『古事記』 [上の巻] 15 葦原中国の完成−我々の八百万的なものの中での共生の起源を思う
2018.06.27 Wednesday
大国主神(オオクニヌシノカミ)は、その後領土を広げながら、新たに三人の妻を迎えて子孫を繁栄させました。その新たなオオクニヌシノカミの妻子と子孫の名が書き連ねられます。
ここでは、須佐之男命(スサノオノミコト)の帯びていた十拳剣(とつかのけん)から誓約([上の巻] 06 天照大御神、須佐之男之命による誓約(うけい)生みを参照)で成った多紀理比売命(タキリビメノミコト)をめとって生まれた子である下照比売命(シタデルヒメノミコト)だけ記しておきます。次節で登場します。
そしてオオクニヌシノカミが八十神に襲われて死んだ時に彼を生き返らせた、天地初発([上の巻] 01 天地のはじめを参照)で三番目にこの世に成った神である神産巣日神(カムムスヒノカミ)の子である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)や、大和(奈良)の神である、御諸山の神(ミモロヤマノカミ、後に正体が知れる大物主神(オオモノヌシノカミ))の助け借りて国作りを固めてゆく様子が描かれます。
また、須佐之男命(スサノオノミコト)の子に当たる大年神(オオトシノカミ)の妻子とその子孫も、それに書き連ねられます。オオトシノカミの系譜は、スサノオノミコトから先の国つ神(くにつかみ)にいたる重要な系譜です。
そしてついに、オオクニヌシノカミは葦原中国(あしはらなかつくに)を完成させ、国作りを終えました。葦原中国は大変なにぎわいを見せて、その様子は高天原(たかまのはら)にも伝わります。
伊耶那岐神(イザナキノカミ)と伊耶那美神(イザナミノカミ)によって始められた国作りは、ついに大国主神(オオクニヌシノカミ)によって完成します。完成した国は、一体誰が統治することになるのでしょう。
これまでの経緯をたどってゆくと、時代時代で中心となって働きかけている神はいても、様々な神の協力のもとで、国作りは成し遂げられたことは明らかです。
この節だけでも、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)が協力したことは、天つ神(あまつかみ、高天原の神)が関わっていることを示しているし、御諸山の神(ミモロヤマノカミ)が協力していることも、大和(奈良)の神が関わったことを示しています。(大和の神が国作りに加わったということはこれまで出雲を中心に書かれていた葦原中国が、後に日の御子が統治することになる、大和を中心とする世界への伏線となっています)
しかし、まもなく葦原中国(あしはらのなかつくに)は、次章の国譲りによって、天照大御神(アマテラスオオミカミ)らの天つ神に統治権を譲られることになります。
理屈から言えば、これはもっともなことです。アマテラスオオミカミは高天原の統治者ですし、[上の巻] 07 天の岩戸で明らかにされた通り、葦原中国の領域は高天原に含まれているのです。しかし、実際、アマテラスオオミカミは名目上の統治者とでも言って間違いないのではとも思っています。
繰り返しますが、たくさんの神々が集まって国造りは完成しました。もちろん有力な神はいますが、どの神が治めるべきかというのは、実質曖昧な状況なのだと思います。
そう、それぞれの神は、お互いに持ちつ持たれつの関係性や、駆け引きにおけるような関係性を永遠に保ってしまっているのではないでしょうか。
まさに、八百万の神のもとでの特異性だと思います。一神教のようなものの下ではこうはならないでしょう。相手を否定する、あるいは倒すというような考え方が、どこを基準とするかにもよりますが希薄なのです。日本の歴史は例外もありますが、概ねこんなかんじでした。
この曖昧で、ある意味ゆるい関係性が、我が国の文化の根底にはあって、我々日本人が、様々な対立する文化さえも、受け入れてしまえる前提になっているのではないか、とさえ思ってしまいました。
ここでは、須佐之男命(スサノオノミコト)の帯びていた十拳剣(とつかのけん)から誓約([上の巻] 06 天照大御神、須佐之男之命による誓約(うけい)生みを参照)で成った多紀理比売命(タキリビメノミコト)をめとって生まれた子である下照比売命(シタデルヒメノミコト)だけ記しておきます。次節で登場します。
そしてオオクニヌシノカミが八十神に襲われて死んだ時に彼を生き返らせた、天地初発([上の巻] 01 天地のはじめを参照)で三番目にこの世に成った神である神産巣日神(カムムスヒノカミ)の子である少名毘古那神(スクナビコナノカミ)や、大和(奈良)の神である、御諸山の神(ミモロヤマノカミ、後に正体が知れる大物主神(オオモノヌシノカミ))の助け借りて国作りを固めてゆく様子が描かれます。
また、須佐之男命(スサノオノミコト)の子に当たる大年神(オオトシノカミ)の妻子とその子孫も、それに書き連ねられます。オオトシノカミの系譜は、スサノオノミコトから先の国つ神(くにつかみ)にいたる重要な系譜です。
そしてついに、オオクニヌシノカミは葦原中国(あしはらなかつくに)を完成させ、国作りを終えました。葦原中国は大変なにぎわいを見せて、その様子は高天原(たかまのはら)にも伝わります。

伊耶那岐神(イザナキノカミ)と伊耶那美神(イザナミノカミ)によって始められた国作りは、ついに大国主神(オオクニヌシノカミ)によって完成します。完成した国は、一体誰が統治することになるのでしょう。
これまでの経緯をたどってゆくと、時代時代で中心となって働きかけている神はいても、様々な神の協力のもとで、国作りは成し遂げられたことは明らかです。
この節だけでも、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)が協力したことは、天つ神(あまつかみ、高天原の神)が関わっていることを示しているし、御諸山の神(ミモロヤマノカミ)が協力していることも、大和(奈良)の神が関わったことを示しています。(大和の神が国作りに加わったということはこれまで出雲を中心に書かれていた葦原中国が、後に日の御子が統治することになる、大和を中心とする世界への伏線となっています)
しかし、まもなく葦原中国(あしはらのなかつくに)は、次章の国譲りによって、天照大御神(アマテラスオオミカミ)らの天つ神に統治権を譲られることになります。
理屈から言えば、これはもっともなことです。アマテラスオオミカミは高天原の統治者ですし、[上の巻] 07 天の岩戸で明らかにされた通り、葦原中国の領域は高天原に含まれているのです。しかし、実際、アマテラスオオミカミは名目上の統治者とでも言って間違いないのではとも思っています。
繰り返しますが、たくさんの神々が集まって国造りは完成しました。もちろん有力な神はいますが、どの神が治めるべきかというのは、実質曖昧な状況なのだと思います。
そう、それぞれの神は、お互いに持ちつ持たれつの関係性や、駆け引きにおけるような関係性を永遠に保ってしまっているのではないでしょうか。
まさに、八百万の神のもとでの特異性だと思います。一神教のようなものの下ではこうはならないでしょう。相手を否定する、あるいは倒すというような考え方が、どこを基準とするかにもよりますが希薄なのです。日本の歴史は例外もありますが、概ねこんなかんじでした。
この曖昧で、ある意味ゆるい関係性が、我が国の文化の根底にはあって、我々日本人が、様々な対立する文化さえも、受け入れてしまえる前提になっているのではないか、とさえ思ってしまいました。
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