子どもの本を読む試み いきがぽーんとさけた
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読書雑記 - 『ピーターラビット』ひと区切り
印象に残ったポターの物語を、いち文と共に5つ取り上げてみたいと思います。本当はどれと選べないほど愛着のある作品たちです。どれも読めば心が和みます。



グロスターの仕立て屋』(1903年作)
これまで恵まれなかったとある仕立屋とネズミたちの心温まるお話しが、神の福音を思わせるような不思議な出来事になぞらえられて大団円を迎えます。

ベンジャミン バニーのおはなし』(1904年作)
孤独だったポターが、唯一心の拠り所とした湖水地方への愛情が、痛いほど伝わてきます。他の物語にも、こういった視点は随所にあるのですが、私はこの物語のそれが好きです。

ティギーおばさんのおはなし』(1905年作)
最後に夢の世界なのでは、という種明かしさえなければ、なんとも不思議な世界に連れ出してくれます。

ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』(1906年作)
絵が好きです。お話しも惹かれるものがありました。それよりも、個人的にカエルの物語が好きだという理由が大きいかもしれません。

あひるのジマイマのおはなし』(1908年作)
ノーマンのことで傷心のポターが、あひるのジマイマと重なって見えて切ないです。でもこの物語を経て、彼女は立ち上がったのだと思います。



いずれも初期の作品ばかりになってしまいました。これらの作品に彼女の才能の輝きを感じます。ポターの物語はまだありますが、『キツネどんのおはなし』で私はひと区切りつけます。翌年、彼女は結婚と共に出版した『こぶたのピグリン・ブランドのおはなし』をビアトリクス・ポターとしての最後の物語とします。そして、ヒーリス婦人として、農場経営に仕事をシフトさせてゆきます。


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18:28 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
読書雑記 - ビアトリクス・ポター の日記をめぐる話
『ピーターラビット』の物語を読み進むにつれ、気になっていたことがあリます。それは、ポターの物語の一部にある、どこか覚めたような視点の存在です。

ポターの評伝を掲載している猪熊葉子さんの『ものいうウサギとヒキガエル』を読んだのですが、それによると、このような受け取り方もありなのだなとあらためて思った次第です。そこには、生得的なものか環境か、その両方であったと思うのですが、彼女の克服できなかった内向性が影を落としています。



ところで、ポターは、15歳から31歳まで、自身の作った暗号で記された日記をつけていたことも、この猪熊さんの本を読んで知リました。今では暗号は解読されすべてが読めるようです。

その日記には、さぞ、彼女の幼年期からの抑圧された感情が記されているのでは、と思いきや、全く違い、まるで写真のような写実的な記録の羅列だそうです。

彼女自身、この日記のことを暗号で書いてあるため”これを誰も読まない”と自分で断言しているのですが、そのような隠し立てするような内容でもないものに、なぜ暗号を用いなければならなかったのか、この日記には、そういったことを含めて、いろいろな憶測があるようです。



猪熊さんも色々と推測していますが、そのなかで、暗号の件とは別件ですが『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルの日記との相似性を取り上げている箇所があリます。

猪熊さんは、この写実的な記録について、当時の人々に、そのような共通の趣向があったことを認めた上で、あえて、ふたりの、非個人的情報のスクラップブックのような内容の、日記の共通性に注目しているようです。

そして、猪熊さんは、ふたりの共通性は、日記だけにとどまらないことを述べています。何かを求めるようにキャロルは写真にのめり込み、ポターも写真を撮ったようですが、それより彼女は、あの写実的な絵に、自身の衝動のはけ口を求めているのです。

さらに猪熊さんは、ふたりが、ともに、ファンタジーの創作に向かったとしている指摘は面白かったです。そして、ファンタジーの生まれる土壌としての、彼らの心理の分析が、少しですがなされていました。



もっとも、このふたりをファンタジー作家とするかは意見が別れるところでしょう。例えばトールキンは認めていません。そこら辺のことは猪熊さんの自身の訳書、トールキンの『妖精物語について』に詳しく書かれています。一方、そんな意見に対して猪熊さんの主張はファンタジーであるとのことです。



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18:45 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1912年− 『キツネどんのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
この本が出版された年1912年、ポターは自身の印税収入の増加に伴って始めた、ナショナルトラストへの支援のために購入した湖水地方の土地の管理を1909年から任せていた、弁護士のウィリアム・ヒーリスからプロポーズを受けています。そこにまたしても両親の反対があります。理由は毎度のことで、家格の違いです。彼女の両親の、行動規範を司る価値観の全ては、ここにあります。

こうした人たちは理解に苦しみます。自分の生きている狭い世界での価値観を全てと思い込んで、その世界の外にあっても、自分たちの価値観を押し付けてくるのです。大抵の場合、彼らは、無邪気です。自分たちの外では、それらの価値観が無効であることなど夢にも思いません。押し付けられたほうは、たまったものではありません。

ポターの両親がとる行動は、当時の歴史的背景を考えると、当たり前だったとする考察が多いようですが、これは彼女の両親側にたった考えだと思っています。

そして、ポターと両親の関係は、拡大解釈するならば、何時の時代にもある、世代間の断絶として考えられる余地も、少なからずあると思っています。ならば本人も抵抗したようですし、ポターの言い分が少しは通ってもいいのではないでしょうか。

ポターは弟の援護もあって、翌年の1913年に、ヒーリスと結婚しています。彼女は創作活動から農場経営にシフトしてゆく境の年とも言えるでしょうか。彼女は、自分の創作活動の限界を感じていたのかもしれません。

イギリスの作家グレアム・グリーンは、ポターが、この作品において、ペシミズムの頂点に達したと指摘しています。



彼女の創作意欲が、とてつもなく強くて創作を続けていたのなら、その創作傾向から察して、彼女は、今にもまさる偉大な作家になっていたでしょう。

とはいっても、彼女にノーマン・ウォーンが編集者として、寄り添っていた時のような、初期の作品の作風の延長線上でのことを言いたいのですが...。

その延長線上にある作品は、動物を用いて、空想による、とある新しい現実の再構築したものになるでしょう。ある意味ファンタジーです。

もし、そんな作品が実現したのなら、その作品の完成に至る道は、おそらく遠く計り知れません。なので彼女の意欲を奪ったであろう、彼女のペシミズムが残念でなりません。また、そのおおかたの原因であった、彼女の両親のあり方が残念です。



さて、それはさておき『キツネどんのおはなし』です。ポターは初めて物語に入る前にことわりを入れています。”ふたりのいやなひと”を書きますと...。

もうすでに述べた通り、これは、ずっと彼女の心の重しになっていた、両親のことだと思われます。ポターは、”これまでおぎょうぎのいい人ばかりを書いてきました”とも書いています。

そう、いわゆる嫌な人として、キツネどんとアナグマ・トミーは描かれます。

物語では、ベンジャミンの子どもたちが、アナグマ・トミーに誘拐されて食べられそうになるという展開ですが、きっかけはベンジャミンの父親です。

今では、ベンジャミンの父親はおじいちゃんになってしまっています、かつては、あの『ベンジャミン・バニーのおはなし』の最後で、子どもであったベンジャミンとピーターを嚴しく躾けている、あの威厳のあった父親の姿は影をひそめてしまっています。彼は老いぼれて愚かになってしまっているのです。

ベンジャミンとピーターは、アナグマ・トミーとキツネどんの、愚かな争いのすきを突いて、子どもたちを助け出します。それぞれの登場者が危機に対して取る行動が巧みに描かれていて、面白い作品になっています。

しかし冒頭にも述べた通り、絶頂期にはあった、ポター独自の感性は失われかけているかも知れません。


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18:22 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1911年− 『カルアシ・チミーのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ポターの本は売れ続けて、その名は、母国イギリスばかりか、アメリカでも知られるようになります。そして、それら、遠くの熱心な人からのファンレターも届くようになりました。

彼女は、この物語で、それらアメリカの人たちを喜ばせようと、新たに、アメリカに生息している、動物のキャラクターを登場させています。そう、この物語のメインキャラクターには、ハイイロリスを、その他には、シマリスやクロクマなども描いています。



主人公は、ハイイロリスのカルアシ・チミーです。彼には奥さんのカルアシ・カアチャンがいます。二匹は、他のリスたち同様、冬支度にクルミの実を集めています。すると渡り鳥の群れがやってきて、彼らに悪気こそないものの、結果としてチミーに災難がふりかかることとなり、二匹は別れ別れになってしまいます。



出来事を語るということは、こういうことなのでしょう。いろいろな作用点が重なって、複雑な織物を作り上げてゆきます。そこには、相互作用だけが存在していて、安易に善も悪も特定することはできません。

ご存知のように、ポターの物語は、善や悪が単純に割り振られません。世間一般では、子供向けというと、そこら辺が割と白黒はっきりしています。子供には複雑なことはわからないという、大人の子どもへの配慮からなのでしょうけれど、いらぬおせっかいかもしれません。

ポターのように何も包み隠すことなく、灰色は灰色のままを、子どもたちに差し出せばいいのだと思います。そうなれば、子どもは子どもなりに考えるでしょう。この物語で、リスたちが冒険の末、知恵を身につけていくように。


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19:15 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1910年− 『のねずみのチュウチュウおくさんのおはなし』 ビアトリクス・ポター
『フロプシーの子どもたち』での、子どもたちの救い主、のねずみのチュウチュウおくさんが主人公です。

おくさンは、たいへんなきれい好きなのですが、少々困っていることがあります。それは、彼女の家の招かざるお客のことです。様々な虫達、それに、蜜をねだる歯なしのガマガエルのジャクソンさん。いつとも知れず、彼女の家にやって来て、埃や足跡などを残し、彼女を困らせます。しかし、その様子は、半ばユーモラスに描かれていて、読者は和んでしまうのですが...。

最後の方では、ジャクソンさん対策が取られて、彼は彼女の家の中には入れなくなります。しかし、その代わりに、内側からチュウチュウおくさんに飲み物を差し出してもらって、ジャクソンさんは満足。のどかな日常が描かれます。

初めて昆虫類が、意識して描かれたのではないでしょうか。ポターは絵を、動植物に対しての学術的研究の手段にも用いていた人です。よって綺麗であるばかりか、ご存知の通り正確さも持ち合わせています。よって、この物語は、描かれている昆虫の、そのリアルさゆえに、虫嫌いの人は苦手とするかも知れません。


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19:34 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1909年− 『ジンジャーとピクルズや」のおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
この物語の背景はソーリー村です。出版当時、村の人の間では、それとわかるような風景がたくさんあって話題になったそうです。

文章には登場せずとも絵を見ると分かるように、これまでポターの物語に登場してきたキャラクターがほぼ全て描かれています。



さてお話しです。猫のジンジャーと、テリヤ犬のピクルズの雑貨屋は、品揃えはいいし、かけ売りをするので評判です。接客にも気を使い、ネズミのお客には、恐がらせないように、猫のジンジャーではなく、テリヤ犬のピクルズがつくなどして万全です(猫とネズミは、捕食-被食関係。ポターは、こういった自然界の法則を、隠してしまおうとする感傷を持ち合わせていません)。おかげで売上こそ上々なのですが、お客さんが、つけで代金を払わないので商売が成り立たなくなり、店じまいを余儀なくされます。

物語中盤、猫のジンジャーが、ネズミのサムエルに請求書を送ろうとするくだりは、ユーモアが感じられておかしかったです。店で一番借りを作っているのが、なんと、ネズミのサムエル夫婦(現実の自然界では捕食される側)ということになっているのです。

そんなネズミ夫婦に商売の為とはいえ、いらぬ気遣いをしていた猫のジンジャーの、ある種の自己欺瞞が描かれているのでしょう。あるいはポターがネズミに対してもっているイメージが、そのまま描かれていものと思われます。ネズミの、生きていくことへのたくましさというイメージです。

村にある、もう一軒の雑貨屋、タビタおくさんのお店は、売上こそ彼らの十分の一ですが、決してかけ売などせず現金売りなので安泰です。



ここにはある種の不条理を見いだせますが、これが世の中というものです。かけ売りをして、接客にまで気を使って、人気の店としたにもかかわらず、潰れてしまうという結末。そんなことが描かれています。


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18:46 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1909年− 『フロプシーの子どもたち』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ポターが子どもたちのリクエスト、”もっとうさぎの物語が読みたい”との声に答えて生まれたお話しです。



ピーターラビットに、ベンジャミン・バニー、ピーターの妹フロプシーはすでに大人になっての登場です。ベンジャミンとフロプシーは結婚していて子沢山、彼らには6羽の子どもたちがいます。そんな彼らの日常が描かれていきます。

生きてゆくには食べ物を得なくてはなりません。そしてそれらは綺麗事だけでは済まされないのです。今日はマクレガーさん宅のゴミ捨て場あさりです。のどかで平和な自然の中で繰り広げられる風景の細部には、食べてゆくことの厳しい現実が描かれていきます。

ポターの物語には、いつもこの厳しさが存在しています。この平和と厳格さのコントラストこそ、彼女の作品の持ち味ですが。



一方、振り返って、読者である我々にも、生きてゆく上での、綺麗事だけでは済まされない厳格さがあります。例えば、人は動物にも同じ地球で生きる友としての、命の公平性を与えてはいますが、それと同時に、彼らを食用としている事実もあります。

ポターは、47歳で遅い結婚をしてビアトリクス・ポターという名を惜しげもなく捨てて、ヒーリス婦人として農場経営者の道を歩むのですが、農場の動物を市場に出す時には、生産者としての揺ぎない態度を示したと言われています。

経済動物と愛玩動物を、自身のなかできっちりとわけて考えることのできる人でした。


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18:32 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1908年− 『ひげのサムエルのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ポターのヒル・トップ農場において、ネズミは手におえない相手でしたが、その一方、彼女は、この最も腕の良い盗人たちを愛せずにはいられませんでした。

よってこの物語は、昔、飼っていたお気に入りのペットのネズミに捧げられています。「サミーの思い出のために−迫害されし(ただし決してへこたれない)種族の代表、ピンクの目をした知性あふれるサミー、私の大事な友達、そして泥棒の名人。」となっています。

彼女が愛好するものは、やはり自身の趣向を満たしてくれるものなのでしょう。その献辞から、物語に込められた彼女の気持ちが伝わります。



お話しは、いたずら小僧、子猫のトムの、冒険と受難の物語です。『こねこのトムのおはなし』に登場する、タビタおくさんひきいる猫の一家と、ネズミの夫婦サムエルとアナ・マライアたちのやりとりです。

ポターは、猫とネズミが対立関係にあることを、たとえ子どもの読者であっても、隠してしまおうという感傷を持ち合わせていません。



その恐ろしい体験の後、トムは大きくなっても、ネズミを怖がる猫になってしまうのですが、優れた動物寓話になっていて、ひとに置き換えてみても、いかにもありそうなお話になっています。


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18:19 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1908年− 『あひるのジマイマのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
この物語を読んでいると、私は、なんとも悲しい気持ちになってしまうのです。確かに、一般に言われている通り、ポターのヒル・トップ農場と、そこで生活することへの希望が描かれた美しい物語なのですが、評伝などで知った、彼女の生きてきた現実を重ねてみると、アヒルのジマイマはポター自身を思わせ、その自嘲が垣間見えてしまうのです。

出版は1908年ですが、この物語が実際に書かれたのは1906年、婚約者ノーマンとの悲しい出来事のすぐ後のことです。もし、彼女自身を物語に登場させたという見方が正しいとするならば、それは、この物語が初めてと思われます。



物語での、ジマイマが、自分で自分の卵を抱いて、ひなをかえしたいと思って、農場を後にし、卵を生む場所を探す行為(農場では、自分で自分の卵を抱いて、ひなをかえすことは許されていません)や、初めて空を飛ぶという行為は、ポターが、不自由な実家を出て、ノーマンと婚約するという行動と重なります。

また、狐に騙されて(文章上では狐という言葉は出てきませんが、絵でそれと分かります)、ジマイマが丸焼きにされ食べられてしまいそうになり、助かったのは良いとして、大事な卵を失ってしまうという場面は、ポターがノーマンを永遠に失ってしまったという現実に重なってみえてしまうのです。



この物語では、農場とは、彼女にとって道徳がはたらく場のようなものを表していて、そこではルールには従わなければならず、そこを出ることは人の道に反することであるように描かれます。

現代で考えると、農場の外にだって人の道はあるよと思われるでしょうが、ポターが生きた当時のイギリスは、そんなことを人々に思わせていた時代だったのかもしれません。少なくとも彼女はそう感じていたのでしょう。彼女の実家も、この農場という場に、含まれているといってもいいと思います。



「ジマイマは馬鹿でした」と書くポターの気持ちを考えると複雑です。ポター自身も自分に対する同情のような愛しみと、自分のしでかした行為の結果の愚かさ、この、二つの感情の間を揺れていたのではないでしょうか。

しかし物語の結びでは、ジマイマは農場で、卵をかえすことを許されたのでしょう。全ての卵をかえすことはできませんでしたが、四匹のひなを得ています。これは読者を安心させることが主目的なのでしょうが、それと同時にポター自身の現実での、その後の希望を描きたかったのだと思います。



なお、ポターのこの物語は、赤ずきんちゃんを下敷きにしています。ペロー童話では、赤ずきんちゃんも、おばあさんも食べられて終わってしまっているので、それに比べると救いのある物語になっているのですが(グリム童話でも猟師に助けられています)、彼女の作品は、1905年にノーマンを失って以来、人生の厳しい現実を見る目がますます強くなっていくようです。

1906年出版の『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』にも、自然界の厳しい、弱肉強食のテーマが垣間見られていました。


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18:24 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1907年− 『こねこのトムのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
鋭敏な作家はポターのこの作品を読んで早くも彼女の異変に気づいています。イギリスの作家グレアム・グリーンは

(アヒルの)パドルダック氏の創造は、新しい段階のはじまりを画していることがわかる。…ポター女史はその天才の性格を変えるような感情の試練を体験したにちがいない。この試練の性質を詮索することは無礼なことかもしれない。だが、彼女のケースは奇妙にもヘンリー・ジェイムズのそれに似ている。何事かが起こって、この二人はみかけで人を信じることができなくなったのである。

と推察しています。感情の試練とはノーマンとの婚約に対する両親の反対、それに続く彼の死が当てはまるでしょう。

ポターの両親は、共に綿織物で財を成した家族の二代目です。生活のために働く必要がなく、一生涯、職にはついていません。人は物事を推し量るのに、その価値感が強固であればあるほど、自分の価値観でしか判断することができないものです。

彼らの価値観は、身分やお金です。それらは持つ者にとって強大な価値観となりえます。そうなったら、よっぽどのことが起こらないかぎり、他人が介入する余地はありません。

ポターが、いくら自身の気持ちを説明しても無駄でしょう。まるで、壁にでも話しかけているように、たとえ泣き叫んで訴えても、ポターの気持ちは全く通じななかったものと思われます。何をいっているのか、理解すらされないのです。

これが、彼女の幼少時からの苦しみの本態だと思います。両親は、その価値観から、結婚に反対します。この状況に、頼みの綱の婚約者まで失ってしまったのです。彼女が、人間不信に陥っても、何の不思議もありません。



さて、その、アヒルのパドルダック氏ですが、ネコの三兄弟モペット、ミトン、トムたちにとっては、たまたま出会っただけの存在であり、物語からは、登場しなくてはならない存在としては描かれていません。

確かに、このようなキャラクターは、以前の作品にはありませんでした。グレアム・グリーンは、ポターの変化について、このことをいっているのでしょうか。パドルダック氏の描写は確かに楽しいものではあるのですが、その他の登場者とは関係性が希薄です。

また、ネコの三兄弟と、その母親タビタおくさんとの関係ですが、子猫たちは母親の言うことを聞かず、母親の催したお茶会を台無しにしてしまいます。読みようによってですが『パイがふたつあったおはなし』同様、この物語からも、社交の無意味さをうたった、ポターの諷刺とも読み取れる展開がなされます。この諷するという態度、この時点でのポターなら、十分にありえます。


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18:17 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1906年− 『ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ポターの動植物への興味は、大変広いもので、それらを観察し、ときにはスケッチすることで、彼女は自らの趣向を満足させていたようです。この物語の主人公のカエルも例外ではなく、彼女が、実際に飼って観察をしていたことが、彼女の暗号で書かれた日記に詳しいです。



物語の草稿はもうすでに過去に出来上がっていたものらしく、編集担当で、後の婚約者であった、ノーマン・ウォーンとの話し合いは、すでになされていたようです。しかしノーマンが突然帰らぬ人となり、その兄であるハロルドが後を引き継いでいるのですが、彼はノーマンのように、彼女と、うまく信頼関係を築くことができなかったようです。

この本の草稿は古いので影響が少ないようですが、ポターの作風はノーマンが死んだ1905年を境に確実に変化しています。



この物語は、カエルのジェレミー・フィッシャーどんの、段取りのうまく行かなかった、とある日の日常を描きます。

物語の背景は彼女のお気に入りだったエスウェイト湖であり、雨の降る音が、辺りをより一層静かなものとして描かれていて印象的です。ノーマンの死を悼み、孤独のうちに湖水地方のこの静かで穏やかな風景を写生することは、彼女に慰めをもたらしたであろうことが思われます。この本の中には、彼女の残した絵のうちで、最も美しいものが何枚か含まれます。



彼女の物語は、生きてゆく上での困難を扱い、その道徳的解決を模索しているにも関わらず、決して説教臭くはなく、読者にすんなりと寄り添うその作風は、彼女が幼少時からそのような困難を、避けようもなかった強い抑圧として付き添ってきた経緯があり、それを受け入れるために自身でしてきたことが根底にあるがための説得力の賜物でしょう。

彼女は、自身をその抑圧から守るために、一旦それらを自分の外のものとして保留してしまいます。そして、改めて、ある諦観から、仕方のないものとして受け止めてきたのです。

もし彼女が、それら外的抑圧を、そもまま内面化しようものなら、彼女は精神的に支障をきたしていたかもしれません。この彼女の物語の根底にある諦観は、ある程度は、仕方のないものと思っています。

いくら物語序盤に、運命に対する抵抗が描かれていたとしても、結びでは仕方のないものとして妥協を見せます。しかし、こうした物語の結びは、ある意味、反抗をよしとしないモラリストの評価は得るのかもしれません。



最後、ジェレミー・フィッシャーどんは、望みのごちそうを得られませんでしたが、手の内にある、代わりのごちそうで満足します。小魚料理のはずが、てんとう虫ソースをかけた、バッタの丸焼きになってしまします。それは彼女の諦観から、いつもそうしてきたことです。

そして、この結び、普通の方々にとっては、こうした態度が、気持ちの悪いものを前にした時のように、受け入れることが大変困難なことは承知ですがという、彼女自身の補足にもなっているように思えました。


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18:53 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1905年− 『パイがふたつあったおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ポターにとって、この物語が出版された当時の1905年は、いろいろな意味で転換の年となりました。それは『2ひきのわるいねずみのおはなし』のところでも述べましたが、編集者であり、婚約者でもあった、ノーマン・ウォーンとの突然の死別を契機としています。彼は若くして病死してしまうのでした。

彼女は本を書く過程で、ノーマンとの友情や意見交換、手紙のやりとりを、彼女の内的生活の大きな柱としていたと、研究者マーガレット・レインは述べています。本を作ることのみが、彼女の仕事上での喜びではなかったのです。

彼女はノーマンに向けて、この物語を、『グロスターの仕立屋』の次に、お気に入りとなると、その愛着ぶりを吐露しています。そしてふたりは婚約します。しかしその約束は、ノーマンとの死別という形で、誰が悪いとも言えず、果たされませんでした。



そして、ノーマンを亡くしたのを機に、ポターは、『ピターラビット』の成功がもたらした収入で、彼女の永住の地となった、ソーリー村のヒルトップ農場を買い入れ、移り住んでいます。

彼女の内面世界を満たしてくれる、この牧歌的な湖水地方の村での生活は、彼女を抑圧したロンドンの生活とは違い、何にも代えがたい重要なものとなります。これから先、彼女の物語の背景として、この村が、よく用いられるようになっていきます。



この物語は、猫のリビーと、彼女がお茶に誘った犬のダッチェスのドタバタ劇なのですが、明るい調子で描かれていて、まさに、物語は彼女が希望にあふれていた頃の気持ちが反映されています。

この物語を、都会のアッパー・ミドルクラスのお茶会を諷刺したものである、と解釈をする批評家もいるようですが、もしそうだとしても、それは、彼女が意図したものでないことは明白なのではないでしょうか。

なぜなら、彼女は物語を執筆当時、幸せだったろうから、諷刺のような視点は、持ち合わせていなかったことが予想されます。彼女は作品に対して、自らの気持ちをたいへん正直に示す作家です。


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19:02 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1905年− 『ティギーおばさんのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
主人公のルーシーはハンカチとエプロンをなくしてしまいました。その経緯は説明されません。ただ”いつものごとく”とあるだけです。

それを、探し歩きながら、途中で出会う動物たちになくしたものの所在を尋ねます。しかし、へんてこな返事が返ってくるばかりです。家の裏に山があるのですが、その高いところに、彼女は何かがひろげてあるのを見つけます。彼女は、それをたよりに山へ向かうことにしました。

始めの数ページだけでも、場面の移動、時間の流れに、日常のそれとは違う印象を受けます。



ルーシーは、山を歩いていると、泉のそばに小さな足跡を見つけます。それを追っていくと、彼女は、とある岩に、どこへ通じているともしれない入り口を見つけます。

中に入ってみると、絵本の挿絵で見ると分かるのですが、ルーシーと同じくらいの、背丈のでっぷりとした全身、刺だらけの、体をスカートにペチコート、その上にエプロンをまとったひとがいます。ティギー・ウィンクルおばさんです。彼女は自分のことを洗濯屋だといいます。

ルーシーはなくしたハンカチを知らないかと、ティギーおばさんに尋ねてみます。すると、ティギーおばさんは、見ましたよと言いながら、洗濯屋の仕事をてきぱきと片付けてゆきます。彼女はここいら一帯の動物たちの洗濯物を引き受けているらしいのです。



それはともかく物語全体が、いつしか、現実世界とは違う、別次元の世界の中に展開していて、その中をルーシーがさまよっていることが、読者にもはっきりしてきます。やがて洗濯物のなかにルーシーは、自分の探し物を見つけました。

ティギーおばさんはルーシーを連れて、仕上がった衣類をを持って、動物たちに配り歩きます。そしてティギーおばさんは、残りが、ルーシーのハンカチとエプロンだけとなると、それを彼女に渡し、ルーシーからのお礼も聞かずに去ってゆきます。

ティギーおばさんは、その過程で、身につけていたものを失い、体も小さくなります。彼女は小さなハリネズミだったのです。

最後にルーシーはこの出来事が夢なのではないかと、ある人に問われるのですが、ルーシーは受け入れることができません。ここでお話しは終わります。

なんとも不思議な世界に連れだされる、秀逸な動物ファンタジーだと言えます。



トールキンは、人間には、その他の生き物たちと心を通じあわせたいという根源的な願望があると言います。だとすると、それらの願望を具現化したようなお話しです。トールキンは妖精物語に近いものとして、ピーターラビットの物語から、『グロスターの仕立屋』と共に、この物語を、ファンタジーに近いものとして、自身の著書『妖精物語について』の原註にページをさいて紹介しています。

ただしこの物語に関しては、夢のお話しという暗示がなければという条件付きですが...。トールキンはこのような暗示をきらいます。どうやら、せっかくファンタジー世界が成立したのに、夢の世界に過ぎないという引き戻しに興ざめしてしまうようなのです。


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18:35 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1904年− 『2ひきのわるいねずみのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
ネズミはウサギの次にポターのお気に入りです。人形の家とネズミという舞台装置ですが、単独で用いられることも、またはこのお話しのように両方を絡めたものも、絵本だとか、児童文学の世界では、作者がよく用いる道具立ての一つです。

この道具立て、誰が始めたのかは分かりませんが、ポター以前のものに、今のところ、私は触れたことがありません。それらの物語は、ポターのそれを下敷きにしたのではないかと想像してしまいます。



この物語は、ポターにとって思い入れの深い作品であったであろうと思われます。編集担当のノーマン・ウォーンが物語誕生に深く関わっているのです。友情厚い彼は、ポターの飼っていた2匹のネズミの、スケッチがしやすいようにと、おりを作って、ポターにプレゼントしました。

また、物語の舞台装置になっている人形の家にしても、ノーマンが自身の姪に作ってあげたものを、ポターが物語の背景に利用できればとアイデアを提供したものです。

しかし、人形の家のデッサンは、ポターとノーマンの仲を快く思っていなかった、ポターの家族の横槍で実現せず、実際の絵は、写真から起こしています。人形の家の家具だけは、ノーマンが小包にして、彼女に送ってくれましたが...。

いつしかふたりの間にあった友情は、愛情に変わります。こうしてふたりは、身分にこだわるポターの家族の反対を押し切って婚約します。しかし、なんと神様は酷いことをするのでしょう。婚約からわずかの期間でノーマンは白血病で死んでしまうのでした。ポターは、彼から送られた人形の家の家具のいくつかを、一生大切にもっていたといいます。



物語の主役である、二匹のネズミは、あたかもポターとノーマンのように感じられて切ないです。

物語の題名は、二匹の悪いネズミとなっていますが、物語が書かれた、当時のイギリスのモラルの中では、二人のした、親の意向を無視するような行為は、大変な罪に近いような行動であったことが予想されます。そして、それを悔いているようにも思わせられるのでした。

そんなポターの思いを受けてか、物語最後にネズミたちは償いをします。しかし彼女はそんなネズミのことを弁護もしています。


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18:23 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1904年− 『ベンジャミン バニーのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
主人公のベンジャミン・バニーは実在したウサギです。ポターが実際に飼っていたウサギで、そのキャラクターは、彼女をよほど面白がらせたようです。

動物を飼っている方なら分かると思いますが、多かれ少なかれ個々の動物には、みんなにキャラクターがあるもので、それは、かけがえのないものです。だから、死んでしまうと大変悲しんだりするわけです。ポターがこのお話しを執筆時、ベンジャミンは、もうすでにこの世にいませんでした。ならばこそ、ポターは、このウサギに込めていた気持ちを存分に描いています。



ベンジャミンは、ピーターのいとこです。ベンジャミンはピーターを連れて、マクレガーさんの畑に、いつものごとく食べ物を失敬に行きます。

挿絵から想像されるのは、風の音しかしないような、ひっそりとしたイギリスの湖水地方の風景をバックに、ゆったりとした時間が流れてゆくような情景です。こうしたところは、大人でも、うっとりとした気分にさせられるのではないでしょうか。後にポターは実際に湖水地方のソーリー村に小さな農家を買って移り住むこととなります。

今日はマクレガーさんは留守です。追い回されるようなことはありません。しかし、彼は、いつ帰ってくるとも知れません。そんな中、猫に散策の足止めをされた時の描写には、ハラハラさせられました。ポターの物語には、危険をおかしてでも”生きてゆくためには食べなければならない”という掟がしっかりと描かれます。



空想に心を遊ばせて楽しい時を過ごしました。文学者の猪熊葉子さんは、ポターを、『たのしい川べ』のケネス・グレアムと共に、動物を使ったファンタジーの先駆者であろうといっています。トールキンは、『妖精物語とは何か』で、このふたりの著者をを、あくまで動物寓話の作者として、ファンタジーに近いものとしか認めていませんが...。


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18:28 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1903年− 『グロスターの仕立て屋』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
この物語は、トールキンの『妖精物語とは何か』の本文の原註で、補足として取り上げられています。



トールキンは『妖精物語とは何か』第一章において、妖精物語(ファンタジー)を定義するにあたり、消去法を用いて説明を進めてゆきます。その、消去すべきものの一つにあげているのが動物寓話です。

ポターといえば”ピーター・ラビット”です。わたしは、彼女を動物寓話の作者と思っていたので、まさにこれからトールキンによって、妖精物語ではないものと断じられるのだと思いきや、彼女の作品の一部を、彼は妖精物語に近いものとして別格で扱うのです。

その一部の作品の一つとしてあげているのがこの物語です。



動物寓話に登場する動物は人間と同じように口をききます。これは人間の根源的な願望として、トールキンが求めている妖精物語のあり方として認めているものです。しかし動物寓話の中で動物が口を利くということは別の発展をとげてしまいました。

それらは、単に人間が動物の皮をかぶっているに過ぎないような物語(トールキンはそれを風刺家やお説教屋の発明であると述べています)になってしまっていて、もはや我々の根源的願望とは全く関わりのないものになってしまっているのです。



そんな中、トールキンが、ポターの一部の物語をあくまで動物寓話の範囲に留まるものとしながらも、妖精物語に近いものとしている理由は、その強い道徳的要素によるものであると述べています。

この道徳的要素という言葉が意味しているものは、物語に内在する道徳性のことであって、風刺家やお説教屋の用いる寓意的意図のことではないとトールキンはいいます。”ピーター・ラビット”の世界には、ある一つの内在的な道徳性があり、同じく妖精の国にもそれはあるとも述べています。トールキンは妖精物語を構成する大きな柱の一つとして道徳をあげています。 



確かに、この物語に出てくる貧しくて老いて孤独な仕立屋が、お店に住まうネズミたちに救われるというお話しは、いま述べた通り、直接的に道徳的なメッセージを発する訳ではないのですが、我々にかなり古くからある道徳をテーマに描かれています。

大変良く出来た物語です。ポター自身の一番のお気に入りでもあります。


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19:38 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1903年− 『りすのナトキンのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
やはり、この物語にも、トールキンが指摘しているように禁制が働いています。このお話しの主人公りすのナトキンは、前記事の『ピーターラビットのおはなし』のうさぎのピーターと同じく、一人で行動し、その禁制を犯してしまうのです。このお話では、ふくろうのブラウンがいわば絶対者です。ナトキンは、彼を怒らせてしまいます。結果、ナトキンは、自身の大事な尻尾を失います。



普通に書店に並んでいる翻訳本を手にしたのですが、原本と比べなくても、何となく訳に、子どもに対する配慮が感じられます。著作権はとっくに切れているはずなので、新訳を探してネットで検索すると、いくつか見つかります。それと比べながら読みました。

いしい ももこさんの訳の読後感は、ただただ、ナトキンの、その後が心配になってしまうのでした。こういう小さなお話は、手間を惜しまず、原本に当たったほうがいいかもしれません。原本からなら、このようなお話特有の、表現上の技巧や、微妙なニュアンス、ユーモアさえ読み取れるかもしれません。


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18:47 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
−1902年− 『ピーターラビットのおはなし』 ビアトリクス・ポター 福音館書店
”ピーターラビット”の物語には、とある禁制が働いています。そして禁制を犯したものに対しては、罰が待っているのです。

大人が、この物語を読むのなら、この、禁制を犯して、冒険に挑むピーターに、興味や面白みを持って引きつけられるのでしょうが、おそらく、ほんの小さな子どもに読み聞かせたら、軽くショックを受けるのではないでしょうか。

例えば、お父さんが、人に対する禁制を犯して、ミートパイにされてしまったこと。そしてピーター自身も、禁制を犯して、そのお父さんをパイにしたマクレガーさんに、追い回されること。そしてピーターは必死の思いで家まで逃げ帰リますが、全てうまくいったわけではありません。ピーターのお腹の具合いがよくありません。そんなピーターをよそ目に、兄弟は美味しい晩御飯を食べます。そう、禁制を犯してしまったものには、何かしらの罰が待っているのです。

また、誰もが見知っている、あの妙にリアルで、可愛らしいポーズをとった、動物たちの挿絵ですが、そんな禁制が物語られるお話と、ある意味よくマッチしているなと思いました。


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19:52 : ビアトリクス・ポター : comments(0) : trackbacks(0) : かがりん :
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