『まぼろしの小さい犬』 アン・フィリッパ・ピアス 岩波書店
2016.10.19 Wednesday
表題の一部にもなっている”まぼろし”とは、心理的レベルでとらえるなら、それは現実に属するものといってもよいものと思われます。
この物語では、一匹の犬の姿をとった、その”まぼろし”が、一人の少年の愛情の深化を背景に、彼の成長へのトリガーのような役割を担って、リアリスティック描き出されます。このフィリッパ・ピアスの曖昧なものをリアリスティックに描く手法は、『トムは真夜中の庭で』同様、健在です。
そして、人が、思い通りにならない現実を愛することができるようになるには、いかに多くの深い体験を重ねなければならないかが物語られます。
● ベンとおじいさんとの約束
ことのきっかけは、主人公ベンの誕生日プレゼントに一匹の犬をと、離れたところに住まう、ベンのおじいさんが彼に約束したことにあります。結果をいってしまうと、その約束は一時お預けです。
ベンの住むロンドンでは犬を遊ばせる広い土地がないという条件的な理由や、おじいさん夫婦には犬を買うほど余裕がないという経済的理由などからです。
なぜおじいさんは無理な約束をしてしまったのでしょう。それは、ベンの、このところの境遇に、おじいさんが思わず手を差し伸べてしまった、ということなのでしょう。
ベンは五人兄弟の真ん中ですが、ベンは姉、弟たちとは話が合わず、家の中で半ば孤立していました。
● がっかりな誕生日プレゼント
さて、実際に、おじいさん夫婦からベンに送られてきた誕生日プレゼントは、生きている犬ではなく、毛糸でクロスステッチされた小さな犬の絵でした。。
それに対してベンは、生きている勇敢なボルゾイ犬を心に描いていたのでした。何も本物のボルゾイ犬を望んでいたのではありませんが、待ち望んでいたものが、こんな弱々しい小さな犬の絵になってしまったのです。ベンは期待が大きかった分、がっかりしてしまいます。
その絵は、航海を生業にしていたおじいさん夫婦の息子がメキシコにてもとめたもので、彼はその絵をおじいさん夫婦に送ってまもなく命を落としてしまいます。それが彼の遺品になってしまいました。
つまりその絵は、おじいさん夫婦にとって大切なものなのです。それを送ってくるということは、口約束とはいえ、それを破ってしまった彼らの気持ちがあらわれています。
絵の裏にはその絵の前の持ち主であったであろう人の筆跡で”チキチト チワワ”と書かれてあります。その意味は、チワワ犬種であり、チキチトというのは現地の言葉でとてもとても小さいということのようです。
ちなみに、チワワという犬種の歴史はとても古くて、九世紀ごろメキシコで聖なる犬として崇められていた”テチチ”という犬が祖先といわれています。後に分かりますが、この物語の”幻の小さい犬”のモチーフをを象徴しています。
● ベンとおじいさん夫婦との和解
ベンはおじいさん夫婦の気持ちをちゃんとくむことのできる賢い子どもでしたが、頭では分かっていても心はそうたやすく鎮まりません。しかし、そんな心もやがて鎮まり、おじいさん夫婦のもとに絵のお礼に訪れます。
そして、やがて時は過ぎ、ベンは家に帰らなくてはなりません。しかし、その帰途にベンは、おじいさん夫婦にもらった大切な犬の絵を無くしてしまいます。
ベンは心の奥底では犬の問題を解決できないでいたのでしょう。犬の絵を本心では遠ざけていて、ないがしろにしていたのかもしれません。
犬の絵を無くしてしまった後悔から、ベンは、チキチトという名の、空想上の子犬を心に住まわせます。チキチトは、無くしてしまった絵の中の存在でしたが、ベンの心の中で再生するのです。
● チキチトという、まぼろしの小さい犬
チキチトという名の小さい犬は、まぼろしとして突如ベンに身近な存在となりました。ベンがまぶたお閉じれば、すぐそこに姿を現します。ベンにとって、何もかもを詰め込んだような理想ともいえるその犬に、彼は夢中になります。
ベンは機会さえあればまぶたを閉じてチキチトを呼び出します。このチキチトは外的な現実では得られないものを内的現実として満たしてくれるのです。
しかし、チキチトは、まぼろしであり、あくまで内界の存在なのです。トムの満足とは裏腹に現実には色々支障が出てきます。
案の定ベンは、夢遊病者のようにまぶたを閉じてチキチトを呼び出しているところを、車にはねられて大怪我をおいます。以来チキチトも現れなくなりました。
● 思いがけず果たされた約束
この事件をきっかけに、ベンをめぐる環境はガラッと変化します。ベンは退院後再び療養のためおじいさん夫婦のもとを訪れます。そこではなんと、おじいさん夫婦の飼い犬のティリスが、子犬を9匹も産んでいました。おじいさん夫婦は約束は約束だからと、その一匹であるブラウンををベンにあげるというのです。しかしロンドンでは飼えません。
ところがベンの家族は長女が結婚後、次女を伴って出て行ったため家が手広になっていたのを期に、ベンの健康のことも考えて郊外に引っ越しをすることになったのです。引越し先のそばには自然公園があり、犬を遊ばせることのできるので、犬が飼えるのです。そう、思いがけない形で約束は果たされます。
● ブラウンが気づかせてくれたこと
ベンは”ブラウン”のことを”チキチト・ブラウン”と呼ぶつもりでした。自分がやっとのことで手に入れた犬にふさわしいと思ってのことでしょう。あの誇り高い理想の、まぼろしの犬、チキチトの名を冠したのです。
ところが、ブラウンを連れ帰る途中に知ったのですが、この犬は弱虫でした。自然公園にまでたどり着いた時にベンは二人の弟が迎えに来ているのに気付いて二人を避けます。こんな情けない犬を見せたくなかったのです。
ベンは自然公園で暇をつぶします。犬に対してそっけない態度で接しているうちに、犬の方でも自分が置かれている状況を察したのでしょう。一人と一匹の距離はしだいに離れてゆきます。このままでは犬は迷子になってしまいます。その時、突然ベンは、はっきりとあることを悟ります。少し長いですが、その場面の引用です。
その茶色の犬は今ではずっと遠くにいってしまいました。
急にベンは自分が無くしかけているものの大きさに気づかされて、叫びます。
「ブラウン!」と。
● 成長
そう、ベンが失いかけていたものは愛情だったのです。物語の始めから終わりまで、これ程の深い体験を重ねなければならないほど現実を愛するということは困難なことなのです。
途中、内界の存在である、まぼろしの犬チキチトに惑わされますが、それはベンの成長へのトリガーとなっています。結果的にそれは彼の深い体験につながりました。彼は現実を愛するということが、どういうことなのかを学んだのです。
ベンはその犬の名を、改めて”正しく”口にします。まぼろしの小さい犬の名”チキチト”の名を、もうブラウンの名に冠することはしませんでした。


この物語では、一匹の犬の姿をとった、その”まぼろし”が、一人の少年の愛情の深化を背景に、彼の成長へのトリガーのような役割を担って、リアリスティック描き出されます。このフィリッパ・ピアスの曖昧なものをリアリスティックに描く手法は、『トムは真夜中の庭で』同様、健在です。
そして、人が、思い通りにならない現実を愛することができるようになるには、いかに多くの深い体験を重ねなければならないかが物語られます。
● ベンとおじいさんとの約束
ことのきっかけは、主人公ベンの誕生日プレゼントに一匹の犬をと、離れたところに住まう、ベンのおじいさんが彼に約束したことにあります。結果をいってしまうと、その約束は一時お預けです。
ベンの住むロンドンでは犬を遊ばせる広い土地がないという条件的な理由や、おじいさん夫婦には犬を買うほど余裕がないという経済的理由などからです。
なぜおじいさんは無理な約束をしてしまったのでしょう。それは、ベンの、このところの境遇に、おじいさんが思わず手を差し伸べてしまった、ということなのでしょう。
ベンは五人兄弟の真ん中ですが、ベンは姉、弟たちとは話が合わず、家の中で半ば孤立していました。
● がっかりな誕生日プレゼント
さて、実際に、おじいさん夫婦からベンに送られてきた誕生日プレゼントは、生きている犬ではなく、毛糸でクロスステッチされた小さな犬の絵でした。。
それに対してベンは、生きている勇敢なボルゾイ犬を心に描いていたのでした。何も本物のボルゾイ犬を望んでいたのではありませんが、待ち望んでいたものが、こんな弱々しい小さな犬の絵になってしまったのです。ベンは期待が大きかった分、がっかりしてしまいます。
その絵は、航海を生業にしていたおじいさん夫婦の息子がメキシコにてもとめたもので、彼はその絵をおじいさん夫婦に送ってまもなく命を落としてしまいます。それが彼の遺品になってしまいました。
つまりその絵は、おじいさん夫婦にとって大切なものなのです。それを送ってくるということは、口約束とはいえ、それを破ってしまった彼らの気持ちがあらわれています。
絵の裏にはその絵の前の持ち主であったであろう人の筆跡で”チキチト チワワ”と書かれてあります。その意味は、チワワ犬種であり、チキチトというのは現地の言葉でとてもとても小さいということのようです。
ちなみに、チワワという犬種の歴史はとても古くて、九世紀ごろメキシコで聖なる犬として崇められていた”テチチ”という犬が祖先といわれています。後に分かりますが、この物語の”幻の小さい犬”のモチーフをを象徴しています。
● ベンとおじいさん夫婦との和解
ベンはおじいさん夫婦の気持ちをちゃんとくむことのできる賢い子どもでしたが、頭では分かっていても心はそうたやすく鎮まりません。しかし、そんな心もやがて鎮まり、おじいさん夫婦のもとに絵のお礼に訪れます。
そして、やがて時は過ぎ、ベンは家に帰らなくてはなりません。しかし、その帰途にベンは、おじいさん夫婦にもらった大切な犬の絵を無くしてしまいます。
ベンは心の奥底では犬の問題を解決できないでいたのでしょう。犬の絵を本心では遠ざけていて、ないがしろにしていたのかもしれません。
犬の絵を無くしてしまった後悔から、ベンは、チキチトという名の、空想上の子犬を心に住まわせます。チキチトは、無くしてしまった絵の中の存在でしたが、ベンの心の中で再生するのです。
● チキチトという、まぼろしの小さい犬
チキチトという名の小さい犬は、まぼろしとして突如ベンに身近な存在となりました。ベンがまぶたお閉じれば、すぐそこに姿を現します。ベンにとって、何もかもを詰め込んだような理想ともいえるその犬に、彼は夢中になります。
ベンは機会さえあればまぶたを閉じてチキチトを呼び出します。このチキチトは外的な現実では得られないものを内的現実として満たしてくれるのです。
しかし、チキチトは、まぼろしであり、あくまで内界の存在なのです。トムの満足とは裏腹に現実には色々支障が出てきます。
案の定ベンは、夢遊病者のようにまぶたを閉じてチキチトを呼び出しているところを、車にはねられて大怪我をおいます。以来チキチトも現れなくなりました。
● 思いがけず果たされた約束
この事件をきっかけに、ベンをめぐる環境はガラッと変化します。ベンは退院後再び療養のためおじいさん夫婦のもとを訪れます。そこではなんと、おじいさん夫婦の飼い犬のティリスが、子犬を9匹も産んでいました。おじいさん夫婦は約束は約束だからと、その一匹であるブラウンををベンにあげるというのです。しかしロンドンでは飼えません。
ところがベンの家族は長女が結婚後、次女を伴って出て行ったため家が手広になっていたのを期に、ベンの健康のことも考えて郊外に引っ越しをすることになったのです。引越し先のそばには自然公園があり、犬を遊ばせることのできるので、犬が飼えるのです。そう、思いがけない形で約束は果たされます。
● ブラウンが気づかせてくれたこと
ベンは”ブラウン”のことを”チキチト・ブラウン”と呼ぶつもりでした。自分がやっとのことで手に入れた犬にふさわしいと思ってのことでしょう。あの誇り高い理想の、まぼろしの犬、チキチトの名を冠したのです。
ところが、ブラウンを連れ帰る途中に知ったのですが、この犬は弱虫でした。自然公園にまでたどり着いた時にベンは二人の弟が迎えに来ているのに気付いて二人を避けます。こんな情けない犬を見せたくなかったのです。
ベンは自然公園で暇をつぶします。犬に対してそっけない態度で接しているうちに、犬の方でも自分が置かれている状況を察したのでしょう。一人と一匹の距離はしだいに離れてゆきます。このままでは犬は迷子になってしまいます。その時、突然ベンは、はっきりとあることを悟ります。少し長いですが、その場面の引用です。
ベンは、はっきりとあることをさとった。それは、手にいれることのできないものは、どんなにほしがってもむりなのだ、ということだった。ましてや、手にとどくものを手にしないなら、それこそ、なにもてにいれることはできないということを。
同時にベンは、チキチトとは大きさも色も、似ても似つかない、このおくびょうな犬にだって、ほかの一面があるのだということを思い出した。
だいて、はこんでやったとき、自分のからだにあずけられたあの犬の暖かさ、呼吸するときのからだの動き、くすぐったい巻き毛。
ベンの思いやりをもとめて、すりよってきたときのかっこうや、つれないしうちをされても、なお、あとをついてきた、あのときのようす。
その茶色の犬は今ではずっと遠くにいってしまいました。
急にベンは自分が無くしかけているものの大きさに気づかされて、叫びます。
「ブラウン!」と。
● 成長
そう、ベンが失いかけていたものは愛情だったのです。物語の始めから終わりまで、これ程の深い体験を重ねなければならないほど現実を愛するということは困難なことなのです。
途中、内界の存在である、まぼろしの犬チキチトに惑わされますが、それはベンの成長へのトリガーとなっています。結果的にそれは彼の深い体験につながりました。彼は現実を愛するということが、どういうことなのかを学んだのです。
ブラウンはベンの足にもたれて、あえいでいた、いかにもベンがすきだというように。ベンも愛情をこめていった。
「もうおそいよ、ブラウン。さあ家へかえろう。」
ベンはその犬の名を、改めて”正しく”口にします。まぼろしの小さい犬の名”チキチト”の名を、もうブラウンの名に冠することはしませんでした。
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