競争に勝つこと、大きいことが立派だと教えるほらぐま先生の学校に、赤い手長のくもと銀色のなめくじと顔を洗ったことのないたぬきが入学してきます。
一年目は、くも、二年目は、なめくじ、三年目は、たぬきが、それぞれいちばんとなり、三人は卒業していきます。ほらぐま先生への謝恩会、自分たちの送別会を開いて別れました。三匹はそれぞれに、自分こそが一番となって、競争に勝ち、大きくなってやると、腹の中では相手を見下しています。
一、くもはどうしたか
くもは自分の家である楢の木に帰ると、空腹を満たすために網をかけ、虻の子を食い、盲目の巡礼のかげろうをペテンにかけ食い殺し、一息ついたところで女房をもらい、二百匹の子をもうけました。
しかし、たぬきに網のかけ方がまずいと注意され立腹します。そこで、あちこちに一生懸命網をかけることに精を出しました。
ところが、網にかかったたくさんの獲物を腐らせてしまい、その腐敗が自分たちに移って、くもの一家は全滅してしまいます。
つめくさの花が咲き、蜂が蜜を集めている頃のことです。
二、銀色のなめくじはどうしたか
帰宅したなめくじは、まず、自分が学校も出て、人が良く、親切だという評判を林中に広めました。
そして空腹のかたつむりを、食べ物で親切にもてなし、兄弟と言い合うほどの仲になったところで、戯れに相撲を取ろうと言ってかたつむりと投げ飛ばし、相手を殻ごと食べてしまいました。
またとかげの傷を治すと言って傷口を舐め体を溶かしこれも食べてしまいます。なめくじは途方もなく大きくなっていきます。
そんなことをしていると、次第になめくじに対する悪い評判が立ち始めました。
そんなとき、なめくじの前にあまがえるが現れて、相撲を取ろうと言います。なめくじはこのあまがえるも食べてしまおうと思いましたから、すぐその話に乗りました。ところがアマガエルの差金で土俵に塩をまかれ、なめくじは溶かされ消滅します。
蕎麦の花が咲き、蜂が今年の終わりの蜜を集めている頃の話でした。
三、顔を洗わないたぬき
さて、たぬきも自分の寺に帰りました。そして自分の空腹を満たすため、ひもじさを訴えに訪ねてきた来たうさぎを、念猫をとなえながら食い殺し、説教を聞きに来た狼をも、懺悔せよと言いながら食い殺してしまいます。さらに腹の中でわめく狼を鎮めるために狼の持参した、もみ三升も平らげました。
しかし、次第にたぬきの腹の中で育ったもみは膨れ上がり、たぬきがもみを食べてから、二十五日後にはこらえようもなく、たぬきの腹を裂いてしまいました。
ほらぐま先生は少し遅れてやってきて、三人とも賢い、いい子供らだったのに、実に残念なことをしたと言いながら、大きなあくびをします。
蜂が冬ごもりを始めた頃のことです、と物語は結ばれます。
賢治の社会批判の物語です。ほらぐま先生の三人の生徒は、それぞれ例えるなら、商業資本家、偽りの人徳家、インチキ宗教家のようなものが想定され、それらが優勝劣敗の資本主義社会の産物であることがほのめかされているのでしょう。
またそんな資本主義社会の中での立身出世が、欺瞞に満ちたものであることが語られているものと思われます。それを示すように三人は自滅します。
また最後に、これらの原因を作った、ほらぐま先生の無責任ぶりが描写され、教育批判にもなっています。
しかしこの作品には、批判のみで、何ら建設的なことが語られないのが残念です。
この物語の前身である『蜘蛛となめくじと狸』は、『
ふた子の星』と共に、賢治が若い頃に家族に読み聞かせたことから、賢治の童話処女作と考えることができます。その場合、賢治の創作の動機を考える上では重要な物語ととらえることができます。
その『蜘蛛となめくじと狸』からこの物語に変遷する過程で、章ごとの終わりに、蜂のエピソードが書き加えられていますが、三人の愚かな行いを印象づけるような役割を果たしていて、物語の完成度が増しているような趣です。
生前未発表
作品成立は、まず、『蜘蛛となめくじと狸』の内容で家族に読み聞かせたのが大正7年頃。題名不明『蜘蛛となめくじと狸』の内容で清書されたものが大正10念秋頃。『蜘蛛となめくじと狸』のタイトルで冒頭を書き改め全体に手入れがされたのが大正12年頃。これに蜂のエピソードを加えて手入れをしたものがこの物語です。
さらに『山猫学校を卒業した三人』のタイトルでさらに冒頭を書き改め、さらに全体に手入れがされたのが大正13年頃にあります。
また第二章を独立させ『ずるいなめくじのはなし』にしようとした試みもあります。