子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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読書雑記 - グリム童話は残酷か?、民話を読む意義
グリム童話を含む民話や昔話について、気になっていることがあります。ある一定数なのですが、民話や昔話は残酷であるとする人の存在です。確かに残酷な描写が出てくるものもあります。では民話や昔話は残酷かというと、わたしは、そうとばかりは思いません。ドイツ文学者の小澤俊夫さんの考え方に与する者です。

小沢さんは著書で述べています。民話、昔話は、極めて主人公中心の物語が多く、聞き手や読み手は、主人公に共鳴せざるを得ない構造をしていて、予兆としての残酷さはが描かれていたとしても、決して予兆の通りにはならなず、幸せな結末に向かっているものだと…。

その過程で起こる成功や失敗が、文芸の技法上の極端な落差で表現されるため、残酷とうつるような描写がされることもあるのですが、これはお約束のようなもので、普通の読者なら、そう大げさに反応しないでしょう。



これについては、現代という時代に置かれた、読み手の問題なのだと思います。昔話、民話が再話される際、戦後あたりからでしょうか、そういう機運だったのだと思います、残酷な場面はカットするなど、これらのお話は急速に表現を和らげました。

これを民話、昔話と思い込んで、少しでも残酷な場面があると、過敏に反応してしまう人が出ているようです。

またこれを逆利用して、残酷な場面をわざとより残酷に拡大解釈し、前面に押し出して、真相はこうだったというように再話する、実は興味本位の著書が、過去に流行ったこともありました。これによる、民話に対する誤解を持つ人も、一部に存在してしまっているようですね。

また、これら残酷なものを、子供には読ませられないという大人がいますが、騒ぐのはその大人だけで、子供の反応は、極めて物語の仕組みを良く理解しているように思えます。一部の大人は、わざわざ昔話を、写実的な文学を読むようにしてまで、手間をかけて読みたがるようですがよくわかりません。

つまり、物語全体の醸しだすイメージを素直な方向に膨らませて、読む分には構わないと思いますが、逆に、細かいところを取り出して、誤ったイメージを膨らませたり、矛盾を見いだすような読み方はいただけないかなと思っています。



それはさておき、民話を読む意義とは何でしょうか。私達が知っている他民族の知識とは、歴史の出来事にしろ最近のニュースにしろ、一方的な立場から語られるものが多く、誤解を含んだ一面的なものであることが往々にしてあります。

例えば、アメリカ合衆国の先住民であるインディアンですが、この情報社会においてさえ、未だに悪者をイメージしている人がいるのではないでしょうか。ところが彼らの民話を読んでみると、非常に感銘を受ける物語が多数あります。民話は民族の中で育ってきた物語です。よって、よく民族の心を写しているとも言われます。

そう、民話を知れば他国の人の理解に、奥行きができるのです。前述の小澤俊夫さんは、民話は他国の人と繋がるための大切な財産だとも言っています。



しかし、はっきりと言ってしまえば、馬鹿馬鹿しいお話が、多くあるのも事実だと思います。しかし現代に欠けているものを、補ってくれるお話も多くあるものと思っています。

それゆえに、先達の文人がそうしたように、その中に文学的なテーマを見つけることができるかも知れません。

どうでしょう、よろしければ、手始めに、世界一有名な民話集、グリム童話を読んでみませんか。



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18:50 : ■ 民話、昔話の読書について : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
読書雑記 - 民話、昔話の読書について
トールキンは、論文『妖精物語とはなにか』第2章で、妖精物語だけに限ったお話しとはせず、神話や民話なども含む、物語全般の起源を考察しています。しかし、彼の関心は起源自体にはあまり向かわず、何故、ある物語が今日まで語り継がれてきたか、ということに論点のウエイトをおいています。

そしてトールキンは、時の語り手による、道徳的な禁制の配置などの、文学的な保存価値を考慮された、恣意的な取捨選択を経て、それらの物語が、後世にまで残るかどうかが定まる、と述べるに至っていました。その過程で、古くから伝わる民話(昔話)や神話を引用したりしています。

その際、トールキンは、民俗学者や人類学者が行う、分類学的な解釈を嫌いました。なぜなら、それらが、それぞれの物語の細部にあるものを、ないがしろにしてしまいかねないからです。

それはさておき、わたしも、そういった、いわゆる民話や神話などの説話に、人類に後世まで残されてきたものとしてのそれらに関心を持ちました。



民話や神話を考える際、いち日本人として、日本のものを扱ってもいいのですが、明治以降に西洋から輸入されたものも、広く日本にも浸透していて今に至っています。そして、現代では一般的に、日本の神話、民話と同じくらい、西洋のそれらも知名度があったりします。それらに迎合するわけではないのですが、わたしとしては、そちらの方に、まず興味が向きました。

例えば今は、学問の領域で言えばトールキンの先輩文献学者でもあるグリム兄弟が、口頭伝承民話を活字化した、いわゆるグリム童話というものに関心があります。これから、それらの物語を、読み進めていきたいと思っています。



ところで、このグリム童話、口頭伝承民話の活字化の過程で、さらには、それに続く改訂の段階で、口承であった時のエッセンスは少なからず失われてしまいました。しかし、グリム兄弟の功績は損なわれるものではありません。おかげで、グリム童話は世界中に広まりました。

なぜ広まったのか、そう、物語が、より説明的なものにされていく過程で、お話に厚みが出来て、物語に深みが増したのだと思います。

それに加え、童話とうたってはいますが、今述べた通り、実態は口頭伝承民話集であり、トールキンが述べるように大人だからこそ物語に込められる思いというものもあると思います。言わばグリム兄弟は、民話に再び息吹を与えたのです。



グリム童話集は第七版まであります。グリム兄弟、主に弟が口承に手を加えていったわけですが、現在一番新しい第七版が広く世の中に流通しています。

読書には、ある意味第七版を使うのがふさわしいのでしょうが、始めの版のほうが、民話としてのエッセンスがより多く残っており、口承に近く、素朴です。

そして、わたしにとって一番わかり易かったのが『語るためのグリム童話』という、語りに重点を置いた、第二版を底本とし、足りないところを第七版で補っている、再話版グリム童話でした。監修が大家である小澤俊夫さんのものです。

なので、この本を主に読書に用いたいと思います。



この世界一有名な民話集であるグリム童話集について、すでに物語として、知っているものも少なくないわけで、今更ながらなのですが、改めて頭の中を整理したくなりました。

読みこもうとすれば、これまで、読書一般について、それほどの量をこなしていないわたしにとって、語るに足る力もないのでしょうが、全体として簡略でも良いから、インデックスのようなものができたらと思っています。

また、このグリム童話、トールキンが、そうしたように、ファンタジーとして扱うことも出来なくはありません。わたしも、時には、それに習って読んでみたいと思っています。



そして、これは少し先の事になると思いますが、最終的には、民話としての日本の昔話を追っていく予定です。



追記
日本の昔話の読書には『日本の昔話』 おざわとしお再話 福音館書店 を用います。記事には、簡単なあらすじも載せますが、あくまであらすじです。昔話は他の文芸に比べて、実際に自分で読んで、あるいは人から聞いて五感で感じる部分を大切にする媒体です。あらすじは、参考程度にしてください。
2017年5月


さらに追記
グリム童話に始まりさらに日本の昔話を読んできて思うのは、昔話がこれほどファンタジーに富んだ物語であったのかということです。

日本人でファンタジー好きの方なら、ぜひ日本の昔話を改めて読んでみて、自らの基礎とすることをおすすめします。大変有意義な時間を過ごしています。

日本人であることのありがたみも再発見させられます。
2017年8月






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