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『古事記』 [中の巻] 09 第十二代 景行天皇(1)倭建命(ヤマトタケルノミコト)の西征
垂仁天皇の御子のうち、大帯日子淤斯呂和気命(オオタラシヒコオシロワケノミコト)が皇位を継ぎます。第十二代景行天皇(けいこうてんのう)です。

景行天皇は、たくさんの妻を持ち八十人の御子を授かりました。これらの御子のうち、若帯日子命(ワカタラシヒコノミコト)と、小碓命(オウスノミコト)と、五百木之入日子命(イオキノイリヒコノミコト)の三王は、皇位を継承する資格を持つ太子(ひつぎのみこ)となります。

そしてワカタラシヒコノミコトが第十三代成務天皇(せいむてんのう)となります。またオウスノミコトは東西の荒ぶる神を平定し、後に倭建命(ヤマトタケルノミコト)と呼ばれるようになります。



景行天皇は、美濃国に兄比売(エヒメ)と弟比売(オトヒメ)という大変美しい姉妹がいるとお聞きになって、御子の一人である大碓命(オオウスノミコト)を遣わして二人を連れてくるよう命じます。

しかし遣わされた大碓命はその美しい姉妹を自分の妻にしてしまいます。そしてその代わりに別の二人の女性をエヒメとオトヒメと偽り天皇に献上します。

ところが天皇はそのことに気づいていました。天皇はその二人を放置し共寝することもしませんでした。



大碓命は、朝夕に行われる宮中での行事にも参加しませんでした。そこで景行天皇は、弟のオウスノミコトに兄を教え諭すよう命じました。ところがそれから五日経っても、大碓命は行事に参加してきませんでした。

そこで景行天皇はオウスノミコトにそのことを尋ねると、すでに言い聞かせましたというではないですか。

景行天皇はどのように言い聞かせたのかと尋ねると、オウスノミコトは、明け方に大碓命が厠に入ったのを待ち構えて、掴み潰して手足を引き裂き、袋に包んで投げ捨てたというのです。つまり殺してしまったというのです。



それを聞いた景行天皇はオウスノミコトの猛々しく荒い性格を恐れて、彼を遠ざけるための口実として、西の彼方(九州南部)にいる熊曾建(クマソタケル、熊曾とは西の辺境の地のことで、タケルは勇猛な人を意味します)という二人の兄弟がいるから彼らを朝廷に逆らうものとして討てと命じました。ていの良い追放です。

何も知らない、まだ髪を額の上で結う少年のオウスノミコトは、垂仁天皇の御子であり叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)から衣装を用意してもらい剣を懐に収めて勇んで旅立ちます。



大変長い道のりを苦労してオウスノミコトはクマソタケルの家らしきものの前に着きます。そして様子をうかがっていると、周囲には兵士が三重に守りを固めています。

そしてその中に頑丈な家が建てられているのが見えます。ちょうどその時人々は、新築の宴を催そうと、食べ物の準備などさわがしく動き回っているところでした。



そしてついに宴のその日オウスノミコトは、叔母のヤマトヒメノミコトに借りた女物の服をまとい、すっかり童女の姿に変装して、女性たちの間に混ざって、その新築の家の中にまんまと入り込んだのです。

クマソタケルの兄弟は、童女に変装したオウスノミコトをたいそう気に入り、二人の間に座らせ宴を楽しみました。

そして宴もたけなわになった頃オウスノミコトは、懐から剣を取り出し、兄のクマソタケルの着物の襟を掴んで剣を胸に突き刺しました。

弟のクマソタケルはそれを見て驚き、恐ろしくなって逃げ出します。オウスノミコトはすぐに追いかけて階段の下で背中を掴み、弟のクマソタケルを尻から剣で突き刺します。

弟は、申し上げたいことがあるから、しばらくご猶予くださいと嘆願します。そこでオウスノミコトはとどめを刺すのを待ちました。

そして弟のクマソタケルはオウスノミコトの身分や目的を聞き、その行動に我々兄弟より猛々しい方がいたとすっかり肝念して、オウスノミコトに御名を差し上げたいと言い出しました。「これからはヤマトタケルノミコトと称えましょう」と。

弟のクマソタケルがそう言い終わると、オウスノミコトはすかさず弟のクマソタケルを熟したうりを引き裂くようにずたずたに切り刻んで殺してしまいました。この時からオウスノミコトはヤマトタケルノミコトと呼ばれます。

こうしてヤマトタケルノミコトは、山の神、河の神、また海峡の神を皆説得し平定しながらもと来た大和の地に向かいます。



さて倭建命(ヤマトタケルノミコト)は、熊曾征伐を終えた後、大和に帰る途中、出雲建(イズモタケル)も征伐しようと思い、まずは偽って友好関係を結びました。

ヤマトタケルノミコトは密かに樫の木で偽の太刀を作り、それを腰につけて、イズモタケルとともに、非伊川(ひいがわ)に沐浴しに出掛けます。

ヤマトタケルノミコトは先に川から上がると、イズモタケルに太刀の交換を提案します。ヤマトタケルノミコトはイズモタケルが外した太刀を取りました。

イズモタケルは川から上がると、ヤマトタケルノミコトの偽の太刀を取りました。するとヤマトタケルノミコトは、太刀合わせをしようと言いました。

それぞれが太刀を抜こうとするのですが、偽の太刀のイズモタケルの太刀は飾りこそ立派ですが抜けません。すかさずヤマトタケルノミコトはイズモタケルを打ち殺してしまいました。

こうしてヤマトタケルノミコトはことごとく西方を平定し都に帰り景行天皇に復命します。



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熊曾とは九州南部の朝廷に従わない種族でしたが、実際は長い時を経て平定されたとしています。この物語はそれらをヤマトタケルノミコト一人に託したひとつの英雄譚と考えるのが一般的です。また、ヤマトタケルノミコトのその実在性も疑われています。

ヤマトタケルノミコトことオウスノミコトが、たとえ悪徳の皇子であったとはいえ、兄を殺してしまう場面は衝撃的です。景行天皇が驚愕したのは当然です。それゆえに、オウスノミコトは親の景行天皇に追放されてしまうのですが、本人はそのことにまだ気づいていません。

またクマソタケルの討伐でもオウスノミコトの粗暴性と剛勇ぶりはいきいきと描かれます。こうした場面の、ある意味痛快な表現は優れた文学性を発揮しているともいえます。オウスノミコトは、やがてヤマトタケルノミコトと呼ばれるようになりますが、彼の悲しい物語の始まりです。

ヤマトタケルノミコトの叔母のヤマトヒメノミコトは、伊勢神宮の斎宮として伝えられており、彼女によって用意されたヤマトタケルノミコトの装束や剣による討伐は、宗教的呪力を帯びたものと考えることもできます。





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