日本の昔話 4 より 『ぐつのお使い』 子どもの使いをモチーフとした笑い話
2018.08.30 Thursday
むかし、あるところに、ぐつという子どもが母親と一緒に暮らしていました。
ある日、母親はぐつに、「お寺へいって和尚さんに『きょうは父さんの命日だからお経をあげに来てください』と頼んでおいで」といいました。
ぐつは和尚さんは、どんな着物を着ているのかと訪ねました。母親は「赤い衣だ」といいました。ぐつはすぐに出かけます。
そしてお寺の門の前まで行くと、そこに赤い牛がつながれていたので、ぐつはそれを和尚さんだと思い、牛に話しかけました。
すると牛は「もうー」と一声泣きました。ぐつはそれを「もうー来ない」と言ったのだと思い、家に帰ると、そのことを母親に話しました。
母親はぐつによく聞いてみると、ぐつが相手にしていたのは、牛だということがわかりました。そして母親は、「和尚さんは寺の中にいて、きょうは黒い衣を着ているかもしれないと」いい、もう一度ぐつを使いに出しました。
ぐつはまた出かけていきました。するとお寺の門に入ったところで、屋根にカラスが止まっているのを見つけ、ぐつはそれを和尚さんと思いました。
ぐつはカラスに話しかけました。するとカラスは「かあー、かあー」と鳴き、飛んでいってしまいました。それをぐつは、父さんの命日なのに「母あー、母あー」と言ったと、わけのわからない報告を母親にし、またしても用を足せません。
母親は呆れてしまいました。そして自分で和尚さんを呼んでくるから、和尚さんにあげるご飯が炊けるのを見ておくように、ぐつにいいつけました。
母さんは出かけました。ぐつは言われた通りご飯が炊けるのを見ていました。やがて御飯が炊けてきて「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き始めました。
ところがぐつは、ご飯が自分を呼んでいると思いこんでしまいます。そしてご飯に対して「何だ」と話しかけたりするのですが、当然のごとくご飯は、「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き続けます。
しまいにぐつは、「おれを馬鹿にするな」といって、そばにあった灰をつかみ、釜の蓋をとると、ご飯の中に投げ込みました。それでもご飯は鳴り止まないので、ぐつはお釜のご飯を庭にぶちまけました。
そこへ母親が和尚さんを連れて帰ってきました。ところが庭にはご飯がぶちまけてあります。母親はがっかりしました。
母親は、和尚さんにあげるご飯をだめにしてしまったので、代わりに天井裏にある甘酒を下ろして、和尚さんにごちそうすることにしました。
母親が天井裏に上がって、ぐつが下で瓶のしりをささえて受け取ることになりました。母親が「そんなら下ろすよ。しっかりしりをおさえたか」と大声でいうと、ぐつは「おう、よくおさえたぞ」と返事をしました。
ところが母親が手を話すと瓶は床に落ちて割れてしまいました。ぐつは瓶のしりではなく自分の尻をおさえていたのです。母親は怒りました。
仕方がないので風呂でも沸かして和尚さんに入ってもらうことにしました。母親はぐつに火をたかせます。ぐつは、和尚さんに湯加減を聞くと、「ぬるい」というので、もっと火をたくことにしますが、もうたくものがありません。
ぐつは母親に「たくものがないか」と聞くと、母親は、そこいらのものを何でもいいからたいておけと言います。するとぐつは和尚さんの着物をたいてしまうのでした。
和尚さんは仕方なく、芋の葉っぱ一枚で前を隠し、走って帰りました、と物語は結ばれます。
このお話の主人公ぐつも、言われたことを何も考えないで、言葉のとおりに実行することから、グリム童話第一巻の愚か者ハンスを思わせます。
グリム童話第一巻のハンスは、明らかに設定年齢が高く、ある意味狂気を感じる存在でした。ゆえにそれら登場する物語を、単純に笑い話とすることができませんでした。
しかし、このお話の主人公は設定年齢を低く見積もれるので、子どもの使いの笑い話として読むことができます。
また、同様な日本の昔話でも『だんだん教訓』は微妙ですが、『ちゃっくりかきふ』、『旅学問』は、主人公の設定年齢が、たとえ少し高くとも、落語調で語られたりするので、グリム童話のハンスの物語とは違い、明らかに笑い話として読めるところが特徴です。
もっとも、ハンスの物語も、笑い話として読めるベースが、西洋人の中にはあるのかもしれません。
ある日、母親はぐつに、「お寺へいって和尚さんに『きょうは父さんの命日だからお経をあげに来てください』と頼んでおいで」といいました。
ぐつは和尚さんは、どんな着物を着ているのかと訪ねました。母親は「赤い衣だ」といいました。ぐつはすぐに出かけます。
そしてお寺の門の前まで行くと、そこに赤い牛がつながれていたので、ぐつはそれを和尚さんだと思い、牛に話しかけました。
すると牛は「もうー」と一声泣きました。ぐつはそれを「もうー来ない」と言ったのだと思い、家に帰ると、そのことを母親に話しました。
母親はぐつによく聞いてみると、ぐつが相手にしていたのは、牛だということがわかりました。そして母親は、「和尚さんは寺の中にいて、きょうは黒い衣を着ているかもしれないと」いい、もう一度ぐつを使いに出しました。
ぐつはまた出かけていきました。するとお寺の門に入ったところで、屋根にカラスが止まっているのを見つけ、ぐつはそれを和尚さんと思いました。
ぐつはカラスに話しかけました。するとカラスは「かあー、かあー」と鳴き、飛んでいってしまいました。それをぐつは、父さんの命日なのに「母あー、母あー」と言ったと、わけのわからない報告を母親にし、またしても用を足せません。
母親は呆れてしまいました。そして自分で和尚さんを呼んでくるから、和尚さんにあげるご飯が炊けるのを見ておくように、ぐつにいいつけました。
母さんは出かけました。ぐつは言われた通りご飯が炊けるのを見ていました。やがて御飯が炊けてきて「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き始めました。
ところがぐつは、ご飯が自分を呼んでいると思いこんでしまいます。そしてご飯に対して「何だ」と話しかけたりするのですが、当然のごとくご飯は、「ぐつ、ぐつ、ぐつ」と吹き続けます。
しまいにぐつは、「おれを馬鹿にするな」といって、そばにあった灰をつかみ、釜の蓋をとると、ご飯の中に投げ込みました。それでもご飯は鳴り止まないので、ぐつはお釜のご飯を庭にぶちまけました。
そこへ母親が和尚さんを連れて帰ってきました。ところが庭にはご飯がぶちまけてあります。母親はがっかりしました。
母親は、和尚さんにあげるご飯をだめにしてしまったので、代わりに天井裏にある甘酒を下ろして、和尚さんにごちそうすることにしました。
母親が天井裏に上がって、ぐつが下で瓶のしりをささえて受け取ることになりました。母親が「そんなら下ろすよ。しっかりしりをおさえたか」と大声でいうと、ぐつは「おう、よくおさえたぞ」と返事をしました。
ところが母親が手を話すと瓶は床に落ちて割れてしまいました。ぐつは瓶のしりではなく自分の尻をおさえていたのです。母親は怒りました。
仕方がないので風呂でも沸かして和尚さんに入ってもらうことにしました。母親はぐつに火をたかせます。ぐつは、和尚さんに湯加減を聞くと、「ぬるい」というので、もっと火をたくことにしますが、もうたくものがありません。
ぐつは母親に「たくものがないか」と聞くと、母親は、そこいらのものを何でもいいからたいておけと言います。するとぐつは和尚さんの着物をたいてしまうのでした。
和尚さんは仕方なく、芋の葉っぱ一枚で前を隠し、走って帰りました、と物語は結ばれます。
このお話の主人公ぐつも、言われたことを何も考えないで、言葉のとおりに実行することから、グリム童話第一巻の愚か者ハンスを思わせます。
グリム童話第一巻のハンスは、明らかに設定年齢が高く、ある意味狂気を感じる存在でした。ゆえにそれら登場する物語を、単純に笑い話とすることができませんでした。
しかし、このお話の主人公は設定年齢を低く見積もれるので、子どもの使いの笑い話として読むことができます。
また、同様な日本の昔話でも『だんだん教訓』は微妙ですが、『ちゃっくりかきふ』、『旅学問』は、主人公の設定年齢が、たとえ少し高くとも、落語調で語られたりするので、グリム童話のハンスの物語とは違い、明らかに笑い話として読めるところが特徴です。
もっとも、ハンスの物語も、笑い話として読めるベースが、西洋人の中にはあるのかもしれません。
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