子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『やまなし』 宮沢賢治童話全集 2 より - 独創的な空想力が高度に結晶化された散文詩
谷川の水の中で繰り広げられる、かにの一家の生活と、所々にに登場する魚やかわせみの姿が、光と影の中で立体的に描き出されていきます。

季節は移り、そこへ突然水面にやまなしが落ちてきます。かにの一家は、流れていくやまなしを追って、水中を移動しました。やまなしは非常に豊穣な果物として描かれます。

そのやまなしが木の枝に引っかかって止まると、かにのお父さんは、もう二日もすればやまなしは川底に沈んできて、いいお酒になると言いました。

賢治は、この物語を、わたしなる人物に幻燈として語らせて物語を始め、そして閉じます。



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教科書にも採用されているので、誰しも読んだ記憶があるのではないでしょうか。そして、物語しょっぱなから、二匹のかにの子どもらの間で交わされる会話の中に登場する、クラムボンなる謎の存在が我々を煙に巻きます。様々な解釈がなされるものの、その正体に関する説ははっきりとしません。

かにの一家の視点から、透明な色鮮と、微妙な言葉の響き(オノマトペ)と共に織りなされるその世界は、とても魅力的です。

これほどのファンタジックな世界を構築するには、驚くべき空想力が働かなくてはならなかったのではないでしょうか。それら全体を一言で表すならば、高度に結晶した一遍の散文詩と言えます。

ユニークな解釈は、ネットにもたくさんありますので、そちらに譲ります。



初出岩手毎日新聞(大正12年4月8日)





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18:33 : 宮沢賢治童話全集 02 ふた子の星 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
宮沢賢治童話全集 1 ツェねずみ リンク
月夜のけだもの』 宮沢賢治童話全集 1 より - 広大な作品世界序章
鳥箱先生とフウねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治の教育批判
ツェねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治のねずみに対するメタファー
クンねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 表現は過剰を目指していくもの
ぶどう水』 宮沢賢治童話全集 1 より - 創作と鑑賞の間
十月の末』 宮沢賢治童話全集 1 より - 村童スケッチ
畑のへり』 宮沢賢治童話全集 1 より - 主観と客観の並立
おきなぐさ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 切ないけれど明るい物語
ひのきとひなげし』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治の創作動機の一つと考えられるもの
まなづるとダァリヤ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 世の中に対する慈悲無き冷めた視点
林の底』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治の昔話再話





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18:21 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『林の底』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治の昔話再話
ユニークな設定です。一羽の年寄りのふくろうがわたしと称する人物に、昔話で高名の『とんびの染めもの屋』の話をするのです。もちろんこれは賢治の手が加わっているので賢治の再話と言っていいでしょう。面白い再話になっています。

さらに、昔話が再話される際の額縁といえる部分である、ふくろうとわたしの間で交わされる掛け合いがありますが、そこが物語をさらに面白くするパートとなっています。

昔話と賢治の再話を比べてみたりして楽しむといいかもしれません。昔話は、あらすじでよいならブログ記事にしてあります。また、この賢治の物語については青空文庫でも読めます。

賢治の志がにじみ出る作品もいいのですが、こういった特異な題材を扱った作品も面白いです。



作家の読書量とは、どれくらいなのでしょうか。今回の物語は日本の昔話を土台にしています。作家は、おそらくこうした土台をいくつも持っているのだと思います。

もっとも賢治の時代には、未だ日本の昔話が広範に語られていて、誰しも知っているお話だったのかもしれませんが。

その他にも、賢治の場合、詳しい出典はわからずとも、法華経を土台としたものが多数あることが予想されます。



生前未発表
初題は『とんびの染屋』
現存草稿の執筆は大正12年ころ



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18:14 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『まなづるとダァリヤ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 世の中に対する慈悲無き冷めた視点
畑の丘のいただきに、黄色のダァリヤの花が二本と、赤いダァリヤの花が一本ありました。赤いダァリヤの花は、花の女王になろうと思っていました。

赤いダァリヤの花は、黄色いダァリヤの花と上空を飛んでいくまなづるに、自分の花の色を自慢します。しかし彼らはどこか他所事です。まなづるは沼の辺りで慎ましく咲いている白いダァリヤには機嫌をうかがいます。

そんな折、赤いダァリヤはやがて容色が衰えて黒い斑点ができて、顔が黄色く尖った背の低い変な帽子を被った見知らぬ人に折られて、連れて行かれてしまいます。

黄色いダァリヤは、どこにいくのとしゃくりあげて叫ぶことしかできませんでした。何事もなかったように太陽は今日も登ります。



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赤いダァリアは、どこか前記事『ひのきとひなげし』のひなげしを思い出させます。生きる事の本質を見失って、余計なことに四苦八苦している存在として描かれています。

しかし、こう言ってしまえば身も蓋もありません。志が平凡なものにとっては、厳しすぎるような気がします。賢治の視点は冷たく感じられます。

まあ、ご多分にもれず、表現は過剰を目指すということなんでしょう。実際の賢治は優しい人でした。

それにしても赤いダァリヤの花はどこに連れて行かれてしまったのでしょう。そして、見知らぬ人の正体は明かされません。その他にも問うべきことが多数あります。



生前未発表
初題『連れて行かれたダァリヤ』
初稿の執筆は大正10年後半





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18:20 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『ひのきとひなげし』 宮沢賢治童話全集 1 より - 創作動機の一つと考えられるもの
物語は、若いひのきとひなげしたちの会話で始められます。彼らはあまり仲が良くないようです。

どうやら、一度でいいからスターになりたいと、お互い牽制し合いながら争っている刹那的なひなげしたちを、忠告者としてひのきが、たしなめるような役割をになっているようです。



そこへ小さなかえるに化けた悪魔が、これまた、美容術で美しくなったという、ばら娘に化けた弟子と共に登場し、美容術師の先生にお礼を言いたいと、ひなげしたちに声をかけました。

かえるは架空の美容術師をでっち上げたのです。その話を聞いたひなげしたちは、騙されているとも知らず、自分もぜひ美容術師にかかりたいと思わされてしまい、ひなげしたちは美容術師の出張をかえるに依頼しました。



再度、医師に化けた悪魔が登場します。そして阿片を提供するなら美しくしてやるとひなげしたちに話を持ちかけます。これはひなげしたちをけしの実にしようという目論みでした。

医師が呪文でひなげしをけしの実にしようとしていたところ、間一髪で、ひのきが阻止し、悪魔は逃げていきます。ひなげしたちは助かりました。青いけし坊主のまま食われてしまえばひなげしたちに未来はなかったのです。そのことをひのきはひなげしたちにに説きました。



そしてひのきは、銘々が自分らしく決まった光りようをしていれば、それはそのままでスターなんだと説きました。しかしひなげしはそんな忠告には耳を貸さず、ひのきのおせっかいを恨み馬鹿にしました。

そしてあたりは日も暮れて本物の星が輝き出し物語は結ばれます。



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ひなげしたちの生きる世界は、競争社会を象徴していると言ってよいでしょう。それがひのきに扮した賢治によって諷されているのだと思います。最後のほうで、賢治らしい仏教的な価値観が吐露されます。少し説教調です。

そこでは、前記事の『おきなぐさ』の最後に曖昧であるけれど語られていた、変光星のモチーフがよりわかりやすく表現されているように思いました。

つまり、変光星のモチーフは、この物語で、銘々が自分らしく決まった光りようをしていればいいと語られるように、自分の周期で明るさをかえることの肯定を謳っていたのではないでしょうか。

またこれらの表現は賢治が何かを語ろうとするときに用いる、主観と客観の二つの視点の並立のうちの一つである、客観的視点として機能しています。

賢治の主観と客観の二つの視点の並立については『畑のへり』 宮沢賢治童話全集 1 より - 主観と客観の並立の記事で述べました。



このように、社会に対して賢治が強く主張する物語がありますが、賢治には、ある信念があってそうしているように思います。賢治の創作動機に触れるようなところがあるのではないでしょうか。

はっきりとは言えませんが、賢治は法華経から触発されたものの具現化を、童話の形で果たそうとしていたのではないかと思っています。

そんなことを思ってみると、賢治にとって世の中とは、真心から、よりよき世界に導くべきものであったことが予想されます。



生前未発表
初期形の執筆が大正10年ころ、手入れ改編された最終形の執筆が昭和6年から8年ころ



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20:22 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『おきなぐさ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 切ないけれど明るい物語
タイトルのおきなぐさとは地元の言葉で愛情を込めてうすしゅげと表現されます。実際、うすしゅげは、蟻にも山男にも愛されていました。とわたしによるお話の導入がなされます。

そしてこの物語は、わたしによる回想の形をとって語られます。それは小岩井農場の南、七つ森の西のいちばん西のはずれの西側に咲いた、二本のうすしゅげの物語となります。



空には、まばゆい白い雲が、変幻自在に東の空へ、小さなきれになって飛んでいきます。それを二本のうすしゅげが眺めていました。

二人のもとにひばりが現れ会話がなされます。うすしゅげはひばりのように空を飛びたいと語りました。ひばりは、もうじき嫌でも飛ぶことになるだろうと返事をします。



ふた月後、うすしゅげは銀毛の種子を宿し、ひばりの言ったとおり空を飛ぶこととなりました。うすしゅげは、ひばりに飛ぶのは嫌ですかと尋ねられると、なんともありません、僕達の仕事はもう済んだのだからと答えます。

そしてうすしゅげは、皆に感謝の言葉を残し、風に乗って飛んでいきました。それを追うかのように、ひばりが空を飛んでいきました。

しかしそれは、実際に銀毛が飛んでいった北の方角ではありませんでした。うすしゅげの魂は天に高く登ったため、ひばりはそれを追ったのです、とわたしによる追記がなされ、二つの小さな魂のその後のゆくえを変光星になぞらえ物語は閉じます。



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なんだか『よだかの星』の最後のシーンのように切ない終わり方をします。しかし、それは別の切なさです。

うすしゅげは自分の運命を全面的に肯定していて、この世になんの未練も残していません。よって、『よだかの星』に見られるような切実な願いなどは述べられません。

運命を感謝をもって受け入れ、その種子は、次の生命への明るい象徴のように描かれます。自分は役割を終え、あとは自然による淘汰が語られるのみです。



生前未発表
現存草稿は大正12年ころ





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18:35 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『畑のへり』 宮沢賢治童話全集 1 より - 主観と客観の並立
麻が刈られ、畑のヘリに目立つようになったとうもろこしを、一匹のかえるが遠眼鏡で観察し、カマジン国の兵隊と思い込みます。しかもその実ったとうもろこしを見て、幽霊を連れていると言いだしました。

その幽霊は70本も歯が付いているというのです。これはとうもろこしの粒のことでしょう。このかえるの未知のものに対する新鮮な観察は続きます。



そんなかえるを、去年すでに少しだけとうもろこしを知った、もう一匹のかえるがたしなめます。あれは幽霊などではなくとうもろこしの実というもので、緑色のマントを着ているなどと説明を加えました。

しかしはじめのかえるは、その説明を聞いて、さらに驚きました。ドレスを下から上に着ているように見えたからです。



そこへ村の女の子が現れ、とうもろこしをもいで口にしたかと思うと空へ吹きました。かえるの目には、それが燃え上がる青白い火とうつりました。

女の子は歌いながら畑を去ろうとしますが、それを聞いたかえるたちは自分らより歌が下手だと評します。

そしてじぶんらの歌を女の子に聞かせようとしました。「ぎゅっく、ぎゅっく」 しかし女の子には聞こえないようです。去ってしまいました、と物語は結ばれます。



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この、秋の田園の賢治による心象スケッチは、読者の心に色々な感情を誘発します。哀愁であるとか、郷愁であるとか、はたまたユーモアであるとか…。まだまだたくさんあるでしょう。

これらの心象が我々の心に説得力を持って定着するのは、賢治のとある表現法によるものと思われます。



かえるが二匹登場していていますが、これは賢治の持つ二つの観察眼の方向性を示しているのではないでしょうか。

ひとつは、いつまでも老いることのない、物事を始めてみたような新鮮なもので、たいへんイマジネーションが豊かで主観的なものです。もうひとつは、手法的には科学のそれとさえ言えるような、冷静で客観的なものです。

賢治はなにか説明しようとするとき、いつもこの二つの方向から物事を述べようとしているように思えます。



これは賢治の作品世界での表現法の特徴なのではないでしょうか。主観と客観、どちらが優先されることなく混じるのです。一番印象に残っている表現は『春と修羅』でのそれです。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

わたしという主観的な現象を、科学的な客観で説明しています。

賢治にとって主観と客観は、どちらも自身の心の中では並立させるべきものであって、どちらにも流されるようなことのない境地を目指しているように見えるのです。

つまり、感傷に流されることなく、さりとて、自分という存在をこの世界から排除してしまわないような、世界観の構築を目指しているように思えるのです。



生前未発表
大正11年までの清書
三度の手入れ



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18:23 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『十月の末』 宮沢賢治童話全集 1 より - 村童スケッチ
方言が多用されているので、細部には立ち入れませんでした。ただし方言の多用は、かえっていきいきとした表現につながっていて、感覚的には十二分に伝わるものがあります。

冬支度に入る前の忙しい農村を背景に、裕福でもなく貧乏でもないらしい普通の農家の、嘉ッコ(かっこ)という名の幼い女の子が、祖父母、父母、兄、友人家族などに囲まれて過ごすいち日が淡々と描き出されていきます。



目を引くのは、いきいきとした自然の描写であり、それはリアルなこともあれば、民話的なモチーフを伴って、幻想的に描き出されることもあります。

それと、なんと言っても、嘉ッコを中心にかわされる、ユーモアのある会話が挙げられるでしょうか。これらの会話には、外国人さえ加わります。



草稿の表紙には村童スケッチとあり、まさに物語の内容通りなのですが、私がこれまで読んだものの中で、同じようなものを探すと、ブログ記事にはしていませんが、アストリッド・リンドグレーンの『やかまし村の子どもたち』がこれに当たるように思いました。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年か11年



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18:31 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『ぶどう水』 宮沢賢治童話全集 1 より - 創作と鑑賞の間
主人公の耕平は、畑の手が空いたので野ぶどうを取りに出かけます。兵隊の服を着て夢中になって取りました。

家に帰ると、もうすでに夜でしたが、おかみさんと二人で、木鉢の中へぶどうの実をむしります。耕平の子は、ぶどうのふさを振り回して遊んでいました。

ぶどうをむしった日から三日が経ち、ぶどうの果汁を夫婦揃って絞り出します。そして今年は、この果汁に砂糖を入れ密造酒を作ることにしました。

全部で瓶にして、二十本ほどのぶどう酒のもとであるぶどう水ができました。税務署に見つかれば罰金が取られます。しかし貧しい生活の、せめてもの足しになればとのことです。背に腹は変えられません。

あれから六日の日が流れました。耕平とおかみさんは、家の前で豆をたいておりました。そこにどこぞで爆発の音が聞こえてきます。

遠くの山が噴火しているのかと思いきや、それは耕平の家から聞こえてくるようです。耕平は、はたと思い直し、ぶどう酒が音を立てていることに気づきます。

確かめてみると二十本ほどのぶどう酒の瓶は、大方はじけていました。耕平の目論見は失敗に終わります。彼は怒って全ての瓶を板の間に投げつけて割ってしまいます。

耕平は、これで元々と開き直ろうとしましたができませんでした。参ってしまったのです、と物語は結ばれます。



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わずかなぶどう水を作り売る、農村の貧しさを背景に、欲をかいて密造酒製造に手を出し、失敗した男のお話がユーモアを交えて語られます。読解は何層にも行うことができて、ここで行うことは、その一つに過ぎません。

密造酒製造に関して、罪なことには変わりませんが、許されて然るべきようなことでしょう。しかし、その僅かな罪でさえ許さなかった、自然の摂理の理不尽さが描かれているように思いました。

しかし、結果とは裏腹に、ある豊かさが読者の心を満たします。それは、にわかに言葉にはできませんが、思い通りにならない現実に対する、我々が持つ共通認識の確認のようなものでしょうか。

さらに言うならば、賢治が焦点を当てようとしているのは、些細な罪の影にある、金銭的な貧しさにかこつけた、心の貧しさという悪なのではないでしょうか。それに気づいて主人公は開き直ることなく受け入れています。



賢治の作品を読み進めると、その心の貧しさは、作品中でいつの間にか、貧しさを埋めてあまりあるほどの豊かな心に取って代えられます。

そしておそらく、賢治自身も創作過程で同じようなことを経験しているはずです。うまく説明できませんが、人を励ますことは、自身を励ますことになるのと、同じようなことなのでしょう。

創作と鑑賞の間にある距離は意外と短いのかも痴れません。なにも賢治に限ることではないのですが、このあたりには、創作と鑑賞に関する秘密がありそうです。



またこの作品で注目すべきは、童話中に童謡が用いられ、それが背景で聞こえてくるような仕掛けがしてあります。賢治は『月夜のけだもの』の月光といい、背景を効果的に用います。



生前未発表
原稿は二種類存在し、初期形態は大正10年か11年のもの。後期のものは12年のものか。両者には構成上大きな差はなく、主人公の名が他作品と同一なため変えられる程度。また、章の区切りに数字が使われます。その他は、漢字をかなにしたところが目立ち、出版を意識していたものとも取れます。





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18:24 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『クンねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 表現は過剰を目指していくもの
『鳥箱先生とフウねずみ』に始まり、この作品文中にはツェねずみの最期が語られているので、『ツェねずみ』に続く、ねずみ三部作の最終話と考えられます。



嫉妬心の強いクンねずみは、他人の知識を妬み、相手が少しでも自分より優れていると思うと、咳払いをして相手を脅すのを習慣にしていました。

彼は、慢心とそねみの権化です。常識人からしたら、かなりの馬鹿者に映ります。案の定、ねずみ仲間には呆れられて、ねずみの県会議員の前でもそれやったものだから、暗殺されることになりました。

殺される寸前、とある猫に子どもたちの家庭教師を頼まれ、いっとき救われますが、猫の前でも、その慢心とそねみを発揮したものだから、当然のことの成り行きとして、クンねずみは子猫たちに食われてしまいます。



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前記事の『ツェねずみ』で、宮沢賢治の嫌いな動物としてねずみを定義してみましたが、この物語を読んでもそれは感じられます。

それにしても、文体の面白みで和らげているものの、クンねずみが殺されてゆくさまを読んでいると、賢治自身の正義がにじみ出ているのはわかるのですが、表現はやや過剰で、逆に賢治自身の慢心を感じてしまうのですが、いかがなものでしょう。

まあ、もともと表現というものは、過剰を目指していくものです。こういう過剰な表現は、我々の身近にもありがちです。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年、あるいは11年
ちなみに、クンねずみの「ン」は「ン」の小文字ですが、キーボードにはこの文字がないので「ソ」の小文字を当てています





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18:18 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『ツェねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治のねずみに対するメタファー
主人公はある古い家に住み着いているツェという名のねずみです。



ツェねずみは、いたちが教えてくれた金平糖の在り処に行ってみると、既に特務曹長率いる蟻たちによって搾取されていました。ツェねずみは気分を害して、いたちに「まどってください(つぐなってください)」と賠償を要求します。

いたちは親切で教えてやったのに、逆に仇で返されたのに怒って、ツェねずみとは絶交しました。

こんな調子で、他人の親切に感謝することなく、結果が悪ければ賠償さえ要求するツェねずみは、友人を次々となくします。

おまけにツェねずみは、自己正当化も怠りません。「自分のような弱い人間を騙すなんてあんまりだ」とことあるごとに言っています。これは都合よく道徳を傘に着た言動でしょう。



とうとうツェねずみを相手にするものは、本来ねずみの敵であるはずの、ねずみ取りだけとなります。

本来、人間の見方であるはずのねずみ取りは、そのお粗末な構造上、仕事をなかなか果たさなかったので、人間に疎まれていました。

そこでねずみ取りはへそを曲げて、ねずみに味方していたのです。仕掛けられた餌だけ与えてツェねずみを逃がしてやっていました。



ところがある日、人間によって仕掛けられていた餌が腐っていたことに端を発して、ツェねずみとねずみ取りの喧嘩が始まります。

ツェねずみは、いつものように「自分のような弱い人間を騙すなんてあんまりだ」という欺瞞の混じった自己正当化と、それに対する「まどってください」との賠償の要求をねずみ取りに発し、彼を怒らせてしまいます。

そこで、ねずみ取りははからずも、本来の仕事を果たしてしまいます。檻の入り口の針金の扉を閉じてしまったのです。

一晩中檻の中で大騒ぎをしたツェねずみは、もう得意の「まどってください」と言う力もなくなり朝になると人間に捕まります。



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他人の親切を、結果から逆恨みする根性と、無知を諷した作品ですが、身も蓋もありません。表現があからさま過ぎます。ツェねずみの運命に関して、これでは仕方がないよねというような書かれ方がしてあります。

賢治は、どうもねずみが好きではなかったようです。『月夜のけだもの』の鶏を狙う狐なんかよりも、ねずみという動物を嫌悪していたようです。

そしてその悪としての描がかれ方には容赦がありません。他の動物にはある、どうしようもないことに対する、愛のこもった視点が欠けているように思いました。





生前未発表
現在草稿の執筆は大正10年ころ





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18:27 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『鳥箱先生とフウねずみ』 宮沢賢治童話全集 1 より - 賢治の教育批判
自分の中に、とある上位の者によって、ひよどりを入れられた鳥箱は、そのひよどりに対する万能感から、いつしか自分のことを先生と思い込んでしまいます。

しかし上位の者の不手際から、次々に入れられるひよどりは四羽死んでしまいました。その死因は飢えや病気や寂しさや猫に襲われてのことです。

確かに鳥箱先生に非はありませんが、なんの根拠もないまま、自分がひよどりたちを、栄耀栄華を極めた安楽な一生に導いたと、その悲劇を目の当たりにしながらひとり合点して、鳥箱先生は自己を正当化しました。

しかし、猫にひよどりを襲われて、すっかり上位の者の信用をなくした鳥箱先生は、家の中から物置だなに移されてしまいます。そこで出会ったのがフウねずみでした。



鳥箱先生は、相変わらず自分のことを先生と思い込んでいて、フウねずみにいろいろと指導をしました。しかしフウねずみは先生の言うことを聞きません。そして自分のことを下位の者である、しらみやくもやけし粒などと比べて自己の正当化をします。

鳥箱先生とフウねずみの、たがのはずれた掛け合いが続き、とうとう最後に猫の大将が現れ、ふうねずみを捕らえると、先生もダメなら、生徒も悪い、先生はもっともらしい嘘ばかりをいい、生徒はけし粒以下だと捨て台詞を残します。



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上位のものと述べた存在は、人でもいいのですが、究極的には神様のような存在を想定しています。寓話なので、人間と重ねられる存在は、鳥箱先生とフウねずみが演じているからです。

ちなみに賢治は、ねずみという動物が嫌いなようです、他の作品でも、ねずみのキャラクターは、あまり共感できる存在としては描かれません。



賢治の反抗期は、かなり激しかったと、実弟の清六氏が語っています。実在の特務曹長の体操教師や、教頭の英語教師への批判は、大層なものだったようです。よってこの物語で語られる痛烈な教育批判も彼らとは無縁ではないでしょう。

お話の構成が単純なのは、幼年読者を意識したものなのでしょうが、語られることは大人にも向けられています。賢治の教育批判は、童話の処女作と思われる『蜘蛛となめくじと狸』から継承されています。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年頃





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18:29 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
『月夜のけだもの』 宮沢賢治童話全集 1 より - 広大な作品世界序章
始まりは登場者である動物たちが、皆、檻にいることから、どうやら動物園が、物語の舞台のようです。そこで、わたしと称する俯瞰者のような存在の視界が、突然、煙のように溶け出して、月光はおぼろとなり、いつの間にやらファンタジーの世界が出現します。

あたりは夜の野原となり、獅子と書かれた百獣の王としての属性を帯びたライオンが、夜の見回りに出ます。

他に登場する動物は、白くまに象にきつねにたぬきと、それぞれの動物は、動物寓話に出てくる動物らしく、特定の人間のキャラクターをなぞらえて描かれます。

お話は、昔話などで描かれるような、ステレオタイプな、ずる賢いきつねの裁きに関するものです。きつねは、鶏を盗む悪者として描かれます。

そのきつねを獅子が裁こうとするのですが、最終的にきつねは、彼の慈悲のもと開放され、そして、象の教育下に置かれることとなりました。わたしは獅子の裁きの断念を慈悲と考えました。

最後に夜明け前、獅子が葉巻をくゆらせ、沈みかけの月を眺めていると、ファンタジー世界は解けて、再び舞台は動物園に舞い戻り、物語は閉じます。



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獅子がきつねを哀れんで、慈悲を示したと考えたのは、賢治の思想が仏教者のそれに近いことに由来します。

慈悲というのは、仏教者にとって大切な命題であり、常に念頭にあるものでしょう。それゆえ獅子の怒りは慈悲によって鎮められたととらえてみたのです。もしこのとらえ方が的を得たものなら、この物語の展開は、仏教者、宮沢賢治の作品として象徴的なのではないでしょうか。

また、この物語の背景で、ずっと輝いているであろう月の光は、多くの仏教経典で、三昧と共に描かれる月の光の放射のように、獅子が慈悲に至るための大切な道具立てとして作用しているように思いました。



慈悲とは、本来、仏や菩薩が衆生に向ける、心ばえを意味する言葉でした。わかりやすい言葉に例えるなら、それは博愛に近いものです。

さて、この博愛というもの、よくよく考えると、我々が、普段交わしている愛とは別のものです。

人にとって愛するという行為は、ごく自然に発現します。しかし、それらを冷静にとらえるなら、そこには、愛し愛されるための束縛が、同時に生まれていることに気づきます。

しかし博愛には、そのような束縛はありません。ならば人が博愛を示す時とはどんな場合でしょうか。しかしそれはまれな出来事のように思われます。たとえば、人の親が、ときに、自分の子に示す愛情などがそれに当たるでしょうか。キリスト教圏では、無償の愛とも呼べるものがそれに近いものと思われます。



日本では、これらのあり方を示す人が時々現れます。これは日本で遠い昔に大乗仏教が広まり、誰でも菩薩となれる道が不可逆的に開かれてしまったからなのではないでしょうか。

それ以降、自覚的かは別として、それらのあり方に感化される日本人が、良くも悪くも跡を絶ちません。彼らはそれらのあり方を、いつしか自分の目指すべき徳目とまでしてしまいます。

賢治はおそらく、そんなあり方を選んだ日本人の代表です。そして、人としての自然な愛情と、慈悲あるいは博愛と呼べる道との間で、彼は色々と思ったのではないでしょうか。

賢治の根本思想は、法華経から由来する仏教者としてのものによるところが、確かに大きいです。しかし、このブログでは、賢治を何がしかのイデオロギーと結びつけて考えるのは、狭い理解にしかたどり着けないものと思っています。童話で示される彼の世界観はもっと広大です。



生前未発表
初稿の執筆は大正10年頃
5回の手入れがあり



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18:16 : 宮沢賢治童話全集 01 ツェねずみ : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
読書雑記 - 宮沢賢治再読
これまでのわたしの読書傾向は、西洋のファンタジーを中心としたものでした。いっけん日本の物語よりも、西洋のものが親しみを感じさせるのです。

なぜそうなのでしょうか。日本人の生活様式が、西洋化され、日本固有のものが、ないがしろにされていることなどを背景にあげてもいいでしょう。また、日本固有のものは古典化してしまっているので、現代仮名遣いへの翻訳の遅れなども、その一因になっていると思います。



しかしわたしは、トールキンのファンタジー論『妖精物語とは何か』を読んで、興味の範囲が広がり、世界で一番有名な昔話集であるグリム童話を改めて読んでいるうちに、ふとしたことから日本の昔話を改めて読んでみると、そこには圧倒的な共感がありました。そんなわけで日本の物語を読んでみたくなりました。

ファンタジーが好きなので、子供の頃に読んでいた日本初のファンタジー小説、佐藤さとるさんのコロボックルシリーズでも再読しようと思ったのですが、必ずしもファンタジーにこだわるのはよしました。もっと日本のエッセンスを多く含んだもので、広義でファンタジー要素のあるものを探しました。



そこで、一部の人には難解と言われていますが、宮沢賢治を再読しようと思っています。そして、その中でも童話を中心に読み進めていく予定です。賢治の残した作品は、その半分ほどが童話だからです。

賢治は、生前にはあまり注目されなかった作家の一人です。死後発掘され、注目された生前未発表の童話がたくさんあります。おそらく読んだことのない作品もたくさんあるでしょう。それらを読むことで体系的に理解がしたいのです。

賢治の作品が難解なのは、童話なりなんなり、その形態が何であろうとも、基本的にはそれらが詩であるからでしょう。賢治は自らの作品を、その形態にかかわらず、すべてを心象スケッチと呼んでいます。その心象がわたしの心に共感を呼んでくれることを期待しています。



読書には、『宮沢賢治童話全集』岩崎書店、を使いたいと思います。このシリーズは宮沢賢治の実弟である宮沢清六氏が編纂に加わったものです。

賢治の作品は基本的に詩であると書きましたが、これから始めようとするのは、文学に疎い人間が書く読書メモになります。よって的はずれなことを言い出すかも知れません。また拙いものとなるのは必至です。それでも賢治の物語世界に、少しでも近づくことができれば幸いです。





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18:23 : ■ 宮沢賢治再読 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 夏 リンク
先頭の数字は記事の日時です。これに記事タイトルが続きます。

08-05-1 日本の昔話 3 より 『桃太郎』 きびだんごの力がすごい
08-05-2 日本の昔話 3 より 『つぶ婿』 西洋型の異類婚姻譚
08-06-1 日本の昔話 3 より 『八郎太郎』 八郎潟の地名に関する由来譚
08-06-2 日本の昔話 3 より 『兄弟の弓名人』 芸は身を助く、村社会からの離脱
08-07-1 日本の昔話 3 より 『お日さまを射そこねたもぐら』 日本の古来からの太陽信仰
08-07-2 日本の昔話 3 より 『水恋鳥』 あかしょうびんを水恋鳥と呼ぶことの由来譚
08-08-1 日本の昔話 3 より 『蛇婿』 親孝行な三女の幸せな結末
08-08-2 日本の昔話 3 より 『沼神の手紙』 自然に宿る神さま
08-09-1 日本の昔話 3 より 『くもの糸』 異類のものをイメージさせる蜘蛛という存在
08-09-2 日本の昔話 3 より 『天人女房』 異類婚姻譚のひとつ、羽衣伝説

08-10-1 日本の昔話 3 より 『キジムナー』 否と言えない男
08-10-2 日本の昔話 3 より 『手斧息子』 立派な若者になるための寄り道をテーマとする昔話
08-11-1 日本の昔話 3 より 『天の庭』 一度失ったからこそわかる相手の大切さ
08-11-2 日本の昔話 3 より 『月見草の嫁』 若いひとり者を慰めるお話の類型
08-12-1 日本の昔話 3 より 『旅人とおなごの神さま』 日本の多種多様な神さまを思う
08-12-2 日本の昔話 3 より 『馬のたまご』 ファンタジーを大事にする心
08-13-1 日本の昔話 3 より 『ちょうふく山のやまんば』 山姥という存在の両義性
08-13-2 日本の昔話 3 より 『きいちばあ』 魔物を退治する物語
08-16-1 日本の昔話 3 より 『火車の化けもの』 飄々とした主人公の魔物退治
08-16-2 日本の昔話 3 より 『うり姫』 川上から流れてきて物語を展開させるもの

08-17-1 日本の昔話 3 より 『鬼の小づち』 鬼の目にも涙
08-17-2 日本の昔話 3 より 『妹は蛇』 日本の昔話にも登場する不思議なアイテム
08-18-1 日本の昔話 3 より 『てんとうさま金のくさり』 長子が活躍する物語
08-18-2 日本の昔話 3 より 『うなぎの恩返し』 昔話が語る道徳観
08-19-1 日本の昔話 3 より 『ものいう魚』 人の根源的な願望を叶えるもの
08-19-2 日本の昔話 3 より 『河童淵』 河童という存在の多様性について
08-20-1 日本の昔話 3 より 『河童の薬』 続、河童という存在の多様性について
08-20-2 日本の昔話 3 より 『蛇からもらった宝物』 大蛇という悠久の時を生きる異界の存在
08-22-1 日本の昔話 3 より 『犬と猫と宝物』 落ち着いた動物たちと、不安定な人間たち
08-22-2 日本の昔話 3 より 『きつねの恩返し』 善意には善意が答える

08-23-1 日本の昔話 3 より 『鳥のみじさ』 日本昔話らしい、もののあわれを想起させる物語
08-23-2 日本の昔話 3 より 『こぶ取りじい』 おなじみの隣の欲張り者の猿真似のお話
08-24-1 日本の昔話 3 より 『ずいとん坊』 たぬきtとの根比べ
08-24-2 日本の昔話 3 より 『あずきとぎの化けもん』 化けもんにも事情がある
08-25-1 日本の昔話 3 より 『はなし』 ちょっと意地悪なおばあさん
08-25-2 日本の昔話 3 より 『はなし話』 物語と言うか駄洒落
08-26-1 日本の昔話 3 より 『穴のぞき』 日本の昔話の状況描写の巧みさ
08-26-2 日本の昔話 3 より 『きつねの芝居』 日本の昔話に見るきつねという存在
08-27-1 日本の昔話 3 より 『にせ本尊』 きつねが人を化かすことに失敗し哀れみを誘う物語
08-27-2 日本の昔話 3 より 『枝はたぬきの足』 人を化かすたぬき

08-28-1 日本の昔話 3 より 『こんな顔』 ひとつ目の妖怪
08-28-2 日本の昔話 3 より 『とろかし草』 昔話の残酷さという表現手段
08-31-1 日本の昔話 3 より 『朝顔と朝ねぼう』 草にまで軽んじられる哀愁さそう男
08-31-2 日本の昔話 3 より 『傘屋の天のぼり』 由来譚の存在理由
09-01-1 日本の昔話 3 より 『月日のたつのははやい』 ユーモアを好む日本人
09-01-2 日本の昔話 3 より 『寝ずの番』 日本人の自他のあり方を象徴する物語
09-02-1 日本の昔話 3 より 『のれんがや』 独りよがりにならない説明の難しさ
09-02-2 日本の昔話 3 より 『旅人馬』 とある正義の博労
09-03-1 日本の昔話 3 より 『くもの化けもの』 蜘蛛が糸を巻きつける恐ろしい手段
09-03-2 日本の昔話 3 より 『ひょうたんの化けもの』 幽霊の正体見たり枯れ尾花

09-04-1 日本の昔話 3 より 『だんだん教訓』 グリム童話のハンスの物語との相似性
09-04-2 日本の昔話 3 より 『話十両』 不条理なことであっても、約束は守るべきもの
09-05-1 日本の昔話 3 より 『ぶしょうもの』 マイペースな男
09-05-2 日本の昔話 3 より 『あわてもの』 愛すべき学習しない男
09-06-1 日本の昔話 3 より 『においの代金』 けちという悪徳も受け入れる日本の昔話
09-06-2 日本の昔話 3 より 『あめは毒』 賢い小僧さんの頓知噺
09-07-1 日本の昔話 3 より 『くさった風』 下ねたの多用、農民を語り部とする日本の昔話
09-07-2 日本の昔話 3 より 『この橋わたるな』 小僧さんが知恵を働かせる物語の類型
09-08-1 日本の昔話 3 より 『切りたくもあり、切りたくもなし』 小僧さんの渾身の風刺
09-08-2 日本の昔話 3 より 『犬の足』 昔話に現前性を与える空想という仕掛け

09-09-1 日本の昔話 3 より 『とんびの染めもの屋』 続、由来譚の存在理由
09-09-2 日本の昔話 3 より 『けものと鳥の合戦』 こうもりという存在のあり方
09-10-1 日本の昔話 3 より 『火種ぬすみ』 火の使い方を教えるバッタ
09-10-2 日本の昔話 3 より 『たつまきのはじまり』 ふんどし一枚で竜巻を起こすおじいさん
09-10-3 日本の昔話 3 より 『島をすくった三人兄弟』 恵まれた生活で忘れがちなこと





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18:20 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『島をすくった三人兄弟』 恵まれた生活で忘れがちなこと
むかし、宮古島の村長の家に、ひとりの美しい娘がいました。娘はたいそう大切に育てられどこにいくのも母親が同伴していました。しかし娘にいつの間にか赤ん坊が出来たらしくお腹が大きくなりました。



しかし、予定日を過ぎても子どもは生まれません。三年経ったある日、娘はなんと大きな卵を三つ生みました。父親は怪しみましたが卵がかえるかも知れないと思い、畑の柔らかい枯れ草の中にそっと置いてきました。父親は毎日卵の様子を見ていましたが、三日目に卵はかえります。三人の大きな男の子が産まれました。

子どもたちは村長のことをおじいと呼びます。何故おじいと呼ぶのかと聞くと、神さまが教えてくれたといいます。三人の子どもはどうやら神の子と言ってもいい存在のようです。村長は孫を連れて家にかえりました。



ところがこの三人の子どもはよく食べます。上の子は一日に米を七升、中の子は五升、下の子は三升を平らげます。とても養うことができません。

そこで隣村の子供のいない長者に、この子らを引き受けてもらいました。しかし隣村の長者も、その食事の量の実態を知ると、やはり養うことができまないことがわかりました。

そこで長者の故郷の今は誰も住んでいない来間島(くりまじま)へ三人の子どもを。おくることにしました。



三人子どもは、島で井戸を見つけ、まだ島に人が住んでいる気配を感じると探し回り、とうとう九十歳くらいの老婆を見つけます。三人はおばあさんに、なんでこんなところに隠れて住んでいるのかを聞きますと、老婆の口から来間島での悲劇を知ります。

この島では毎年豊年祭をしていたのですが、いつの間にか、しきたりが廃れ祭りが行わなくなると、大きな恐ろしい赤牛が現れ、島の人々を連れ去ってしまったということでした。



三人の子どもは、その赤牛に会いに行こうとして、老婆に近くまででいいからと案内を頼みました。するとそこには大きな門があり、門には娘がひとり番をしています。

娘に赤牛との間を取り次いでもらうと、赤牛が現れ、三人の子どもと力比べとなりました。三人の子ども息子は並外れた力で赤牛を取り押えると、角をもぎ取ってしまいます。赤牛は門の中に逃げ帰りました。



次の日三人の子どもは、赤牛の逃げていったところを探します。実は赤牛は神さまでした。そして島の人日びとをを襲った経緯を神さまは話しました。それは豊年祭をないがしろにしたせいでした。

かつての来間島はたいへん栄えていました。しかし来間島の人たちは、島や海の恵みを忘れてしまったのです。三人の子供は豊年祭を復活させると誓いました。

そして村人を返してもらおうとしますが、もうすでに門番の娘以外は盲にされています。娘だけを連れてかえりました。



その娘は老婆の孫でした。老婆は喜び、三人のうちの上の兄に娘を嫁にやりました。やがて娘には子どもが産まれ、そのうちふたりの女の子を中の兄と下の兄にあたえました。神さまとの約束も果たし豊年祭は行われ、来間島は再び栄えた、と物語は結ばれます。





来間島の人々は、島や海の恵みを当たり前のこととして、豊年祭をしなくなったことが島を衰退させた原因でした。それを、三人の神の使いと呼べる子どもらが元通りにします。

自然の恵みを大切にしてきた日本人の生活を、捨て去ろうとする人々のおごった風潮に、釘を差すお話になっています。人は恵まれると、とかく謙虚な姿勢を忘れてしまうのではないでしょうか。





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18:44 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『たつまきのはじまり』 ふんどし一枚で竜巻を起こすおじいさん
むかし、あるところに、炭を作って暮らしているおじいさんがいました。おじいさんには七人の息子と、ひとりの娘がいました。

おじいさんはとても働き者でしたが、息子たちは手伝おうとしません。炭焼きをすると、真っ黒になってしまうからです。なのでいつも遊んでばかりいました。それでも近所の子どもたちは、真っ黒になる炭焼の仕事を馬鹿にして、息子たちをさげすみました。

そこである日のこと、七人の息子は集まって、おじいさんを海に捨ててくる計画を立てます。



なにも知らないおじいさんは、息子たちにたまには海へ遊びに行こうと誘われ、ついていくと船で沖に連れて行かれ、大きな岩におろされます。息子たちは、もっと沖に出て魚を取ってくるというもののそれは嘘で、おじいさんは大海に置いてけぼりにされます。

息子たちはとっくに家に帰って、これで炭焼きの子どもと言われることはないと、企みが上手く行ったことを祝いました。娘だけは、なんてことをしたのだと、おじいさんを助けに行きます。

なにも知らないおじいさんは、息子たちが夜になっても戻ってこないので心配しましたが、自分も潮が満ちてきて溺れかけています。

そこに一匹のサメが現れて、もう終わりかと思ったところ、おじいさんは思い切ってサメの背に乗りました。するとサメはおじいさんを砂浜に運びました。



砂浜では、おじいさんを死んだものと思って泣いている娘がいました。娘は思いかけず、おじいさんの姿を見つけ助け起こします。

おじいさんは気を取り直して海を見ると、ここまで連れてきてくれたサメがまだそばにいました。

おじいさんは娘に家で一番大きな牛を連れてくるようにいい、その牛をサメに命を助けてくれたお礼として与えました。サメはそれを一口で平らげて沖へ帰っていきました。

おじいさんは娘に息子たちの悪だくみを聞いて怒ります。そして急いで家にかえりました。



息子たちは驚いて開いた口がふさがりません。息子たちは、おじいさんがもうとっくに死んだものと思っていたからです。

おじいさんは、あの大きな海の岩に、宝物を見つけたのだけれども、ひとりではどうすることもできなくて、つい帰りが遅くなってしまったと嘘をつきました。そして明日にでも宝物を取ってきなさい、と息子たちにいいました。

それを聞いた息子たちは思いがけないおじいさんからの言葉にすっかり浮かれてしまいます。



そして翌日息子たちは、そろって船を漕いで沖に向かいます。おじいさんは息子たちの船がすっかり小さくなったのを見ると、ふんどしを持って浜辺に立ちました。

そしてふんどしを海に向かって高くかざすと、神に息子たちを懲らしめる天罰を願います。するとふんどしは風に飛ばされ舞い上がり、沖の方へ飛んでいきました。

するとたちまち大風が起こり、ぐるぐると海の水を巻き上げ、息子たちの船を空中に飛ばしたかと思うと、船は落ちてきて海に叩きつけられ沈んでしまいました。これが竜巻の始まりです、と物語は結ばれます。



illust3786-c



タイトル通り、竜巻の由来が語られる由来譚ですね。それにしても、このおじいさんすごいです。ふんどし一枚で竜巻を起こしてしまいます。

真面目な働き者であったのに、息子たちに裏切られ気の毒に思っていたところ、最後のこの展開にスッキリとした読後感を味わうことができます。

このあと、おそらく息子たちは生きているでしょう。おじいさんは息子たちを懲らしめるために神に願っているからです。決して復讐ではありません。

おじいさんの、一介の炭焼としての朴訥な生き方がよく伝わってきます。

グリム童話(KHM169)『森の家』では、炭焼きという仕事が、罰、あるいは試練とされていました。人の嫌がる仕事という位置づけなのでしょう。



お話にサメが出てくる話は、これで二話目です。一話目は『さめにのまれる』です。イメージとしては海で人を食らう存在として、ここでもその性質は踏襲されています。しかし、この物語ではおじいさんを救っています。この純朴なおじいさんにして、サメをそうさせたと言えるかも知れません。





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18:42 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『火種ぬすみ』 火の使い方を教えるバッタ
むかし、沖縄には、マズムヌという魔物がいました。この物語は人間とマズムヌが仲良く付き合っていた頃の話です。



ある日人間は、マズヌムの家に招かれました。行ってみると魚や肉や色々なごちそうがいっぱい出され、どれもほかほか温かく柔らかでした。人間は不思議に思います。この秘密を知るためにこっそり覗き見てやろうと思いました。

そこである朝人間は、バッタを誘ってマズヌムの家にいきました。ところがマズヌムは、いつまで経ってもお茶もごちそうも出してくれません。わけを聞いてみると人間の見ているところでは、料理を作ることができないのだといいます。

そこでマズヌムは、人間とバッタに手ぬぐいで目隠しをしました。人間はなにも見ることができませんでしたが、バッタは手ぬぐいのすきから火をおこして料理するところを見てしまいます。



バッタは帰ってから、見てきたことを真似して火の起こし方を覚え、それを人間に教えてやりました。こうして人間は火の起こし方を知ったのです、と物語は結ばれます。



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人間が、火の使い方を知ることができるようになった由来が語られる、由来譚になっています。

火は魔物が使うものとして語られ、その使用法は人間には秘されていますが、バッタがその秘密を盗み見て、人間に教えたことにより、人間は火を使えるようになったと物語は語ります。

バッタが活躍していますが、なにゆえバッタなのでしょうか。あまり昔話ではメジャーな登場者ではありません。日本人の深層心理に、何かこのような心象が刻まれているのかも知れません。





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18:39 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『けものと鳥の合戦』 こうもりという存在のあり方
むかし、けものと鳥が喧嘩してとうとう合戦することになりました。けものの陣では一番賢いきつねが大将となりました。鳥の陣では空飛ぶものの中で一番賢い蜂が大将となりました。

いよいよ合戦というとき、きつねはけものたちを集めて合図を決めます。きつねがしっぽを立てたら前へ進めで、しっぽを下げたらあとへ引けということに決まりました。ところで賢い蜂はその話を盗み聞きしていました。



合戦が始まると蜂はきつねのところに飛んでいき、きつねがしっぽを立てるとその付け根を刺しました。きつねは痛くてしっぽを下げます。

けものたちはいざ突進と思いきや、急いであとへ引きました。きつねはこれではいけないと思い、もう一度しっぽを立てました。

ところがまたしても、蜂がしっぽの付け根を刺すではないですか。きつねは痛くて、またしてもしっぽを下げました。

こんなことが続き、とうとうきつねは痛くて、しっぽを立てることができなくなりました。けものたちは皆、あとに引いたので、けものの陣の負けとなりました。



この合戦のときこうもりはどちらの陣にも着きませんでした。羽が付いているので鳥でもあるけれど体はけものだからです。どちらの味方にも着きませんでした。

だから今でもこうもりはけものと鳥の間で暮らしていると物語は結ばれます。





こうもりが、争いの外で暮らすという決意が表明されます。ある意味高尚なあり方をこうもりが体現しています。

それに比べて、同じようなパートを使ったお話で、こうもりが仲間はずれにされるというお話もあります。そう、イソップ童話の「卑怯なコウモリ」です。こちらはイソップの寓話らしく、ご存知の通り、またタイトルからも察することができるように、辛辣な教訓が述べられています。

ちなみに、イソップは紀元前の人です。これらのお話を類話とするなら、その原型はかなり古いものと思われます。





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18:15 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『とんびの染めもの屋』 続、由来譚の存在理由
むかし、あるところに、とんびの染めもの屋がありました。とんびの染めもの屋は、きじや、かけすや色々な鳥が羽を染めてもらいにやってくるので、たいそう繁盛していました。



その頃からすの羽は真っ白でした。からすもとんびの染物屋にきれいに染めてもらおうと出かけていきました。しかしが今日はお客さんでいっぱいでした。なかなか順番がこず、からすは腹をたててしまいます。

そしてからすは自分で染めるといい出して、染め壺に勝手に飛び込んでしまいました。ところがそれは藍壺だったので、上がってみるとからすの体は真っ黒に染まってしまいました。



それからというものからすは、こんな姿になってしまったのは、とんびのせいだとし、つっかかっていくようになりました。とんだ言いがかりだといってとんびは逃げていきます。

今でもとんびが「ぴーひょろろ」と鳴きながら、空に輪を描いて飛んでいると、からすが「かあかあ」と泣いて飛びかかるのは、むかしそんなことがあったからです、と物語は結ばれます。





からすがとんびに飛びかかる理由に関する由来が語られる由来譚になっています。

からすが鳶に飛びかかる光景は、住んでいる場所がら、よく目にします。これはモビングといって、小さな鳥が大きな鳥から自分たちのテリトリーを守るための行為のようです。気づきませんでしたが、他の鳥の組み合わせにも、よく見られる光景のようです。

由来譚というのは、むかしは今のように自然科学的な意味づけができなかったので、これらの出来事に、意味づけするために物語として保存したのでしょう。

人間は、どうしようもなく出来事に意味を見出したがる存在です。数多にある由来譚の存在理由はそんなところにあるのかもしれません。

傘屋の天のぼり』の記事で、由来譚の存在理由について、ひとつの結論を出していました。それは由来を伝えること自体が目的であり、それ自体に大きな理由がある、と述べました。

ここではそれに加え、それらの営みが、人の性分として、ごく自然な行為であることを付け加えておきます。





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18:13 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『犬の足』 昔話に現前性を与える空想という仕掛け
短いお話です。むかし、犬の足は三本でした。それで犬は上手く歩けないので、神さまに四本足にしてくださいとお願いしました。神さまは犬を気の毒に思い、足をもう一本やることにしました。

しかし神さまはどこからもう一本持ってきたらいいかと悩みます。あたりを見回すと動く必要のないお香をたく香炉が目に入り香炉には四本の足があります。

神さまは香炉にお願いして足を一本譲ってもらい、そして犬につけてやりました。犬はお礼をいいました。そういうわけで香炉の足は三本になリ犬は四本足になったのです。

犬は神さまからもらった足を大事にし、おしっこをする時には濡らさないように、必ず足をあげてするようになった、と物語は結ばれます。



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香炉の足が三本であることと、犬がおしっこをする時に足をあげることの由来が語られる由来譚になっています。

昔話では、よく、突飛なことが語られますが、犬が初め三本足であったというのもそうですね。

由来譚というものは、たいていこじつけですが、もっともらしく語られるものです。そこには空想(ファンタジー)という仕掛けが使われたりもします。



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18:22 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『切りたくもあり、切りたくもなし』 小僧さんの渾身の風刺
むかしあるお寺に和尚さんと三人の小僧さんがいました。小僧さんは一番歳上が十二、三、真ん中が七つ、八つ、一番年下が五つ、六つの小さな子供でした。



あるとき和尚さんは檀家から大きな梨をもらい小僧さんにやろうと思いましたが、あいにくひとつしかありません。

そこで和尚さんは今から歌比べをして、一番上手に歌を詠んだ者に、この梨をやることにしました。

まず和尚さんが下の句を言うから、小僧さんはそれに上の句をつけることになりました。そして和尚さんは、下の句に「切りたくもあり切りたくもなし」と詠みました。



その晩はちょうど十五夜で、一番上の小僧さんは「十五夜の、月に邪魔する松の枝、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは感心します。

次に真ん中の小僧さんが読みました。「父親に、もらった筆の長い軸、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは大変感心し、この歌には父を思う気持ちがよく出ていると評しました。

そして和尚さんは、一番下の小僧さんには、これに優る歌は読めないだろうと思い、一番下の小僧さんの歌を聞く前に、真ん中の小僧さんに梨をやることに決めました。

すると一番年下の小僧さんは大声をあげて泣き出してしまいました。和尚さんは今日のところは我慢しろと言いましたが、小さい小僧さんは言うことを聞きません。とうとう和尚さんは根負けして小さい小僧さんの歌を聞くことにしました。

すると小さい小僧さんはなんと「梨ひとつ、惜しむ和尚のその首を、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは肝をつぶし、あわてて梨を小さい小僧さんにあげた、と物語は結ばれます。



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小さい小僧さんの歌が、渾身のブラックジョークになっています。この歌を前に、和尚さんは、梨を小さい小僧さんに渡さざるを得ませんでした。子供の頃は誰しも思ったことを口にするものです。それが的を得た表現となるっこともありえます。



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18:19 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『この橋わたるな』 小僧さんが知恵を働かせる物語の類型
むかし、ある山寺に、和尚さんと五人の小僧さんがいました。

あるとき村に法事があると言うので和尚さんと小僧さんは出かけることになりました。そこで和尚さんは自分は先に出かけるといい、小僧さんには、寺の掃除をしてから来るように言って、遅れてこないように注意しました。

小僧さんたちは言われたとおりにして村に出かけました。



しばらく行くと川があって橋がかかっているのですが、この橋渡るべからずと立て札があります。五人の小僧さんははたと困りました。

結局小僧さんのうち四人が橋の袂を降り、川を船で渡って向こう岸に上がりました。けれども一番年下の小僧さんだけは、じっと橋の手前で立ったまま考え事をしています。

しばらくその小僧さんは考えると、なにかひらめいたらしく手を打ちました。そして橋の真ん中を堂々と歩いてきます。やがて五人揃って法事のある家に着きました。



和尚さんは途中この橋を渡るべからず、という立て札があったはずだが、お前たちはどうやって来たのかと問います。四人の小僧さんたちは船を使ったと言いました。

ところが一番年下の小僧さんが黙っているので和尚さんは彼に尋ねました。すると小僧さんはこの端を渡らなければいいので、真ん中を渡ってきたと答えました。和尚さんはよく考えたと、この一番年下の小僧さんを褒めた、と物語は結ばれます。



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これまでも頓知を効かせた小僧さんの物語はありました。『神様と小便』、『あめは毒』があげられるでしょうか。小僧さんが、和尚さんと対等に渡り合うための知恵比べの物語の類型と言えるのではないでしょうか。



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18:41 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『くさった風』 下ねたの多用、農民を語り部とする日本の昔話
むかし、ある寺に、和尚さんと小僧さんがいました。暑い夏の盛りのことです。そこへ風売りが涼しい風を売りに来ました。和尚さんは早速小僧さんを使いに出し、涼しい風を買ってこさせると、壺の中にしまっておきました。

そして暑い日になると壺を出してきてふたを開け、和尚さんは一人で涼んでいました。小僧さんはそれを見てうらやましくてなリませんでした。



ある日和尚さんが法事に出かけていきました。小僧さんはここぞとばかりに、こっそり壺を出してきてふたを開け、たっぷりと涼しい風に当たりました。

ところが気がつくと壺の風はすっかり無くなっていました。小僧さんはたいへん困ってしまい、考えたあげく、尻をまくって壺の中におならを入れました。



夕方になって和尚さんが帰ってくると、暑いので、早速涼むとするかとツボを出してきて蓋を開けると、中からなんとも言えないくさい匂いがします。

和尚さんは顔をしかめて小僧さんに言いました。壺の風がひどく臭くなっているではないか。

すると小僧さんは答えます。あんまり暑いから風が腐ってしまったのでしょう、と物語は結ばれます。



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日本の昔話の大好きな下ねたです。これまで読んだものなら『へこきじい』、『神様と小便』、『魚の嫁さん』、『かくれ蓑笠』などがあげられるでしょうか。

日本の昔話は、多くが農民の間で伝えられてきた経緯があり、その影響が色濃く出ている結果だそうです。



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18:38 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『あめは毒』 賢い小僧さんの頓知噺
むかし、ある寺に、和尚さんと三人の小僧さんがいました。和尚さんは毎日押入れから水飴の入った壺を出しては、一人で舐めていました。

小僧さんたちは、和尚さんが何を舐めているのか知りません。そこである日、和尚さんに聞いてみました。

すると和尚さんが、あれは青とかげのはんみょう石と言って、大人が食べる分には薬となるが、子どもが食べると大変な毒となるから手をつけてはならないと言いました。

ところが小僧さんの中にひとり賢い者がいて、あれは飴に違いないと思い、なんとかして舐めてやろうと思っていました。



ある日のこと、和尚さんが法事に出かけました。その留守に賢い小僧さんは、他のふたりの小僧さんを呼んで、和尚さんのあの壺の中身は飴に違いないから、みんなで舐めてみようと誘いました。

するとひとりの小僧さんが、そんなことをしたら、怒られるに決まっていると反対します。しかし、賢い小僧さんは、うまい手があるから大丈夫と言って、ふたりをその気にさせてしまいました。

そして三人の小僧さんは、押し入れから大きな壺を取り出し、腹がぽんぽんになるほど飴を舐め、壺を空っぽにしてしまします。

和尚さんが帰ってくる頃になると、小僧さんたちは、和尚さんの部屋をきれいに片付け、そして賢い小僧さんは、和尚さんが一番大切にしている硯を取り出すと、なんとそれを投げて割ってしまいました。

その上で賢い小僧さんは、和尚さんが帰ってきたら合図をするから、一緒に泣くまねをしろと二人の小僧さんに言いました。



やがて和尚さんが帰ってくると、三人の小僧さんが泣いているので、和尚さんは三人にそのわけを聞きました。

すると賢い小僧さんは、「和尚さんの留守に部屋を片付けていたら、大事な硯を割ってしまったので、死んでお詫びをしようと、あの青とかげのはんみょう石のことを思い出し、それを食べて死のうと思ったのです。

しかしお前が死ぬなら俺も死ぬと、ふたりも言い出すので、三人で、あの青とかげのはんみょう石を食べたのですが、いくら食べても死にません。

とうとう壺は空になってしまいましたが、それでも死にません。和尚さんに申し訳なく、それで泣いていたのです」と言うではないですか。

これでは和尚さんも怒るに怒れません。和尚さんはあの壺に入っていたのは毒ではなく飴だと白状して、食べてしまったものは仕方がないと小僧さんを許してやりました、と物語は結ばれます。



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賢い小僧さんの頓智噺ですね。一休さんを思い出します。

日本の聖職者である和尚さんは人間的です。彼らをあるじとする寺で繰り広げられる出来事も、我々には親しみを持って受け入れられています。



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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『においの代金』 けちという悪徳も受け入れる日本の昔話
むかし、あるところに、たいへんけちな夫婦が住んでいました。隣がうなぎ屋なのをいいことに、いつもその匂いをおかずとして、ご飯を食べていました。夫婦は、うなぎなど一度も買ったことがありません。彼らには、どんどんお金がたまりました。

これを聞いたうなぎ屋は、たいへん怒りました。人のうちのうなぎの匂いをかいで、飯を食うなどけしからんと言って、うなぎ代を払わせようとすごみます。

ところがけちな夫婦は、ならばうなぎ代を払ってやろうと答えます。そして竹の筒にお金を入れて、うなぎ屋の耳元でちゃらんちゃらんと振って音を聞かせました。

うなぎ屋はなんのつもりだと詰め寄りました。するとけちな亭主は、うなぎの焼いた匂いを嗅いだだけだから、お前さんもお金の音だけでいいだろうと答えるではないですか。

うなぎ屋は、この忙しいのに、どこに銭の音だけを聞きに来る馬鹿がいる、とかんかんに怒ります。

するとけちな亭主は、それならうなぎの匂いがこちらにこないように焼いてくれ、わたしも匂いの代金を払わずに済むと言いました、と物語は結ばれます。



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このけちな夫婦、お金はたまっても、おかずを食べていないのだから、健康的にはどうなのか気になりました。

けちが隣のうなぎ屋と言い比べになって、競り勝ってしまいます。昔話ではけちは悪徳として語られやすいようですが、日本の昔話の懐の広さを感じさせる物語です。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『あわてもの』 愛すべき学習しない男
むかし、あるところに、とてもあわて者の男がいました。明日はお盆でお寺にまいろうとして、女房に暗いうちに家をでるから、握り飯を作ってくれと頼んで、早めに寝ました。



さて男は、暗いうちに起きて、支度を始めます。女房に握り飯のありかを聞くと、布団の中から声がして、握り飯は囲炉裏端にあるし、それを包む風呂敷は、わたしの布団の足元にあると答えが返ってきます。男は女房の足元から風呂敷を取り上げそれに握り飯を包み背負いました。

それから戸口に立てかけてあったはしごに腰掛けて、脚絆を巻きました。ところが、片方を間違えてはしごに巻いてしまいますが気づきません。そして糸に通した百文のお金を持つとわらじを履き、お寺に急ぎました。



やがて男は寺に着くと賽銭をあげようと、糸にとうした百文から一文だけ取り出して、賽銭箱に投げました。ところが間違えて九十九文の方を投げてしまいます。男は余計にご利益があるだろうと、そのまま拝みました。

そのうち男は腹が減ってきたので握り飯の入った風呂敷をおろしました。ところがそれは風呂敷などではなく、女房の腰巻きでした。おまけに中から出てきたのは握り飯などではなく枕でした。

何か買って食おうと思いましたが、お金はもうすでに一文しか残っていません。なにも買うことができませんでした。男はぷんぷん起こって帰りました。



男は家に飛び込むなり、風呂敷が腰巻きであったことと、握り飯が枕であったことの文句を言い、腹が減ったと女房の頭をたたきました。すると何をする隣のおやじと声が返ってきます。よくよく見るとそれは隣の女房でした。

びっくりした男はそのまま隣の家を飛び出し自分の家に飛び込むと自分の家の女房に手を付いて謝った、と物語は結ばれます。



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笑い話ですね。この主人公の男、物語から感じ取れるのは、かなりの楽天家であるということです。賽銭を間違えて、今日入り用のお金を大方投げてしまっても、それだけご利益があるなどと、うそぶいています。

よってこれまでの人生、反省などということは、なかなかしてこなかったものと思われます。つまり性格が根本から学習しないタイプなのです。それゆえに未だにあわてものが治らないのでしょう。楽天的すぎるのも考えものです。しかし、今回は学習したようです。愛すべき存在ですね。



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18:52 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ぶしょうもの』 マイペースな男
むかし、あるところに、なんとも不精な息子がいました。ともかく不精なのです。父親はそんな息子を見るに見かねて、旅にでも出せば変わるどろうと思いそうとしました。

母親は握り飯をたくさんこしらえて、息子に持たせてやります。息子はそれをどっこいしょと背負って、どこに行くという宛もなく、なんになるという宛もなく、ぶらあーと出かけていきました。



行くが行くが行くと。息子は腹が減ってきました。けれども息子は何しろ不精ですから、背負っている握り飯を下ろすのさえままなりません。

誰か腹を透かしたやつが来たら、そいつに下ろしてもらって、一緒に食べようなどと思って待っていました。



そのうちに向こうの方から編笠をかぶって大口を開けた男がやってきました。息子はその男が腹が減って口を開けていると思い込み呼び止めます。

しかしその男は、腹が減って大口を開けているのではなく、編笠の紐がゆるんでしまったのを、結び直すのも面倒だから、大口を開けて編笠が脱げないようにしているだけでした。

息子は、不精者にも上には上がいるものだと思った、と物語は結ばれます。





笑い話ですね、主人公の息子はマイペースなのだと思います。しかし、不精な性格でも一生そうしているわけには行かないでしょう。自分の食いぶちの問題もあります。そのうち、どこかで、何者かになればいいと思います。『寝太郎』を思い出しました。

しかしそうとはならず、自分よりさらなる不精な男に出会ったのをいいことに、いっそう不精の高みを目指していくのかも知れません。それはそれでその人の生き方です。





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18:51 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『話十両』 不条理なことであっても、約束は守るべきもの
むかし、ある男が、江戸へ出て十年間一生懸命働き、十両のお金をためました。これだけのお金があれば、村に帰って女房と楽に暮らしていけると思い、主人に暇乞いをして江戸をたちました。



さて、男が町外れまで来ると、とある家の前に、”命売ります”という看板を見つけ、なんのことだろうと不思議に思い、その家に立ち寄ります。

その家の主人に話を聞くと、どうやら命が助かる話を売るということらしいのです。男は興味を持って、その話はいくらですかと聞くと、三つで十両だといいました。この話を聞けば三度命拾いできるということです。

男は、命より大事なものはないと思い、話を三つ買いました。その家の主人は、それではようく聞けといいました。

まず一つめに「大木より小木」そしてふたつめに「ごちそう食ったら、油断するな」さらに三つめに「短気は損気」といいました。

男はがっかりしました。こんな他愛もない話を聞くために十年辛抱して働いて貯めたお金を全て話の支払いに使わなければならないのです。

しかし約束ですので男はお金を払いました。そして、その三つの言葉をそらんじて、また歩き出しました。



しかしなんと男の行方には、この三つの言葉に相応するような選択肢が待っています。そして言葉の通りに行動するとほんとに命拾いをするのです。

結果としては初めの二つの話で、自身の命拾いをし、最後の話で、女房の命拾いをしたことになりました。決して高い買い物ではなかった、と物語は結ばれます。



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主人公の男は、預言者らしき人物に、お金を払って、言葉を授かったという話でしょう。苦労してためたお金すべてを失いますが。命拾いをするのです。命より大切なものはありません。

ただしこの物語の眼目を、あまり損得の事柄と考えるのではなく、数々の妖精物語が繰り返し語ってきた、どんなに不条理なことであっても、約束は守るべきものであり、それが後々の幸せに結びつくという、一大テーマを、そこに見い出すべきと考えます。グリム童話(KHM01)『かえるの王さま』のテーマを、トールキンはこの約束に結びつけていました。

主人公の男は、約束に従って有り金すべてを支払いました。そう、約束に従ったのです。その結果、言葉はもはや独立して効力を持ち始め、必然的に男の命拾いに通じたととらえるのです。

勘ぐるなら、この預言者らしき人物は、本当はぺてん師であってもかまわないのです。濡れ手に粟で、影でほくそ笑んでいるかも知れません。しかし、この主人公の男がもし、損得勘定で、そんな言葉にはお金が支払えないと約束を果たさなかった場合、男は本当に命を失ったのだろうとも考えています。

それにしても、現実問題、ここで言う約束は、そうそうたやすくするものではありません。ある意味、聖なる約束と呼んでもいいと思います。どうでしょう、我々は、この主人公の男のように約束を果たすことができるでしょうか。



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18:25 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『だんだん教訓』 グリム童話のハンスの物語との相似性
注目すべきは、グリム童話(KHM32)『ものわかりのいいハンス』との相似性です。もちろん語られるエピソードは、まったく別ものですが、グリム童話のハンスと、このお話の婿どのは生き写しと言っていいでしょう。また登場する主人公以外のキャラクターの役割もほぼ同じで、結果として同じような構造の物語を形作っています。

婿どのは、その時その場ですべきことには、おおよそ頭が反応しません。それを嫁さんに指摘されるのですが、その指摘は、もうすでに終わったことに対するものであるにもかかわらず、婿どのは、次の行動で、それらの助言をそっくりそのまま実行するのです。よって、それらの行動は場違いも甚だしいものとなります。ハンスの物語になぞらえるなら、ちょうどハンスの母親の役割をこの物語の嫁さんが果たしています。

主人公の婿どのに、愚かという言葉が当てられていますが、ハンスの物語同様、婿どのには、狂気さえ感じ取れます。このように類似の物語が世界にあるということは、これらのお話が、おそらく笑い話として流通していたのでしょう。しかし、現代人が読んだり、聞いたりした場合、その目的を果たすかどうかは疑問です。

ひとつだけエピソードをあげてみましょう。

ある日、婿どのは、嫁さんの実家に用を足しにいきました。婿どのは帰り際、嫁さんの父親に土産をもらいます。それは嫁さんの実家で余った、飯炊きの娘でした。その娘を婿どのは、なんと娘の帯をつかんで、ぶら下げて連れて帰ろうとします。娘は驚いて逃げてしまいまいました。

この婿どのの、行動は、このエピソードの直前に、実家の義理の父親に、土産の茶釜を土産にもらったことが由来しています。つまり茶釜を運ぶときにはぶら下げて持ち帰るものだと嫁さんに注意されていたのです。このように直前のエピソードで嫁さんに注意されたことを婿どのはその通り実行します。この物語はこんな調子で延々と婿どの場違いなエピソードが繰り返されるのです。

どうでしょう。笑い話と受け取れるでしょうか。笑い話としてもナンセンスですね。それにこの日本の昔話は、グリム童話と違って、皮肉なことに、最後に主人公の婿どのは死んでいます。





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18:24 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
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