子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 4 より 『宝ふくべ』 信じれば夢は実現する
むかし、あるところに、ばくちを打つのが三度の飯より好きな若者がいいました。けれども負けてばかりいたのでとうとう家も畑もみんなばくちのかたに取られてしまいました。



若者は、ある日、ブラブラ歩いていると、地蔵様のお堂を見つけました。若者は地蔵様とばくちを始めました。するとどういうわけかなんべんやっても地蔵様に勝ちました。

そこで若者は、ばくちのかたに、地蔵様をもらっていこうと思いましたが、もう日が暮れてきたので地蔵様を枕にその夜はお堂に泊まりました。

とろとろと眠ると、夢に地蔵様が現れます。そして、「若者よ、おまえは観音様にお参りして『ふくべ(ひょうたん)をふたつください』とお願いするがよい。ふくべには、金助と孫助というふたりの小男が入っている。手を打って名前を呼べば出てくるから、何でも用を言いつけるが良い」とのお告げがありました。



次の日、若者は、さっそく、観音様にお参りして、「観音様、どうか、ふくべをふたつください。お頼み申します、ナムナムナム」と拝みました。

するとどこからかふくべがふたつゴロゴロと転がってきました。「これは本当に正夢だった」若者は大喜びして、ふくべを持って町へ行き宿に泊まりました。

部屋に上がると若者は女中さんにいいました。「おれは晩飯はいらないよ」それからふくべをふたつ取り出してパンパンと手をうち「金助、孫輔、出てこい」と呼びました。

するとふくべから、ふたりの小男が飛び出してきました。そして若者が、「この宿の客に晩飯を作ってくれ」というとふたりはたちまち何十人分ものごちそうを出して並べました。

若者は宿屋に泊まる人たちにごちそうを振る舞ってたいそう喜ばれました。

これを見た宿屋の亭主は、「うちのようなところで、こんな宝物があったらどんなに重宝するだろう。どうかわしにゆずってはくれまいか」といいました。

そこで若者は、ふくべを高く売って金を儲けて帰りました。宿屋の亭主も宝物を手に入れて大喜びしました。



そして宿屋の亭主は、ちょうど宴会があったので、さっそくふくべにごちそうを出させようとします。ところがいくら金助と孫助を呼んでも出てきません。とうとう亭主は腹を立てふくべを割ってみました。中には何も入っていませんでした、と物語は結ばれます。



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この物語は、日本の昔話が、よくモチーフに取り上げる、正夢という出来事の本質が描かれているのではないでしょうか。

現前する宝物は結果にすぎず、ある意味幻なのです。実態は夢の方にあると考えるのです。単に結果としての宝物と思われたものを得ても、それは効力を発揮しません。

『夢買い長者』では、そのことが分かりやすい例でつづられていました。つまり夢そのものを買うことにより主人公は福を得ていました。

我々は、夜、夢を見ますが、たかだか夢に過ぎないと考えます。しかしこの物語の主人公は夢を信じて行動します。ここが肝であり、それゆえに宝物が効力を発揮するのです。

また、主人公は、宝物のふくべを売ってしまいましたが、その中にいる金助と孫助は、相変わらず主人公と共にいる可能性もあります。この物語の続編があるとしたら、再び金助と孫助が、何かに宿って、主人公に福をもたらすかもしれません。



ちょっとお話を膨らませて、夢は夢でも未来の希望を言い表す夢においても、このお話は通づると思います。信じれば夢は叶うというフレーズは、ある意味、本当のことですから。しかし、このフレーズ、色々と端折りすぎていますね。



洋の東西、昔話に時々登場するばくち打ちですが、どの話も表面上はいい加減な人間という扱いでしょう。しかしどの話も、そのばくち打ちに。温かい視線が注がれています。



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