子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
<< November 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>



<< 『古事記』 [中の巻] リンク | ホーム | 『古事記』 [下の巻] 02 第十六代仁徳天皇(2)影を潜める神話性、人間味あふれる物語 >>
『古事記』 [下の巻] 01 第十六代 仁徳天皇(1)聖帝の世、日本の民主制形態の原型
すでに述べた通り、大雀命(オオサザキノミコト)が第十六代仁徳天皇になります。([中の巻] 16 第十五代 応神天皇(2)天皇崩御後の三皇太子を参照)この節では、仁徳天皇の系譜と主な事績について語られます。



仁徳天皇は建内宿禰(タケシウチノスクネ、成務朝から仁徳朝まで長寿を保ち、歴朝の大臣を務めた伝説上の人物)の子である葛城之曾都毘古(カツラギノソツビコ)の娘、石之日売命(イシノヒメノミコト)を大后としました。

そして、その間に生んだ、後の世に重要と思われる御子には、伊邪本和気命(イザホワケノミコト、第十七代履中天皇(りちゅうてんのう))蝮之水歯別命(アジヒノミズハワケノミコト、第十八代反正天皇(はんぜいてんのう))、男浅津間若子宿禰命(オアサツマワクゴノスクネノミコト、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう))が挙げられます。

また髪長比売(カミナガヒメ)を最初に后としたことは([中の巻] 15 第十五代 応神天皇(1)平和な御世を参照)先に述べた通りです。そしてカミナガヒメとの間に二神の御子を儲けています。

あとは第十五代応神天皇(おうじんてんのう)の娘の二神、つまり腹違いの兄弟を后にしています。これらの后との間には御子がありませんでした。



さて仁徳天皇は高い山に登り四方の国土を眺めると、国中がひっそりとして、どこにも炊煙が上がらないのを見ると「炊煙が立ち昇っていないのは、国に住む人たちが、皆、貧しくて、食べ物にもことかいているからだろう。今から三年の間、人民から貢物を取り立てたり、使役に人民を使ったりするのはやめよう。」と考え、おふれを出しました。

そのため宮殿は破れ壊れ、ことごとく雨漏りするようになってしまいましたが、全く修理することはなく、器でその漏れる雨を受け、漏れないところに移って雨を避けていました。

その後、仁徳天皇は国中を眺めてみると国土は炊煙で満ちていました。そこで人民は豊かになったと安心し、ようやく貢物や使役を再開させます。

こういうわけで人民は栄えます。そのため人民は、その御世をたたえて聖帝(ひじりのみかど)の世と讃えました。



illust3786-c



この節の後ろの段は、仁徳天皇にまつわる有名な説話です。儒教思想の聖天子を描こうとしたことは明白で、人民は君主の所有物などではなく、人民を主体とした政治が描かれます。

こういった文化的土壌が、悠久の時間を遡ってきた日本にはあり、それらが語り継がれてきた事は幸いだと思います。

仁徳天皇には即位前にも、弟のウジノワキイラツコとの皇位の譲り合いの説話もあり([中の巻] 16 第十五代 応神天皇(2)天皇崩御後の三皇太子を参照)、これと合わせてみても、儒者としての側面を多く持った天皇と言えます。





JUGEMテーマ:古典文学


18:11 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://palimpsest.jugem.jp/trackback/518
トラックバック
■ホーム ▲ページトップ