子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『古事記』 [上の巻] 17 天孫降臨
国譲りが済んで、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と高御産巣日神(タカミムスヒノカミ、[上の巻] 01 天地のはじめを参照)は、皇太子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト、[上の巻] 06 天照大御神、須佐之男之命による誓約(うけい)生み[上の巻] 16 国譲りを参照)に葦原中国に降って国を治めるよう命じました。

しかし、アメノオシホミミノミコトは葦原中国に降る準備をしている間、子が生まれます。名を邇邇芸命(ニニギノミコト)といいました。

この子はタカミムスヒノカミの娘との間に生まれた子です。そのようなことがあったのでアマテラスオオミカミとタカミムスヒノカミは、改めてニニギノミコトに葦原中国に天降るよう命じました。



ニニギノミコトが高天原から地上に天降ろうとすると、天と地との分かれ道に、上は高天原を、下は葦原中国を照らす神がありました。

そこでアマテラスオオミカミとタカミムスヒノカミは、女神であるけれど、どの神に対しても気後れのしない天宇受売命(アマウズメノミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)を向かわせ、誰なのかを尋ねさせます。

その神は国つ神の猿田毘古神(サルタビコノカミ)と名のり、天降りを先導したいとの申し出をしました。



そこで、天児屋命(アメノコヤネノミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)、布刀玉命(フトダマノミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)、天宇受売命(アマウズメノミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)、伊斯許理度売命(イシコリドメのミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)、玉祖命(タマノオヤノミコト、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)の、合わせて五つに分かれた職業集団の首長(五伴辧覆い弔箸發里))を加えて天降りをします。

そのときアマテラスオオミカミは、三種の神器(八尺の鏡、八尺の勾玉([上の巻] 07 天の岩戸を参照)、草薙の剣([上の巻] 09 八俣遠呂知を参照))をニニギノミコトに授け、思金神(オモイカネノカミ、07 天の岩戸を参照)、天手力男神(アマノタヂカラオノカミ、[上の巻] 07 天の岩戸を参照)、天石門別神(アマノイワトワケノカミ)を同伴させて、ニニギノミコトに、アマテラスオオミカミの御霊が宿る八尺の鏡(三種の神器の中で別格)を統治者の分身として葦原中国に祭らせ、オモイカネノカミには政事を任せました。



ニニギノミコトとオモイカネノカミは八尺の鏡を五十鈴宮(いすずのみや、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市))に祭りました。

豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ、[上の巻] 03 神生みを参照)は度会(わたらい、伊勢神宮外宮(三重県伊勢市))に鎮座します。

アマノイワトワケノカミは、宮門を守護しています。アマノタヂカラオノカミは佐那那県(さなながた、三重県多気町)に鎮座します。



ところでアメノコヤノミコトは中臣連(なかとみのむらじ)らの祖です。中臣連は大和朝廷の祭祀を行った氏族で後に子孫とされる中臣鎌足が藤原の姓を与えられ藤原氏となります。

フトダマノミコトは忌部首(いんべのおびと)らの祖です。忌部首も大和朝廷の祭祀を行った氏族で、特に際しにあたって物資を頁納する職業集団でした。

アマウズメノミコトは、猿女君(さるめのきみ)らの祖です。 猿女君とは朝廷の鎮魂祭儀で舞楽を演じる巫女を出す氏族です。また古事記のの編纂者の一人である稗田阿礼(ひえだのあれ)はこの一族から別れた稗田氏の出身です。

イシコリドメのミコトは作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの祖です。作鏡連は鏡作りを業とした鏡作部(かがみつくりべ)を統率した氏族のことで、後に衰退し文献には現れなくなります。

タマノオヤノミコトは、玉祖連(たまのおやのむらじ)らの祖です。玉祖連は玉作りを業とした玉作部(たまつくりべ)を統率した氏族で、後に姓「宿禰(すくね)」を与えられます。宿禰は真人(まひと)、朝臣(あそん)に次ぐ姓の一つです。



さて、ニニギノミコトは、高天原の神座を離れ、天空に幾重にもたなびく雲を押し分け神威をもって道をかき分けて、途中、天の浮橋([上の巻] 02 国生みを参照)から浮島に立って、筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降リました。

そのとき天忍日命(アメノオシヒノミコト)と、天津久米命(アマツクメノミコト)の二神は立派な靫(矢を入れる道具)を背負い、頭椎の太刀(くぶつちのたち、柄の頭がコブのような形をした剣)を帯び、天之櫨弓(はじゆみ、櫨(はぜ)の木で作った弓)を持ち、真鹿児矢(まかこや)を手に挟み持って、ニニギノミコトの前に立って仕えました。

アメノオシヒノミコトは、大伴連(おおとものむらじ、軍事集団を統率する氏族)らの祖です。アマツクメノミコトは、久米直(くめのあたい、軍事集団を統率する氏族)らの祖です。



そこでニニギノミコトは、この地は朝鮮に相対しており、笠沙之岬(鹿児島県南さつま市笠沙町の野間岬)に道が通じていて朝日がまっすぐに射す国、夕日の明るく照る国であるといいました。

よってここは誠に良い土地であるといって、地の底にある岩盤に届くほど深く穴を掘って太い宮の柱を立てて、天空に千木を高くそびえさせ住まいました。こうしてアマテラスオオミカミの孫が芦原中国を収めるために高天原から降り立ったのが天孫降臨です。



そして、ニニギノミコトは、天孫降臨の先導役を果たした猿田毘古神(サルタビコノカミ)を送るのに、その正体を尋ねて迎えたアマウズメノミコトに任せます。これによりアマウズメノミコトの子孫の女性は猿女君(さるめのきみ)と呼ばれることとなったのです。

なお、このサルタビコノカミは阿坂(三重県松坂市西方に大阿坂町・小阿坂町があり、サルタビコノカミを祭る阿射加神社がある)で漁をしている時、比良夫貝にその手を挟まれて海に沈み溺れてしまいました。

これによりその底に沈んだ時の名を「底どく御魂」といい、その海水が泡粒となって上がる時の名を「つぶたつ御魂」といい、その泡が避ける時の名を「あわさく御魂」といいます。

さて、アマウズメノミコトがサルタビコノカミを送り戻るとヒレの大きな魚から、小さな魚までことごとく集めて、お前たちは天つ神の御子に仕えるかと聞くと、お仕えしますと申しますが、その中で海鼠だけがそのようには答えませんでした。

そこでアマウズメノミコトは海鼠の口を小刀で裂いてしまいます。それで今では、海鼠の口は避けているのです。とその由来が語られます。

こういうわけで代々、志摩国から初物の魚介類を宮廷に献上する時には、祭祀を預かっている猿女君たちにも、それらを分配にあずかります。



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サルタビコノカミは国つ神であり伊勢の海人系氏族の信仰していた太陽神であったということです。上は高天原を下は葦原中国を照らしていたと本文にもあります。

ニニギノミコトの天降りを先導してアマテラスオオミカミを伊勢神宮に祭ったのも、これと無関係ではないでしょう。



天孫降臨の神話は、天の岩戸の神話と共に、記紀神話の頂点をなす最も重要な物語です。ニニギノミコトは高千穂に天降ったわけですが、これはニニギノミコトが穀霊であり、高千穂が収穫祭の祭場に積み上げた稲穂のことであって、その上に穀霊が天降るという信仰を表しているとのことです。

この信仰は朝鮮満州方面の北方大陸系の文化にも同じモチーフがあってそちらの影響を受けて発達したものであるようです。他にも諸説あります。



最後の方でサルタビコノカミが海に溺れる話がありますが、猿に関する面白い動物説話になっています。貝に挟まれて難儀を負う話は外国にもあるようです。

サルタビコノカミはその状態によって三つの御霊に化成したわけですが、これは[上の巻] 05 天照大御神、月詠命、須佐之男之命の誕生で述べたイザナキノカミが禊(みそぎ)の最中に神を化成してゆく神話と同型のお話です。



また最後は、猿女君と伊勢の海人集団との関係性がほのめかされているように思います。





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