『ホビットの冒険』 J.R.R.トールキン 岩波少年文庫
2016.10.30 Sunday
主人公は、ホビット族のビルボ・バギンズです。ホビット族とは、小人のいち種族で、物語では他にも、多種多様な空想上の存在が登場します。
彼の年齢は50歳ぐらい。50歳といっても、ホビット族の平均寿命が、人より長いという設定なので、人間に換算すると、相対的にもう少し若い年齢を想定して書かれているように思われます。
しかし、50年生きていることには変わりありませんので、良くも悪くも分別のある若者といったとらえ方をしてもいいと思います。そんな彼の冒険の物語です。
ホビット族とは、何事においても臆病なたちで、ビルボも例外ではありません。冒険など”お話の中だけに出てくる空想の出来事”であり、自分自身が成しとげるものとは夢にも思っていません。客観的に見ても、心身ともに冒険向きとは思えません。そんなホビット族の彼が、ガンダルフという魔法使いに見出されて冒険の当事者になってしまうのです。
ビルボの母方の血筋には、妖精小人と結婚したものがいるという言い伝えで、時々ホビット族らしからぬ変わり者が出て、冒険をしでかしたりしたそうです。ビルボもその素養を受け継いでいたのでしょうか、見えない力に突き動かされて、ためらいながらですが、ガンダルフの誘いを承諾してしまいます。
こうして、ビルボは、ドワーフ族の、いにしえに、竜に奪われし故郷奪還の冒険に、お荷物とばかりに思われながらも、忍びの者として合流することとなリます。そのお荷物ぶりは自身でも自覚していて、実際彼は、序盤に幾度となくくじけそうになります。
そもそもこの冒険は、ガンダルフが画策し、ドワーフ族の後ろ盾を引き受けていたのでした。そしてガンダルフだけが、ビルボはこの冒険に必要だと始めから確信しています。
しかし、やがて、ビルボは、冒険のさなか、自身の運命を変えてしまうような魔法の指輪を手に入れると、ガンダルフの思惑通り、次第に本領を発揮して、ドワーフたちからも尊敬を得るようになります。もちろんそこには、彼の内面的な成長があります。
この冒険譚、全くの架空のものですが、この物語の世界観は、多くの人を、魅惑してやみません。こうしてトールキンはファンタジーの世界に巨大な功績を残す事になります。
その世界観ですが、文献学者であったトールキンの深い構想の上に成り立っているようで、文学を勉強してきたわけでもない私の手には余り、追いきれません。
本格的に読もうとすれば、他にも参考にしなければならない本がたくさんあるようで、壮大であるばかりか細部にまで趣向が凝らされているようです。よって、子どもはもちろん大人まで、読者の年齢を問わず、それぞれに寄り添った読解ができます。
ところで、作者であるトールキンは、生きるということに対する傍観者でありがちな、ホビット族の主人公を冒険に導いたように、彼の物語は、読者を、読者自身の現実へといざなっているような傾向があります。
話がそれますが、そんな傾向は、彼に師事したダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品においても、引き継がれているようにも思われます。こちらは女性向けですね。
彼の作品は、安易なファンタジーのように、物語の中だけのお話として閉じません。トールキン本人は、これら閉じてしまう物語を失敗作として、自著『妖精物語とはなにか』で手痛く断じていました。
つまり、妄想と空想は、はっきりと区別されます。ちなみに、空想は人間の健全な活動です。妄想は、その反対のものです。残念なことに、妄想を妄想と見抜けずに、現実に開いてしまう人もいますが、空想は妄想と違って、積極的に現実に生成すべきものです。トールキンの物語は読者にこれを成してくれます。ここでいう空想とは、正確にはトールキンの空想ともいうべきものですが...。
物語には、読者に内在する、とある力を誘い出すような仕組みが仕掛けられていて、その仕組みによってもたらされた力は、本の中で閉じず、読者自身の現実へと生成するのです。その仕組みとは、読者の、良くも悪くも単調な日常において、いつの間にか力を無くしかけている心に生気を与えくれるものです。
そう、その仕組みは、大切なことは、あくまで個々の読者の現実の中にあると言わんばかりに、本の外へ外へと誘います。内ではありません。ここがトールキンの真骨頂です。トールキンの物語を夢中になって、読み進めて行くと、本の中で作動している仕組みにとらえられ、読者は読後に本から離れて、自身の冒険をしたくなるのです。
トールキンは、自身の作品の価値を、あくまで読者の現実との等価の相乗効果にこそ見出しているような節があります。トールキンが導こうとしている場所に至るには、読者個々人が内部に、力を蓄える必要がありますが、作品は、その力を得るための装置になっています。そして、彼は、この装置を組み立てることを至上の命題として創作していたように思えてなりません。
最後に繰り返しになるかもしれませんが、少し踏み込んで、この物語を読むことで、読者に起こっているであろうことを、簡単にですがまとめおきます。まあ理屈ですね…。本当はもっとワクワクして読む物語です。
物語では、どこか懐かしく馴染み深い、しかしどこにもない、とあるリアルな空想の世界が展開します。その魅惑的な世界は、まず読者を引き込んで離しません。実はこの世界、現実の多層的認識によリ構築されています。ゆえに、読者にとっては、あたかも自身のリアルな内的現実が描かれているように感じられるのではないでしょうか。これがこの物語に引き込まれる大きな要因です。
そして物語を読み進めていくと、我々の思考のスタンダードである、自然科学や経済学などでつちかった、単層的になりがちな我々の現実認識の、反省的なとらえ直しが行われます。その時に、単層的認識という重しから解き放たれて自由になる力もあるでしょう。そして読者は、この物語の中で、自身の認識を再構築をします。これが物語を読むことで、読者が変化をこうむる中心的な部分です。
そして物語最後に、読者自身の現実でのハッピー・エンディングが予言されます。それはこうです。
ビルボは、すべてを成し遂げて、居心地のよい平和な我が家へと舞い戻ります。そして、こよなく愛している、この我が家であるホビット穴での生活で、素敵な食事と快適な睡眠を満喫するのでした。
これら読者に起きる出来事の過程は、”空想の世界だけの出来事”と思っていた冒険が、突然我が身に降りかかり、その当事者となってしまった、この物語の主人公ビルボのこととそっくりそのまま重ね合わせることができます。
こうしてビルボに寄り添って共に、変化をとげた個々の読者は、物語が終わってしまっても、物語で得た力をたずさえて、再び個々の現実へと舞い戻って行くのです。
追記
あとがきに、この本の訳者であり、日本の児童文学に大きな功績を残した、、故、瀬田貞二さんがトールキンのファンタジー論である『妖精物語とはなにか』から短い文章を残しているので、ここに読書メモとして追記しておきます。
おそらく瀬田さんは日本語訳のp93あたりのことを中心にこの論文を要約しているのだと思われます。
更に追記
トールキンの物語は、あまりにも支持を受けたためでしょう、その影響は、現代のファンタジー小説の王道の一角を作るほどです。未だにコピーしようとする作家も多く存在します。
しかし、そのためか、いささかオーソドックスで古さを感じさせられることもあります。消費し尽くされてしまったのかもしれません。
媒体は違いますが、R.P.Gのゲームでは、その世界観、展開が、無数にコピーされています。
彼の年齢は50歳ぐらい。50歳といっても、ホビット族の平均寿命が、人より長いという設定なので、人間に換算すると、相対的にもう少し若い年齢を想定して書かれているように思われます。
しかし、50年生きていることには変わりありませんので、良くも悪くも分別のある若者といったとらえ方をしてもいいと思います。そんな彼の冒険の物語です。
ホビット族とは、何事においても臆病なたちで、ビルボも例外ではありません。冒険など”お話の中だけに出てくる空想の出来事”であり、自分自身が成しとげるものとは夢にも思っていません。客観的に見ても、心身ともに冒険向きとは思えません。そんなホビット族の彼が、ガンダルフという魔法使いに見出されて冒険の当事者になってしまうのです。
ビルボの母方の血筋には、妖精小人と結婚したものがいるという言い伝えで、時々ホビット族らしからぬ変わり者が出て、冒険をしでかしたりしたそうです。ビルボもその素養を受け継いでいたのでしょうか、見えない力に突き動かされて、ためらいながらですが、ガンダルフの誘いを承諾してしまいます。
こうして、ビルボは、ドワーフ族の、いにしえに、竜に奪われし故郷奪還の冒険に、お荷物とばかりに思われながらも、忍びの者として合流することとなリます。そのお荷物ぶりは自身でも自覚していて、実際彼は、序盤に幾度となくくじけそうになります。
そもそもこの冒険は、ガンダルフが画策し、ドワーフ族の後ろ盾を引き受けていたのでした。そしてガンダルフだけが、ビルボはこの冒険に必要だと始めから確信しています。
しかし、やがて、ビルボは、冒険のさなか、自身の運命を変えてしまうような魔法の指輪を手に入れると、ガンダルフの思惑通り、次第に本領を発揮して、ドワーフたちからも尊敬を得るようになります。もちろんそこには、彼の内面的な成長があります。
この冒険譚、全くの架空のものですが、この物語の世界観は、多くの人を、魅惑してやみません。こうしてトールキンはファンタジーの世界に巨大な功績を残す事になります。
その世界観ですが、文献学者であったトールキンの深い構想の上に成り立っているようで、文学を勉強してきたわけでもない私の手には余り、追いきれません。
本格的に読もうとすれば、他にも参考にしなければならない本がたくさんあるようで、壮大であるばかりか細部にまで趣向が凝らされているようです。よって、子どもはもちろん大人まで、読者の年齢を問わず、それぞれに寄り添った読解ができます。
ところで、作者であるトールキンは、生きるということに対する傍観者でありがちな、ホビット族の主人公を冒険に導いたように、彼の物語は、読者を、読者自身の現実へといざなっているような傾向があります。
話がそれますが、そんな傾向は、彼に師事したダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品においても、引き継がれているようにも思われます。こちらは女性向けですね。
彼の作品は、安易なファンタジーのように、物語の中だけのお話として閉じません。トールキン本人は、これら閉じてしまう物語を失敗作として、自著『妖精物語とはなにか』で手痛く断じていました。
つまり、妄想と空想は、はっきりと区別されます。ちなみに、空想は人間の健全な活動です。妄想は、その反対のものです。残念なことに、妄想を妄想と見抜けずに、現実に開いてしまう人もいますが、空想は妄想と違って、積極的に現実に生成すべきものです。トールキンの物語は読者にこれを成してくれます。ここでいう空想とは、正確にはトールキンの空想ともいうべきものですが...。
物語には、読者に内在する、とある力を誘い出すような仕組みが仕掛けられていて、その仕組みによってもたらされた力は、本の中で閉じず、読者自身の現実へと生成するのです。その仕組みとは、読者の、良くも悪くも単調な日常において、いつの間にか力を無くしかけている心に生気を与えくれるものです。
そう、その仕組みは、大切なことは、あくまで個々の読者の現実の中にあると言わんばかりに、本の外へ外へと誘います。内ではありません。ここがトールキンの真骨頂です。トールキンの物語を夢中になって、読み進めて行くと、本の中で作動している仕組みにとらえられ、読者は読後に本から離れて、自身の冒険をしたくなるのです。
トールキンは、自身の作品の価値を、あくまで読者の現実との等価の相乗効果にこそ見出しているような節があります。トールキンが導こうとしている場所に至るには、読者個々人が内部に、力を蓄える必要がありますが、作品は、その力を得るための装置になっています。そして、彼は、この装置を組み立てることを至上の命題として創作していたように思えてなりません。
最後に繰り返しになるかもしれませんが、少し踏み込んで、この物語を読むことで、読者に起こっているであろうことを、簡単にですがまとめおきます。まあ理屈ですね…。本当はもっとワクワクして読む物語です。
物語では、どこか懐かしく馴染み深い、しかしどこにもない、とあるリアルな空想の世界が展開します。その魅惑的な世界は、まず読者を引き込んで離しません。実はこの世界、現実の多層的認識によリ構築されています。ゆえに、読者にとっては、あたかも自身のリアルな内的現実が描かれているように感じられるのではないでしょうか。これがこの物語に引き込まれる大きな要因です。
そして物語を読み進めていくと、我々の思考のスタンダードである、自然科学や経済学などでつちかった、単層的になりがちな我々の現実認識の、反省的なとらえ直しが行われます。その時に、単層的認識という重しから解き放たれて自由になる力もあるでしょう。そして読者は、この物語の中で、自身の認識を再構築をします。これが物語を読むことで、読者が変化をこうむる中心的な部分です。
そして物語最後に、読者自身の現実でのハッピー・エンディングが予言されます。それはこうです。
ビルボは、すべてを成し遂げて、居心地のよい平和な我が家へと舞い戻ります。そして、こよなく愛している、この我が家であるホビット穴での生活で、素敵な食事と快適な睡眠を満喫するのでした。
これら読者に起きる出来事の過程は、”空想の世界だけの出来事”と思っていた冒険が、突然我が身に降りかかり、その当事者となってしまった、この物語の主人公ビルボのこととそっくりそのまま重ね合わせることができます。
こうしてビルボに寄り添って共に、変化をとげた個々の読者は、物語が終わってしまっても、物語で得た力をたずさえて、再び個々の現実へと舞い戻って行くのです。
追記
あとがきに、この本の訳者であり、日本の児童文学に大きな功績を残した、、故、瀬田貞二さんがトールキンのファンタジー論である『妖精物語とはなにか』から短い文章を残しているので、ここに読書メモとして追記しておきます。
おそらく瀬田さんは日本語訳のp93あたりのことを中心にこの論文を要約しているのだと思われます。
読むにこたえるファンタジーなら、子供の独占物ではなく、おとなこそよくその意義にこたえるだろうし、空想力はけっして科学の敵ではなく、むしろその親である。
『ホビットの冒険』あとがきより
更に追記
トールキンの物語は、あまりにも支持を受けたためでしょう、その影響は、現代のファンタジー小説の王道の一角を作るほどです。未だにコピーしようとする作家も多く存在します。
しかし、そのためか、いささかオーソドックスで古さを感じさせられることもあります。消費し尽くされてしまったのかもしれません。
媒体は違いますが、R.P.Gのゲームでは、その世界観、展開が、無数にコピーされています。
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