本当に夢の出来事なのかを確かめるためです。

一方、その晩も兵隊は、お姫様を連れ出しました。お姫様が犬に連れ出されるのを見た女官は後を追いました。女官は水靴というものを履いていたので、犬の速さについていくことができました。女官は兵隊の宿をつきとめると、その扉に大きくチョークで×印をつけました。

けれども翌朝それに気づいた兵隊は、町中の家の戸に×印をつけて回りました。女官は兵隊の宿を特定することができなくなりました。

しかし、お后様は賢いお方で、小さくて、しっかりした袋を作ると、中に小麦粉を入れ、お姫様の背に結わえ付けました。そして、その袋に小さな穴を開け、お姫様の行方が知れるように、白い粉の筋がつくような仕掛けを作りました。これで兵隊の宿は知れてしまいます。



兵隊は牢に入れられてしまいました。牢番は明日、兵隊が首吊りの刑にされることを伝えました。

翌朝、鉄格子のついた小さな窓の向こうに、街中から首吊りの刑を見に集まってくる人々が見えます。その中に靴屋の小僧さんが、ちょうど折よく、牢屋の壁沿いに沿って走ってきます。

兵隊は靴屋の小僧さんに話しかけました。「俺の宿から、ほくち箱を持ってきてくれたら四シリングあげるんだがね。でも大急ぎで行ってくれないとあげないよ」

靴屋の小僧さんは四シリングが欲しかったので、ほくち箱をすぐに持ってきました。さあこれからどうなるでしょうか。



首吊りの刑の用意は整いました。王様と役人が前に座り、周りを、町の人々が囲っています。

兵隊は「不幸な罪人が、その償いとして命を召される前に、ささやかな願いをすることがひとつ許されることになっていましたよね」といいました。そしてタバコを吸うことを王様に所望します。

これには王様も、だめだとはいえませんでした。そこで兵隊はタバコに火をつけようとほくち箱を取り出します。

カチン、カチンカチン、カチンカチンカチン。すると出し抜けに三匹の犬が現れました。兵隊は犬たちに、この首吊りの刑をやめさせてくれと命じました。すると犬は役人たちや王様たちを、足や鼻面で遠くに跳ね飛ばして、体をバラバラにしてしまいました。



町の人々は叫びました。「小さな兵隊さん。あなたこそこの町の王様です。あの美しいお姫様をもらわれるお方です」そしてお姫様は銅の城から開放されました。

お姫様は、新しいお后になったことを、ことのほか喜び、婚礼は一週間続きました。そして三匹の犬もテーブルに座り、それぞれの目を、見るものすべてに、いよいよ大きく見開いたのだった、と物語は結ばれます。

-1835年-



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ひとりの、苦労人を思わせる兵隊が、偶然手に入れた魔法の力によって、未来を切り開いていきます。

彼の魔法の使い方は、無骨ですが、道義的に人間性を逸脱することはありません。これは彼のこれまでの人生がそうさせているのでしょう。そんな兵隊に、温かな視線が注がれています。やがて、その魔法の使い方も、次第に洗練されていくことが予想されます。

逆に、はじめから、すでに持っているが故に、力をどう使うべきかなどは知らず、強力な力を背景に、他人を自分のために利用したり、また、そのために、他人を枠にはめて束縛しようとするような、非人道的な人間は、容赦なく排除されます。



アンデルセンの伝記を読むと、兵隊には、彼の人格が分け与えられているのがよくわかリます。

アンデルセンにとって、偶然、手に入れた魔法の力とは、童話だったのかもしれません。彼は、様々な挫折の末に、童話作家としての不動の地位を築いています。

そんな自らの体験を示すように、最後三匹の犬は、その大きな瞳を、見るものすべてに、いよいよ大きく見開いたのだった、と物語は結ばれます。

これは見識の拡大を意味しているのではないでしょうか。はじめは無学で粗野だったアンデルセンが、洗練された人物へと変貌していく、彼のたどった人生そのものを、例えているようにも思えます。



本文中に、靴を用いた描写が多くみられますが、これはアンデルセンの愛した父が、靴職人であったことと関係するかもしれません。



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18:32 : アンデルセン童話集〈上〉 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『猿地蔵』 欲張り者ゆえに戒められるものの、同情を誘う物語
むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。ある日おじいさんはおばあさんに、のりもちの弁当を作ってもらって、山へ木を切りに出かけました。



ところが山では猿が出て、ちょろちょろ歩き回るので仕事がはかどりません。おじいさんは猿を脅かして、追っ払ってやろうと思いました。

おじいさんは弁当ののりもちを長く伸ばし顔にべたっと貼り付けると、木の切り株に腰をおろしてじっとしていました。



猿たちは、それを見て、「こんなところにお地蔵様がいらっしゃる。かついで山へお運びしろ」といいながら、ぶどうづるを編んでもっこをこしらえ、それにおじいさんを入れてかつぎました。

しばらく行くと川があるので猿たちは、

「猿のふんぐり(睾丸)ぬれるとも、
地蔵のふんぐりぬうらすな、
は、ほいーほい、
やんこらほいー、
やんこらほいー」

と掛け声をかけながらおじいさんをかついで川を渡りました。

川の向こうの山につくと、猿たちは山の恵みをたくさん取ってきて、箕の木の皮の上に置いた、おじいさんのお地蔵さんに供えました。それから皆で拝みました。



夕方になると猿は皆いなくなりました。そこでおじいさんは、猿がお供えした、栗の実や、山葡萄や、きのこなど、うまいもんをどっさり背負って家に帰り、おばあさんと二人で大喜びして食べました。

そこへ隣のばあさんがやってきてこの様子を見ると、どうしたわけかと聞きました。おじいさんとおばあさんは今日の出来事を話します。すると隣のばあさんは、うちのじいさんにも同じことをさせようとしました。



隣のじいさんは山へ出かけました。そして同じように事が運ぶように思えました。そして川を渡る際に猿たちは例の掛け声を発します。

「猿のふんぐりぬれるとも、
地蔵のふんぐりぬうらすな、
は、ほいーほい、
やんこらほいー、
やんこらほいー」

隣のじいさんは、その猿の掛け声がおかしくて、思わず「へ、へっ」と吹き出してしまいました。

すると猿たちは、「これは偽の地蔵だ」と叫んで、隣のじいさんをさんざん引っ掻いたあげく、川へどんぶりと投げ込んでしまいました。隣のじいさんは、やっとの思いで岸に上がり家に帰りました。



隣のばあさんはそれを見て、「じいさんが赤いぼろの着物をもらって歌いながら帰ってきた。そんなもの焼いてしまえ」といって火をつけます。

ところが、じいさんは着物など着ておらず、それはじいさんが猿に引っかかれたあとであり、また、じいさんは、歌などうたってはおらず、泣きながら帰ってきたのでした。

あてが外れた隣のばあさんは隣へ駆け込み、どんなぼろでもいいから、うちのじいさんに、何か着るものを貸しておくれと泣きつきました。そしてじいさんに借り物のぼろを着せてやりました、と物語は結ばれます。



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笑い話とも受け取れますが、やはり、日本の昔話でお馴染みの、隣の欲張り者の猿真似を戒める、お話の類型のようです。

しかし、このお話では、戒めを受けるであろう隣のじいさんに、そのくだされた罰の大きさを考えると、同情がわいてきます。全身引っかかれた上に、体に火までをつけられています。

また、猿が、川を渡る時の、一生懸命ではあるけれど、それゆえユーモアが感じられる掛け声も、それを助けているかもしれません。日本の昔話によく用いられる下ねたですね。

この掛け声のシーン、想像するとしょうもない描写なのですが、おかしみを誘います。吹き出してしまった隣のじいさんにもっともだ、との思いを持つのでした。



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18:31 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『猿の恩返し』 命に関わる、正義の中の正義
短いお話です。

むかし、ある村に、腕利きの狩人がいました。狩人は、猿が山から降りてきて、何かと悪さをするので、握り飯を持って山へ猿を撃ちに行きました。



狩人は木の実を拾っている小猿を見つけました。小猿は撃たれると思って逃げようとしますが、優しい狩人は子どもには鉄砲を向けません。腹が減っているのであろう小猿に、握り飯をひとつ与えました。

小猿は握り飯をもらうと、木の上を見上げて登っていきました。木の上には親猿が座っていました。小猿はその病気の親猿に、握り飯を食べさせました。

狩人は自分も飢えているだろう小猿の、親猿を思う気持ちに感心していると、小猿は木から滑り降りてきます。

そして狩人の手を引っ張ると、そばのかしの木の根元に連れていき、その木に登れと、「キャッキャ、キャッキャ」と急かします。

木の上でも親猿が急を告げるように騒ぎ出しました。狩人は鉄砲を持ったまま小猿の後についてかしの木を登りました。

狩人が木の上まで登ったのを見届けると小猿はそのまま木から木を伝って親猿のもとへ戻っていきました。

するとその時、山奥から大きな虎が出てきました。そう小猿は、握り飯のお礼に狩人を虎から救ったのです。

狩人は虎に鉄砲の狙いを定めると、打ち倒しました。それから狩人は残りの握り飯を全部小猿にやり、大きな虎をやっとの思いで担いで帰りました、と物語は結ばれます。



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動物報恩譚ですね。短いお話の内に、心動かされるエピソードが詰まっています。飢えているものに食べ物を差し出す行為は、命に関わる正義の中の正義です。それに猿が応えて狩人の命を救います。

虎が不正義であるとされていますが、衝動に抗うような描写はないので仕方ありません。



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18:15 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『猿ときじの寄り合い田』 弔い合戦によく見られるモチーフ
むかし、猿ときじが一緒に田んぼを持ち、寄り合い田にしていました。



やがて春になって、田の畦塗り(くろぬり)の頃になりました。田んぼのへりを土でかためる仕事です。きじは猿にいいました。「猿どん、猿どん。よそでは田の畦塗りを始めたからおれたちもやろう」

すると猿は、「さてさて、きじどん。おれは足が痛くて、とても畦塗りはできないんだが」といいました。するときじは、「ああ、いいとも、いいともだいじにしてくれ、おれが畦塗りをしておくから」といって、一人で田の畦塗りをしました。

日が過ぎてやがて田んぼを耕す田打ち時になりました。きじは猿に一緒に仕事をしようと誘いますが、今度も猿は、頭がいたくて、とても仕事はできないといいます。

気のいいきじは、こころよく今度もまた一人で仕事を引き受けました。こんな調子で、田植え時にも猿は不調を訴えるので、きじがひとりで仕事を引き受けます。

やがて秋になって収穫時を迎えますが、またしても猿は不調を訴え、稲刈りもきじひとりが仕事を引き受けました。そして米が収穫できました。



すると今度は猿の方から、ちょんちょ、ちょんちょと跳ねながらやってきて、きじにいいました。

「きじどん、きじどんお前には今までたいそう骨を折らせたが、きょうはひとつ取れた米で餅をついて食べよう」と誘います。

そう話が決まると、せいろで米を蒸すやら、臼を取り出すやら、盆と正月が一度に来たような騒ぎになりました。そして猿が餅を突き、きじが餅こねをすることになりました。

餅が突きあがると、猿はきじに桶を用意してくれと頼みます。きじは台所に桶を取りに行きました。すると猿は、そのすきに臼の中の餅を杵の先に引っ掛けて、山へ逃げていきました。

きじは、桶を持って戻ってくると、猿もいないし、餅もなくなっています。気のいいきじも、さすがに猿の行いに気づいて憤慨し、猿を追いかけます。けれども猿のすがたはどこにも見当たりませんでした。



さて猿はというと、あんまり慌てて逃げたので餅を藪に落としたのに気づかずにいます。そして山の上まで来ると、きじの泣きっ面を想像して悦に入っていました。ところが杵の先にくっつけた餅はありません。

猿は、びっくりして餅を探しに山を下っていくと、きじが藪の中でちりまみれになった餅を、ちりをとりとり食べていました。

猿はきじに、自分にも餅を分けてくれと何度も懇願しますが、きじは譲りません。猿はとうとう怒ってしまいます。そして今晩、夜討ちをかけに行くから覚えていろ、と脅し文句を残して帰っていきました。

きじは猿を怒らせてしまったので心配で心配でなりません。家に帰っておいおい泣きました。



するときじのもとに、卵がころころ転がってきて、「きじどんきじどんどうして泣いている」と尋ねました。

きじは卵に、猿の夜討ちのことを話しました。そして卵は「そんなに泣くことはない、おれが助けてやる」といいました。

それでもきじはまだ泣いていると、しんばり棒や、畳針や、苦虫や、はさみ虫や、べた糞や、大きな石臼もやってきて「きじどんきじどん泣くことはないぞ、おれたちがみんなで助けてやるから」といってくれたので、ようやくきじも安心して泣き止みました。

さて日暮れも近くなったので、しんばり棒は戸の口に、卵は囲炉裏の灰の中に、畳張りは囲炉裏端に、苦虫は味噌桶の中に、はさみ虫は水瓶の中に、べた糞は敷居に、石臼は天井の梁に、それぞれ持ち場持ち場について、猿を待ち受けました。



いよいよ夜になりました。猿は「きじよ、きじよ夜討ちだぞ」と叫んでやってきました。しかしきじの家は、静まりかえっています。猿は戸を開けて入っていきました。

するとそのひょうしに、しんばり棒がびぐんと猿のおでこを打ちました。猿は「あ、いてて。誰だひとのおでこを殴るやつは」

猿は、おでこをなでながら、囲炉裏端に行きました。猿は寒かったので囲炉裏の火種を吹いて火をおこしました。すると卵がぱちんと跳ねかえって猿の股に飛び込みました。「あちち、あちち」

猿は前を抑えて、べたんと尻もちをついたはずみに、畳張りがぶきっと猿のお尻に突き刺さりました。「いてて、いてて。あちち、いてて。味噌はどこだ。味噌は火傷の妙薬だ」

猿は大騒ぎして味噌桶に走っていきました。そして火傷につけるつもりが、ついつい味噌を口に入れて食べてしまいました。

その時味噌に隠れていた苦虫をぶっつり噛み切ってしまったからたまりません。「うわあっ、苦い、苦い、これはたまらん、ぺっ、ぺっ、ぺっ」

猿は慌てて水を飲もうと、水瓶に首を突っ込むと、そこにははさみ虫が待ち構えていて猿の舌をちょっきんと切ってしまいました。

猿は「きじに夜討ちどころかこっちが夜討ちにあってしまった」と肝をつぶして、えっさもっさと逃げようとすると、べた糞を踏みつけ、べらりと滑って、ずどーんと転がってしまいました。

そこへ石臼が「欲張り猿を退治するのは今だ」と天井の梁から、ごろごろ、どんがらやっと、猿の上に落ちてきて、めでたくきじの仕返しをしたということです、と物語は結ばれます。



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この正義を行う、卵や、針や、石臼という寄せ集めは、何の根拠で選ばれているのかは不明ですが、グリム童話にも、(KHM41) 『コルベスさん』をはじめ、同様の話が、二、三あります。(構成者は日本のものと少し違います)中でも、とどめをさすのは、いつも石臼です。

弔いお合戦のお話によく見られる展開で、これも、世界共通のモチーフと言えるのではないでしょうか。



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18:24 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
読書雑記−やっと巡り会えた原書に近いアンデルセン童話集
このブログでは、子どもの本を扱う試みと謳っていながらも、アンデルセンの作品から少し距離を置いていました。

今から二百年あまり昔に生まれたアンデルセンの作品が、今もなお読み継がれているという事実以上のことが感じられなかったのです。

どの翻訳本を読んでも、なにかしっくりこないのです。その原因は何なのかしばらく疑問でした。

しかし、英語版の、更に荒俣宏さんによる日本語訳の、アンデルセン童話集の新訳本が出て、そのあとがきを読んでみると、その原因がおぼろげながらわかったような気がします。



アンデルセンの童話には、子どもにはふさわしくないとされるシーンがあふれているため、多くの国で、原書にある表現が、少なからず省略や改ざんがなされているというのです。

まあ、ごく、小さい子どもに読み聞かせるには、そのような配慮も必要でしょう。

しかし、アンデルセン自身が、どんなに注意深く、一語一語を大切に、推敲に推敲を重ねたとされる文章を、我々は、子どもへの教育的配慮という名のもとに、安易に、省略や、まどろっこしい表現へ置き換えてもよいものでしょうか。



同様なことは、ビアトリクス・ポターの作品に於いても起こっています。原書には、まず、作者の子どもへの信頼がありました。

しかし、彼女の作品の翻訳本には、残念ながら子どもへの奇妙な配慮が感じられるのです。

ですが、ポターの読者年齢は、低いことが考えられるので、そのような配慮も妥当かもしれません。そのほうが世俗にも迎えられるでしょう。



また、個人の創作ではありませんが、民話(昔話)に於いても同様なことが起きています。

グリム童話を含む世界の民話には、原本に於いて、当然のことながら、子どもへの教育的配慮などありません(グリム童話では、多少、教育的配慮から、改訂が繰り返され、版を重ねています)。

しかし現代では、民話は、再話される段階で、急速に表現を和らげます。あるいは逆に誇張するものもあります。

それによって原本にある豊かさは、失われてしまうのではないでしょうか。グリム童話や世界の民話の大家である小沢俊夫さんも苦言を呈していました。



配慮を欠いたものを子どもには読ませるわけには行かない、という大人がいます。しかし、騒ぐのはその大人だけで、子どもの反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているようにも思えますがどうでしょう。



まあ、なにはともあれ、この翻訳本が手に入ったことで、やっとアンデルセンがストレスなく読めそうです。最後に翻訳者の荒俣宏さんのあとがきから、少し引用します。


魔法はすてきな力だが、同時に残虐でもあることを述べているからこそ、子供はアンデルセンを通じて賢くなり、悲しみや恐怖に打ちかつための「生きていく力」をつちかうことができた。だからこそ、彼の童話が生誕二百年を経た今も世界中で愛読されているのだろう。この事実にこそ、童話の真の役割がはしなくも示されたのだと、わたしは思っている。つまり元来のアンデルセン童話は、けっして「児童文学」ではなく、子供のままで大人の心を知る「成人文学」なのである。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき


童話の真実とは、実は子供こそがほんとうの語り手であり、童話のすごさが理解できない大人のためにわかりやすく書き直されている大人向けの本である、ということなのだ。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき




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19:01 : ■ アンデルセン雑記 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『きつねと熊』 洋の東西を超えた共通のモチーフ
むかし、ある山に、狐と熊が住んでいました。ところで、お人好しの熊は、いつも狐に騙され、得をするのは狐でした。



ある時、狐は熊に言いました。「熊さん、熊さん。山のものを取って食うのもいいが、たまには二人で畑を耕して、何か作って食べようではないか」

熊は賛成し、その気になって一生懸命畑を耕しました。そこへ狐が大根と人参と長芋の種を植え付けました。

そして狐は言いました。「熊さん、熊さん。これが取れたら土から上のものは、みんなお前さんにやろう。俺は土の下のものだけでいい」

やがて大根と人参と山芋ができました。狐は約束通りそれらを収穫し、熊は大根と人参との葉っぱと長芋の茎をもらって帰りました。



二、三日して熊が狐の家に行ってみると、真っ白で太い大根と、真っ赤でうまそうな人参と、見事な山芋がありました。熊はこれをみて言いました。

「はてな、狐どん。なんだかおまえ、いい方ばかり取ったじゃないか」

狐は「熊さん熊さん、忘れたのかい。おまえが『上のほうがいい、上のほうがいい』と言うから俺は土の下の方で我慢したんじゃないか」とまくしたてました。

熊は「ああそうか、それなら今度実った時は、俺に下の方をくれ」と頼みました。狐は承諾してまた畑を作ろうと言いました。



また熊は畑を耕します。狐が今度は、瓜と、西瓜と、南瓜の種を植えました。

いよいよ実って獲り入れ時になると、熊は約束通り下の方をもらって帰りました。そして狐も約束通り上の方を取りました。

しかし熊は、いざ食べようとすると、どれもこれも、豚のしっぽのような茎や根ばかりなので、とても腹を立てました。

そして狐の家に行ってみると、美味しそうな瓜と、西瓜と、南瓜が、たくさんあるのを見て文句を言いました。

狐はすまして「熊さん、熊さん、『下の方がいい』と言ったのはお前じゃないか。俺は上の方で我慢したんだ」と言いました。熊は返す言葉もありませんでした。



熊はいくら畑を作っても、美味しいところが食べられないので、がっかりして山の中を歩きまわりました。

するとふくろうが木の上から熊に「元気がないな」と声をかけるので、事情を話しました。

ふくろうはこれを聞くと笑いだして「ほっほっほっ。熊さんや、それはお前さんが狐どんに騙されたんじゃ。ひとつわたしがいいことを教えてやろう」と言いました。

ふくろうは話します。「いや実はいま、お百姓が馬を引いていったんだが、馬には急所があって、そこを噛みつかれると、ころっといってしまうんだ。そうすればあとは食い放題。狐どんは馬の肉が好きだから、これを教えてあげなさい」

熊はその馬の急所とはどこかと聞くと、ふくろうは後ろ足の筋だと答えました。早速熊は狐に教えに行きました。



食いしん坊の狐は、話を半分も聞かないうちにすぐにかけだし、お百姓さんの馬のところへいって、いきなり馬の後ろ足に噛みつきました。

すると狐は、すぽーんと馬に蹴られて死んでしまったということです。ずるいことばかりしていると、終わりはこんなものだと物語は結ばれます。



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グリム童話に、そっくりのお話があります。(KHM189) 『お百姓と悪魔』がそれです。しかし物語の結ばれ方は対象的な印象ですね。

このお話の狐をグリム童話ではお百姓さんが担い、そして熊の役回りは悪魔がこなします。これだけで話の方向性は想像できましょう。

そう、このお話では狐のずる賢さがたしなめられるのですが、グリム童話ではお百姓さんの知恵が讃えられるのです。

どちらのお話も登場者が、畑の上か下のどちらかを収穫するかということでお話が展開していきます。洋の東西を超えた共通のモチーフといえます。



また別の切り口で読むと、西洋では、狐はずる賢いという属性をあまり示しません。賢い動物として讃えられるケースが多いのです。狐のずる賢さがクローズアップされるのは日本の昔話に顕著です。



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18:17 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
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