子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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日本の昔話 1 早春 リンク
先頭の数字は記事の日時です。これに記事タイトルが続きます。

05-27-1 日本の昔話 1 より 『はなさかじい』 村社会への問題提起、真似を戒める物語の類型
05-27-2 日本の昔話 1 より 『干支のおこり』 十二支に関する由来譚
05-28-1 日本の昔話 1 より 『一寸法師』 日本の親指小僧
05-28-2 日本の昔話 1 より 『夢見小僧』 初夢にまつわるお話の由来譚
05-29-1 日本の昔話 1 より 『夢買い長者』 正夢に関する物語
05-29-2 日本の昔話 1 より 『鼻高扇』 とんまで正直者の行く末、昔話の知恵
05-30-1 日本の昔話 1 より 『へこきじい』 ”隣の欲張りじいの人真似”の物語の類型
05-30-2 日本の昔話 1 より 『絵すがた女房』 ヤングアダルト層の読み物に多くみられる展開
05-31-1 日本の昔話 1 より 『きもだめし娘』 女性優位あるいは女性原理優位の文化的背景
05-31-2 日本の昔話 1 より 『みるなのくら』 ”見るなの戒め”をモチーフに持つ物語

06-01-1 日本の昔話 1 より 『おしらさま』 おしらさまに関する由来譚
06-01-2 日本の昔話 1 より 『鷲にさらわれた子ども』 母親の思い
06-02-1 日本の昔話 1 より 『こんび太郎』 自分の飯は自分で稼ぐ
06-02-2 日本の昔話 1 より 『鬼の婿どの』 どうしても救われなかった鬼と人間の間の子ども
06-03-1 日本の昔話 1 より 『なぞ問答』 人がいい者には必ず助言者が現れる
06-03-2 日本の昔話 1 より 『山男の腕』 親を助ける子どもたち
06-04-1 日本の昔話 1 より 『蛇婿入り』 おそらく古事記の三輪山伝説に先行する昔話
06-04-2 日本の昔話 1 より 『俵藤太』 ちょっと残念な動物報恩譚
06-05-1 日本の昔話 1 より 『甲賀三郎』 諏訪明神の由来譚
06-05-2 日本の昔話 1 より 『猫の踊り』 一般的な動物寓話にない設定

06-06-1 日本の昔話 1 より 『弥三郎ばあ』 猫という異界の存在
06-06-2 日本の昔話 1 より 『きこりとやまんば』 人を襲う異類のもの、信仰心を称える寓話
06-07-1 日本の昔話 1 より 『源兵衛淵の大なまず』 人に寄り添う異類のもの、信仰心誘う寓話
06-07-2 日本の昔話 1 より 『猿婿』 親孝行で勇敢な末子のお話の類型
06-10-1 日本の昔話 1 より 『木霊の嫁入り』 子を思う母親の気持ち
06-10-2 日本の昔話 1 より 『たこ取り長者』 運をつかむ心がけ
06-11-1 日本の昔話 1 より 『浦島太郎』 妖精国には属さない竜宮城という場
06-11-2 日本の昔話 1 より 『夢の蜂』 仲の良い友達同士に起きた幸福
06-12-1 日本の昔話 1 より 『夢の橋』 西洋のファンタジックな表現と日本の正夢
06-12-2 日本の昔話 1 より 『山寺の化けもの』 日本の昔話に多い異類のものの話について

06-15-1 日本の昔話 1 より 『あぶねえ、あぶねえ』 日本の昔話の根底にあるアニミズム
06-15-2 日本の昔話 1 より 『おどるがいこつ』 東洋的な笑いばなし
06-17-1 日本の昔話 1 より 『きつねの小判』 日本の昔話にみる隣という舞台装置
06-17-2 日本の昔話 1 より 『きつねの玉のとりあい』 化けるという表現手段
06-18-1 日本の昔話 1 より 『えんまさんの失敗』 閻魔さんもお手上げ、ある飄々とした生き方
06-18-2 日本の昔話 1 より 『もちは金仏さま』 聖なるものもユーモアの種に、日本の昔話
06-19-1 日本の昔話 1 より 『やきもち和尚』 西洋の聖職者と日本の一般的な聖職者
06-19-2 日本の昔話 1 より 『和尚おかわり』 聖なるものと俗なるものの落差が生む笑い話
06-20-1 日本の昔話 1 より 『どろぼうがみたら、かえるになれ』 ウイットに富む日本の聖職者
06-20-2 日本の昔話 1 より 『神様と小便』 あらゆるものに神が宿ると困ること

06-21-1 日本の昔話 1 より 『りんの歌』 子どもを正しく導く存在としての和尚さん
06-21-2 日本の昔話 1 より 『皿さら山』 世界に広く分布するシンデレラの類話
06-22-1 日本の昔話 1 より 『鬼のお面をかぶった娘』 まだ経験の浅い若者を励ます昔話
06-22-2 日本の昔話 1 より 『わらしべ長者』 無欲の処世の後先
06-23-1 日本の昔話 1 より 『尻鳴りしゃもじ』 長者の娘婿となるお話の類型
06-23-2 日本の昔話 1 より 『なにがきらい』 天狗という日本の魔に仕えるもの
06-24-1 日本の昔話 1 より 『寝太郎』 自分のペースを貫き通す主人公
06-24-2 日本の昔話 1 より 『うそこき善兵衛』 季節を題材にした法螺話
06-25-1 日本の昔話 1 より 『鳩がきく』 おじいさんのファンタジックな思考
06-25-2 日本の昔話 1 より 『かえるの上方見物』 昔話に見る動物寓話について

06-26-1 日本の昔話 1 より 『京のかえる、大阪のかえる』 カエルの笑い話の定石
06-26-2 日本の昔話 1 より 『むかでの使い』 子どもはもちろん大人も味わえる昔話の笑い話
06-27-1 日本の昔話 1 より 『にんじん、ごぼう、だいこん』 野菜の色の由来譚
06-27-2 日本の昔話 1 より 『ふるやのもり』 妄想の妄想、また猿の容姿の由来譚、
06-29-1 日本の昔話 1 より 『きつねとうさぎのけんか』 騙されるきつね、日本人のきつね観
06-29-2 日本の昔話 1 より 『とっつく、ひっつく』 欲張りが死人まで出してしまうお話
06-30-1 日本の昔話 1 より 『金門の星』 日本の昔話に見る豊かさを分かち合うという生き方
06-30-2 日本の昔話 1 より 『シモタどのの姉と弟』 面倒見の良い姉、甘え上手な弟





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08:15 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『シモタどのの姉と弟』 面倒見の良い姉、甘え上手な弟
日本の昔話の中では長い方の部類です。シモタという名門の家に生まれた姉と弟の物語です。姉弟は幼くして両親を失い、姉のヒトムスメが親戚には頼らず弟のイジョーを養います。

やがてヒトムスメは、誉れ高き下田の家の子として、イジョーに学問をさせようと、寺にお願いしました。念願かなってイジョーはお上のお金で学ぶことが許されました。そしてイジョーは寺に預けられ三年が経ちました。



彼は、目を見張るほど勉強ができるようになり、年上の八十四人の兄弟子を、すべて抜き去ります。

悔しい思いをした兄弟子たちは、悪だくみをして、イジョーをなんとかして負かそうとします。兄弟子たちは、扇くらべに、船争い、さらには弓争いと、次々にイジョーに勝負を仕掛けてきます。

しかしイジョーには扇にしろ船にしろ弓にしろ買うお金がありません。ことあるごとにヒトムスメに相談するために家に帰リました。

しかしいずれのときも、ヒトムスメは働きに出ていていませんでした。イジョーはそのたびに心配のあまりふて寝してしまうのですが、ヒトムスメが帰ってくると心配には及ばないと、それらの品々を毎度にあたり、弟のためになんとか調達してきます。

それらすべてのものは、ヒトムスメが遭遇した不思議なとある白髪のおじいさんのものでした。それらの品物は一見粗末なものでしたが、イジョーは全ての勝負に勝ってしまいます。しかし兄弟子たちはさらなる悪だくみをしてイジョーを亡きものにまでしようとしました。



兄弟子たちは、このようにイジョーに負けてばかりいては寺を出てゆくしかは無いといいました。しかし兄弟子たちは出ていく気など毛頭ありません。それは嘘でした。別れの宴を開くといい食べ物に毒を盛ってイジョーを暗殺しようとしたのです。

それを夢枕に出てきた父母に知らされた姉のヒトムスメは、弟のイジョーに食べ物を食べてはいけないと注意していたので、イジョーは何も口にはしませんでした。

しかし兄弟子たちは、無理やりイジョーの口に食べ物を押し込みます。イジョーは苦しくなって、馬に乗り、ヒトムスメのもとに向かう途中死んでしまいました。

ヒトムスメは泣きながら、イジョーの着物を脱がせ裸にし、酒樽に入れて蓋をしました。そして弟の服をきて歌を歌い始めました。

自分たちの勝利の証を確認するために、イジョーの家を訪れた兄弟子たちは、イジョーの服をきたヒトムスメを、イジョー本人と思い込み、あっけにとられてしまいます。なんと生きているのだから。

兄弟子たちは食事に盛った毒は効き目がないものと判断し、寺に戻り、せっかくのごちそうをもったいないと平らげてしまい、一人残らず死んでしまいます。



ヒトムスメは、イジョーの姿に変装したまま、イジョーを生き返らせるために、死んだ人を生き返らせる花を手に入れるため、花のモーシンと呼ばれる、とあるグスクに向けて旅立ちます。

そのグスクに着くと男の身なりをしたヒトムスメは、そこの美しい娘に見初められます。婿養子に来てくれと説得されました。そしてヒトムスメは自分を弟であるイジョーの名で名乗り婿養子の件を受け入れてしまいます。

そしてこのグスクにある門外不出の死んだ人を生き返らせる花を手に入れ、いっとき家に帰り、誰にも知られないようにイジョーを生き返らせます。イジョーは、ああよく寝たと起き上がりました。そしてイジョーに婿養子の件を話してあのグスクに向かわせます。

そしてイジョーは娘婿となり、娘の親を大切にして暮らしました。ヒトムスメの家とイジョーの家は互いに助け合い、いつまでも良い暮らしをしたと物語は結ばれます。



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長い物語だけあって、日本の昔話のモチーフが複数含まれます。まずは直接幸せな結末と結びつく、立派な家の娘婿となるという筋書きがあります。これまで読んだものなら『鼻高扇』『きもだめし娘』『わらしべ長者』『尻鳴りしゃもじ』『寝太郎』が挙げられます。

それから、前記事の『金門の星』の物語にも見られた、白髪の老人という不思議な存在などが挙げられるでしょうか。

また主人公が困った状況で寝る、というエピソードが見られますが、『寝太郎』を思い出してしまいました。寝太郎がよく寝たのは、このような状況もあったのではと、今振り返っています。

それから、他を助けるというテーマも、この物語からは強く感じられます。この物語の、姉弟、親子は互いによく助け合います。これらは、昔話の一大テーマとしてあげられるでしょう。



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18:30 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『金門の星』 日本の昔話に見る豊かさを分かち合うという生き方
むかしあるところに、とても働き者のおじいさんとおばあさんがいました。毎日毎日夜が明ける前から畑に出て、夜遅くまで働きました。

ところがどんなに働いても二人が食べていくのがやっとでした。お金は少しもたまりません。二人は不思議に思いよその村の金持ちの家を訪ねて、どうしたら金持ちになれるのかを聞いてまわろうということになりました。



そしてやってきたのが、白髪の老人の家でした。老人は自分を、人間に運定めの星を授ける神様だと言いました。家の天井には運定めの星が輝いています。そしてふたりは、ひときわ大きく輝いている、これから二十年先に生まれるであろう金門まんという人の星を見ていました。

おじいさんは、あの星を、その金門まんという方が生まれてくるまでの間、それまでに得たすべての財産は返しますからという約束で、私たちに貸してくださいとお願いしました。神様はそれを許します。



ふたりは金門まんの星を借りて帰るとたちまち運が上がり御殿のような立派な家がたちます。お金や宝物もどこからともなく集まってきました。まるで殿様の暮らしです。そこで金の門を造り門番をおきました。

それから二十年経ったことの出来事です。大きなお腹をした女の物乞いが金の門の影で元気な男の子を生みました。男の子の名は金の門で生まれたものだから金門まんと名付けられます。

おじいさんはこの子が神様の言っていた者だということに気づいて、今こそ仮りていた運を返そうと心に決めます。おばあさんは母親と金門まんを家に招き入れました。

こうしてみんな一緒に暮らすことになりました。金門まんの福分のおかげで、ますます家は栄えました。金門マンは立派な人となり、やがてこの家の主人になったということです。



いくら働いても豊かにならない夫婦が、神様に運定めの星を借りて豊かになっていきます。たしかに豊かになるには運というものが必要なのかもしれません。

豊かさを人の手で操作しようものなら、汚いことに手を染めなければならない状況も少なからずあると思います。しかし、厳密には本末転倒なのではないでしょうか。

この物語に寓意を求めるとするなら、福に恵まれない人は、福に恵まれた人に、助けてもらおうということでしょうか。

そこには一緒に暮らすという集う精神があり、誰かひとりでいいから、その中に福を持っている人がいればよく、それで事足りているのです。

しかし、現代人のライフスタイルは、ばらばらになることを指向しています。



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18:23 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『とっつく、ひっつく』 欲張りが死人まで出してしまうお話
昔あるところに、貧しいじいさんとばあさんがいました。

ある日のこと、じいさんが山へ木を切りに行きました。

しばらくしてばあさんがじいさんに昼飯を持って山を登っていきます。すると向こうの山から突然「ばばあ、とっつこうか、ひっつこうか」という声がしました。ばあさんは恐ろしくなってじいさんのところへわらわらと登っていきました。

そして、じいさんのところへ着くと、ばあさんは、その恐ろしい出来事を話します。そして、これでは帰りに同じところを通れないと嘆きました。それに対してじいさんは、かまうもんかと言い、今度声がしたら「とっつかば、とっつけ。ひっつかば、ひっつけ」と言って逃げろと言いました。

はたして、ばあさんは帰り道、同じ出来事に遭遇します。そしてじいさんに言われたとおりのことをしました。するとばあさんの背中に重いものがとりつきます。ばあさんはやっとのことで家に帰るとそのまま寝込んでしまいました。



夕方、帰ってきたじいさんは、ばあさんの様子をうかがいます。ばあさんは自分の身に起きたことを話しました。するとじいさんは夕ごはんのあとにでも背中を見てやると言いました。

夕ごはんを食べたじいさんは、松の木を囲炉裏にくべてから、ばあさんの背中をめくってみました。するとなんとばあさんの背中には松やにがべっとりと付き、そこに小判がいっぱいひっついています。二人はすっかり金持ちになりました。



この話を聞いた隣の欲張りじいは、同じように真似をします。しかし隣のばあさんの背中の松やににひっついてきたのは、牛の糞と馬の糞でした。そこへ囲炉裏にくべた松の木の火が飛んできて、松やにに燃え移り、ばあさんは焼け死んでしまいました、と物語は結ばれます。



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日本の昔話の定形の一つと言ってもいい、隣の欲張りじいの猿真似のお話です。そう、猿真似をすると罰が当たります。これまで読んだものなら『はなさかじい』『へこきじい』がこれにあたります。

欲張りに同じようにばちが当たるわけですが、その際に何らかの形で汚物が登場するところも同じです。

この物語では、隣のばあさんが死んでしまうので、より酷な終わり方をしています。



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18:26 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『きつねとうさぎのけんか』 騙されるきつね、日本人のきつね観
むかし、山の中の一軒家に、狐が住んでいました。ある時、狐は屋根から雨が漏るようになったので、屋根に登って、板を打ち付けていました。ところがうっかりして、金槌を地面に落としてしまいます。

そこにうさぎが通りかかったので、狐はうさぎに頼んで、金槌を拾ってもらいました。うさぎは屋根に登ってきます。そして狐を手伝い始めました。ところがうさぎは、狐の尻尾を板と一緒に打ち付けてしまいます。狐は悲鳴をあげます。

うさぎは悪びれもせず、釘抜きを取ってくると言って狐の家に入りました。そしてそこにあったごちそうを平らげ、そのまま自分の家に帰ってしまいます。

狐は悲鳴を上げて助けを呼びました。まもなく仲間の狐がやってきて釘を抜いてくれました。狐たちはうさぎへの復讐を誓います。



狐たちは、大きなざるに、山の松という松から松やにをとって集め、こね上げて人形を作ります。その人形を、うさぎが通う道の真ん中に仕掛け、自分たちは近くの藪に隠れました。

うさぎは人形を見て挨拶をしますが、返事がないのでこんちきしょうと人形をひっぱたきます。しかし人形は松やにで出来ているので手はくっついて取れなくなりました。そしてもがいていると残りの手足も人形にくっついてしまいます。

そこへ隠れていた狐たちが飛び出してきて、復讐を果たそうとします。狐はいいました。これから熱い湯につけてやると。ところがうさぎは熱い湯が好きだというではないですか。狐は考え直します。

ならばと狐はうさぎに深い淵に放り込んでやると言いなおしました。ところがうさぎはそれも気持ちがいいとというではないですか。狐はまた考え直します。

それなら茨の中に投げ込んでやると言います。するとうさぎはそれだけは勘弁してくれというのでした。そこで狐たちはそれを実行に移してやりました。

するとうさぎは茨の中を転げまわり、すっかり松やにをとってしまいます。うさぎは逃げていきます。狐は騙されたのでした。



世界的には、昔話で、間抜けな狐が描かれるのは珍しいのでしょうか。『きつねの玉のとりあい』の記事でも述べましたが日本の狐には弱点もあり、西洋ほど狡猾ではない印象です。中でもこの物語では、別の登場者であるうさぎのほうが狡猾に描かれています。日本の昔話では、『きつねの小判』のように、恩返しする狐さえいます。

日本では、様々な分野で、陰影をもった狐を主人公としたお話がたくさんあります。その数は、枚挙に暇がありません。稲荷信仰を軸に据えたものから、児童文学の『ごんぎつね』などなど。現代に至ってもそれは変わりません。



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18:24 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『ふるやのもり』 妄想の妄想、また猿の容姿の由来譚
むかし、村はずれの古い家に、じいさんとばあさんが住んでいました。そして仔馬を一頭飼っていました。



ある雨の晩のこと、山の狼が仔馬を食おうと、その古い家にやってきます。狼は、そとしのびから家の中の様子をうかがいました。その頃、じいさんとばあさんは、夕御飯を済ませ、囲炉裏端で話をしていました。ふたりは、この世で一番怖いものを語り合っています。

ばあさんは狼が怖いと言いました。それを聞いて狼は得意になってしまいます。狼にとって、自分を恐れるものがいるというのは、自慢の種でした。ところがじいさんは「ふるやのもり」が怖いと言います。

「ふるやのもり」とは”古屋の漏り”のことで、この家の雨漏りのことを指していったのですが、狼は得体のしれない魔物を想像してしまうのでした。それが、もうすぐ、この家にやってくると、じいさんは言うのです。狼は大変だと思い逃げ出そうとします。



そこへ馬泥棒が、仔馬を盗みに忍び込んできました。真っ暗闇の中、馬泥棒と狼は鉢合わせしてしまいます。

馬泥棒は狼を仔馬と思って、狼の耳をつかんで背中に飛び乗りました。狼はそれを「ふるやのもり」と思い込んで、山に向かって死にものぐるいで必死に逃げました。

そのうちに夜が明けて、馬泥棒は仔馬と思っていたものが狼と知り、自分が食われてしまうと恐れて、狼の背から飛び降ります。しかし、そのはずみで、馬泥棒はそこにあった深い穴に落ちてしまいます。



狼は背中が軽くなったのを知ると、山の獣を集めて協力を仰ぎました。「ふるやのもり」の討伐の協力です。集まった獣たちは、狼が怖がるくらいだから、さぞ恐ろしいやつなのだろうと、恐る恐る「ふるやのもり」が落ちた穴を遠巻きにして見ていました。

やがて、穴の中の「ふるやのもり」を確かめるべく、くじ引きが行われました。すると猿がくじにあたってしまいます。猿は、その頃、三十三ひろはあろうかという長い尻尾を持っていたので、穴の中にそれを垂らして探ってみます。



すると、穴の底の馬泥棒はしめたと思いました。これで穴から這い上がることができると思ったのです。馬泥棒はしっかりと猿の尻尾をつかみました。

猿はたまげたのなんの。猿と馬泥棒の引っ張り合いが始まります。猿はわめいて、顔も尻も赤くなるほどりきみました。馬泥棒も尻尾を放しません。とうとう尻尾は根本からもげてしまいました。

それゆえ今の猿は、尻尾が短く、顔も尻も赤いのですと物語は結ばれます。



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登場者が、共に、とらえるべきものを、しっかりと見ていません。妄想が妄想を呼び、ちぐはぐなことが起こります。対峙する相手の姿がちゃんと見えていれば、適切に行動できたはずです。そういうお話だと思います。

また、西洋では、狼はどちらかというと孤独な存在として描かれていましたが、日本の狼には仲間がいるようですね。その仲間の猿ですが気の毒でした。猿の容姿に関する由来譚にもなっています。



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18:23 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『にんじん、ごぼう、だいこん』 野菜の色の由来譚
むかし、まだお風呂が珍しかった頃、ある家のおばあさんが、お風呂を沸かしました。

すると何やら野菜畑で話し合う声がします。声の主はにんじんと、ごぼうと、だいこんでした。彼らは、おばあさんが風呂を沸かしたから、お呼ばれに行こうと話し合っているのです。



早速彼らは、おばあっさんの家を訪ね、風呂に入らせてもらいたい、と彼女に頼みました。おばあさんは快く引き受けました。

さて、三人は、誰が先に入るかをもめています。だいこんは、太っていて体を洗うのに手間がかかり、長風呂になるから後でいいと言い出しました。にんじんとごぼうは熱いかなと風呂の様子を心配しています。そんなふたりにだいこんは、もらい湯なのに文句を言うなとたしなめました。話し合いの末にんじんが先になりました。

にんじんが入ってみると、これがまあ熱いお湯でした。にんじんは、風呂というのはこういうものだと我慢します。しばらくしてお湯から出ると体中が真っ赤になっていました。



次に誰が入るか、ごぼうとだいこんで話し合いが始まります。だいこんは頑なに長風呂になることを言い張って最後を譲りません。次はごぼうの番となりました。

ところが風呂の熱いこと熱いこと。ごぼうはろくに湯船にも入らずに、体もろくに洗わずに出てきたので真っ黒なままです。



さて最後にだいこんです。だいこんの入る頃には湯加減が整っていました。だいこんは、ゆっくりとお湯に浸かり、綺麗に体中を洗ったので真っ白な肌となりました、と物語は結ばれます。



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野菜たちの掛け合いが楽しいです。また、それぞれの野菜の色の、由来譚にもなっています。



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18:21 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『むかでの使い』 子どもはもちろん大人も味わえる昔話の笑い話
短いお話です。むかでと、がまがえるは、仲の良い友達でした。ある日二匹は久しぶりにあったのでごちそうをこしらえて一緒に食べようということになりました。

そこでガマガエルは足の早いむかでに、となり村まで豆腐や油揚げの買い物を頼みます。その間がまがえるは米をといで炊き、芋や大根を切って煮物の支度をしておくことになりました。むかではうなずいて出てゆきました。

そしてしばらくして、がまがえるがすっかり支度ができた頃、そろそろむかでどんが帰ってくるだろうと戸を開けてみると、縁側にむかでが腰掛けています。

がまがえるがちょうどいいところに帰ってきたと喜ぶと、むかではこれから出かけるところだと言います。むかでは「わらじを履きにかかったんだが、なにしろ足の数が多いのでな、ようやく今、片足が履き終わったところだ」と言ったそうな、と物語は結ばれます。



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笑い話ですね。こうして大まかな筋だけ追うだけでは、面白さが半減してしまいます。ぜひ実際の物語を読んで、語り口を味わってください。



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18:26 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『京のかえる、大阪のかえる』 カエルの笑い話の定石
短いお話です。むかし京都に古くから住むかえるがいました。大阪にも古くから住むかえるがいました。京都のかえるは大阪の町を大阪のかえるは京都の町をこの歳になってもまだ見たことがありませんでした。

それぞれのかえるは、ちょうど同じ頃、弁当をたくさんこしらえて、お互いに、そのまだ見たことのない土地に旅に出ます。二匹のかえるは、途中山越えでてっぺんまで登ると出会いました。そしてお互いの目的を尋ね合います。

そして、ここからまだ見ぬ町を眺めてみることにしました。そして、このままでは草が邪魔でよく見えないけれど、お互いが前足をとり合って、後ろ足で立ち上がるなら、目的は果たせるだろうと考え、そうします。

しかし、お互いの目にうつったのは自分たちがよく知っているような町並でした。

二匹は、これならわざわざ行くことはないと言って、もと来た町に帰っていきました、と物語は結ばれます。



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これも笑い話なのでしょう。かえるは立ち上がると目が後ろ向きとなります。つまりここでは自分が出発して来た町の方角を眺めることになります。そりゃ、よく知っている町並みでしょうね。

かえるの笑い話の定石なのでしょうか。二匹のかえるは、もと来た町に帰り物語が閉じられますが、無事かえるのお守りを思い出してしまいました。



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18:24 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『かえるの上方見物』 昔話に見る動物寓話について
春先のぽかぽか暖かい日にかえるが土の中からもこもこと出てきました。かえるは田んぼのそばを流れる堰の縁に顔を出して流れの上と下を眺めています。

すると下の方から馬方が馬を引きながらいい声で馬子歌を歌ってやって来ました。かえるはその歌に聞き惚れて真似をします。ところが「ぎゃこぎゃこ」と声が出るばかり。

馬方がその声を聞いて、かえるに何をしているのかと尋ねました。かえるが馬方のようにうまく声が出せないことをつぶやくと、馬方はうまく歌えるようにお伊勢参りをしたら良いと答えました。そして一緒に行こうと誘います。かえるはそれなら上方見物にでも行くかと同行します。

ところがかえるは、その旅路で腹が擦りきれてしまい難儀します。かえるは考えました。自分も人間のように二本足で歩けばいいのだと。そしてそれを実行しました。かえるは満足です。これなら目の位置も高くなり、遠くも見物することができました。

しかし様子が変です。あたりの景色が見慣れたものになってゆきます。そう、かえるは二本足で立つと目が後ろ向きになるので、元来た道をまた戻って来てしまったのですと物語は結ばれます。



はじめのうち、かえるは人間と話をしているものの、なにか寓意のあるようなことを話すわけでもなくファンタジックな描写は続きます。しかし、やはり結末に寓意が述べられます。笑い話になりました。こと昔話では動物には寓意を語らせたがります。



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18:32 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『鳩がきく』 おじいさんのファンタジックな思考
短いお話です。

むかし、ある村に、おじいさんがふたりいました。ふたりはそれぞれの畑で種をまいています。

片方のおじいさんが、もう片方のおじいさんに、今日はなんの種をまいているのかと大声で聞きます。ところがもう片方のおじいさんは黙って手真似をするばかり。

わけがわからないので、相手の畑に行ってみるとそのおじいさんは小声で豆をまいていると言います。鳩に聞かれたら食べられてしまうではないかと物語は結ばれます。



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なんとも、この、もう片方のおじいさんの、子供っぽい思考が微笑ましいお話です。おじいさんは、鳩が人の話を聞くことができるという前提でお話が展開します。

それに加え、このおじいさんは、鳩豆のことわざを勘違いして解釈しているのかもしれません。

このお話は、あくまで笑い話として語られているのでしょう。そう、このおじいさんは、この様子を村中の人に知られたら、きっと馬鹿にされる対象として描かれているのです。



しかし、このおじいさんの思考を、未だ衰えないファンタジックな属性を持ったものとしてとらえるなら、別の解釈も可能です。その場合たいへんナイーブなテーマをうちに含むことになります。

もっとも鑑賞する対象が子どもの場合、こちらの解釈が優勢となるかもしれません。

それは老いからの逃走に関わることです。これらをテーマとして、創作する文学者は、古今東西少なからずいます。





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18:31 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『うそこき善兵衛』 季節を題材にした法螺話
四部構成で、それぞれ四季のお話がなされます。主人公の善兵衛のさまよう背景が不思議なスケール感で描かれます。



春は、山菜採りでの出来事です。夕立にあい林に逃げ込むととたんに天候は晴れて青空を覗かせます、と思うとやっぱり雨の音がするし雷も鳴っています。するとそこは、いつの間にか、とてつもなく大きなふきの葉の下であったというお話です。

夏は、草刈りでの出来事です。狩った草を束ねて背負って立とうとするものの、重くて持ち上がらず、力を入れて踏ん張ると、かかとの下の土が盛り上がって、大きな山となったというお話です。

秋はきのこ狩りでの出来事です。しかしきのこはいくら探しても見つかりません。そのうちに日が暮れて、野宿することになりました。狼に襲われないように焚き火をすると、ばくろうだけのいい匂いがします。夜が明けてみるとそこは、とてつもなく大きなばくろうだけの傘の上だったというお話です。

冬は、峠を超えて塩を買いに行った時の出来事です。帰り道大雪に見まわれもう一歩も雪を漕いではいけず、雪の下を行くしかなくなりました。この辺だろうと雪から顔を出すと、そこは行き過ぎでした。仕方なくまた雪の下を戻ると、振り出しの峠まで戻っていたというお話です。



一片の物語というまとまりのようなものを感じません。グリム童話で類似のお話を探そうと思えば、(KHM159)『ディーマルシュのほら話』をあげたいと思います。共に法螺話の羅列であり、タイトルにうそであるとかほらという言葉が含まれているのも共通です。



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22:11 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『寝太郎』 自分のペースを貫き通す主人公
長者の家の隣に、とても貧しい家がありました。その家の息子は、大変な怠け者で、一年中、朝から晩まで、寝てばかりいました。それで彼は皆から寝太郎と呼ばれて馬鹿にされていました。

彼の父親も母親も、長者の家の若いものが朝早くから働いているというのに、うちの息子ときたら寝てばかりいると、いつもこぼしている始末です。



しかし寝太郎は、ある日のこと、突然起き上がると山にでかけ、夕方には鳩を生け捕りにして帰ってきました。そして夜なべして鳩を紙で飾り付け足に鈴を付けました。

そして夜が明けないうちに、隣の長者の家の松の木に飾りつけた鳩とともによじ登り、長者よ出て来いと大声で叫びました。

目をこすりながら何事かと長者は縁側に出てみると声の主が村の鎮守の八幡様だと名乗ります。そして隣の寝太郎をお前の一人娘の婿に取れ、さもないと家はたちまち傾くぞというではないですか。

そして長者と八幡様のいくつかの言葉の掛け合いが始まります。もちろん八幡様を語っているのは寝太郎です。彼は鳩の足に提灯を下げて火をともし鎮守の森に向かって放しました。

すっかり長者は、あたかも八幡様がぼうっと光って、鈴を鳴らしながら、鎮守の森に帰って行くと思い込まされました。長者は手を合わせて拝みます。



夜が明けると早速長者は八幡様のお告げだといい寝太郎を娘婿にしようとします。それに対して寝太郎は寝ていたいから嫌だと断りました。

しかし長者は、寝ていてもいいからと娘婿に来てくれと頼みました。寝太郎はそれならと長者の言うとおりにします。早速寝太郎と長者のひとり娘の祝言が挙げられました。



寝太郎は婿となると人が変わったように働き者になり長者の家は末永く栄えたと物語は結ばれます。



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寝太郎は人から馬鹿にされるような存在でしたが、実のところは違っていたようです。なかなかの知恵者です。本人もそれを自覚していたのでしょう。やるときはやるけれど今はまだという態度が感じられます。

若い時に才を発揮して、ひと角の人物になる者もいるでしょうが、この寝太郎のように、まだまだ寝ていたいという者も大勢いると思います。社会がそれを許さないわけですが、寝太郎は自分のペースを貫きました。



ところで、この物語も、定形と考えられる、主人公が長者の娘婿となり、幸せな結末を迎えるお話しのひとつです。中でも『わらしべ長者』と似たところがあります。

『わらしべ長者』の主人公は放蕩息子でした。それが結婚して突然働き者となリます。そしてこの物語『寝太郎』の主人公も、結婚しても働かないと宣言していたにもかかわらず、働き者になっています。

もちろんこれらの物語、お話の筋として、働かない結末を迎えていたら、昔話として落ち着かないのは分かるのですが、何故働き者になったのかという説明が不足しています。もちろん個々の読者が補えばよいのですが、突然のことなので唖然としてしまいました。



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22:08 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『なにがきらい』 天狗という日本の魔に仕えるもの
とあるばくち打ちが、勝負に負けて、身ぐるみ剥がされ、ふんどし一丁で家路につく途中、道端に竹筒が落ちていたので拾います。しばらく歩くと今度は大きなとちの木の上に天狗様を発見します。そこで、ばくち打ちに悪知恵がひらめきます。彼は天狗様を騙し、ひと儲けしてやろうと思い立ったのでした。物語ではその様子の一部始終が語られます。

題名は天狗様のきらいなものを、主人公であるばくち打ちが、天狗様に尋ねたことに由来します。それによって主人公は天狗様の復讐を上手くかわし、天狗様を出しぬくお話になっています。



日本に伝承される天狗という存在をどう捉えるべきでしょうか。西洋文化をひたすら受け入れてきた現在の一般的な日本人の心には、すでに曖昧なイメージしか宿っていないのではないでしょうか。

主人公は敬語をつけて天狗を天狗様と呼んでいることから、その存在は敬うべき存在、もしくは恐れるべき存在であることがわかります。ところが、この物語の主人公は、そんな天狗様を騙そうとするのです。それに呼応するように、この物語の天狗様というのは、あまりにもお人好しな存在として描かれています。

西洋の昔話と比較するならば、主人公が悪魔を出しぬく物語との相似性が感じられます。グリム童話なら(KHM189)『お百姓と悪魔』に近いものを感じます。天狗を悪魔と同義に考えることはできませんが、天狗を魔物と表記するものもありますし、日本でも、西洋の悪魔同様、魔に仕えるものと考えてもいいのでしょう。



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23:49 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『尻鳴りしゃもじ』 長者の娘婿となるお話の類型
日本の昔話でお馴染みの正夢の物語です。

むかしあるところにいくら働いても運の向いてこない若者がいました。若者の初夢が正夢となって、彼は面白いものを授かります。

それは、一本のしゃもじなのですが、不思議な力を宿しています。このしゃもじが、物語の題名の由来にもなっています。

このしゃもじは、表で撫でれば撫でられたものが不思議な音で鳴り出します。裏で撫でれば音は鳴り止みました。

一見、なんの役に立つのかと思うような代物ですが、若者はしばらく考えて長者の家に向かいました。



しかし、長者の家の門は、固く戸締まりがしてあって、とても中には入れません。若者は、その場の思いつきでしょうが、せっちんの汲み取り口から潜り込みます。

品のない描写が、日本の昔話にはちょくちょくみられますね。

すると誰かがせっちんの戸を開けて入ってきます。若者はせっちんの隅っこで小さくなっていました。そして入ってきたのは、長者の一人娘と知ります。

若者は、ちょうどいいと思い、娘の尻をしゃもじでなでました。すると娘の尻は鳴り出します。娘は驚いて寝間に逃げ込みました。

しかし、お尻は鳴り止みません。娘はすっかり青くなって寝込んでしまいます。



長者は心配し医者という医者に来てもらいましたが、いっこうにお尻は鳴り止みません。占い師という占い師に見てもらいましたが、お尻が鳴るわけはわからず、治すことができませんでした。

ついに長者は、娘の病気を治したものを、娘の婿にするという立て札を立てさせました。

あとは若者の思惑の知るところとなります。頃合いを見て若者は、医者にばけて、懐に例のしゃもじを忍ばせて、長者の娘のお尻を治します。あとは言わずとも知れますね。

若者は、晴れて長者の娘の婿となり、一生安楽に暮らしたと物語は結ばれます。



鼻高扇』と物語の構造がそっくりですね。いずれのお話も、若者の正夢で得た不思議な力を宿した物体が、長者の娘の婿となる鍵を握っています。日本の昔話の幸せな結末では、長者の娘婿となるという型は、ひとつ定型と考えてもいいようですね。これまで読んだものなら『鼻高扇』『きもだめし娘』『わらしべ長者』が挙げられます。

また長者が娘婿を条件に立て札を出すのは、これで三話目です。今、話題にした『鼻高扇』と『きもだめし娘』がそれです。これは西洋の昔話でいえば、王女が結婚相手を求める際に、町にお触れを出すお話と相似性があるのではないでしょうか。そして、いずれも女性は一見格下の男性を結婚相手に選んでいます。



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23:48 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『わらしべ長者』 無欲の処世の後先
お馴染みの物語ですね。たくさんの類話があるようです。

私が今読んでいるのは、金持ちの放蕩息子が、家のお金をかってに持ち出すので、親に愛想を尽かされて家を追い出され、一文無しとなり、落ちていたわらしべを拾い、物々交換で、最後にとなり村の長者の娘婿となり働き者となるというものです。

しかし、類話には主人公が始めから貧乏人であるものもあるようです。いずれの類話も、物々交換の末、長者になるという形には変わりがありません。

物々交換の物の変移はまた、類話によって色々なパターンがあるようです。物語の起源については古いことは知られていますが、どこからかは分かりません。世界にも類話があるようです。



類話によって、語られることが大きく変わってくるのではないでしょうか。以下、今読んでいる物語の解釈をしてみます。

金持ちの放蕩息子である主人公はお金というものの価値を恐らく知りません。それゆえに、お金がないと、どういうことになるかという予備知識がないのです。

それを心配した親がそれを学ばせようと、無一文で家から放り出したのでしょうが、主人公は限度を超えて、あまりに幸せに育っています。それゆえか、あまりにも無欲に見えます。お金がなくとも、どこ吹く風なのでした。

そして道に落ちているわらしべを拾います。それを物々交換して物語は進みます。

主人公は、困っている人に出会うと、親切に自分の今の持ち物を別け隔てなく譲ってしまいます。その代わりに別のものを受け取るわけですが、それが段々と、となり村の長者の欲するものに近づき、とうとう長者は主人公からそれをえるために自分の娘を差し出すこととなり、晴れてとなり村の長者の娘婿となるという展開です。



最後に主人公は突然働き者になると語られていますが、なにゆえなのかについての説得力のある理由は、今読んでいるお話からは汲み取れませんでした。昔話にはよくあることですね。

それゆえテーマらしきことがぼやけてしまっているのですが、全体から一番強く汲み取れたのは、無欲の主人公の処世の後先といったところでしょうか。

色々な類話を、読んで見る価値がありそうです。



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18:26 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『鬼のお面をかぶった娘』 まだ経験の浅い若者を励ます昔話
むかし、あるところに貧乏な夫婦がいました。夫婦には娘が一人いましたが家が貧しいので山向こうの長者の屋敷に年季奉公に出ていました。



娘は長者の屋敷でまめにはたらきましたが、里の父さん母さんが恋しくて恋しくてなりません。しかし奉公に来ている以上、勝手に帰るわけにもいきません。

そんなある日、旦那様のお使いで町にでかけた時、市で父さん母さんそっくりの顔の面を見つけて、それをなけなしの小遣いで買って帰りました。

娘は、誰にも知られないように、自分の寝る部屋の枕元に、こっそりそのお面を飾り、毎晩、父さん母さんに話しかけるように、そのお面に向かって話しかけました。

お祭りなどで、甘酒やおまんじゅうをもらうと、それをお面の父さん母さんに供えて一緒に食べました。

そんな娘を不審に思った仲間の奉公人たちは、こっそりと娘の様子を探りました。するとなんと娘はお面に話しかけているではないですか。皆で馬鹿にして笑います。

そしていたずらに娘のふたつのお面をふたつの赤鬼のお面と変えてしまいます。

そんな奉公人たちのいたずらに、娘はそれと気付かず、真に受けてしまいます。優しい顔のお面が、突然、怖い顔に変わっているので、びっくりして、父さん母さんになにか良くないことがあったに違いないと、たいそう心配して泣いてばかりいました。



そうしているうちにやっと年季が開けて娘は帰ることができるようになりました。ところが帰り道の途中山越えの峠で山賊に捕まってしまいます。

ところが持っていた赤鬼のお面が、思わず役にたって、山賊を蹴散らすことになりました。山賊が去ったあとには、たくさんの銭も散らばっています。娘は訳がわからず、これは神様からのお恵みだと、それを拾い集めて家に持ち帰りました。

家に帰ってみると、父さん母さんは娘の心配をよそに元気です。そして山賊がおいて行ったお金で親子三人安楽に暮らしたと物語は結ばれます。



まだ、半分子どもが抜け切らないくらいの若者が励まされる、一群の昔話のひとつですね。未だ世間擦れしておらず、それゆえに無私で純粋なものの気持ちがよく描かれています。

娘は、その属性から、周りの奉公人からは浮いた存在となっています。そして、寂しさのあまり、父さん母さんがこいしくてなりません。また、父母のために取り越し苦労までしています。物語は、これらの者をそのまま受け入れて、幸せな結末へと導いていきます。

それにしても、彼らのような存在が、大きな顔をした訳知り顔の大人によってからかわれるのは、いつの世も同じですね。



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18:24 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『皿さら山』 世界に広く分布するシンデレラの類話
(KHM21)『灰かぶり(シンデレラ)』の本筋だけを抜き出して、日本風に語るならば、この物語のようになるのではないでしょうか。



一人の娘を持った父親である侍が、妻に先立たれ後妻をもらうのですが、後妻にも娘がいました。後妻は自分の娘だけを可愛がり綺麗な服を着せ、継子である侍の娘にはぼろを着せて、つらい仕事をさせます。

ところがある日殿様が、侍の娘を見初めて嫁にもらい、嫉妬した後妻の娘には、田んぼのタニシになってしまうという罰が当たるという展開です。



『灰かぶり(シンデレラ)』の記事にも書きましたが、この物語のバリエーションは、古い時代から世界に広く分布しているようです。お話の起源についてはあまり興味がないのですが、世界に広く分布してきた背景には、人類共通の物語が語る道徳的なものが、深く関与しているのでしょう。

短いお話なので『灰かぶり(シンデレラ)』のように、主人公が描き出す大きなファンタジー要素は望むべくもありません。そのへんが少し残念です。

ただし日本の昔話らしく、殿様が主人公の娘を嫁に選ぶ際、侍の娘と、後妻の娘の歌の詠み合いがあります。それがこの物語の題名の由来になっています。

更に、ファンタジックにするのなら、日本の昔話が得意とする夢の描写などが加われば、もっとお話が広がるでしょうか。



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18:24 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『りんの歌』 子どもを正しく導く存在としての和尚さん
むかし、山寺の和尚さんが、武士の娘、花屋の娘、魚屋の娘の三人の女の子を預かって、毎日学問を教えていました。

ある日和尚さんが村に団子を買いに出かけました。和尚さんが留守の間、三人の女の子は、和尚さんの大事な鈴(りん)を見つけて鳴らしてみます。

ところが、三人の女の子は代わる代わる鈴を鳴らしているとつい夢中になって鈴を割ってしまいます。三人の女の子は和尚さんになんとお詫びをしたら良いのだろうかと泣き出してしまいました。



そこへ和尚さんが帰ってくるのですが。三人の女の子が泣いているのを見て、そのわけを聞きます。すると和尚さんが大事にしていた鈴を割ってしまったのだというではないですか。

しかし和尚さんは割ってしまったものはしょうがないと言い、詫びたいというならば、始めと終りに”りん”という言葉のついた歌を一首詠んでみよと言い、上手く詠めたなら勘弁してやることにしました。



そして娘たちは、それぞれに親の職業にちなんだ見事な歌を詠み、和尚さんは三人を許してやった、と物語は結ばれます。





この物語の起源は分かりませんが舞台となるのは寺子屋の前身のようなところしょうか。あるいは意外と起源は浅く、商工業の発展に伴い生まれた、江戸時代の寺子屋そのものが描かれているのかもしれません。いずれの女の子も町人の娘のようです。

娘たちは和尚さんの大事な鈴を割ってしまうのですが、和尚さんというのは流石に物の分かった人で、子どもたちを正しく導いていく様子が描かれます。

日本の昔話では、このお話のような聖職者としての和尚さんばかりではなく、一人の人間としてのお翔さんも多く描かれます。しかしその両方があって日本的といえるのでしょう。



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18:21 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『神様と小便』 あらゆるものに神が宿ると困ること
短いお話です。

むかし和尚さんが小僧さんを連れて旅に出ました。

歩いていくうちに小僧さんは小便がしたくなります。そこで畑に行ってしようとすると和尚さんが、畑には土の神がおられるからダメだと言ってさせません。

小僧さんは仕方なく我慢して歩いて行くと、今度は川があったので、川にしようとしました。しかし和尚は川には水の神がいるからと言って小便をさせてくれません。

小僧さんは仕方なく我慢してまた歩き出すのですが、もう我慢がなりません。このままではあらゆるところに神が宿るのだから、どうしたらいいかを考えざるを得ませんでした。

そのうち和尚さんが疲れたと言って、松の木の根本に腰を下ろして昼寝をはじめました。すると小僧さんは、すかさず松の木に登り、木の上から和尚さんの頭めがけて小便をしました。

和尚さんの頭には”かみ(髪)”がないという落ちです。



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物語最後、頓智でくくられる笑い話です。西洋の聖職者はこのような状況に陥ることはまずないでしょう。

日本の場合聖職者たる和尚さんがまず聖職者である前に一人の人間であることが根底にあって和尚さんと小僧さんの間にある距離が非常に近いのです。日本らしいお話だと思います。

あらゆるものに神が宿るとする日本的な宗教観からすると、小便はどこにもできないことになってしまいます。日本では、トイレにさえ神様が宿っていそうです。この難問に小僧さんは挑んだのです。



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18:20 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『どろぼうがみたら、かえるになれ』 ウイットに富む日本の聖職者
短いお話です。

むかし、ある寺に、和尚さんと小僧さんがいました。

ある日小僧さんは、生まれて初めてお金というものをもらい嬉しくて嬉しくて大切に大切にしていました。

けれども小僧さんはお金はなくすかも知れないし、盗まれるかも知れないと考えて、それを土の中に埋めて隠してしまうことを計画します。

そこでその穴の空いた五枚のお金にわらを通して庭の隅に埋めてしまいます。そして晩になるとそれを掘り起こし眺めては喜んでいました。

しかし、小僧さんは、それでもお金のことが心配だったのか、お金に対して泥棒が見たらかえるになるんだぞと、拝みながら埋め戻しました。



一方和尚さんは、毎晩暗くなると庭の隅でぶつぶつ言っている小僧さんを不審に思い、ある晩こっそり隠れて小僧さんのやっていることを見ていました。

和尚さんはこれを見て小僧さんにいたずらすることにします。つまり小僧さんのお金を掘り起こし本物のかえるを埋めたのです。



さて、小僧さんはいつものように庭の隅で土を掘り起こしてみると、なんとそこにはかえるがいるではないですか。かえるはぴょんぴょん飛び跳ねていきます。それを小僧さんは俺は泥棒じゃないぞと言いながら追いかけて行きました。

和尚さんは大笑いします。



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昔話なので、単なる笑い話とすることもできますが、読みようによっては、和尚さんが小僧さんのお金への執着を、修行者の身としてからかったものとも取れます。

教え導くものとしての聖職者である和尚さんの態度は、西洋のそれに比べて。豪胆で荒っぽいかも知れません。日本の禅宗のお坊さんが使いそうな手を思い浮かべてみました。



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18:19 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『和尚おかわり』 聖なるものと俗なるものの落差が生む笑い話
短いお話です。

前話『やきもち和尚』と語られることはほぼ同じです。

むかし、あるお寺に、和尚さんと小僧さんがいました。ある日、寺では、味噌を作るために大豆を煮ます。和尚さんは和尚さんで、小僧さんは小僧さんで、味噌を作るための前工程で作る味噌玉をこっそり食べてしまおうと画策しています。

和尚さんはすきを見て味噌玉をひとつ持ってせっちんに向かいました。そこで味噌玉を食べるつもりです。小僧さんは小僧さんで、和尚さんがいつの間にいなくなったので、味噌玉をひとつ持ってせっちんに向かいます。そこに和尚さんがいるともしれず。

両人がこっそり味噌玉を食べようとする場が、同じせっちんということで、和尚さんと小僧さんは鉢合わせになってしまい、小僧さんは思わず和尚さんに味噌玉のおかわりですとつぶやいてしまいます。両人は、お互いの俗気がばれて、仲良く味噌玉を食べたと物語は結ばれます。



『やきもち和尚』と、この物語からは、日本人の宗教観が感じとれます。聖なるものと、人々の間に求められているのは、西洋の場合、ある種の厳しさです。よって聖なるものが、俗なる心を表すことはありません。

それに対して、日本の場合には、どうやら、ある種の寛容さのようなものが感じとれます。和尚さんも一人の人間であるという認識が先行しています。

そう、日本の昔話では、聖職者の中に、俗なるものを見出して、その落差が笑い話へと昇華します。



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18:29 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『やきもち和尚』 西洋の聖職者と日本の一般的な聖職者
むかし、あるお寺に、和尚さんと小僧さんがいました。ある時和尚さんは、檀家に法事で呼ばれ、大きなもちをふたつおみやげにもらって帰ります。和尚さんは小僧さんには内緒で、もちを自分一人で食べようと思っていました。



そこで和尚さんは、晩になると囲炉裏にあたりながら、小僧さんに用事を言いつけ、外に出し、その間にもちを焼いて食べてしまおうと画策します。

ところがその計画は、小僧さんにすでに見通されています。小僧さんは外に出るふりをして戸に隠れて、もちが焼きあがるのを待って和尚さんのもとに戻ってきます。

和尚さんは、こっそりもちを焼いていることを暴かれ言い訳をします。このもちは寒い外から帰ってきた小僧さんのために焼いていたものだと言いました。そして、まんまと小僧さんにもちを譲ってしまう羽目となりました。



次の晩も和尚さんは、もちを独り占めするべく行動します。しかし、もうひとつのもちさえも、小僧さんの機転の効いた策略にはまり、和尚さんはまたしてももちを小僧さんに譲らざるを得ません。

これに懲りた和尚さんは、それからは何でも小僧さんと、ふたりで分けて食べるようになったと物語は結ばれます。



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和尚さんといえば日本の聖職者です。その聖職者が、俗気を発揮して後悔するという物語ですね。これが日本の一般的な聖職者のあり方として広まっているように思われます。いわゆる生臭坊主という悪口もありますが、ひとりの人間としてのあり方が優先されるのです。

それに比べ、西洋の昔話に登場する聖職者は、あくまで徳の高い人格を表現しています。例えば、ブログで扱ったものならグリム童話(KHM81)『陽気な兵隊』の聖ペートルスなどがこれに当たるでしょう。

日本にも、もちろん崇められるような聖職者は存在していますが、昔話に登場する和尚さんは人間的です。



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18:27 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『もちは金仏さま』 聖なるものもユーモアの種に、日本の昔話
短いお話です。

むかしあるお寺に、和尚さんと小僧がいました。ある日、檀家の人が重箱にぼたもちをいっぱい詰めて、寺に届けてくれました。和尚さんはちょうど法事に出かける時で、小僧に、留守の間、ぼたもちに手を付けるなと言ってでかけてゆきます。

ところが小僧は、ぼたもちが食べたくてならず、ひとつぐらいならいいだろうと、手を付けてしまいます。しかし、その美味しさに、やめることができなくなり、とうとう全部平らげてしまいます。

さあ、こうなっては、後の祭りです。小僧は、知恵を働かせて、金仏さんの口にあんこを塗付け、周りに重箱を散らかし、あたかも金仏さんがぼたもちを食べたようによそおいました。はたして和尚さんは法事から帰ってきて小僧に詰め寄ります。

それから紆余曲折ありますが、小僧は、強引に金仏さんが、ぼたもちを食べたことを、和尚さんに納得させてしまうというお話です。



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紆余曲折ありと書きましたが、金仏さんを叩いたり、熱い湯につけたり、罰当たりなことがなされます。しかし、そこは日本の場合、昔話ということで、ご愛嬌のようです。金仏さんに訪れた災難がユーモアとして描写されるような形になっています。

日本の昔話には、西洋のものと違って、聖なるものもユーモアの種にしてしまうような、おおらかな空気が感じられます。



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18:21 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『えんまさんの失敗』閻魔さんもお手上げ、ある飄々とした生き方
むかしあるところに仲の良い軽業師と医者と神主がいました。三人は、それぞれ自分の日常での営みの最中に突然死んでしまいます。そこで三人はそろって冥土の旅にでかけることになりました。

そして三人は、地獄の入り口で閻魔さんに出会うと、娑婆での行いに言い訳などしたりして、自分の極楽行きをほのめかしたりしていますが、閻魔さんはだまされません。閻魔さんは三人に地獄行きを宣告します。ところが三人は地獄についても娑婆での得意技を駆使して地獄の鬼と対等に渡り合います。

鬼は素直に地獄に落ちない三人に手を焼いて再び閻魔さんのもとに三人を返しました。そこで閻魔さんは、また三人を別の地獄に送るなどし、かれこれ、こんなことが二度繰り返されます。そしてとうとう手段を失った閻魔さんは、最後に、自らの腹に三人を飲み込んでしまいます。ところが、これもうまく行きませんでした。

そんなわけで三人はまた娑婆に戻され、また三人そろって仲良く暮らしたという落ちのお話です。



グリム童話にも、同様に、地獄の存在にあまりにも破天荒な主人公が入門を断られてしまうお話がいくつかありました。ブログで扱ったものなら(KHM81)『陽気な兵隊』などがこれに当たるでしょうか。

いずれも地獄の存在が主人公たちに手を焼いて地獄から追い出されるというような格好でお話が進み、とてもユーモラスな描写が続きます。

主人公たちのピンチにもかかわらず、飄々としてそれらの事態をくぐり抜けていく三人の態度に、思わず笑みがこぼれると同時に、応援したくなるようなお話です。



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18:19 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『きつねの玉のとりあい』 化けるという表現手段
むかしあるところにおさんというめすの古狐がいました。毎晩里に出てきては人を化かすので村の人々は困り果てていました。

村人たちは寄り合いを開いて、村で一番の賢いじいさんにおさんきつねを懲らしめてもらおうということになりました。

ところで、狐は化けるときに、化けの玉というものを使います。この物語で描かれるのは、村で一番賢いじいさんと、きつねのおさんの化けの玉の奪い合いをめぐる知恵比べです。



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洋の東西を問わず、きつねは、昔話に多く登場し、賢い生き物として描かれるようですね。そして日本のきつねは、よく化けます。

また、日本のきつねの場合、弱点もあります。それは、お宮の神主さんという存在です。彼の言うことには逆らえません。また、油揚げを好むという、変な特徴も有しています。

それぞれに何か由来があるのでしょうが、西洋のきつねに比べて設定されている特徴がユニークです。

それゆえに現代に至ってもきつねの登場する日本の物語には、大抵、これらの特徴が踏襲されます。しかし、なんと言っても、化けるという点が一番の特徴でしょうか。

しかしよく考えてみると、日本の昔話の登場者は狐に限らずよく化けます。化けるという表現手段は、日本の昔話の特徴なのではないでしょうか。西洋の魔法に匹敵するほど、便利な仕掛けとなっています。



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18:18 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『きつねの小判』 日本の昔話にみる隣という舞台装置
この物語は動物報恩譚の一つですね。

むかしあるところに、じいさんとばあさんがいました。ある日のこと、じいさんは山で子犬を拾い、夫婦には子供がいなかったので大切に育てます。

ところが、犬の子だと思って育てていた存在は、しっぽが太くなり、口が尖ってきて、どうやら狐のようなのです。

夫婦は、狐をうちにおいておくわけにはいかないと思い、仕方なく、またそれを山に戻しました。



ところで、その夜、夫婦が寝ていると、外で呼ぶ声がします。じいさんは、それに受け答えると、その声の主は、子狐の親だというではないですか。

子狐の親は、子を育ててくれた恩返しに、小判を裏山の地蔵様の下に埋めておくから、明日の朝に掘ってくれと言い置いて立ち去りました。



ところが、ちょうどその時、隣の家に住む七兵衛が小便に起きて、この話を聞いてしまいました。

七兵衛はすぐに家を飛び出し狐が言っていた通り裏山を掘ってみると、本当に小判がざくざくと出てきます。そして七兵衛はそれを大喜びで持ち帰ってしまいました。

以降、この小判を、子狐の親が、隣の七兵衛夫婦から取り戻し、本来受け取るべきおじいさん夫婦に手渡すまでの物語です。



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日本の昔話に頻出する”隣”という舞台装置がここにも見られます。これまでも『はなさかじい』『夢買い長者』『へこきじい』などで使用されていました。

そう、日本の昔話では、隣との関係性が、モチーフとなることが多いのです。それぞれの物語において展開される事柄は異なりますが、それが、ともに、隣の住人との間で展開されるところが面白いです。

グリム童話にも、隣という舞台装置が使われるものがありました。(KHM87)『貧乏人と金持ち』がそれです。しかし、西洋の昔話全体のなかでは、このようなモチーフが使われるケースは、少数かもしれません。



また、この物語は『おどるがいこつ』同様、七兵衛という登場人物が、つい出来心で、主人公の富を横取りしてしまうという描写がなされるのですが、日本の昔話の特定のキャラクターとしての七兵衛というものが存在するのかどうか、これから先まだ多くの日本の昔話を読んでみないとわかりませんが少し気になりました。。

また、七兵衛が、懲らしめられる際に、馬の糞を食べ物として子狐の親に出されています。このあたりのエピソードは『はなさかじい』にもみられます。日本人の、罰に対する感性が垣間見られる部分だと思います。

あと、今更ですが、日本の物語のきつねは良くも悪くもよく化けます。この物語では、子狐の親が小判を取り戻すための手段に、七兵衛のおかみさんに化けています。化けるというと聞こえが悪いですが、ここでは主人公を助ける手段として行われています。



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18:16 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『おどるがいこつ』 東洋的な笑いばなし
六兵衛と七兵衛という、仲のいい二人の男が、村にいても仕事がないので町にでかけます。

それから三年間が経ち、二人はいよいよ村に帰ることにしました。それにしても、六兵衛は真面目に働いて金をたっぷり蓄えましたが、七兵衛は怠けて遊んでばかりいたので土産も買えない有様です。

帰り道、深い谷にかかる一本橋に来ると、七兵衛は、六兵衛の金も荷物持ってやるから先に渡れといい、六兵衛を先に渡すふりをして、、橋から突き落としてしまいます。六兵衛は死にます。



それから一年、七兵衛は六兵衛の金で遊んで暮らします。しかし金も底をついたので七兵衛はまた町に出ることにしました。

七兵衛は町へ向かう途中一本橋で骸骨に出会います。それは六兵衛でした。

七兵衛は恐れおののいて逃げようとしますが、骸骨が、ある話を持ちかけてきます。六兵衛が骸骨の姿で踊るからそれを見せ者にして金を取ればいいとのことでした。七兵衛は喜んで賛成しました。

骸骨の踊りという珍しい見世物に、人を集めるのはたやすく、七兵衛は町でたんまりと金を儲けました。そして欲をかいて、今度は自分の村でも金儲けをしようとします。

村でも人集めは容易いことでした。ところが骸骨は大声で七兵衛の悪事を暴き立て始めるではないですか。自分がいかにして七兵衛に殺されたかが衆人のもとに晒されます。

七兵衛はさんざん叩かれ役人に引き渡されましたと物語は結ばれます。



仲のいい二人とありますが、裏切り行為が描かれています。どう捉えるべきか迷いました。

裏切られた六兵衛が、死んでから骸骨になって七兵衛に、仕返しをしたという、ある意味ユーモアとも取れる軽いお話なのでしょう。深い恨みごとが綴られるお話とは感じられませんでした。

死んでからも骸骨になって活躍する六兵衛に、死は、人の終わりではないという、東洋的な感性を読み取ることもできるかもしれません。



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18:29 : 日本の昔話 1 早春 : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『あぶねえ、あぶねえ』 日本の昔話の根底にあるアニミズム
むかしある村に夜になると「あぶねえ、あぶねえ」と叫びながら暗闇の中を歩きまわる化けものが出ました。村の人は怖がって暗くなると誰も外へ行きたがらなくなりました。



ある晩村の人たちは集まって、よもやま話をしているうちに「あぶねえ」の化けものの話になりました。そして未だ誰もこの化けものを見届けたことがなかったので今夜はひとつ見届けようじゃないかということになりました。

早速、誰がその役をこなすかをくじで決めることになります。しかし、くじにあたったものは大変な怖がりで、化けものの声を聞いたとたん目を回してしまいました。

次の晩もくじ引きは行われました。ところがこのくじにあたったものも、化けものの声を聞くと真っ青になって逃げ帰ってくる始末。



しかし三日目の晩にくじにあたったものは勇敢でした。化けものの声を聞くと暗闇を中を目を凝らします。すると、化けものは見たこともないような美しい姉様でした。

そして男は姉様の後をつけていくと、村はずれの柳の木の枝に、古い瓶が吊るされていて、それが今にも落ちそうになっているのを見つけます。男は急いで村の人たちに知らせると皆で瓶を枝からおろしました。

さて、瓶の中にはお金がいっぱい詰まっていました。このお金が姉様に化けて、今にも柳の枝から落ちそうになっていることを「あぶねえ」と皆に知らせようとしていたのです。

村の人たちは化けものを怖がらなかった三番目の男にそのお金をあげました。それからというもの、村には化け者が出なくなりました、と物語は結ばれます。



お金が姉様に化けました。あらゆるものに魂が宿るという、アニミズム的な思考がベースにあります。ひょっとしたら、このお話ばかりではなく、これは日本の昔話全体のベースになっているのかもしれません。



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18:26 : 日本の昔話 1 早春 : comments(1) : trackbacks(0) : かがりん :
日本の昔話 1 より 『山寺の化けもの』 日本の昔話に多い異類のものの話について
旅の和尚さんと、人食い蜘蛛のお話です。

旅の和尚さんが、ある村にやってきて、村人に宿を頼みますが、どこの家でも断られてしまいます。その代わりに、村はずれの壊れた古寺を紹介されました。

ところがこのお寺、泊まったものは皆、朝になると行方がわからなくなるという、いわくつきのお寺でした。和尚さんは、この何かがあるのであろう古寺での出来事を、自分の目で見届けてやろうと意気込みます。

和尚さんは、まだ日があるうちに酒や食べ物を買い込んで夜に備えます。寝ずに夜明かしするつもりです。



さて、真夜中になった頃、和尚さんは、寺の奥から足音がするのを聞きます。すると、寺の奥から美しい女の人が小さな男の子をおぶって出て来るではないですか。

女の人は今夜はお客さんだよと言いながら男の子をおろし抱いてもらいなさいと言いました。男の子は少しもおとなしくしないで和尚さんの体の周りでくるくるとじゃれ回ります。

小うるさい子どもだなと思った和尚さんは、子どもを母親に返しました。母親は、また彼をおぶって寺の奥へ帰っていきます。



それからしばらく経ちました。和尚さんは寺の奥で何か掛け声を聞きました、するとなんと和尚さんは座ったままずるずると、寺の奥へと引きずられていくではないですか。さては先ほどの子どもが和尚の体に何やら巻き付けていったらしいことを和尚さんは知ります。

和尚さんは懐から小刀を取り出して、自分の体をがりがりと着物の上からなぞりました。すると和尚さんに巻き付いていたものは切れたようです。もう引っ張られることはありませんでした。そして夜が明けます。



さて村人たちが、またいつものごとく、泊まったものは行方知れずとなっているのだろうと思いながら、古寺の様子を見に行ってみると、なんと和尚さんは無事でした。

和尚さんは昨夜の出来事を村人たちに話して聞かせます。村人たちは寺の奥に何かあるに違いないと探し始めました。

すると寺の奥には飼い葉桶ほどの大蜘蛛が二匹死んでいます。周りには蜘蛛に食べられたであろう旅人たちの骨がごろごろと転がっていました。

村人たちは和尚さん活躍に感心し、壊れた寺を直すから住職になってくれと引き止めます。和尚さんは住職となり村人に敬われたということです。



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日本の昔話の場合、異類のものの登場するお話が多いように思います。そして、彼らは登場すると、主人公に何か力を及ぼそうとするのですが、良いことをもたらすにしても、悪いことをもたらすにしても、人との接点を持つにあたり、人に化けるという形が、これまた多いように思います。

これに対して西洋の昔話は、主人公に力を及ぼそうとする存在が、はじめから人もしくは人に類するものである場合が多いことが特徴なのではないでしょうか。魔女であるとか小人が、その好例でしょうか。



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