子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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『古事記』 [下の巻] リンク
『古事記』 [下の巻] 01 第十六代 仁徳天皇(1)聖帝の世、日本の民主制形態の原型
『古事記』 [下の巻] 02 第十六代 仁徳天皇(2)影を潜める神話性、人間味あふれる物語
『古事記』 [下の巻] 03 第十六代 仁徳天皇(3)何はともあれ吉祥で結ばれるめでたい世

『古事記』 [下の巻] 04 第十七代 履中天皇 皇位継承は御子から兄弟へ

『古事記』 [下の巻] 05 第十八代 反正天皇

『古事記』 [下の巻] 06 第十九代 允恭天皇 臣下の意によって左右される天皇の座

『古事記』 [下の巻] 07 第二十代 安康天皇 徳のなさゆえに暗殺された天皇

『古事記』 [下の巻] 08 第二十一代 雄略天皇 残虐な行為の末に得た皇位のその後

『古事記』 [下の巻] 09 第二十二代 清寧天皇崩御後、空位を治める飯豊王、それ以降



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『古事記』 [下の巻] 09 第二十二代 清寧天皇崩御後、空位を治める飯豊王、それ以降
雄略天皇崩御後は、その御子である白髪命(シラカミノミコト)が皇位につきます。第二十二代清寧天皇(せいねいてんのう)です。清寧天皇には御子がおりませんでした。よって清寧天皇崩御後にはしばらく空位が生じてしまいます。

そこで皇位を受け継ぐべき王を尋ね求めると、まだ皇位を継ぐ前の雄略天皇、つまり大長谷王子(オオハツセノミコ)に殺された忍歯王(オシハノミコ)の妹の飯豊王(イイトヨノミコ、『古事記』 [下の巻] 04 第十七代 履中天皇 皇位継承は御子から兄弟へを参照)が空位を預かり、角刺宮(つのさしのみや、所在未詳)で仮に天下を治めることになりました。



ところで山部連小盾(ヤマベノムラジオダテ)という者が、播磨国(はりまのくに、兵庫県南部)の長官に任じられた時、土地の志自牟(シジム、[下の巻] 07 第二十代 安康天皇 徳のなさゆえに暗殺された天皇を参照)という金持ちが開く新築祝の宴会に呼ばれた時のことです。

集まった客の者は、酒が回ってご機嫌になると、身分の上の者から舞を舞うこととなり、この時最後に、火を焚く係をしていた二人の少年にも、舞を舞わせることとなりました。二人は兄弟で、その順番を譲りあっている様子が可笑しかったので、集まっていた客は皆、笑いました。

そしてようやく兄が舞い終え、次に弟が舞おうとしたところ調子を付けて歌い出します。歌の内容は兄弟の身分の告白でした。そう彼らはあの雄略天皇に殺された履中天皇の御子オシハノミコの御子である意祁命(オケノミコ、第二十四代仁賢天皇(にんけんてんのう))と袁祁王(ヲケノミコ、第二十三代顕宗天皇(けんぞうてんのう))だったのです。正統な皇位継承者です。

それを聞いたヤマベノムラジオダテは、早速人払いをして、兄弟を膝に乗せて泣き喜び、仮宮を作り兄弟をお連れして、角刺宮へ早馬の使者を走らせます。すると叔母であるイイトヨノミコはそれを聞いて喜び兄弟を角刺宮へ迎い入れます。



この二人がまだ天皇の位に付く前のことです。弟のヲケノミコは、名を大魚(オオオ)という綺麗な少女を、かねがね嫁に貰いたいと思っていました。

ある晩、歌垣と言って若い男女が集まって、歌ったり踊ったりする行事に出ていた時に、志毘臣(シビノオミ)という役人が、この少女の手をとっているのを見ます。そこでヲケノミコも負けじと歌垣に参加するのでした。

二人の男が歌の詠み合いの勝負をします。そして夜明け近くになったおり、行事はお開きとなりました。この時二人の王子は、あるはかりごとをします。今は寝ているであろうシビノオミの暗殺です。そして軍を起こして、それをなしてしまいました。



やがて二人の兄弟に、いよいよ天皇の位に付く時が来たのですが、二人は譲りあって、どちらが継ぐか、なかなか決まりません。結局兄弟の身分を適宜に明かした弟のヲケノミコが、まず皇位に付くこととなりました。第二十三代顕宗天皇(けんぞうてんのう)です。



顕宗天皇は第二十一代雄略天皇によってだましうちにあい、殺された父親のオシハノミコの亡骸を探していました。そこへ、ある時身分の賤しいおばあさんがやってきて、その父親の埋まっている場所を知っているというのです。

そこで人をやってその場所を掘らせてみると確かに見つかります。亡骸の歯型をみて確かめました。顕宗天皇は立派な墓を作って父親を葬ります。

あの賤しいおばあさんには、置目(オキメ)という名を与えて、手厚くもてなしました。宮殿の傍に立派な家を作り、毎日会いました。御殿に大きな鈴を垂らしておき、おばあさんが顕宗天皇を呼ぶときには鈴を鳴らします。顕宗天皇はその様子を歌に詠んでいます。

しかしやがておばあさんは、すっかり年を取ってしまうと、暇を請うので故郷に返してあげました。顕宗天皇は別れを惜しみ歌を詠んでいます。



また顕宗天皇は、昔、雄略天皇を恐れて身を隠した時、お弁当を奪われた猪飼いの老人([下の巻] 07 第二十代 安康天皇 徳のなさゆえに暗殺された天皇を参照)を探させます。

そして老人を探しだすと呼び出して河原で斬り殺します。一族の者も膝の筋を断ち切り、足を不自由にして見せしめとしました。



また顕宗天皇は、父を殺した雄略天皇をひどく恨んでいたので復讐をしたいと思い雄略天皇の御墓を壊そうと人を遣いに出そうとしますが、これは他人任せにはできないと兄のオケノミコが自身で壊してくるというので任せます。

そして兄のオケノミコは事をなしてきます。しかし、あまりに早くことがなされたので不思議に思い、顕宗天皇はどのようにしてきたのかを問いうと、オケノミコは少しだけ掘り返してきたというのです。顕宗天皇ははなぜことごとく破壊しなかったのかと兄のオケノミコを責めます。

すると「雄略天皇に報復したいと思うのはもっともだけれども、一方で雄略天皇は父の従兄弟であるし、いっときは天下を治めた天皇です。ここで単に仇の意志だけで事を行ってしまうと、後の世の人々は非難するでしょう。これで十分な辱めです」と述べました。これには顕宗天皇も同意します。



そして顕宗天皇崩御後は兄のオケノミコが皇位を継ぎ、第二十四代仁賢天皇(にんけんてんのう)と呼ばれます。

仁賢天皇は、雄略天皇の御子である春日大郎女(カスガノオオイラツメ)を后に迎えています。親族間の本当の意味での和解です。



仁賢天皇の後は、古事記は、物語的な記述はなくなります。なので天皇の名だけを記して終わりたいと思います。武烈(ぶれつ)、継体(けいたい)、安閑(あんかん)、宣化(せんか)、欽明(きんめい)、敏達(びたつ)、用明(ようめい)、崇峻(すしゅん)、推古天皇(すいこてんのう)と続きます。古事記は、第三十三代推古天皇(神功皇后([中の巻] 14 第十四代 仲哀天皇(2)女帝としての神功皇后を参照)を除けば初の女帝)の系図までで終わっています。



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残虐であった允恭天皇の系統の安康、雄略天皇から穏健な履中天皇の系統である顕宗、仁賢天皇に変わる節目です。この節での空位は大きな意味を持ちます。

顕宗、仁賢天皇は少年時代、雄略天皇の脅威を逃れて身分を隠し、貧しい牛飼いに仕えて働いていました。民衆の生活の苦しさを身にしみて知っていたのではないでしょうか。民の心を知っている優しい天皇だと思います。

彼らは父を殺し自分たちを窮地に追いやった雄略天皇の御霊に復讐しようとしますが、思い立ってやめています。

また仁賢天皇は雄略天皇の御子であるカスガノオオイラツメを后に迎えています。これで二つの勢力の間の和解が成立します。親族間の泥沼の復讐劇は終わりを告げます。民にも、みっともない権力争いなどに対する示しを付けました。

最後に、この節で空位を治めたイイトヨノミコは、神功皇后と共に女帝として扱ってもいいのではないでしょうか。

これで古事記の読書メモを終えます。



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18:18 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 08 第二十一代 雄略天皇 残虐な行為の末に得た皇位のその後
前節の残虐な行為の末、大長谷王子(オオハツセノミコ)は天皇に即位します。第二十一代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)です。雄略天皇は前節で兄の安康天皇が、誤って殺してしまった大日下王(オオクサカノミコ)の妹の若日下王(ワカクサカノミコ)を大后として娶っています。二人の間に御子はありませんでした。

また雄略天皇は、これも前節での都夫良意富美(ツブラノオオミ)との戦いのさなかでした約束の通り、彼の娘の韓比売(カラヒメ)を娶っています。こちらの間には白髪命(シラカノミコト)という御子がいて、後に第二十二代清寧天皇(せいねいてんのう)となります。



さて、大后のワカクサカノミコが、まだ故郷の河内の日下(大阪府東大阪市日下町)にいた頃のことです。雄略天皇がワカクサカノミコを大和から直越の道(ただごえのみち、大和と難波を結ぶ生駒山を越える道)を通って、河内に訪ねてきた時の話です。

雄略天皇は山の上に来て景色を眺めると鰹木(かつおぎ)を屋根の上に乗せている家が目に入ります。雄略天皇は誰の家かと尋ね、天皇の御殿を真似るとはと立腹します。そして人を遣わし家を焼かせに行かせました。

その家の主は大県主(オオアガタヌシ、大阪府柏原市、八尾市、藤井寺市付近の豪族)なる人物なのですが、彼は恐縮してひれ伏し、雄略天皇に非礼を詫ます。そして品物まで献上しました。品物は犬です。そこで雄略天皇は火を着けるのをやめさせ、そして珍しい、この犬なる品をワカクサカノミコへの求婚の品として送り届けます。

するとワカクサカノミコは天皇が日に背を向けておいでになるとは畏れ多いこととして、自分が直接宮中に参上することを伝えてきました。それを雄略天皇は聞くとワカクサカノミコへの愛情を歌にして使いの者に持たせています。



またある時、雄略天皇が美和河(初瀬川の下流で三輪山付近)で遊んでいた時、川辺で衣を洗っている少女がいました。容姿がとても美しかったので雄略天皇は名を聞き、赤猪子(アカイコ)という名と知ると、彼女に男へ嫁ぐのをやめさせ、もう少し大きくなったら宮中に召し抱えることを告げて宮に帰りました。

ところがアカイコが雄略天皇からお呼びがかかるのを待って、はや八十年の時が立ってしまいます。ようやくアカイコは、もうすでに遅きことは分かっていても、天皇に待っていたという気持ちを伝えなくては気が塞ぐので、宮中に献上品を持って参内します。

すると雄略天皇は、すっかり忘れていたことを告白し、アカイコに、志を守って命令を待ち続け、無駄に盛りの年を過ごさせてしまったことを詫び、歌を詠んで彼女に送りました。

アカイコは、それを聞いて涙を流します。そして彼女も雄略天皇に彼女の正直な気持ちを歌にしてを詠み返します。雄略天皇は、たくさんの品を彼女にほうびに持たせて帰しました。



次は雄略天皇が吉野の離宮に出掛けた時のことです。雄略天皇は、吉野川のほとりで一人の少女に出会いました。その少女がたいそう美しかったので大和の宮殿に連れ帰ります。

その後、雄略天皇は、また吉野に出掛けた最、以前に少女と出会った場所に足台を据え、そこに座り、琴など引きながら連れてきた少女に舞を踊らせました。少女が上手に踊ったので、雄略天皇はその感動を永遠にと歌に詠んでいます。



また同様に雄略天皇が吉野に出掛けて狩りをした時の話です。例の足台に座って、獣を待っていると、虻が飛んできて雄略天皇を刺しました。

するとそれに続いて、トンボが後に続き、虻を食って飛び去りました。雄略天皇はそれを面白がって歌に詠んでいます。



またある時雄略天皇は葛城山(奈良県と大阪府の境にある金剛山地の山)に登りました。その時、大猪が現れて、雄略天皇が、その猪を鏑矢で射ると、その猪は怒って唸りながら走り寄って来ました。

そこで雄略天皇は傍にあった榛の木(はんのき)に登って難を逃れ、その驚きを歌を詠んでいます。



またある時、雄略天皇は、同じように葛城山に多くの官人を連れて登った時のことです。官人は赤い紐を付け青染めの衣装を与えられていました。ふと見ると向かいの山の尾根から、こちらに登ってくる人々があって、それがこちらの官人の人数から着ている装束までそっくりなのでした。

そこで雄略天皇は不審に思って、その一行に、この大和国には私以外に君はいないはずだと供の者に口上を述べさせます。ところが相手の一行も同じ口上を述べてくるではないですか。

雄略天皇は怒って、弓に矢をつがえ、供の者にも弓に矢ををつがえさせると、相手も同じように弓に矢をつがえました。そこで雄略天皇は再び供の者に口上を述べさせます。お互いに名を名乗ってから矢を放とうと。すると向こうが先に名乗りました。

私は凶事も吉事も一言でお告げを下す葛城山の一言主ノ大神(ヒトコトヌシノオオカミ)だと名乗ります。

雄略天皇は相手が神様だとは恐れ入り、太刀や弓矢をはじめ多くの官人たちの衣服を脱がせ、ヒトコトヌシノオオカミを拝んでそれらの品を献上します。

するとヒトコトヌシノオオカミは喜んで受け取ります。そして雄略天皇が帰ろうとすると、ヒトコトヌシノオオカミは、山の峰から長谷山の麓まで見送ってくれるのでした。



また別の時、雄略天皇は、袁杼比売(オドヒメ)という美しい少女を后にもらおうと春日に出向きますが、その道中で目指す娘に出会います。オドヒメは恥ずかしく思い、隠れてしまいます。その時の雄略天皇の、何としても探しだしてやろうとする気持ちが歌に詠まれます。



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この節も歌を多く挟んだ歌物語になっています。しかし、歌謡は、人それぞれ解釈が異なることが予想されるので、前節でも述べましたが、いたって簡単な散文で置き換えています。

なお、最後に原文に書かれている三重の采女(うねめ、地方豪族出身の朝廷に仕える女子のこと)の大変長い歌物語は割愛しました。歌はそれぞれの方がそれぞれの解釈で楽しまれることをおすすめします。青空文庫でも現代語訳が読めます。

雄略天皇の后たちは、前節から読めば分かる通り、いずれも肉親の仇に当たる先に嫁いでいることになります。この辺の感覚、あるいは様式が、ひと昔前の日本人になら分かるのかもしれませんが、今の日本人に分かるかどうかは疑問です。

雄略天皇は身内を殺してまでして皇位に就いた残虐な天皇としての側面が強いのですが、自分より上位の神である一言主ノ大神を献る側面が、この節では描かれます。



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18:21 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 07 第二十代 安康天皇 徳のなさゆえに暗殺された天皇
允恭天皇(いんぎょうてんのう)の後の皇位は、御子の木梨之軽王(キナシノカルノミコ)と決まっていましたが、彼が即位する前に不倫で失脚したことにより、その弟の穴穂命(アナホノミコト)が皇位を継ぐことになりました。第二十代安康天皇(あんこうてんのう)です。



安康天皇は、弟の大長谷王子(オオハツセノミコ、第二十一代雄略天皇)のために、家来の根臣(ネノオミ、建内宿禰(タケシウチノスクネ)の家系)を大日下王(オオクサカノミコ、第十六代仁徳天皇の御子で允恭天皇の異母弟)の所に遣いを出して、その妹である若日下王(ワカクサカノミコ)と弟のオオハツセノミコトとの結婚を約束させようとします。

オオクサカノミコは、四度拝み、そのような大命をと、たいへん喜び引き受けます。そして安康天皇に贈り物の品までつけてネノオミを返しました。

ところが遣いに出ていたこのネノオミという男は悪者で、その贈り物を盗みとり、オオクサカノミコが「同族のものに敷物同然にくれてやるものか」と立腹したとの嘘の報告を安康天皇にします。

安康天皇は激怒しオオクサカノミコを殺して、その妃である長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を自身の大后としました。



ある日、安康天皇は神意を受けようと、昼寝をしていました。そしてふと大后に心配事がないかと尋ねてみます。大后はそのようなことはないと答えますが、安康天皇には常に気がかりなことがありました。

それは大后の連れ子である目弱王(マヨワノミコ)が成長して、彼の父親を殺したのが自分であることを知り、敵討ちをされるのではないかという心配です。

それを大后に話すのですが、この時マヨワノミコは近くの床下で遊んでいたため、それをすべて聞いてしまいます。

マヨワノミコは、この言葉を聞くと、すぐに安康天皇の眠っているところをを密かにうかがい、傍にあった太刀で安康天皇の首を斬りつけ殺してしまいました。そして都夫良意富美(ツブラノオオミ)という家来の家に逃げ込みます。



このことをまだ少年だったオオハツセノミコが知ると、怒りをあらわにし、兄の黒日子王(クロヒコノミコ)を訪ねます。しかしクロヒコノミコは驚きもせず気にもかけない様子です。オオハツセノミコは失望して兄のクロヒコノミコの襟首を掴んで引きずり出し、刀を抜いて撃ち殺してしまいまさた。

そして別の兄の白日子王(シラヒコノミコ)を訪ねるのですが彼も同じように他所事のように振舞っています。オオハツセノミコは、シラヒコノミコを小治田(おはりだ、奈良県明日香村)まで連れて行き、穴をほって生き埋めにすると、腰まで埋まった頃、シラヒコノミコは目の玉が飛び出して死んでしまいました。



そしてオオハツセノミコは軍を起こして、マヨワノミコが逃げ込んだツブラノオオミの屋敷を取り囲みます。この時ツブラノオオミも軍を起こして迎え撃ち、両軍の放つ矢は風に吹かれた葦の花が散るように飛び交います。

やがてオオハツセノミコは、矛を杖にしてツブラノオオミの屋敷に入ると「私が言い交わした少女は、もしやこの屋敷にいないか」と尋ねました。

するとその少女の父親であるツブラノオオミが武器を解き、八度拝んでから、それに答えて、「先日あなたが求婚なさった私の娘である韓比売(カラヒメ)はあなたの側に仕えさせましょう。また私の私有地も献ります。しかし自身が参上しないのは、昔から今に至るまで、臣下が皇族の宮殿に隠れることはあっても、皇子が臣下の家に隠れることなど聞いたことがありません。とうてい私などが盾をついてもかなわないと分かっていても、私を頼ってきた皇子を見捨てるわけには行きません」と言いました。

そして再びツブラノオオミは武器を手に戦います。しかし勝てる戦ではありません。とうとうツブラノオオミは手傷を負い矢も尽きて、マヨワノミコにどうしたらいいのかと尋ねます。

マヨワノミコは諦めてツブラノオオミに自分を殺せと命令し、ツブラノオオミはそれを果たし、自分も自害しました。



後日、オオハツセノミコは近江国の韓袋(カラフクロ)という者に、近江の久多綿(くたわた、所在不明)には多くの猪や鹿がいるからと狩りを勧められます。

そして狩りに出かけますが、この時オオハツセノミコは従兄弟にあたる忍歯王(オシハノミコ)を一緒に誘います。安康天皇が次期の天皇にと考えていた人物です。二人は狩場に着くと別々に仮宮を作って泊まりました。

翌朝早く、オシハノミコが、オオハツセノミコの家来に催促するように告げ、先に出掛けます。これを家来は怪しみ、オオハツセノミコにいらぬ警戒を与えてしまいます。

そしてオオハツセノミコがこうするつもりであったかは定かではありませんが、追いつくとなんとオシハノミコを矢で射て剣で斬り殺してしまいました。そしてオシハノミコは地面の中に粗末に葬られます。



それを知ったオシハノミコの子である意祁命(オケノミコ、第二十四代仁賢天皇(にんけんてんのう))と袁祁王(ヲケノミコ、第二十三代顕宗天皇(けんぞうてんのう))は、自らの身の危険を感じて逃げ去りました。

そして二人の王子が山城(京都府南部)の刈羽井で弁当を食べていると、目尻に刺青をした老人が来て、その弁当を奪って行くではないですか。二人の王子は弁当は惜しくはないものの、老人の素性を聞きます。老人は猪飼いでした。

二人の王子はいつか仇を取ろうと心に誓い、淀川の渡し場である久須婆(大阪府枚方市楠葉)で川を逃げ渡り、播磨国(兵庫県南部)に着くと、志自牟(シジム)という名の人物のもとで、身分を隠して馬飼い、牛飼いに仕えて働きます。



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安康天皇の臣下の度量を見る目のなさが事の発端ですが、仇の家に嫁いだ大后を始めとし、そのせいで義理ではありますが、父親である天皇が自分の仇でる皇子が登場し、天皇の暗殺を果たします。

そのために天皇の弟のオオハツセノミコは戦を起こし、その皇子を死に追いやりますが、何の因果か、この戦は、オオハツセノミコが婚約した娘の父親との戦でもあったりします。

もうドロドロの人間関係が描かれます。要約を見ていただけたら分かるように、更にオオハツセノミコを軸とした怨恨の物語は続いてゆきます。

オシハノミコがオオハツセノミコに殺されて無造作に葬られる下りは後の天皇が決まる伏線にもなっています。

古事記では、安康天皇は自らの愚かさゆえに、暗殺された天皇として語られます。暗殺された天皇として日本書紀には、後もう一人、第三十二代崇峻天皇(すしゅんてんのう)が記録されています。天皇たるもの、人を見る目がなければならないということなのでしょう。



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18:27 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 06 第十九代 允恭天皇 臣下の意によって左右される天皇の座
水歯別命(ミズハワケノミコト)こと、第十八代反正天皇(はんぜいてんのう)の後を、弟の男浅津間若子宿禰命(オアサツマワクコノスクネノミコト)が皇位を継ぎます。第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)です。第十六代仁徳天皇の御子であり、第十七代履中天皇、第十八代反正天皇の同母弟にあたります。

主な御子に木梨之軽王(キナシノカルノミコ)、黒日子王(クロヒコノミコ)、穴穂命(アナホノミコト、第二十代安康天皇(あんこうてんのう))、軽大郎女(カルノオオイラツメ)、白日子王(シラヒコノミコ)、大長谷王子(オオハツセノミコ、第二十一代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう))がいます。



允恭天皇は、はじめ皇位の話が来た時、自身の長く患っている病を理由に断っています。ところが、大后をはじめ、周りの官人が強く願い出たために位につきました。

この時、新羅の国王が八十一艘の船で允恭天皇に貢物を献上しています。この船に乗る大使は薬の処方に長けていて允恭天皇の病を治療したといいます。



ところで、允恭天皇は、天下のあらゆる人の氏姓(うじかばね)が、本来のものと違っているのを憂いて、盟神探湯(くかたち)という占いを行い、天下の多くの職業集団の長の氏姓を正しています。氏とは世襲により継承される家の名のことで、姓とは朝廷から賜る家の階級のことです。

盟神探湯とは、釜に湯をたぎらせて、そこに手を入れさせ火傷するかしないかにより、その人の正邪を判断する占いのことです。

もちろん邪心を持つ者は火傷をし、正しい心を持つ者は火傷を追わないと考えるやり方です。これにより氏姓を偽るものはいなくなるというわけです。



さて允恭天皇の後の皇位は、キナシノカルノミコと決まっていました。しかしキナシノカルノミコは、即位する前に、とある禁忌を犯してしまいます。

この時代、異母兄間の結婚は許されていたのですが、同母兄間の結婚は不倫とされ固く禁止されていました。その不倫を犯してしまうのです。その相手はカルノオオイラツメです。キナシノカルノミコのカルノオオイラツメへの思いが歌にして詠まれます。

キナシノカルノミコは、多くの官人や天下の人たちの反感をかい、皇位の継承は、自然と弟のアナホノミコトに期待が集まるようになりました。

キナシノカルノミコは、アナホノミコトを恐れて大臣の大前小前宿禰(オオマエオマエノスクネ)のもとに逃げ、武装します。一方アナホノミコトも武装します。



やがて二人の間に争いが起きました。その様子が歌にして詠まれます。そして争いのさなか、大臣のオオマエオマエノスクネが、流血を恐れて平和的解決を試みたのでしょうか、なんとキナシノカルノミコを捕らえ相手に差し出してしまうのでした。その時のキナシノカルノミコの妹を思う心情が歌に詠まれます。

キナシノカルノミコは伊余湯(いよのゆ、愛媛県松山市の道後温泉)に島流しにされます。キナシノカルノミコはその時に恨めしい気持ちを歌に託して詠みました。

一方、妹のカルノオオイラツメも、兄を思い、歌に詠みます。やがてカルノオオイラツメは兄を思う気持ちが押え切れず、後を追って伊余湯に向かいます。その時の心情が歌に詠まれます。

二人は再開を喜び抱き合います。その時の、キナシノカルノミコの、カルノオオイラツメへの思いが歌にして詠まれます。そして二人は共に自害しました。



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允恭天皇の事績で注目すべきは氏姓を正したことです。これらのことは、国を秩序の混乱から救い、正しく統治する上で大切なこととして語られています。このことは古事記の序文にも特に記されています。



允恭天皇の即位は大后をはじめ官人たちの強い要望によるものでした。このように皇位継承に、臣下の思いが関与する記述は初めてです。

同じように、後半に物語られる、次期天皇になるはずであったキナシノカルノミコの失脚には、やはり臣下の強い思いが関与しています。結果は允恭天皇に働いた力とは対象的な力が働いていますが…。

神々の物語として始まった古事記ですが、段々とこのようにより人間界の物語に変遷してゆきます。



後半の兄弟たちの物語は、多くの歌をはさみ、詠み手の心情が吐露され、非常に文学的に語られます。それぞれの登場者に、いろいろな思い入れをすることができます。

しかし、歌謡は、人それぞれ解釈が異なることが予想されるので、前節でも述べましたが、いたって簡単な散文で置き換えています。歌の内容が知りたい方は、他をあたってください。





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18:25 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 05 第十八代 反正天皇
『古事記』には、反正天皇(はんぜいてんのう)の即位前の活躍は、前章で水歯別命(ミズハワケノミコト)として記されていますが、即位後の事績は記されていません。身の丈九尺二寸半(約1.8m)などの容姿や、系譜などが記されているだけです。

それではと『日本書紀』を覗いてみると、しかしそこにもやはり記述は少なく、反正天皇の在位は、五年という短い間となっていることが分かるだけです。

では何の手がかりもないかというとそうでもありません。しかし参考資料程度の価値しかないものですが…。

それは、中国の宋の正史である『宋書』に記されたものです。その中にある「倭の五王」の一人である「珍」は反正天皇のことだと考えられています。和書よりは記述が多いのですが、やはり外国の歴史書であるため、自国の都合のいいように書かれていることが予想されます。





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18:39 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 04 第十七代 履中天皇 皇位継承は御子から兄弟へ
仁徳天皇と大后である石之日売命(イシノヒメノミコト)の間には、上から伊邪本和気命(イザホワケノミコト、第十七代履中天皇(りちゅてんのう))、次に墨江之中津王(スミエノナカツミコ)、次に水歯別命(ミズハワケノミコト、第十八代反正天皇(はんぜいてんのう))、次に男浅津間若子宿禰命(オアサツマワクコノスクネノミコト、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう))の四神の御子がいました。そして、長子であるイザホワケノミコトが第十七代履中天皇と呼ばれます。

履中天皇には忍歯王(オシハノミコ、第二十一代雄略天皇によって殺される。その御子には、意祁命(オケノミコ、第二十四代仁賢天皇(にんけんてんのう)と、袁祁王(ヲケノミコ、第二十三代顕宗天皇(けんぞうてんのう)がいます)、次に御馬王(ミマノミコ)、次に妹の飯豊王(イイトヨノミコ、第二十二代清寧天皇崩御後の空位の時代を天皇に変わって統治した天皇に準じる中天皇(なかつすめらみこ))の三神の御子がおりました。



履中天皇が難波宮(なにわのみや)にいた頃、新嘗祭(宮中祭祀のひとつ、その年の収穫に感謝する、11/23)の後の豊明(とよのあかり、宮中での御酒宴)で履中天皇は大御酒(おおみき、神や天皇などに奉る酒)を召して、気持よく眠りにつきました。すると弟のスミエノナカツミコは、自分が皇位につきたいがため履中天皇を殺そうと御殿に火を放ちます。

そこで阿知直(アチノアタイ、帰化氏族)が履中天皇を連れ出して御馬に乗せて大和へ逃れました。履中天皇は多遅比野(たじひの、大阪市羽曳野市)着いたところで目覚めて、アチノアタイに事情を聞きます。そこで履中天皇は野宿するならカーテンくらい持ってきたのにとユーモアあふれる歌を詠んでいます。改めて難波宮の方を眺めると、なお火は燃え盛り空を赤く染めています。そんな情景と共に妻を心配して履中天皇は歌に詠んでいます。

履中天皇は大阪山の麓(河内と大和の境)まで来た時、一人の女人と出会います。そして彼女からこの先の道には武器を持った大勢の人たちが塞いでいるから、当岐麻道(たぎまち、奈良県葛城市當麻を経て竹内峠に至る竹内街道)から回って進むと良いでしょう、との助言を受けます。履中天皇はその様子も歌に詠んでいます。



履中天皇は当岐麻道を登り進み石上神宮(いそのかみのかみのみや、奈良県天理市石神神宮)に着くと、同じく弟のミズハワケノミコトが履中天皇に拝謁を求めてきます。しかし履中天皇はこの弟もスミエノナカツミコと同様に反逆を企てているのではないかと疑って会おうとしません。履中天皇は、もしミズハワケノミコトに反逆の心がないなら、証拠にスミエノナカツミコを打ち取りなさい。それならば会おうと伝令を出しました。

ミズハワケノミコトはそれに従い難波を下りスミエノナカツミコに仕えている曾婆訶理(ソバカリ)に「もし私の言葉に従うなら、私が天皇となりお前を大臣にして天下を治めよう」とそれに加えたくさんの品物まで与えて騙し、スミエノナカツミコを殺させようとします。ソバカリは主君を裏切りスミエノナカツミコが厠に入るのを密かにうかがい矛で刺して殺してしまいました。

ミズハワケノミコトはソバカリを率いて大和に上りますが大阪山の麓に着いた時、ソバカリの功績を讃えたものの、自分の主君を殺したことは忠義に反する、いつか自分も殺されるかもしれないとして、祝の豊明を催すふりをして、その最中に、やはりソバカリを殺してしまうのでした。



そしてミズハワケノミコトは次の日、履中天皇の待つ大和に上り進みます。ミズハワケノミコトは大和に着くと、一旦留まり御祓(水で身体を清める儀式)を行い明日にでも履中天皇のいる石上神宮に参上しようと備えました。

そしてミズハワケノミコトは石上神宮に参上し、取次のものを通じて履中天皇に約束の伝令を果たしたことを告げると召し入られて兄弟仲良く語り合うのでした。

アチノアタイは履中天皇を焼き討ちから救った功績が認められ蔵官(くらつかさ、物の出納を司る役)に任命されます。



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履中天皇は同母の弟に焼き討ちにされそうになるというショッキングな事件が語られます。仁徳天皇以降皇位の継承が御子へから兄弟へと変遷し、このような相続争いも描かれるようになるのです。

ちなみに、これまで一例だけ親子継承がなされなかった例があります。それは第十三代成務天皇から第十四代仲哀天皇の時で、叔父から甥への継承でした。

なお、この章ではアチノアタイなどの渡来人の系譜を持った人物が役につくなどのことが注目されます。



履中天皇が焼き討ちを逃れ逃げていく際に、予言をする女人が登場しますが、このタイプの女人、以前にも崇神天皇の章にも登場しました。([中の巻] 06 第十代 崇神天皇 「初国知らしし御真木天皇」を参照)

物語に於いて何かある一定の役割を演じているのですが気になります。現代小説などには、リアリズムの観点から登場させづらい人物ですが、この預言者と呼べるこのような人物は世界の物語にもよく登場します。



またソバカリに対しては、複雑な心境になりました。彼はミズハワケノミコトに陰謀を持ちかけられた時点で、もうすでに自分の命がないも同然でした。従わなければ殺されるし、従っても忠義の心がないとされ、結局殺されています。

この件でスミエノナカツミコは殺されますが殺された場所が厠です。このような場面は以前にも描かれました。ヤマトタケルノミコトが熊曾征伐をする時です([中の巻] 09 第十二代 景行天皇(1)倭建命(ヤマトタケルノミコト)の西征を参照)。厠は、剣を外して使うという習慣があることから、相手の隙を付く場所となるようです。





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18:41 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 03 第十六代 仁徳天皇(3)何はともあれ吉祥で結ばれるめでたい世
前節で仁徳天皇は、女性関係で、八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)のことがあったにもかかわらず、腹違いの弟の速総別王(ハヤブサワケノミコ)を仲人として、ヤタノワキイラツメの妹にあたる女鳥王(メドリノミコ)に求婚しました。

するとメドリノミコは、大后の石之日売命(イシノヒメノミコト)の気性を、姉との出来事において知っていたので、仁徳天皇との結婚はできないと思い。それならと仲人であるハヤブサワケノミコと結婚することにしました。



このようなわけで、ハヤブサワケノミコは、仁徳天皇に報告に戻りませんでした。そこで仁徳天皇は直接メドリノミコの所に会いにゆきます。

さて、メドリノミコは服を織っていました。仁徳天皇は、いったい誰の服を織っているのかと歌を詠みます。メドリノミコは正直にハヤブサワケノミコの服であると答えて歌を詠みました。仁徳天皇は、メドリノミコが誰を愛しているのかをさとって、宮に帰ってゆきました。



その後、メドリノミコのもとに、夫のハヤブサワケノミコがやってきて、妻のメドリノミコは次の歌を詠みます。


ひばりは空を飛び翔ける。
そのように空を飛び翔ける、
はやぶさの名を持ったハヤブサワケノミコよ。
鷦鷯(さざき、ミソサザイ)の名を持った、
大雀命(オオサザキノミコト、仁徳天皇)の命を取ってしまいなさい。


やがてこの歌のことが、仁徳天皇の耳に入ると、仁徳天皇は二人を殺そうと軍勢を集めました。ハヤブサワケノミコと、メドリノミコは、倉椅山(くらはしやま、奈良県桜井市)に逃げます。

ハヤブサワケノミコが、その困難と、それにもかかわらず、二人でいることの喜びを歌に詠んでいます。彼らは、この山を超えて宇陀の蘇邇(そに、奈良県宇陀郡曽爾村)まで逃げたのですが、そこで仁徳天皇の軍勢に追いつかれて殺されてしまいます。

仁徳天皇の軍の将軍であった山部大盾連(ヤマベノオオタテノムラジ)はメドリノミコが手に巻いていた玉釧(たまくしろ、玉で作った腕輪)を奪って自分の妻に与えています。



この後、豊楽(とよのあかり、宮中での御酒宴)が催された時、各氏族の女達が皆宮中に参内しました。この時 ヤマベノオオタテノムラジの妻は夫がメドリノミコを殺した時にその身から奪った玉釧を手に巻いて参列しています。

大后のイシノヒメノミコトは、自ら大御酒(おおみき、神や天皇などに奉る酒)を柏の葉にとってそれぞれの氏族の女達を賜いました。

ところが、かつてメドリノミコが、手に巻いていた玉釧を覚えていたイシノヒメノミコトは、それがヤマベノオオタテノムラジの妻の手にあるのをみとめて、彼女には御酒柏を賜わず退席させ、夫のヤマベノオオタテノムラジを呼び出しました。

そしてイシノヒメノミコトはヤマベノオオタテノムラジに「メドリノミコたちは不敬であったから殺されたのです。これは当然のことでした。それにしても、かつては自分の主君であった方の御手に巻いておられた玉釧をまだ肌に温もりがあるうちに剥ぎとって、すぐに妻に与えるとは」と言って直ちに彼を処刑しました。



またこの御代の二つの吉祥です。

ある時、仁徳天皇が、豊楽(とよのあかり)を催そうと日女島(ひめしま、大阪市西淀川区姫島のあたり)に行幸(ぎょうこう、天皇の外出)された時、その島で雁が卵を産みました。

そこで建内宿禰(タケシウチノスクネ、成務朝から仁徳朝まで長寿を保ち、歴朝の大臣を務めた伝説上の人物)を呼んで、歌で、お前こそはこの国の長寿ものだ。この国で雁が卵を産んだことがあるかと尋ねました。

タケシウチノスクネは歌を詠み返して、そんな話は聞いたことがありません。きっと天皇が末永く国を治めになる印でしょうと答えました。



また、菟寸河(とのきがわ、所在未詳)の西に一本高い木があって、その木の影は朝日に当たれば淡路島に届き、夕日に当たれば高安山(大阪府と奈良県の県境に位置する山)を超えました。

そこでこの木を切って船を作ると、とても早く進む船となりました。そこで、この船に、朝夕淡路島の清水を汲んで、大御水(おおみもい、天皇の飲料水)として献上しました。

やがてその船も朽ちて壊れたので、塩を焼くのに使いました。そして焼け残った木を使って琴を作りました。するとその琴の音は、七つの里に響き渡りました。そこで人はその琴の音を愛でて歌を残しています。



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歌物語で綴られるところが多いのですが、前節でも述べた通り、歌謡は人それぞれ解釈が異なることが予想されるので、いたって簡単な散文で置き換えています。歌の内容が知りたい方は、他をあたってください。

古事記、下の巻のお話は、かつての神々の物語に比べて、非常に人間的です。この節も、相変わらず女性を追いかけ回す仁徳天皇と、激情を振るう大后のイシノヒメノミコトの続話です。

しかし、この節の大后は彼女の正義感の強さも表していて、まさに大后にふさわしい行動を示しているとも言えるのではないでしょうか。

また、締めくくりに、仁徳天皇の御代に二つの吉祥が起きたことが語られますが、これは普段ありえないことが起きると、縁起が良いとする考えに基づくもので、仁徳天皇の御世が、最後のところで物騒なこともありましたが、めでたい世であったことを表しているのでしょう。



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18:22 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 02 第十六代仁徳天皇(2)影を潜める神話性、人間味あふれる物語
大后の石之日売命(イシノヒメノミコト)は仁徳天皇(にんとくてんのう)の女性関係によく嫉妬をしました。そのため仁徳天皇がそばに置こうとした妃たちは、宮中に入ることもできず、もし目立ったことなどすれば、イシノヒメノミコトは、じたんだをふんで、妬みの心を隠そうとしませんでした。



それでも、仁徳天皇は、吉備国(岡山県と広島県東部)の海部をを統率していた海部直(あまべのあたい)の娘、黒日売(クロヒメ)が、容姿麗しいと聞いて、召し上げて側で使うことにします。しかしクロヒメは、大后の妬みを恐れて、船で本国へ逃げ帰ってしまうのでした。

仁徳天皇は、それを嘆いて歌を詠むと、それを聞いたイシノヒメノミコトはひどく怒って、人を大浦(大阪湾)に遣わして、クロヒメを船から追い下ろしてしまう有様です。クロヒメは仕方なく、陸路を帰らねばなりませんでした。

そんなクロヒメを、哀れに思った仁徳天皇は、大后であるイシノヒメノミコトを騙して、淡路島に向かうといい、淡路島から島伝いに吉備国に入り、クロヒメを追います。

そんな仁徳天皇をクロヒメは山畑に案内して大御食(おおみけ、天皇に献上する食事)を献ります。そして歌など詠み合い、心を通わせるのでした。



また、その後、大后であるイシノヒメノミコトが、豊楽(とよのあかり、宮中での御酒宴)を催そうとして、御綱柏(みつながしわ、酒を盛るための柏の葉)を得るため、木の国(紀伊国、和歌山県)に船で出掛けている間に、仁徳天皇は、こっそり、八田若郎女(ヤタノワキイラツメ、第十五代、応神天皇の皇女)と結婚します。

ところで、そんなことなど知らないイシノヒメノミコトは、御綱柏を船に載せた帰り道、「仁徳天皇はヤタノワキイラツメと結婚して、昼に夜になく遊んでいらっしゃる。大后はそれを知らないから静かに出掛けていらっしゃるのだろう」との人夫の話を聞きつけます。

イシノヒメノミコトは、大いに恨み、怒って、船に乗せていた御綱柏をことごとく海に投げ捨ててしまいます。そして宮には入らず、宮を避けるように堀江(旧淀川)を遡り、川に沿って山城(山城国、京都府南部)へ向かいました。



しかし大后としてとるべき振る舞いを歌にして詠み、心を落ち着けてから、改めて宮に向かおうとしますが、それでもしばらくは筒木(つつき、京都府京田辺市)の韓人(からびと、百済からの渡来人)奴理能美(ヌリノミ)の家にとどまり、帰る決心をしかねていました。

そんなイシノヒメノミコトの様子を知った仁徳天皇は筒木に人を使わして歌を贈って、大后であるイシノヒメノミコトをなだめようとします。

遣わした人の中には口子臣(クチコオミ)という人物がいましたが、大后に会ってもらえず難儀していたところ、ちょうどその時に、大后に仕えていた妹の口日売(クチヒメ)が、兄の姿を哀れに思って歌を詠みました。

とおに宮に帰る時期を逸してしまっていたイシノヒメノミコトが、その歌を聞いて、自らに転機が訪れるのを知ります。



クチコオミは家に入れてもらい、彼と妹のクチヒメ、そして家主のヌリノミの三人の相談が始まります。

そして仁徳天皇に次のことを伝えます。「大后がヌリノミの屋敷にお出かけになったのはヌリノミが飼っている虫が、一度は這う虫になり、一度は鼓(繭)になり、一度は飛ぶ虫になる三種類に変化する虫(蚕)なのですが、この虫をご覧になるためだったのです。他に意図はございません」と。

仁徳天皇はそれを聞いて私も見に行きたいと言い出し、ヌリノミの屋敷を訪れます。そして蚕を見て、自分の心を蚕になぞらえて、また歌を詠みます。これによって仁徳天皇と大后であるイシノヒメノミコトは仲直りをしました。

これによりヤタノワキイラツメとの結婚は解消してしまいますが、仁徳天皇は彼女への思いが捨てきれず、彼女を気遣い、ここでまた歌を詠んでいます。それに対してヤタノワキイラツメも殊勝な歌を詠み返しました。



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古事記、下の巻では、多く歌物語を差し挟んで綴られるのが特色です。しかし歌謡は人それぞれ解釈が異なることが予想されるので、いたって簡単な散文で置き換えました。歌の内容が知りたい方は他をあたってください。



仁徳天皇がクロヒメを追って淡路島で詠んだ歌には、オノゴロ島([上の巻] 02 国生みを参照)がでてきます。詳細な場所は不明ですが、この淡路島あたりということでしょうか。

仁徳天皇が青葉を摘むクロヒメに近づき、歌を詠む情景などは、ことの良し悪しとは別に、嫉妬に狂うイシノヒメノミコトとは対象の、のどかで平和な気分を感じてしまいました。下の巻では、こうした人間性が多く描かれ、神話性は影を潜めます。



ヤタノワキイラツメと仁徳天皇の恋物語は最終的に、二人の結婚の解消で幕を閉じています。

大后のイシノヒメノミコトがヌリノミの屋敷に行ったのは、大后がヤタノワキイラツメへの嫉妬のためではなく、めずらしい蚕という虫を見るためであると、話のつじつま合わせて、ことの成り行きを終息に向かわせています。

これで大后の面目は保たれ、同じく英雄としての仁徳天皇の体面も損なうことを防いでいるのでしょう。





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18:27 : 『古事記』 [下の巻] : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『古事記』 [下の巻] 01 第十六代 仁徳天皇(1)聖帝の世、日本の民主制形態の原型
すでに述べた通り、大雀命(オオサザキノミコト)が第十六代仁徳天皇になります。([中の巻] 16 第十五代 応神天皇(2)天皇崩御後の三皇太子を参照)この節では、仁徳天皇の系譜と主な事績について語られます。



仁徳天皇は建内宿禰(タケシウチノスクネ、成務朝から仁徳朝まで長寿を保ち、歴朝の大臣を務めた伝説上の人物)の子である葛城之曾都毘古(カツラギノソツビコ)の娘、石之日売命(イシノヒメノミコト)を大后としました。

そして、その間に生んだ、後の世に重要と思われる御子には、伊邪本和気命(イザホワケノミコト、第十七代履中天皇(りちゅうてんのう))蝮之水歯別命(アジヒノミズハワケノミコト、第十八代反正天皇(はんぜいてんのう))、男浅津間若子宿禰命(オアサツマワクゴノスクネノミコト、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう))が挙げられます。

また髪長比売(カミナガヒメ)を最初に后としたことは([中の巻] 15 第十五代 応神天皇(1)平和な御世を参照)先に述べた通りです。そしてカミナガヒメとの間に二神の御子を儲けています。

あとは第十五代応神天皇(おうじんてんのう)の娘の二神、つまり腹違いの兄弟を后にしています。これらの后との間には御子がありませんでした。



さて仁徳天皇は高い山に登り四方の国土を眺めると、国中がひっそりとして、どこにも炊煙が上がらないのを見ると「炊煙が立ち昇っていないのは、国に住む人たちが、皆、貧しくて、食べ物にもことかいているからだろう。今から三年の間、人民から貢物を取り立てたり、使役に人民を使ったりするのはやめよう。」と考え、おふれを出しました。

そのため宮殿は破れ壊れ、ことごとく雨漏りするようになってしまいましたが、全く修理することはなく、器でその漏れる雨を受け、漏れないところに移って雨を避けていました。

その後、仁徳天皇は国中を眺めてみると国土は炊煙で満ちていました。そこで人民は豊かになったと安心し、ようやく貢物や使役を再開させます。

こういうわけで人民は栄えます。そのため人民は、その御世をたたえて聖帝(ひじりのみかど)の世と讃えました。



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この節の後ろの段は、仁徳天皇にまつわる有名な説話です。儒教思想の聖天子を描こうとしたことは明白で、人民は君主の所有物などではなく、人民を主体とした政治が描かれます。

こういった文化的土壌が、悠久の時間を遡ってきた日本にはあり、それらが語り継がれてきた事は幸いだと思います。

仁徳天皇には即位前にも、弟のウジノワキイラツコとの皇位の譲り合いの説話もあり([中の巻] 16 第十五代 応神天皇(2)天皇崩御後の三皇太子を参照)、これと合わせてみても、儒者としての側面を多く持った天皇と言えます。





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