子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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読書雑記-『古事記』への関心
わたしの読書傾向は、欧米の準古典の翻訳ものが中心です。読書時間が限られているので、多くが追えず、つい上辺の好みでそうなってしまっているのです。

しかし、一方で、わたしの興味は、自然な自国への関心から、西洋化される以前の日本の物語、いわゆる日本の古典へと向いています。そして、とりわけ我が国最古の書である古事記に関心があります。



そこで今回、その『古事記』を、一から少しずつ読みたいという気持ちになりました。原文では読めないので、もちろん現代語訳です。そして記事には、簡単な、要約と、できれば少し注釈を添えたいと思います。

なお、参考書には、主に、青空文庫の『現代語訳 古事記』武田祐吉訳、学研の『現代語 古事記』竹田恒泰、講談社学術文庫の『古事記 全訳注』次田真幸を使いたいと思っています。

古事記の書かれた当時、日本は中国の影響を強く受けていました。そして、この書は、その後の日本の宗教文化・精神文化に、多大な影響を与えています。

はじめての読解なので、たとえ簡略な理解にしか及ばないにしろ、その物語の豊かさは、わたしの興味を満たしてくれることが期待できます。



一方、古事記を、日本が半世紀ほどまえに、軍事国家に陥った元凶とする考えもありました。しかし、それは、歪めて利用されただけであって、現在では、皮相なとらえられ方だったという反省がなされています。

過去にいっとき我々に、有害図書のように扱われていた古事記ですが、自国のルーツに関わることを重視しない民族などありません。歴史学者のアーノルド・J・トインビーは「十二、十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」という言葉さえ遺しています。

そんなわけで現在では色々な角度から捉え直しがなされています。個人的にも、今一度原点に立ち戻る必要性を感じています。



物語一般を力のあるものとして成立させているのは、文化的な土台の存在です。古事記は、その一翼を担ってきました。しかし、先に述べた通り、我々日本人は、戦後、敗戦という形で、その自国の文化的土台をいっとき強制的に切り離されてしまいました。

そして、それだけに終わらず、それ以降も、我々は、その文化的土台をを、惰性で失い続けているのではないかという危惧をいだいています。それを今一度取り戻したいと思ったのが今回の主たる読書の動機です。



また、話は変わりますが、わたしの好きなトールキンは、自国の最古の伝承の一つ『ベーオウルフ』の研究者でした。そのトールキンの真似をしたいというおこがましい考えが、今回の読書の動機のひとつになっています。

動機はどうあれ、関心を持たれる方がおられれば、一緒に読んでみませんか。





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