『影との戦い』 ゲド戦記1 アーシュラ・K・ル=グウィン 岩波少年文庫
2016.11.13 Sunday
ファンタジーの傑作の一つに数えられています。
本を開くとまず目に入ってくるのは、この物語の舞台となる、アースシーと呼ばれる多島海の複雑な世界地図であり、まず冒険ものの好きな読者は惹きつけられるであろうと思われます。
主人公ハイタカは若くして自分の能力に目覚めます。彼は、魔法を司る能力者でした。彼の生まれ故郷であるゴントでは魔法使いである者が少なからずいました。
彼は若くして母を失い、叔母に育てられましたが、叔母もその魔法があやつれる者の一人であったため、彼は、彼女から、見様見真似で魔法を習得してゆきます。
そんなある日ゴントは、ガルガド帝国の侵略を受けます。そこでハイタカは、思いもよらず村を魔法の力で危機から救ってしまいます。
その強大な能力を、野放しにしていては危ない、と察したゴントの大魔術師オジオンは、早速ハイタカの13歳の成人式をとり行い、成人したら授けられる真の名を彼に与えます。それは”ゲド”でした。そして彼を正しく教育するために弟子とします。
ところがゲドはオジオンの手にあまり、おジオンは、彼の魔法の教育を、本格的にロークの学院の大賢人ネマールのもとで行うことを、彼自身に選択させます。
彼は学院でも、めきめき頭角を現します。魔法の本質はその対象の真の名を知ることと心得ました。しかし次第におごりが勝って、とうとうしてはならないことをしてしまいます。魔法で世界の均衡を壊してしまうのです。これがどういうことを意味するのかも分からずに...。
誰しもではないかも知れませんが、割とよくある青年期の問題です。若さゆえの傲慢から、大きな失敗を、おかしてしまうのです。物語では、自分の”影”を放ってしまったと表現されていますが、的確な表現だと思います。
”影”とは何なのか。作者のル=グウィンは心理学者ユングの本をよく読んだといっているので、ユング心理学の「影」という概念が影響しているのかも知れません。実際この概念を読解の鍵として読んだ場合、より理解がはかどります。しかし、心理学概念をそのまま用いて創作した場合、物語はつまらないものとなったはずです。あくまで、ル=グウィンのオリジナルでしょう。
大賢人ネマールは自身の命と引き換えに、その”影”をゲドから追い払います。ゲドは瀕死の重傷を追いますが、何とか一命をとりとめます。一生消えることのない傷跡を頬に残して...。
今、彼は魔法の島、ロークの守りのない、外界に出ることは許されません。なぜなら、もし彼がロークを出るようなことがあれば、せっかく大賢人ネマールが死をとして守った均衡を、力不足のゲドが、自身の”影”の操り人形となって、再び均衡を壊してしまいかねないからです。
均衡が崩れるとどうなるか。悪と呼ばれるあらゆる勢力に世界が満ちてしまうかも知れません。
そしてゲドに残された道はただ一つ、大賢人ネマールでも果たせなかった、この”影”に打ち勝つことだけです。そのために、今は、ここロークで修行を重ね、来たるべき影との戦いに備えることだけとなります。しかし真の名が分からない”影”に対して有効な手段はありません。何という屈辱的な挫折。
彼は、してはならないことを、してしまいました。学院では、もはや学友は、誰も相手をしてくれません。親友のカラスノエンドウ以外は...。その彼も就学を終えて故郷に帰るところです。孤独な日々を送ることとなリます。
しかし、これを機に、彼の本当の意味での成長が始まリます。
ゲドは、足掛け5年、ついに、学院を出る時がきました。そして彼は魔法使いとして、方々で様々な働きをします。龍と対峙したこともありました。しかしそこにはいつも”影”が彼を追い詰めてきて、おとしめようと機会を狙っています。
そう、ゲドは常に、”影”にとって狩られる存在です。彼はついに精魂尽きて、最後の望みを託して、故郷であるゴントの最初の師、大魔術師オジオンのもとに、半死半生でたどり着きます。
そこで、オジオンに、ロークでは誰も教えてくれなかった知恵を授かり、一転、今度は”影”を狩る側にまわってゆきます。
そしてついに彼は、南東に海の果てに”影”を追い詰めます。”影”は様々な姿をとり、ゲドに襲い掛かってきます。しかし結果からすると勝ちも負けもありませんでした。
ゲドは、ただ”影”に対して自分の名である「ゲド」と叫んだだけです。それが”影”の真の名だったのです。”影”もゲドに対して同時にそう叫びます。そしてゲドと”影”は融け合って、なんと一つになってしまいます。ここで起きたことは、自分の死の”影”に自分の名を付し、己を全きものとしたということでしょう。
もう影は自分と同体です。自分への脅威はなくなったのです。
彼はそのような人間になりました。
本を開くとまず目に入ってくるのは、この物語の舞台となる、アースシーと呼ばれる多島海の複雑な世界地図であり、まず冒険ものの好きな読者は惹きつけられるであろうと思われます。
主人公ハイタカは若くして自分の能力に目覚めます。彼は、魔法を司る能力者でした。彼の生まれ故郷であるゴントでは魔法使いである者が少なからずいました。
彼は若くして母を失い、叔母に育てられましたが、叔母もその魔法があやつれる者の一人であったため、彼は、彼女から、見様見真似で魔法を習得してゆきます。
そんなある日ゴントは、ガルガド帝国の侵略を受けます。そこでハイタカは、思いもよらず村を魔法の力で危機から救ってしまいます。
その強大な能力を、野放しにしていては危ない、と察したゴントの大魔術師オジオンは、早速ハイタカの13歳の成人式をとり行い、成人したら授けられる真の名を彼に与えます。それは”ゲド”でした。そして彼を正しく教育するために弟子とします。
ところがゲドはオジオンの手にあまり、おジオンは、彼の魔法の教育を、本格的にロークの学院の大賢人ネマールのもとで行うことを、彼自身に選択させます。
彼は学院でも、めきめき頭角を現します。魔法の本質はその対象の真の名を知ることと心得ました。しかし次第におごりが勝って、とうとうしてはならないことをしてしまいます。魔法で世界の均衡を壊してしまうのです。これがどういうことを意味するのかも分からずに...。
誰しもではないかも知れませんが、割とよくある青年期の問題です。若さゆえの傲慢から、大きな失敗を、おかしてしまうのです。物語では、自分の”影”を放ってしまったと表現されていますが、的確な表現だと思います。
”影”とは何なのか。作者のル=グウィンは心理学者ユングの本をよく読んだといっているので、ユング心理学の「影」という概念が影響しているのかも知れません。実際この概念を読解の鍵として読んだ場合、より理解がはかどります。しかし、心理学概念をそのまま用いて創作した場合、物語はつまらないものとなったはずです。あくまで、ル=グウィンのオリジナルでしょう。
大賢人ネマールは自身の命と引き換えに、その”影”をゲドから追い払います。ゲドは瀕死の重傷を追いますが、何とか一命をとりとめます。一生消えることのない傷跡を頬に残して...。
今、彼は魔法の島、ロークの守りのない、外界に出ることは許されません。なぜなら、もし彼がロークを出るようなことがあれば、せっかく大賢人ネマールが死をとして守った均衡を、力不足のゲドが、自身の”影”の操り人形となって、再び均衡を壊してしまいかねないからです。
均衡が崩れるとどうなるか。悪と呼ばれるあらゆる勢力に世界が満ちてしまうかも知れません。
そしてゲドに残された道はただ一つ、大賢人ネマールでも果たせなかった、この”影”に打ち勝つことだけです。そのために、今は、ここロークで修行を重ね、来たるべき影との戦いに備えることだけとなります。しかし真の名が分からない”影”に対して有効な手段はありません。何という屈辱的な挫折。
彼は、してはならないことを、してしまいました。学院では、もはや学友は、誰も相手をしてくれません。親友のカラスノエンドウ以外は...。その彼も就学を終えて故郷に帰るところです。孤独な日々を送ることとなリます。
しかし、これを機に、彼の本当の意味での成長が始まリます。
ゲドは、足掛け5年、ついに、学院を出る時がきました。そして彼は魔法使いとして、方々で様々な働きをします。龍と対峙したこともありました。しかしそこにはいつも”影”が彼を追い詰めてきて、おとしめようと機会を狙っています。
そう、ゲドは常に、”影”にとって狩られる存在です。彼はついに精魂尽きて、最後の望みを託して、故郷であるゴントの最初の師、大魔術師オジオンのもとに、半死半生でたどり着きます。
そこで、オジオンに、ロークでは誰も教えてくれなかった知恵を授かり、一転、今度は”影”を狩る側にまわってゆきます。
そしてついに彼は、南東に海の果てに”影”を追い詰めます。”影”は様々な姿をとり、ゲドに襲い掛かってきます。しかし結果からすると勝ちも負けもありませんでした。
ゲドは、ただ”影”に対して自分の名である「ゲド」と叫んだだけです。それが”影”の真の名だったのです。”影”もゲドに対して同時にそう叫びます。そしてゲドと”影”は融け合って、なんと一つになってしまいます。ここで起きたことは、自分の死の”影”に自分の名を付し、己を全きものとしたということでしょう。
もう影は自分と同体です。自分への脅威はなくなったのです。
自分自身の本当の姿を知るものは、自分以外のどんな力にも利用されたり、支配されたりすることはない。
彼はそのような人間になりました。
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