日本の昔話 4 より 『やまんばの錦』 福と災い、両方を司る存在
2018.04.29 Sunday
短いお話です。
むかしある山里に、じいさまとばあさまが美しい娘と暮らしていました。
ある日じいさまとばあさまは、娘の嫁入りに着る晴れ着を買いに町へ出かけました。娘はひとり留守番をしながら機を織っていました。そこへ山姥が訪ねてきて戸を開けろと言います。
娘は恐くて声も出せず、家の中でじっとしていました。山姥は返答がないので、終いには自分で戸を開けて入ってきました。そして山姥は、娘に、腹がへっているから米を炊けと言いました。娘は言われた通り米を炊きました。
米が炊けると山姥は、にぎりめしをたくさん作り、囲炉裏端にずらりと並べました。それから山姥は、髪を解いて、頭のてっぺんにある大きな口に、にぎりめしをお手玉をするように、どんどん放り込みました。
山姥は腹を満たし満足すると、やがて糞でもたれるかと言い、囲炉裏端に山のような糞をたれました。
山姥は糞が済むと、帰り際に、この糞を川に持って行って、よく揉んで洗えと言い残して家を出て行きました。
娘は山姥がいなくなると山姥の言う通り、糞の山を大きなざるに入れ、川へ持って行きよく揉んで洗いました。すると驚いたことに糞はたちまち美しい錦となって長く長く川下に漂い水できれいに晒されました。
その錦で着物を作ると、見たこともない見事な晴れ着にになったということです、と物語は結ばれます。
『きこりとやまんば』『ちょうふく山のやまんば』に続いて山姥の登場は三話目となります。山姥という存在は『ちょうふく山のやまんば』の山姥同様、善と悪の両義性を持って登場しています。
山姥が描写される姿は頭に大きな口があるという点で『食わず女房』の鬼婆と共通です。山姥と鬼婆は類似の存在であることが分かります。
お話の展開は、娘が一人でいるところを、異類の存在である、ここでは山姥が現れて、娘に恐れられながらも福をもたらすところなど、『鬼婆の糸つむぎ』とよく似ています。
それにしても、日本の昔話には糞がよく出てきます。ブログ内検索で「糞」を検索してみてください。
むかしある山里に、じいさまとばあさまが美しい娘と暮らしていました。
ある日じいさまとばあさまは、娘の嫁入りに着る晴れ着を買いに町へ出かけました。娘はひとり留守番をしながら機を織っていました。そこへ山姥が訪ねてきて戸を開けろと言います。
娘は恐くて声も出せず、家の中でじっとしていました。山姥は返答がないので、終いには自分で戸を開けて入ってきました。そして山姥は、娘に、腹がへっているから米を炊けと言いました。娘は言われた通り米を炊きました。
米が炊けると山姥は、にぎりめしをたくさん作り、囲炉裏端にずらりと並べました。それから山姥は、髪を解いて、頭のてっぺんにある大きな口に、にぎりめしをお手玉をするように、どんどん放り込みました。
山姥は腹を満たし満足すると、やがて糞でもたれるかと言い、囲炉裏端に山のような糞をたれました。
山姥は糞が済むと、帰り際に、この糞を川に持って行って、よく揉んで洗えと言い残して家を出て行きました。
娘は山姥がいなくなると山姥の言う通り、糞の山を大きなざるに入れ、川へ持って行きよく揉んで洗いました。すると驚いたことに糞はたちまち美しい錦となって長く長く川下に漂い水できれいに晒されました。
その錦で着物を作ると、見たこともない見事な晴れ着にになったということです、と物語は結ばれます。
『きこりとやまんば』『ちょうふく山のやまんば』に続いて山姥の登場は三話目となります。山姥という存在は『ちょうふく山のやまんば』の山姥同様、善と悪の両義性を持って登場しています。
山姥が描写される姿は頭に大きな口があるという点で『食わず女房』の鬼婆と共通です。山姥と鬼婆は類似の存在であることが分かります。
お話の展開は、娘が一人でいるところを、異類の存在である、ここでは山姥が現れて、娘に恐れられながらも福をもたらすところなど、『鬼婆の糸つむぎ』とよく似ています。
それにしても、日本の昔話には糞がよく出てきます。ブログ内検索で「糞」を検索してみてください。
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