子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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宮沢賢治童話全集 5 よだかの星 リンク
カイロ団長』 宮沢賢治童話全集 5 より - これから追求されるべき新しい労働観
月夜のでんしんばしら』 宮沢賢治童話全集 5 より - たぐいまれなるファンタジー
シグナルとシグナレス』 宮沢賢治童話全集 5 より - 若いふたりの恋物語
氷河ねずみの毛皮』 宮沢賢治童話全集 5 より - どうしようもない生きる事の本質
よだかの星』 宮沢賢治童話全集 5 より - 表現は極端を指向する
からすの北斗七星』 宮沢賢治童話全集 5 より - ユートピアを指向する賢治の物語群
水仙月の四日』 宮沢賢治童話全集 5 より - 心象スケッチの詩人、宮沢賢治の誕生





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18:42 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『水仙月の四日』 宮沢賢治童話全集 5 より - 心象スケッチの詩人、宮沢賢治の誕生
雪婆んご(ゆきばんご)は遠くへ出かけておりました、と物語は幕を開けます。



赤い毛布(ケット)の一人の子供が、しきりにカリメラ(砂糖菓子)のことを考えながら、雪丘の裾を家に急いでいます。どうやら子供は使いで砂糖を買いに出かけた帰りのようです。

そこに来合わせた一人の雪童子(ゆきわらし)が、やどり木の枝を投げてやりますが、子供には雪童子の姿は見えません。



やがて西の彼方から雪婆んごが、三人の雪童子と、九匹の雪狼(ゆきおいの)を連れて帰ってきます。

雪婆んごは、彼らを駆り立てて、水仙月の四日だもの、ひとりやふたりの命を取ったってかまわないんだよと言って、赤い毛布の子供がいたにもかかわらず、あたりをすさまじい雪嵐にしてしまいます。

しかし最初に登場した雪童子は、雪婆んごを欺いて、赤い毛布の子どもが凍えないようにと、子どもにわざとぶつかって無理やり倒し、もう力も尽きて動けなくなった体に、厚い雪の布団をかけて眠らせます。

猛吹雪の一夜が明けると、最初に登場した雪童子は、従えていた雪狼に雪を掘らせ、雪から子供の赤い毛布の端をのぞかせると、お父さんが来たよ、もう目をお覚ましと言いました。赤い毛布を目指して、父親が一心にかけてくるところで、物語は結ばれます。



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題名の水仙月とは、インドのノーベル賞作家のタゴールの詩からヒントを得ているようです。冬が終わろうとする、二月、三月を指し、その四日とは、冬の終わりの最後の猛吹雪の日を象徴しているようです。

登場する雪婆んごや雪童子や雪狼は、どこか日本の昔話に登場するキャラクターを思い出させます。

例えば、雪婆んごは、鬼婆や山姥を思わせます。鬼婆や山姥は日本の昔話の中では、善とも悪とも取れない複雑な様相で描かれていましたが、この物語の中では単純に鬼女として描かれています。いや読みようによってはそうとも限りませんが…。

一方雪童子は、どうやら複雑な様相で描かれ、雪婆んごの命令には服従するようで従わない、どっちつかずの存在のようです。彼らが雪狼を従えているという設定になっています。



赤い毛布の子どもを助けようとする最初に登場した雪童子は子どもにやどり木を投げていました。

このやどり木については、フレーザーの民族学研究書『金枝篇』の金枝、すなわちやどり木から取られたもののようです。司祭的王権の象徴であり、農耕民族の生産信仰の象徴でもあります。

これによって気付かれると思いますが、仏教徒であり農民に心を寄せていた賢治にとって、やどり木というものは特別なメタファーとなっているのです。

やどり木は度々賢治の物語に登場しますし、自身が病気の時にはわざわざ人に頼んで取ってきてもらったほどです。



この作品の評価は高く、雪の世界という白黒の風景を、その光彩を放った文章で描き出すこの作品は、あらゆる文学作品の中で、他の追随を許さないとまで言わしめさせています。当然賢治童話の中で、一、二を競う傑作です。

赤い毛布の子どもがたどった行程は死と再生を表しているとし作品の成立基盤に仏教的思想があることが指摘されています。

賢治の作品史の中では、この作品の雪は、かつての賢治の日常性に死をもたらし、詩人賢治の誕生を印す作品としての位置づけています。心象スケッチの詩人、宮沢賢治の誕生です。



初出『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』大正13年12月1日
初稿に執筆は大正11年1月19日



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18:22 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『からすの北斗七星』 宮沢賢治童話全集 5 より - ユートピアを指向する賢治の物語群
物語はからすの義勇艦隊の演習場面で始められます。

からすの艦隊長の大尉は、翌日、山がらす追討を命じられました。彼は、戦死を覚悟して、隊で一番声の美しい許嫁の砲艦に、もし自分が戦死したら自分のことは忘れてくれと、半ば別れを告げました。

出陣前夜、眠れぬ大尉は、明け方、敵の山がらすを、いち早く発見して、非常招集をかけ周到に隊を動かし、山がらすを倒します。

その武功をもって、大尉は少佐に昇進しますが、彼は山がらすの手厚く葬りながら、密かに、憎むことのできない敵を殺さないでいいように、早くこの世の中が変わりますようにと、からすたちがマジエル様とよぶ北斗七星に願いました。(大熊座、Ursa Major)

砲艦のからすは、許嫁が生きて帰ってきたことに、涙を流して喜びます。砲艦長は、そんな彼女の様子を見てみぬふりをしました、と物語は結ばれます。





この物語は第二次世界大戦さなかには、学徒兵の心を称える物語として称賛されていましたが、戦争が終わるとGHQ占領下で、発禁の扱いを受けます。

世間の評価も、手のひらを返したように辛辣なものになりました。しかし、近年再評価の道が開けています。それは、人間の自己矛盾を超えようとする試みであるとか様々です。

戦争の呪縛から解かれた現代から、賢治のこの作品から読み取られるものは、いろいろとあると思いますが、賢治の人生をたどって比較的ニュートラルな読解をするなら、やはり賢治の思想を形作った、仏教思想の影響を考えてみるのもひとつだと思います。



賢治を表現するにふさわしい言葉がいくつかあると思いますが、その中に博愛という言葉をあげてもいいと思います。『月夜のけだもの』の記事にも書きましたが、それは仏教思想の慈悲からくるものと考えていいでしょう。

賢治の創作には、この博愛精神から導き出されてきたであろう一群の物語があります。作品によって強弱はあるものの、我々はそれら作品から、賢治の切実な訴えを聞き取ることができます。この作品は、それがわりと強く表現されています。主人公の大尉は 憎むことのできない敵を殺さないでいいようにと願いました。

博愛は、賢治にとって、争いの絶えない現実世界に、どう向き合っていくのかという場合の、ひとつのキーワードであったのだと思います。そして賢治は、平等で争いのない世界というテーマを終生追っているように見えます。

そして、その答えとして、天体世界での救済が『よだかの星』をはじめ様々な物語で語られるのです。この物語が示す方角も基本的には同じです。



物語最後で、少佐になった大尉の許嫁が喜ぶのを、砲艦長が見てみぬふりをしているのが気になりました。

これは砲艦長が、少佐になった大尉は、じきに新しい戦に出なくてはならないこと、いつ争いで命を落とすかもしれないこと、そして今はいっときの幸せであるにすぎないことを、言いたくても、素直に喜ぶ許嫁にはいうことができないということなのでしょうか。

賢治の夢見る世界は、ある意味ユートピアです。革命的な出来事が起きない限り、賢治一人の博愛では、達成困難なことを自覚していたのかもしれません。



初出『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』大正13年12月1日
初稿の執筆は大正10年12月21日





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19:41 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『よだかの星』 宮沢賢治童話全集 5 より - 表現は極端を指向する
よだかは、みそをつけたような顔と裂けたような口というその醜さゆえに、何も悪いことはしていないのに、他の鳥たちからあざけられ、さげすまれていました。



ある夕方、鷹は、よだかのところへやってきて、改名を迫りました。自分と似た名を名のることは、けしからんというわけです。

そして鷹は自分とよだかを比べました。鷹は青い空をどこまでも飛んでいく。ところがよだかは、薄暗い日か夜でなくては出てこない。

しかし、名前というものは自分で勝手につけたものではなく、鷹は勝手なことを言っていることは明白です。そして鷹はもし明後日の朝までによだかが改名しないのなら、おまえをつかみ殺してしまうだろうと言いました。



追い詰められたよだかは、うす暗くなった空を、あてもなく飛んでいると、羽虫や甲虫が喉に入り、それを飲み込むと胸を突く悲しみに襲われます。

ああ、甲虫やたくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そして今度は僕が鷹に殺される。よだかはそれをたいへんつらいものと感じ、遠くの空の向こうに旅立つ決心をします。

旅立つ前に弟のかわせみのところへ行き、最後の別れの挨拶をしました。そしてむやみな魚獲りはするなと箴言します。そして、もう一人の弟である今は遠くにいるはちすずめにも、よろしく言ってやってくれと頼みました。よだかは泣きながらかわせみのもとを去ります。



よだかは旅立ちます。西のオリオンの星、南の大犬座、北の大熊星、東のわしの星に、焼けて死んでも構いませんから、あなたのそばに連れて行ってくださいと頼みますがかないません。

よだかはもうすっかり力をなくして地に落ちていきました。そしてすっかり地面に落ちようかという時、にわかにのろしのように空へ飛び上がり、どこまでも昇って行きました。

よだかは涙ぐんだ目でもういっぺん空を見上げました。そう、これがよだかの最後でした。もう自分が、落ちているのか、登っているのか、逆さになっているのか、上を向いているのかわかりません。ただくちばしは少し笑っていました。



それからしばらく経って、よだかははっきりとまなこを開き自分の体が、燐のような青い美しい光となって、燃えているのを知ります。よだかは星になったのです。

すぐとなりはカシオペア座でした。天の川の青白い光がすぐ後ろです。よだかの星は燃え続けました。いつまでもいつまでも燃え続けました、と物語は結ばれます。



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学校で習いますね。感動して何度も読み返したのを憶えています。近代日本文学が生みえた、もっとも美しく、もっとも深い物語のひとつであると思います。



よだかは、自らの運命に対する悲哀と苦悶を脱却する手段として、煩悶の末、絶望を乗り越えて、昇天を目指します。

それらはある意味、高い精神性を示し、日本人ならではの、宗教的な感性を表現しています。これが読者の共感をつかみ感動をよびます。賢治特有の天体世界での救済という、切実な強い願望も感じられます。



しかし現実問題、我々の身を置くポジションは必ずしもよだかではなくてもいいと思います。多くの読者は、昇天してしまうわけにも行きません。

表現というものは、ある意味極端を指向するものです。観念的な美意識を、これほど上手に達成している物語は、またとありませんが、童話として生命を第一義的に考える視点があまり感じられないのです。

美しく生きるということはこれ以上にないほどよく表現されていますが、果たしてこれでは多くの子どもが救われません。生きるということはもっと泥臭いものです。賢治は悪に対して究極の善で立ち向かおうとしていますが、それは人間業ではないのです。

よって天体世界での救済ということになるわけですが、観念的な幸せに導くものであっても、現実的な、ハッピーエンドに導くものとは思えませんでした。観念的であるがゆえに、この物語は美しいのかもしれませんが…。



そう、たいへん美しい物語ですが、テーマの取り扱い方が問題となりえるのです。物語では『氷河ねずみの毛皮』のテーマでもあった、生き物であるがゆえの悲哀、つまり殺生の道に対する賢治の答えが追求されるのですが、それが、より明確に表現されているように思います。賢治にとってこのテーマは少しずつ形を変えなが終生追求されます。

よだかについてはもう述べたとおり極端で、昇天することにより、必然的に殺生の道は閉ざされました。

よだかは、弟分であるかわせみにはどうしようもないとき以外には殺生を出来るだけするなと言って今生の別れを告げています。そして一人旅立つのです。賢治についてこれるものはいないと告白しているようなものです。

賢治自身、後にベジタリアンになっています。創作の実践がなされたのでしょうか。



すでに述べた通り、いささか観念的に過ぎないのではないか、という疑問を持ちます。観念に溺れることなく、もっと現実的な解決をわたしは求めました。

よだかの方法では、あきらかに多くの人は、追い詰められてしまいます。賢治の本意を誤解して生命をないがしろにする方が出てきてしまうかもしれません。

同じテーマを追う児童文学作家は世界中におります。例えば、このブログで扱った作家ならビアトリクス・ポターであるとか。しかし彼女は、ありのままの現実を冷静に受け取って、子どもたちに伝えようと努力しました。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年頃
草稿初題は『よだか』



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19:00 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『氷河ねずみの毛皮』 宮沢賢治童話全集 5 より - どうしようもない生きる事の本質
このお話は、北の方の寒いところから、切れ切れに風に吹き飛ばされてきたのです。きっと誰もが知りたいでしょう、と物語は始められます。



十二月二十六日、夜八時、イーハートヴからベーリング行き最大急行が発車します。これから、この物語の舞台となる、この列車のある車室には、十五人ばかりの乗客が乗っていました。

その中には、仲間に黒ぎつねの毛皮九百枚を取ってくる賭けをしたために、ベーリングに行く、イーハートヴのタイチがいました。

彼は、ラッコ裏の内外套、ビーバーの中外套、黒ぎつねの表外套、北極兄弟商会パテントの緩慢燃焼外套、氷河ねずみ450匹分の首の毛皮で作られた贅沢な上着を着込んで、二人前の席を取り、十連発の鉄砲をきらつかせて、ウイスキーを飲みながら、自分の豪勢な外套の自慢話をしていました。



やがて夜が明けると、突然列車は止まります。するとタイチの乗っていた車室の、先程から目をきょろつかせて、周りをうかがっていた、ほっきょくぎつねのような赤ひげ男の先導で、白くまのような、いや雪ぎつねと言ったほうがいいような、変な仮面を被った二十人ばかりの者が、皆、大きなピストルを握って車室に侵入してきました。

赤ひげの男は、タイチのことをふらちなやつと言って。ピストルを向けて、彼を車外に連れ出そうとします。どうやら毛皮の取得に対しての報復のようです。しかし、同じ車室に乗り合わせていた帆布の上着を着た、船乗りらしき青年がタイチを救おうとします。

ピストルが鳴りました。しかし幸い傷ついたものはおりません。その瞬間に青年は赤ひげの男を捕虜に取っていました。赤髭から奪ったピストルを彼に突き付け、そして侵入者に告げます。

青年はすべてを把握しているようです。お前たちのしていることは、もっともだけれども、俺達だって生きていくには着物も着なければならない、お前たちが魚を撮るようなものだといい、あまり無法なことはやめるように彼に言うから、今度ばかりは許してくれといって、タイチを釈放させ、こちらも赤ひげの男を返しました。侵入者たちは去っていきます。

赤ひげの男は、誰が毛皮を獲ろうとしているのかを確かめるためのスパイだったのです。これが風が飛ばしてよこしたお話のおしまいの一切れです、と物語は結ばれます。




感じられるのは、ピストルでの争いなど、どこか西部劇を思わせるようなお話の展開です。また、賢治の物語で登場するイーハートヴやベーリングなどの地名が、すでに登場しているところも注目されます。

物語に込められたものは、侵入者側からは金持ちへの批判。人間の側からは、生きるという事の本質ついてが述べられているのだと思います。

生き物は、他のより弱い生き物から、搾取することで存在しているという、どうしようもないことが述べられます。しかし、金持ちのやりたい放題は否定され、摂理を持った行動をしなければならないということでしょうか。



初出「岩手毎日新聞」大正12年4月15日





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19:09 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『シグナルとシグナレス』 宮沢賢治童話全集 5 より - 若いふたりの恋物語
東北本線の信号機であるシグナルは、岩手軽便鉄道の信号機であるシグナレスを恋していました。気の弱いシグナレスも新式の信号機であるシグナルへの負い目を感じながらも、密かに彼へ恋心を寄せていました。

やがて、そんな恋する二人の会話は、成り行き上、シグナルのシグナレスへのプロポーズにつながり、二人は結婚の約束をします。



しかしこれに、格式を重んじるシグナルの後見人であり、鉄道長の甥でもある、背の低い太っちょの電信柱が激怒します。本線と軽便鉄道の格式の差。

そしてこのシグナルの後見人である電信柱は、四方の縁者に電報を送り、叔父である鉄道長にもうまく取り入ったのでしょう、彼らの結婚反対の意見を取りまとめました。



しおれているシグナルとシグナレスに同情した倉庫の屋根は、電信柱に両者の結婚を認めるようにと説きましたが、電信柱を返って怒らせてしまいます。

そこで倉庫の屋根は呪文を唱えて恋人たちを星の世界へ遊ばせます。しかし呪文が解けて夢から覚めたふたりは、小さなため息をつきました、と物語は結ばれます。



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賢治の数少ない恋愛をテーマに扱った物語のひとつです。賢治が十八か十九歳の頃に秘めたる恋をしていたことは、当時の創作からうかがい知ることができます。まさにその年頃の若者が陥るであろう切ない恋心がにじみ出た作品になっています。

また、信号機や電信柱や倉庫の屋根など無機物に人間性をもたせる感性は、子どもに親和性のあるものであり、賢治の童話作家としての感性でもあるでしょう。



列車や電信柱など無機物が歌う歌物語として『月夜のでんしんばしら』と同じような発想を持ってお話は組み立てられています。

また、軽便鉄道と星の世界を素材にしているところなどは、『銀河鉄道の夜』に至る系列の物語といってもいいでしょう。



物語を要約するなら、可憐な恋人たちの切ない恋が、周囲の圧力と、自分たち自らの気の弱さゆえに結びつくことができない、ため息の物語といったところでしょうか。

そう、ふたりは不遇な現実から飛び立てません。夢から醒め、ため息をつくばかりです。トールキンはファンタジー論で、こうしたエンディングを嫌っていました。

もし倉庫の屋根が唱えた呪文が、いつかは覚めてしまう夢の世界への、いっときの癒やしなどではなく、異界のようなところへと誘導するものであったならば、賢治ほどの人です、その創作は、ある意味、彼らの恋を、新しく生成された現実へと着地させることができたのではないでしょうか。



初出「岩手毎日新聞」大正12年5月11日〜23日、5・16・19日は休載





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18:40 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『月夜のでんしんばしら』 宮沢賢治童話全集 5 より - たぐいまれなるファンタジー
あるうろこ雲がかかる月夜の晩、恭一が、危険であり罰金ものであるにもかかわらず、鉄道線路の脇を歩いていると、不思議な出来事に出会います。

遠くには停車場の明かりが綺麗に見えます。そしてシグナルが下がりました。ここまでは何も珍しいことではありませんでした。

しかし、ここからが大変です。線路脇の電信柱が、軍歌に合わせて一斉に前進を始めたのです。

そして威張った爺さんの号令と共に、電信柱は行軍します。爺さんは恭一に、見てしまったものはしょうがない、友達になろうと言いました。

爺さんは自分を電気総長だと言います。爺さんとの会話には、英語や物理化学の話題が登ります。行軍は延々と続きました。

しかし爺さんは、遠くに汽車の小さな明かりを見つけると、慌てて電信柱を元通りに戻し、恭一の危ないとの叫びも無視して、自らも走っている汽車の下に潜り込み、消えていた汽車の客室に明かりを灯します。

月はうろこ雲に隠れ、汽車は停車場についたところで物語は結ばれます。





ストーリー自体はあらすじに書いたとおり。極、単純です。しかしこの物語が読者に引き起こすファンタジーは、たぐいまれなものがあります。

それらは、所々に挿入される電信柱の歌う軍歌の音楽性や、ユーモアを中心に、絶妙な構成から導き出されるものでしょう。表現は実にいきいきとしていて、想像を絶する幻想的な光景が、我々読者の前に顕現します。

また、賢治の童話の特徴として、ここでも、語学や自然科学の話題が盛り込まれているのも、改めて見いだせます。

これらの話題は、賢治自らが心象スケッチと読んでいる彼の作品の、独特な透明感や彩りを表現するのに、欠かせない要素になっていると思います。

日本のファンタジー作家の草分けである佐藤さとるさんは、賢治の作品の中からファンタジーをいくつか取り上げていますが、その中でもこの作品を絶賛しています。



初出『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』
初稿の執筆は大正10年9月14日





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18:25 : 宮沢賢治童話全集 05 よだかの星 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『カイロ団長』 宮沢賢治童話全集 5 より - これから追求されるべき新しい労働観
三十匹のあまがえるが、庭造りを職業として楽しくやっていました。ところがある日、彼らは本部へ引き上げる途中、舶来ウェスキイ(ウイスキー)、一杯二厘半の看板を掲げた、新しい店が開店しているのを見て、物珍しのあまり店の中に入っていきました。中にはとのさまがえるがいました。

あまがえるたちはウェスキイなるものを知りません。そこでどんなものかと注文しました。
それは西洋の酒でした。そして、一杯が二杯、二杯が三杯となり、飲めば飲むほど次が欲しくなります。やがてあまがえるたちは酔っ払って、皆、寝てしまいました。



やがてとのさまがえるは、鉄の棒を棚から下ろしてきて一匹のあまがえるの頭を叩きました。そして勘定を払わせようとします。そのあまがえるは三百四十二杯で八十五銭五厘と言われます。

ところが彼の財布には三銭二厘しかありません。とのさまがえるは彼を警察に差し出すと脅しました。彼は仕方なくとのさまがえるの家来になることになりました。

とのさまがえるは、次々に寝ているあまがえるの頭を鉄の棒で叩き、起こします。あまがえるたちは怒って、四方八方から立ち向かいますが、三十カエル力もあるとのさまがえるにはかないません。

とのさまがえるは、あまがえるたちに酒代を請求しました。ところがあまがえるたちの勘定は、八十銭を下るものがおらず、皆、持っていても五銭ほどだったので、誰一人勘定を済ませることができません。

とのさまがえるは、気のいいあまがえるを、わけもなく三十匹全員、家来にしてしまいました。あまがえるはこの集団をカイロ団と名づけ、自らカイロ団長となります。

次の日から、とのさまがえるはあまがえるたちに、過酷な労働を強いました。それはたとえ人が行ったとしても、大変な労働でした。あまがえるたちは労働の喜びを失い、苦痛に喘ぎ、生きる希望さえ失われかけます。



そんなある日、王様からおふれが出されます。それは使用者と被使用者の平等をうたうものでした。

それによって使用者であるとのさまがえるは、あまがえるの過酷な労働の十倍もの仕事を、まず自分でせねばならず、とうとうとのさまがえるの足は、音をたてて曲がってしまいます。

そこへ再び王様の新しいおふれが出されます。すべての生き物は、気のいい、哀れな存在であるから、互いに憎しみ合ってはならない、というものでした。

するとあまがえるたちは、とのさまがえるの傷ついた体を介抱しました。とのさまがえるは改心し自らの非を悟ります。

次の日からあまがえるたちは、もとのように愉快に労働に励みました、と物語は結ばれます。





社会批判の明確な作品の一つです。今で言う、いわゆるブラックな営利形態、雇用形態に対する批判の物語とも言えましょう。あらすじでは触れませんでしたが人身売買を匂わす記述もありました。

しかしこれらの視点は、賢治の生家の家業である、貧しいものから金を巻き上げて生計を立てる、質屋という職業に対する罪悪感に端を発しているようにも思われます。



都合よく、王様のおふれが、あまがえるたちを救いますが、甘いと言われようとも、基本的に弱い存在である彼らには、これくらいしか救いの手がないのかもしれません。これは社会的救済ですね。

しかし、現実問題、現代に至っても、これらの問題は絶えません。根が深いものと思われます。もしこれらの問題の解決が、社会的に期待できないものとするならば、なんて残酷なことでしょう。

弱者は、何か他に、自律的な救済がもたらされるような方法を考えるしかありません。使用者の言うままにならない、新しい労働観を持って対抗するのです。

とのさまがえるに捕らわれる前と後の、あまがえる同士の労働が、おぼろげながらそれを表現しようとしているのでしょうが、弱者だけが集まった社会など、現実的ではありませんし、あまがえる同士の労働の具体的な記述もありません。これに関しては、宮沢賢治の作品群の読解の中から、浮かび上がってくることなのかもしれません。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年あるいは11年





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