子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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読書雑記−やっと巡り会えた原書に近いアンデルセン童話集
このブログでは、子どもの本を扱う試みと謳っていながらも、アンデルセンの作品から少し距離を置いていました。

今から二百年あまり昔に生まれたアンデルセンの作品が、今もなお読み継がれているという事実以上のことが感じられなかったのです。

どの翻訳本を読んでも、なにかしっくりこないのです。その原因は何なのかしばらく疑問でした。

しかし、英語版の、更に荒俣宏さんによる日本語訳の、アンデルセン童話集の新訳本が出て、そのあとがきを読んでみると、その原因がおぼろげながらわかったような気がします。



アンデルセンの童話には、子どもにはふさわしくないとされるシーンがあふれているため、多くの国で、原書にある表現が、少なからず省略や改ざんがなされているというのです。

まあ、ごく、小さい子どもに読み聞かせるには、そのような配慮も必要でしょう。

しかし、アンデルセン自身が、どんなに注意深く、一語一語を大切に、推敲に推敲を重ねたとされる文章を、我々は、子どもへの教育的配慮という名のもとに、安易に、省略や、まどろっこしい表現へ置き換えてもよいものでしょうか。



同様なことは、ビアトリクス・ポターの作品に於いても起こっています。原書には、まず、作者の子どもへの信頼がありました。

しかし、彼女の作品の翻訳本には、残念ながら子どもへの奇妙な配慮が感じられるのです。

ですが、ポターの読者年齢は、低いことが考えられるので、そのような配慮も妥当かもしれません。そのほうが世俗にも迎えられるでしょう。



また、個人の創作ではありませんが、民話(昔話)に於いても同様なことが起きています。

グリム童話を含む世界の民話には、原本に於いて、当然のことながら、子どもへの教育的配慮などありません(グリム童話では、多少、教育的配慮から、改訂が繰り返され、版を重ねています)。

しかし現代では、民話は、再話される段階で、急速に表現を和らげます。あるいは逆に誇張するものもあります。

それによって原本にある豊かさは、失われてしまうのではないでしょうか。グリム童話や世界の民話の大家である小沢俊夫さんも苦言を呈していました。



配慮を欠いたものを子どもには読ませるわけには行かない、という大人がいます。しかし、騒ぐのはその大人だけで、子どもの反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているようにも思えますがどうでしょう。



まあ、なにはともあれ、この翻訳本が手に入ったことで、やっとアンデルセンがストレスなく読めそうです。最後に翻訳者の荒俣宏さんのあとがきから、少し引用します。


魔法はすてきな力だが、同時に残虐でもあることを述べているからこそ、子供はアンデルセンを通じて賢くなり、悲しみや恐怖に打ちかつための「生きていく力」をつちかうことができた。だからこそ、彼の童話が生誕二百年を経た今も世界中で愛読されているのだろう。この事実にこそ、童話の真の役割がはしなくも示されたのだと、わたしは思っている。つまり元来のアンデルセン童話は、けっして「児童文学」ではなく、子供のままで大人の心を知る「成人文学」なのである。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき


童話の真実とは、実は子供こそがほんとうの語り手であり、童話のすごさが理解できない大人のためにわかりやすく書き直されている大人向けの本である、ということなのだ。
ハリー・クラーク絵 アンデルセン童話集下 荒俣宏(訳) 文春文庫 あとがき




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19:01 : ■ アンデルセン雑記 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『 アンデルセン―夢をさがしあてた詩人』 ルーマー・ゴッデン 偕成社
アンデルセン童話のことは知っていても、彼がどんな生涯を送ったかということを知る人は、少ないのではないでしょうか。

この伝記は、私の大好きな作家、ルーマー・ゴッデンによるものです。ハンス・クリスチャン・アンデルセンが俳優として、また、劇作家・小説家として成功を収めようにも挫折し、しかし、童話作家として不動の地位を得るまでの一生が描かれます。同じ児童書に携わる作家同士、深い理解の上にそれらは物語られます。



■幼少期 

アンデルセンは、1805年4月2日に、デンマークはヒュン島のオーデンセに、病気がちだった靴職人の父と、その数歳年上の母親の間に生を受けます。デンマークといえば、一昔前なら海賊で有名なあの国です。

一家は貧乏で、少し気のふれたおじいさんと、誇り高きおばあさんを含めた家族は、一間きりのちいさな台所付きの家で、寄り添いながら暮らしていたようです。



母親アンネ・マリーはこの小さな家を、愛情を込めて気持よく整頓し、綺麗にしていました。後年、この頃のことをアンデルセンは、繰り返し書きつづっているので、母親の愛情は報いられたといってもいいと思います。

母親は、子どもの頃から貧乏で、物乞いに出されたこともあったようです。有名なアンデルセンの童話、『マッチ売りの少女』は、母親の幼少期をつづったものであり、童話になって世界中の人々の心に永久に焼き付けられました。その他にも、母親をモデルとした作品は、複数あります。

父は夢見がちな青年で、日々の暮らし向きにはほとんど関心を示さず、仕事はあまりしませんでした。しかし、彼は、機知もあり教養もあったので、子どもの教育には熱心で、アンデルセンに『アラビアン・ナイト』などを、よく読み聞かせていたようです。彼は、本当は靴職人などにはなりたくなかったのでしょう。



■父親の死

やがて、父親は、アンデルセンが、まだ思春期になるかならないかの年齢の時に亡くなっています。父は彼にとって、一番の話し相手であり友達でした。

アンデルセンは、子どもの頃からお話を作るのが好きで、それをよく父に聞かせています。他人は彼のことを、のろまで無様な子どもとして、また彼の作るお話を揶揄して、お芝居屋などと笑いものにしていたようです。

母親は、父親の不毛の人生への思いもあってか、アンデルセンは彼女の希望でした。そして生前父親は母親によくいいました。「この子がしたいということがあったら、たとえそれがどんなばかげたことであっても、好きなようにさせなさい」と。しかし、父親の亡き後、母親は事ある毎にこの言葉に振り回されることになります。



■故郷を出る

アンデルセンは、やがて家庭の事情から学業を続けられなくなり、働きに出されます。かといって同じような境遇の労働者たちは乱暴者ばかりで、どこに雇われても馴染みません。すぐにやめてしまいます。そして彼は、何の根拠もないのですが、有名人になるといって、コペンハーゲンにひとり旅立ちました。

彼は、ここで俳優を目指しますが思うようにいきません。生活は困窮します。しかし、数々の人に援助してもらい、何とか生活は送れていました。彼の不思議な人となりが幸いして、援助者が絶えないのです。その人となりのせいで彼を傷つける者もいましたが‥。

その不思議な人となりとは、子どもの頃からのもので、熱しやすく冷めやすく、激しい気性で泣くかと思えば笑い、多情多感な性質です。

後に彼は自身でも知るのです。大抵の人は、木に抱きついてキスしたくなるほど幸福の絶頂感を体験することがないのと同時に、陰気な憂鬱も知らなくてすむということを。

また彼は、社会のクズにしか見えない、ずる賢い人たちに出会ったり、自分もみじめな生活をしたにもかかわらず、自分の人生ばかりではなく、他人に対しても、子どものような信頼を抱き続けました。それは彼の生まれついての素質であって、それが彼を守ったのです。

彼は彼が童話で創造した登場人物、マッチ売りの少女に似ていました。彼女は売り物のマッチをすり、燃え上がる炎のなかに、自身の哀れな生活とは全く対照的な、幸福で素晴らしい別世界をみるのです。

それに彼は特異な才能をもっていました。身分が高い人を友人にしてしまうのです。そして、その友人の中には文学界を牽引している人物もいました。それをつてに、やがて彼のことを詩人と呼んでくれる人もあらわれます。

俳優としては成功できませんでしたが、彼が進むべき道はおぼろげながら開かれます。彼は何をすべきか悟ります。それは、名声を得るべく詩人としての道を歩むことでした。



■勉学を授かる

やがて、アンデルセンは戯曲を書き始めます。しかし、それは、才能は感じられるものの、明らかに教育されていないものが書いた粗削りのものでした。

ですが、そこにまた援助者があらわれます。彼に教育を授けようとする人物の登場です。そして彼は、大学に通い始めました。しかし、援助されている側である彼は、周りに大変気を使って、苦労しながらの勉学だったようです。

彼は、大学時代に、判断力と知識を身につけ、そして、人の中でもまれている内に一種の貫禄まで付きました。そして卒業していきます。

しかし、増長している感じも否めません。周りの懸命な人のうちの一人は、彼に普通の人間になってほしいと忠告しますが、彼の持ち前の多感多情の性質の前に、それらの忠告は、はかなくも押し流されてしまいます。

そして、そんなさなかですが、作家として目が出始めます。しかし、評判はかんばしくありません。

そして批評家との論争や、二度の失恋を経て外国へ旅立ちます。祖国に居場所がなくなってしまったのです。これが彼の転機になります。



■転機『即興詩人』、そして童話の世界へ

そして、彼は、旅先で、彼のこれまでの自伝的小説、『即興詩人』を書き上げます。そして帰国し刊行しました。彼はこの小説に自分の未来をかけていたし、実際これが彼の出世作となります。アンデルセン30歳の時です。日本では森鴎外の翻訳が有名ですね。

アンデルセンは『即興詩人』の印刷が出来上がるまでに、子どものために童話を四編収めた小冊子も書いています。

彼は時代の気運をつかみました。『即興詩人』と共に、彼の童話は、またたく間に広がってゆきます。デンマーク国内、それからドイツ、スウェーデン、イギリス、そして全世界に。しかも一時の流行に終わらず子どもばかりか大人の読者も獲得してゆきます。これこそ彼の願いでした。

彼はいいます。「わたしはなにか考えが浮かぶと、子どもを前にお話をするのです。しかも、父親や母親も聞いていることを考えに入れて。親たちにも、何か考えるものを与えなければいけませんからね」と。これを機に彼は童話の世界に入ってゆきます。

彼は、大人であると同時に、ある意味永遠の子どもです。子どもというのは、人間性をもたない”物”、つまり、おもちゃや、棒きれや、石ころに、人間性を見出すという神様の視点をもっています。彼もそうでした。

そして、アンデルセンの童話にはある完成された形式があります。また物語の背景には洗練された詩情が流れています。詩というものは、思想や意味を独特の形式に蒸留して磨き上げ鍛え抜きリズムにのせたものです。

しかしこれらはある人が考えているような、幸運な偶然から生まれたものではありません。アンデルセンの草稿から決定稿までを研究すれば、一語一語がいかに大切にされているか、またどんなに注意深く推敲されているかがわかります。しかも文体の持つ生命を殺さずに。

彼の文体は独特です。話し言葉のようです。仕方がないことですが、どんな翻訳も原文の文体を損ねてしまうことがあります。なので、アンデルセンを読むためにデンマーク語を習う研究者まで現れます。



■中年期、大成に向けて

中年になったアンデルセンは夏になるとコペンハーゲンを離れて田舎の領主邸に滞在しました。そこはかつて父や母がお抱えの職場として望んでもかなわなかった場所です。そこに彼らの息子は名誉ある賓客として迎えられているのです。

彼はここでほとんどの童話を書きます。うるさい政治の話も、哲学論争の声も聞こえてきません。彼は内からなる自然の声が本当の使命を説いてくれるのを感じます。

年を追うごとに彼の名声は高まってゆきます。そして人間的にも大きくなりました。

昔は、アンデルセンも、自己を売り込むためや、人々を面白がらせるためのおどけた動作をしていたかも知れません。

しかし、今ではどんな人とも対等に付き合っています。そんな絶えざる交際の結果が、また彼を洗練し、無学で粗野なところは、なくなってしまいました。

彼は詩人として大成し、人間として円熟したのです。しかし、それでもまだ満たされないでいるものが彼にはありました。永遠の伴侶です。そして、彼は、これまで数々の恋愛をしてきましたが、彼のおそらく最後の恋となるのでしょう、スウェーデンのナイチンゲールことジェニー・リンドと出会います。このことについては、作品『ナイチンゲール』に、彼の彼女への思いがつづられています。

彼は逢瀬を重ねますが彼女は応えてくれません。そのうち彼女は、別の人と結婚してしまいます。そして、彼は、一生一人で生きることを自分の運命と悟るのでした。



■晩年

晩年、時は戦争をはさみます。さてアンデルセンの童話ですが、それらは、そんなさなかでも、どの戦争当事国の子どもの前からも無くなったりしませんでした。それほど、彼の童話は、今でいうグローバルなものだったのです。

アンデルセンは歳と共にさらに精進を重ねて、すべての偉大な人たちが持つ、あの謙虚さを手に入れます。自分の力に自身がない人のみが虚勢を張る必要があるのです。彼は、洗練された宮廷人となっていました。生前に彼ほど栄誉を授けられた作家はまれです。

最晩年のことは割愛します。



もしアンデルセン童話に興味がある方がいらしたら、彼と同じように児童書に携わってきた著者ゴッデンによる、彼への理解に富んだ、そして、時に手厳しい批判も盛り込まれたこの伝記は、ある意味、他には得難いかも知れません。おすすめです。





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