子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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宮沢賢治童話全集 11 銀河鉄道の夜 リンク
グスコーブドリの伝記』 宮沢賢治童話全集 11 より - 願望の物語、賢治の目指した理想自我
雁の童子』 宮沢賢治童話全集 11 より - 西域異聞三部作の代表作
銀河鉄道の夜』 宮沢賢治童話全集 11 より - 賢治童話の集大成





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『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治童話全集 11 より - 賢治童話の集大成
一、午後の授業

教室で先生は、星図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指して、みんなに問をかけました。カムパネルラが手をあげます。ジョバンニも手をあげようとしますが急いでやめました。

この頃ジョバンニは、教室でも眠く、どんなこともわからないという気持ちがするのでした。それを察した先生は、ジョバンニに、質問に答えさせようとしますが、彼は答えることができませんでした。ザネリが笑います。

しかしジョバンニは、確かに答えを知っていました。カムパネルラのお父さんの博士の家で雑誌を見たことがあったのです。

先生は仕方なく、手を上げたカムパネルラを当てますが、彼もどういうわけか答えませんでした。

きっと、カムパネルラは、ジョバンニが朝にも午後にも、新聞配達や活版所の活字拾いの仕事でつらく、そのために同級生とも積極的に遊ばず、むかしは父親同士が友達で家を訪れたこともあるカムパネルラとも、最近、口を利かなくなっていたのに同情したのでしょう。



二、活版所

学校が終わるとジョバンニは活版所に働きに出かけました。ジョバンニは大人たちに虫めがね君と呼ばれ、冷たく笑われます。

ジョバンニは活字を拾い始め、それが済むと小さな銀貨をもらい、帰りにパンひと塊と、角砂糖ひと袋を買って、ある裏町の小さな家に帰りました。



三、家

ジョバンニは、家に帰ると、病気の母のところに行き、容体を確かめます。母は母で息子の仕事をねぎらいました。お互いを励まし合います。

母親とは、漁に出た父親が、まもなく帰ってくるという話になりました。父親には、監獄に入っているとの噂もありました。その父親は、ジョバンニに、この次は、らっこの上着を持ってくると言っていました。

この、らっこの上着の話について知っている同級生は、よくジョバンニを冷やかしました。しかしジョバンニは、カムパネルラはそんなことはしない、と母親に言います。

やがてジョバンニは、カムパネルラも来ているであろう今夜の星祭り、ケンタウル祭に、出かけて行きました。



四、ケンタウル祭の夜

途中、時計屋に飾られた星図盤や天体望遠鏡に見入り、しばらくいろいろなことを空想しながらぼんやり立っていました。

それから、きょう家に届かなかった牛乳のことを思い出して、牛乳屋へ取りに行きました。しかし店では、今、家のものがいないから、明日にでも来てくれと、まるで取り合ってくれません。母親が病気で、きょう必要だと言っても無駄でした。

ケンタウル祭の会場に着くと、同級生に混じってカムパネルラも来ていました。ザネリはジョバンニをらっこの上着のことでからかいました。

カムパネルラは気の毒そうに黙って、ジョバンニを見ていました。ジョバンニはなんとも言えず寂しくなって黒い丘の方へ急ぎました。



五、天気輪の柱

牧場の後ろは、ゆるい丘になっていました。そこには天気輪(賢治の造語?)の柱がありジョバンニは、その柱の下に体を投げ出し、夜空を見、天の川のことを考えます。

そこは、昼間、学校の先生が言った、がらんとした真空の、冷たい場所とは、ジョバンニにはどうしても思われませんでした。



六、銀河ステーション

天気輪の柱が、いつしかぼんやり三角標になっています。ジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道に乗っていました。そして、すぐ前の席には、カムパネルラもいます。

カムパネルラは、級友たちは、みな帰ったと言いました。ジョバンニは、銀河鉄道の動力を不思議に思い、汽車が走る天の川の、不思議で美しい世界に魅了されます。



七、北十字とプリオシン海岸

「おっかさんはぼくを許してくださるだろうか」とカムパネルラがいいました。そして「誰だって本当にいいことをしたら、いちばんしあわせなんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」ともいいました。

するとにわかに汽車の中が白く明るくなりました。そして行く手に白い十字架が立っているのです。車室の中の旅人たちはみな祈リました。

やがて、白鳥停車場に着くと、停車時間にふたりは、汽車から降りてプリオシン海岸へ行き、くるみの化石を拾い、獣の化石採取現場を参観します。



八、鳥をとる人

二人は車室の席に戻って、窓の外を眺めていると、突然、ここにかけていいかと、大人の声が、ふたりの後ろでします。

その男は鷺や雁を捕って、食べ物にすることを生業とする、人の良さそうな鳥捕りでした。ふたりは彼のその仕事ぶりや、不思議な行動に唖然とします。



九、ジョバンニの切符

車掌が切符を調べに来た時、ジョバンニはポケットの中にいつの間にかあった紙を出すと、それはなんと、天上へさえ行ける、ましてや汽車の走る幻想第四次銀河なら、どこへでも行ける切符でした。鳥捕りは、あなた方は大したものだと褒め始めます。

ジョバンニは、なんだか、いちいち落ち着きのない鳥とりが、気の毒でたまらなくなり、この人がほんとうにしあわせになるなら、自分が、あの光る天の川の河原に立って、百年つづけて鳥をとってやってもいいと考えます。

そして、黙っていられなくなって、鳥とりに、本当にあなたの欲しいものは一体なんですか、と聞こうとしますが、もうそこに、鳥とりの姿はありませんでした。



入れ替わりに小さな姉弟を連れた青年が汽車に乗ってきます。どうやら乗船が難破して、ここへ来たようです。青年は我々が神様に召されているのだといいました。

そしてジョバンニは、彼らを思って、その人たちの幸いのために、いったいどうしたらいいのだろうと考えました。

すると灯台守が、「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」、とジョバンニを慰めました。



ジョバンニは、カムパネルラが姉弟の姉の方と話しているのを見て激しく嫉妬します。やがて「新世界交響曲」が流れてきます。ジョバンニは、こんな静かないいところで、ぼくはどうして愉快になれないんだろうと思いました。

けれどもカムパネルラはあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、あんな女の子と話しているのだから。ジョバンニは、どこまでも僕といっしょに行く人はいないのだろうかとつらく思いました。



汽車は、コロラド高原らしきところ、双子の星を通過して、蠍の火の場面では蠍の悲しい物語が語られます。それは生き物の悲しみを思う蠍が神様によって昇天したという物語りです。

さらに汽車は、ケンタウルの村を通過してサザンクロス(南十字星)へ着くと小さな姉弟を連れた青年たちは下車していきました。神様にそう言われていたのです。別れ際あの北十字の時のように十字架が立って皆はお祈りをはじめました。

やがて汽車は動き出し、石炭袋(南十字星の近くの、天の川の光を遮る暗黒星雲)が見えてくると、カムパネルラは、あそこが本当の天上なんだと言って姿を消しました。



ジョバンニは目を覚ましました。牛乳屋に寄って母親が飲む牛乳をもらったあと、橋のところに人だかりができているのを見て尋ねると、なんとカムパネルラが川に落ちたザネリを助け、自らは行方不明となってしまったというではないですか。

カムパネルラの父は、悲しみを抑えながらジョバンニの父親の健在を知らせ。じき帰ってくることを告げます。ジョバンニは、もういろいろなことで頭が一杯で博士であるカンパネルラの父親にはなにも言えませんでした。

ジョバンニは牛乳を持って、父親が帰ることを母親に知らせようと一目散に走った、と物語は結ばれます。



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決定稿がなく、賢治が死の直前まで手を加えた未完の作品ですが、賢治の代表作であり最高作とする見方が少なくありません。

決定稿がなく、未完と述べましたが、本作品のテキストが不十分だったため、初期稿と最終稿の決定に困難を極めています。よって市場に出回る作品もバリエーションがあり。わたしが読んだものは、比較的省略が多い版であることを付け加えておきます。

線の引き方次第で、賢治のいろいろ作品との関連付けが可能で、例えば、童話では『ふた子の星』、『よだかの星』、『ひかりの素足』、『インドラの網』などがあげられます。

制作の契機は、妹トシとの死別を考える方が殆どですが、保坂嘉内との友情の決別を考えている方もいます。



読解の仕方は、大きく分けてふたつあり、ひとつは、ジョバンニの心情に重点を置く方向と、もうひとつは、銀河世界の構想に重点を置く方向とがあります。両方の比重のかけ方で、作品のテーマはニュアンスを変えます。



ジョバンニの心情に重点を置く読解では、孤独なジョバンニの魂が、銀河鉄道でのカムパネルラの言葉(「誰だって本当にいいことをしたら、いちばんしあわせなんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」(カンパネルラが友達を助けて死んだことが予言されます))に触発されて動き出します。

そして、灯台守に助言(「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから」)を受けたりして、「本当の幸福」を問い続けるその姿勢へ導かれるところに、その眼目があります。

そう、この読解では、これまでの賢治の童話の根幹を支える、一貫したテーマを読み取ることが可能です。賢治は、「本当の幸福」を問い続けたのだと思います。



銀河世界の構想に重点を置く読解では、時空の束縛から、開放された世界を描き出すこと、そう、ファンタジーによって、人にとって切実な、ある種の苦痛の克服を概念化することに、その眼目があるのでしょう。

避けようもない、ある種の苦痛や死を、ファンタジーは、ある方法で逃れることを可能にしてきたとトールキンは述べています。賢治の文学もそこを目指しているように思われます。

さらにトールキンは述べています。ファンタジーという表現形式は人間の叡智を総動員して考えを尽くさねば成立は困難であり、それを実行する者は少ないのです。しかし完成の域に達することができたなら、何ににも代えがたい物語芸術になると。

この言葉の通り、この物語は未完となってしまいました。しかし未完とはいえ、このファンタジー世界、見事に成功しているように思われます。単なる夢として終わらせず、ジョバンニの心に生成して定着したように思われます。そして同じように読者の心にも。



わたしは、この両方の読解を不可分のものとしてとらえました。前者の読解に偏るのが自然ですが、少々軟弱なセンチメンタルにおちいりがちです。

前者の読解が、生きる上での動機づけを提供するものと考えるなら、そこに同時発生的に生じる、ある種の苦痛の克服を、後者の読解が概念化することによって、前者の動機づけを、絵空事ではなく、実際に心に強く定着させる、すぐれた装置になっているのです。

すぐれたファンタジーはセンチメンタルではあっても軟弱さとは無縁です。賢治のファンタジーはどれもこうです。

それにしても、読みこむほど難解な物語です。とりあえず現時点ではこれまでとします。





生前未発表
原稿執筆は大きく四段階に分けられ、第一次と第二次稿は一部残るのみで、第三次稿はおそらく大正末年に成立し初期稿とされます。二箇所欠落あり
第四次稿は昭和6年頃の執筆で、一箇所欠落あり
グスコーブドリの伝記』同様、「少年小説」、「長編」のメモあり





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『雁の童子』 宮沢賢治童話全集 11 より - 西域異聞三部作の代表作
一人旅のわたしは、流砂(るさ、タクラマカン砂漠)の南の泉で昼の食事をしていると、ひとりの巡礼のおじいさんが、やっぱり食事のためにそこへやって来ました。わたしは黙って軽く会釈をしました。

わたしは食事が済んでも、孤独な旅を思うと、にわかに老人との別れを惜しみ、ふと泉のほとりに祠があるのを見つけ、それを老人に尋ねます。

すると、老人は、それは雁の童子を祀ったものと言うので、引き続きわたしは、その童子の話を聞きました。

巡礼の老人は語ります。それは昔話のような話だと言います。



沙車(さしゃ)に須利耶圭(すりやけい)という人がいました。名門でしたが今は落ちぶれて、自分は写経をし、奥さんは機を織り、二人で静かに暮らしていました。

ある明け方、須利耶さまが従弟と野原を歩きながら、どんなものでも命は悲しいものだ、なぐさみの殺生などやめたらどうかと言うと、従弟は、そんなことはむかしの坊主のいうことで、まるで下らないと取り付く島もありません。

そして従弟は、そう言っている矢先から、空に銃を向け、雁の群れを先頭から順々に六羽を撃ち落としました。すると雁は、燃え叫びながら、五人の空飛ぶ人と、ひとりの天の子どもとなって落ちてきます。須利耶さまはたしかにその子どもに見覚えがありました。

初めに落ちてきたのは白いひげの老人で、彼の話によると、我々は天の眷属(けんぞく)で、罪あって今まで雁の姿でおりましたが、今、弾丸に傷ついて報いを果たしたので、天に帰ることができるとのことでした。

さらに、老人は、自分の孫である天の子を指して、これはあなたに縁のある者で、まだ帰ることができないから、どうか子にして育ててくれと言いました。須利耶はそれを了解すると、五人は燃え尽きて共に消えてしまいます。



この話は、沙車全体に広まり、皆は天の子どもを雁の童子と呼びました。そして、雁の童子の、生き物の悲しみを我が悲しみとして負う日々が続きます(並列した4エピソード)。



須利耶さまは童子を十二歳の時首都のとある外道の(仏教以外の)塾に入れました。母親は機を織って塾料や小遣いをこしらえて送りました。しかし童子はにわかに帰ってきてしまいます。そして、自分はもう勉強している暇はない、お母さんといっしょに働くと言いました。

しかし母親は、お前は勉強してりっぱになって、みんなのためにならなくてはならない。そればかりがわたしの楽しみだ、お父さんに叱られるよと言いました。



そして厳しい冬が過ぎると、沙車の町外れの砂の中から、三童子の壁画が掘り出されます。須利耶さまは童子をを連れてそこを訪れます。

すると童子は、壁画の前で須利耶さまに倒れかかって、お祖父さんが迎えをよこしたのですと言って、現世の養父である須利耶を、前世の実父であることを告白し、この壁画は前世の須利耶が描いたものであり、その他諸々、前世での出来事が語られます。そして童子は天に召されました。



わたしの知っているのはただこれだけです。と巡礼の老人は語り終えました。

そしてわたしは老人に、我々の出会いも、通りがかりのかりそめのものではない、仏の導きだと言って、別れを告げました。老人は黙って礼を返しました。わたしは合掌したまま進みました、と物語は結ばれます。



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物語は、わたしが旅で偶然出会った、巡礼の老人の知っている、昔話のような言い伝えを聞く、という形式で進むため、意図的であろうと思いますが、その言い伝えの所々は省かれて語られます。よってお話には読者が埋めるべきものがあります。

ひとつは、物語中盤、四つの並列したエピソードが語られますが、わたしは、雁の童子が、生き物の悲しみを我が悲しみとして負う日々を描いたものとして理解しました。

もうひとつは、物語終盤、童子の告白が成されますが、この内容は、どうにもはっきりとは分かりませんでした。きっと、仏教を行う方には、自明のことなのだろうなと感じています。



賢治の草稿の表紙に「西域異聞三部作中に属しむべきか」との記入があり、西域異聞三部作(共に西域を舞台とする)は本作を含んで三とするのか、三に本作品を加えて四とするのか不明です。

前者なら「インドラの網」「マグノリアの木」と本作なのでしょうけれど、後者なら残るひとつは「北守将軍と三人兄弟の医者」か、「四又の百合」であろうと思われます。

西域ものの中では本作が最も完成度が高いとの定評です。天の眷属が、仮に地上に降り、再び天に登るという、羽衣伝説的な構成に、仏教的な三世因果思想を見事に形象化しています。

西域とは、賢治が知りうる限りの、主に仏教の知識と情報とをもってイメージされた、創作世界です。まるで、西域の伝承のような物語ですが、全て賢治のフィクションであり、賢治が資料としたものからの距離を考えると、その空想力の豊かさははかりしれません。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃



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『グスコーブドリの伝記』 宮沢賢治童話全集 11 より - 願望の物語、賢治の目指した理想自我
一、森

ブドリとネリの兄妹は、名高い木こりのナドリの子として、森の中の家で成長します。

ブドリが十歳、ネリが七歳の夏と、その翌年の夏、続けて冷害になり、稲が実らず、飢饉となります。父と母は子供らに食料を残して家を出ました。

それから二十日も過ぎた頃、飢饉を救いに来たという男が現れて、町でパンを食べさせてやるからと、ネリだけを連れて森を去りました。ブドリもあと追いますが、疲れて倒れてしまいます。



二、てぐす工場

ブドリが目を開けると、てぐす(てぐす糸をとるための大型の蛾)工場を立てに来た男がいて、ブドリは、彼に、皆とともにてぐすの網をかける仕事をさせられます。ブドリの家はいつしか赤いドカンの煙突の付いた「イーハトーブてぐす工場」になってしまいます。

やがて、てぐすはまゆを作り、ブドリたちは叱り飛ばされて、まゆを集めさせられます。それが済むとブドリは来春までの食料と共に、秋冬は森で留守番をさせられました。

ブドリは翌年も同じ仕事に従事しますが、火山が爆発し工場は閉鎖となります。



三、沼ばたけ

ブドリは灰の被った森を出ると、平野に出かけ、そこで出会った、大百姓の赤ひげの男に使ってもらうことになりました。

山師を決め込む、赤ひげの男は、無茶な計画を実行するべく、ブドリが毎日くたくたになるまで、沼ばたけをかき回させました。そして稲の苗を植えます。しかし稲は男の思い通りにはならず、病気にかかってしまいました。

次の春になると赤ひげの男は、自分を山師と笑う輩を、あっと言わせるような米を作るべく、ブドリに死んだ息子の読んだ本を勉強するよう言いました。

ブドリは、クーボー博士という人の本を、面白く何度も読みました。するとその年は、勉強の介あって、ブドリは米の病気を食い止めます。おかげで、米の収穫はうまく行きました。

しかし幸運は長く続かないもので、次の年はまた不作でした。赤ひげの男の沼ばたけは、ブドリが共に働いた足掛け六年で、多くを売らざる得なかったために、三分の一になってしまいました。

赤ひげの男は、俺の所で働き盛りを潰してしまっては申し訳ないと、ブドリに暇を出しました。



四、クーボー大博士

ブドリはイーハトーブ市行きの汽車に乗り、あの親切な本を書いたクーボー博士に会い、できることなら働きながら勉強して、みんなのためになりたいと思ったりしていると、汽車の速度がまどろっこしく感じられるのでした。

イーハトーブ市に着くとブドリは、クーボー博士の学校をあちこち尋ね、やっと学校を探し当てたのはもう夕方でした。そしてクーボー博士の講義を聞き試験に合格して就職先を世話されます。



五、イーハトーブ火山局

ブドリが、クーボー博士の紹介先につくと、ペンネン老技師に迎えられて、ここでの仕事は、大変責任のあるもので、いつ噴火するかわからない火山の観測を、日常とすることを告げられます。

ブドリは、次の日から仕事を教わり、やがて二年が経ち、今ではすっかりイーハトーブ中の火山の動きを把握していました。そしてサンムトリ火山が噴火の予兆を示したので、二人はサンムトリ市に向かいます。



六、サンムトリ火山

サンムトリ火山の噴火から市を守るため、老技師とブドリたちは、火山に手を加える工事を行います。しかし装置設置には三日間、サンムトリ市の発電所から電線を引いてくるのに五日間かかるでしょう。

クーボー博士も、飛行船で見舞いに来ます。クーボー博士は、もうどうしても来年には潮汐発電所を作ってしまわねばならないと決意します。そうすれば今度のような事態にも、その日のうちに対処することができ、それに、ブドリ君の言う沼ばたけに肥料を降らせることもできるといいました。

工事は成功し、やがて火山は噴火します。彼らの思惑通り、火山を海の方に噴火させることができました。市への被害は、灰を少し降らせるだけで済むでしょう。



七、雲の海

あれから四年後、クーボー博士の計画通り、潮汐発電所ができ、肥料を雨と共に降らせることができるようになります。

火山局はその年の春、肥料は降らせるから計算して少なめに入れるよう、また、雨も少し降らせるから、雨が来なくて作付けしてこなかった畑にも、安心して苗を植えるよう指示したポスターを、村や町に貼りました。

ブドリは忘我して、仕事の意義をかみしめていました。



八、秋

その年の収穫はたいへん良く、ブドリはあちこちから感謝をされて、これまでにない生きがいを感じました。

しかし、仕事でとある火山を訪ね、そこの小さな村に立ち寄ると、村人は火山局のせいで稲が倒れたといいます。そして暴行されました。ブドリは入院します。

どうやらこの事件、あの村の農業技師が、肥料の量を間違えたために、その非を火山局のせいにしたようです。

それはともかく、入院していたブドリを、連絡が絶えていた妹のネリが訪ねてきます。彼女は幼少時、兄と別れてからの半生を語りました。そして今は拾われた家の長男と結婚をしたといいます。



九、カルボナード島

それから五年、ブドリは幸せな時を過ごしました。恩師である赤ひげの男を何べんもお礼に訪ねました。そして、妹のネリには子どもができたようです。

また、てぐす飼いの男にブドリと一緒に雇われていた男が、ブドリの父と母が、家を出てから行き倒れて眠った場所を教えてくれたので、そこに改めて墓をこしらえて、その辺りを通るたびに父母を参りました。

そして、ブドリが二十七歳の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候が再びやってくるようなのです。

ブドリはカルボナード火山島を噴火させて炭酸ガスを吹き出させ冷害を防ぐことを考え、クーボー博士やペンネン老技師に相談します。

しかし、それを行った場合、ひとりは逃げられないだろうと告げられます。ブドリはその役を自ら引き受けます。冷害は回避されます。その秋の作柄はほぼ平年並みでした。

そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を温かい食べ物と、明るいたきぎで楽しく暮らすことができたのでした、と物語は結ばれます。



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作風は『銀河鉄道の夜』と対照的です。『銀河鉄道の夜』は、寂しい孤独な魂の持ち主、ジョバンニの物語です。それに比べ、本作品は、積極的な活動力に満ち、どんな逆境にもめげず、よく働き、勉強し、生きる意義を確かめ、人々のために尽くすブドリの物語です。強い生き方です。

また、本作品の初期形である『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』との比較は質的に大きな差があり、さらに成立過程で経由してきた『グスコンブドリの伝記』との比較も、本作品のほうが、ブドリの心情が、よく吐露されているように思われます。



さて、タイトル通り、ブドリの伝記です。ブドリが幼少から仕事をしながら勉強をして、その命の尽きるまでの過程が描かれていきます。

そして火山局での仕事で、ひとつのピークを迎えます。第七章で、仕事の意義をかみしめて忘我するのです。

これまでも賢治の物語では、理想的な労働観をテーマとした物語がいくつかありました。『カイロ団長』や、『ポラーノの広場』をあげておきましょう。

しかし、そこでは、抽象的なユートピアが描き出されるに過ぎませんでした。具体的な記述が欠落しているように思うのです。

その欠落している部分を、本作品は、おぼろげながら語っています。そう、労働に対する具体的な心情が吐露されていくのです。



そして結末ですが、ブドリは自ら志願して危険な仕事に望みました。結果、ブドリの死がほのめかされます。いや本当に死んでしまいました。

いっけん、ブドリの自己犠牲による死の悲劇性に注目しがちですが、しかし、科学の限界を説明するような記述はなく、ブドリが仕事を決意した時点では、彼の死に必然性はありません。

また、ブドリの労働観や、物語の結ばれ方を見ればわかる通り、そもそもブドリは、表面上はともかく、根本に於いて、自と他を分けていたかも疑問です。ことに第七章での忘我が象徴的です。

この物語は、ある意味、自他一如に示されるような、仏教者賢治の、ひとつの到達点を、描こうとしているのではないでしょうか。

だとすると、一概に、他者のための自己犠牲という言葉だけでくくることはできず、さらには、悲劇とも言い切れないのです。

現代的なとらえ方をするなら、例えば、忘我する自我とは、ある意味、言葉からして自己矛盾しているように思われますが、そこには、個と個の二重のとらえ合いがあり、賢治の思想の先見性を見てもいいと思います。



物語の結びは、一であるものを、たくさんのと表現していますが、このイメージ、一がすでに多であるような生き方を暗示していているようで、忘我とも関わり、賢治の示す幸せなあり方のメタファーのように感じられます。



またこの物語、ブドリと賢治を入れ替えて、賢治ならそうしたであろうという、賢治の願望の表出の物語と見ることもできるでしょう。

そう、この物語、願望や問題提起にウェイトがあり、その点、子供向けの媒体、例えば児童文学や、ファンタジーと共通します。よって、結論を求めるような読解では、読み誤るかもしれません。

願望と理想、ここでははぼ同一のものとします。するとこの物語、羅須地人協会での挫折を踏まえた、賢治が思う、理想的な自我像が描写されていくように思えるのです。その意味では『ポラーノの広場』に通ずるところがあります。





本作品の成立過程は、まず『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』があり、昭和6年頃成立した『グスコンブドリの伝記』を経由し、それを改稿して「児童文学」第二冊(昭和7年3月)に発表されます
賢治のメモでは分類上「少年小説」「長編」のひとつとされます





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