読書雑記 - グリム童話は残酷か?、民話を読む意義
2017.02.06 Monday
グリム童話を含む民話や昔話について、気になっていることがあります。ある一定数なのですが、民話や昔話は残酷であるとする人の存在です。確かに残酷な描写が出てくるものもあります。では民話や昔話は残酷かというと、わたしは、そうとばかりは思いません。ドイツ文学者の小澤俊夫さんの考え方に与する者です。
小沢さんは著書で述べています。民話、昔話は、極めて主人公中心の物語が多く、聞き手や読み手は、主人公に共鳴せざるを得ない構造をしていて、予兆としての残酷さはが描かれていたとしても、決して予兆の通りにはならなず、幸せな結末に向かっているものだと…。
その過程で起こる成功や失敗が、文芸の技法上の極端な落差で表現されるため、残酷とうつるような描写がされることもあるのですが、これはお約束のようなもので、普通の読者なら、そう大げさに反応しないでしょう。
これについては、現代という時代に置かれた、読み手の問題なのだと思います。昔話、民話が再話される際、戦後あたりからでしょうか、そういう機運だったのだと思います、残酷な場面はカットするなど、これらのお話は急速に表現を和らげました。
これを民話、昔話と思い込んで、少しでも残酷な場面があると、過敏に反応してしまう人が出ているようです。
またこれを逆利用して、残酷な場面をわざとより残酷に拡大解釈し、前面に押し出して、真相はこうだったというように再話する、実は興味本位の著書が、過去に流行ったこともありました。これによる、民話に対する誤解を持つ人も、一部に存在してしまっているようですね。
また、これら残酷なものを、子供には読ませられないという大人がいますが、騒ぐのはその大人だけで、子供の反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているように思えます。一部の大人は、わざわざ昔話を、写実的な文学を読むようにしてまで、手間をかけて読みたがるようですがよくわかりません。
つまり、物語全体の醸しだすイメージを素直な方向に膨らませて、読む分には構わないと思いますが、逆に、細かいところを取り出して、誤ったイメージを膨らませたり、矛盾を見いだすような読み方はいただけないかなと思っています。
それはさておき、民話を読む意義とは何でしょうか。私達が知っている他民族の知識とは、歴史の出来事にしろ最近のニュースにしろ、一方的な立場から語られるものが多く、誤解を含んだ一面的なものであることが往々にしてあります。
例えば、アメリカ合衆国の先住民であるインディアンですが、この情報社会においてさえ、未だに悪者をイメージしている人がいるのではないでしょうか。ところが彼らの民話を読んでみると、非常に感銘を受ける物語が多数あります。民話は民族の中で育ってきた物語です。よって、よく民族の心を写しているとも言われます。
そう、民話を知れば他国の人の理解に、奥行きができるのです。前述の小澤俊夫さんは、民話は他国の人と繋がるための大切な財産だとも言っています。
しかし、はっきりと言ってしまえば、馬鹿馬鹿しいお話が、多くあるのも事実だと思います。しかし現代に欠けているものを、補ってくれるお話も多くあるものと思っています。
それゆえに、先達の文人がそうしたように、その中に文学的なテーマを見つけることができるかも知れません。
どうでしょう、よろしければ、手始めに、世界一有名な民話集、グリム童話を読んでみませんか。
小沢さんは著書で述べています。民話、昔話は、極めて主人公中心の物語が多く、聞き手や読み手は、主人公に共鳴せざるを得ない構造をしていて、予兆としての残酷さはが描かれていたとしても、決して予兆の通りにはならなず、幸せな結末に向かっているものだと…。
その過程で起こる成功や失敗が、文芸の技法上の極端な落差で表現されるため、残酷とうつるような描写がされることもあるのですが、これはお約束のようなもので、普通の読者なら、そう大げさに反応しないでしょう。
これについては、現代という時代に置かれた、読み手の問題なのだと思います。昔話、民話が再話される際、戦後あたりからでしょうか、そういう機運だったのだと思います、残酷な場面はカットするなど、これらのお話は急速に表現を和らげました。
これを民話、昔話と思い込んで、少しでも残酷な場面があると、過敏に反応してしまう人が出ているようです。
またこれを逆利用して、残酷な場面をわざとより残酷に拡大解釈し、前面に押し出して、真相はこうだったというように再話する、実は興味本位の著書が、過去に流行ったこともありました。これによる、民話に対する誤解を持つ人も、一部に存在してしまっているようですね。
また、これら残酷なものを、子供には読ませられないという大人がいますが、騒ぐのはその大人だけで、子供の反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているように思えます。一部の大人は、わざわざ昔話を、写実的な文学を読むようにしてまで、手間をかけて読みたがるようですがよくわかりません。
つまり、物語全体の醸しだすイメージを素直な方向に膨らませて、読む分には構わないと思いますが、逆に、細かいところを取り出して、誤ったイメージを膨らませたり、矛盾を見いだすような読み方はいただけないかなと思っています。
それはさておき、民話を読む意義とは何でしょうか。私達が知っている他民族の知識とは、歴史の出来事にしろ最近のニュースにしろ、一方的な立場から語られるものが多く、誤解を含んだ一面的なものであることが往々にしてあります。
例えば、アメリカ合衆国の先住民であるインディアンですが、この情報社会においてさえ、未だに悪者をイメージしている人がいるのではないでしょうか。ところが彼らの民話を読んでみると、非常に感銘を受ける物語が多数あります。民話は民族の中で育ってきた物語です。よって、よく民族の心を写しているとも言われます。
そう、民話を知れば他国の人の理解に、奥行きができるのです。前述の小澤俊夫さんは、民話は他国の人と繋がるための大切な財産だとも言っています。
しかし、はっきりと言ってしまえば、馬鹿馬鹿しいお話が、多くあるのも事実だと思います。しかし現代に欠けているものを、補ってくれるお話も多くあるものと思っています。
それゆえに、先達の文人がそうしたように、その中に文学的なテーマを見つけることができるかも知れません。
どうでしょう、よろしければ、手始めに、世界一有名な民話集、グリム童話を読んでみませんか。
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