子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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宮沢賢治童話全集 3 どんぐりと山ねこ リンク
貝の火』 宮沢賢治童話全集 3 より - 若き日の賢治が投影された物語
どんぐりと山ねこ』 宮沢賢治童話全集 3 より - デクノボウ思想の前身
鳥をとるやなぎ』 宮沢賢治童話全集 3 より - 子どもと詩人の感性
ふたりの役人』 宮沢賢治童話全集 3 より - 子どもの視点から見える大人
』 宮沢賢治童話全集 3 より - 消えることのない自然に対する畏怖を表現する物語
さるのこしかけ』 宮沢賢治童話全集 3 より - 現実に生成する空想
ほらぐま学校を卒業した三人』 宮沢賢治童話全集 3 より - 賢治の社会批判の原点
四又の百合』 宮沢賢治童話全集 3 より - 賢治の信仰イメージ





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18:16 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『四又の百合』 宮沢賢治童話全集 3 より - 賢治の信仰イメージ
お釈迦様が明朝に、ヒームキャの川を渡って、この町においでになることになり、王をはじめ民は感激と喜びに満たされます。

街では掃除をはじめ、もてなしの食事や、寝泊まりのための精舎の建築など、ひたすら手落ちのないように準備が整えられます。



お釈迦様が到着する朝方、王はお釈迦様にゆりの花を捧げようと思い、大臣にその調達を任せます。しかしゆりの花は辺りにはなく、一人の子どもが持っていました。

大臣は子どもに、ゆりの花をお金で譲ってくれるよう頼みますが、子どもは自身がお釈迦様に捧げるのだと言います。しかし子供は大臣にゆりの花を無償で譲りました。



川の向こうの青い林に、かすかに金色が登ります。王も民もひれ伏します。二億年ばかり前にどこかであったことのように思われます、と物語は結ばれます。





ゆりの花を持っていた子どもは、賢治自身が投影されたものでしょう。ゆりの印象として、ここで用いるのにふさわしいのは清浄でしょうか。物語は、賢治の信仰がイメージ化されたものとも取れます。



このお話の土台は、賢治の少年期の体験にあるものと思われます。賢治は盛岡中学三年の時に、暁烏敏という立派なお坊さんに仏様にあげるゆりを頼まれて、花巻の野原から取り集めて送ったことがありました。蛇足ですがヒームキャは花巻を連想させます。

また、仏教説話に、花売りから花を買い、仏に捧げることで成仏するというものがあります。これらの説話も下敷きとしているかも知れません。





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18:26 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『ほらぐま学校を卒業した三人』 宮沢賢治童話全集 3 より - 賢治の社会批判の原点
競争に勝つこと、大きいことが立派だと教えるほらぐま先生の学校に、赤い手長のくもと銀色のなめくじと顔を洗ったことのないたぬきが入学してきます。

一年目は、くも、二年目は、なめくじ、三年目は、たぬきが、それぞれいちばんとなり、三人は卒業していきます。ほらぐま先生への謝恩会、自分たちの送別会を開いて別れました。三匹はそれぞれに、自分こそが一番となって、競争に勝ち、大きくなってやると、腹の中では相手を見下しています。



一、くもはどうしたか

くもは自分の家である楢の木に帰ると、空腹を満たすために網をかけ、虻の子を食い、盲目の巡礼のかげろうをペテンにかけ食い殺し、一息ついたところで女房をもらい、二百匹の子をもうけました。

しかし、たぬきに網のかけ方がまずいと注意され立腹します。そこで、あちこちに一生懸命網をかけることに精を出しました。

ところが、網にかかったたくさんの獲物を腐らせてしまい、その腐敗が自分たちに移って、くもの一家は全滅してしまいます。

つめくさの花が咲き、蜂が蜜を集めている頃のことです。



二、銀色のなめくじはどうしたか

帰宅したなめくじは、まず、自分が学校も出て、人が良く、親切だという評判を林中に広めました。

そして空腹のかたつむりを、食べ物で親切にもてなし、兄弟と言い合うほどの仲になったところで、戯れに相撲を取ろうと言ってかたつむりと投げ飛ばし、相手を殻ごと食べてしまいました。

またとかげの傷を治すと言って傷口を舐め体を溶かしこれも食べてしまいます。なめくじは途方もなく大きくなっていきます。

そんなことをしていると、次第になめくじに対する悪い評判が立ち始めました。

そんなとき、なめくじの前にあまがえるが現れて、相撲を取ろうと言います。なめくじはこのあまがえるも食べてしまおうと思いましたから、すぐその話に乗りました。ところがアマガエルの差金で土俵に塩をまかれ、なめくじは溶かされ消滅します。

蕎麦の花が咲き、蜂が今年の終わりの蜜を集めている頃の話でした。



三、顔を洗わないたぬき

さて、たぬきも自分の寺に帰りました。そして自分の空腹を満たすため、ひもじさを訴えに訪ねてきた来たうさぎを、念猫をとなえながら食い殺し、説教を聞きに来た狼をも、懺悔せよと言いながら食い殺してしまいます。さらに腹の中でわめく狼を鎮めるために狼の持参した、もみ三升も平らげました。

しかし、次第にたぬきの腹の中で育ったもみは膨れ上がり、たぬきがもみを食べてから、二十五日後にはこらえようもなく、たぬきの腹を裂いてしまいました。



ほらぐま先生は少し遅れてやってきて、三人とも賢い、いい子供らだったのに、実に残念なことをしたと言いながら、大きなあくびをします。

蜂が冬ごもりを始めた頃のことです、と物語は結ばれます。



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賢治の社会批判の物語です。ほらぐま先生の三人の生徒は、それぞれ例えるなら、商業資本家、偽りの人徳家、インチキ宗教家のようなものが想定され、それらが優勝劣敗の資本主義社会の産物であることがほのめかされているのでしょう。

またそんな資本主義社会の中での立身出世が、欺瞞に満ちたものであることが語られているものと思われます。それを示すように三人は自滅します。

また最後に、これらの原因を作った、ほらぐま先生の無責任ぶりが描写され、教育批判にもなっています。

しかしこの作品には、批判のみで、何ら建設的なことが語られないのが残念です。



この物語の前身である『蜘蛛となめくじと狸』は、『ふた子の星』と共に、賢治が若い頃に家族に読み聞かせたことから、賢治の童話処女作と考えることができます。その場合、賢治の創作の動機を考える上では重要な物語ととらえることができます。

その『蜘蛛となめくじと狸』からこの物語に変遷する過程で、章ごとの終わりに、蜂のエピソードが書き加えられていますが、三人の愚かな行いを印象づけるような役割を果たしていて、物語の完成度が増しているような趣です。



生前未発表
作品成立は、まず、『蜘蛛となめくじと狸』の内容で家族に読み聞かせたのが大正7年頃。題名不明『蜘蛛となめくじと狸』の内容で清書されたものが大正10念秋頃。『蜘蛛となめくじと狸』のタイトルで冒頭を書き改め全体に手入れがされたのが大正12年頃。これに蜂のエピソードを加えて手入れをしたものがこの物語です。
さらに『山猫学校を卒業した三人』のタイトルでさらに冒頭を書き改め、さらに全体に手入れがされたのが大正13年頃にあります。
また第二章を独立させ『ずるいなめくじのはなし』にしようとした試みもあります。





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18:48 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『さるのこしかけ』 宮沢賢治童話全集 3 より - 現実に生成する空想
主人公の楢夫は、夕方、家の裏にある、栗の木に並んで生えた三つのさるのこしかけを見て、そこに腰掛けている三匹の小猿の兵隊を空想をしていると、その小猿が顕現します。

小猿の大将は楢夫の年齢を聞き、よいところに連れて行くといいました。するとさるのこしかけのそれぞれに小さな穴が、栗の木の根本に楢夫が入れる程度の入り口ができます。

楢夫は栗の木の中に入るとそこは煙突のように空洞になっていて壁には小さな螺旋階段がどこまでも上の方に続いています。楢夫は一度に百段くらい上がるのですが小猿たちは思いのほか早くやっとの思いでついていきました。

突然目の前が明るくなり、そこは昼の種山ヶ原でした。そこでは猿の軍隊が演習をしていて、突然楢夫を縛り上げてしまいます。そして楢夫の体は高く胴上げされ地面に落とされました。

しかしそこに山男が現れ、楢夫は彼に受け止められ助かります。楢夫は山男によって草原に降ろされます。気がつくとその草原は、楢夫の家の前にある草原でした。家の中で母親が夕飯の支度ができたと叫ぶ声で物語は結ばれます。



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異界に連れ込まれる主人公の、ある意味ナンセンスな小話ですが、空想を交えた場面の切り替わりが鮮やかです。

しかし山男と小猿をを用いて、自然の違順二面を表現しているようにも思え、ただの妄想に終わらず、お話にリアリティを感じることもできます。

つまり、小猿が顕現する夕暮れ時の村と、山男によって小猿から助けられる昼の種山ヶ原が対比されていて、それぞれの場での、主人公の情感が表現されているようにも思えるのです。

このような空想による試みを、トールキンは、現実に生成する空想といっていたのではないでしょうか。



また小猿は、主人公を異界に連れ去るくだりで本人に年齢を尋ねています。これは、空想世界に一般的な年齢制限を設ける賢治の試みとも取れます。

雪渡り』を読んでも感じたことですが、賢治は、空想世界との親和性を持つ一般的な年齢の上限を、熟知していたのではないでしょうか。

さらに小猿の軍隊が、楢夫を縛り上げてしまうくだりは、どこか『ガリバー旅行記』を思い起こします。『ガリバー旅行記』がはじめて翻訳されたのは大正10年です。この年を目安にすると、賢治も何らかの形で読んでいたかも知れないですね。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正10年頃



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18:21 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『谷』 宮沢賢治童話全集 3 より - 消えることのない自然に対する畏怖を表現する物語
小学三、四年生のわたしは、馬番の理助に連れられてキノコ採りに出かけます。理助は白いものは筋が多いから褐色のものを選んで採れとわたしに指図します。

しかしそれは大嘘で、褐色のきのこは古いものでした。理助は、自分は白いものを選んで取っているのです。帰りがけに理助はすぐそばにある谷の崖を見せてわたしを怖がらせ、一人で取りに来る気をなくさせます。帰ってきたわたしは、兄に採ってきたきのこが全て古いものだと聞かされて、笑いものにされます。

冬になると理助は北海道の牧場に行ってしまいました。事実上あのきのこを採った崖っぷちは、わたしのものとなります。



次の年の秋にわたしはあの場所にきのこ狩りいいこうとしますが、危険な場所な上、地理にも疎かったわたしは、その場所を誰にも教えないという条件で、友人の藤原慶次郎を誘います。

慶次郎は、そのあたりの地理に詳しく、早速きのこの生えている場所にたどり着きます。しかし、そこは去年とは違う場所のようです。ふたりは、きのこを狩る場所がふたつできたと喜びます。

わたしは今日はもう遅いから、明日にでも兄を連れて、去年の場所も確認しようと言いましたが、慶次郎はこの場所を他の人に教えたくないようです。

そこで慶次郎は、今日のうちに去年の場所にも行ってみようと言い出し、谷の崖っぷちを探しました。ところが崖はすぐそばにありました。なんのことはない今きのこを採った場所は去年の場所だったことを知ります。ふたりはがっかりしました。

ふたりは帰りに谷に向かって叫び、こだまを呼んでいると、にわかに恐ろしくなって、足早にその場所を去りました。帰り道では何かに追われているような気配もします。

二人はそんな恐怖心から、次の年は兄に話して、一緒にでかけたと物語は結ばれます。



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鳥をとるやなぎ』、『ふたりの役人』と同じ原稿用紙が使われ、同様に友人の藤原慶次郎が登場し、小学生のわたしが主人公と、三拍子そろっていて同じ時期の作品と見られます。

自然への畏怖の感情が見え隠れし、『風の又三郎』に通じる、谷への恐れを指摘できるでしょうか。

そもそも、当初、理助が谷に通じる崖っぷちにわたしを誘ったのも、この恐れから逃れるためだったのかもしれません。

賢治の自然観を考える上では、欠かせない作品になっています。



賢治の自然への畏怖の感情の行方は、そのまま現代人の合理的思考の獲得の道に通じるものがあると思います。とはいっても、その畏怖は完全に克服できるものではありません。

それゆえ、その空隙には様々なものが入り込む余地があります。そこを埋めるものとして空想などは最も我々が広範に用いる手段です。賢治の文学にも優れた空想が随所に見られます。

賢治には、もうひとつその空隙を埋める手段を考えてもいいと思います。それは法華経です。宗教がそのひとの一部を形作ることは、世の中にたくさんの例を見ることができます。

無宗教と言われる日本人ですが、賢治は日本人にしては神様との距離がことのほか短かったのかも知れません。かつての西洋では神様の存在は人間にとっての一大事でした。今でもその存在との距離は我々よりは短いものと思われます。

自然科学万能の時代、空想、宗教など、これらのものを諷することもできますが、安易にしてはならないことのように思われます。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃





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18:31 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『ふたりの役人』 宮沢賢治童話全集 3 より - 子どもの視点から見える大人
前記事『鳥をとるやなぎ』で登場の、友人藤原慶次郎とともに秋の風穂の野原へ、きのこや栗を取りに行った小学五年生のわたしは、東北長官一行が来るので入山禁止の立て札を見ます。

しかしふたりは好奇心から東北長官の風貌を見たいと思い、風穂の野原のはんの木の中に隠れて、その様子を見ることにしました。

しかし静まり返ったあたりに、次第に怖気づいたふたりは、気を紛らわすように、そこらに生えている初きのこを取り始めます。するとふたりの役人がやってきます。わたしと慶次郎は自分たちを捕まえに来たと思い恐怖におののきました。



しかし役人たちは、どうやらふたりを捕まえに来た様子はなく、栗の実などまいています。そして一人の役人が失敗だとつぶやきました。

こんな栗の木のないところに栗が落ちているわけがないというのです。どうやら東北長官一行にもてなしの一環で、栗拾いでもさせるつもりだったようです。しかしどうやら栗の木を一本見つけ、ふたりの役人はその木の下に栗の実を集めました。



役人たちの目的が自分たちの捕獲ではないと知ったふたりは、今のうちにこっそり逃げ出す算段を始めました。しかしその途中でふたりは、役人たちに見つけられてしまいます。そしてふたりが集めたきのこをを見て、きのこの在り処を役人たちは訪ねました。

しかしあちこちにはあるものの、ひとところにたくさんあるものではありません。役人たちは東北長官一行に手軽にきのこ狩りでもさせるつもりのようです。

そして私達の持つきのこに目をつけて、礼をするからそれを譲ってくらないかと提案しました。



役人たちは、それをひとところに再び生えているように生やし直しました。しかしどうもうまくは立たず、役人たちとふたりの子どもは思わず笑ってしまいます。

結局そこらにまとめて隠したあと、役人たちが摘んできたものとして、東北長官に差し出すことにしました。



後ほど聞いたことですが東北長官は大変満足して遊んで帰ったということです。以降二人の役人にふたりは時々会いましたが、二人はこちらのことをちゃんと覚えていないようですと物語は結ばれます。





いかにも小心、臆病、お人好しの小役人が、子どもの視点からユーモラスに語られます。子どもの大人に対する恐れもリアルに描かれています。気負いすぎた観念的なことが語られるわけでもなく、気軽に読める心象スケッチです。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃





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18:21 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『鳥をとるやなぎ』 宮沢賢治童話全集 3 より - 子どもと詩人の感性
小学校四年生の教室です。主人公のわたしに、友人藤原慶次郎が出し抜けに、鳥を吸込む柳の木の話をします。彼はその木をエレッキの柳の木と言いました。

エレッキとは電気のことを指しいるのでしょう、そこから電気磁石の効果による鳥を吸い込む光景が浮かべられ、慶次郎はエレッキの柳の木と言っているようです。

その話に、わたしは大いに興味を持ち、ふたりは約束して、その日の昼に、その柳の木を見に行くこととなりました。



河原には、大きな柳の木が並んでいますが、鳥は来ませんでした。しかし、しばらくすると、向こうの柳の木からもずの群れが飛び立ち、他の柳の木に落ち込むのを見ます。

そしてもずは、柳の木でしばらく鳴いていたものの、まもなく静かになってしまいます。死んでしまったかのようで、慶次郎は様子を確かめるべく、柳の木に石をほうりますと、再びもずの群れは飛び立ちました。それを繰り返します。

ふたりは、柳の木に、鳥を吸い込む力があることを、事実ではないとわかりながらも、そんなこともあるかもしれないと思い込みます。





知的な現実認識と、それを良しとしない空想を交えた、自然に対する畏怖の感情が交差します。少年少女期の独特の体験でしょう。

しかし大人になっても詩人である賢治は、これらの感情を身近に感じていたのかもしれません。



生前未発表
現存草稿の執筆は大正12年頃





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18:26 : 宮沢賢治童話全集 03 どんぐりと山ねこ : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
『どんぐりと山ねこ』 宮沢賢治童話全集 3 より - デクノボウ思想の前身
ある土曜日の夕方、一郎は山猫から裁判の仲裁を願い出るはがきを受け取り、翌日山の奥に出かけました。

かやの森を抜けると、馬車別当を従えた横柄な山猫が現れ、苦り切った様子で、手紙に書いてあった通り、どんぐりたちのらちのあかない争いを、どう裁いたらよいものかを一郎に相談しました。

どんぐりたちは、互いに自分が他のどんぐりに対して、いかに長けているかを主張して、われこそが偉いと譲らないわけです。そこで一郎は、自分が説教で聞いた話として、この中で一番馬鹿で、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのを一番偉くすればいいといいました。すると争いはあっという間に鎮まり、裁判は片付いてしまいます。

山猫はこれからも度々相談事があればきて欲しいと思い、その際の手紙の文言について話し始めました。しかしそれが場にそぐわないものとして一郎に笑われます。

山猫は一郎に、お礼として黄金のどんぐりをもたせ、帰りは馬車で遅らせます。ところで一郎が家に着くと、黄金のどんぐりはただのどんぐりに変わり、馬車も消えてなくなります。

それ以降、山猫からの手紙は来ませんでした。手紙の文言について、笑わずにいればよかったと一郎は思いました、と物語は結ばれます。



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一番偉いどんぐりを決める際、一郎は説教で聞いたお話として語り始めますが、説教とは法華経の「常不軽菩薩品」と思われます。

そしてこれは、賢治が、未来、理想としてかかげることになる、デクノボウ思想の前身が述べられているのでしょう。しかし未だ未熟で述べられていることは不完全です。説明不足でもあります。

そのため、物語全体からしたら、そこだけ浮いてしまっていて、取ってつけたような文章になってしまっています。

よってデクノボウ思想が述べられて、それをどんぐりたちが理解し、争いはおさまったのか、それとも、どんぐりたちのそれぞれが、誰しも馬鹿、もしくはそれに類するものになりたくなくて、争いがおさまったのか、よくわからないようなところがあります。

この作品の執筆当時、まだ、賢治は自己の思想を練り上げている途中で、作家としては未熟だったのでしょう。

そんな未熟さを残している作品を、もうひとつあげるとするなら、『ひのきとひなげし』などがあげられるでしょうか。やはり賢治の思想が述べられる箇所がありますが、文章全体からしたら、そこだけ浮いてしまっているような印象です。



話は変わりますが、一郎は山奥の裁判所への道を、途中で出会う自然物である、栗の木や、笛吹の滝や、ブナの木や、きのこの楽隊との会話によって方角を指図されてさまよい歩きました。また裁判が終わって帰る時も、きのこの馬車でわれ知らず送られています。

事実上山奥の裁判所はどこともしれない場所となっていて、そこは異界と言ってもいいでしょう。ファンタジーとしての仕掛けは、秀逸ですね。



初出『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』
初稿の執筆は大正10年9月19日



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『貝の火』 宮沢賢治童話全集 3 より - 若き日の賢治が投影された物語
うさぎの子ホモイは、溺れかけたひばりの子を救い、そのお礼に、鳥の王から、貝の火という宝珠を受け取ります。

この宝珠は、透き通って、中で炎のような光が揺らめくのが見えます。そして、この宝珠を持つ者は偉人として崇められるのでした。

そして偉人としての役割を果たすなら、ますます輝きを増して、持つ者に一生つき従うと伝えられます。ホモイはこの宝珠を曇らせることのないよう大切に扱うことを誓います。



ところがホモイは、皆がかしずくのを調子に乗り、家来にしたずる賢い狐を伴って、罪意識もないまま悪行を重ねるようになります。

しかしどういうわけか貝の火は曇るどころか輝きを増しました。ホモイはその行動をエスカレートさせていきます。



しかしひばりを助けて貝の火を手に入れたのも忘れ、狐の悪巧みにそそのかされて、動物園を開くために小鳥たちを捕獲すると、その夜、貝の火はとうとう曇ってしまいます。

ホモイは慌てて父親と出かけ、捕まえた小鳥たちを開放しました。しかし時すでに遅し、貝の火はただの白い石になってしまい、ホモイの目の前で石は砕け、ホモイは失明します。

砕けた石は再び貝の火となったものの、どこかへ飛んでいきました。鳥達は一羽去り二羽去りふくろうだけが残って、たった六日しか持たなかったなと皮肉を言います。

ホモイの母親は泣き過ごし、父親はこんなことはよくあることだ、それを知ったお前は、いちばん幸いなのだと慰め、目はまた良くなるから泣くなと言って、物語は結ばれます。



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現存草稿の表紙には「因果律を露骨ならしむるな」とあることから因果律がテーマとして取り上げたのでしょう。ベースにあるのは仏教思想のようです。貝の火を法華経安楽行品第十四からのイメージとする説もあります。



また貝の火の所持は、賢治自身の立身の経験を表象していて、つまり東京での立身に失敗した賢治が、父にしか頼るところがないという状況は、この物語と重なるという説もあります。

その場合、賢治はホモイに、自身を投影していた事になります。そして、その結末は自身への自虐的な戒めになっているのかもしれません。

それにしても幼いホモイにとって、貝の火の所持は、あまりにも身に余る出来事であり、残酷でさえあります。



生前未発表
大正7年夏弟妹に読み聞かせ
大正10年に教室で読む
現存草稿は大正10年頃清書





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