読書雑記−やっと巡り会えた原書に近いアンデルセン童話集
2018.08.05 Sunday
このブログでは、子どもの本を扱う試みと謳っていながらも、アンデルセンの作品から少し距離を置いていました。
今から二百年あまり昔に生まれたアンデルセンの作品が、今もなお読み継がれているという事実以上のことが感じられなかったのです。
どの翻訳本を読んでも、なにかしっくりこないのです。その原因は何なのかしばらく疑問でした。
しかし、英語版の、更に荒俣宏さんによる日本語訳の、アンデルセン童話集の新訳本が出て、そのあとがきを読んでみると、その原因がおぼろげながらわかったような気がします。
アンデルセンの童話には、子どもにはふさわしくないとされるシーンがあふれているため、多くの国で、原書にある表現が、少なからず省略や改ざんがなされているというのです。
まあ、ごく、小さい子どもに読み聞かせるには、そのような配慮も必要でしょう。
しかし、アンデルセン自身が、どんなに注意深く、一語一語を大切に、推敲に推敲を重ねたとされる文章を、我々は、子どもへの教育的配慮という名のもとに、安易に、省略や、まどろっこしい表現へ置き換えてもよいものでしょうか。
同様なことは、ビアトリクス・ポターの作品に於いても起こっています。原書には、まず、作者の子どもへの信頼がありました。
しかし、彼女の作品の翻訳本には、残念ながら子どもへの奇妙な配慮が感じられるのです。
ですが、ポターの読者年齢は、低いことが考えられるので、そのような配慮も妥当かもしれません。そのほうが世俗にも迎えられるでしょう。
また、個人の創作ではありませんが、民話(昔話)に於いても同様なことが起きています。
グリム童話を含む世界の民話には、原本に於いて、当然のことながら、子どもへの教育的配慮などありません(グリム童話では、多少、教育的配慮から、改訂が繰り返され、版を重ねています)。
しかし現代では、民話は、再話される段階で、急速に表現を和らげます。あるいは逆に誇張するものもあります。
それによって原本にある豊かさは、失われてしまうのではないでしょうか。グリム童話や世界の民話の大家である小沢俊夫さんも苦言を呈していました。
配慮を欠いたものを子どもには読ませるわけには行かない、という大人がいます。しかし、騒ぐのはその大人だけで、子どもの反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているようにも思えますがどうでしょう。
まあ、なにはともあれ、この翻訳本が手に入ったことで、やっとアンデルセンがストレスなく読めそうです。最後に翻訳者の荒俣宏さんのあとがきから、少し引用します。
今から二百年あまり昔に生まれたアンデルセンの作品が、今もなお読み継がれているという事実以上のことが感じられなかったのです。
どの翻訳本を読んでも、なにかしっくりこないのです。その原因は何なのかしばらく疑問でした。
しかし、英語版の、更に荒俣宏さんによる日本語訳の、アンデルセン童話集の新訳本が出て、そのあとがきを読んでみると、その原因がおぼろげながらわかったような気がします。
アンデルセンの童話には、子どもにはふさわしくないとされるシーンがあふれているため、多くの国で、原書にある表現が、少なからず省略や改ざんがなされているというのです。
まあ、ごく、小さい子どもに読み聞かせるには、そのような配慮も必要でしょう。
しかし、アンデルセン自身が、どんなに注意深く、一語一語を大切に、推敲に推敲を重ねたとされる文章を、我々は、子どもへの教育的配慮という名のもとに、安易に、省略や、まどろっこしい表現へ置き換えてもよいものでしょうか。
同様なことは、ビアトリクス・ポターの作品に於いても起こっています。原書には、まず、作者の子どもへの信頼がありました。
しかし、彼女の作品の翻訳本には、残念ながら子どもへの奇妙な配慮が感じられるのです。
ですが、ポターの読者年齢は、低いことが考えられるので、そのような配慮も妥当かもしれません。そのほうが世俗にも迎えられるでしょう。
また、個人の創作ではありませんが、民話(昔話)に於いても同様なことが起きています。
グリム童話を含む世界の民話には、原本に於いて、当然のことながら、子どもへの教育的配慮などありません(グリム童話では、多少、教育的配慮から、改訂が繰り返され、版を重ねています)。
しかし現代では、民話は、再話される段階で、急速に表現を和らげます。あるいは逆に誇張するものもあります。
それによって原本にある豊かさは、失われてしまうのではないでしょうか。グリム童話や世界の民話の大家である小沢俊夫さんも苦言を呈していました。
配慮を欠いたものを子どもには読ませるわけには行かない、という大人がいます。しかし、騒ぐのはその大人だけで、子どもの反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているようにも思えますがどうでしょう。
まあ、なにはともあれ、この翻訳本が手に入ったことで、やっとアンデルセンがストレスなく読めそうです。最後に翻訳者の荒俣宏さんのあとがきから、少し引用します。
魔法はすてきな力だが、同時に残虐でもあることを述べているからこそ、子供はアンデルセンを通じて賢くなり、悲しみや恐怖に打ちかつための「生きていく力」をつちかうことができた。だからこそ、彼の童話が生誕二百年を経た今も世界中で愛読されているのだろう。この事実にこそ、童話の真の役割がはしなくも示されたのだと、わたしは思っている。つまり元来のアンデルセン童話は、けっして「児童文学」ではなく、子供のままで大人の心を知る「成人文学」なのである。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき
童話の真実とは、実は子供こそがほんとうの語り手であり、童話のすごさが理解できない大人のためにわかりやすく書き直されている大人向けの本である、ということなのだ。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき
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