子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 3 より 『傘屋の天のぼり』 由来譚の存在理由
むかし、あるところに、傘屋の息子で怠け者の若者がいました。

ある天気のよい日、若者は、皆が仕事に精を出す中、干してあるたくさんの傘の影で寝転んで、本など読んでいました。

すると、突然冷たい風が吹き出し、若者は、干してある傘が飛ばないように柄を握ると、風はますます強くなり、若者は、傘ごと吹き飛ばされてしまいました。天のてっぺんまで吹き上げられた若者は、一面の雲の上をうろつきます。

すると雲の中から、人間の匂いを感じて、白髪頭を振り乱した、しわだらけの恐ろしい婆さんが現れて、若者を見つけると、驚いて、ここは人間の来るところではないといい、自分は雨降りばばあだと名乗ります。

そして今は忙しくて、若者の話を聞いている暇はないから、雷が来たら相談してみるといいと言って、大きなじょうろで雨を降らしながら去っていきました。

若者が取り残されてまごまごしていると、やがてごろごろと音がして稲光がし、恐ろしい形相の雷がやってきます。そしてやはり、ここは人間の来るところではないと言うので、若者は飛ばされてきた経緯を話しました。

雷はさては風の神の仕業だなと言うと、仕方ないからしばらく置いてやるといい、その代わりに、下界のいたずら者や、雨の降る日に裸でいる子どもがいたら、俺に知らせろといいました。どうやらへそを取ってしまうようです。

そして、腹が減ったらこれを食え、と言って重箱をくれました。それから青い窓があるから、そこを覗くなと注意して遠くの方へ行ってしまいました。



若者は、やれやれと一安心したところで腹が減ったので、重箱を開けてみます。中に入っていたのはへその佃煮でした。とても気持ち悪くて食べられません。

若者は、その重箱を置いて、あたりを見回すと、青い窓があります。雷に覗くなと言われましたが、つい覗いてしまいました。そこは雲の切れ間でした。若者は真っ逆さまに地上に落ちていきます。

しかし、地べたに叩きつけられるところを、うまい具合に桑の木に引っかかって命拾いします。

そこへさっきの雷が現れて、桑の木に引っかかっている若者を見つけると、さては青い窓を覗いて落ちたなと言うと、こいつは見逃してやろうと、へそを取らずに、またどこかへ行ってしまいました。

それで今でも雷が鳴るときには、桑の木を軒先に挿して、雷よけにするのだそうです、と物語は結ばれます。



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傘屋の息子の冒険と、雷よけの桑の木に関する由来が語られる、由来譚になっています。

これまでも、日本の昔話では、多くの由来端に触れてきました。初めのうちは、これらの由来を伝えるべき理由を探していましたが、どうも伝えること自体が目的であり、それ自体に大きな理由があるのだなという結論に至っています。





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18:44 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『朝顔と朝ねぼう』 草にまで軽んじられる哀愁さそう男
短いお話です。むかし、あるところに、たいへん朝寝坊の男がいました。男は、朝顔の花が咲くところを、一度でいいから見てみたいと思っていました。男が起きたときにはいつも咲いたあとだったからです。



ある朝男は、今日こそ朝顔の花が開くところを見ようと決心し、本当に朝早く起きて、そのつぼみの前で待っていると、間もなくつぼみは、ゆっくりとほどけるように開いていきました。

男は、なるほどこうして咲くのか、と大喜びで感心していると、また、あっという間にしゅうしゅうっとしぼんでいきます。

男が、朝顔に、なぜしぼむと言うと、朝顔は、お前が起きているので昼かと思った、と物語は結ばれます。





笑い話ですね。男が、朝顔にまで軽んじられているところは、哀愁を誘います。





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18:42 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『とろかし草』 昔話の残酷さという表現手段
むかし、ある村の若者が、朝早く山へ草刈りに行きました。すると大蛇が大きな口を開けて人間を飲み込もうとしていました。

若者は、たまげてみていると、さすがの大蛇も、これだけ大きなものを飲み込むとなると、難儀とみえて、そこらじゅうをのたうち回っています。

そのうち大蛇は、青い草を見つけると、夢中で食べ始めました。すると大蛇の腹は、みるみる細くなり、終いにはもとの太さになりました。

若者は、あの青い草は、食べたものを早くこなすことができる草なんだなと思って、刈り取って家に持ち帰りました。

そして若者は、友達に、俺はそば百杯でも食えると自慢を始めます。友達はそんなことができるはずはない、腹が破れてしまうと、一向に信じませんでした。若者は、なんなら、米百俵を賭けてもいいとまで言い出します。



賭けが決まると若者は、友達の家に行き、みんなの見ている前で、そばを食べ始めました。若者はあの草さえあれば食べたそばから消化してくれると思い、無理やりそばを百杯平らげてしまいました。

友達は、若者が本当に食べたことにあきれます。しかし若者は、苦しくて苦しくてなりません。若者はあんまり食べたので眠くなったと言って奥座敷を借りて休みました。そして誰も見ていないことを確かめると、懐から例の青い草を取り出して食べ始めました。



あれからどれくらい経ったのでしょうか。友達は、若者がなかなか戻ってこないので、起こしに奥座敷に行くと、そこには山盛りのそばが寝ていました。

青い草は、人間を溶かす草だったのです、と物語は結ばれます。





人間を溶かす草などと、昔話はサラッと述べてしまいます。小説なら、これらの場面を写実的になぞらえて、おどろおどろしい描写になるのでしょうが、昔話は端的に起こったことを述べるにとどまります。具体的な表現には至りません。血は一滴も流されないのです。

昔話では、この若者の愚かさや滑稽さが、どの程度のことなのかが、的確に表現されていれば、それでいいのです。その手段として、時に残酷な表現が用いられることがあるに過ぎません。

そういった意味では、昔話には、それ相応の残酷さは表現されています。しかし、そこに表現されたものは、我々の現実生活に、平時から存在する残酷さが、例えられているに過ぎません。またその程度も現実から写し取られたものを超えることがありません。

昔話を残酷だという方がおられますが、誤解しているように思います。写実的な小説でも読むように、昔話を読んでいるのでしょうか。あるいは、現実に潜んでいる、その残酷さに例えられた何かにさえ、向き合うことのできない、心を持った方がおられるということなのでしょうか。





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『こんな顔』 ひとつ目の妖怪
短いお話です。むかし、お化けがでるという、噂の山がありました。その山を、暗くなってから越えようとする者は誰もいませんでした。

ところがある若者が、お化けの正体を見破るべく、ある日の夕方に山を登っていきました。

すると若者の前を、おそらく同行の男が歩いていきます。若者は、お化けと言うが、いったいどんなお化けなのだろうかと、男に声をかけました。

すると男は、こんな顔じゃないかなと言って、ひょいと振り向き、ひとつ目の顔を見せるではないですか。若者は仰天して、一目散に山を駆け下り逃げていきました。

すると大勢の男たちが集まっているのがみえます。若者はお化けが出たことを皆に知らせると男たちはそんな山に行くのが悪いと言って手招きをします。

若者は、ほっとして男たちのところへ行くと、男たちは、いったいどんなお化けに出会ったのかと聞きました。若者は今しがた出会ったひとつ目の顔のお化けのことを話しました。

すると男たちは、こんな顔だったのかいと言って、いっせいに若者の方に振り向きました。なんとその男たちは皆ひとつ目でした。若者はびっくりして腰を抜かし、とうとう死んでしまいました、と物語は結ばれます。



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恐怖話ですね。ひとつ目の妖怪のお話です。ひとつ目の異類のものは、西洋の昔話にも見受けられます。普遍性を持った存在なのでしょう。

最後に主人公が死んでしまいますが残酷といえば残酷です。昔話の残酷性については次の『とろかし草』の記事で述べたいと思います。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『枝はたぬきの足』 人を化かすたぬき
短いお話です。むかし、たぬきが人を化かしてこまるので、ひとりの男が退治してやると、山へ出かけました。

じっと待っているとたぬきが出てきたので、男は、そこの木に登ってこの俺を騙してみろと、たぬきを挑発しました。

するとたぬきは、そばの大きな木に登りました。そこで男は、ない枝があったはずだと言い始めます。

たぬきは手足を枝に化けさせました。そして男は、とうとうたぬきの四本の足をすべて枝に化けさせます。当然たぬきは足場を失い、どすんと落ちてきました。

男は、落ちてきたたぬきを縛り上げ、人を化かすつもりが、俺に騙されたじゃないかと、たぬきに言いました、と物語は結ばれます。





人を化かす存在として、日本の昔話では、きつねとたぬきが多く登場してきます。しかし割合的には、圧倒的に多くきつねがその役をこなします。

時々この物語のように、たぬきも人を化かしますが、その行動は積極的なものとは言えず、愛嬌を伴い、この物語でも逆に騙されてしまいます。

たぬきが人を化かすお話は、これまでも『きつねの茶釜』がありました。この物語でも人を化かす点に於いて、きつねを主とするなら、たぬきは従のような役割をになっていました





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『にせ本尊』 きつねが人を化かすことに失敗し哀れみを誘う物語
むかし、あるお寺に、和尚さんと小僧さんがいました。



ある日、和尚さんは、法事に出掛けることになったので、小僧さんを呼んで、今日は帰りが遅くなるから、晩方になったら峠まで馬を連れて迎えに来ておくれ、と言いました。

やがて日も暮れて晩方になったので、小僧さんは言いつけ通り馬を引いて、「和尚さまのお帰りー、和尚さまのお帰りー」と声を張り上げて出かけて行きました。

そして、山の峠に差し掛かると、和尚さんがやってきたので馬に乗せると、馬のくつわを持って寺へ引いて帰りました。

ところが和尚さんは馬から降りた途端、ちょろちょろと駆け出したかと思うと、どこかへ姿を消してしまいました。

小僧さんはびっくりしました。狐に化かされていたのです。そういえばあの峠には、悪いきつねが出ると噂がたっていました。小僧さんは悔しがります。

そこへ本物の和尚さんが帰ってきて、どうして迎えに来なかったのかと、小僧さんをしかりました。小僧さんはきつねに騙されたことを和尚さんに話すと、和尚さんは叱ったことを詫び、それじゃあ今度はきつねを懲らしめてやりなさいと言いました。



次の日、小僧さんは、和尚さんがお寺にいるにもかかわらず、日が暮れるとまた馬を出し、「和尚さまのお帰りー、和尚さまのお帰りー」と声を張り上げて出かけました。すると案の定、狐が化けた和尚さんがやってきます。

小僧さんは、何食わぬ顔をして和尚さんを馬に乗せると、今日は道が悪いからと言って、縄で和尚さんを馬にしっかりとくくりつけてしまいました。

きつねは体が痛くて仕方ありませんでした。しかし自分の正体を明かすこともできずに我慢してお寺まで向かいました。

お寺につくと小僧さんは、お寺の土間まで馬ごと入り、ぐるりの戸をばたばたと締め切って、それから和尚さんの縄を解きました。

きつねはどこにも逃げ道が見つからず、慌てたおかげで正体を現し、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ逃げ回ります。そしてきつねは本堂の方へ向かいました。それを小僧さんは追いかけましたが見失ってしまいます。



ふと小僧さんは本堂の観音様がいつもは十二体なのに今日は十三体あることに気づきます。さては観音様にきつねが化けたとみえます。しかし見分けがつきません。

小僧さんはしばらく考えると十三ある観音様にお供えをしました。そして「観音様、観音様。今日は久しぶりにお赤飯をお供えいたします。どうぞいつものように、いっぺんだけけらけらと笑ってみせてください」と拝みました。

きつねは観音様はお赤飯を供えられると、笑うものなんだと思い、そうしました。一体の観音様がけらけらと笑っています。それを小僧さんは、すかさず取り押さえて、柱に縄でぐるぐる巻きにしてしまいました。

観音様は化けの皮が剥がされてきつねに戻りました。小僧さんは早速、和尚さんに知らせました。和尚さんは懲らしめてやりなさいと言います。

小僧さんは棒できつねをさんざん叩き、もう人間を化かすなと言い聞かせて、山に放してやりました、と物語は結ばれます。



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まだ人を化かすのに経験の浅いきつねですね。熟練した古ぎつねならこうはなりません。なんだかきつねが最後、棒で叩かれていますが、哀れみを感じてしまいました。

お話としては、きつねが人を巧妙に化かすほうが、例えば前二話の『穴のぞき』、『きつねの芝居』のように面白い展開になりますね。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『きつねの芝居』 日本の昔話に見るきつねという存在
むかし、あるところに、ひとりの山伏がいました。

山伏は、あるとき峠を超えて、向こうの村のお祭りに出かけていきました。山伏はそこで、村の衆に振る舞い酒でもてなされ、たっぷりごちそうになりました。

そのうち夜も更けたので、村の衆は山伏に、これから峠を超えるとなると、きつねに化かされるからと、宿泊を勧めました。

けれども山伏は、自分は神仏に仕え、山で厳しい修行を積んだ身ゆえ、きつねになど騙されないから、帰ると言いました。

そして、手料理を土産にもらって、提灯を持ち、真っ暗な峠を超えにかかりました。



すると案の定向こうからきつねがやってきます。山伏はきつねに対して、お前らなんぞに化かされるもんか、とっとと失せろと怒鳴りつけました。

それに対してきつねは、行者さまを騙すなどとんでもないと言い、それより今夜きつねの寄り合いがあって芝居をするから見ていってくれと言いました。

山伏は、そんなことならと、ちょっと覗いてみようという気になります。

山伏がきつねについていくと、そこには上方の檜舞台にも負けないような、立派な舞台ができています。そして音楽が奏でられ、きつねたちは、賑やかに芝居をやっている最中でした。

山伏はそれにすっかり感心し、きつねの芝居を見物していくことにしました。



しばらくすると、さっきのきつねがやってきて、芝居の役者が足らないので山伏に出てくれと言うではないですか。芝居などしたことのない山伏は断わります。

しかしきつねが言うには、簡単な役で、こもをかぶって横になり、出番が来たらこもをはぎ「源平ぎつねだよ」と言ってくださればいいと言うので、やまぶしはその言葉にほだされて、引き受けることにしました。しかしこの大掛かりな芝居の仕掛けは人を騙すものでありました。

山伏が、きつねに騙され、にわか役者となって役を演じていると、夜が明ける頃、そこに村の人たちが峠を登ってきました。村人は峠の上に妙なものがいると思って近寄りました。

それは昨日お祭りに来ていた山伏と気づきます。そして村人は、山伏に向かって、源平ぎつねとはなんのことかねと聞くと、山伏は正気にかえりました。そして狐に化かされたことを知ります。

山伏は、自分の愚かさを恥じて、きつねの芝居は本当に面白いとなどと言いながら、頭をかきかき帰っていった、と物語は結ばれます。




前話の『穴のぞき』と同系統のお話です。いずれも、きつねになど騙されないと自分を過信する者が、あっけなく騙されて恥をかきます。

きつねが仕掛ける罠も巧妙ですが、騙される者の慢心が諌められるような展開に、聞く者の、あるいは読む者の、笑いを誘うと同時に、人間の浅はかさへの注意がうながされます。

我々日本人にとって、昔話のきつねという存在は、ひとつの大きな自然の存在として、時に対立したり、時に共鳴したりして、我々に色々なことをもたらしてくれる重要な役割をになっているように思います。





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18:19 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『穴のぞき』 日本の昔話の状況描写の巧みさ
むかし、ある山の麓に、悪賢い古ぎつねがいました。人を騙すのが上手くて、あちこちの道に現れては、通る人から油揚げやにしんを取ったり、いろいろな悪さをしていました。



ある晩、平六という男が商売物のにしんをかついで、この山の麓の村に差し掛かりました。すると行く手の藪から大きなきつねが道に飛び出し途端に十七、八のきれいな娘に化けました。

平六は、こいつが噂に聞いた古狐で、さては俺を騙してにしんを取る気だと思い、それにしても、化けるところを見られてしまうなんて、案外間抜けなやつだと思っていました。

そして平六は、大声できつねの娘に向かって、化けているのは知っている。騙そうと思ったってそうは行かないといいました。

すると娘は、あたしが騙そうとしているのは、平六さんではなくて村の庄屋さまだと言って、すたすたと歩いていってしまいました。

平六は、人が狐に化かされるところを、いっぺん見てみたいと思い、娘に気づかれないように、こっそりと後をつけました。



娘はゴミ捨て場から小さな空き箱をひとつ拾い、道端にころがている馬糞を並べて入れました。すると馬糞はほかほかの湯気のたったおまんじゅうになります。それから紙くずで箱をくるむとけっこうな菓子折りが出来あがりました。

娘は、菓子折りを手に下げて、村の中へ入っていきました。平六はあの馬糞まんじゅうをおえらい庄屋さまが何も知らずに食べるところを想像すると愉快でなりません。

そして娘は、庄屋の屋敷に入ると、庄屋の親族になりすまし、丁寧に挨拶をしました。平六は、そっと庭の方に回り、座敷の障子が少し破れたところから、中をうかがうことにしました。

平六は、にしんの荷物を下ろして、部屋の中を覗いていると、娘があの菓子折りを、村の名物だと言って庄屋さまに差し出しています。庄屋さまは、いただこうと言って、むしゃむしゃと食べ始めました。

これを見た平六は、あまりに気の毒に思い、庄屋さまに知らせようと大声を張り上げました。「それは馬糞だぞう、それは馬糞だぞう」となんべんも叫びました。



その時平六は突然誰かに肩を叩かれました。そして「こら平六そんなところを覗いて何を大声で叫んでいるのだ」と誰かに聞かれました。それに対して平六は、その誰それに「庄屋さまに早く知らせねば」と言い返しました。すると今度は首筋を殴られました。

平六は、はっと我に返ります。あたりを見回すとここは庄屋さまの屋敷などではありません。そこは村はずれの畑の中にある肥やし小屋でした。

平六は、その破れ目を覗いて、大声をあげて叫んでいたのです。あの古ぎつねに化かされていたところを、村の人が正気に戻してくれたのでした。

平六は悔しがりました。そしてあわててにしんの荷を探すと、あるのは包だけで、魚は一匹残らず取られていました、と物語は結ばれます。



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平六が古きぎねの娘に、おとしいれられた状況を客観視すると、大変おかしいです。

日本の昔話は状況描写に長けていると思います。お話の展開がストーリーに重点を置かず、場面の移動で進んでいくのです。

また、日本の昔話のきつねですが、この物語のように古ぎつねが登場する話は、巧みに主人公が狐に化かされるお話になる場合が多いようですね。

若いきつねも、やはり人をだますのですが、『きつねがわらう』のきつねのように、未だ初々しくて、愛嬌さえ漂わせるものもいますます。

また日本の昔話のきつねは、人に尽くそうとするものもいます。その多様なあり方ゆえ、その属性を西洋の昔話のように、一般化しづらいです。



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18:17 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『はなし話』 物語と言うか駄洒落
短いお話です。むかし男がひとり夜道を歩いていると、女の生首が落ちていました。男はたまげて逃げ出しましたが、怖いもの見たさに引き返してきました。そしてそっと近づいて、恐る恐るそれを見てみました。

すると顔の面が白く化粧されています。そして開いた口には、不思議なことに歯が一本ありませんでした。

面が白くて歯がないから、面白い話、と物語は結ばれます。





物語と言うか駄洒落ですね。前話の『はなし』と同系統のお話です。





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18:25 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『はなし』 ちょっと意地悪なおばあさん
むかし、ある村に、おばあさんと若い息子夫婦が、一緒に暮らしていました。ところがおばあさんは、息子がいない晩に限って、どこかへ出かけていくので、嫁はいつも不思議に思っていました。

その晩も、息子が用事で出かけていくと、おばあさんは嫁に、息子は帰りが遅くなるだろうから、もうおやすみと言いました。嫁は、言う通りにするふりをして、寝間からこっそりおばあさんの様子をうかがっていました。

するとおばあさんは大鍋に水をいっぱい入れて、それを囲炉裏の火にかけると、外に出ていきます。そして何かの包を持って帰ってきました。

嫁はその包の中身が何なのかと思って見ていると、取り出されたのは、なんと死んだ赤ん坊でした。おばあさんは、ぐらぐらと煮立った大鍋にそれを放り込むと、クタクタと煮始めました。

嫁は恐ろしくなって布団に潜り込みましたが、気になって、再びおばあさんお様子を覗き込みます。するとおばあさんは、煮えた赤ん坊を引き裂いて、醤油につけ、骨ごとばりばりと食べています。

嫁はあまりの恐ろしさに気を失い、そのまま倒れてしまいました。



間もなく息子が帰ってくると、真っ青な顔をして倒れている嫁を見て起こし、何があったのかを聞きました。嫁は、おばあさんがしていたことの一部始終を夫に話しました。

息子はびっくりしますが本気にはせず、嫁がそれを確かだと言うのなら、自分も確かめてみようということになりました。息子は再び出ていくふりをして、こっそり家に帰って寝間にこもり、嫁とふたりでおばあさんの様子をうかがいました。



すると息子は、嫁の言っていたことが真実であることを知ります。息子は、もはやこれが自分の母親とは思えず、すぐに退治しようと嫁とふたりで母親の前に出ました。

息子がおばあさんを問い正すと、おばあさんはとぼけた調子でそんなことはしていないと笑い出しました。そして自分の口を開け息子夫婦に見せました。おばあさんの口には歯が一本もありませんでした。

これでは赤ん坊を骨ごとばりばりと食うなんてできるわけがありません。歯がないから歯無し。これはみんな、は・な・しでした、と物語は結ばれます。





では、おばあさんはいったい何をしていたのでしょうか。息子夫婦が見た光景は何だったのでしょうか。

おばあさんの、駄洒落を交えた、茶目っ気のある様子が、最後に描かれているので、彼女による、嫁を驚かせるための、芝居が行われていたということなのでしょうか。それにしても、手のこんだ芝居ですね。

と言うかこの物語自体が、手のこんだ駄洒落ですね。





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18:23 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『あずきとぎの化けもん』 化けもんにも事情がある
むかし、ある村のお寺に、化けもんが出ると噂になりました。

日が暮れてあたりが暗闇になると、お寺の奥の方から”ざぁくざぁく、ざぁくざぁく”と、あずきをとぐような音が聞こえてくるというのです。村人たちは、皆、怖がってお寺のそばを通らなくなりました。

けれども、ある日、村の若い衆が大勢集まったとき、ひとつ、あずきとぎの化けもんを退治してやろうじゃないか、という話になりました。



次の晩、みんなは寺に集まって、囲炉裏に火をどんどんたいて、あずきとぎの化けもんが出るのを待ちました。

やがて本堂の方から”ざぁくざぁく、ざぁくざぁく”とあずきをとぐ音がしてきます。皆は流石にぞっとして青くなりました。

そのうちに、何かが落ちてきたのでしょうか、”すったかどんどーん”という大きな音が本堂いっぱいに響き渡り、そのはずみで皆は飛び上がりました。しかし勇気を振り絞って本堂に駆けつけました。

すると大きなおひつがひとつ、でんと置いてあるではないですか。皆が中を確かめてみると、あずきのたっぷりと付いた、温かいおはぎがたくさん入っています。皆はこいつはいいものが落ちてきたと言って大喜びで、先を争っておはぎを食べました。

皆は、こいつはいい化けもんだと言って、これなら明日の晩もここへ来ようということになり、またしてもおはぎにありつくと、そのうちに毎晩、寺に詰めかけるようになりました。



ところがある晩、いつもの”ざぁくざぁく、ざぁくざぁく”という音がなかなか聞こえてきません。若い衆は待ちかねていましたが、突然”すったかどんどーん”という、いつものおひつの落ちてくる音がしました。皆は我先に本堂に飛んでいきます。

ところがそこには、いつもと違い、お湯の入ったやかんと、なすの漬物がおいてありました。若い衆は、おはぎではないことにがっかりしていると、天井から恐ろしい声がして「来る度におはぎとは行かねえ、今夜は、なすの漬物と、お茶でも飲んで行け」といいました、と物語は結ばれます。





恐怖話かと思ったら、笑い話でした。あずきとぎの化けもんに、突然、自分の母親に言われるようなことを聞かされる若い衆が、おかしみを誘います。





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18:32 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ずいとん坊』 たぬきtとの根比べ
むかし、ある山寺に、ずいとんという名前の坊さんがいました。その坊さんを、たぬきが毎晩のようにからかいに行きました。

坊さんが寝ようとすると雨戸の外でたぬきが大声で呼んで就寝の邪魔をするのです。坊さんはいまいましく思っていました。



そこである晩坊さんは、芋や大根の煮物をたくさん作り、そしてお酒をたくさん買い込んで、今夜こそたぬきを懲らしめてやろうと、待ち構えていました。

やがていつもの時分になると、雨戸の外で、たぬきの大声が聞こえてきます。「ずいとん、いるか」坊さんは「うん、いるぞ」と負けずに大声で返事をしました。

根比べの始まりです。「ずいとん、いるか」「うん、いるぞ」ふたりの掛け声は次第に大きくなっていきました。

坊さんは、ごちそうを食べて酒を飲み、元気をつけて、ますます声を荒げていきます。一方、たぬきは、坊さんの調子に負けるかのように、次第に声が元気を無くしていきました。

どれくらいの時が流れたのでしょうか、たぬきの声は、もう聞き取れなくなほど小さくなって、終いには聞こえなくなりました。坊さんは根比べに勝ったと思い、そのままいい気分で寝てしまいました。



あくる朝、坊さんは雨戸を開けて外を見ると、大きなたぬきが、腹の皮をたたき破って死んでいました、と物語は結ばれます。





困った者に対するときは、ごちそうを食べながら酒でも飲んで、あしらってしまえばいいということなのでしょうか。坊さんはなんのこともなく、たぬきを退治してしまいました。

このように、上手く行くときもあるでしょう。しかし時に、このようなやり方は、ますます相手を焚き付けかねません。この物語でも途中までたぬきは食い下がってきます。





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18:30 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『こぶ取りじい』 お馴染みの隣の欲張り者の猿真似のお話
お馴染みの物語です。むかし、あるところに、頬にこぶの有るじいさんがふたり、隣同士で住んでいました。



ある日のこと、右の頬にこぶの有るじいさんが、山に木を切りに行きました。一日働いてそろそろ帰ろうとしたところ、雨が降り出します。

じいさんは雨宿りする場所はないかと、あたりを見渡すと、向こうの大きな木の根元に洞があったのでそこに入って休みました。じいさんはそのうちに眠り込んでしまいます。

そのうちじいさんが目を覚ますと、あたりはすっかり夜になっていて空には月が登っていました。じいさんは慌てて帰ろうとします。ところが向こうを見ると誰かがたき火をしています。

じいさんは、こんな時間にこんな所でたき火をするなんてけしからん、と思ってよく見てみると、たき火の周りには、鬼たちが歌いながら踊っていました。

じいさんは踊りが大好きだったので、鉢巻をして鬼たちの踊りに加わります。じいさんは踊りが上手だったので、鬼たちはおお慶びで見とれました。

夜明けが近づくと鬼の大将が、じいさんに、お前のような面白い踊りを見たことがないと感心し、明日の晩もここに来て踊ってくれないかと言いました。

じいさんは喜んでその話を受けました。しかし鬼の大将は約束が違えたらいかんからと、お前の大事なものを明日の晩まで預かることにするといい出し、じいさんの右の頬のこぶを取ってしまいました。そして鬼たちは去っていきます。

じいさんはこれはありがたいと思い、小躍りして家に帰りました。



この話を聞いた隣の欲張りじいさんは、さっそく自分の左の頬のこぶも取ってもらおうと、次の晩に、右の頬にこぶの有るじいさんから教わった通りのことをします。

夜がふけると鬼たちがぞろぞろ現れて、たき火をたいて、酒盛りを始め、そして歌いながら踊り始めました。

隣のじいさんはそれを見ると怖くなってしまいます。それでも鬼たちの輪に加わって、震える声で下手な踊りを始めました。隣のじいさんは、踊りなんか踊ったこともありません。

そして、手を打てば鬼をぶってしまい足を出せば鬼を蹴ってしまいます。鬼たちはすっかり白けて怒ってしまいました。

鬼の大将はどうしてゆうべのように面白い踊りを踊らないのだと言って、こんなもの預かっておくこともないと、隣のじいさんの右の頬に、右の頬にこぶの有るじいさんから預かっていたこぶをくっつけてしまいました。そして鬼は去っていきました。

こうして隣の欲張りじいさんは、両方の頬にこぶをぶら下げて、泣く泣く帰ってきました、と物語は結ばれます。





日本の昔話でお馴染みの、隣の隣の欲張り者の猿真似のお話のひとつです。これだけ多くこのモチーフが語られるのを見ると、もう言葉もありません。改めてその真意と思われることを、確認するに留めておきます。

これらのお話は、我々日本の民衆の一部の人たちの常態に対するアンチテーゼとして受け取れます。また我々の民族が陥りがちな素養を指摘するものでもあるとも思います。

こうして語り継ぐことによって昔話の知恵となっています。





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19:04 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『鳥のみじさ』 日本昔話らしい、もののあわれを想起させる物語
むかし、あるところに、じさとばさがいました。ある日じさは山へ木を切りに行きました。昼になって腹が減ったので、弁当の団子を食おうと、笹の葉の包を広げました。

すると見たこともない綺麗な小鳥が飛んできて、じさの目の前の木に止まり、団子をくれと口を利きます。じさは鳥に団子を投げてやりました。

鳥はそれを食べてしまうと、次を催促するので、じさは、とうとう全部やってしまいました。そして包の笹の葉まで食べてしまいます。

じさは団子を食われてしまったので、仕方なくたばこをふかし始めました。そして大きなあくびをすると、なんとあの鳥がじさの口から腹の中へ飛び込んでしまいました。



じさは大変なことになったと腹を擦ると、へそから鳥の羽が出てきました。じさはそれを引っ張って、鳥を腹から出そうとしますが、うまくいきません。そして羽を引っ張る度に鳥がいい声で歌い出しました。

じさは、すっかりたまげて、仕事をやめ、家に急いで帰りました。そしてばさにも鳥の羽を引っ張ってもらいますが、やはり鳥が歌い出すだけでどうにもなりません。

ばさは、そのいい歌声を聞いて、街道端で「日本一の歌うたいじさだ」といって金儲けでもしておいでと、じさに知恵を授けました。じさはそれを実行します。



じさが街道端に立っていると、殿さまの行列が通りかかりました。じさは殿さまに、その歌声を披露します。殿さまはたいそう感心して、じさにたくさんの褒美を取らせました。

それからというもの、じさは毎日へその羽を引っ張って町中を歌って歩きました。ところが、そのうちに、へその羽がぽろんともげて、腹の鳥はそれっきり歌わなくなったということです、と物語は結ばれます。





これも動物報恩譚ととらえてみました。鳥はじさがくれた団子の礼に、じさに歌声を授けたととらえてみました。そしてじさはその歌声で金を設けます。

しかし鳥のできることは有限でした。そのうち鳥の羽はもげて歌わなくなってしまいます。ここには、前話の『きつねの恩返し』のきつねと同じで、もののあわれを想起させるような結末になっています。

もののあわれは、日本人の心性の一角を形作っています。ここから、日本人独特の今生での過ごし方が生まれてきます。具体的には、争いの不毛を感じる心や、独特の優しさなどが派生してくるのでしょう。





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19:00 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『きつねの恩返し』 善意には善意が答える
むかし、あるところに、じいさまとばあさまがいました。じいさまは、いつも山へ木を切りに行っては、それを売って暮らしをたてていました。



ある日、じいさまはいつものように山に入ると、子どもたちが何かを縄で縛り上げ叩いたりつついたりしています。近寄ってみると縛られているのは痩せたきつねでした。

じいさまは、いくらか持っていたお金を、全部子どもたちに渡し、きつねを買い取ると、きつねの縄をといてやり、こんなところには出てくるなと言って、茂みの中に放してやりました。



次の日じいさまが山に入ると、昨日の出来事があった場所に、あのきつねがいます。じいさまはもう出てくるなと言っただろうと言うと、きつねは昨日の感謝を述べ、じいさまに恩返しをしに来たといいました。

じいさまはそんなつもりでやったことではないから、恩返しは無用だと言うと、きつねはまあ聞けといいました。山の麓に、茶釜を欲しがっているお寺が有るから、茶釜に化けた自分を、そこの和尚さんに売ってこいというのです。

じいさまは、そんなことをせずともいい、と言っているのもつかの間、きつねは三回まわって、立派な茶釜に化けました。

じいさまはしょうもなく、その茶釜を背負って麓の寺に行きました。そして茶釜は、なんと一両で売れました。じいさまは、そんなお金を持ったことがなかったので、喜んで家に帰りました。

ここで和尚さんと小僧さんが登場し、茶釜が喋るくだりになりますが、ここは『きつねの茶釜』とほぼ同じです。

このくだりの最後は、和尚さんが、茶釜を左官に頼んで、かまどに据え付けようと台所に置いて眠ると、翌朝には茶釜はありません、和尚さんは泥棒に盗まれたとして諦めた、と結ばれます。きつねは逃げたのですね。



次の朝じいさまは、いつものように山へ入っていくと、昨日の狐がいました。じいさまが茶釜の件で礼を言うと、狐は、今度は、じいさまの娘になるからを、町へ言って櫛と着物と帯を買ってきてくれと言うではないですか。

じいさまは、もう恩返しはいいからといいますが、きつねがどうしてもそうしろと言うので、じいさまは町へ買い物に行きました。

そして狐はじいさまの買ってきた上等の着物を着て櫛をさすと、三回まわってきれいな娘になりました。そしてきつねは爺様に、自分を茶屋に奉公に出してくれと言いました。

じいさまはもういいといいましたが、きつねは言うことを聞きません。そこで爺様は娘を茶屋に連れていくと、茶屋のあるじは娘が若くて美しいのを見て、百両をじいさまに渡しました。爺様は百両を懐に入れ喜んで帰ってきました。

娘であるきつねは茶屋で一生懸命働きました。そして一年経った頃、きつねは主にいっとき暇をくださいと言うと、主は一生懸命働いてくれた印として、お金を土産に茶屋から出してくれました。こうしてきつねは茶屋から開放されます。



そんなある日、じいさまがいつものように山に入ると、きつねが、再び、じいさまの前に出ました。

じいさまは、きつねに一年前の感謝を述べると、きつねは最後の恩返しだとして、今日を自分の命日として拝んでくれといい出します。じいさまはなんのことかと思いました。それは後に知ることとなります。

きつねは話します。今度、殿さまが、お国替えのために、馬を欲しがっているから、きつねが化けた馬を売ってくれと言うではないですか。

じいさまが、もうやめろというのも聞かず、きつねは三回まわると、立派な馬になってしまいました。しいさまはその馬を引いて殿さまのところへ行きました。

その馬は立派な白馬だったので百両の値がつきました。じいさまは百両もらって喜んで家に帰りました。

ところが馬は沢山の荷物をつけられると、本当は小さなきつねなので、汗をタラタラと流してすぐに歩けなくなりました。

お国替えの人たちはこの使えない白馬から荷物を外し、荷物を別の馬に載せ替えると、きつねの白馬は、川に捨てていってしまったということです。



それからというものきつねは生きているのか死んでいるのか、じいさまの前には一度も姿を見せませんでした。

そこでじいさまは、きつねが言っていたことの意味を知ります。そしてあの日をきつねの命日としてお堂をたてて、じいさまとばあさまは拝んだということです。

こうして、じいさまとばあさまは、一生お金に不自由することなく暮らした、と物語は結ばれます。





タイトルの通り、動物報恩譚の物語です。じいさまが、きつねの命をお金で救うくだりは、『浦島太郎』と同じものでしょう。

日本の昔話の幸せな結末として、多く描かれているのは、お金に不自由な生活からの開放です。

そして、そこに至る背景として、いっけん逆の心がけに見える、お金への無執着が描かれます。この物語でも、主人公のじいさまは、お金への執着心が薄い存在として描かれています。

この物語のじいさまの代わりに、お金への執着が強い人間を置いたとしても、同じ結末を迎えるのは、当たり前ですが不可能でしょう。

なぜなら、この物語でじいさまに富をもたらす、きつねのような存在を動かしているものは善意だからです。主人公のじいさまは善意できつねを助けました。それにきつねも善意で答えたのです。

執着を持った汚い存在から、善意は離れていきます。それらは、ただ、よく有る、欲張り者のお話となってしまうでしょう。



一方で、前話の『犬と猫と宝物』の、金の恵比寿様と大黒様のように、ただ所有しているだけで富が転がり込んでくるものもあります。

しかし前話の主人公の旦那は、果たして、本当の意味で幸せを得たかは疑問に思っています。幸せの根拠を、自分以外のものである、恵比寿様と大黒様に置いているからです。

これらのものは、物語の中で盗まれていました。持っているだけで富を得ることのできる存在なんて、こんなものの存在が明るみに出たら奪い合いになるに決まっています。



ところで、この物語のきつねは、最後どうなってしまったのでしょう。自分の命を、あたかも、もうすでにないものとして、助けてくれたじいさまに捧げているような結末です。たいへん切ないです。

自己犠牲が高い徳としてあげられる精神性は、日本人としてよくわかるのですが、しかし、これは果たして本当に良いことなのかという反省が必要だと思いました。





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18:41 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『犬と猫と宝物』 落ち着いた動物たちと、不安定な人間たち
むかし、あるところに、田畑をたくさん持った大金持ちの旦那がいました。旦那は、大勢の若い衆を使っていましたが、その中に三助という男がいました。

旦那は、毎朝早く起きて顔を洗うと、必ず羽織袴をつけて蔵に入っていきます。それを、若い衆の三助は、いつも不思議に思っていました。

そこで、ある朝、三助は、戸の隙間からこっそり蔵の中を覗いてみます。中には小さな神棚があり金の恵比寿様と大黒様が祀ってありました。旦那はその前でお灯明をともして一心に拝んでいます。

さてはこの家がこんなに金持ちなのは、あの恵比寿様と大黒様のおかげなのだと、三助はそれを見て考えました。そして三助はあれを盗んで俺も金持ちになってやろうと悪だくみをします。



その夜、三助は家中が寝静まるのを待って、そっと蔵から金の恵比寿様と大黒様を盗み、野を越え、山を超え、大川を超えて、自分の家に逃げ帰りました。

その日からというもの、大金持ちの旦那はたちまち貧乏になり、田畑を手放し、大勢の若い衆にも暇を出しました。残されたのは飼っている白犬のしろと三毛猫のみけだけです。

旦那はしろとみけを呼んで涙をこぼしながら、いつの間にか貧乏になってしまったので、もうお前たちさえ飼うこともできないから、どこか好きなところに行って、良い人に拾われて、仲良く暮らしなさいと言いました。

犬と猫は、尻尾を降りながらじっと旦那の顔を見ていましたが、やがて門から出ていきました。



犬と猫は、歩きながら相談しました。旦那が貧乏になったのは、あの三助が恵比寿様と大黒様を盗んだからで、ここはひとつ俺達の手でなんとか取り返してやろうじゃないかと。ふたりは意気投合して、さっそく三助の家に向かいました。

二匹は何日もかかって三助の家にたどり着くと、三助は、案の定、大金持ちになっていて、立派な屋敷に住んでいました。

犬と猫は、門に入ると、さも懐かしそうに三助に尻尾を振ってみせます。三助はしろとみけを覚えていて、山盛りのご飯でもてなしてくれました。犬と猫は、ぺろりとそれを平らげると、旅の疲れで寝てしまいます。



さて、真夜中になって、犬と猫は目を覚ましました。そして屋敷の周りをぐるっと回ってみると、裏に蔵がありました。

中を覗いてみると、盗まれた金の恵比寿様と大黒様が祀ってあります。しかし蔵には、しっかりと戸締まりがしてあり、とても忍び込むことはできません。

するとそこへ蔵の中からちょろちょろと鼠が出てきます。猫は、それを素早く捕まえると、鼠に、恵比寿様と大黒様を取ってくるよう命令しました。鼠は命惜しさに従います。

そして犬と猫は、それらを手に入れると、犬は大黒様を猫は恵比寿様を口にくわえて、大急ぎで三助の屋敷をあとにしました。



途中大川を渡るとき、猫は鼻先に大きな魚がはねたのを見て、魚を取ろうとして思わず口を開けてしまいます。そしてくわえていた恵比寿様を川の中に落としてしまいました。犬は怒ります。

猫は川を渡りきると、松の木に上がり、そこで巣を作って卵を抱いている鶴の前に出ました。鶴はもう少しでひながかえるところだから助けてくださいと言うと、猫は、それなら金の恵比寿様を見つけろと言いました。

すると鶴は、川岸に降りて亀を呼び、事情を話して亀にそれを頼み、亀が恵比寿様を拾ってきました。犬もきげんを直しました。

それから何日もかかって旦那の家にたどり着き旦那の前に金の恵比寿様と大黒様を置きました。旦那は驚いて、よくぞ三助から取り戻してくれたと、涙を流して喜びました。

そして旦那はもとのように金の恵比寿様と大黒様を倉の中に祀るとたちまちまた大金持ちになった、と物語は結ばれます。





人は、お金、もしくはそれに類するものの有る無しに、一喜一憂します。これは自分の存在の全体性の一部を、それらに委ねるからです。つまり他力に頼ることになります。

人によっては、このような試みを、わざわざ多岐にわたって行います。彼らには心配事が絶えなくなるでしょう。

それに比べて、この物語に登場する動物たちは、ある意味強いです。自分の命のことだけを考えていればいいのですから。

それゆえ、彼ら動物たちは、落ち着いていられます。その安定した心から、彼らの行動の動機は、たいへんシンプルです。そして時に、この物語での、飼い犬と飼い猫がそうであったように道徳性さえ帯びています。

道徳と言うと大げさですが、この物語の飼い犬と、飼い猫は、そうあるべき行動を取っています。この物語では、主人への義理を果たしました。人のほうが、盗みをしたり、本来の道からはずれて、不安定でいるようにさえ見えます。

タイトルも、犬と猫と宝物が同格に並べられていて象徴的です。さしずめ、ここに人を付け加えるなら、『犬と猫と人の宝物』というふうになるのでしょうか。

『の』で結んだのは、人によって、その割合は異なるものの、どうしようもなく人は、お金などの宝に類するものの、獲得、あるいは所有、もしくはそれらへの隷属から離れられない存在だからです。





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18:38 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『蛇からもらった宝物』 大蛇という悠久の時を生きる異界の存在
むかし、ふたりの木こりが、山奥へ木を切りに行きました。ふたりは大きな木を見つけ、その木を切ることにします。そして仕事に取り掛かる前に、木の根っ子に腰掛けて、たばこに火をつけ一服しました。

すると木の根っこの下から、毛むくじゃらの手がぬうっと出てきて、ひとりの木こりの足首をつかみます。もうひとりの木こりは叫び声をあげて、一目散に逃げていってしまいました。

足首をつかまれた木こりは生きた心地もしません。ところが木の根っこの下からは、毛むくじゃらの声とは裏腹の、優しい声が聞こえてきます。

その声の主は、怖がることはないと言い、自分はこの山の大蛇だと明かしました。そしてこのたび、神さまの思し召しによって竜になることが決まったのだそうです。

しかし、なにぶん沼のほとりの桂の木が邪魔で、天に登ることができないと竜はこぼしました。そこでその木を切ってほしくて、木こりを捕まえたのだと、事の顛末を話します。

そして木を切ってくれた暁には、自分の体の下に敷いている宝を、すべてやると言うので、木こりは喜んで仕事を請け負いました。すると毛むくじゃらの手は消え、後には宝を譲るにあたっての証文が落ちています。



沼のほとりに出向いてみると、大蛇の言っていた桂の木は、大人が十人手を繋いで、やっと囲うことができるほどの大木でした。木こりは、さっそく木のそばに小屋を建て仕事を始めます。

十五日の間、夜も昼も休みなく切り続け、ようやく切り倒すことができました。すると急に空に黒い雲が沸き起こり、大雨になりました。

その雨は三日三晩降り続けます。四日目の朝には、さらに激しく雨は降り、その時、山の大蛇が立派な龍となって、黒雲を引き連れて天に登っていくのが見えました。その後、空は晴れ渡ります。

木こりは約束の宝物のことを思い出して、桂の木の根っこを見に行くと、なんと先客がいます。河童が宝物を持ち去るところでした。

木こりはその宝は自分のものだと叫ぶと、河童は「蛇のあと河童の持ちまえ」と言って、やはり自分のものであることを主張します。

しかし木こりは、河童に、大蛇の残した証文を見せると、河童は渋々宝を置いて、沼の中に姿を消しました。



木こりは宝を背負って家に帰りました。ところが家の様子が変なのです。若かった女房はばあさんになっていて、赤ん坊だった子どもは立派な若者になっています。

そして家では法事が行われていました。女房に誰の法事かと聞くと、山へ行ったきり帰ってこない、夫のものだと言うではないですか。つまり木こり自身のものです。なんと木こりは山へ行ってから二十年の時が過ぎていたのです、と物語は結ばれます。





まずは、『甲賀三郎』の三郎が、地下世界から地上に戻る時に大蛇となり、三年と思っていた期間に、三百年の時が過ぎていたお話を思い浮かべました。

このお話では主人公の木こりが、大蛇になるわけではないのですが、大蛇から請け負った仕事を片付けていると、十五日と思っていた期間に、二十年の時が流れます。これは、『甲賀三郎』と同様のモチーフが語られているといってもいいのではないでしょうか。

日本の昔話によく登場する大蛇ですが、共通する心象は、悠久の時を生きる存在だということです。異界の存在ですね。

なお、これまで読んだ大蛇の出てくるお話は、たくさんあるのでブログ内検索で『大蛇』などを検索してみてください。





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18:24 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『河童の薬』 続、河童という存在の多様性について
むかし、お寺の和尚さんが、まんまる月夜の晩に雪隠に行きました。そして月を見ながらしゃがんでいると、さらっと尻を撫でられました。

和尚さんはびっくりしましたが、誰かのいたずらであろうと思い、たいして気にもしませんでした。



和尚さんは月夜に雪隠に行くのが好きなので、次の晩もまた雪隠に行って、しゃがんで月を眺めていました。

すると、青白い月明かりを通して、尖った爪のある三本指のカエルの手のようなものが、すうっと伸びてきて、和尚さんの尻を引っ掻こうとします。

さすがの和尚さんも、これにはびっくりして雪隠から飛び出しました。これはきっと、村のものに悪さをしている、河童の仕業に違いないと思い、ひとつ懲らしめてやろうと、早速、鎌を持って雪隠に取って返しました。

再び和尚さんは雪隠にしゃがみ込むと、しばらくして、また尖った爪のある三本指の手が、すうっと伸びてきます。和尚さんは、すかさず、その手を鎌で切り落としてしまいました。

河童は、ぎゃおうと悲鳴をあげ、切り落とされた手を残して逃げていきました。



さて、それからというもの、毎晩河童が和尚さんのもとにやってくるようになりました。七日のうちに切り落とされた手を返してもらわないと、元通りにくっつかないのです。

和尚さんは、河童が、このあたりの川から住まいを移して出ていくのならに、切り落とされた手を返してやると、その一点張りです。河童は「ひい、ひい」と、うすきみの悪い悲しそうな声をあげて帰っていきました。河童は出ていくつもりはないようです。

しかしとうとう河童は折れて、この土地から出ていくことを約束しました。和尚さんは河童に手を返しました。河童はそのお礼に、切り傷によく効く薬草を、寺の周りに植えていきました。

こうして村の川から河童はいなくなりました。そして村人たちは、野良仕事で怪我をすると、寺から河童の薬草をもらい、傷口につけたということです、と物語は結ばれます。





この物語でも、前話『河童淵』同様、河童は、いたずら者で人々に嫌われる存在として描かれます。しかし最後に河童は人の役に立つ薬を残していきました。

色々と調べてみると、人が河童を助ける話など、必ずしも人が嫌う存在として描かれない伝説もあり、前話でも考察しましたが、河童とは、一般論では語れない奥行きを持った存在なのだと思います。

現代では、様々なキャラクターにも使用され、愛されている側面も見逃せません。河童という存在は、むかしから現代に至るまで、我々の心に、多様な心象を伝えています。





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18:22 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『河童淵』 河童という存在の多様性について
短いお話です。むかし、ある家の裏に川があり、ひとところが深く、大きな淵になっていました。



ある夏のとても暑い日、そこの家の若い衆が、馬屋から馬を引き出して、川へ水浴びに連れていきました。

ところがちょっとの間、馬を川の中に置いたまま岸辺に上がったときのことです。ふいに馬が、何者かにずるずるっと尻を引っ張られました。馬は驚いて岸に上がり、そのまま馬屋に走り込んでしまいました。



馬の足音を聞いた家の人たちは不思議に思いどうして馬だけ帰ってきたのかを確かめるべく馬屋に行きました。馬は気が立っているようです。

馬屋の中を見渡すと飼い葉桶がひっくり返っていて、そこから子どもの手のようなものが出ていました。そこで飼い葉桶を起こしてみると、中には人で言えば七つか八つの女の子のような河童が震えながら手を合わせています。



騒ぎに集まってきた近所の人達は、皆、彼女のことを知っていて、悪さばかりするろくでもない河童だといい、殺してしまえと口々にいいました。

けれども、この家の旦那は、皆をなだめて、河童に何をしに来たのかを聞きました。すると河童は、馬を淵の中に引きずり込もうとしたけれど、馬の方に逆に引っ張られて、ここまで来てしまったことを白状し、さらには、これからはもう悪いことをしませんと許しをこいました。

旦那は、河童を改めて見ると、頭のさらにはさっぱり水がないし、顔色も青ざめていました。それを旦那は哀れに思い、悪さをしない約束を今一度して、河童を淵に放してやりました。

河童は、しばらくその淵に住んでいましたが、いつの間にか姿を消してしまいました、と物語は結ばれます。





河童は、日本の妖怪、もしくは伝説上の動物として知られています。カッパ淵という岩手県遠野市にある河童の伝承地もあり、旅行で行ったことがあります。わたしの町にも河童伝説があり、わたしにとって河童とは大変興味深い存在です。

その存在についていろいろ調べてみると、興味深いことがたくさん出てきて、ついつい物語の中の河童についても深読みしたくなります。

これまでも読んだ昔話の中にも『産神さまの運定め』『沼神の手紙』などがあります。これら二つの物語の中では、河童という存在はどちらかと言うと畏怖されるべき対象でした。この物語での、いたずら者で、人々から軽くあしらわれるような存在ではないのです。これは河童という存在の多様性を示しています。

興味がある方は最低限でもウィキペディアに目を通しておくと、河童の物語がより楽しめると思います。





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ものいう魚』 人の根源的な願望を叶えるもの
むかし、あるところに、籐右衛門という、たいへん魚釣りの好きな侍がいました。籐右衛門は毎日川へ行って釣りをしていました。



ある日のこと侍は、どうしたわけか魚が釣れず、段々と山奥の方にさかのぼって行きます。そして、夕方になってやっと一匹釣れたので、それをびくに入れ帰ろうとしました。

ところがあまりに山奥へさかのぼったので、こう暗くなっては足場の悪い沢を下っていくわけには行きません。すると遠くに小さな明かりが見えるので、それを頼りに歩いていくと、一軒のお寺のような建物にたどり着きました。

籐右衛門はその建物に入ると、一晩の宿を頼みます。するとひとつ目の大きな坊さんが奥から出てきて、それを了解するので、奇妙だとは思いましたが泊まることにしました。



夕ごはんが済むとひとつ目の坊さんは、暇つぶしに碁でも打とうと言うので、籐右衛門は碁が好きなこともあり、始めることになりました。

ところが、ふたりが碁を始めると、碁打ちが始まったそうだからぜひ拝見したいという、やはりひとつ目坊さんが次々に現れて、終いには周りを埋め尽くしてしまいます。

これには籐右衛門もたまげて、とんでもないところに来てしまった。ここにいたら命が危ないと思い、逃げる算段を始めます。そして籐右衛門は魚の入ったびくを持ち、小便をすると言って席を立ち、化けものの集団をかき分け外に出ました。



建物の外に出ると籐右衛門は沢に向かって夢中で駆け出しました。すると化けものたちはそれに気づき籐右衛門を追ってきます。その数はどんどんと増えて沢を埋め尽くすほどにもなりました。

その時上の方から「ろんぼう、ろんぼう」と誰かを呼ぶ声がしました。そして「籐右衛門の刀は名刀で危ないから戻れと」と声がします。

するとびくの中の魚が話し出し「籐右衛門の刀は名刀だが、切っ先三寸下がったところに針で突いたほどのこぼれがあるから、そこからたどってどんどんこぼしていけば、やられずに済む」と答えました。

すると再び上の方から「それでも危ないから戻れ」という声がします。そのとたん今まで追っかけてきた化けものたちは皆引き上げていきます。籐右衛門はようやくのことで家に帰ることができました。

籐右衛門は家で刀を確かめてみると、確かに気づきはしなかった刃のこぼれが見つかります。籐右衛門は、名刀のおかげで難を逃れることができましたが、魚に刀の刃こぼれを指摘されたことを恥じ、それからは好きな魚釣りをやめた、と物語は結ばれます。





主人公で侍の籐右衛門は、魚に刀の刃こぼれを指摘され恥じた、と記述されていますが、なにも籐右衛門とって、恥じるような出来事ではないのではないでしょうか。この出来事は、畏怖すべき存在に、侍が諭されたものであると勝手に思っています。

話す魚という存在は、ただの動物寓話の登場者とは違うのでしょう。沢の主くらいの存在かも知れません。前話『うなぎの恩返し』でもうなぎがものを言っていましたが、これも同じような状況を語っているのだと思います。



動物と意思疎通するという行為は、昔話でも特異な出来事として扱われています。例えばグリム童話(KHM33)『三種のことば』では高等な術を必要とする出来事としてあつかわれていました。

これらの術がない場合は、例えば日本の昔話だと、奇跡を起こしたりする道具を必要とします。『聞き耳ずきん』に出てくる不思議なずきんは鳥の話し声を聞くことができるアイテムでした。

さらにそれらの道具がない場合には、動物が自体が土地の主であったり、異界のものであったりと、高等な存在である必要があります。

いずれにしてもこれらの出来事は、人が他の動物たちと話したいという、根源的な願望を具現したものと考えられます。





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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『うなぎの恩返し』 昔話が語る道徳観
短いお話です。むかし、ある年の夏のこと、土用のうなぎが高く売れる時期になったので、うなぎ取りの上手な男が沼へ行きました。その日は大きなうなぎが取れました。男は喜びます。

そして男が、うなぎをびくに入れて、沼のほとりを歩いていると、沼の中から「けんぼう、けんぼう、いつかえってくるんだよう」と声が聞こえました。するとびくのうなぎがそれに答えて「こうなったら、いつかえるも、かえらぬも、わからねえ」と返事をしました。

男はうなぎが口を利いたのでたまげましたが、さてはきっと仲間のうなぎが心配して声を掛けたんだと思い、かわいそうなことをしたと、うなぎを沼に放してやりました。

うなぎは体をくねらせて嬉しそうに泳いでいきました。男は家に帰ってそのことをおかみさんに話しました。おかみさんもそれはいいことをしたと言って喜びました。

それからというもの、不思議とその家は、何もかもうまく行き、たかがうなぎ一匹売ったどころでは得られない大金が転がり込んできて、豊かに暮らしたということです、と物語は結ばれます。



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土用の丑の日に、うなぎを食べるという風習は、江戸時代に平賀源内が発案したという説が有名ですね。だとするならば、この昔話の起源は意外と浅いのかも知れません。もしくは、この昔話の起源が古いとするなら、平賀源内説は偽りであることも考えられます。

それはそうと、この物語は洋の東西わ問わず見られる、動物に親切な主人公の物語の系譜に分類されるでしょう。少し角度を変えてみれば動物報恩譚の物語とも言えます。ただ逃してもらっただけですが、うなぎという食べられて当然の身の上からすると、男は、恩をうったということにもなるからです。タイトルも恩返しとなっています。

いずれにしても、とある道徳観が、過去に世界的に語られて来たわけですが、きょうこの頃では、こうした価値観は通用するのでしょうか。



また、この物語の主人公の男は、ケチな根性で、未来の大きな富を得るために、目先の小さな富を犠牲にしたわけでもありません。漠然とした幸福を志向するのは当然としても、富や成功は、あくまで付随に過ぎないのです。

あるいは、昔話にしばしば語られている、民衆の常態に対するアンチテーゼとも思われます。



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18:28 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『てんとうさま金のくさり』 長子が活躍する物語
むかし、あるところに、母親と三人の男の子がいました。三人は、太郎、次郎、三郎といいました。



ある日母親は、山へ仕事にでかけるから、留守の間戸を開けてはいけないよと言い残し、出かけていきました。しかし母親は、山道の途中で山の鬼ばさにとって食われてしまいます。

鬼ばさは母親の着物を来て母親に化け、その足で子どもたちの待つ家にやってきました。

鬼ばさは子どもたちに、母さんだからと戸を開けるようにうながしますが、そのがらがら声に子どもたちは騙されません。鬼ばさは山に戻ってきれいな声の出る草を食べて出直しました。

しかし今度は太郎が用心して、鬼ばさに手を見せろと言うので、鬼ばさは、その毛むくじゃらな手を見せると、またしても子どもたちに、母親でないことが知れてしまいます。

鬼ばさは再び山へ戻り、今度は山芋を手に塗りつけてすべすべにしました。するとまんまと子どもたちのいる家に入ることに成功します。鬼ばさは、さっさと三郎をだいて、寝間に入って寝てしまいました。



ところで、夜中にカリカリと何かをかじる音に、太郎と次郎は目を覚ましました。ふたりは母親に何を食べているのと聞くと、鬼ばさは、三郎の指を二本投げてよこしました。

ふたりが母親と思っていたのは鬼ばさだったのです。そして三郎は食われてしまったことを知り、鬼ばさにさとられないように逃げ出しました。



夜が明ける頃、ふたりは大きな川に出ました。そして渡ることができません。見ると川の辺りに大きな木が一本立っていました。太郎は持っていた鉈で、木の幹に鉈目をつけながら、それを足がかりにして、次郎を連れて登リ、鬼ばさから隠れました。

そこに鬼ばさが現れます。そして鬼ばさは、木の周りを探しているうちに、ふと川の水にうつった太郎と次郎の姿を見つけ、ふたりを見上げ、どうやって登ったのかと兄弟に聞きました。

太郎は、木に油をつけて登ったのさと言いました。鬼ばさはその通りにしますが当然滑って登れません。しかしそこで、次郎が思わず、鉈目をつければすぐに登れるのにな、と言ってしまいます。

鬼ばさは次郎の言うとおりにして、ふたりを追って登ってきてしまいます。ふたりは木のてっぺんまで登ると太郎が空を仰いで叫びました。「おてんとう様、おてんとう様、金の鎖を下ろしてください。鬼ばさに食われてしまいます」

すると天から金の鎖が下りてきたので、ふたりは夢中で金の鎖につかまりました。鎖はふたりをぶら下げると、すいーっと天に登っていきます。

鬼ばさはあと少しのところで子どもたちに逃げられ、自分も「おてんとう様、おてんとう様、俺にも鎖を下ろしてくれ」と叫びました。すると天から腐った縄が垂れ下がってきます。鬼ばさはそれにぶら下がりました。

ところが腐った縄は天に届く前に、プツーんときれて鬼ばさは真っ逆さまに、そば畑に落ちて死んでしまいました。そばは鬼ばさの血で茎を真っ赤に染めます。これがそばの茎が赤いわけでした。

金の鎖で天に登った太郎と次郎は、天のお星様になりました、と物語は結ばれます。



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日本の昔話には、長男長女が活躍する物語がちらほらと見受けられます。『山男の腕』、『シモタどのの姉と弟』、『白鳥の姉』、『妹は蛇』などがこれにあたるでしょうか。この物語も長男の太郎が機転を利かして、次男と共に鬼ばさから逃れています。

西洋の昔話だと、たいてい末子が活躍するのですが、このあたりが、日本の昔話のイレギュラーする部分です。もちろん日本の昔話でも末子が活躍するお話は多いのですが…。

子どもたちの母親と、末子の三郎は残念ながら助かりませんでした。ここが、この物語に影を落としています。しかし最後はユーモアを交えて、昔話らしくスッキリとした結末をむかえています。どことなく、グリム童話(KHM26)『赤ずきん』を思わせる昔話でした。



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18:24 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『妹は蛇』 日本の昔話にも登場する不思議なアイテム
むかし、あるところに、仲の良い兄と妹がいました。妹はとても美しい娘でした。ふたりはいつも同じ布団で足を絡めて寝ていました。



ところがあるとき兄は不審に思います。明け方になると、妹の足が氷のように冷たくなっているのです。

そこで兄は、ある夜、寝たふりをして、妹の様子をうかがっていました。すると妹は、真夜中になった頃、寝床を抜け出しいきます。兄は妹にさとられないように後をつけました。

妹は、川のほとりに行くと、川岸で髪をといて長く垂らし、水に濡らして髪を柳の幹に打ち付けています。そして、どうぞわたしを蛇にしてくださいと唱えました。すると妹は大蛇となり、川へ入っていきました。

兄はそれを見て驚きましたが、妹に気づかれないように家に帰り、布団に潜り込みました。やがて妹もこっそり戻ってきて何食わぬふりで布団に入ります。兄は妹の足が冷たいわけを知りました。

朝になって、兄は、父と母に話しました。妹が蛇であること、そして今のうちに殺さないと大変なことになることをです。しかし父と母はそれを信じようとはせず、お前こそが蛇のように恐ろしいことを言う人間だとして、兄を家から追い出してしまいました。



兄は十年の間旅を続け、ある日、鷲と、くま鷹が、獲物を取り合っているのを半分づつに分けて仲直りさせ、二羽を忠臣とします。そしてある村に住みついて妻を娶りました。

こうして何年も経つうちに、兄は一度故郷に帰りたくなり、妻に話しました。そしていつも身につけている守り鏡を妻に渡し、この鏡が曇ったのなら、わたしの身になにか悪いことが起きたと思って、鷲と、くま鷹を空へ放しておくれと言って馬に乗り旅立ちました。



さて兄が十何年かぶりで故郷に帰ると、村は死んだように静まりかえっています。不思議に思って両親の家に行ってみると、周りに家はなく、その上我が家には人の住んでいる気配すらありません。そして、戸の隙間から中を覗いてみると、なんと座敷には大蛇がとぐろを巻いて眠っています。

兄は咳払いをして座敷に入っていくと、大蛇は昔通りのきれいな妹の姿になって迎えます。兄は父と母のことを妹に聞くと、妹はふたりがふとしたことから病みついて無くなってしまったと話しました。

そして妹は兄に、久しぶりにお帰りだからごちそうをすると言って、子どもの時によく遊んだ太鼓でも叩いてくださいと裏口から出ていきます。

兄は太鼓を叩いていると、白鼠と黒鼠が大黒柱から下りてきて、自分たちはお前の父と母だといいます。そしてあのとき兄の言う通りにすればよかったと妹の正体が蛇であることを明かし、妹が父と母はおろか村人を皆食べてしまったことを打ち明けました。

そして妹はいま裏の井戸で刃物を研いで、おまえを殺そうとしているから、太鼓は私達に任せて早く逃げなさいといいます。

兄は、やはり妹の正体は大蛇であったかと悲しみ、鼠になって自分の危機を知らせてくれた両親に別れを告げて、馬に乗って逃げました。



馬を走らせながら振り返ってみると、妹が大蛇になって追いかけてきます。妹は久しぶりに人間が食えると思っていたのに口惜しいと叫んでいます。

兄は馬に鞭を打って急ぎましたが、馬はもう力尽きて前に進みません。そこに三本の松の木があったのでその一本に登りました。

ちょうどその時、遥か離れた兄の家では、妻が夫の守り鏡に曇りが生じているのに気が付き、妻は、鷲とくま鷹を空に放しました。

兄は、松の木が倒されそうになると、次の松の木に飛び移り、とうとう最後の松に飛び移ると、鷲とくま鷹を呼びました。

すると、空の彼方から鷲とくま鷹がまっしぐらに飛んできて、大蛇に襲いかかり、激しい戦いとなりましす。しかし、ついに大蛇は鷲とくま鷹に食い殺されてしまいました。

こうして兄は危ういところを救ってくれた、鷲とくま鷹を連れて、妻の待つ我が家へと帰ったということです。

むかしから女が水を汲みに行くときには、髪を長く垂らしたまま行くなと言われたのも、こうした話があったからです、と物語は結ばれます。





昔話特有の不思議なアイテムとして、兄がいつも身につけている守り鏡が登場して、兄の危機を救っています。

日本の昔話には魔法が登場しませんので、これを魔力のこもったものとすることはできません。日本の昔話の場合、これらのことをどう解釈すべきでしょうか。わたしは、これからこれらの力を一種の奇跡と考えてみることにしました。

逆にこれらのことを奇跡とした場合、西洋の魔力を、奇跡のいち顕現手段として考えることもできるでしょう。

グリム童話第二巻での魔力は、日本の昔話で言う、ここで奇跡と定めたものに類似したもののように思います。そしてこのことは、グリム童話第二巻が、より民話の原話に近いことに符合します。

一方、民話の原話から改訂の割合が、比較的大きいグリム童話第一巻では、魔力が魔法を司る者を通して実行される、術のようなものとして定着していたように思います。これらの背景は、西洋での、錬金術の発明に通じ、現在の自然科学の発展に繋がっているのだと思います。

また、この物語は、日本の女の人の、むかしからの習慣の由来が語られる由来譚になっています。





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18:36 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『鬼の小づち』 鬼の目にも涙
短いお話です。むかし、あるところに、娘がひとりで暮らしていました。娘は寂しくていつもおじいさんおばあさんがほしいと思っていました。



ある日のこと、娘がかぼちゃ畑に立っていると、突然裏の崖から大きな鬼が、どすんと落ちてきました。鬼は腹を打ったようです。

鬼は涙を流して伸びてしまいました。近くの畑の人たちは何事かと集まってきましたが、鬼を恐れて誰も近づきません。

ところがこの娘だけは、自分の赤い帯をびりびりと裂いて、鬼の腹に巻いてやりました。そして自分の粗末な家に連れていき、休ませたり、ごちそうを作ったりしてやりました。鬼は一晩娘の家に泊まります。



あくる朝、鬼は、この親切な娘に小槌を授け、畑のかぼちゃを叩いてみろと言って帰っていきました。

娘がその通りにすると、かぼちゃは、ぽんと音をたてて二つに割れ、中からおじいさんおばあさんが出てきて、にこにこしながら自分たちを家に置いてくれといいます。娘はふたりを連れて帰りました。娘の念願はかなったのです。

それから三人はいつまでも仲良く暮らした、と物語は結ばれます。



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鬼といえば、日本の昔話ではたいてい、退治される存在ですが、この物語は違います。娘に福を授ける存在として登場しています。

こういう展開になるのは、ひとえに娘が、弱っている鬼を助けて、親切に振る舞ったからなのですが、鬼が一面的な存在でないことがここには描かれています。

昔話も色々読んでみると、登場するキャラクターが奥行きを持ってその存在感を主張し始めます。



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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『うり姫』 川上から流れてきて物語を展開させるもの
むかし、あるところに、じいさまとばあさまがいました。

ある日のことじいさまは山へ木を切りに行き、ばあさまは川へ洗濯にいきました。

ばあさまが洗濯をしていると川上から瓜が流れてきます。拾って食べてみると、それは大変美味しい瓜でした。そこでばあさまは、じいさまにもともうひとつ願いました。すると大きな瓜がもう一つ流れてきます。

ばあさまは瓜を拾って持ち帰り、おひつの中にしまっておきました。

夕方になってじいさまが帰ってくると、ばあさまは瓜の話をし、早速包丁で割ろうとしました。ところが瓜はひとりでに割れて、中から小さな可愛い女の子が出てきました。ふたりは大喜びで女の子にうり姫と名付け大切に育てました。



うり姫は美しい娘になって、やがて上手に機を織るようになります。うり姫はいい声でうたいながら毎日機を織りました。

するとある日のこと、長者の家からうり姫への縁談が来ました。じいさまとばあさまは喜んで、うり姫の晴れ着を買いに、町へ出かけることにします。

そして、じいさまとばあさまはうり姫に、ふたりが留守の間、もし天邪鬼が尋ねてきても、決して戸を開けてはならないと約束させました。そしてふたりは出かけていきます。はたして天邪鬼は訪ねてきました。



瓜姫は約束通り天邪鬼の言うことなど聞かず戸を開けようとはしません。ところがあまりにしつこいのでとうとう戸を開けてしまいます。家の中に入った天邪鬼は娘の機を台無しにしてしまいました。

そして天邪鬼は柿を食べに行こうとうり姫を外に誘い出そうとします。うり姫はじいさまばあさまに怒られてしまうからと断ります。しかし天邪鬼が言い訳をしてやるというのでとうとう連れ出されてしまいました。

柿の木谷にやってくると、天邪鬼はひとりうまい柿をもぎ、瓜姫には渋柿を与えました。そして、うまい柿の実が欲しければ、自分でもげと言います。そして、うり姫に柿の木に登らせました。

その際、うり姫の着物が破れてしまうからと、自分のぼろ着と交換させ、天邪鬼は瓜姫を下から追い立てました。そして天邪鬼は木のてっぺんにうり姫を縛り付けてしまいます。

天邪鬼はうり姫の着物を着てうり姫になりすまし下手な機を織りました。じいさまとばあさまは、町から帰ってきても少しも気づきませんでした。



しかし嫁入りの日に駕籠に乗った天邪鬼は柿の木谷を通ると正体がばれてしまいます。なぜなら、そこには、木に縛り付けられたうり姫がいたからです。

天邪鬼は三つに切られひとつは粟の根もとに、ひとつは麦の根もとに、もう一つはそばの根もとに埋められました。それで今でも粟と麦とそばの根は天邪鬼の血で赤いのです。

こうしてじいさまとばあさまは、今度こそ可愛いうり姫に、きれいな晴れ着を着せて駕籠に乗せ、めでたく長者殿に嫁入りさせました、と物語は結ばれます。



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はなさかじい』、『桃太郎』と同じような出だしです。ひとつの定形としてもいいでしょう。しかし川上から流れてくるものの差で物語は三者三様の展開を見せます。共に主人公を害する登場者が出てきて、その絡みで物語が進行します。

このお話では主人公を害する存在として天邪鬼が登場していますが、その名が示すとおり鬼の一種と考えられます。

また、その天邪鬼が、粟、麦、そばの根が赤い由来に関わるものとして語られる由来譚にもなっていますね。



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18:40 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『火車の化けもの』 飄々とした主人公の魔物退治
むかし、あるところに、狩人がいました。

ある日狩人が仲間と山奥に入ったときのことです。体の大きさが山小屋ほどもある、火車という化けものに出会いました。仲間の男は肝をつぶしたけれども狩人は平気です。火車は相撲を取って力くらべをしようといいます。狩人はひるまずに、今日は都合が悪いから、明日にしようと言いました。火車も承知しました。

狩人は早速、明日の身支度を初めました。釜のつばを落として被り物を作り、鍛冶屋に頼んで特別大きなやっとこに、鉄のすね当てを作ってもらいました。



明くる日狩人は頭に釜をかぶり、鉄のすね当てを当てて、その上から布を巻きつけました。そしてやっとこを懐に忍ばせ、つるはしと鉄砲を隠し持ちました。

仲間を呼びに行くと、すっかり怖気づいていたので、狩人はひとり山奥に向かいました。

火車はもう先にきていました。狩人はまず、頭のひっかき合いを提案しました。火車も了承します。まずは火車の番です。狩人は火車に頭を引っかかれ、寸前でやられそうになりますが、慌てて火車に声を掛け「それくらいのもんじゃ」と止めました。

さて、狩人の番です。火車は狩人が素早く取り出したつるはしを振り下ろすものだからひとたまりもありません。

次に狩人はむこうずねの握り合いを提案しました。火車も了承します。まずは火車の番です。狩人は鉄のすね当てがひび割れて、慌てて火車に声を掛け「それくらいのもんじゃ」と止めました。

さて、狩人の番です。火車は狩人が懐から取り出した大きなやっとこで締め上げるものだから。すねが折れてしまいました。

狩人は火車がすっかりまいったのを見ると隠し持っていた鉄砲で火車の頭をを打ちました。火車は命からがら山奥に逃げていきます。



翌日狩人は犬を連れて山に入り、火車の血痕をたどって、大きな洞穴にたどり着くと、弱っている火車に鉄砲でとどめの一発を撃ち退治することができました、と物語は結ばれます。





昔話でおなじみの魔物を退治するお話の類型でしょう。主人公の狩人が、やられそうになると慌てて「そのくらいのもんじゃ」といって火車を止めるところがおかしいです。

その時、火車は西洋の昔話の巨人と同様に、ウドの大木を思わせる頭の弱さを発揮して、攻撃の手を緩めてしまうのでした。





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18:39 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『きいちばあ』 魔物を退治する物語
むかし、あるところに、狩人がいました。ある日、狩人は、いつものように、犬を連れて山へ狩りに行きました。ところが、どうしたわけか道に迷い、だんだん山の奥へと入ってしまいます。

そのうちにあたりは暗くなり、戻ることもできず困っていると、はるか遠くに明かりが見えます。狩人は、犬に話しかけながら、明かりを頼りにそこへ向かいました。行ってみると一軒のあばら家がありました。

一晩泊めてくれと尋ねてみると、やたらと人を泊めるところではないのだがと中から年寄りの声がして、恐ろしげなばあさんが出てきます。そのおばあさんに改めて頼み込むと泊まるだけならと許しを得ました。



次の朝狩人が、ばあさんにお礼を言って出かけようとすると、ばあさんは恐ろしい目つきで、自分も犬を持っているから、どちらが強いか、犬のかみ合わせをしようと言い出します。狩人はいやでしたが、ばあさんの様子が恐ろしくて断ることができませんでした。

ばあさんは早速裏から、自分の犬を連れてきます。しかしそれは、どう見ても犬などではなく、大きな狼でした。狩人の犬は、ひとたまりもなく噛み殺されてしまいます。ばあさんは得意そうに笑いましたが、どうすることもできず、狩人はそのまま山を下りました。

狩人は家に帰ってからも悔しくてならず、なんとかして犬の仇を討ちたいと思い、願を掛けました。すると願いの叶う満願の日に、あの狼に叶う犬は日本中探しても「きいちばあ」という犬しかいない、探してみよとのお告げを授かります。



狩人は「きいちばあ」を探して旅に出ました。そしてまる一年、探し歩いた末、ようやくある村で「きいちばあ」の噂を聞くことができました。

そしてそこに行ってみると、なるほどたいそう立派な犬です。狩人は飼い主に「きいちばあ」を譲ってくれるよう頼みましたが、飼い主は譲ろうとはしませんでした。

そこで狩人は、飼い主に詳しいわけを話して、何度も頼み込み、やっとの思いで飼い主から「きいちばあ」を譲り受けることに成功します。



狩人は「きいちばあ」を連れて再び、あの山へ向かいました。迷った道をたどりながら、山の奥に入っていきます。するとまだあのばあさんは、あの一軒のあばら家に住んでいました。

狩人は土産ににしんを持っていきましたが、どうやら好物のようです。ばあさんは喜んでむしゃむしゃ食べてしまいました。その晩狩人は、再び泊めてもらいます。



次の日の朝、狩人はばあさんとの別れ際に、今度も犬を連れているから、またかみ合わせをしたいと申し込みました。ばあさんはまさか自分の狼が負けるわけがないと思っていたので喜んで応じました。

凄まじい戦いが繰り広げられます。しかしとうとう終いには「きいちばあ」が狼の喉笛を食いちぎり狼を殺してしまいます。

するとばあさんは、よくも自分の犬を殺してくれたなと、狩人に襲い掛かってきました。狩人は鉄砲を構えると、狙いを定め、ばあさんをぶち抜きました。

ばあさんが倒れるのを見ると、それは年を取った猫の化けものであったことがわかります。猫の化け物が狼と夫婦になって、山にこもっていたのです。

狩人は無事それらを退治して、神の加護に感謝し、「きいちばあ」を連れて山を下りました、と物語は結ばれます。





魔物を退治する物語のひとつでしょう。日本では、退治される対象として、鬼退治の鬼がその代表です。他にも、鬼婆であるとか山姥をあげることもできるでしょう。この物語では化け猫が退治されます。鬼も日本特有の存在ですが、化け猫もおそらくそうでしょう。

それはともかく、一見これら魔物を退治する物語が強く印象に残り、これら魔物という存在は平板な存在に見えてしまうのですが、たくさんの昔話を読むと、彼らは奥行きのある存在であることが知れます。

これら魔物は、すべての物語で、一方的に退治される存在であるかと言うと、そうではありません。魔物は退治すると言うよりは、もう少し弱い表現で、追い払うと言うような物語もたくさんあります。また逆に、魔物が主人公を助けてくれるような存在として登場する物語もあります。

そこから導かれるひとつの結論は、それらの存在が、絶対悪ではないということです。日本の鬼にしても、西洋の悪魔にしてもそれが当てはまります。

いずれにしても、魔物は、洋の東西を問わず昔話では、重要な登場者として君臨しています。






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18:22 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ちょうふく山のやまんば』 山姥という存在の両義性
むかしあるところに、ちょうふく山というそれは高い山がありました。そこには恐ろしい山姥が住んでいるとのことです。

ある十五夜の晩、山の麓の村の人々は、皆、外に出て月見をしていました。ところが天気が一変してあたりは暗くなり、強い風と激しい雨が降りだし、終いには雹まで降ってきました。村の人々は慌てて家に駆け込みます。

そのうち屋根の上に何かがやってきて暴れだし、ちょうふく山の山姥が子供を産んだから、もちをついてもってこい、持ってこなければ人も馬も食い殺すぞ、というお告げがされました。

しばらくするとその騒ぎはおさまり天候も回復します。



夜が明けると村の住民は、この話題で持ちきりです。村人たちは昨日のお告げの通りにすることにします。村人、皆が、もち米四合ずつ出し合い、もちをつくことにしました。

さて村の人々は、これを誰が山姥のもとに運ぶかを話し合いました。誰もが恐れて行きたがりません。そこで村の長老は、村でいつも威張っている「ただ八」と「ねぎそべ」を指名しました。

ただしふたりは道案内をつけてくれと言うので、「あかざばんば」がこれに加わりました。「あかざばんば」は七十すぎのばあさんです。しかし、残り少ない命を、村の人々のために捧げるつもりで、喜んで引き受けました。



さて、村の人々はもちをつき、「ただ八」と「ねぎそべ」と「あかざばんば」にそれを委ねます。

三人はちょうふく山を登りました。しかしやがて血なまぐさい風が吹くと「ただ八」と「ねぎそべ」は恐れおののきます。そんなふたりを「あかざばんば」は励まして先を進みました。

しかししばらくして「あかざばんば」が後ろを振り返るとふたりはいませんでした。逃げ帰ってしまったのでしょう。「あかざばんば」決死の覚悟で、もちを入れた桶をひとつだけ持って、ひとり山を登ります。



「あかざばんば」は山姥の小屋に着くと、中にはガラと呼ばれる五つぐらいの男の子と山姥がいてもてなされます。ガラと呼ばれる男の子が山姥が生んだ子どもであり、村にお告げをした張本人でした。

山姥は「あかざばんば」が道の途中に置いてきたもちの桶をガラに持ってくるように言いつけました。ガラはあっという間にそれをかついできました。そして「あかざばんば」に雑煮のごちそうをしました。

「あかざばんば」は、すぐに帰ると山姥に告げましたが、山姥のたっての頼みでこの小屋に二十一日だけと言われ、産後の手伝いをすることになりました。

その間いつ食われてしまうのかと思いながらびくびくしていました。しかし何事もなく二十一日は過ぎます。



山姥は、「あかざばんば」に帰りの日、いくら使っても無くならない不思議な錦をもたせ、村の衆には、もちのお返しに、誰も鼻風邪ひとつひかず、まめに暮らせるようにすると約束しました。

そして「あかざばんば」はガラにをおぶられてあっという間に家路につきます。



「あかざばんば」の家ではお弔いが行われていました。その本人が帰ってきて、皆、喜びました。「あかざばんば」は皆に錦を分け与えます。いくらあげてもなくなりません。山姥の約束は守られ、村の人々は鼻風邪ひとつひかず、、皆安楽に暮らしたということです、と物語は結ばれます。





あらすじは、だいぶ端折ってます。半分恐怖話ですが、そこら辺の描写をおおかた省略してあります。原文にあたってください。

産後二十一日というのは、昔の床上げ期間のならわしですね。その期間「あかざばんば」は山姥を手伝いをし、村人たちを幸せにします。

これまで山姥が出てきたお話しは、『きこりとやまんば』に次いで二話目です。『きこりと山姥』では山姥を畏怖すべき存在として語られていますが、この物語では少し趣が違います。

「あかざばんば」は山姥の小屋でたいそうもてなされていますし、宝をもらい、村人の健康まで約束されました。

そこで類似の存在として、ふと、日本の昔話に出てくる鬼婆を思い起こしました。両者とも、恐ろしい存在という前提があるようですが、それはある条件が重なったときのみで、うまく付き合えば、我々に幸福をもたらしてくれる存在でもあるようです。グリム童話第二巻での悪魔と同じような存在なのではないでしょうか。





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18:21 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『馬のたまご』 ファンタジーを大事にする心
短いお話です。むかし、あるところに、貧しいじいさんとばあさんがいました。じいさんは、毎日、山へ行って木を切り、ばあさんは家で機を織っていました。



ある日のことばあさんがいつものように機を織っていると、「馬の卵を売ろう、馬の卵を売ろう」と呼ばわりながら歩くものがいます。

ばあさんはかねてから、機織りでためたお金で馬を買い、じいさんの山仕事の手伝いをさせたいと思っていました。

そんなわけで丁度いいと思い、馬の卵売りを呼び止めます。そしてその馬の卵というものを見てみると、なんとすいかそっくりでした。それでもばあさんは馬の卵を買い、布団の中に大事に入れておきました。



そこへじいさんが帰ってきました。ばあさんは馬の卵をじいさんに見せました。するとじいさんは、これはすいかじゃないかと怒って、それを庭に投げつけました。

しかし、すいかが割れると、中から馬の子が飛び出しました。馬の子は、北の方へどんどん走り出しました。

ばあさんは、逃してはなるものかと馬を追いかけていくと、ちょうど北隣の家でも馬の子が生まれたところで、今逃げていった子馬はその馬のところで遊んでいます。

ばあさんは北隣の家の主人に、馬を返してくれと言いました。するとその主人は、うちの馬が二頭生んだのだと言い張り返してくれません。この馬がばあさんのものなら、証拠を言えというのです。

すると、ばあさんは、すいかから生まれたのだから縞模様があるはずだと探してみます。すると子馬の鼻面に黒い縞模様があります。

北隣の家の主人は、仕方なく子馬を返さざるを得ませんでした。ばあさんが子馬を連れて帰ると、じいさんもたいへん喜び、ふたりで子馬を大切に育てました。



やがて子馬は大きくなり、じいさんを助け、たきぎを二頭分背負うようになりました。こうしてだんだんお金がたまり、ふたりは良い暮らしができるようになりました、と物語は結ばれます。





思うのですが、良くも悪くも、一般的な男性は、いつの時代も、どちらかと言うとファンタジーを好みません。この物語でも、じいさんは馬の卵など、始めのうちは信じません。ばあさんの大切にしていたそれを、庭に投げつけてしまいます。

ところが、それは本当の出来事でした。投げられた馬の卵は割れて、子馬が生まれます。たしかに物語で語られていることは、唐突で荒唐無稽な出来事でしょう。

しかし、これらのことが象徴している出来事なら現実にだってたくさんありえます。そういうことを大事にするのは、どちらかと言うと女性のほうだと思います。このことと、女性に子育てに関するアドバンテージがあることは、決して偶然ではないと思います。



ところで、じいさんによって、庭に投げられた馬の卵から産まれた子馬は、逃げ出してしまいます。じいさんはただ唖然とするばかり、ばあさんが逃げた子馬を追って隣の家に向かいました。

すると、この物語でも、日本の昔話でおなじみの、隣との間で物語は展開されます。隣の家の主人は、嘘を付いて子馬を自分のものにしようとしました。ばあさんは、自分に生じた奇跡を大切にするように、子馬を取り返すべく知恵を絞ります。

そして、ようやく取り戻した子馬を育て、貧しい境遇のじいさんとばあさんは、幸せな結末を手に入れます。ファンタジーを大切に思う心と、それを育てる喜びが語られているのではないでしょうか。





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『旅人とおなごの神さま』 日本の多種多様な神さまを思う
短いお話です。むかし、ひとりの旅人が、旅の途中、街道端の大きな木の陰で休んでいました。すると木の上からきれいな歌声が聞こえてきました。

旅人が見上げると、木の上の方に女の人がいます。女の人はうたいながらおりてきて、その姿は段々と小さくなり、旅人のそばまでおりてきたときには、手のひらに乗るくらいの女の子になりました。

不思議に思ってよくよく見ると、それは可愛らしく、上品な姿をした女の子だったので、旅人はその子を懐に入れ、また旅を続けました。



行くが行くが行くと、日が暮れてきました。それでも旅人は山道を登っていくと、山賊たちがたき火をしているところに、ばったり出くわしてしまいます。

旅人は、これは逃げられないと思ったとき、懐の女の子がわたしを後ろに投げなさいといいました。

旅人は言われたとおりにすると、女の子は美しい娘になって歩き始めました。山賊たちがその娘に気を取られている間に、旅人はどんどん先に行って、山賊から逃れることができました。

美しい娘は山賊の前に立つと、だんだん姿が薄くなって、終いには消えてなくなりました。山賊たちはあっけにとられていつまでも口をぽかんと開けていました。



旅人は行くが行くが行くと、また木の陰で一休みしました。すると再び木の上から先ほどと同じ歌声が聞こえてきて、あの小さな女の子がおりてきました。

旅人は山賊の件のお礼をいい、また小さな女の子を懐に入れ旅を続けました。そしてその晩は、峠のお宮に泊まりました。



次の日、行くが行くが行くと関所があります。旅人は、関所を通る手形を持っていなかったので、これは困ったと思いました。

しかし旅人が、なんの気なしに懐に手を入れてみると、女の子が手形に変わっているではないですか。旅人は、またしても女の子に助けられ関所を通ることができました。旅人はまたしても女の子に礼を言いました。



ところがそのうちに旅人は道を間違えたらしく、どこを歩いているのかがわからなくなります。仕方なく当てずっぽうに歩いていくと、立派なお社が見えてきます。そこで懐にいる小さな女の子は下ろしてくださいと言うので、旅人は女の子を下ろしたやりました。

小さな女の子は杉の木の大木を登り、またきれいな歌声でうたい始めました。するとお社から神主さんが出てきて、杉の大木を見上げおなご神さま、よくお帰りになりましたといい、木の下に三方を捧げました。

すると女の子は、おなご神さまの姿になって木からおりてくると、神主さんの三方に乗ってお社に入っていきます。

これを見て旅人は、自分が道に迷ったのは、おなご神さまがこのお社に帰るためだったのだ、ということを知りました、と物語は結ばれます。





日本の昔話には多種多様な神さまが出てきます。まさに八百万の神さまです。神の物語である古事記とは、また違った意味で多様性を見せます。

例えば異類のものを神とする物語もありました。どの神さまにも、ファンタジックな描写が見られ、空想の世界が広がります。





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