トールキンは、論文
『妖精物語とはなにか』第2章で、妖精物語だけに限ったお話しとはせず、神話や民話なども含む、物語全般の起源を考察しています。しかし、彼の関心は起源自体にはあまり向かわず、何故、ある物語が今日まで語り継がれてきたか、ということに論点のウエイトをおいています。
そしてトールキンは、時の語り手による、道徳的な禁制の配置などの、文学的な保存価値を考慮された、恣意的な取捨選択を経て、それらの物語が、後世にまで残るかどうかが定まる、と述べるに至っていました。その過程で、古くから伝わる民話(昔話)や神話を引用したりしています。
その際、トールキンは、民俗学者や人類学者が行う、分類学的な解釈を嫌いました。なぜなら、それらが、それぞれの物語の細部にあるものを、ないがしろにしてしまいかねないからです。
それはさておき、わたしも、そういった、いわゆる民話や神話などの説話に、人類に後世まで残されてきたものとしてのそれらに関心を持ちました。
民話や神話を考える際、いち日本人として、日本のものを扱ってもいいのですが、明治以降に西洋から輸入されたものも、広く日本にも浸透していて今に至っています。そして、現代では一般的に、日本の神話、民話と同じくらい、西洋のそれらも知名度があったりします。それらに迎合するわけではないのですが、わたしとしては、そちらの方に、まず興味が向きました。
例えば今は、学問の領域で言えばトールキンの先輩文献学者でもあるグリム兄弟が、口頭伝承民話を活字化した、いわゆるグリム童話というものに関心があります。これから、それらの物語を、読み進めていきたいと思っています。
ところで、このグリム童話、口頭伝承民話の活字化の過程で、さらには、それに続く改訂の段階で、口承であった時のエッセンスは少なからず失われてしまいました。しかし、グリム兄弟の功績は損なわれるものではありません。おかげで、グリム童話は世界中に広まりました。
なぜ広まったのか、そう、物語が、より説明的なものにされていく過程で、お話に厚みが出来て、物語に深みが増したのだと思います。
それに加え、童話とうたってはいますが、今述べた通り、実態は口頭伝承民話集であり、トールキンが述べるように大人だからこそ物語に込められる思いというものもあると思います。言わばグリム兄弟は、民話に再び息吹を与えたのです。
グリム童話集は第七版まであります。グリム兄弟、主に弟が口承に手を加えていったわけですが、現在一番新しい第七版が広く世の中に流通しています。
読書には、ある意味第七版を使うのがふさわしいのでしょうが、始めの版のほうが、民話としてのエッセンスがより多く残っており、口承に近く、素朴です。
そして、わたしにとって一番わかり易かったのが『語るためのグリム童話』という、語りに重点を置いた、第二版を底本とし、足りないところを第七版で補っている、再話版グリム童話でした。監修が大家である小澤俊夫さんのものです。
なので、この本を主に読書に用いたいと思います。
この世界一有名な民話集であるグリム童話集について、すでに物語として、知っているものも少なくないわけで、今更ながらなのですが、改めて頭の中を整理したくなりました。
読みこもうとすれば、これまで、読書一般について、それほどの量をこなしていないわたしにとって、語るに足る力もないのでしょうが、全体として簡略でも良いから、インデックスのようなものができたらと思っています。
また、このグリム童話、トールキンが、そうしたように、ファンタジーとして扱うことも出来なくはありません。わたしも、時には、それに習って読んでみたいと思っています。
そして、これは少し先の事になると思いますが、最終的には、民話としての日本の昔話を追っていく予定です。
追記
日本の昔話の読書には『日本の昔話』 おざわとしお再話 福音館書店 を用います。記事には、簡単なあらすじも載せますが、あくまであらすじです。昔話は他の文芸に比べて、実際に自分で読んで、あるいは人から聞いて五感で感じる部分を大切にする媒体です。あらすじは、参考程度にしてください。
2017年5月
さらに追記
グリム童話に始まりさらに日本の昔話を読んできて思うのは、昔話がこれほどファンタジーに富んだ物語であったのかということです。
日本人でファンタジー好きの方なら、ぜひ日本の昔話を改めて読んでみて、自らの基礎とすることをおすすめします。大変有意義な時間を過ごしています。
日本人であることのありがたみも再発見させられます。
2017年8月