子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 3 夏 リンク
先頭の数字は記事の日時です。これに記事タイトルが続きます。

08-05-1 日本の昔話 3 より 『桃太郎』 きびだんごの力がすごい
08-05-2 日本の昔話 3 より 『つぶ婿』 西洋型の異類婚姻譚
08-06-1 日本の昔話 3 より 『八郎太郎』 八郎潟の地名に関する由来譚
08-06-2 日本の昔話 3 より 『兄弟の弓名人』 芸は身を助く、村社会からの離脱
08-07-1 日本の昔話 3 より 『お日さまを射そこねたもぐら』 日本の古来からの太陽信仰
08-07-2 日本の昔話 3 より 『水恋鳥』 あかしょうびんを水恋鳥と呼ぶことの由来譚
08-08-1 日本の昔話 3 より 『蛇婿』 親孝行な三女の幸せな結末
08-08-2 日本の昔話 3 より 『沼神の手紙』 自然に宿る神さま
08-09-1 日本の昔話 3 より 『くもの糸』 異類のものをイメージさせる蜘蛛という存在
08-09-2 日本の昔話 3 より 『天人女房』 異類婚姻譚のひとつ、羽衣伝説

08-10-1 日本の昔話 3 より 『キジムナー』 否と言えない男
08-10-2 日本の昔話 3 より 『手斧息子』 立派な若者になるための寄り道をテーマとする昔話
08-11-1 日本の昔話 3 より 『天の庭』 一度失ったからこそわかる相手の大切さ
08-11-2 日本の昔話 3 より 『月見草の嫁』 若いひとり者を慰めるお話の類型
08-12-1 日本の昔話 3 より 『旅人とおなごの神さま』 日本の多種多様な神さまを思う
08-12-2 日本の昔話 3 より 『馬のたまご』 ファンタジーを大事にする心
08-13-1 日本の昔話 3 より 『ちょうふく山のやまんば』 山姥という存在の両義性
08-13-2 日本の昔話 3 より 『きいちばあ』 魔物を退治する物語
08-16-1 日本の昔話 3 より 『火車の化けもの』 飄々とした主人公の魔物退治
08-16-2 日本の昔話 3 より 『うり姫』 川上から流れてきて物語を展開させるもの

08-17-1 日本の昔話 3 より 『鬼の小づち』 鬼の目にも涙
08-17-2 日本の昔話 3 より 『妹は蛇』 日本の昔話にも登場する不思議なアイテム
08-18-1 日本の昔話 3 より 『てんとうさま金のくさり』 長子が活躍する物語
08-18-2 日本の昔話 3 より 『うなぎの恩返し』 昔話が語る道徳観
08-19-1 日本の昔話 3 より 『ものいう魚』 人の根源的な願望を叶えるもの
08-19-2 日本の昔話 3 より 『河童淵』 河童という存在の多様性について
08-20-1 日本の昔話 3 より 『河童の薬』 続、河童という存在の多様性について
08-20-2 日本の昔話 3 より 『蛇からもらった宝物』 大蛇という悠久の時を生きる異界の存在
08-22-1 日本の昔話 3 より 『犬と猫と宝物』 落ち着いた動物たちと、不安定な人間たち
08-22-2 日本の昔話 3 より 『きつねの恩返し』 善意には善意が答える

08-23-1 日本の昔話 3 より 『鳥のみじさ』 日本昔話らしい、もののあわれを想起させる物語
08-23-2 日本の昔話 3 より 『こぶ取りじい』 おなじみの隣の欲張り者の猿真似のお話
08-24-1 日本の昔話 3 より 『ずいとん坊』 たぬきtとの根比べ
08-24-2 日本の昔話 3 より 『あずきとぎの化けもん』 化けもんにも事情がある
08-25-1 日本の昔話 3 より 『はなし』 ちょっと意地悪なおばあさん
08-25-2 日本の昔話 3 より 『はなし話』 物語と言うか駄洒落
08-26-1 日本の昔話 3 より 『穴のぞき』 日本の昔話の状況描写の巧みさ
08-26-2 日本の昔話 3 より 『きつねの芝居』 日本の昔話に見るきつねという存在
08-27-1 日本の昔話 3 より 『にせ本尊』 きつねが人を化かすことに失敗し哀れみを誘う物語
08-27-2 日本の昔話 3 より 『枝はたぬきの足』 人を化かすたぬき

08-28-1 日本の昔話 3 より 『こんな顔』 ひとつ目の妖怪
08-28-2 日本の昔話 3 より 『とろかし草』 昔話の残酷さという表現手段
08-31-1 日本の昔話 3 より 『朝顔と朝ねぼう』 草にまで軽んじられる哀愁さそう男
08-31-2 日本の昔話 3 より 『傘屋の天のぼり』 由来譚の存在理由
09-01-1 日本の昔話 3 より 『月日のたつのははやい』 ユーモアを好む日本人
09-01-2 日本の昔話 3 より 『寝ずの番』 日本人の自他のあり方を象徴する物語
09-02-1 日本の昔話 3 より 『のれんがや』 独りよがりにならない説明の難しさ
09-02-2 日本の昔話 3 より 『旅人馬』 とある正義の博労
09-03-1 日本の昔話 3 より 『くもの化けもの』 蜘蛛が糸を巻きつける恐ろしい手段
09-03-2 日本の昔話 3 より 『ひょうたんの化けもの』 幽霊の正体見たり枯れ尾花

09-04-1 日本の昔話 3 より 『だんだん教訓』 グリム童話のハンスの物語との相似性
09-04-2 日本の昔話 3 より 『話十両』 不条理なことであっても、約束は守るべきもの
09-05-1 日本の昔話 3 より 『ぶしょうもの』 マイペースな男
09-05-2 日本の昔話 3 より 『あわてもの』 愛すべき学習しない男
09-06-1 日本の昔話 3 より 『においの代金』 けちという悪徳も受け入れる日本の昔話
09-06-2 日本の昔話 3 より 『あめは毒』 賢い小僧さんの頓知噺
09-07-1 日本の昔話 3 より 『くさった風』 下ねたの多用、農民を語り部とする日本の昔話
09-07-2 日本の昔話 3 より 『この橋わたるな』 小僧さんが知恵を働かせる物語の類型
09-08-1 日本の昔話 3 より 『切りたくもあり、切りたくもなし』 小僧さんの渾身の風刺
09-08-2 日本の昔話 3 より 『犬の足』 昔話に現前性を与える空想という仕掛け

09-09-1 日本の昔話 3 より 『とんびの染めもの屋』 続、由来譚の存在理由
09-09-2 日本の昔話 3 より 『けものと鳥の合戦』 こうもりという存在のあり方
09-10-1 日本の昔話 3 より 『火種ぬすみ』 火の使い方を教えるバッタ
09-10-2 日本の昔話 3 より 『たつまきのはじまり』 ふんどし一枚で竜巻を起こすおじいさん
09-10-3 日本の昔話 3 より 『島をすくった三人兄弟』 恵まれた生活で忘れがちなこと





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18:20 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『島をすくった三人兄弟』 恵まれた生活で忘れがちなこと
むかし、宮古島の村長の家に、ひとりの美しい娘がいました。娘はたいそう大切に育てられどこにいくのも母親が同伴していました。しかし娘にいつの間にか赤ん坊が出来たらしくお腹が大きくなりました。



しかし、予定日を過ぎても子どもは生まれません。三年経ったある日、娘はなんと大きな卵を三つ生みました。父親は怪しみましたが卵がかえるかも知れないと思い、畑の柔らかい枯れ草の中にそっと置いてきました。父親は毎日卵の様子を見ていましたが、三日目に卵はかえります。三人の大きな男の子が産まれました。

子どもたちは村長のことをおじいと呼びます。何故おじいと呼ぶのかと聞くと、神さまが教えてくれたといいます。三人の子どもはどうやら神の子と言ってもいい存在のようです。村長は孫を連れて家にかえりました。



ところがこの三人の子どもはよく食べます。上の子は一日に米を七升、中の子は五升、下の子は三升を平らげます。とても養うことができません。

そこで隣村の子供のいない長者に、この子らを引き受けてもらいました。しかし隣村の長者も、その食事の量の実態を知ると、やはり養うことができまないことがわかりました。

そこで長者の故郷の今は誰も住んでいない来間島(くりまじま)へ三人の子どもを。おくることにしました。



三人子どもは、島で井戸を見つけ、まだ島に人が住んでいる気配を感じると探し回り、とうとう九十歳くらいの老婆を見つけます。三人はおばあさんに、なんでこんなところに隠れて住んでいるのかを聞きますと、老婆の口から来間島での悲劇を知ります。

この島では毎年豊年祭をしていたのですが、いつの間にか、しきたりが廃れ祭りが行わなくなると、大きな恐ろしい赤牛が現れ、島の人々を連れ去ってしまったということでした。



三人の子どもは、その赤牛に会いに行こうとして、老婆に近くまででいいからと案内を頼みました。するとそこには大きな門があり、門には娘がひとり番をしています。

娘に赤牛との間を取り次いでもらうと、赤牛が現れ、三人の子どもと力比べとなりました。三人の子ども息子は並外れた力で赤牛を取り押えると、角をもぎ取ってしまいます。赤牛は門の中に逃げ帰りました。



次の日三人の子どもは、赤牛の逃げていったところを探します。実は赤牛は神さまでした。そして島の人日びとをを襲った経緯を神さまは話しました。それは豊年祭をないがしろにしたせいでした。

かつての来間島はたいへん栄えていました。しかし来間島の人たちは、島や海の恵みを忘れてしまったのです。三人の子供は豊年祭を復活させると誓いました。

そして村人を返してもらおうとしますが、もうすでに門番の娘以外は盲にされています。娘だけを連れてかえりました。



その娘は老婆の孫でした。老婆は喜び、三人のうちの上の兄に娘を嫁にやりました。やがて娘には子どもが産まれ、そのうちふたりの女の子を中の兄と下の兄にあたえました。神さまとの約束も果たし豊年祭は行われ、来間島は再び栄えた、と物語は結ばれます。





来間島の人々は、島や海の恵みを当たり前のこととして、豊年祭をしなくなったことが島を衰退させた原因でした。それを、三人の神の使いと呼べる子どもらが元通りにします。

自然の恵みを大切にしてきた日本人の生活を、捨て去ろうとする人々のおごった風潮に、釘を差すお話になっています。人は恵まれると、とかく謙虚な姿勢を忘れてしまうのではないでしょうか。





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18:44 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『たつまきのはじまり』 ふんどし一枚で竜巻を起こすおじいさん
むかし、あるところに、炭を作って暮らしているおじいさんがいました。おじいさんには七人の息子と、ひとりの娘がいました。

おじいさんはとても働き者でしたが、息子たちは手伝おうとしません。炭焼きをすると、真っ黒になってしまうからです。なのでいつも遊んでばかりいました。それでも近所の子どもたちは、真っ黒になる炭焼の仕事を馬鹿にして、息子たちをさげすみました。

そこである日のこと、七人の息子は集まって、おじいさんを海に捨ててくる計画を立てます。



なにも知らないおじいさんは、息子たちにたまには海へ遊びに行こうと誘われ、ついていくと船で沖に連れて行かれ、大きな岩におろされます。息子たちは、もっと沖に出て魚を取ってくるというもののそれは嘘で、おじいさんは大海に置いてけぼりにされます。

息子たちはとっくに家に帰って、これで炭焼きの子どもと言われることはないと、企みが上手く行ったことを祝いました。娘だけは、なんてことをしたのだと、おじいさんを助けに行きます。

なにも知らないおじいさんは、息子たちが夜になっても戻ってこないので心配しましたが、自分も潮が満ちてきて溺れかけています。

そこに一匹のサメが現れて、もう終わりかと思ったところ、おじいさんは思い切ってサメの背に乗りました。するとサメはおじいさんを砂浜に運びました。



砂浜では、おじいさんを死んだものと思って泣いている娘がいました。娘は思いかけず、おじいさんの姿を見つけ助け起こします。

おじいさんは気を取り直して海を見ると、ここまで連れてきてくれたサメがまだそばにいました。

おじいさんは娘に家で一番大きな牛を連れてくるようにいい、その牛をサメに命を助けてくれたお礼として与えました。サメはそれを一口で平らげて沖へ帰っていきました。

おじいさんは娘に息子たちの悪だくみを聞いて怒ります。そして急いで家にかえりました。



息子たちは驚いて開いた口がふさがりません。息子たちは、おじいさんがもうとっくに死んだものと思っていたからです。

おじいさんは、あの大きな海の岩に、宝物を見つけたのだけれども、ひとりではどうすることもできなくて、つい帰りが遅くなってしまったと嘘をつきました。そして明日にでも宝物を取ってきなさい、と息子たちにいいました。

それを聞いた息子たちは思いがけないおじいさんからの言葉にすっかり浮かれてしまいます。



そして翌日息子たちは、そろって船を漕いで沖に向かいます。おじいさんは息子たちの船がすっかり小さくなったのを見ると、ふんどしを持って浜辺に立ちました。

そしてふんどしを海に向かって高くかざすと、神に息子たちを懲らしめる天罰を願います。するとふんどしは風に飛ばされ舞い上がり、沖の方へ飛んでいきました。

するとたちまち大風が起こり、ぐるぐると海の水を巻き上げ、息子たちの船を空中に飛ばしたかと思うと、船は落ちてきて海に叩きつけられ沈んでしまいました。これが竜巻の始まりです、と物語は結ばれます。



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タイトル通り、竜巻の由来が語られる由来譚ですね。それにしても、このおじいさんすごいです。ふんどし一枚で竜巻を起こしてしまいます。

真面目な働き者であったのに、息子たちに裏切られ気の毒に思っていたところ、最後のこの展開にスッキリとした読後感を味わうことができます。

このあと、おそらく息子たちは生きているでしょう。おじいさんは息子たちを懲らしめるために神に願っているからです。決して復讐ではありません。

おじいさんの、一介の炭焼としての朴訥な生き方がよく伝わってきます。

グリム童話(KHM169)『森の家』では、炭焼きという仕事が、罰、あるいは試練とされていました。人の嫌がる仕事という位置づけなのでしょう。



お話にサメが出てくる話は、これで二話目です。一話目は『さめにのまれる』です。イメージとしては海で人を食らう存在として、ここでもその性質は踏襲されています。しかし、この物語ではおじいさんを救っています。この純朴なおじいさんにして、サメをそうさせたと言えるかも知れません。





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18:42 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『火種ぬすみ』 火の使い方を教えるバッタ
むかし、沖縄には、マズムヌという魔物がいました。この物語は人間とマズムヌが仲良く付き合っていた頃の話です。



ある日人間は、マズヌムの家に招かれました。行ってみると魚や肉や色々なごちそうがいっぱい出され、どれもほかほか温かく柔らかでした。人間は不思議に思います。この秘密を知るためにこっそり覗き見てやろうと思いました。

そこである朝人間は、バッタを誘ってマズヌムの家にいきました。ところがマズヌムは、いつまで経ってもお茶もごちそうも出してくれません。わけを聞いてみると人間の見ているところでは、料理を作ることができないのだといいます。

そこでマズヌムは、人間とバッタに手ぬぐいで目隠しをしました。人間はなにも見ることができませんでしたが、バッタは手ぬぐいのすきから火をおこして料理するところを見てしまいます。



バッタは帰ってから、見てきたことを真似して火の起こし方を覚え、それを人間に教えてやりました。こうして人間は火の起こし方を知ったのです、と物語は結ばれます。



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人間が、火の使い方を知ることができるようになった由来が語られる、由来譚になっています。

火は魔物が使うものとして語られ、その使用法は人間には秘されていますが、バッタがその秘密を盗み見て、人間に教えたことにより、人間は火を使えるようになったと物語は語ります。

バッタが活躍していますが、なにゆえバッタなのでしょうか。あまり昔話ではメジャーな登場者ではありません。日本人の深層心理に、何かこのような心象が刻まれているのかも知れません。





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18:39 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『けものと鳥の合戦』 こうもりという存在のあり方
むかし、けものと鳥が喧嘩してとうとう合戦することになりました。けものの陣では一番賢いきつねが大将となりました。鳥の陣では空飛ぶものの中で一番賢い蜂が大将となりました。

いよいよ合戦というとき、きつねはけものたちを集めて合図を決めます。きつねがしっぽを立てたら前へ進めで、しっぽを下げたらあとへ引けということに決まりました。ところで賢い蜂はその話を盗み聞きしていました。



合戦が始まると蜂はきつねのところに飛んでいき、きつねがしっぽを立てるとその付け根を刺しました。きつねは痛くてしっぽを下げます。

けものたちはいざ突進と思いきや、急いであとへ引きました。きつねはこれではいけないと思い、もう一度しっぽを立てました。

ところがまたしても、蜂がしっぽの付け根を刺すではないですか。きつねは痛くて、またしてもしっぽを下げました。

こんなことが続き、とうとうきつねは痛くて、しっぽを立てることができなくなりました。けものたちは皆、あとに引いたので、けものの陣の負けとなりました。



この合戦のときこうもりはどちらの陣にも着きませんでした。羽が付いているので鳥でもあるけれど体はけものだからです。どちらの味方にも着きませんでした。

だから今でもこうもりはけものと鳥の間で暮らしていると物語は結ばれます。





こうもりが、争いの外で暮らすという決意が表明されます。ある意味高尚なあり方をこうもりが体現しています。

それに比べて、同じようなパートを使ったお話で、こうもりが仲間はずれにされるというお話もあります。そう、イソップ童話の「卑怯なコウモリ」です。こちらはイソップの寓話らしく、ご存知の通り、またタイトルからも察することができるように、辛辣な教訓が述べられています。

ちなみに、イソップは紀元前の人です。これらのお話を類話とするなら、その原型はかなり古いものと思われます。





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18:15 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『とんびの染めもの屋』 続、由来譚の存在理由
むかし、あるところに、とんびの染めもの屋がありました。とんびの染めもの屋は、きじや、かけすや色々な鳥が羽を染めてもらいにやってくるので、たいそう繁盛していました。



その頃からすの羽は真っ白でした。からすもとんびの染物屋にきれいに染めてもらおうと出かけていきました。しかしが今日はお客さんでいっぱいでした。なかなか順番がこず、からすは腹をたててしまいます。

そしてからすは自分で染めるといい出して、染め壺に勝手に飛び込んでしまいました。ところがそれは藍壺だったので、上がってみるとからすの体は真っ黒に染まってしまいました。



それからというものからすは、こんな姿になってしまったのは、とんびのせいだとし、つっかかっていくようになりました。とんだ言いがかりだといってとんびは逃げていきます。

今でもとんびが「ぴーひょろろ」と鳴きながら、空に輪を描いて飛んでいると、からすが「かあかあ」と泣いて飛びかかるのは、むかしそんなことがあったからです、と物語は結ばれます。





からすがとんびに飛びかかる理由に関する由来が語られる由来譚になっています。

からすが鳶に飛びかかる光景は、住んでいる場所がら、よく目にします。これはモビングといって、小さな鳥が大きな鳥から自分たちのテリトリーを守るための行為のようです。気づきませんでしたが、他の鳥の組み合わせにも、よく見られる光景のようです。

由来譚というのは、むかしは今のように自然科学的な意味づけができなかったので、これらの出来事に、意味づけするために物語として保存したのでしょう。

人間は、どうしようもなく出来事に意味を見出したがる存在です。数多にある由来譚の存在理由はそんなところにあるのかもしれません。

傘屋の天のぼり』の記事で、由来譚の存在理由について、ひとつの結論を出していました。それは由来を伝えること自体が目的であり、それ自体に大きな理由がある、と述べました。

ここではそれに加え、それらの営みが、人の性分として、ごく自然な行為であることを付け加えておきます。





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18:13 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『犬の足』 昔話に現前性を与える空想という仕掛け
短いお話です。むかし、犬の足は三本でした。それで犬は上手く歩けないので、神さまに四本足にしてくださいとお願いしました。神さまは犬を気の毒に思い、足をもう一本やることにしました。

しかし神さまはどこからもう一本持ってきたらいいかと悩みます。あたりを見回すと動く必要のないお香をたく香炉が目に入り香炉には四本の足があります。

神さまは香炉にお願いして足を一本譲ってもらい、そして犬につけてやりました。犬はお礼をいいました。そういうわけで香炉の足は三本になリ犬は四本足になったのです。

犬は神さまからもらった足を大事にし、おしっこをする時には濡らさないように、必ず足をあげてするようになった、と物語は結ばれます。



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香炉の足が三本であることと、犬がおしっこをする時に足をあげることの由来が語られる由来譚になっています。

昔話では、よく、突飛なことが語られますが、犬が初め三本足であったというのもそうですね。

由来譚というものは、たいていこじつけですが、もっともらしく語られるものです。そこには空想(ファンタジー)という仕掛けが使われたりもします。



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18:22 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『切りたくもあり、切りたくもなし』 小僧さんの渾身の風刺
むかしあるお寺に和尚さんと三人の小僧さんがいました。小僧さんは一番歳上が十二、三、真ん中が七つ、八つ、一番年下が五つ、六つの小さな子供でした。



あるとき和尚さんは檀家から大きな梨をもらい小僧さんにやろうと思いましたが、あいにくひとつしかありません。

そこで和尚さんは今から歌比べをして、一番上手に歌を詠んだ者に、この梨をやることにしました。

まず和尚さんが下の句を言うから、小僧さんはそれに上の句をつけることになりました。そして和尚さんは、下の句に「切りたくもあり切りたくもなし」と詠みました。



その晩はちょうど十五夜で、一番上の小僧さんは「十五夜の、月に邪魔する松の枝、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは感心します。

次に真ん中の小僧さんが読みました。「父親に、もらった筆の長い軸、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは大変感心し、この歌には父を思う気持ちがよく出ていると評しました。

そして和尚さんは、一番下の小僧さんには、これに優る歌は読めないだろうと思い、一番下の小僧さんの歌を聞く前に、真ん中の小僧さんに梨をやることに決めました。

すると一番年下の小僧さんは大声をあげて泣き出してしまいました。和尚さんは今日のところは我慢しろと言いましたが、小さい小僧さんは言うことを聞きません。とうとう和尚さんは根負けして小さい小僧さんの歌を聞くことにしました。

すると小さい小僧さんはなんと「梨ひとつ、惜しむ和尚のその首を、切りたくもあり、切りたくもなし」と詠みました。和尚さんは肝をつぶし、あわてて梨を小さい小僧さんにあげた、と物語は結ばれます。



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小さい小僧さんの歌が、渾身のブラックジョークになっています。この歌を前に、和尚さんは、梨を小さい小僧さんに渡さざるを得ませんでした。子供の頃は誰しも思ったことを口にするものです。それが的を得た表現となるっこともありえます。



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18:19 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『この橋わたるな』 小僧さんが知恵を働かせる物語の類型
むかし、ある山寺に、和尚さんと五人の小僧さんがいました。

あるとき村に法事があると言うので和尚さんと小僧さんは出かけることになりました。そこで和尚さんは自分は先に出かけるといい、小僧さんには、寺の掃除をしてから来るように言って、遅れてこないように注意しました。

小僧さんたちは言われたとおりにして村に出かけました。



しばらく行くと川があって橋がかかっているのですが、この橋渡るべからずと立て札があります。五人の小僧さんははたと困りました。

結局小僧さんのうち四人が橋の袂を降り、川を船で渡って向こう岸に上がりました。けれども一番年下の小僧さんだけは、じっと橋の手前で立ったまま考え事をしています。

しばらくその小僧さんは考えると、なにかひらめいたらしく手を打ちました。そして橋の真ん中を堂々と歩いてきます。やがて五人揃って法事のある家に着きました。



和尚さんは途中この橋を渡るべからず、という立て札があったはずだが、お前たちはどうやって来たのかと問います。四人の小僧さんたちは船を使ったと言いました。

ところが一番年下の小僧さんが黙っているので和尚さんは彼に尋ねました。すると小僧さんはこの端を渡らなければいいので、真ん中を渡ってきたと答えました。和尚さんはよく考えたと、この一番年下の小僧さんを褒めた、と物語は結ばれます。



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これまでも頓知を効かせた小僧さんの物語はありました。『神様と小便』、『あめは毒』があげられるでしょうか。小僧さんが、和尚さんと対等に渡り合うための知恵比べの物語の類型と言えるのではないでしょうか。



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18:41 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『くさった風』 下ねたの多用、農民を語り部とする日本の昔話
むかし、ある寺に、和尚さんと小僧さんがいました。暑い夏の盛りのことです。そこへ風売りが涼しい風を売りに来ました。和尚さんは早速小僧さんを使いに出し、涼しい風を買ってこさせると、壺の中にしまっておきました。

そして暑い日になると壺を出してきてふたを開け、和尚さんは一人で涼んでいました。小僧さんはそれを見てうらやましくてなリませんでした。



ある日和尚さんが法事に出かけていきました。小僧さんはここぞとばかりに、こっそり壺を出してきてふたを開け、たっぷりと涼しい風に当たりました。

ところが気がつくと壺の風はすっかり無くなっていました。小僧さんはたいへん困ってしまい、考えたあげく、尻をまくって壺の中におならを入れました。



夕方になって和尚さんが帰ってくると、暑いので、早速涼むとするかとツボを出してきて蓋を開けると、中からなんとも言えないくさい匂いがします。

和尚さんは顔をしかめて小僧さんに言いました。壺の風がひどく臭くなっているではないか。

すると小僧さんは答えます。あんまり暑いから風が腐ってしまったのでしょう、と物語は結ばれます。



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日本の昔話の大好きな下ねたです。これまで読んだものなら『へこきじい』、『神様と小便』、『魚の嫁さん』、『かくれ蓑笠』などがあげられるでしょうか。

日本の昔話は、多くが農民の間で伝えられてきた経緯があり、その影響が色濃く出ている結果だそうです。



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18:38 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『あめは毒』 賢い小僧さんの頓知噺
むかし、ある寺に、和尚さんと三人の小僧さんがいました。和尚さんは毎日押入れから水飴の入った壺を出しては、一人で舐めていました。

小僧さんたちは、和尚さんが何を舐めているのか知りません。そこである日、和尚さんに聞いてみました。

すると和尚さんが、あれは青とかげのはんみょう石と言って、大人が食べる分には薬となるが、子どもが食べると大変な毒となるから手をつけてはならないと言いました。

ところが小僧さんの中にひとり賢い者がいて、あれは飴に違いないと思い、なんとかして舐めてやろうと思っていました。



ある日のこと、和尚さんが法事に出かけました。その留守に賢い小僧さんは、他のふたりの小僧さんを呼んで、和尚さんのあの壺の中身は飴に違いないから、みんなで舐めてみようと誘いました。

するとひとりの小僧さんが、そんなことをしたら、怒られるに決まっていると反対します。しかし、賢い小僧さんは、うまい手があるから大丈夫と言って、ふたりをその気にさせてしまいました。

そして三人の小僧さんは、押し入れから大きな壺を取り出し、腹がぽんぽんになるほど飴を舐め、壺を空っぽにしてしまします。

和尚さんが帰ってくる頃になると、小僧さんたちは、和尚さんの部屋をきれいに片付け、そして賢い小僧さんは、和尚さんが一番大切にしている硯を取り出すと、なんとそれを投げて割ってしまいました。

その上で賢い小僧さんは、和尚さんが帰ってきたら合図をするから、一緒に泣くまねをしろと二人の小僧さんに言いました。



やがて和尚さんが帰ってくると、三人の小僧さんが泣いているので、和尚さんは三人にそのわけを聞きました。

すると賢い小僧さんは、「和尚さんの留守に部屋を片付けていたら、大事な硯を割ってしまったので、死んでお詫びをしようと、あの青とかげのはんみょう石のことを思い出し、それを食べて死のうと思ったのです。

しかしお前が死ぬなら俺も死ぬと、ふたりも言い出すので、三人で、あの青とかげのはんみょう石を食べたのですが、いくら食べても死にません。

とうとう壺は空になってしまいましたが、それでも死にません。和尚さんに申し訳なく、それで泣いていたのです」と言うではないですか。

これでは和尚さんも怒るに怒れません。和尚さんはあの壺に入っていたのは毒ではなく飴だと白状して、食べてしまったものは仕方がないと小僧さんを許してやりました、と物語は結ばれます。



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賢い小僧さんの頓智噺ですね。一休さんを思い出します。

日本の聖職者である和尚さんは人間的です。彼らをあるじとする寺で繰り広げられる出来事も、我々には親しみを持って受け入れられています。



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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『においの代金』 けちという悪徳も受け入れる日本の昔話
むかし、あるところに、たいへんけちな夫婦が住んでいました。隣がうなぎ屋なのをいいことに、いつもその匂いをおかずとして、ご飯を食べていました。夫婦は、うなぎなど一度も買ったことがありません。彼らには、どんどんお金がたまりました。

これを聞いたうなぎ屋は、たいへん怒りました。人のうちのうなぎの匂いをかいで、飯を食うなどけしからんと言って、うなぎ代を払わせようとすごみます。

ところがけちな夫婦は、ならばうなぎ代を払ってやろうと答えます。そして竹の筒にお金を入れて、うなぎ屋の耳元でちゃらんちゃらんと振って音を聞かせました。

うなぎ屋はなんのつもりだと詰め寄りました。するとけちな亭主は、うなぎの焼いた匂いを嗅いだだけだから、お前さんもお金の音だけでいいだろうと答えるではないですか。

うなぎ屋は、この忙しいのに、どこに銭の音だけを聞きに来る馬鹿がいる、とかんかんに怒ります。

するとけちな亭主は、それならうなぎの匂いがこちらにこないように焼いてくれ、わたしも匂いの代金を払わずに済むと言いました、と物語は結ばれます。



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このけちな夫婦、お金はたまっても、おかずを食べていないのだから、健康的にはどうなのか気になりました。

けちが隣のうなぎ屋と言い比べになって、競り勝ってしまいます。昔話ではけちは悪徳として語られやすいようですが、日本の昔話の懐の広さを感じさせる物語です。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『あわてもの』 愛すべき学習しない男
むかし、あるところに、とてもあわて者の男がいました。明日はお盆でお寺にまいろうとして、女房に暗いうちに家をでるから、握り飯を作ってくれと頼んで、早めに寝ました。



さて男は、暗いうちに起きて、支度を始めます。女房に握り飯のありかを聞くと、布団の中から声がして、握り飯は囲炉裏端にあるし、それを包む風呂敷は、わたしの布団の足元にあると答えが返ってきます。男は女房の足元から風呂敷を取り上げそれに握り飯を包み背負いました。

それから戸口に立てかけてあったはしごに腰掛けて、脚絆を巻きました。ところが、片方を間違えてはしごに巻いてしまいますが気づきません。そして糸に通した百文のお金を持つとわらじを履き、お寺に急ぎました。



やがて男は寺に着くと賽銭をあげようと、糸にとうした百文から一文だけ取り出して、賽銭箱に投げました。ところが間違えて九十九文の方を投げてしまいます。男は余計にご利益があるだろうと、そのまま拝みました。

そのうち男は腹が減ってきたので握り飯の入った風呂敷をおろしました。ところがそれは風呂敷などではなく、女房の腰巻きでした。おまけに中から出てきたのは握り飯などではなく枕でした。

何か買って食おうと思いましたが、お金はもうすでに一文しか残っていません。なにも買うことができませんでした。男はぷんぷん起こって帰りました。



男は家に飛び込むなり、風呂敷が腰巻きであったことと、握り飯が枕であったことの文句を言い、腹が減ったと女房の頭をたたきました。すると何をする隣のおやじと声が返ってきます。よくよく見るとそれは隣の女房でした。

びっくりした男はそのまま隣の家を飛び出し自分の家に飛び込むと自分の家の女房に手を付いて謝った、と物語は結ばれます。



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笑い話ですね。この主人公の男、物語から感じ取れるのは、かなりの楽天家であるということです。賽銭を間違えて、今日入り用のお金を大方投げてしまっても、それだけご利益があるなどと、うそぶいています。

よってこれまでの人生、反省などということは、なかなかしてこなかったものと思われます。つまり性格が根本から学習しないタイプなのです。それゆえに未だにあわてものが治らないのでしょう。楽天的すぎるのも考えものです。しかし、今回は学習したようです。愛すべき存在ですね。



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18:52 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ぶしょうもの』 マイペースな男
むかし、あるところに、なんとも不精な息子がいました。ともかく不精なのです。父親はそんな息子を見るに見かねて、旅にでも出せば変わるどろうと思いそうとしました。

母親は握り飯をたくさんこしらえて、息子に持たせてやります。息子はそれをどっこいしょと背負って、どこに行くという宛もなく、なんになるという宛もなく、ぶらあーと出かけていきました。



行くが行くが行くと。息子は腹が減ってきました。けれども息子は何しろ不精ですから、背負っている握り飯を下ろすのさえままなりません。

誰か腹を透かしたやつが来たら、そいつに下ろしてもらって、一緒に食べようなどと思って待っていました。



そのうちに向こうの方から編笠をかぶって大口を開けた男がやってきました。息子はその男が腹が減って口を開けていると思い込み呼び止めます。

しかしその男は、腹が減って大口を開けているのではなく、編笠の紐がゆるんでしまったのを、結び直すのも面倒だから、大口を開けて編笠が脱げないようにしているだけでした。

息子は、不精者にも上には上がいるものだと思った、と物語は結ばれます。





笑い話ですね、主人公の息子はマイペースなのだと思います。しかし、不精な性格でも一生そうしているわけには行かないでしょう。自分の食いぶちの問題もあります。そのうち、どこかで、何者かになればいいと思います。『寝太郎』を思い出しました。

しかしそうとはならず、自分よりさらなる不精な男に出会ったのをいいことに、いっそう不精の高みを目指していくのかも知れません。それはそれでその人の生き方です。





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18:51 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『話十両』 不条理なことであっても、約束は守るべきもの
むかし、ある男が、江戸へ出て十年間一生懸命働き、十両のお金をためました。これだけのお金があれば、村に帰って女房と楽に暮らしていけると思い、主人に暇乞いをして江戸をたちました。



さて、男が町外れまで来ると、とある家の前に、”命売ります”という看板を見つけ、なんのことだろうと不思議に思い、その家に立ち寄ります。

その家の主人に話を聞くと、どうやら命が助かる話を売るということらしいのです。男は興味を持って、その話はいくらですかと聞くと、三つで十両だといいました。この話を聞けば三度命拾いできるということです。

男は、命より大事なものはないと思い、話を三つ買いました。その家の主人は、それではようく聞けといいました。

まず一つめに「大木より小木」そしてふたつめに「ごちそう食ったら、油断するな」さらに三つめに「短気は損気」といいました。

男はがっかりしました。こんな他愛もない話を聞くために十年辛抱して働いて貯めたお金を全て話の支払いに使わなければならないのです。

しかし約束ですので男はお金を払いました。そして、その三つの言葉をそらんじて、また歩き出しました。



しかしなんと男の行方には、この三つの言葉に相応するような選択肢が待っています。そして言葉の通りに行動するとほんとに命拾いをするのです。

結果としては初めの二つの話で、自身の命拾いをし、最後の話で、女房の命拾いをしたことになりました。決して高い買い物ではなかった、と物語は結ばれます。



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主人公の男は、預言者らしき人物に、お金を払って、言葉を授かったという話でしょう。苦労してためたお金すべてを失いますが。命拾いをするのです。命より大切なものはありません。

ただしこの物語の眼目を、あまり損得の事柄と考えるのではなく、数々の妖精物語が繰り返し語ってきた、どんなに不条理なことであっても、約束は守るべきものであり、それが後々の幸せに結びつくという、一大テーマを、そこに見い出すべきと考えます。グリム童話(KHM01)『かえるの王さま』のテーマを、トールキンはこの約束に結びつけていました。

主人公の男は、約束に従って有り金すべてを支払いました。そう、約束に従ったのです。その結果、言葉はもはや独立して効力を持ち始め、必然的に男の命拾いに通じたととらえるのです。

勘ぐるなら、この預言者らしき人物は、本当はぺてん師であってもかまわないのです。濡れ手に粟で、影でほくそ笑んでいるかも知れません。しかし、この主人公の男がもし、損得勘定で、そんな言葉にはお金が支払えないと約束を果たさなかった場合、男は本当に命を失ったのだろうとも考えています。

それにしても、現実問題、ここで言う約束は、そうそうたやすくするものではありません。ある意味、聖なる約束と呼んでもいいと思います。どうでしょう、我々は、この主人公の男のように約束を果たすことができるでしょうか。



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18:25 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『だんだん教訓』 グリム童話のハンスの物語との相似性
注目すべきは、グリム童話(KHM32)『ものわかりのいいハンス』との相似性です。もちろん語られるエピソードは、まったく別ものですが、グリム童話のハンスと、このお話の婿どのは生き写しと言っていいでしょう。また登場する主人公以外のキャラクターの役割もほぼ同じで、結果として同じような構造の物語を形作っています。

婿どのは、その時その場ですべきことには、おおよそ頭が反応しません。それを嫁さんに指摘されるのですが、その指摘は、もうすでに終わったことに対するものであるにもかかわらず、婿どのは、次の行動で、それらの助言をそっくりそのまま実行するのです。よって、それらの行動は場違いも甚だしいものとなります。ハンスの物語になぞらえるなら、ちょうどハンスの母親の役割をこの物語の嫁さんが果たしています。

主人公の婿どのに、愚かという言葉が当てられていますが、ハンスの物語同様、婿どのには、狂気さえ感じ取れます。このように類似の物語が世界にあるということは、これらのお話が、おそらく笑い話として流通していたのでしょう。しかし、現代人が読んだり、聞いたりした場合、その目的を果たすかどうかは疑問です。

ひとつだけエピソードをあげてみましょう。

ある日、婿どのは、嫁さんの実家に用を足しにいきました。婿どのは帰り際、嫁さんの父親に土産をもらいます。それは嫁さんの実家で余った、飯炊きの娘でした。その娘を婿どのは、なんと娘の帯をつかんで、ぶら下げて連れて帰ろうとします。娘は驚いて逃げてしまいまいました。

この婿どのの、行動は、このエピソードの直前に、実家の義理の父親に、土産の茶釜を土産にもらったことが由来しています。つまり茶釜を運ぶときにはぶら下げて持ち帰るものだと嫁さんに注意されていたのです。このように直前のエピソードで嫁さんに注意されたことを婿どのはその通り実行します。この物語はこんな調子で延々と婿どの場違いなエピソードが繰り返されるのです。

どうでしょう。笑い話と受け取れるでしょうか。笑い話としてもナンセンスですね。それにこの日本の昔話は、グリム童話と違って、皮肉なことに、最後に主人公の婿どのは死んでいます。





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18:24 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『ひょうたんの化けもの』 幽霊の正体見たり枯れ尾花
むかし、ある村に、とても臆病な亭主がいました。どこへ行くにも女房について来てもらいました。とりわけ夜は、外にある雪隠に行くのに、必ず引っ張り出されるので、女房は困り果てていました。

そのうち女房は、いいことを思いつきます。雪隠にひょうたんをぶら下げ、暗闇で亭主の額にあたるように仕掛けておきました。

その晩、女房は亭主に、ひとりで雪隠に行かせます。案の定、亭主は、雪隠の中でひょうたんに額をぶつけ、お化けが出たと騒ぎます。

しかし女房に提灯を持って、ついてきてもらうと、それはひょうたんだとわかり、亭主はそれ以来、何か恐れるものが出たら全てひょうたんの仕業として怖がることをやめました。



しばらく経った頃、村はずれの寂しい土手に化けものが出るという噂が立ちました。夜になると「取って食おう、取って食おう」という泣き声がするというのです。村人は誰も近寄りませんでした。

亭主は化けものなどひょうたんに決まっていると、ひとりでその土手に向かいました。土手に着くとなるほど、何やら泣き声がします。亭主にはそれが「取ってくれー、取ってくれー」と聞こえました。土手のふちには瓶が今にも川に落ちそうになっていました。

亭主は、さっそく、その瓶を取ってやると中にはお金がびっしり詰まっていました。亭主は喜んで、瓶をかついで家にかえりました。



こうしてあんなに臆病だった亭主は、ひょうたんひとつで度胸がつき、おかげでお金の詰まった瓶まで見つけてきました。そして女房と一生安楽に暮らした、と物語は結ばれます。





幽霊の正体見たり枯れ尾花ですね。疑心暗鬼で物事を眺めると、我々の心は悪い方にばかり空想が膨らんで、ありもしないことを恐れるようになります。

人生に対する態度も同じですね。昔話には生活の知恵が詰まっています。





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18:29 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『くもの化けもの』 蜘蛛が糸を巻きつける恐ろしい手段
むかし、ある村に、化けもののでる古寺がありました。この寺は、和尚さんが住み着いたとしても、すぐに化けものに食われてしまうということでした。そのため誰も近づかなくなり、寺は荒れ放題になりました。



ある日、強そうな侍が、この寺の化け物を退治するために村にやってきやってきました。侍は、寺に着くと囲炉裏に火をたいてあたっていました。

すると夜中に、不思議な音をたてて、一つ目の座頭がやってきて泊めてくれと言うのです。侍は退屈しのぎにちょうどいいと思い、座頭を囲炉裏端に座らせてやりました。

やがて座頭は背中に背負っていた風呂敷包みをとき、重箱をを取り出しました。重箱にはほかほかのおはぎが詰まっています。座頭はそれをうまそうに食べ始めました。

そして座頭はそのおはぎを侍にも勧めます。しかし、侍が片手でおはぎを手に取ると、その手はおでこにひっついてしまいました。

その手を剥がそうと、もう片方の手を使いますが上手くいきません。終いには足も使いましたが、とうとう侍はお団子のようになってしまいます。ひとつ目の座頭は今夜もさかなが取れたと喜びました。

翌朝、村人が寺を訪ねてみると侍はおらず、刀だけが残されていました。村人はやっぱり化けものに食われたのだと思い、寺にはますます寄り付かなくなりました。



それからしばらくして、また強そうな侍が村にやってきて化けもの寺の話を聞くと、化けものの退治を志願しました。

この侍にも、今は亡き侍に起きたことが繰り返されます。しかしこの侍、座頭がいくらおはぎを勧めても食べませんでした。

座頭はしびれを切らし、重箱のおはぎを全部いっぺんに、侍に向かって投げつけます。おはぎは蜘蛛の糸となって侍にまとわりつこうとしますが、侍は間一髪の差で、化けものを切りつけました。化け物は悲鳴をあげて一声叫ぶと、不思議な音と共に消えてしまいました。

夜が明けると村の人たちは侍の消息を半ば諦めて寺を訪ねます。ところが寺では侍がゆうゆうと酒を飲んでいるところでした。

侍は村人に、その血の跡をたどっていけば、化けものの正体がわかると言うので、皆で向かってみると、本堂の奥に穴があり、そこに大きな蜘蛛が切られて死んでいました。その周りには、今まで食われた人間の骨が、がらがらと散らばっていた、と物語は結ばれます。



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語られることはほぼ『山寺の化けもの』と同じです。蜘蛛を退治するものが和尚さんか侍かの違いがあるだけでしょう。両物語とも蜘蛛が巧みに糸を主人公に巻きつけようとするのですがその様子がとても恐ろしいです。

擬音語が効果的に使われていて、恐ろしい物語です。



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18:27 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『旅人馬』 とある正義の博労
むかし、あるところに、ひとりの博労(馬を売り買いする商人)がいました。ある時、但馬の国に、たくさんの馬を持っているばあさんがいると聞いて見に行きました。ばあさんの家は馬を商う人々が泊まる馬宿になっていました。博労はそこに泊まります。

博労は宿の様子を見ていると、ある不思議なことに気づきます。自分と同じように馬を買いに来るものが十人あまり泊まっていますが、馬を買いに来るものばかりで、売りに来るものがいないのです。それなのに馬屋にはたくさんの馬がつながれていました。

そのうち夕ごはんがすんで皆休むことになり、
宿の若い衆と女中さんが来てもう寝てくれと言って回ります。博労は、この宿に来てから気になっていたことが頭を離れず眠れませんでした。



すると真夜中、ばあさんが土間に降りてきます。博労はその様子をこっそり障子の穴から覗いていました。ばあさんは、きれいな色を塗った大きな箱の蓋を開けると、中から人形ほどの大きさの小さな人間がたくさん出てきます。

彼らは、土間を掘り返して、たちまち畑にしてしまうと、そこに種をまき始めます。するとまたたく間に芽が出て粟のような実をつけました。

小さな人間たちはそれらを収穫して臼でひき、粉にしてばあさんに差し出したかと思うと、またもと来た箱の中へ帰っていきました。

博労はあっけにとられてみていると、ばあさんは粉をこね始め団子をこしらえ、それを戸棚に仕舞い、どうやら自分も寝に行ったようです。博労はまんじりともせず朝をむかえます。



皆、起きてきて、馬の様子を見に行っている間に、ばあさんは、皆の朝ご飯の膳を出して並べました。お膳には、ご飯、味噌汁、おかずと並んで、昨夜ばあさんがこねた団子がもれなく二つずつ小皿に乗っています。

その団子を不審にお待った博労は、それをこっそり懐に入れると、便所に行くふりをして部屋を出て物陰から皆を眺めていました。すると団子を食べた客たちはたちまち馬になってしまうではないですか。そして若い衆が来て次々にそれらの馬を馬屋に繋いでいきます。

博労が気になっていたことは、全て晴れました。ばあさんはこうして人間を馬に変え売っていたのです。博労は多くの仲間の敵討ちを誓いました。



博労はすぐに宿をあとにすると町に出て、まんじゅう屋に飛び込むと、懐に持ってきた団子を入れたまんじゅうを二つ作らせました。そしてそれとそっくりのまんじゅうをたくさん作らせ、皆買い取りました。そしてあの馬宿に再び向かいます。

そして博労は怪しまれないように、自分はただのまんじゅうを頬張りながら、ばあさんに、ばあさん自身が作った団子入りのまんじゅうを食べさせました。

ばあさんはあっという間に馬になってしまいます。ばあさんは博労に騙されたと知って罵りました。どうやら団子を二つ食べると口の聞ける馬となるようです。

そして博労は、ばあさんに馬になってしまった人間を元に戻す方法を聞きました。それは馬の上唇と下唇を引き裂けば、たちまち皮がむけて人間が出てくるのだそうです。

ばあさんは試しにわたしでそれをやってご覧といいますが、そうはいきません。ばあさんを馬屋へつなぎました。

そして博労は馬屋の馬にされた人間を次々に元の姿に戻してやりました。そしてこれまで馬にされた国中の数多の人間の救出に向かいます。

特に、もの言えぬまま馬にされた人のことを思うと哀れでなりませんでした。ばあさんには、普通の馬と変身させられている馬の区別がつくので、一緒に連れて旅立ちました。

そして博労は国中をまわって次々に馬にさせられた人間をもとに戻してやった、と物語は結ばれます。





とある正義感の強い博労の物語です。悪いばあさんによって、馬に変えられ売られていった人間を救うべく旅立ちます。

ばあさんが、人間を馬に変える団子を作るくだりや、馬にされた人間を元に戻すくだりには、ファンタジックな描写が見られます。

西洋の昔話では、魔法が使われるところでしょうが、この日本の昔話では、ユーモラスで手のこんだ描写になっています。





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18:23 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『のれんがや』 独りよがりにならない説明の難しさ
むかし、三人のある村の男が、初めてお伊勢参りの旅に出ました。大きな町に差し掛かった頃、日が暮れて、三人はある宿に泊まりました。

夏の暑い頃で、宿では蚊帳をつり、部屋の入口を開け放して、長いのれんをかけておきました。

三人の男は晩御飯が済むと部屋に通され、宿の人に、蚊がでるから、蚊帳をめくってその中で寝てくださいと言われます。

ところが三人の村には、のれんや蚊帳というものがないので、それらを知らず、なんのことだかわかりません。三人は暗がりの中を、手探りでのれんをめくって部屋に入ると、そこが蚊帳の中だと思い、そこで寝ました。

しかしそこは蚊帳の中ではありません。三人は夜中じゅう蚊に刺されて、眠ることができませんでした。そして朝になると、宿の主人に文句をいいました。

宿の主人は三人の話を聞くと、どうやら蚊帳の外で寝ていたことがわかり、三人に言って聞かせると、三人は自分たちの世間知らずを恥じて、頭をかきかき出かけていきました。



三人の男は帰りも同じ宿に泊まりました。宿の主人は、また間違いが起こらないようにと気を利かせて、今度はのれんを外しておきました。

すると三人は、まずはのれんをくぐってと思いきや、のれんはないので蚊帳をめくり、さあ蚊帳の中へと思ったところ、さらに蚊帳をめくってしまったので、またしても蚊帳の外で寝てしまいました。

三人はまたしても蚊に刺されて眠れず、翌朝主人に文句をいいました。しかし主人が話を聞いてみると、またしても三人の男は蚊帳の外で寝ていたことがわかります。

宿の主人は、せっかくのれんを外しておいたのになんにもならなかったと言い、それに応えて三人の男は、のれん蚊帳はなかなか難しいと言いました、と物語は結ばれます。





習慣の違うものどうし、こうした行き違いはよくあることです。説明したつもりが、自分にはたやすく理解できることであっても、相手の立場からすれば、まったく説明になっていなかったという事象です。それらのことをユーモアを交えて描いています。





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18:21 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『寝ずの番』 日本人の自他のあり方を象徴する物語
むかし、床屋と商人と坊さんが仲良く旅をしていました。日が暮れてある町に宿をとったときのことです。

宿屋の主人は、このところ、町には、盗人がでるので用心してくださいと言うので、三人は、床屋、商人、坊さんの順に、かわりばんこに寝ずの番をすることにしました。

夜中をすぎると、あたりは物音もせず寂しくなりました。ちょうど床屋が見張り番の最中でしたが、あまりにも手持ち無沙汰なので、かみそりで寝ている商人の髪をきれいに剃り落としてしまいました。

やがて商人が見張り番につく時間になり床屋は商人を起こします。商人は眠い眼をこすりながら起きましたが、頭が涼しいので手で触ってみると、頭には髪がありません。

そして商人は、俺の番なのに坊さんを起こすなんて慌てものだと床屋に言いました、と物語は結ばれます。





商人は、寝起きで頭がもうろうとしていたとはいえ、自分の頭を触り自分が坊さんだと思いこんでいます。つまり主体がすれ違っています。

この物語に表現されていることは、たとえ寝起きではなく、頭がしっかりしている時でさえ、ここまで極端ではないものの、日本人にとっての自他のあり方を表現しているのではないでしょうか。

日本語は主語を省略するとは、よく指摘されることですが、そこには、日本人の精神性が反映されているように思えてなりません。



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18:30 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『月日のたつのははやい』 ユーモアを好む日本人
短いお話です。むかし、山の中で、月と日と雷が集まって、三人でお伊勢参りに行こうではないかという話になりました。そしてさっそく旅に出ました。

ところが、雷がゴロゴロと話しかけながら歩くので、月も日もやかましく思い、うんざりしてしまいます。夕方になって、三人は宿屋に泊まりました。

月と日は、この先、雷が一緒ではかなわないと思い、ふたりは、次の朝、朝早く、眠っている雷を置いて先に旅立ってしまいます。

雷は起きて、事の真相を知ると、月日のたつのは早い、俺は夕立にするとぼやきました、と物語は結ばれます。



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雷のぼやきが、駄洒落になっています。日本の昔話には物語と言うより駄洒落に近いお話が多数含まれているように思います。これまで読んできたものの中では、『はなし』、『はなし話』が挙げられるでしょう。

ストーリー性のある物語の中にも、ユーモアが散りばめられているものが多く、日本人は、それらを大切にして生きてきたことがうかがわれます。



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18:27 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『傘屋の天のぼり』 由来譚の存在理由
むかし、あるところに、傘屋の息子で怠け者の若者がいました。

ある天気のよい日、若者は、皆が仕事に精を出す中、干してあるたくさんの傘の影で寝転んで、本など読んでいました。

すると、突然冷たい風が吹き出し、若者は、干してある傘が飛ばないように柄を握ると、風はますます強くなり、若者は、傘ごと吹き飛ばされてしまいました。天のてっぺんまで吹き上げられた若者は、一面の雲の上をうろつきます。

すると雲の中から、人間の匂いを感じて、白髪頭を振り乱した、しわだらけの恐ろしい婆さんが現れて、若者を見つけると、驚いて、ここは人間の来るところではないといい、自分は雨降りばばあだと名乗ります。

そして今は忙しくて、若者の話を聞いている暇はないから、雷が来たら相談してみるといいと言って、大きなじょうろで雨を降らしながら去っていきました。

若者が取り残されてまごまごしていると、やがてごろごろと音がして稲光がし、恐ろしい形相の雷がやってきます。そしてやはり、ここは人間の来るところではないと言うので、若者は飛ばされてきた経緯を話しました。

雷はさては風の神の仕業だなと言うと、仕方ないからしばらく置いてやるといい、その代わりに、下界のいたずら者や、雨の降る日に裸でいる子どもがいたら、俺に知らせろといいました。どうやらへそを取ってしまうようです。

そして、腹が減ったらこれを食え、と言って重箱をくれました。それから青い窓があるから、そこを覗くなと注意して遠くの方へ行ってしまいました。



若者は、やれやれと一安心したところで腹が減ったので、重箱を開けてみます。中に入っていたのはへその佃煮でした。とても気持ち悪くて食べられません。

若者は、その重箱を置いて、あたりを見回すと、青い窓があります。雷に覗くなと言われましたが、つい覗いてしまいました。そこは雲の切れ間でした。若者は真っ逆さまに地上に落ちていきます。

しかし、地べたに叩きつけられるところを、うまい具合に桑の木に引っかかって命拾いします。

そこへさっきの雷が現れて、桑の木に引っかかっている若者を見つけると、さては青い窓を覗いて落ちたなと言うと、こいつは見逃してやろうと、へそを取らずに、またどこかへ行ってしまいました。

それで今でも雷が鳴るときには、桑の木を軒先に挿して、雷よけにするのだそうです、と物語は結ばれます。



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傘屋の息子の冒険と、雷よけの桑の木に関する由来が語られる、由来譚になっています。

これまでも、日本の昔話では、多くの由来端に触れてきました。初めのうちは、これらの由来を伝えるべき理由を探していましたが、どうも伝えること自体が目的であり、それ自体に大きな理由があるのだなという結論に至っています。





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18:44 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『朝顔と朝ねぼう』 草にまで軽んじられる哀愁さそう男
短いお話です。むかし、あるところに、たいへん朝寝坊の男がいました。男は、朝顔の花が咲くところを、一度でいいから見てみたいと思っていました。男が起きたときにはいつも咲いたあとだったからです。



ある朝男は、今日こそ朝顔の花が開くところを見ようと決心し、本当に朝早く起きて、そのつぼみの前で待っていると、間もなくつぼみは、ゆっくりとほどけるように開いていきました。

男は、なるほどこうして咲くのか、と大喜びで感心していると、また、あっという間にしゅうしゅうっとしぼんでいきます。

男が、朝顔に、なぜしぼむと言うと、朝顔は、お前が起きているので昼かと思った、と物語は結ばれます。





笑い話ですね。男が、朝顔にまで軽んじられているところは、哀愁を誘います。





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18:42 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『とろかし草』 昔話の残酷さという表現手段
むかし、ある村の若者が、朝早く山へ草刈りに行きました。すると大蛇が大きな口を開けて人間を飲み込もうとしていました。

若者は、たまげてみていると、さすがの大蛇も、これだけ大きなものを飲み込むとなると、難儀とみえて、そこらじゅうをのたうち回っています。

そのうち大蛇は、青い草を見つけると、夢中で食べ始めました。すると大蛇の腹は、みるみる細くなり、終いにはもとの太さになりました。

若者は、あの青い草は、食べたものを早くこなすことができる草なんだなと思って、刈り取って家に持ち帰りました。

そして若者は、友達に、俺はそば百杯でも食えると自慢を始めます。友達はそんなことができるはずはない、腹が破れてしまうと、一向に信じませんでした。若者は、なんなら、米百俵を賭けてもいいとまで言い出します。



賭けが決まると若者は、友達の家に行き、みんなの見ている前で、そばを食べ始めました。若者はあの草さえあれば食べたそばから消化してくれると思い、無理やりそばを百杯平らげてしまいました。

友達は、若者が本当に食べたことにあきれます。しかし若者は、苦しくて苦しくてなりません。若者はあんまり食べたので眠くなったと言って奥座敷を借りて休みました。そして誰も見ていないことを確かめると、懐から例の青い草を取り出して食べ始めました。



あれからどれくらい経ったのでしょうか。友達は、若者がなかなか戻ってこないので、起こしに奥座敷に行くと、そこには山盛りのそばが寝ていました。

青い草は、人間を溶かす草だったのです、と物語は結ばれます。





人間を溶かす草などと、昔話はサラッと述べてしまいます。小説なら、これらの場面を写実的になぞらえて、おどろおどろしい描写になるのでしょうが、昔話は端的に起こったことを述べるにとどまります。具体的な表現には至りません。血は一滴も流されないのです。

昔話では、この若者の愚かさや滑稽さが、どの程度のことなのかが、的確に表現されていれば、それでいいのです。その手段として、時に残酷な表現が用いられることがあるに過ぎません。

そういった意味では、昔話には、それ相応の残酷さは表現されています。しかし、そこに表現されたものは、我々の現実生活に、平時から存在する残酷さが、例えられているに過ぎません。またその程度も現実から写し取られたものを超えることがありません。

昔話を残酷だという方がおられますが、誤解しているように思います。写実的な小説でも読むように、昔話を読んでいるのでしょうか。あるいは、現実に潜んでいる、その残酷さに例えられた何かにさえ、向き合うことのできない、心を持った方がおられるということなのでしょうか。





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『こんな顔』 ひとつ目の妖怪
短いお話です。むかし、お化けがでるという、噂の山がありました。その山を、暗くなってから越えようとする者は誰もいませんでした。

ところがある若者が、お化けの正体を見破るべく、ある日の夕方に山を登っていきました。

すると若者の前を、おそらく同行の男が歩いていきます。若者は、お化けと言うが、いったいどんなお化けなのだろうかと、男に声をかけました。

すると男は、こんな顔じゃないかなと言って、ひょいと振り向き、ひとつ目の顔を見せるではないですか。若者は仰天して、一目散に山を駆け下り逃げていきました。

すると大勢の男たちが集まっているのがみえます。若者はお化けが出たことを皆に知らせると男たちはそんな山に行くのが悪いと言って手招きをします。

若者は、ほっとして男たちのところへ行くと、男たちは、いったいどんなお化けに出会ったのかと聞きました。若者は今しがた出会ったひとつ目の顔のお化けのことを話しました。

すると男たちは、こんな顔だったのかいと言って、いっせいに若者の方に振り向きました。なんとその男たちは皆ひとつ目でした。若者はびっくりして腰を抜かし、とうとう死んでしまいました、と物語は結ばれます。



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恐怖話ですね。ひとつ目の妖怪のお話です。ひとつ目の異類のものは、西洋の昔話にも見受けられます。普遍性を持った存在なのでしょう。

最後に主人公が死んでしまいますが残酷といえば残酷です。昔話の残酷性については次の『とろかし草』の記事で述べたいと思います。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『枝はたぬきの足』 人を化かすたぬき
短いお話です。むかし、たぬきが人を化かしてこまるので、ひとりの男が退治してやると、山へ出かけました。

じっと待っているとたぬきが出てきたので、男は、そこの木に登ってこの俺を騙してみろと、たぬきを挑発しました。

するとたぬきは、そばの大きな木に登りました。そこで男は、ない枝があったはずだと言い始めます。

たぬきは手足を枝に化けさせました。そして男は、とうとうたぬきの四本の足をすべて枝に化けさせます。当然たぬきは足場を失い、どすんと落ちてきました。

男は、落ちてきたたぬきを縛り上げ、人を化かすつもりが、俺に騙されたじゃないかと、たぬきに言いました、と物語は結ばれます。





人を化かす存在として、日本の昔話では、きつねとたぬきが多く登場してきます。しかし割合的には、圧倒的に多くきつねがその役をこなします。

時々この物語のように、たぬきも人を化かしますが、その行動は積極的なものとは言えず、愛嬌を伴い、この物語でも逆に騙されてしまいます。

たぬきが人を化かすお話は、これまでも『きつねの茶釜』がありました。この物語でも人を化かす点に於いて、きつねを主とするなら、たぬきは従のような役割をになっていました





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18:33 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『にせ本尊』 きつねが人を化かすことに失敗し哀れみを誘う物語
むかし、あるお寺に、和尚さんと小僧さんがいました。



ある日、和尚さんは、法事に出掛けることになったので、小僧さんを呼んで、今日は帰りが遅くなるから、晩方になったら峠まで馬を連れて迎えに来ておくれ、と言いました。

やがて日も暮れて晩方になったので、小僧さんは言いつけ通り馬を引いて、「和尚さまのお帰りー、和尚さまのお帰りー」と声を張り上げて出かけて行きました。

そして、山の峠に差し掛かると、和尚さんがやってきたので馬に乗せると、馬のくつわを持って寺へ引いて帰りました。

ところが和尚さんは馬から降りた途端、ちょろちょろと駆け出したかと思うと、どこかへ姿を消してしまいました。

小僧さんはびっくりしました。狐に化かされていたのです。そういえばあの峠には、悪いきつねが出ると噂がたっていました。小僧さんは悔しがります。

そこへ本物の和尚さんが帰ってきて、どうして迎えに来なかったのかと、小僧さんをしかりました。小僧さんはきつねに騙されたことを和尚さんに話すと、和尚さんは叱ったことを詫び、それじゃあ今度はきつねを懲らしめてやりなさいと言いました。



次の日、小僧さんは、和尚さんがお寺にいるにもかかわらず、日が暮れるとまた馬を出し、「和尚さまのお帰りー、和尚さまのお帰りー」と声を張り上げて出かけました。すると案の定、狐が化けた和尚さんがやってきます。

小僧さんは、何食わぬ顔をして和尚さんを馬に乗せると、今日は道が悪いからと言って、縄で和尚さんを馬にしっかりとくくりつけてしまいました。

きつねは体が痛くて仕方ありませんでした。しかし自分の正体を明かすこともできずに我慢してお寺まで向かいました。

お寺につくと小僧さんは、お寺の土間まで馬ごと入り、ぐるりの戸をばたばたと締め切って、それから和尚さんの縄を解きました。

きつねはどこにも逃げ道が見つからず、慌てたおかげで正体を現し、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ逃げ回ります。そしてきつねは本堂の方へ向かいました。それを小僧さんは追いかけましたが見失ってしまいます。



ふと小僧さんは本堂の観音様がいつもは十二体なのに今日は十三体あることに気づきます。さては観音様にきつねが化けたとみえます。しかし見分けがつきません。

小僧さんはしばらく考えると十三ある観音様にお供えをしました。そして「観音様、観音様。今日は久しぶりにお赤飯をお供えいたします。どうぞいつものように、いっぺんだけけらけらと笑ってみせてください」と拝みました。

きつねは観音様はお赤飯を供えられると、笑うものなんだと思い、そうしました。一体の観音様がけらけらと笑っています。それを小僧さんは、すかさず取り押さえて、柱に縄でぐるぐる巻きにしてしまいました。

観音様は化けの皮が剥がされてきつねに戻りました。小僧さんは早速、和尚さんに知らせました。和尚さんは懲らしめてやりなさいと言います。

小僧さんは棒できつねをさんざん叩き、もう人間を化かすなと言い聞かせて、山に放してやりました、と物語は結ばれます。



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まだ人を化かすのに経験の浅いきつねですね。熟練した古ぎつねならこうはなりません。なんだかきつねが最後、棒で叩かれていますが、哀れみを感じてしまいました。

お話としては、きつねが人を巧妙に化かすほうが、例えば前二話の『穴のぞき』、『きつねの芝居』のように面白い展開になりますね。



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18:31 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『きつねの芝居』 日本の昔話に見るきつねという存在
むかし、あるところに、ひとりの山伏がいました。

山伏は、あるとき峠を超えて、向こうの村のお祭りに出かけていきました。山伏はそこで、村の衆に振る舞い酒でもてなされ、たっぷりごちそうになりました。

そのうち夜も更けたので、村の衆は山伏に、これから峠を超えるとなると、きつねに化かされるからと、宿泊を勧めました。

けれども山伏は、自分は神仏に仕え、山で厳しい修行を積んだ身ゆえ、きつねになど騙されないから、帰ると言いました。

そして、手料理を土産にもらって、提灯を持ち、真っ暗な峠を超えにかかりました。



すると案の定向こうからきつねがやってきます。山伏はきつねに対して、お前らなんぞに化かされるもんか、とっとと失せろと怒鳴りつけました。

それに対してきつねは、行者さまを騙すなどとんでもないと言い、それより今夜きつねの寄り合いがあって芝居をするから見ていってくれと言いました。

山伏は、そんなことならと、ちょっと覗いてみようという気になります。

山伏がきつねについていくと、そこには上方の檜舞台にも負けないような、立派な舞台ができています。そして音楽が奏でられ、きつねたちは、賑やかに芝居をやっている最中でした。

山伏はそれにすっかり感心し、きつねの芝居を見物していくことにしました。



しばらくすると、さっきのきつねがやってきて、芝居の役者が足らないので山伏に出てくれと言うではないですか。芝居などしたことのない山伏は断わります。

しかしきつねが言うには、簡単な役で、こもをかぶって横になり、出番が来たらこもをはぎ「源平ぎつねだよ」と言ってくださればいいと言うので、やまぶしはその言葉にほだされて、引き受けることにしました。しかしこの大掛かりな芝居の仕掛けは人を騙すものでありました。

山伏が、きつねに騙され、にわか役者となって役を演じていると、夜が明ける頃、そこに村の人たちが峠を登ってきました。村人は峠の上に妙なものがいると思って近寄りました。

それは昨日お祭りに来ていた山伏と気づきます。そして村人は、山伏に向かって、源平ぎつねとはなんのことかねと聞くと、山伏は正気にかえりました。そして狐に化かされたことを知ります。

山伏は、自分の愚かさを恥じて、きつねの芝居は本当に面白いとなどと言いながら、頭をかきかき帰っていった、と物語は結ばれます。




前話の『穴のぞき』と同系統のお話です。いずれも、きつねになど騙されないと自分を過信する者が、あっけなく騙されて恥をかきます。

きつねが仕掛ける罠も巧妙ですが、騙される者の慢心が諌められるような展開に、聞く者の、あるいは読む者の、笑いを誘うと同時に、人間の浅はかさへの注意がうながされます。

我々日本人にとって、昔話のきつねという存在は、ひとつの大きな自然の存在として、時に対立したり、時に共鳴したりして、我々に色々なことをもたらしてくれる重要な役割をになっているように思います。





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18:19 : 日本の昔話 3 夏 : comments(0) : trackbacks(0) : チキチト :
日本の昔話 3 より 『穴のぞき』 日本の昔話の状況描写の巧みさ
むかし、ある山の麓に、悪賢い古ぎつねがいました。人を騙すのが上手くて、あちこちの道に現れては、通る人から油揚げやにしんを取ったり、いろいろな悪さをしていました。



ある晩、平六という男が商売物のにしんをかついで、この山の麓の村に差し掛かりました。すると行く手の藪から大きなきつねが道に飛び出し途端に十七、八のきれいな娘に化けました。

平六は、こいつが噂に聞いた古狐で、さては俺を騙してにしんを取る気だと思い、それにしても、化けるところを見られてしまうなんて、案外間抜けなやつだと思っていました。

そして平六は、大声できつねの娘に向かって、化けているのは知っている。騙そうと思ったってそうは行かないといいました。

すると娘は、あたしが騙そうとしているのは、平六さんではなくて村の庄屋さまだと言って、すたすたと歩いていってしまいました。

平六は、人が狐に化かされるところを、いっぺん見てみたいと思い、娘に気づかれないように、こっそりと後をつけました。



娘はゴミ捨て場から小さな空き箱をひとつ拾い、道端にころがている馬糞を並べて入れました。すると馬糞はほかほかの湯気のたったおまんじゅうになります。それから紙くずで箱をくるむとけっこうな菓子折りが出来あがりました。

娘は、菓子折りを手に下げて、村の中へ入っていきました。平六はあの馬糞まんじゅうをおえらい庄屋さまが何も知らずに食べるところを想像すると愉快でなりません。

そして娘は、庄屋の屋敷に入ると、庄屋の親族になりすまし、丁寧に挨拶をしました。平六は、そっと庭の方に回り、座敷の障子が少し破れたところから、中をうかがうことにしました。

平六は、にしんの荷物を下ろして、部屋の中を覗いていると、娘があの菓子折りを、村の名物だと言って庄屋さまに差し出しています。庄屋さまは、いただこうと言って、むしゃむしゃと食べ始めました。

これを見た平六は、あまりに気の毒に思い、庄屋さまに知らせようと大声を張り上げました。「それは馬糞だぞう、それは馬糞だぞう」となんべんも叫びました。



その時平六は突然誰かに肩を叩かれました。そして「こら平六そんなところを覗いて何を大声で叫んでいるのだ」と誰かに聞かれました。それに対して平六は、その誰それに「庄屋さまに早く知らせねば」と言い返しました。すると今度は首筋を殴られました。

平六は、はっと我に返ります。あたりを見回すとここは庄屋さまの屋敷などではありません。そこは村はずれの畑の中にある肥やし小屋でした。

平六は、その破れ目を覗いて、大声をあげて叫んでいたのです。あの古ぎつねに化かされていたところを、村の人が正気に戻してくれたのでした。

平六は悔しがりました。そしてあわててにしんの荷を探すと、あるのは包だけで、魚は一匹残らず取られていました、と物語は結ばれます。



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平六が古きぎねの娘に、おとしいれられた状況を客観視すると、大変おかしいです。

日本の昔話は状況描写に長けていると思います。お話の展開がストーリーに重点を置かず、場面の移動で進んでいくのです。

また、日本の昔話のきつねですが、この物語のように古ぎつねが登場する話は、巧みに主人公が狐に化かされるお話になる場合が多いようですね。

若いきつねも、やはり人をだますのですが、『きつねがわらう』のきつねのように、未だ初々しくて、愛嬌さえ漂わせるものもいますます。

また日本の昔話のきつねは、人に尽くそうとするものもいます。その多様なあり方ゆえ、その属性を西洋の昔話のように、一般化しづらいです。



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