よだかは、みそをつけたような顔と裂けたような口というその醜さゆえに、何も悪いことはしていないのに、他の鳥たちからあざけられ、さげすまれていました。
ある夕方、鷹は、よだかのところへやってきて、改名を迫りました。自分と似た名を名のることは、けしからんというわけです。
そして鷹は自分とよだかを比べました。鷹は青い空をどこまでも飛んでいく。ところがよだかは、薄暗い日か夜でなくては出てこない。
しかし、名前というものは自分で勝手につけたものではなく、鷹は勝手なことを言っていることは明白です。そして鷹はもし明後日の朝までによだかが改名しないのなら、おまえをつかみ殺してしまうだろうと言いました。
追い詰められたよだかは、うす暗くなった空を、あてもなく飛んでいると、羽虫や甲虫が喉に入り、それを飲み込むと胸を突く悲しみに襲われます。
ああ、甲虫やたくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そして今度は僕が鷹に殺される。よだかはそれをたいへんつらいものと感じ、遠くの空の向こうに旅立つ決心をします。
旅立つ前に弟のかわせみのところへ行き、最後の別れの挨拶をしました。そしてむやみな魚獲りはするなと箴言します。そして、もう一人の弟である今は遠くにいるはちすずめにも、よろしく言ってやってくれと頼みました。よだかは泣きながらかわせみのもとを去ります。
よだかは旅立ちます。西のオリオンの星、南の大犬座、北の大熊星、東のわしの星に、焼けて死んでも構いませんから、あなたのそばに連れて行ってくださいと頼みますがかないません。
よだかはもうすっかり力をなくして地に落ちていきました。そしてすっかり地面に落ちようかという時、にわかにのろしのように空へ飛び上がり、どこまでも昇って行きました。
よだかは涙ぐんだ目でもういっぺん空を見上げました。そう、これがよだかの最後でした。もう自分が、落ちているのか、登っているのか、逆さになっているのか、上を向いているのかわかりません。ただくちばしは少し笑っていました。
それからしばらく経って、よだかははっきりとまなこを開き自分の体が、燐のような青い美しい光となって、燃えているのを知ります。よだかは星になったのです。
すぐとなりはカシオペア座でした。天の川の青白い光がすぐ後ろです。よだかの星は燃え続けました。いつまでもいつまでも燃え続けました、と物語は結ばれます。
学校で習いますね。感動して何度も読み返したのを憶えています。近代日本文学が生みえた、もっとも美しく、もっとも深い物語のひとつであると思います。
よだかは、自らの運命に対する悲哀と苦悶を脱却する手段として、煩悶の末、絶望を乗り越えて、昇天を目指します。
それらはある意味、高い精神性を示し、日本人ならではの、宗教的な感性を表現しています。これが読者の共感をつかみ感動をよびます。賢治特有の天体世界での救済という、切実な強い願望も感じられます。
しかし現実問題、我々の身を置くポジションは必ずしもよだかではなくてもいいと思います。多くの読者は、昇天してしまうわけにも行きません。
表現というものは、ある意味極端を指向するものです。観念的な美意識を、これほど上手に達成している物語は、またとありませんが、童話として生命を第一義的に考える視点があまり感じられないのです。
美しく生きるということはこれ以上にないほどよく表現されていますが、果たしてこれでは多くの子どもが救われません。生きるということはもっと泥臭いものです。賢治は悪に対して究極の善で立ち向かおうとしていますが、それは人間業ではないのです。
よって天体世界での救済ということになるわけですが、観念的な幸せに導くものであっても、現実的な、ハッピーエンドに導くものとは思えませんでした。観念的であるがゆえに、この物語は美しいのかもしれませんが…。
そう、たいへん美しい物語ですが、テーマの取り扱い方が問題となりえるのです。物語では
『氷河ねずみの毛皮』のテーマでもあった、生き物であるがゆえの悲哀、つまり殺生の道に対する賢治の答えが追求されるのですが、それが、より明確に表現されているように思います。賢治にとってこのテーマは少しずつ形を変えなが終生追求されます。
よだかについてはもう述べたとおり極端で、昇天することにより、必然的に殺生の道は閉ざされました。
よだかは、弟分であるかわせみにはどうしようもないとき以外には殺生を出来るだけするなと言って今生の別れを告げています。そして一人旅立つのです。賢治についてこれるものはいないと告白しているようなものです。
賢治自身、後にベジタリアンになっています。創作の実践がなされたのでしょうか。
すでに述べた通り、いささか観念的に過ぎないのではないか、という疑問を持ちます。観念に溺れることなく、もっと現実的な解決をわたしは求めました。
よだかの方法では、あきらかに多くの人は、追い詰められてしまいます。賢治の本意を誤解して生命をないがしろにする方が出てきてしまうかもしれません。
同じテーマを追う児童文学作家は世界中におります。例えば、このブログで扱った作家ならビアトリクス・ポターであるとか。しかし彼女は、ありのままの現実を冷静に受け取って、子どもたちに伝えようと努力しました。
生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年頃
草稿初題は『よだか』