子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 5 より 『貧乏神』 余裕という福を得るためのトリガー
むかし、あるところに、じさま、ばさまと、息子夫婦の、四人暮らしの家がありました。この家の人たちは、そろいもそろって大のものぐさで、長い間、家の掃除をしたことがありませんでした。



ところがあるとき、じさまは寝ていて、天上からすすがゆらりゆらりとぶら下がっているのを見たとたん、急に気になって気になって仕方がなくなりました。

そこでもっくり起き上がり、何年も使ったことのないほうきを持ち出して掃除を始めました。

ばさまは、じさまが掃除をしているのを見てびっくり仰天。「じさまばかり掃除をさせておくにはいかない」、とこれまた何年も使ったことのないはたきを手にして、ぱたぱたとはたきをかけ始めました。

そのもの音を聞きつけた息子夫婦がたまげて、「じさまと、ばさまにばかり、掃除をさせておくわけにはいかない」、とこれまたこれまた何年も使ったことのないおかげでからからに乾いたぞうきんを出してきて、ごっしごしとふき掃除を始めました。

こうして四人は、四日も五日も掃除ばかりやり続けました。おかげで、さすがのこの家もすっかりきれいになって、まるでよその家のようになり、なんともすがすがしい気分になりました。



次の朝、じさまが囲炉裏で火をおこしていると、囲炉裏の上の火棚(囲炉裏の上に天井からつるしたすのこ状の棚。濡れたものを乾かすのに使う)からヘチマのような長いものがぶら下がってきました。

「嫁が、何か干しているんだろう」じさまはそう思って気にしないでいると、「じゃいじゃい、じゃいじゃい」という声がしました。

じさまは、あたりを見回しましたが、誰もいません。「どうもわしの耳がおかしくなったらしい」そう思っていると、また頭の上で、「じゃいじゃい、じゃいじゃい」という声がしました。

じさまは「はてな」と見上げると、火棚からぶら下がっている長いへちまみたいなものが何か言っています。

「こりゃ、じさま、おれは貧乏神だ。おまえの家の火棚のすす埃の中に、何年も気持ちよく住んでいたが、こんなにきれいにされたんでは、とても居ずらくてならねえ。もう住んでいられないから、俺をどこか別のところへ連れてってくれい」

じさまはびっくりしましたが、「ああ、いいとも。だがどこへ連れていったらいいんだ」と聞きました。

貧乏神は「あのな、家の前をずっと行くと、きたねえじじいに会うから、そいつにこっそりおれをすりつけてくれ」といいました。



そこでひとのいいじさまは、貧乏神をおぶって出かけました。歩いているうちにじさまは、「待てよ、このまま手放してしまうのはもったいない、誰かに売りつけてやろう」と思いました。

「貧乏神はいらんかね」では誰も買うものはいないだろうと思ってじさまは、なんていって売ったらいいかいろいろ考えだすと、へちまみたいな変な格好をしているやつなので「変なもの売りますよ、変なもの売りますよ」といって歩きました。

けれども人は寄ってくるものの、のぞくだけで買う人は一人も現れませんでした。じさまは、「やれやれ、とんでもないやつをおぶってきてしまった」と思って歩いていきました。すると向こうから頭はぼうぼう、着物は垢だらけじいさんがやってきました。

貧乏神は、じさまに、「じゃいじゃい。あのじじいにくっついていくから、通りすがりに、そっとおれをすりつけてくれ」といいました。

そこでじさまは、わざとよろけたふりをして、貧乏神をじいさんの背中にすりつけたところじさまはすっと身が軽くなりました。



それからというっもの、じさまの家にはいつも笑い声が絶えず、みんなが一生懸命稼いだので、たいそうな分限者になったということです、と物語は結ばれます。



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思わしくない状況を打破するのに、現代人は自分の問題として対処しようとします。しかし問題は解消されず心を病んだりします。

しかし昔話では、その思わしくない状況が、自分とは関係のない何かほかに原因があるかのように物語られます。ここでは貧乏神がじさま一家の重しでした。

思わしくない状況が自分たちとは独立していると考えられて、お話が組み立てられているので、そのような状況下にいても心は病みようがありません。登場人物たちはゆったりと構えています。

この物語は思わしくない状況が、一見なんのかかわりもない家の掃除で解消してしまうのですが、そこには貧乏神という存在を想定します。



現代では貧乏神など、おとぎ話の中の存在であって真顔では語られません。

まあ貧乏神はともかく、現代にも、もっと、このような自分の心とは独立した存在を、思わしくない状況の原因だった思えるような心の余裕が欲しいところです。

なんでも自分のこととは考えずに暮らせたら、さぞ楽になるでしょう。

やはりこの物語の登場者も、昔話に特有ですが、まず自分の今の状況を苦にせずあがきません。当たり前のこととして受け入れられています。

福は偶然やってきます。そして、今、記述してきたような、余裕をかました心の持ちようが、福を得るためのトリガーになっているように思えてなりません。



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18:10 : 日本の昔話 5 冬 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
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