なめとこ山は、大きな山でした。そして一年の大半が霧や雲に包まれています。淵沢川はなめとこ山から流れ、中山街道を行くとなめとこ山の大空滝があります。
昔はその辺りにたくさんの熊がいたそうです。鉛の湯の入り口には、腹痛にも、傷にも効く、なめとこ山の熊の胆という昔からの看板もかかっています。
熊取りの名人、淵沢小十郎は、すがめの赤黒いごりごりとしたおやじで、大きな鉄砲を持ち、たくましい黄色の犬を連れて、なめとこ山やその周辺を、自分の座敷のように歩いていました。
小十郎は四十歳の夏、息子と妻を赤痢でなくし、現在は九十歳になる母親と孫たち五人で暮らしていました。
ところで、熊は小十郎を好いていましたが、さすがに銃を構えて撃たれるのはかないません。また熊もいろいろだから、小十郎に向かっていくものもおります。しかし小十郎は落ち着いてそれらの熊を撃ち殺しました。
小十郎も熊を憎くて殺すんじゃない、畑は無し、木は政府のもの、里で働きたくとも誰も相手にしてはくれない、仕方なしに生活のために猟師をしているのでした。
熊に生まれたのも因果なら、猟師の自分の存在も因果と、殺した熊を前にしてそう嘆くのでした。
小十郎は、熊の言葉さえわかるような気がしています。ある年の春、ばっかぃ沢近くの小屋のところで、月光を浴びながら、ひきざくらを見る熊の親子を見つけ胸を打たれ、何もせずに引き返したこともありました。
そんな小十郎が、街に熊の毛皮と胆を売りに行く時の惨めさと言ったらありません。町の荒物屋の主人は熊の毛皮を二枚二円で買い叩きにんまりとします。
荒物屋の主人のようなずるい奴は世の中が進歩すればひとりでに消えていくと、僕なる話者が登場して、荒物屋に、いいように扱われる小十郎を書かなければならなかったことが、しゃくにさわるとぼやいています。
ある年の夏、殺そうと思った熊と問答になります。熊は何が欲しくて俺を殺すと言いました。小十郎はいまさらながらそう問われると自分の罪深さにもう自分は死んでしまってもいいような気になります。
熊もいつ死んでもかまわないのだけれど、片付けたいことがあるから二年だけ待ってくれと言うので、小十郎は見逃しました。はたして二年後にその熊が彼の家の前で死んでいるのを見つけて、小十郎は思わず拝みました。
そして一月のある日とうとう小十郎は熊に殺されます。熊は小十郎におまえを殺すつもりはなかったととつぶやきます。小十郎も自分が死んだことを知り、今まで熊を殺してきたことを謝罪しました。
それから三日目の晩、すばるや、からすきの星が瞬く夜空を背景に、山の上の平らなところに小十郎の死骸が置かれ、その周りを黒い大きなものが集まって回々教徒(フイフイ教徒)の祈りのようにじっと雪にひれ伏したままじっと動きませんでした。
思いなしか小十郎の顔は冴え冴えとして、なにか笑っているようにも見えました、と物語は結ばれます。
『
よだかの星』などにみられる、生きるための殺生というテーマがここにもみられます。しかしここでは天体世界での救済という形は取らず、天体は背景であることにとどまります。
また『よだかの星』のように救済法が登場者によって語られることはなく、皆に因果として、半ば受け入れられているところが特徴です。
これは『よだかの星』から、より現実的な救済を求めた結果なのではないでしょうか。小十郎と、なめとこ山の熊の間には、宿業を超えての、生きとしいけるものの永遠の和解であるとか、共存同悲の愛情のようなものを感じます。賢治の思考の、熟成がみられるのではないでしょうか。
最後、イスラム教の祈りを形容したような描写があり賢治の宗教遍歴の後とも取れます。
悪者として描かれる町の荒物屋は、のうのうと生きているのですが、物語途中、話者らしき人が登場して、荒物屋のような人物は淘汰されると言っていますが、批判はそれのみで弱いです。
もっとも賢治自身、それはこの物語において力点を置かない問題のようですね。ゆえに取ってつけたように話者に話させているのかもしれません。
ここにも賢治の熟成がみられるような気がします。
生前未発表
現存草稿の執筆は昭和2年頃