子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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宮沢賢治童話全集 4 注文の多い料理店 リンク
よくきく薬とえらい薬』 宮沢賢治童話全集 4 より - 寓話的手法を用いた童話
』 宮沢賢治童話全集 4 より - 労働の楽しさをうたった明るい物語
タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』 宮沢賢治童話全集 4 より - 母親の愛情
注文の多い料理店』 宮沢賢治童話全集 4 より - 風刺から醸しだされるユーモア
土神ときつね』 宮沢賢治童話全集 4 より - 恋愛の暗部を扱った童話らしからぬ物語
チュウリップの幻術』 宮沢賢治童話全集 4 より - 心象スケッチから浮かびあがるもの
茨海小学校』 宮沢賢治童話全集 4 より - 賢治の空想作法
ガドルフの百合』 宮沢賢治童話全集 4 より - 理想世界への挫折と希望





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18:25 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『ガドルフの百合』 宮沢賢治童話全集 4 より - 理想世界への挫折と希望
旅人ガドルフは、惨めな旅の黄昏を、激しい雨に降られ、何もかもむちゃくちゃだと思いながら歩いています。やがて辺りは夜になり雷が明滅します。もう歩けそうもないと思い、ガドルフは、路傍の大きくて真っ黒な屋敷に避難しました。

そこには、人が住んでいた形跡はあるものの無人のようです。皆どこかへ避難したのかと思いながらが中に入りまました。濡れた着物を脱ぎ、乾いた着物に着替えると、背負っていた背嚢を下ろして、中の小さな機器を確かめます。



ふと、二階に誰かいるかも知れないと思い確かめに行くと、雷光に照らされて、窓に白いものが五つ六つ浮かび上がります。

住人が帰ってきたのかも知れないと思い、唯一の乾いていた着物が濡れるのも構わず、窓を開けて挨拶しようと思い、窓から体を乗り出すと、果たしてそれは、白い百合の花でした。百合は雨と雷光の中に凛として立っています。

ガドルフは俺の恋は今あの百合の花なのだ。砕けるなと祈りました。しかしやがて一本が折れてしまいます。ガドルフは俺の恋は砕けたのだとと思いました。彼はいつの間にか目を閉じてまどろみます。



すると突然大きな物音がして、闇の中で二人の男が上になり下になり格闘していて、ついにガドルフに突き当たってきたかと思うと彼は目を覚ましました。それは幻でした。

ちょうど雷が落ちて、窓の外が照らされると、勝ち誇ったように百合の群れが見えます。濡れた着物を担いで歩くのは、厄介だけれども仕方がない。雨がやんだら次の街へゆこう。俺の百合は勝ったのだとガドルフは考えました、と物語は結ばれます。





ガドルフの旅は賢治の生き様の行方を暗示しているのではないでしょうか。嵐の中を背嚢に何か小さな機器を背負って、次の街へ向かいます。小さな機器とは賢治の創作を表しているように思われてなりません。



気になったのは、嵐の中で、百合の花が一本折れてしまった時、突然俺の恋は終わったのだというつぶやきにも似た叙述がなされるところです。これは何を意味しているのでしょうか。

賢治の挫折の一つを表象しているものと思われますが、果たしてそれは具体的なことなのか、それとももっと大きな事柄、例えば理想世界のようなものへの恋なのか。

具体的なことを指すなら、賢治が十八歳の時に、肥厚性鼻炎手術で入院中に出会った、一人の看護師さんの存在が挙げられているようです。賢治の初恋です。

しかし、そうなると、なんともこじんまりとした物語になってしまうので、必ずしも固定的には考える必要はないと思います。たとえ、これらの現実の出来事を題材にしたとしても、作品が表象する射程はもっと広大だと思います。



なので、ここで言い表される恋とは賢治が理想とした世界全般への恋と考えています。その恋が、挫折しようとしているのでしょう。

しかし、その恋が、半ば幻影も交えた、この嵐に見舞われた屋敷で、繰り広げられ出来事の中で、つまり賢治の心の葛藤の中で勝利し、次の町へ、もとい次の目標に向けて旅立とうとしているのです。

なんだか童話らしからぬお話ですね。



生前未発表
現存草稿は大正12頃





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18:30 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『茨海小学校』 宮沢賢治童話全集 4 より - 賢治の空想作法
農学校の教師のわたしが、火山弾の標本を取るためと、そこにはありえない、野生のはまなすが生えているとの噂を確かめるため、茨海(ばらうみ)の野原に向かいます。

はまなすは見つけることはできませんでしたが、わたしが見つけなかったからと行って、その存在を否定することはできません。しかしわたしが見つけたなら証拠となりましょう。だからわからずじまいです、と述べられます。

ところで、手頃な火山弾はひとつ見つけました。しかしこれは、これからわたしが向かうであろう、茨海きつね小学校の校長先生に寄付させられてしまうでしょう。

その茨海きつね小学校の存在ですが、作中のわたしは決してきつねに騙されたのではないといいます。なぜなら騙されたのなら、きつねが女や坊さんに見えるはずで、彼らはきつねの姿のままであったというのです。そして、きつね小学校は存在するのです、と述べられます。



しかしここで断りが入ります。それはきつね小学校が存在するといっても、それはわたしの頭の中にあったというのです。

にわかに限定的な答えとなりました。また、わたしの言うことを聞いて、同じように考えるなら、みなさんの頭の中にも存在するのです、とまで述べられました。

そしてわたしは、時々、こういう野原を一人で勝手に歩くのですが、こういう旅行をすると、後で大変疲れることを告白し、みなさんも、こういう旅行の話を聞くことは一向に構わないのですが、度々出かけてはいけませんと注意が促されます。



以下、後半、主人公のわたしが、茨海きつね小学校に迷い込んでしまい、そこでの授業参観、そして学校を去るまでが語られます。しかし、賢治による空想が込み入ってて、ややこしいので、この部分のあらすじは、煩雑になると思い割愛します。皆さんオリジナルにあたってみてください。

最後に、わたしは、結局のところ、茨海きつね小学校では、一体どういう教育方針が取られているのか、さっぱりわかりませんでした、と物語は結ばれます。



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前半は、わたしなる人物を通して語られる、賢治の空想に対する作法なのではないでしょうか。ある意味賢治の創作作法です。ここは、賢治の物語の中でかけがえのないところだと思います。『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』序の、作品論に通じるところがあります。



それに続く、後半の茨海きつね小学校での出来事は、大部ですが、賢治の空想が、存分に発揮されています。

学校では高等な教育が施されているようですが、人間からしたら論理の飛躍や、間の抜けたところもあり、ユーモアを誘います。こうなるとどうも作中のわたしは結末で、一体どういう教育方針が取られているのか、さっぱりわかりませんと降参してしまうのでした。



しかし我々読者には、この物語で何が行われているのかがわかります。学校の教育方針は、きつね世界から人間世界を見ているので、おおむね人間世界での教育方針と逆のことが語られます。

ここに風刺が入リ込む余地があるでしょう。この視点転換は、偏見の是正につながっています。『雪渡り』と同じ仕掛けが用いられているといっていいでしょう。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃



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18:22 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『チュウリップの幻術』 宮沢賢治童話全集 4 より - 心象スケッチから浮かびあがるもの
洋傘直し兼研師が、農園のすももの垣根に沿ってやってきます。彼は、垣根の隙から見える花に誘われて、農園の中に入って行きました。

(ここにお前の仕事はあるまいに)

すると園丁が出て来るので、洋傘直しは、なにか御用はないか、研ぎ物はないかと尋ねました。園丁は主人に聞きに行きます。



そして園丁はいくつかの研ぎ物を持ってきました。値段交渉をして、洋傘直しは井戸の傍らで預かったものを研ぎ始めます。ひばりが、空に登って鳴きました。あたりは、輝く五月の昼過ぎの景色です。園丁が研ぎ物の追加を持ってきました。それは自前の剃刀でした。

やがて、その剃刀も研いでしまうと、洋傘直しはチュウリップの方に近づきます。すると園丁が飛んできて、仕事の代金を持ってきました。そして洋傘直しをお茶に誘います。

洋傘直しは、その誘いを辞退しますが、園丁が、ぜひ自分が作った花を見て行ってくださいというので、拝見することにしました。



園丁は、丹精込めて作った様々なチュウリップを、楽しそうに紹介しましす。洋傘直しと園丁は詩情豊かに会話を交わしました。

チュウリップの幻術にかかっているうちに、よほどの時間が過ぎました。洋傘直しは農園を後にしました、と物語は結ばれます。





洋傘直しと園丁の会話によるチュウリップを題材とした会話が、まるで宴に酔った詩人のもののようです。

賢治は自身の作品を、すべて心象スケッチと呼んでいますが、まさにこの作品はそんな印象を色濃く出しています。

この物語の中心は、チュウリップをめぐって交わされる会話の描写が、並べられて形作られています。



よく日本の物語で問題となることで、読後、頭に、ストーリーが残らないという批判があります。しかし、批判されている対照は、そもそも、ストーリー自体が希薄なのではないのではないでしょうか。

状況描写が並べられて、そこを読者の視点が移動していくような仕掛けで、物語がつづられていくのです。この物語なら、チュウリップが醸しだす幻術に、読者は寄り添うのです。

この叙述法は、頭には残りづらくとも、書き方次第で強い印象を残せます。論理ではなく直感に訴えるのです。洋の東西、昔話を読んできましたが、よくわかります。

賢治の物語たちは、そんな仕掛けを、多く含んでいるように思います。まさに心象スケッチです。



生前未発表
『若い研師』第二章が、『研師と園丁』となり、本作品で完成したものとみられます。
現存草稿の執筆は大正12年頃
『若い技師』第一章の系列の完成は『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった





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18:43 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『土神ときつね』 宮沢賢治童話全集 4 より - 恋愛の暗部を扱った童話らしからぬ物語
一本の美しい女の樺の木がありました。彼女には、正直かも知れないけれども、粗野で野暮な、乱暴者の土神(土地の神)と、不正直ではあるかも知れないけれど、いっけん気配りができて上品な、似非物知りのきつねという、ふたりの男友達がいました。

彼女はあまり自分の意志を示しませんが、どちらかというときつねの方を好いていました。



初夏のある晩、きつねが樺の木を訪れて、天体や、ツァイスの望遠鏡の話をして、帰りにはハイネの詩集をプレゼントしました。

翌朝には、土神が、樺の木を訪れて、突然何やら訳のわからない真面目な質問を、彼女にぶつけます。

こまった樺の木は、昨日のきつねのことが頭にあったので、彼なら答えられるだろうと思って、うっかりきつねさんにでも聞いてみたらいかがでしょうと言ってしまいます。

すると土神は、きつねへの劣等感から、神様らしからぬ嫉妬心に火をつけてしまい、畜生の存在でと、きつねの悪口を言い始めます。

樺の木は気を取り直して、祭りの話をしました。すると土神は、近頃では人間は供物もよこさないと愚痴り始め、再び彼女を困らせます。

嫉妬や怒りを抱えた土神は、自分の住む谷地に帰っても、それらが治まらず、空ゆく鳥や、通りがかりの人間にも意地悪く当たりました。



八月のある晩、土神は、この頃では、樺の木を恋しく思い、なんとも言えず寂しくて樺の木を訪れることにしました。

すると、すでにきつねが訪れていて、きつねは例のごとく衒学的な話を樺の木相手にしていたのです。

きつねに対する劣等感と、自分が神であるとのプライドから、自分が何をしでかすかわからなくなった土神は、走って逃げ帰ります。そして大声を上げて泣きました。そして時が経ちます。



秋になりました。気候が変わったせいか、土神はすっかり上機嫌です。自分を苦しめていた感情からも開放されているようです、樺の木ときつねの仲も受け入れるつもりでした。

そして土神は樺の木のもとに向かいました。そして彼は、今の心境を正直に樺の木に伝えます。しかし、その重苦しい話の内容に、樺の木は返答に困ってしまいました。

そこへきつねがやってきます。土神のことを妬ましく思い、帰るわけにも行かず、きつねはいつもの調子で樺の木と会話を始めると、樺の木に約束していた本を渡しました。そして早々に、土神には挨拶もくれず、立ち去ります。

きつねのこの態度に、土神はおさえていた感情を爆発させてしまいます。心の奥底ではきつねに対する暗い感情が依然としてくすぶっていたのです。そしてきつねの後を追うと殺してしまいました。と物語は結ばれます。





賢治の作品の中には少数ですが、恋を扱ったものがいくつかあります。そしてそれらのものは、大抵は恋人たちを微笑ましく見守るようなものがほとんどです。

しかしそんな恋物語の中にあって、この作品は異色です。恋愛のどろどろしたところが描き出され、しかもそれが三角関係の中で行われるのです。童話らしからぬ展開ですね。



土神は、頭では嫉妬の愚かさを知り、きつねを受け入れようとしますが、激情にかられて殺してしまいます。

きつねは、偽りを言う自分の愚かさを知りながら、樺の木を喜ばせようと軽薄なことをしてしまいます。

理性では知りながら、感情で流されてしまう恋ゆえの矛盾が描かれます。

それぞれのキャラクターですが、現存草稿の表紙に、土神を退職教授、きつねを貧なる詩人、樺の木を村娘とメモしてあります。まさにその通りに描かれています。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃





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18:23 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『注文の多い料理店』 宮沢賢治童話全集 4 より - 風刺から醸しだされるユーモア
狩猟に来た、虚栄心が強くて、独りよがりな東京のふたりの若い紳士が、それぞれ猟犬を連れて山に入ります。ところが獲物は見つからず、しかも猟犬がどうゆうわけか泡を吹いて死んでしまいます。

そんなわけで、ふたりの紳士は山を下りることにしました。ところがふたりは道に迷っていることに気づきます。そんな折、ふたりはなにか食べたいと思っていたところ、忽然と一件の西洋料理店が現れ、ふたりは立ち寄ることにしました。



ところがふたりの前に次々と現れるのは、店主の奇妙な注文が記されたいくつもの扉と、長い廊下ばかりです。

やがてふたりは自分たちの置かれた状況に気づきます。つまり西洋料理店という謳い文句は、来た人に食事を食べさせるところではなく、店主の山猫に彼らが料理されるべく、こちらが注文を受け、食べられてしまうことを指していたのです。

ふたりは恐怖で声も出せず、震えだし、泣き出してしまいます。しかし間一髪のところで、死んでしまったはずの二匹の猟犬が登場し、西洋料理店は煙のように消えてしまいます。



ふたりは気づくと草原の中に立っていました。専門の漁師が現れて、ふたりはやっと安心します。猟師に団子をもらい、帰り道の途中、手ぶらで帰るのをいささか恥じたふたりは、山鳥を買って家路につきます。

しかしふたりは恐怖で紙くずのようになった顔だけは元に戻りませんでした、と物語は結ばれます。





お馴染みの童話です。童話集『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』の中の、九篇の童話の一つとして、賢治が、生前、数少ない発表を行った作品のうちのひとつです。

なお、この童話集について少し言っておくと、賢治が生前発表した、唯一童話集であり、その中には、これまでブログで取り上げてきたもののうち、『どんぐりと山ねこ』が含まれています。

イーハトーブ(イーハトーヴ)とは、賢治の造語で、故郷岩手のことであり、郷土主義的立場を打ち出し、それを超えようとする賢治の意志を指す言葉であると同時に、彼の心象世界を表象する名辞です。賢治が、現実を理想に結びつけようとする際の、観念世界の名称といってもいいでしょう。



さて、この童話の傑作との評価には、枚挙に暇がありません。殺生を道楽とする狩猟家への鋭い風刺から醸しだされるユーモアが、この物語の主旋律です。

物語の展開としては、児童文学としても読めますが、この物語の発端と結末で登場する猟犬が、異界の入口と出口の通路を形作っていて、優れたファンタジーとしても読めます。

しかし、猟犬が一度死んでいますから、一見矛盾が生じていますが、ファンタジーのさらなる仕掛けとしても解釈可能です。物語冒頭から、すでに山猫が見せていた幻影と考えればいいのです。

賢治が物語の中で身をおいていた場所は、当然、山猫の側でしょう。虚栄や虚勢に満ちた、ふたりの紳士の生は諷されて、山猫の側にある、豊穣なる自然の生が讃えられるのです。



それにしても、ふたりの紳士は、この出来事のあと、東京に戻っても、紙くずのようにシワシワになってしまった顔が元に戻りません。これはそのまま、この表現が示すように、人の老いともとれます。念の為言っておくと、ここでいう老いとは、肉体的な老いや、精神的成熟とは何も関係ありません。(老いについての考え方は、トールキンの『妖精物語とは何か』第五章”回復、逃避、慰め”及び"結び"の記事を参照してみてください)

彼らは、山で遭遇した豊穣な世界に当てられて、自分たちの愚かさを、まざまざと自覚させられると、この先、何をするにも、行き詰まった状態に陥ってしまったとも考えられます。それは老いと表現するに、ふさわしい出来事でしょう。

ふたりには老いの傾向が、もうすでに、はじめからありましたが、まだ回復可能だったともいえます。この物語の出来事が決定的に、遥か彼方の不可逆的な老いにふたりを導いてしまったのです。

彼らのような偽りの生活者には、これらの出来事が受け止められず、豊かな人間になら、機転を利かせて貴重な経験とすることができたものを、毒としてしまったのです。



初出『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』大正13年12月1日
初稿の執筆は大正10年11月10日





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18:19 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』 宮沢賢治童話全集 4 より - 母親の愛情
主人公のホロタイタネリは、でまかせのうたをうたいながら、冬中かかって凍らして、細かく裂いた藤づるを叩いていました。それを母親が織る着物の繊維にするため、口で噛砕くのがタネリの仕事のようです。

ところで、タネリは早春の野原の明るさに誘われて、とうとう森に入るなという母親の言葉を背に、叩いていた藤つるをひと束持って、それを、口でにちゃにちゃ噛砕きながら野原に出ていきました。

タネリは柏の木や、ひきがえるや、栗の木、鳥のときなどに声をかけながら散策していくと、いつの間にか不気味な暗い木立の森を前にして、そこに犬神を見とめます。タネリは恐ろしさのあまり一目散に家に逃げ帰りました。

タネリは家に着くと、藤づるは噛んだかと母親に尋ねられます。気づくとタネリは、それをどこかへなくしてしまったようです。しかし、確かにいち日中、噛んでいたとぼんやりと答えました。

すると、それならいいと母親はタネリの顔つきを見て安心し、家事を続けました、と物語は結ばれます。





藤づるを叩いて、さらに噛みぐだき、繊維にして、着物を織るなど、この一家の生活は極貧であることがうかがわれます。そんな貧しい人々に心を寄せる賢治らしいお話です。

タネリ一家は、その時代の農民一般を描写したものと考えられますが、主人公のタネリその人は、その空想癖などからして、賢治そのものが投影されているものと思われます。

タネリは、母親に頼まれた仕事を最後までこなせなかったわけですが。その言い訳が物語タイトルになっているようで、ユーモアを誘います。

そしてそんなタネリを叱りつけることなく、息子の無事を心配する母親の愛情が感じられる優しい物語でもあります。



子どもを、ある枠組みにはめようとするつもりがないなら、たとえ貧乏でも子どもは育てられます。

賢治は裕福な家庭で育ち、その跡取りという枠組みで縛られていました。しかしその枠組みは、ある意味、役には立ったものの、多くは賢治の足かせになったのではないでしょうか。

子どもは親とは別人格であり、枠にはめたりして可能性を狭める必要はないのだと思います。親次第で、子供の可能性は広がるのではないでしょうか。

同じ童話作家のアンデルセンの幼少は極貧でした。しかし世界で一番成功した童話作家になっています。『マッチ売りの少女』のモデルはアンデルセンの母親だといいます。愛情あふれる母親さえいれば、それでいいのだと思います。

もっとも、消費に時間をかける現代社会においては、必然的に母親の役割は変わっています。



生前未発表
『若い研師』第一章が『若い木霊』に改作され、さらに『サガレンと八月』をも包摂して本作品となったようです
大正13年春頃の執筆





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18:44 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『車』 宮沢賢治童話全集 4 より - 労働の楽しさをうたった明るい物語
ハーシュは午前中、街角に立っていましたが、どういうわけか仕事がなく、昼の弁当を食べ始めました。

すると、赤ひげのの男からテレピン油(塗料などの溶剤)を買いに頼まれます。ハーシュは男に道を聞いて、よぼよぼの車を引いて行きました。



道の目印となる松林のそばに来ると、水色の水兵服を着て空気銃を持った、縮れ毛の可愛らしい子どもに、車に乗せてくれとせがまれます。

子どもを乗せて車を引いていく途中、車の具合が良くないため調べてみると、車輪のくさびが抜けていました。このままでは車輪がはずれてしまいます。



難儀していたところ、百姓屋に続く小さな道を見つけ、そこに入って行くと縄を見つけました。

それを車の修理のために拾おうとすると、後ろから百姓のおかみさんの声が聞こえてきて、それはわたしらが一生懸命なったものだ。それを黙って持っていくなと怒られます。もっともなことでした。

仕方なく、抜けたくさびを探しに、来た道を戻ると、くさびは無事見つかります。そして車の修理を済ませました。



無事工場にたどり着くと、技師長兼職工が出てきて、届けが遅くなってしまっていることを詫ましたが、ハーシュはただの頼まれごとで来ただけなので事情は知りません。

技師長は、ハーシュが載せてきた子どもに、どこに行っていたんだと声をかけます。どうやら載せてきた子どもは、技師長の子どものようです。子どもは、車が遅くてねと冗談を言いました。技師長は笑いました。ハーシュも笑いました。

ハーシュは午前中仕事がなかったのも忘れて、働くことの悦びを噛み締めました、と物語は結ばれます。





中程で登場する百姓のおかみさんの苦労も語られますが、全体としては、働くことの喜びを表現した明るい作品になっています。それを示すように、お話最後の子どもの軽口が、印象に残ります。



生前未発表
大正12年秋ころ清書、初稿か否かは不明





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18:27 : 宮沢賢治童話全集 04 注文の多い料理店 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『よくきく薬とえらい薬』 宮沢賢治童話全集 4 より - 寓話的手法を用いた童話
清夫は、今日も森の中へばらの実を取りに行きました。森の鳥たちが、それを見て、清夫の病いの母親の具合を心配したり、病の薬であるばらの実が取れたかと案じてくれます。

しかしその日は、ばらの実が一向に集まらず、かごの底が隠れません。おひさまは空の真ん中まで登ろうとしています。木が水を吸い上げる音がしました。

疲れた清夫はぼんやりと立ちながら、ひと粒のばらの実を唇に当てます。するとどうでしょう、体中がなんともいえず、すがすがしい気分となりました。

清夫はそのばらの実を見ると、なんとその実は透き通っていました。清夫は飛び上がって喜び、早速それを持って、風のように家に帰りました。帰宅して母親に飲ませてみると、病はたちどころに全快します。

このはなしは広まり、きっと透き通ったばらの実は神様が清夫にお授けになったものだと噂されます。



ところで近くの町に、大三という太ったにせ金使いがおりました。大三は、近頃頭がぼんやりしていけないと思い、医者に尋ねると、食べ過ぎとのことでした。

しかし大三は医者の言うことなど聞かず、逆に医者を困らせていました。そこで自家薬籠にと、頭がすっきりとし、息切れを止めて、体のだるさを治す薬を求めました。

そこに、清夫の噂を聞いたものですからたまりません。早速百人の人を雇い、朝から雇い人といっしょに、林で透き通ったばらの実を探します。



鳥たちは呆れて大三をからかいました。大三は薬さえ見つかれば林など焼いてしまうと鳥たちに脅します。

しかし透き通ったばらの実は、夕方になっても見つからず、大三は諦めました。そしてしばらく考え、自分でその実を作ればいいのだという結論に至ります。そして、ただのばらの実をたくさん持ち帰りました。



家に帰ると、ただのばらの実と、ガラスのかけらと、水銀と、塩酸を、るつぼに入れて真っ赤に焼きました。すると何やら透き通ったものができました。大三は喜んでそれを飲み込むとあっという間に死んでしまいます。

たいぞうの飲み込んだものは、昇汞(塩化水銀)という一番の毒薬でしたと物語は結ばれます。



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前半では、自然と共に生きる清夫へ、自然からの贈り物として透き通ったばらの実という良薬が与えられ、彼の病の母親が全快するお話しが語られるのとは対照的に、後半では、人間が自然の一部であることを忘れて、尊大に振る舞う大三が自分で作った薬を毒薬とも知らず飲んで、思いもよらず自死してしまうお話になっています。



前半は、賢治がよく用いる、木が水を吸い上げる音など(『ありときのこ』参照)、詩情豊かに語られるのに対して、後半はあっさりと形式的に風刺がなされるだけといった印象です。これは結末が簡潔な昔話によくある語られ方です。

この叙述の仕方は、賢治の童話としてはやや物足りない印象をうけますが、意図して昔話風にしたとも考えられるのではないでしょうか。語られることに寓意を強く持たせたかったのかも知れません。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年か11年頃



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