子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『古事記』 [中の巻] 02 続・神倭伊波礼毘古命の東征、八咫烏(やたがらす)の導き
建御雷神(タケミカヅチノカミ、[上の巻] 03 神生み[上の巻] 16 国譲りを参照)の霊剣を高倉下(たかくらじ)が受け取り、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト、神武天皇)に献上されたことにより、カムヤマトイワレビコノミコトは、難を乗り越えることができました。

すると高天原の高御産巣日神(タカミムスヒノカミ、{[上の巻] 01 天地のはじめを参照)はカムヤマトイワレビコノミコトに命令します。「ここより奥には荒ぶる神がとてもたくさんいるから、今から天より使わす八咫烏(やたがらす)の導きに従って進みなさい」と。

カムヤマトイワレビコノミコトはその教えの通り進むと、吉野で様々な国つ神に出会いますが、彼らは皆カムヤマトイワレヒコノミコトに服従し、難なく通り抜けることが出来ました。そして宇陀(うだ、吉野から奈良盆地に至る途中、奈良県宇陀市)に向かいます。



宇陀では兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)が待ち受けていました。兄宇迦斯は一行の導き手である八咫烏を、矢で射て追い返してしまいます。

二人の兄弟はカムヤマトイワレビコノミコトを迎え撃つつもりでしたが、味方につくものが少なく、十分な兵が集まらなかったので、兄はカムヤマトイワレビコノミコトを陥れる罠を仕掛けます。

ところが弟は怖気づいて兄を裏切り、そのことを事前にカムヤマトイワレビコノミコトに知らせます。そのため兄は自ら作った罠に自身でかかることとなり死んでしまいます。



さらにカムヤマトイワレビコノミコトは進むと、八十健(やそたける、多くの勇猛な者の意)が待ち受けています。しかしこれもはかりごとをめぐらして打ち倒してしまいます。

そしてカムヤマトイワレビコノミコトは、兄の五瀬命(イツノセノミコト)のかたきである、憎い登美毘古(とみびこ)に戦いを挑む決心をします。登美毘古はかつてのイツノセノミコトの望み通り、今では日を背にして戦える位置にカムヤマトイワレビコノミコトはいます。

しかしこの戦は、すでに登美毘古を配下に治めていた(なぜかは諸説あり)邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)という神が、カムヤマトイワレビコノミコトのもとに現れて、天つ神の子孫である証をした後、仕える意を示したため、戦わずして決着がついてしまいました。



こうして荒ぶる神々を説得して平定し従わないものは追い払って、カムヤマトイワレビコノミコトは大和の橿原(かしはら)という場所に宮殿をつくって天下を治めることになりました。

これにより、カムヤマトイワレビコノミコトの長い東征は終わり、初代天皇に即位し、後に神武天皇と呼ばれることになります。



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この節では、歌が多用されているのですが、お話をシンプルにするために、やむを得ず割愛しました。

大和平定と神武天皇の即位は、我が国の建国を意味します。現在二月十一日を『建国記念日』としていますが、これは『日本書紀』にそのような記述があるためです。

そして橿原宮は最初の皇居であり、我が国最初の都でもあります。古事記はこれ以降、天皇の統治がどのように行われてきたかが語られます。

『古事記』からは神武天皇即位の具体的な年代を特定することはできませんが『日本書紀』の記述によれば紀元前六百六十年ということです。

しかし考古学的には反論があり、三輪山周辺に前方後円墳が作られた三世紀初頭が大和王朝の成立の根拠となっています。



また、八咫烏は、ウィキペディアには神武天皇を熊野から橿原まで案内したとされる記述もあり、ここでは一度途中で追い返されたことになっていますが、最初から最後まで導き手として随行したと考えています。数々の難を超えられたのは、八咫烏のおかげなのではないでしょうか。





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