子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『古事記』 [中の巻] 14 第十四代 仲哀天皇(2)女帝としての神功皇后
神功皇后(じんぐうこうごう)は筑紫から大和へ帰る時、喪船に生まれたばかりの我が御子を乗せ、御子が亡くなったと嘘を言いふらします。

これは朝廷にも伝わります。それは、これから起こるであろう、亡くなった仲哀天皇の後継者争いで、命を狙われかねない我が御子を、皇太子とするための神功皇后のはかりごとの一つでした。



こうして神功皇后が大和へ登ってくると、案の定、異母兄の香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)の兄弟が神功皇后を討ち取ろうと待ち構えていました。

二人は事の成否を占うため誓約狩りをします(誓約(うけい)とは、予め決めた通りの結果が現れるかどうかで吉凶を判断する占いの一種)。

するとくぬぎの木に登っているカゴサカノミコのもとへ、大きな怒り狂った猪が現れ、そのくぬぎの木の根を掘り返し、木を倒し、カゴサカノミコを食い殺してしまいました。

誓約狩りは凶と出たわけです。それにもかかわらず弟のオシクマノミコは、恐れることなく軍勢を起こして、神功皇后を待ち受け迎えます。



さてその戦は、オシクマノミコが、まず手薄であろう喪船から攻め込もうとしました(喪船と思わせられている)。ところがそれは神功皇后の思いのツボでした。空船と思われた喪船からは、なんと神功皇后の軍勢が出てくるではないですか。

両軍は相戦います。この時オシクマノミコの軍は伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)を将軍とし神功皇后側は建振熊命(タケフルクマノミコト)を将軍としていました。

この時タケフルクマノミコトは計略をめぐらします。「神功皇后はすでに亡くなっているから戦う必要はない」と言いふらして自らの兵の弓の弦を切らせ偽りの降伏をしたのです。

敵の将軍であるイサヒノスクネはすっかりそれを信じこんでしまい、こちらも兵に弓の弦を外させ武器を収めさせます。

ところがタケフルクマノミコトの軍は、髪の中に隠し持っていた弦を再び弓に張り、攻めてくるではないですか。イサヒノスクネの軍は、琵琶湖の南、楽浪(ささなみ)まで逃げ退きますが、イサヒノスクネとオシクマノミコを残して、ことごとく切り伏せられてしまいます。とうとう二人は船で琵琶湖に逃げ出しますが終いには湖に身を投げて死んでしまいました。



戦が終わり大臣である建内宿禰命(タケシウチノスクネ、成務朝から仁徳朝まで長寿を保ち、歴朝の大臣を務めた伝説上の人物)は皇太子(品陀和気命(ホムダワケノミコト))を連れて、禊(みそぎ)を行おうと、近江及び若狭国を越えて越前国の敦賀に仮の宮を建てて皇太子を住まわせます。

ところが土地の神である伊奢沙和気大神命(イザサワケノオオカミノミコト、後に登場する天之日矛命(アメノヒボコノミコト)のこととする説があリます)が夜、皇太子の夢に現れて、「私の名を差し上げて御子の名に替えたい」とおっしゃりました。

皇太子はそれに応じると、その土地の神は、「御子の名前を取り替えた印にさし上げるものがあるから明日の朝、浜辺に出なさい」とおっしゃりました。

翌朝、皇太子が浜辺に出てみると、鼻の頭が傷ついたイルカが、浦の中に集まってきていて、数えきれないほど浜に打ち上げられていました。

皇太子は「食事(みけ)の魚をたくさんくださいましてありがとう」と大神にお礼を言いました。そして、この神の名をたたえて御食津大神(ミケツオオカミ)と名づけました。今にいう気比大神(けひのおおかみ)です。

またそのイルカの鼻の血が臭かったのでその浦を名付けて血浦といいますそれが津奴賀(つぬが)となりました。現在の敦賀です。



さて御子が禊を済ませて大和に帰ってきた時、母である神功皇后は、御子のためにお酒を醸して待っていました。早速楽しい宴会が始まります。

神功皇后は神を讃えて歌を詠みました。


このお酒は私のお酒じゃありません。
お酒のことを司る、常世の国の、石神の、
少名毘古那神(スクナビコナノカミ)が、
踊り狂って、醸しだして、
はるばるご持参のお酒です。
さあさあ、あまさず飲みなさい。
めでたい酒を。

※少名毘古那神(スクナビコナノカミ、[上の巻] 15 葦原中国の完成−我々の八百万的なものの中での共生の起源を思うで登場、ここでは酒造の神として登場、古代人にとって酒は神が醸すもの)


タケシウチノスクネも歌を詠みました。


このお酒を醸した人は、
臼につづみを立てかけて、
歌いながら、醸したのでしょう。
踊りながら、醸したのでしょう。
すっかり楽しく、いただきました。
めでたい酒を。


御子は津奴賀の神と名を交換し、神が作った酒で宴を行うことで、即位が承認されました。



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この節も天皇の事蹟はあまり語られず、というか早々に崩御され、ヤマトタケルノミコトの節と同じように、天皇ではない大妃である神功皇后の物語になっています。また、この物語は、第33代推古天皇以下に続く女帝をモデルとして構想された物語とも言われています。

戦の後、皇太子は直接都へ向かわず、敦賀の地で禊(みそぎ)を行っていますが、そこで彼は神から名をもらっています。これは、典型的な成人式儀礼、あるいは原始的な即位儀礼と見ることができます。

最後の宴会では、原文に「大御酒を献りき」とある通り、皇太子はすでに天皇と認められています。





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18:28 : 『古事記』 [中の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
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