子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 4 より 『やまんばの錦』 福と災い、両方を司る存在
短いお話です。

むかしある山里に、じいさまとばあさまが美しい娘と暮らしていました。

ある日じいさまとばあさまは、娘の嫁入りに着る晴れ着を買いに町へ出かけました。娘はひとり留守番をしながら機を織っていました。そこへ山姥が訪ねてきて戸を開けろと言います。

娘は恐くて声も出せず、家の中でじっとしていました。山姥は返答がないので、終いには自分で戸を開けて入ってきました。そして山姥は、娘に、腹がへっているから米を炊けと言いました。娘は言われた通り米を炊きました。

米が炊けると山姥は、にぎりめしをたくさん作り、囲炉裏端にずらりと並べました。それから山姥は、髪を解いて、頭のてっぺんにある大きな口に、にぎりめしをお手玉をするように、どんどん放り込みました。

山姥は腹を満たし満足すると、やがて糞でもたれるかと言い、囲炉裏端に山のような糞をたれました。

山姥は糞が済むと、帰り際に、この糞を川に持って行って、よく揉んで洗えと言い残して家を出て行きました。

娘は山姥がいなくなると山姥の言う通り、糞の山を大きなざるに入れ、川へ持って行きよく揉んで洗いました。すると驚いたことに糞はたちまち美しい錦となって長く長く川下に漂い水できれいに晒されました。

その錦で着物を作ると、見たこともない見事な晴れ着にになったということです、と物語は結ばれます。



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きこりとやまんば』『ちょうふく山のやまんば』に続いて山姥の登場は三話目となります。山姥という存在は『ちょうふく山のやまんば』の山姥同様、善と悪の両義性を持って登場しています。

山姥が描写される姿は頭に大きな口があるという点で『食わず女房』の鬼婆と共通です。山姥と鬼婆は類似の存在であることが分かります。

お話の展開は、娘が一人でいるところを、異類の存在である、ここでは山姥が現れて、娘に恐れられながらも福をもたらすところなど、『鬼婆の糸つむぎ』とよく似ています。

それにしても、日本の昔話には糞がよく出てきます。ブログ内検索で「糞」を検索してみてください。



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18:36 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『ひひ神退治』 日本特有の猿と犬の間柄を下敷きとする物語
むかし、旅の六部(法華経を納めて諸国霊場を巡礼する行脚僧、回国行者)が国中を旅して、ある村にやって来ました。村はちょうど秋祭りで、六部は、行く先々で餅を振る舞われました。けれども村一番の長者の家に行くとその家だけは静まり返っていました。

この村では、毎年、秋のお米の収穫が済むと、真夜中に屋根に白羽の矢が立った家から、娘をひとり村の八幡様に人身御供に差し出さなければならないという決まりがあり、もしその決まりを破れば村中の田畑が荒らされるというのです。そして今年は、とうとう長者の家の屋根にあたってしまったということでした。

それを聞くと、六部は疑問に思いました。八幡様が、そんなことをするはずがないからです。きっとなにか悪い獣の仕業に違いない、退治してやろうと思い、娘さんを差し出すのはおやめなさいと言いました。そして六部は八幡様のお社に連れて行ってもらい、物陰で様子を見はりました。

やがて真夜中になると、どこからともなく歳を経た大きなヒヒが、猿どもを率いて現れます。ヒヒはしっぺえ太郎がこないだろうなと謎の言葉を吐きます。ヒヒはその心配がないこと知ると、猿どもと共に娘を迎える前祝いに、歌って踊りはじめました。六部は歌を聞くと、しっぺえ太郎とは、ヒヒたちにとって、かたきのような存在で丹波の国にいることを知ります。



次の日六部は、しっぺえ太郎を訪ねて丹波の国に向かいました。しかし、しっぺえ太郎を知るものは、どこにもいませんでした。六部はがっかりして道端に座り込んでいると、牛のような大きな犬を連れた男が通りかかり、犬に向かってしっぺえ太郎と呼んでいます。どうやらしっぺえ太郎とは、この犬のことのようです。

六部は男に訳を話して、しっぺえ太郎を貸してくれと頼みます。男はそういうことなら、このしっぺえ太郎に乗って、今すぐ行きなさいと言ってくれました。六部は礼を言ってしっぺえ太郎にまたがり、村に向かって走り出しました。



いよいよ村では娘を差し出す日になりました。そこへ六部は駆けつけると、娘の身代わりに長持ちの中にしっぺえ太郎とともに隠れました。村の男たちは長持ちを担いで八幡様のお社の前に運ぶと、わらわらと逃げ帰りました。

真夜中になりました。どこからともなくヒヒと猿たちが現れ、お社の前に集まり、歌い踊り始めました。さんざん踊ってから、親分のヒヒは娘を取って食おうと、長持ちの蓋に手をかけると、そのとたん、しっぺえ太郎が中から勢い良く飛び出して、たちまちヒヒを殺してしまいました。六部も飛び出して刀で猿どもを切り伏せました。



夜が明けて村の人々が八幡様のお社を訪ねると六部と大きな犬が眠っていました。そばにはヒヒと猿たちが死んでいるので、皆びっくりしました。目を覚ました六部から訳を聞くと、皆は喜びます。長者は六部をもてなしこの村で暮らして欲しいと頼みましたが、六部はしっぺえ太郎を連れて丹波の国に旅立ちました。

それからというもの村では娘を人身御供に出すこともなくなり、みんな安心して暮らすようになったということです、と物語は結ばれます。



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悪いヒヒ神と猿をしっぺえ太郎という犬が退治する物語ですが、このような動物の組み合わせは、日本独自なのではないでしょうか。日本では犬猿の仲という言葉もあり、お互い仲の悪い関係を現します。このような関係を現す表現として、猿と犬の組み合わせは外国にはないようです。英語圏では犬に対して猫があてられているようです。



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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『捨て子と鬼』 七リーグ靴ならぬ日本の一歩千里の靴
むかしあるところに、とても貧乏な家がありました。父さんはとうに死んでしまい、母さんは一生懸命働きましたが、自分が食べるので精一杯。三人の子供を養いきれませんでした。それで泣く泣く子どもたちを山へ捨てることにしました。

母さんは子供を山に連れて行き、ここで待っておいでと置いてきぼりにします。子どもたちは辺りが暗くなっても母さんが戻ってこないので上ふたりの兄さんは泣き出しました。

すると末の弟が、泣いたってしょうがないと言って木に登り、明かりを見つけると、兄さんと共にそこを目指します。



明かりは一軒のあばら屋のものでした。中にはひとりのお婆さんがいました。子どもたちは道に迷って困っているから今夜一晩泊めてくれと頼みます。

しかしお婆さんはこの家は鬼の家だからと泊めてくれません。食べられてしまうだろうというのです。そこへさっそく鬼が帰ってきました。お婆さんは押し入れに子どもたちを隠します。

鬼は家に入ると人間の匂いに気づきました。お婆さんは、実はいま人間の子供が一晩の宿を求めてきたが、鬼のお前が帰ってきたので慌てて逃げていったとごまかします。



鬼は三人の子供の後を一歩千里の靴を履いて追いかけ始めました。しかし鬼は行き過ぎたようだと思い、じき子供たちがやってくるだろうと道で休んでいると、眠り込んでしまいました。

お婆さんは鬼が一歩千里の靴を履いて走っていったからもう遠くにいるだろうと言って、鬼の出て行った方角と反対の道へ子どもたちを逃します。しかしどうやら子どもたちはいつの間にか鬼と同じ方角へ出てしまいます。そして、鬼に出くわしてしまいました。

子どもたちは寝ている鬼をそっとやり過ごそうとします。その時、末の弟は、鬼の履いている靴に気づきました。これが一歩千里の靴だなと思って、これを鬼から脱がせにかかりました。

そして末の弟は脱がせた靴を上の兄さんに履かせ、下の兄さんと自分をしっかりと帯で上の兄さんに縛り付け、上の兄さんを走らせました。ズシズシと地響きをさせて飛び出していきます。



その音に目を覚ました鬼は、後を追おうとしますが、靴が奪われていたので追いつくことができず、家に帰りました。お婆さんは子どもたちが無事逃げおおせたことにひと安心しました。

子どもたちはあっという間に自分たちの村に帰ることができました。それから子どもたちは母さんを助け、よく働き、みんなで幸せに暮らしたということです、と物語は結ばれます。



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うばすて山』もそうですが、立場の弱いものが山に捨てられようとします。

捨てられようとする子どもたちは活路を求め、ひとつの明かりに出会います。昔話でお馴染みの展開です。希望を表象する明かりです。

しかし明かりのもとは鬼の住処でした。ですが、そこには子供らを助けようとするお婆さんもいます。この展開もいくつかの昔話に共通です。

一歩千里の靴というのは西洋の昔話の七リーグ靴の日本版でしょう。千里が約四千キロで、七リーグが約三十五キロですから、およそ百倍の効力を発揮します。



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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『なら梨取り』 末子成功譚の一類型
むかしあるところに、父親と、一郎、二郎、三郎の三人兄弟がいました。ある時父親が重い病気にかかります。医者は「なら梨の実を食べなければ助からない」と言いました。

なら梨というのは、大きな山を三つ越えていかなければ手に入らない珍しい梨の実で、今までそれを取りに行って無事戻ってきたものはいませんでした。けれども一郎が握り飯を持って、なら梨の実を取りに出かけました。

道は、行けども行けどもうす気味の悪い山道です。途中、道端で、羽を痛めたすずめが、ばたばたと苦しんでいました。けれども一郎はそのすずめには目もくれず、どんどん進んでいきました。

そのうちに、日が暮れて道がわからなくなってしまいました。そんな時、遠くに明かりがひとつ、ぽつんと見えます。

それを目当てに行くと、草葺き屋根の、壊れかけた小屋がありました。一郎は一晩の宿を頼みます。すると中から、長い髭のお爺さんが出てきて、一郎を中に入れてくれました。

一郎は囲炉裏にあたりながら爺さんに、なら梨の在り処を尋ねました。爺さんは、この裏山を登って行くと大きな梨の木が立っている、それがそうだと答えました。

しかし、紙の茶碗とわらの箸でご飯を食べたものでなくては、なら梨もぎはできないと言います。爺さんはさっそく紙の茶碗にご飯を盛って、わらの箸を添えて出しました。

一郎は爺さんに言われたことを実行しようとしますが、紙の茶碗は壊れ、わらの箸も折れてしまいました。

次の日一郎は爺さんが止めるのも聞かず、なら梨とりに裏山へ登って行きました。しかし青鬼が現れて、一郎は飲み込まれてしまいます。



一郎があんまり帰ってこないので、次は二郎がなら梨取りに出かけました。しかし一郎がたどった行く末を、二郎も同じようにたどります。そして最後は赤鬼に飲み込まれてしまいます。



兄さんたちが帰ってこないので、とうとう三郎が、父親が止めるのも聞かず出かけていきました。三郎も兄とおおむね同じ道をたどりますが、三郎は兄さんたちと違って道端で羽を痛めたすずめを、可哀想にと自分の懐に入れて保護しました。

三郎も兄たちと同じようにお爺さんと出会い、紙の茶碗とわらの箸でご飯を食べなければなりません。しかし助けた雀が紙の茶碗のご飯をわらの箸を食べることを、まじないによって可能にしてくれるのです。

次の日三郎はなら梨を取りに出かけました。なら梨はたくさんなっていました。ところが青鬼と赤鬼が飛び出してきて邪魔をします。

三郎はひるまず素早く梨の木にかけ登るとなら梨をもいで鬼に投げつけました。鬼たちはたまらず、目を白黒させながら一郎と二郎を吐き出しまして逃げて行きました。

三人兄弟はなら梨をいっぱい背負って家に帰りました。父親はそれを食べると、たちまち元気いなりました。それから三人は、病気で苦しむ村の人たちにも、なら梨を分け与えたのでたいへん喜ばれたということです。と物語は結ばれます。



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グリム童話(KHM169)『森の家』とお話の構造がそっくりです。共に動物に親切な三人兄弟の末子が物語の行く末の鍵を握っています。

三人兄弟が上から順に試練に挑みます。道中迷い、ひとつの明かりに誘われ行ってみると、そこでは、紙の茶碗とわらの箸でご飯を食べなければなりません。ここで動物に親切にした末子だけが試練をくぐり抜け無事に目的を達成します。

しかしグリム童話では、試練を超えられなかった上ふたりの兄弟には、冷たい仕打ちが待っているのに対して、この日本の昔話は、三人とも幸せを享受しています。末子成功譚のいち類型と思われます。





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18:21 : 日本の昔話 4 秋 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 4 より 『松の木のお伊勢まいり』 ご利益を称える物語
むかし、村の八幡様の境内に、何百年もたった松の大木が並んで立っていました。村人たちはこれを、夫婦(めおと)松と呼んで大切に敬っていました。



ある年の春、この夫婦松が、松蔵と松代という人間になってお伊勢参りに出かけました。ふたりはお参りを済ませると伊勢の宿屋に泊まりました。宿帳には「越後の松蔵、松代」と書きました。

ところが翌朝夫婦は、宿の主人に、旅でお金を使い果たしてしまい支払いができないから、宿賃分働かせてくださいといいます。主人は忙しく人出が必要だったので、ふたりに働いてもらいました。

ふたりは毎日一生懸命働き、宿賃分は十分に働きました。夫婦は、主人にお世話になりましたと言って、村へ帰って行きました。



それから秋になって、村びとたちは、総出の稲刈りも終わり、そろってお伊勢参りに出かけました。そして、あの松蔵、松代の世話になった宿に泊まりました。

宿の主人は、宿帳から彼らがいつぞやの夫婦と同じ村の衆と知って、松蔵、松代が宿賃より余計に働いてくれていたから、その分のお金を夫婦に渡してくれと村の衆にいいました。

村の衆は顔を見合わせました。松蔵、松代なる夫婦を、誰も知らなかったからです。しかしひとりが、それは八幡様の夫婦松だと気づきます。松のてっぺんに、お伊勢様の御札がぶら下がっているのを見たと言いました。

村の衆はお金を持ち帰り八幡様の賽銭箱に入れたということです。と物語は結ばれます。



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短いお話です。

日本がまだ、神道による信仰が盛んだった頃のお話ですね。特にここでは八幡信仰です。ご利益を称えるお話になっています。





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